某月某日、嘴平伊之助は竈門炭治郎・我妻善逸と同じ部屋でベッドに横になり大人しくなっていた。
「ゴメンネ。弱クッテ」
「がんばれ伊之助がんばれ!」
「お前は頑張ったって!すげえよ!」
あの山で蜘蛛の鬼と戦い、喉頭と声帯の圧挫傷という傷を負った伊之助は自分の弱さに落ち込み、かつての師とも姉とも言える人物を思い出していた。
ーーーおいてめえ!ここは俺の縄張りだ!誰だ!出てけ!
ーーーイノシシのお化け・・・?
伊之助がその人物と出会ったのは、伊之助が恐らく10歳になるかならないかという頃だった。自分の誕生日など分からないが、言葉を教えてくれた老人が大体の推定年齢を教えてくれていた。
出会い、言葉を交わし、戦った。雰囲気で強い事が分かったからどうしても戦いたかった。その人物は戦いに応じて、そして・・・自分は負けた。圧倒的な強さだった。勝てる算段が全くなかった。今までにない強さで、山の獣達に負けたことがなかった自分は心が折れそうになった。それでも必死に食らいつき、何度も何度も戦いを挑んだ。その度にその人物は自分の挑戦を受けてくれていた。それどころか、自分の悪い癖や良いところを指摘し、伸ばしてくれていた。最初はそれに気がつくことが出来なかったが、稽古をつけてくれていることを暫くしてから理解することが出来た。
ーーーうんうん、今のはすごくよかったよ。伊之助くん、強くなったね
姉貴、と呼び始めたのはいつだったか。正確な日時は覚えていない。覚えているのは、零れるように口から出た姉貴という言葉と、目を見開いた白と黒の髪の女。
ーーーなあに、伊之助
そう言って笑ったシロクロ女・・・ではなく姉貴は、まるで本当の家族のようだった。自分は家族を知らないが、言葉を教えてくれた爺さんが読み聞かせてくれた昔話に出てくる家族のようだった。
ーーー姉貴、鹿狩って来たぞ!
ーーー凄いね伊之助、今日はもみじ鍋にしようか
ーーーもみじ?これ鹿だぞ!
ーーー鹿鍋のことをもみじ鍋って言うのよ
獲物を狩って来たら褒めてくれて、自分の知らないことを教えてくれた。
ーーーっアアア!くそ!もうちょいだったのによ!
ーーーふふふ、今のは惜しかったよ。すごく良かった。体が柔らかいのは長所だね。でもちょっと体幹が不安定かな
何度だって挑戦を受けてくれて、その度に助言をしてくれていた。
本当に、本当に姉のようでいい師匠だった。額に傷のある男に家族はいないと言ったが、家族のようだった人間ならいた。・・・だが、言えなかった。1年ほどしか共に居られなかった姉は本当に存在したのか。自分が見た幻なのではないのか。少しでもそう思うと、なぜか心臓が痛くなった。そんな時に最後に貰った包帯を見ると、姉は存在したと確信を得ることが出来るのだ。
ーーー伊之助。なんでここに居るの?
ーーー姉貴、が。包帯、忘れてってたから
ーーーそう。ありがとう伊之助。それはあげるよ
最後に貰った包帯を、自分の刀に巻いている。これだけが、姉の存在を証明するたった一つの手段なのだ。姉は鬼だった。しかしそれ以上に人間で、師匠で、家族だった。
当時の自分は弱かった。きっと今もまだ弱いままだろう。どの口で一緒に戦うだなんて言えたのか。でももだってもないと言ったのは姉だが、ひとつだけ言い訳をさせて欲しい。
俺は、もう置いていかれたくなかっただけだ
再会まであと少し
遊郭編にシロを同行させるか
-
させる
-
させない