RE:ヒカルの碁 ~誰が為に碁を打つのか~ 作:faker00
「ふっふっふ──遂に来たわよ、塔矢アキラと進藤ヒカルの因縁の場所!」
今の私の後ろにはババーン、って感じの効果音が付いているに違いない。
ヒカル──いや、佐為との対決から一週間。日曜日の昼下がりに小学生が碁会所の前でドヤ顔しながら腕を組んで仁王立ちしている姿は、端から見ればさぞかし訳が分からないことだろう。
ポケットの中にあるお金はあと800円、帰りの電車賃200円、この碁会所の料金500円を考えれば、残金はもはや無いに等しい。
だがそんな状況において私はポケットでじゃらじゃらとゆれる小銭に底知れぬ優越感を覚えていた。
なぜかって? 小学生の千円は、高校生の一万円程に価値があるのだ!
最近はいつもこんな感じな気もしないでもないが、本日も私のテンションは高い。最高にハイってやつだ。
率直に言えば、何がなんでもという意識で原作に合わせるのは先日のヒカルとの一戦までと決めていた。
変えてはいけない運命の歯車が動き出した以上、後は自分で道を切り開いていくまで。
どこまでもワクワクするのを抑えられないのも仕方ないと言うものだ。
「と言う訳で来たのだけど──」
一つ。重大な可能性がここに来て頭を過る。
それは──
「塔矢君がいなかったら私の500円は無駄になったあげく、次にここに来れるのは来月なんだよね」
とても重要な事実である。
そう、塔矢アキラはいつもここにいるイベントキャラという訳ではない。
空振りをして平均年齢50は堅いおじ様方の好奇の目に晒されるだけになる可能性も捨てきれない。
それも、なけなしの全財産の半分を注ぎ込んで、だ。
笑えない。しかしながら行ってみないことにはそれすら分からない。
「まあなるようになる……かな?」
結局のところ行かない、という選択肢はないのだ。
いくら悩んだところでどうしようもならないと、私はエレベーターに乗り込むのだった。
「あらいらっしゃい! 可愛いお客さんね! あの、ごめんね。アキラ君、今日いないのよ……」
「まじですか」
絶望とはこの事だろう。
障子を模した自動ドアの先、受付で快活な挨拶をしてくれた市川さんの顔が、何かを察したのか曇る。
何を以て判断したのかは知らないが、その予想は当たりだ。
塔矢アキラは不在、その為かどこかこの空間そのものに活気がない。
まあ原作でも彼はここにいる全員の師匠であり、憧れであり、アイドルだった。
その人物がいないとなれば、この常態もまあ仕方のないことである。
それにしても、例によって市川さんもスーパー美人である。原作では年齢不詳感が半端なかったが、どうみても20台中頃にしか見えない。
「──? 私の顔に何かついてるかしら?」
「い、いえ! ただ、何で塔矢君目当てって分かったのかなあって」
「ああ、そりゃあ子供で囲碁を打つ子は珍しいからなんとなく分かるわよ。まあ、私もここに勤めはじめてからランドセル背負った子供なんて見たのはアキラ君以外一人だけなんだけど」
「そうなんですね」
──ヒカルのことだ。
チロッと舌を出して微笑む市川さんを横目に見ながら
良かった、と胸を撫で下ろす。
これで歴史が変わっていないことは確定だ。どこかホッとしたような安堵が私を包む。
「アキラ君は凄いのよほんとに。素人の私でも分かるくらい……けど、その小学生は彼以上だったの」
まあその正体は本因坊秀策だから、それも仕方のない話である。むしろ速攻で見込まれただけ大したものというものだ。
「今考えると、その子もアキラ君目当てに訪ねてきたから、もしかしたら何処かのプロの息子さんなのかも知れないわねー。あのアキラ君が、僕には何もかも足りていなかった。それを思い知らされる一戦でした、なんて言う完敗だったんだから。いっつも打ってますって言うだけあったわね」
うむうむ。流石は佐為である。こうして塔矢アキラは彼を追いかけていくのだろう。
「それで、今日はどうしようか? アキラ君いないし、帰っても良いけど」
「えーと……折角なので打っていきます! ここまで来たのに勿体ないですし!」
「りょーかい。それじゃあ500円ね」
迷っていたが、結局囲碁の熱気に当てられた私にこのまま帰るという選択肢は選べそうにもなかった。
500円玉を渡して意気揚々と中へ進んでいく。
よくよく考えてみれば、元の世界でも同じようなことはさんざん経験している。
まあ先ずは舐めてかかってこられるのは目に見えているのて……大人げないけど、碁に対するモチベーションを奪わない程度の最低限の配慮はもちろんするが思いっきりやるのだ。
そうして、この碁会所にはその後こんな噂が流れるようになる。
それは、プロレベルの実力を誇る子供が3人も定期的に現れるというにわかには信じられらないとんでもである。
そんなことになるとは露も知らず、私はおじ様方に頂いた大量のお菓子をランドセル一杯に突っ込み、飴玉を口の中で転がしながら、ご機嫌のまま帰路を行くのだった。
────
「だー、投了だ。やっぱりお前強すぎるんだよ、佐為」
「いえいえ。それよりヒカルも素晴らしいですよ、とても初心者とは思えません」
「そ、そうかな……?」
えへへ、と頭を掻くヒカルを見ながら佐為は満足そうに頷いた。
──私の知っているヒカルとは大違いです
そんなことを思いながら心の中で苦笑する。
佐為はまだ、何故自分が再びこの世に舞い戻ったのか、よりによってヒカルなのか、全く分からずにいた。
だが少なくとも、今この時、彼は幸せだった。
──この世界のヒカルは碁への興味が元々深い。そして驚くほどに素直で穏やかだ。
次だ次、と石を持てない自分の分まで整理するヒカルを見ながら扇子を口許にやり、ふふっと微笑む。
塔矢アキラの存在も、このヒカルは前から知っていたらしい。あれほどの逸材だ、多少でも碁に興味があれば知っているのが当たり前で、むしろ以前のヒカルが無知過ぎたのかもしれないとさえ思う。
だからこそ、最初は指導碁を打とうとした私を制し、わざわざ本気に近い──ある意味獅子が子を崖から叩き落とすような──碁を打つように言ったのだろう。
ギリギリまで追い詰めることで、龍は高く舞い上がり、虎は雄々しく吼えるように。
「ん? どうかしたか、佐為」
「いえ。ですがヒカル。良いのですか? 私以外とは打たずに、折角なのですから碁会所や囲碁教室では貴方が打てば」
「俺!? ムリムリ、人と打つなんて恥ずかしくって。お前みたいに凄い奴を見ちゃったらさ」
「そうですか──」
一つだけ気になることがあるとしたらこれだと佐為は残念そうに呟く。
佐為が別れを告げられなかった、かつてのヒカルは自らどんどん打ちたがった。
その思いが、実力が、とてつもない勢いで開花していく中で確かに軋轢も生まれたし、あのような終わりを迎えてしまったのかもしれないが、それでも、そんなヒカルの成長が佐為に取っては愛おしく、楽しく、何より幸せだったのである。
今回のヒカルは──と言うよりも時間が巻き戻っている時点で根本的に"何か"が違っているのだろう──センスは自分の知っている彼以上だ。
年相応の子供ではあるが、何処か大人びた知性もある。
しかし、迸るような情熱が、かつて塔矢アキラを追いかけたあの熱量は感じない。
少なくとも、外向きには。
──だがそれはただの私の我儘だ。それに……
またこうして彼に会えただけでもこれ以上ない至福なのだ。今回こそは彼と後悔無く、いけるところまで。その中でゆっくりと伝えたいことを伝えていければ良い。
「どうしたんだよ佐為、握るぞ。次は絶対負けないからな! 嫌って言うまで打ってやる!」
「ふふ、良いでしょう。私に参ったと言わせるのはそう簡単ではありませんよ?」
黒を持ったヒカルの一手が、じいちゃんからせしめた新しい碁盤に打ち込まれる。
右上スミ、小目
願わくば、この幸せな時間が、今度はいつまでも続きますように。
佐為は心からそう願った。
「そう言えばヒカル」
「なんだ?」
「本当にもらったチラシの囲碁大会は行かないのですか?」
「ああ──いいや、やめとく」
─────
「この碁を……同じ小学生が打ったと言うのか……?」
「先生……これは……有り得ないです。この打ち手が本当に小学生と言うなら──」
その子供は既に自分を越えているやも知れない。
認められるはずのないそんな言葉を、緒方精次は呑み込んだ。
碁盤を挟み目の前に座る少年、塔矢アキラは打ちのめされたように顔を上げない。これが囲碁界の誰もが注目している天才──緒方から見ればずば抜けすぎて天才と勘違いされている秀才──だと誰が信じられようか?
信じられるとしたらこの人だけだろう。
盤面を渋い顔をして見つめる自らの師、塔矢行洋の表情をチラッと見る。
──この碁は一見乱暴なだけに見えるが……そうではない。実に高度な、指導碁を越えた実践での稽古に近い。
これだけの実力差があるなら、叩き潰そうと思えばもっと容易く捻り潰せただろう。
それをせずに、どこまでも分かりづらいながらも一本の正解を用意し続けたのが何よりの証拠。
それに気付けなかったのはアキラの実力不足だが……それは責めるまい。これだけの碁を読めというのは酷。まるで、3年後のアキラの成長を想定し、その姿を対象にして打ったかのようだ。
確かな驚きをおくびにもださず、塔矢行洋は心の中で唸った。
最近息子のアキラの様子がどうもおかしい、覇気と言うものが完全に消え去った。
確かな成長を続けていた彼の碁からも一切の昂りを感じなくなり、怯え以外の感情を感じない。
そして極め付きは、物心ついて以来一度として休んだことのない碁を打つことを、自らの意思で拒んだことだ。
これはおかしい。
四冠棋士として多忙を極める日々、世の家族思いの父親に比べて、碁以外の面で息子の成長に疎いという自覚を持っていた行洋にもすぐに理解できた。
その領域を越えた人としての問題。
理解してからの行洋の行動は早かった。方々に頭を下げてスケジュールを確保し、自分に直接弱味を見せることは出来ないだろうというアキラの心情を察し、誰よりも付き合いが長い緒方を呼び寄せたのだ。
そして、状況を把握した緒方の説得でどうにかアキラを碁盤の前に呼び寄せ、躊躇う彼をどうにか諭し、その結果として震える手で並べたのがこの一局だ。
アマチュアの野試合では有り得ないだけの力量、あまりにも隔絶した実力。
この碁を打った相手の意図ではない。むしろ真逆である筈だが結果として、行洋が同世代の人間との試合にアキラを出さなかった理由が目の前に形として表れている。
"若い芽、育つ前の才能を摘んでしまう"
塔矢アキラは完全に自信を喪失しまっていたのだ。
「……怖いか」
「……はい」
長い沈黙の後、行洋の投げた問いはとても短いものだった。
その一言だけでアキラは意味を理解したのだろう。正座したままビクッと肩を震わせて数秒、ついに観念かのしたかのように、俯いたままか細い声で応えた。
「あの日から、あの一局が僕を常に追い掛けてくるんです。何をしても越えられない圧倒的な壁、それだけならまだ良い……まるで僕の思考を先読みして、あざ笑うかのように……」
実際はその逆だ。行洋は口には出さず呟く。
嘲笑うのではなく、勇気に対する活路を用意して、向かってくるのを待っていた。それに気付けずに萎縮してしまっただけ。
だが、今はそれを責めるときではない。
「アキラ、強い碁打ちの条件を知っているか?」
「──」
「それは辛酸に耐えることではない。その苦行とも思える積み上げを、心の奥底で楽しいと思えるまで碁を愛することだ。今のお前は、根の部分で碁を楽しいと感じられない、今打つことは……無意味だ」
先程よりも一層大きく肩が震えた。
それを見て行洋は安堵する。ここで逃げることを良しとするなら、もっと手を焼く事態になるところだったが、どうにか最悪の事態は避けられたらしいと。
そこからなにも言わずに立ち上がり、襖を開けると緒方に目配せをし、行洋はアキラに聞こえないよう部屋の外に出ると戸を閉めた。
「緒方くん」
「はい、先生」
「来週末棋院で行われる子ども囲碁大会だが、確か君も出席予定だったね?」
「ええ、それがどうかしましたか? 確か先生も出席予定だったと思いますが」
着いてきたまま不思議そうに返す緒方に行洋は淡々と告げる。
「その件だが、私は今日の埋め合わせもしていかねばならぬから欠席しようと思う。主催者側には私から話を付けておこう。幸い一柳先生が子供を笑わせたいのに折角の機会を私に取られたとぼやいていたから、代わりには困らないだろう」
「は、はあ……それは……」
「それでだ、一つ頼みがある。その日だが、囲碁大会にアキラも連れていってくれないだろうか?」
佐為、時代のギャップにやらかす
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