RE:ヒカルの碁 ~誰が為に碁を打つのか~   作:faker00

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第2話

 

 

 

「星木さんは名古屋から転勤でこっちに来ました。知らない土地で不安だと思いますから皆、仲良くしてね!」

 

 先生。生まれて15年と少し、私はずっと都民です。

 そんな冷静な切り返しを即座に出来るほど私は冷静ではなかった。

 

 まてまてまて、いくらなんでも急展開にも程がある。

 これが入学式での居眠りがバレて、目が覚めたら職員室だった。という位ならまだ受け入れられる。でも、今の状況は明らかに違う。

 常識というか、普遍的な筈の前提条件が全て崩れ去っている訳で……え、私は一体どうなった?

 

 

「──えっと……」

 

 一つ深呼吸をして状況を整理してみよう。

 どうしたのかな? という表情の先生を無視して、その全体、そこから自分自身、そして首を捻って如何にも転入生にワクワクと言った空気を全面に押し出している"同級生達"を見る。

 

 先生がまるで巨人に見える。いや、違うな。これは私が縮んでいるんだ。

 そうじゃないと教壇があまりに巨大すぎる。

 よし、取り敢えず一つ納得だ。

 

 じゃあ次……あれ、この服私がお気に入りにしてたやつだ。当時小学生の頃だけどホントにいっつも着てたなあ……

 まあとにかく把握した。

 

 そして最後。30人くらいはいるであろう子供達だけど……不味い。これは不味すぎるぞ。

 緊張とは別の汗が一筋、つーっと額から落ちるのを感じた。

 それも仕方がないだろう。だってこの教室には

 

「私の記憶にある人が誰もいない……!」

 

「初めての学校だからねー。最初だけだから大丈夫だよ」

 

 心の声が思わず出てしまい、咄嗟に口許を抑える。

 子供達のからかうような声も聞こえるが、そんなことはどうでも良い。

 この教室のなかに、私が知っている人は誰一人としていないのだ。

 そう、このあり得ない現実を受け入れると仮定するなら、私は何の前情報も無しに当の昔に終了した筈の小学校生活を、また新たに構築していかねばならないと言うことになる……!

 せめて逆戻りなら、まだあっちゃんや少ないなりにはいた筈の他の友人と絡んでいれば、その内元に近いところに辿り着くという希望もあったはずなのに!

 

 

「はい、それじゃあ星木さんの席は右奥の……隣の子が今ちょっと遅刻してるから空いちゃってるけど窓際の方ね」

 

「はい……」

 

 どうやら私の隣は小学生にして遅刻をかますというかなり大胆な少年のようである。

 漫画ではそう珍しくもない光景なのだろうが、現実問題小学生で遅刻ってあるのだろうか?

 少なくとも、私は実際に見たことはない。

 

 本当は色々と質問攻めしたいところを、ホームルームということで抑えているのだろう。

 好奇に満ち溢れた視線の中を潜り抜け席に座るとようやく一息つくことが出来た。

 

 

「なんだかもう訳分かんないよ……」

 

 その瞬間、どっと現実が押し寄せてくる。

 さっきは無理やり理屈を付けて自分を納得させたが、本来そんなものでどうにかなるわけがない。

 あまりにも非常識すぎる。高校生が小学生になり、全く見知らぬ学校に児童として紹介されている。

 

 時間だけは金で買えないとは良く言ったものだ。こんな意味不明なこと、たかだか金程度で実現してはたまったものではない。

 

 

「これが夢なら」

 

 そんなことを口にし、それもないだろうと首を振る。

 夢にしてはあまりにも感覚がはっきりしすぎている。確かなことは、今目の前にあるのが私にとっての現実であり、これまで過ごしてきた筈の15年の方が致命的に"ズレている"それだけだ。

 

 仮に理解出来たとしても、受け入れられるわけがない。

 

 

「こんな訳の分からない状態になるなら、少しくらいマシな事でもなきゃやってられないわよ。ほんと……」

 

 もうこの期に及んで出来ることと言えば、現実逃避以外にはあるまい。

 先生の話も聞き流しながら、今まで私が知っているのと変わらない青い空と、流れる白い雲を頬杖を付きながらボーッと見る。

 

「ああ、これが私の知らないどこかの世界だって言うなら」

 

 ──ヒカルの碁の世界とかなら良いのに

 

 それなら文句無し。寧ろウェルカムである。

 くだらない妄想と分かっていながら頬がにやけるのを自覚した。

 どのみち囲碁に全力投球すると決めている人生だ。なら、何処までも魅力的な打ち手がたくさんいる世界の方が楽しいに決まっている。

 

 歴史上最強棋士であるかもしれない藤原佐為、私が元いた世界のナンバーワン棋士ですら敵うかどうか分からない凄まじい打ち手である塔矢行洋先生、老獪という言葉を人の形にしたような桑原先生、一柳先生や座間先生と言ったタイトルホルダー経験者の方々に、若手筆頭格である倉田さんや緒方先生も捨てがたい。

 

 

 それに、なにより

 進藤ヒカルと塔矢アキラ、原作終了時に本来の私と同い年だった2人の天才。

 もしも、この2人と競いあっていくことが出来たなら──

 

「こんな幸せなことはないよねー」

 

 溜め息と共に幸せな妄想の本を閉じる。

 そんな都合の良いことが起こるほど運の良い人間なら、そもそもこんなことにはなっていないはずだ。

 

 とにかく、先ずはこの不思議体験初日をなんとか乗り切きる事が先決だろうと姿勢を正して向き直る。

 家がどこにあるかすら全く分からないのは痛手以外のなにものでもないが、そこは恥を忍んで先生に聞くしかないだろう……そして私の家族は変わっていないのか確認をする。それをしない限り次のことは考えられそうにない。

 

 

 

「すいません先生! 遅れました! ほら、ヒカルも早く!!」

 

「ち、ちょっと待てよあかり! 俺朝飯も食ってないんだぜ!」

 

 

 

 そう方針を決めたというのに、勢い良く音を立てて開かれた扉の向こう側に反射的に目を向けた瞬間、今まで考えていたことは全て吹き飛んでしまった。

 これまでの人生で受けた衝撃全てを束にしても届かないと思うほどの衝撃。

 比喩表現では何度となく目にしてきたが、実際に体験するのは初めてだ。

 思わず私は息を飲んだ。

 だって、私の目の前に現れたのは──

 

 

「遅いわよ"進藤"君、"藤崎"さんまで巻き込まないの」

 

「え、あかりはお咎め無し?」

 

「当たり前でしょ! 私はヒカルが起きるの待ってただけなんだから!」

 

「嘘でしょ──」

 

 誰がどう見たって間違える筈の無い、前髪だけが金色の見るからに生意気そうな少年。今後数十年囲碁界に旋風を巻き起こすことになる天才、進藤ヒカルその人だったのだから。

 

 

 

 ──やった……!

 

 

 今にも立ち上がって叫びたいところをグッと堪えて机の下で拳を握るだけに留める。

 私の感情は180度、ひたすら沈んでいた気持ちはどこへやら。今まで悪態を付きまくっていた神様とやらに感謝の気持ちで一杯だった。

 

 

「ん? 何お前、転校生?」

 

 先生にひとしきり怒られたヒカルが頭をかきながらこちらへ向かってくると、昨日まではいなかった私という異物に気が付き、訝しげな表情を浮かべる。

 いくらなんでも初対面の女子にその態度はないだろう、と普段の私なら思ったかもしれないが、今のご機嫌メーターが振り切れた私には気にもならない。

 そんなヒカルに対して満面の笑みで立ち上がり、右手を差し出す。

 

「うん、私の名前は星木風鈴、よろしくね!」

 

「そっか! 俺の名前は進藤ヒカル、よろしくな、星木!」

 

 流石は原作でもコミュニケーション能力の固まりだったヒカルは動じない。

 直ぐにこの状況に順応したのか、いかにも子供っぽい屈託の無い笑顔で私の手を握り返してくれた。

 

 その流れでチラッと彼の後ろの空間を見る。そこには何も無い。もしかすると佐為がいるのかも知れないし、まだいないのかもしれない。

 だが仮にいなかったとして、彼が囲碁の道に導かれていく日はそう遠くないはず。

 そう考えただけで、私の心は弾みっぱなしだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

──────

 

 

「訳分かんねえ……」

 

「もう、いつまでボヤいてるのよ。ヒカルが寝坊するのがいけないんでしょ」

 

「そういうのじゃねえって」

 

 5年前よく着ていたジュニアサイズのシャツとジーンズに着替え、幾分普段より高く見える家々や電信柱を眺めながらヒカルはあかりと共に通学路を小走りに行く。

 残念ながら遅刻だ。それも大幅な。その事実は覆しようがない。

 

 しかしながら、ヒカルの心中を埋めていたのはそんな些事ではなかった。

 

 ──何が悲しくてまたランドセルなんて背負ってるんだ俺は……!

 

 この段階はとうに卒業したはず。

 それなのに、何もかもが自分だけを置いて逆戻りしている。

 盤上のこれからを読むのは得意でも、こんな状況におかれ冷静に立ち回る頭をヒカルは備えてはいなかった。

 

「エイプリルフール……でもないな。あーもう、わっかんねえよ!」

 

「ヒカル、どこか体調悪いの……?」

 

 バカ野郎! と自分を怒鳴り付けたくなるすっとんきょうな考えしか浮かばない。

 自分が知っているのに比べかなり幼いあかりが本当に心配そうな表情に変わり脚を止める。

 それは、何となく恥ずかしかった。

 

「何でもねえ……悪い」

 

「それなら良いけど」

 

 いくらなんでも小学生の女子に心配をかけるなんて情けないにも程がある。

 そう冷静な考えに至った途端、ヒカルは混乱していた頭がすっと落ち着くのを感じた。

 今ジタバタしてもどうにかなるものでもないのは確かだ。

 それならまず、無駄に波風を立てずに過ごす方が良い筈だと。

 

 ──訳分かんないことには変わり無いけど、母さんもあかりも、少なくとも俺の全く知らない二人じゃない。ならそこまで焦る必要ないじゃんか

 

 

 全く知らない世界に放り込まれるよりはよっぽどましだ。

 そんな的を射ているのかいないのかよく分からないポジティブ思考に辿り着くと、ヒカルの中に1つの考えがすっと浮かんできた。

 

「待てよ──戻ってるってことは……」

 

 朝見当たらなかった碁盤や制服は、無くなったのではなく、そもそもそこに無いだけ。当然だ。今の自分はまだ囲碁を始めていなければ、中学に上がってもいない。

 なら逆はどうだ? 時の流れと共に失われたものがあるのなら、それによって得られるものもあるはず。

 そう、この時期に合ったことと言えば──

 

「もしかして、俺はまだアイツに会ってない……? それなら」

 

 雷に打たれたような衝撃がヒカルを貫いた。

 

 辻褄は合っている筈だと。本来ならあるはずのものが、時間の流れに沿って失われている。

 それなら逆もまた然りだ、本来ならもう無いはずのものが、この時間の逆行によって戻らない道理がない。

 

「──っ!」

 

 今すぐにでも土蔵に行きたい。

 そんな衝動にかられながらも踏みとどまる。ここで戻ればあかりに余計な迷惑がかかる。それになにより

 

 ──もしも違ったら、俺もう立ち直れねえよ

 

 そんな、悲しすぎる理由でヒカルは躊躇った。

 

 

 

 

 

 

 

「すいません先生! 遅れました! ほら、ヒカルも早く!!」

 

「ち、ちょっと待てよあかり! 俺朝飯も食ってないんだぜ!」

 

 

 教室にたどり着いたのは、登校時間に30分遅れてのことだった。

 あかりによると、今日は転入生が来るらしい。ヒカルの記憶にはこの時期の転入生というイベントはなかったはずだが、些細なことだろうと特に気にも止めなかった。

 懐かしさすら覚える先生の説教を受け、呆れたように自分の席に座るよう促される。

 

 

「へいへい……あれ?」

 

 何年経っても慣れないものは慣れない。久しぶりの説教に頭をかきながら席へ向かうと、その隣の席に座り、こちらを凝視している少女に気が付いた。

 長い黒髪にパッちりとした目、スッキリとした鼻立ち、もしも精神年齢まで同世代だったなら赤面していたに違いない美少女だった。

 そんな少女の記憶はヒカルには無かったが、彼女が先程あかりの語っていた転入生に違いないと直ぐに合点がいく。

 

「ん? 何お前、新入生?」

 

 だというのに、口をついて出たのはあまりにも失礼な物言いだった。

 "やばっ"とヒカルは心の中で冷や汗をかく。どうやら自分自身この身体に合わせて逆行している部分もあるらしい。

 緒方センセにも良く指摘されると同時に拳骨を落とされたりもしていたが、自分自身あまり礼儀作法がなっているとは言えない。

 だが、幾らなんでも初対面の相手にこの態度はないだろう。

 

「うん、私の名前は星木風鈴、よろしくね!」

 

 有り難いことに、この失礼な態度に少女は特に思うこともないのか満面の笑みで右手を差し出してくる。

 気分を害さずに良かったと安心し、ヒカルも同じように手を出す。

 

「そっか! 俺の名前は進藤ヒカル、よろしくな、星木!」

 

 そうして握り返した手に、ヒカルは違和感を覚えた。

 握手をして手を離したあと、マジマジとそのしなやかな手を見つめる。

 

 ──こいつ、もしかして碁を打つのか? それも相当な……

 

 

 手はその人の人生を写す鏡だと、お喋りが大好きな一柳先生に語られたことを思い出す。

 人の手には、様々な癖が出る。その人がどんなことをして人生を過ごしてきたのか、そんな細かいことはヒカルには分からないが、1つだけ分かることがあった。

 それが、囲碁を嗜んできている人の手である。理屈ではない。ただ何となく、その凹凸か、碁石特有の感覚か、よく分からないが分かるのだ。

 それは練度の高い打ち手であればあるほどにはっきりと。そして、今握った彼女の手はその中でもレベルの高い人にしか感じない感覚だった。

 

 

「──?」

 

「な、何でもない」

 

 不思議そうな目で覗き込んでくる星木から目を反らして席に座る。

 いきなり"お前は碁を打つのか?"なんて聞くのはハードルが高すぎるだろう。

 当時の自分を思い出してヒカルは嘆息する。小学生からすれば碁はマイナーにも程があるのだ。

 

 

 そうして、流石に5年前ともなれば簡単に思える授業を久々に受けながら、いつの間にか夢の世界に導かれてヒカルの逆行生活初日は過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あった……」

 

 時は流れ夕方。

 夕焼けが差し込む倉の中でヒカルは遂に見つけた。

 古ぼけた碁盤、それはヒカルの人生を変えたもの。あの時と変わらず埃を被って、まるで彼を待っていたかのように記憶と全く同じ場所にいた。

 

 

「──」

 

 心臓が早鐘を打つ。汗が止まらない。

 いまヒカルが立っているところからでは"シミ"があるかどうかは分からない。"アイツ"の流した悔し涙。

 それが見えればきっと……逆になければ……

 

「ええい! ビビってられるかよ!」

 

 勢いでもって手を突っ込み、一思いに引っ張り出す。

 埃が空を舞うが、知ったことではない。

 少しばかり噎せ返り、その向こうに見た碁盤には──

 

 

「……あった──」

 

 いとおしいものを見つけたと、ヒカルはその"シミ"を元いた世界では見えなくなっていたその"証"をなでる。

 より濃く、よりはっきりと。シミはヒカルが触れても消えることはなかった。

 

 

"聞こえるのですか──"

 

 それに続くように脳に直接響く声に、今までとは全く真逆に心臓が止まる。

 分かっていた。シミを見つけることが出来たなら、彼が戻ってくるに違いないと。けど、それでも、ヒカルは涙が溢れ出すのを止められなかった。

 

「ああ、聞こえるよ──お前は一体──」

 

 

 

 藤原佐為の帰還、本来存在しない少女と進藤ヒカルの邂逅で物語はいよいよ回り出す。

 

 だがそれは決して、彼や彼女が望んだハッピーエンドに直結する道ではないことは、まだ誰も知らない──

 

 

 




連続投稿でございます

ではまた!

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