作者 デスイーター
オリジナル作品
──アサガオの花言葉を知っている?
目の前の少女は、唐突にそんな事を口にした。
夕闇に照らされた教室の隅、自分の机に腰掛ける彼女はその
……
アルビノというのは、先天的なメラニンの欠乏によって体毛や皮膚は白く、瞳孔は毛細血痕の透過によって赤くなるという外見的特徴を持つ疾患である。
メラニンの不足によって紫外線に弱く、弱視傾向もある厄介な症状だが、なにより目を引くのはその見た目だろう。
日本人としては通常有り得ない白髪赤眼という外見は、嫌が応にも人目を引く。
彼女の場合、西洋人形のような並外れた美貌を持つ事も相俟って、浮世離れした雰囲気が人間味を感じさせないレベルで超越していた。
無論、学校と言う閉じたコミュニティの中でそういった『異物』は排斥される。
入学当初こそその見た目と美貌で人気者になった彼女だったが、あまり口数の多くない彼女の性格とその人気ぶりを面白く思わなかった女子グループの執拗な嫌がらせと同調圧力によって、今となっては彼女に話しかける人間は殆どいなくなった。
──僕を除いて、だが。
僕は自分で言うのもなんだが、あまり目立つタイプではない。
勉強はそこそこ出来る方だし、運動神経も悪くはない。
親が心理学者である事もあって人間心理には多少詳しいが、強いていえば特徴などその程度だ。
だから、見るからに『特別』な空気を纏っていた彼女の魅力に憑りつかれたと言えよう。
それが男女の好意であるかどうかは分からないが、少なくとも周りの白眼視を気にせず彼女に話しかける程度には、僕は彼女に執着していた。
彼女が女子に詰め寄られた時に割って入ったり、教科書を隠された時などに自分のものを見せてあげたりしていた。
丁度隣の席である事もあり、そういったフォローはやり易かったのだ。
教師も彼女へのいじめの実態は知っていたが、体面を気にする学校にとってはいじめの事実は認めたくないもののようで、特にこれといった対処はしてくれなかった。
代わりに彼女のフォローをする僕の存在は教師側としても有難かったようで、このクラスでは席替えが起きた事はなかった。
つまりはお前がなんとかしろという、教師の無言のプレッシャーだろう。
まあ、僕としても彼女から離れるという選択は有り得ないので、願ったり叶ったりではあるのだが。
最初はそんな僕を不思議そうに見ていた彼女だったが、次第に心を開いてくれたようで、今では帰り道を一緒に歩く事もそう珍しい事ではなくなった。
彼女、
今日もまた、いつものように彼女と一緒に帰ろうとしたのだが、「教室に残って欲しい」と彼女が言うものだから、朝顔の言う通り他の生徒が帰宅するまで、こうして教室に残っていたワケだ。
僕も彼女も部活はやっておらず、特に用事があるわけでもない。
部活をやっている生徒はまだ残っているが、夕日に照らされた教室は何処か現実とは違った空気があり、窓から覗く校庭から聴こえる野球部の連中の声も何処か遠い世界の事のように思えた。
「アサガオの花言葉、か。えっと、愛情、結束……あとは、儚い恋、だったっけ?」
取り敢えず朧げな知識から返答した僕の答えを聞いて、彼女はくすりと笑みを浮かべた。
「そうね。それも間違ってはいないわ。アサガオは明け方に咲いて午前中にはしぼんでしまうから、その儚さのイメージから『儚い恋』なんて花言葉を付けられたらしいわね」
何処か自嘲気味にそう呟く彼女を見て、僕は何故か言い様の無い焦燥を感じた。
件の花と同じ名前を持つ彼女はやっぱり浮世離れしていて、放っておけば何処かに消えてしまいそうな、そんな儚さを感じた。
「……ふふ、そんな顔をしなくても、私はいなくならないわ」
ふと、朝顔が悪戯っぽく笑いながらそう告げた。
……無意識のうちに、彼女に一歩、近付いていた自分を自覚する。
彼女に声をかけられるまで、僕は自分が何をしようとしていたのか、自分でも分からなかった。
ただ、彼女を離したくない。
そんな想いだけが、胸の中に渦巻いていたのは事実である。
彼女が声をかけなければ、自分は何をしていただろうか。
不思議と、
「白いアサガオの花言葉は、『固い絆』と『溢れる喜び』だそうよ。一度結んだ絆は、決して消える事はないの。少なくとも、私と貴方の間ではね」
……そう言って満面の笑みを浮かべる彼女に、思わず赤面してしまう。
彼女から信頼されているのは感じていたが、こうして言葉にされると奇妙なむず痒さを覚えてしまう。
身体が熱い。動悸が苦しい。僕は彼女の魅力に、心底からやられてしまっていた。
目の前の美し過ぎるこの少女の声が、仕草が、どうしようもなく僕を惹き付ける。
気分はまるで、食虫花に捕らわれた哀れな虫のようだった。
「でもね、それだけじゃないの」
机から腰を下ろし、一歩一歩彼女が僕に近付いて来る。
その距離はあっという間に縮まって、遂には僕の目の前に彼女はやって来た。
甘い、匂いを感じる。
普段より近くにいるからだろうか。女の子特有の甘い体臭が、僕の花を擽った。
その匂いはまるで媚薬のようで、その色香にやられた僕は思考を赤熱化させる。
もう、彼女の事以外考えられない。そんな事を、僕は本気で思っていた。
「アサガオはね、支柱にツルを伸ばしてそれに寄りかかるように成長するの。だから、こんな花言葉も付けられているのよ」
そっと、彼女が僕の耳元に顔を寄せる。
そうして、耳元に唇を押し当て、告げる。
「──わたしはあなたにからみつく」
──その言葉に、僕の心は一瞬にして絡め取られた。
そんな事を囁いた彼女の声は、獲物を捕らえて逃がさない夢魔のようでいて、抵抗する気そのものが起きて来ない。
いつの間にか僕に抱き着いていた彼女の腕が、僕を絡めとるアサガオのツルのように思えた。
不思議と、恐怖感は湧いて来ない。
だって、僕の心はもう、とっくの昔に彼女に絡め取られていたのだから。
「私は貴方が好き。貴方だけは、私に優しくしてくれたから」
そして、一言一言。まるで毒を注入するように静かに彼女が囁いた。
「私は貴方が好き。貴方だけは、私を肯定してくれるから」
食い込ませたツルを決して離さないように、ゆっくりとその毒を僕の心に染み込ませていく。
「私は貴方が好き。貴方だけは、私だけを見てくれるから」
彼女の
少しずつ真綿で首を絞めるように、ゆっくりとその毒素が行き渡る。
「私は貴方が好き。貴方だけが、私に居場所をくれたから」
彼女の腕が、僕の首に回される。
その意味を理解した僕に、抵抗なんて出来る筈もなく。
──彼女と唇が、重なる。
触れるだけの、バードキス。
けれど、彼女の唇は蕩けるように柔らかくて。
……甘い、毒のようだった。
僕の心はもう、完全に彼女の虜だった。
いや、とっくの昔にそうだったのだろう。
多分、今の僕には、そんな虫の気持ちが分かるような気がした。
「私は貴方を愛しています。私の全ては貴方のもので、貴方の全ては私のもの。だから、だから、どうか私だけを見て。他の女なんて目に入れないで。私が一番、貴方を愛しているのだから。他の女なんて、不要でしょう?」
女の情をたっぷり込めて、彼女が告げる。
そんなの、言われるまでもない。
彼女という美しい花に心奪われた僕が、他の
そんな事になるくらいなら、死んだ方がマシというものだ。
「私の心も、身体も、全部全部貴方のものよ。貴方の求めにはなんであろうと応じるし、貴方の望みは私が全て叶えてあげる」
熱に浮かされた声で、彼女は告げる。僕の心に、彼女の根を埋めるように。
「だから、貴方の心も私に頂戴。他のものなんて見ないで、ただ──私だけを見て。貴方に沿える花は、私だけでいいでしょう?」
僕はただ、こくり、と頷いた。
強制されたものではない。ただ、僕がそうしたいと、心の底から思っただけだ。
「──ありがとう。もう、何も言わなくていいわ。貴方の心は、ちゃんと伝わっているから。言葉は大事だけれど、言いたい事が伝わっているのなら……もう、他に何もいらないでしょう?」
彼女はそう言って、ぺろりと赤い舌で自分の唇を舐め上げた。
その仕草はとても艶やかで、思わず胸が高鳴ってしまう。
そして当然、そんな僕の心なんて彼女にはお見通しだった。
「……ふふ、嬉しいわ。そんなに私を求めてくれるなんて……もう一度、キスをしましょう? 続きは、その後で……ね」
ゆっくりと、彼女の顔が近付いて来る。
僕はそんな彼女を抱き締め返して、彼女はそんな僕を受け入れて……。
──二度目のキスは、蜂蜜のように甘く、僕の理性を痺れさせた。
もう、僕は完全に彼女の虜となった。
それがどう呼ばれる関係であれ、僕が彼女を離す事はないだろう。
──彼女が僕を永遠に離さないと、そう誓ったのと同じように。