疾風走破の鬼畜レッスン   作:gohwave

1 / 14
第1話「疾風走破と死の支配者」

◇◆◇

 

 広場の中央に女が立っていた。

 

 しなやかで均整が取れた身体に帯鎧(バンデッド・アーマー)をまとい、その手には赤い輝きを放つレイピアが握られている。

 肩口で切りそろえられた金髪からは獣の耳が立っていて、腰からは獣の尾が垂れている。

 だがそれらはあくまで服飾品であり、その正体は歴とした人間の女だ。

 

「……ふぅ」

 

 小さく息を吐いた人間の女――クレマンティーヌは、獣の耳を装備した頭を巡らせ広場を一望する。

 

 正方形の広場は四方が全て石の壁でできていて、彼女の記憶にあるスレイン法国の訓練場の倍ほどの広さだ。

 アーチ型の天井が蓋をしていなければ、ここが地下に作られた施設とは思わないだろう。

 壁と天井に灯る数多くの<永続光(コンティニュアル・ライト)>もまたここが地下であることを忘れさせる要因だ。

 クレマンティーヌの後ろの壁には彼女が入ってきた巨大な扉があり、その真向かいの壁には少し小さめの――それでも人が出入りするだけのものよりは巨大な――扉がある。

 

 この広場でクレマンティーヌは戦闘を二度行った。

 最初はスケルトンの群れ。

 その次はエルダー・リッチ。

 

 いずれのアンデッドも容易く仕留めることができた。

 それらの戦闘で彼女が恐怖や敬意を感じることはなかった。

 しかし、この広場――建造物は違う。

 地下にこれほど巨大で厳かな空間を建造できる力はクレマンティーヌの想像を絶するものだ。

 

 広場への畏怖を感じていた彼女の前方の扉がゆっくりと開く。

 奥の闇から姿を現したのは巨大な魔獣だった。

 白銀の毛皮を持つその魔獣は叡智に満ちた瞳でクレマンティーヌを確認すると、静かにそして真っ直ぐ近付いてくる。

 

 魔獣は四足でもクレマンティーヌの背丈より高い。

 後ろ足で立ち上がれば、その高さは彼女の倍以上になるだろう。

 魔獣はモンスターでありながら、背や顔を覆う鎧を身に付けていた。

 つまりは戦闘態勢にあるということだ。

 そんな戦意のある魔獣を前にしてなお、クレマンティーヌは恐怖を感じていなかった。

 

 魔獣は()()()()()()()で立ち止まる。

 クレマンティーヌの紫の瞳に魔獣が映り、魔獣の黒い瞳にクレマンティーヌが映った。

 

「――ふっ」

 

 クレマンティーヌはもう一度、小さく息を吐くと身体を大きく前屈させた。

 彼女の戦意を感じた魔獣は、その荘厳な白銀の毛皮に殺気を漲らせる。

 魔獣の殺気をちりちりと肌に感じながら、クレマンティーヌは自分の頭を地面すれすれまで近づけ全身の力を両脚に溜めた。

 

<疾風走破><超回避><能力向上><能力超向上>。

 

 四つの武技を展開させて人間と魔獣の質量の差、筋力の差を埋めておく。

 

「そんじゃ、いっきますよー」

 

 小さく呟くとクレマンティーヌは疾駆する。

 

 走り出しから最高速に達するまでは瞬く間だ。

 高速移動中は視界が狭くなるのが常だがクレマンティーヌに隙はない。

 視界の端に蠢く黒い影に気付くと、もうひとつの武技を発動させる。

 

<不落要塞>。

 

 黒い影がクレマンティーヌの頭部を砕く勢いで襲い掛かってくる。

 自在に動くそれは魔獣の長い尾だ。

 ミスリルの鎧ほどの固さを持つそれを、クレマンティーヌはレイピアで防ぐ。

 防御の武技と魔力を帯びた武具の組み合わせによるものだ。

 レイピアと魔獣の尾が耳障りな音を響かせる中、クレマンティーヌは標的から視線を外すことはない。

 標的である魔獣は自らの攻撃を防がれることを想定していたのか、僅かに跳ねると鋭い爪を輝かせた。

 

「<斬撃>! でござる」

 

 魔獣が武技を使うことに驚きつつクレマンティーヌは次の手を打つ。

 

<流水加速>。

 

 さらに別の武技を用いて魔獣の次なる攻撃位置から自分をずらした。

 

 尾の攻撃を受け止めていた彼女のしなやかな肢体が、ぬるりと尾の外側へと()()()()

 轟音と共に魔獣の武技がクレマンティーヌが居た地を穿った。

 そのまま進んでいたら彼女の身体は帯鎧(バンデッド・アーマー)ごとバラバラになっていただろう。

 

 クレマンティーヌは黒い尾の上を滑りながら魔獣の眼前へと躍り出る。

 叡智に溢れる魔獣の瞳にクレマンティーヌの姿が映った。

 

 勝利の確信。

 

 魔獣の眉間、鎧の隙間にレイピアを突き立てた瞬間――、

 

「――!?」

「はーい、そこまで」

 

 広場に明るい声が響くのと、クレマンティーヌの残心は同時だ。

 巨大な魔獣の姿が目の前から消え失せ、その代わりに幼い闇妖精(ダーク・エルフ)の少女が立っていた。

 少女の姿を確認したクレマンティーヌは素早く細剣(レイピア)を鞘に収めて跪く。

 

「……酷いでござるよ、アウラ殿」

 

 声の方向をちらりと確認すると、広場の隅で白銀の魔獣が腹を見せて横たわっていた。

 

「ごめんごめん。でも、ああしないとハムスケ、死んじゃってたよ?」

 

 レイピアが魔獣の眉間を穿つ直前、闇妖精(ダーク・エルフ)の少女――アウラが蹴り飛ばしたようだ。

 

 てくてくと魔獣に歩み寄るアウラにクレマンティーヌは深々と頭を下げる。

 だが闇妖精(ダーク・エルフ)は人間には興味がないのだろう。

 ちらりとクレマンティーヌの様子を窺っただけで魔獣――ハムスケの白銀の毛皮を撫で回し始めた。

 

 強さを是とするクレマンティーヌにはその事実は口惜しい。

 だが白銀の魔獣(ハムスケ)を仕留めかけた炎のレイピアが、この闇妖精(ダーク・エルフ)に通用しないことをクレマンティーヌは知っている。

 事実、クレマンティーヌにはアウラの動きが見えなかったのだから。

 

 後方から拍手が聞こえ、クレマンティーヌは素早く向きを変えて臣下の礼を取った。

 拍手をしながら近付いてきたのは、圧倒的支配者であり魔導国の王、アインズ・ウール・ゴウンだ。

 

「アインズ様!」

 

 闇妖精(ダーク・エルフ)の明るい声が広場に響いた。

 

 アウラは白銀の魔獣を愛でる手を止め、すぐに髑髏の顔を持つアンデッドに駆け寄った。

 ハムスケもまた巨体に似合わぬ俊敏さで魔導王に近付く。

 闇妖精(ダーク・エルフ)の少女も魔獣も、アンデッドの王に絶対の忠誠を抱いているようだ。

 

 派手な青のローブを身にまとった魔導王は屈み視線をアウラに合わせるとその頭を撫でる。

 闇妖精(ダーク・エルフ)の少女は幼い顔に満面の笑みを浮かべ、アンデッドの愛撫を受け入れていた。

 

「実験はこれで終わりですか? ハムスケは負けちゃったけど、私か私のペットだったら、この女くらい簡単に殺せますよ?」

 

 アウラは無垢な笑顔で恐ろしい言葉を死の支配者に告げた。

 思わずクレマンティーヌの身体がぶるりと震える。

 傲慢な態度に対する怒りからではない。

 少女の言葉が紛れもない事実であり、自らの命が容易く奪われることへの恐怖のためだ。

 

「アウラよ。彼女――クレマンティーヌは魔導国の将来にとって重要となり得る人材だ。無為に傷つけるような真似はするな」

「は、はいっ! 分かりました。決してこの女を傷つけることはいたしません!」

 

 そう言いながらアウラは美しく整った顔を僅かに歪めてクレマンティーヌを見る。

 不信感を露わにしてもなお、闇妖精(ダーク・エルフ)の少女の顔は美しい。

 

 とりあえず自分が即座に殺されることはなくなったとクレマンティーヌは安心する。

 だがこれは、あくまで魔導王の命令に拠るものだ。

 主人(あるじ)がひとたび命ずれば、アウラは元漆黒聖典第九席次の女を瞬く間に処刑するだろう。

 そのことを理解しているクレマンティーヌは、ただただ膝を突いて(こうべ)を垂れ続ける。

 

「それではアウラよ。ハムスケを第6階層の訓練場に連れて行くのだ。それとマーレに、この地下ダンジョンがとても役に立っていることを伝えてくれ。良いな」

「分かりました。アインズ様。行くよ、ハムスケ!」

「はい、でござるよ」

 

 承諾の返事の余韻を残したまま、1人と1匹が掻き消えるように居なくなった。

 おそらくは高次の魔法に依るものだろう。

 そして残されたのはクレマンティーヌとアインズ・ウール・ゴウンだ。

 地下広場という閉ざされた場所で、アンデッドの魔王と二人きりという状況は恐怖しかない。

 無論、地上であっても逃れることなど出来はしないだろうが。

 

「さて、と――」

 

 闇妖精(ダーク・エルフ)と魔獣を見送った不死者(アンデッド)がクレマンティーヌに向き直った。

 

「まずはお前の力を見せてもらったことに感謝しよう、クレマンティーヌよ」

 

 ――感謝。

 

 以前、このアンデッドが同じ言葉を言ったことをクレマンティーヌは覚えている。

 その直後に苦痛と恐怖、そして「死」が彼女を襲ったことも。

 

「恐れ多いことです。私の拙い技が僅かでも陛下の興を惹いたというのであれば嬉しく思います」

 

 慎重に言葉を選びながらクレマンティーヌは従属の姿勢を見せた。

 それでも“拙い技”という言葉は彼女の本音でもある。

 

 魔導王アインズ・ウール・ゴウンとその直属の配下たちには、どんな奇跡が起ころうとも勝ち目はない。

 それはクレマンティーヌが魔導国の軍門に下る前に身をもって知ったことだ。

 

「……ふむ。己の力を卑下するものではない。私はお前の武力だけを評価しているのではないからな」

 

 魔導王の言葉にクレマンティーヌはもう一度、(こうべ)を垂れた。

 

「慈悲深きお言葉痛み入ります」

「そう固くならずとも良い。私は……そうだな……。お前にひとつ仕事を頼みたいのだ」

「仕事……ですか?」

 

 想定外の言葉に思わずクレマンティーヌは聞き返してしまった。

 この場にアウラが居たら、すぐに引き受けなかったことを不敬として、クレマンティーヌを殺したかも知れない。

 だが、彼女の問いかけに魔導王が気分を害した様子はなかった。

 

「そうだ。先ほどまでの模擬戦は謂わば採用試験のようなものだな」

 

 スケルトン、エルダーリッチ、そして白銀の魔獣(ハムスケ)

 

 これらを倒せたからといって何があるのだろうか。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国には魔導王本人は勿論のこと、その配下にもクレマンティーヌを簡単に殺せる者たちが大勢いる。

 多少、力を持った人間の女ごときを、このアンデッドが必要とする理由が想像できない。

 

広場(ここ)で人間同士の殺し合いでもさせるつもり? アンデッドだから生者の殺し合いを楽しむとか?)

 

 バハルス帝国の大闘技場で行われる闘技大会をクレマンティーヌは連想する。

 人間同士の殺し合いを観戦するのは魔導王とその配下の化け物たちだ。

 

(戦えるうちは殺されないってことか……。戦えない人間はどうなんだろうね?)

 

 実験や食料供給のために肉体を刻まれ命を弄ばれる魔導国の生者に明日はあるのか。

 そして、そんな枠組みの中にクレマンティーヌ自身も含まれてしまったのか。

 

「――詳しい話は上でしよう。ついてこい」

 

 今のクレマンティーヌにできることは頭を垂れ、魔導王の後ろに付いて歩くことだけだった。

 

◇◆◇

 

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国の唯一の都市であり首都でもあるエ・ランテル。

 その近郊に巨大な建造物が建っている。

 まだ真新しい建築物独特の匂いの残る建物の中に、クレマンティーヌがハムスケらと戦闘を行った地下広場への入口があった。

 地下広場は最も浅い階層にあり、その下にはまだ何重もの階層があるらしい。

 建物自体は4階層からなり、どの階層にも広間が多く作られていることから、多人数での使用が想定されていると窺える。

 

 青のローブを目で追いながら付き従い、クレマンティーヌが辿り着いたのは建物の最上階にある一室だ。

 そこは魔導王専用と思しき貴賓室だ。

 装飾の少ない実利的な建築物において、その部屋だけは豪奢なつくりになっている。

 全ての柱に精緻な彫刻が施され、深い真紅の絨毯が部屋の形に合わせて敷き詰められていた。

 入口の対面の壁全体が透明なガラス窓になっていて、陽光を存分に取り入れ日中の明るさを部屋の隅々まで行き渡らせている。

 

 窓の前には机があり、その前にはソファーとテーブルが置いてある。

 それら調度品は漆黒聖典に所属していたクレマンティーヌでさえ見たこともないような豪華な代物だった。

 

 魔導王がソファーの上座へ座る。

 入室の際に貴賓室の扉を開いたメイドが魔導王の背後に立ち、輝く鎧を身につけ獅子の顔を持つモンスターが部屋の隅に控えた。

 貴賓室入口の左右にも居たこの4体のモンスターから放たれる強者の気配が凄まじい。

 美貌のメイドからは強者の気配を感じないが、なんといっても魔導王の従者なのだ。

 偽装である可能性は極めて高い。

 そして何よりソファーに腰を降ろした黒きアンデッドは、リ・エスティーゼ王国軍十八万人をひとつの魔法で殺し尽くしたとされる。

 今すぐにでも逃げ出したくなるが、それが許される状況ではない。

 クレマンティーヌは丹田に力を込め、意識と緊張を強く保つ。

 

「クレマンティーヌよ。座るがいい」

 

 魔導王の命令を受けて、クレマンティーヌは視界に入る場所に膝を突いた。

 柔らかな絨毯の感触が恐怖心を少しだけ和らげてくれる。

 

「……そこではない」

 

 魔導王は自分の対面のソファーを指差した。

 

「……よ、よろしいのですか?」

 

 美貌のメイドの突き刺すような視線を気にしながらクレマンティーヌが確認を取る。

 

「……構わん。少々長い話になるからな。テアートルよ。彼女に何か飲み物を」

 

 テアートルと呼ばれたメイドから詰問のように要望を確認され、クレマンティーヌはコーヒーを頼んだ。

 恐る恐るソファーに腰を降ろすと、すぐに目の前のテーブルに琥珀色の液体が入ったカップが置かれる。

 

(もしかして……毒?)

 

 漂ってくる芳しい香りにクレマンティーヌは緊張し、肌が恐怖に粟立つ。

 この香りが彼女の生命を奪う芳香(もの)ではないという保障はない。

 生者を憎むアンデッドの魔王が仕掛けた狡猾な罠かも知れない。

 しかし魔導王に招かれ、この場に居るクレマンティーヌはソファーを離れることも、呼吸を止めることもできない。

 息苦しさに押しつぶされそうになるクレマンティーヌに魔導王が話しかけた。

 

「クレマンティーヌよ。この施設をどう思うか?」

 

 魔導王の問いは漠然としている。

 その言葉の意図するところがクレマンティーヌには分からない。

 だが、十万超の人間をひとつの魔法で殺し尽くせる大魔法詠唱者(マジック・キャスター)に、問いの真意を確認するのは危険だ。

 機嫌を損ない、虫けらのようにひねり潰される可能性は高い。

 

「地下にあんな巨大な広場があることに驚愕いたしました。これほどの建造物をお作りになった魔導王陛下の偉業は後世に語り継がれることでしょう」

 

 クレマンティーヌは慎重に言葉を選んだ。

 魔導王を賞賛する言葉に美貌のメイドが満足そうな表情を浮かべる。

 無難に答え(おお)せたと思ったクレマンティーヌだったが、魔導王はその禍々しい顎に手を当てていた。

 

「あ……うむ。部下の仕事については私も満足している」

 

 言葉は素っ気無く、そこに喜びの感情は含まれていない。

 このような賞賛は聞き飽きているのだろうか。

 あるいは賞賛の言葉が足りなかったのか。

 クレマンティーヌの内なる恐怖がひと回り大きくなる。

 対応を間違えたら、機嫌を損ねたら、即座に殺されてもおかしくない。

 

 ――否。

 

 即座に殺されるならまだ良いほうだ。

 かつて自分を圧倒的強者だと勘違いしていたクレマンティーヌが、より脆弱な犠牲者にどんな苦痛を与えたか。

 その苦痛が自らの身に及んだとき、このアンデッドの王は「死ぬこと」を簡単に許してくれるだろうか。

 恐怖に震えるクレマンティーヌに魔導王は語りかける。

 

「……クレマンティーヌよ。お前は冒険者をどのようなものと考えている?」

 

 魔導王は先ほどとは別の、奇妙な問いを投げかけてきた。

 クレマンティーヌは素早く思考を切り替える。

 眼前のアンデッドが満足する回答を示さねばならない。

 

「……依頼を受けてモンスターを殺す者たち、かと」

 

 木っ端モンスターを殺してイキがっている冒険者の姿は、魔導王に殺される前の自分自身の姿をクレマンティーヌに思い起こさせた。

 そんな冒険者たちを手慰みに殺戮し、身分証を奪い集めていたこともあった。

 大した力も持たない癖に自由を標榜する者への苛立ちが、そうさせたのかも知れない。

 魔導王は大きく頷くとソファーに背を預ける。

 

「率直な見解だ。嫌いではないぞ。そうだ。冒険者とはただのモンスター専門の傭兵だ。今までは、な」

 

 満足のいく回答ができたようでクレマンティーヌは安堵した。

 アンデッドの王は言葉を続ける。

 

「だが魔導国においてそのような冒険者は不要であるし、今後必要になることもない。モンスターの討伐などは私の部下で事足りるからな」

 

 確かに魔導王と、その配下の力をもってすれば小鬼(ゴブリン)人食い大鬼(オーガ)は勿論のこと獣人(ビースト・マン)の大群ですら脅威とは成り得ないだろう。

 そもそも魔導国がモンスターを討伐する必要があるのかという疑問もある。

 モンスターよりはむしろ人間を捕らえ殺して人外の国を作る方が自然ではないだろうか。

 あるいはモンスターも人間も生者という生者を殲滅して、アンデッドの楽園を築くのか。

 アンデッドが戯れに生者を嬲る国をクレマンティーヌが想像する中、魔導王は別の話題に切り替える。

 

「以前、この世界の地図を見せてもらった。僅かな数の国が描かれた未踏の地だらけのみすぼらしい地図だ」

 

 地図とは国境を示し、国境とは版図を示すものだ。

 そして版図はすなわち国の力そのものである。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国の版図はエ・ランテルとその周辺地域だけだ。

 圧倒的な武力と比較すると、その生産力はまだまだ小さいと思われる。

 アンデッドの国に生産力が必要かどうかは定かではないが。

 

 このアンデッドの魔王は魔導国の版図を広げたいと考えているのだろうか。

 だがそこに疑問が生じる。

 領土拡大が目的ならば魔導王の配下にひと言命じるだけで事足りるからだ。

 魔導王が率いる死の軍勢に抗える存在などこの世界にはないだろう。

 クレマンティーヌの目の前に座るアンデッドが命じるだけで、この世界は死と殺戮に覆い尽くされるのだ。

 

「念のために言っておこう。私はこの世界を死で埋め尽くす気はない」

 

 心を読まれてしまったのかとクレマンティーヌは肝を冷やす。

 そして、同時に混乱もする。

 アンデッドが世界に死をもたらさないとはどういうことだろうか。

 生者を憎み滅ぼすことがアンデッドの存在意義ではないのか。

 スレイン法国で学び、自身が体験したことによってクレマンティーヌはそう信じている。

 魔導王は言葉を続けた。

 

「無論それだけの力は持っているし、敵対者に対して容赦をするつもりはない」

 

 クレマンティーヌは深々と頭を下げた。

 眼前のアンデッドが容赦とは無縁なことは、彼女自身が自らの命で理解させられた。

 

「だが私が求めるのは発見だ。穴だらけの地図を埋め地理の空白をより明るい物にしたいと考えている」

 

 アンデッドとはいっても魔法詠唱者(マジック・キャスター)である。

 この世界における知識の不明を不安に思っているのだろうか。

 持っている武器や使える武技、生まれながらの異能(タレント)が不明な相手と戦うのはクレマンティーヌでも慎重になる。

 襲撃や暗殺を行う際に、対象となる存在の戦力を調査分析するのは当然のことだ。

 

「私が思い描く冒険者とは未知を求め見つけ出し、世界の謎や地図の不明を明かそうとする意思を持つ者のことだ。この施設をそんな冒険者を生み出す場所にしたいと私は考えている」

 

 魔導王の言葉には強い力が含まれていた。

 だがクレマンティーヌには全く理解できない。

 言葉の意味が、ではなく理想の冒険者像を持つアンデッドという存在が、だ。

 

 そんな疑念に顔を上げたクレマンティーヌの瞳に、髑髏の眼窩に灯る紅い輝きが映る。

 視線が交錯し彼女が恐怖を感じた瞬間、魔導王がぷいと横を向いた。

 

(視線を外した……? 何故だ?)

 

 魔導王の不可解な行動にクレマンティーヌは思考を巡らせる。

 絶対的支配者が恐怖や不安を感じることなどありえない。

 かつて敵対したことのあるクレマンティーヌに対しては、憎悪こそあれ居心地の悪さを感じる理由はない筈だ。

 

(……アンデッド由来の癖? あるいは何かを仕掛ける合図か?)

 

 思わず髑髏の視線の先を探ったが、そこには精緻な彫刻が施された貴賓室の壁があるだけだ。

 壁の向こうに何か仕掛けがあるのではないかと訝ったが、クレマンティーヌの紫の瞳に壁を見通す力はない。

 納得できる理由が思いつかないまま、奇妙な沈黙が続く。

 

「……ゴホン」

 

 沈黙を破ったのは魔導王の咳払いだ。

 呼吸をしないアンデッドに咳払いが必要なのかクレマンティーヌには分からない。

 だが魔導王は桁外れ、常識外れの存在であり普通のアンデッドと異なる部分があっても不思議ではない。

 

「――その前提を踏まえた上で、だ。ここが冒険者の訓練に適しているとお前は判断するか? 忌憚(きたん)のない意見を聞かせて欲しい」

 

 クレマンティーヌは回答に悩む。

 自分の見立てを正直に答えるべきか、あるいは魔導王とその部下の行いを賞賛すべきだろうか、と。

 

(さっき)のオベンチャラへの反応は鈍かった……よね?)

 

 魔導王が純然たる意見を求めているとクレマンティーヌは判断する。

 

「魔導王陛下がお作りになったこの施設の規模は素晴らしいものです。これほどの空間があれば多くの者に訓練を施すことができると思います」

 

 枕詞に賞賛を添えつつ肯定的な意見を口にした。

 

「多くの者か……。それは具体的には何名くらいかな?」

 

 魔導王の具体的な問いにクレマンティーヌは面食らう。

 

「あ……あの地下の広場であれば、おそらく20人から50人ほどの実技訓練が可能かと」

 

 スレイン法国での経験を元に、素早く数の見立てを口にした。

 

「あの規模で50人ほど、か……」

 

 髑髏の顎に骨の手を当て魔導王は見立てを吟味していた。

 ここで誤解を生んでは命に関わると判断し、クレマンティーヌは説明を補足することにした。

 

「も、勿論、設備や指導員の数や技能に拠って変わるものではありますが……」

「確かに……優れた指導員は必要だな……」

 

 魔導王は無言になった。

 髑髏の顔からその感情を窺うのは不可能であり、クレマンティーヌは己の発言の是非が判断できない。

 アンデッドの眼窩に灯る紅い炎がちらりと彼女に向かい、すぐに別の方向に逸れる。

 クレマンティーヌも慌てて目を伏せたが、やはり魔導王が視線を逸らした理由は分からない。

 

「――さて」

 

 僅かの沈黙の後、魔導王が再び話し始めた。

 クレマンティーヌはいくつかの疑問を胸に仕舞い込み、アンデッドの言葉に集中する。

 

「冒険者を育てるための場所はとりあえず用意した。そして冒険者になろうと我が国を訪れる者は日に日に増えている」

 

 アンデッドが支配する国に自ら来たがる者が居ると聞いてクレマンティーヌは驚いた。

 彼女が嘲り侮っていた冒険者とは、かくも強靭な精神を持っているのか。

 クレマンティーヌでさえ、アインズ・ウール・ゴウン魔導国に下ったのは騙されたようなものだったのに。

 

「場所があり雛が居るなら、次に必要なものはそれらを活用し育てる指導員だ。クレマンティーヌよ。私はお前に冒険者の指導員になってもらいたいと考えている」

 

 魔導国に下って以来、最大の衝撃がクレマンティーヌを襲った。

 

 表情を取り繕う余裕も無い。

 千々乱れる思考の中、なんとか言葉を捻り出す。

 

「……よ、より強い冒険者を育てるのであれば、陛下の配下である方々の方が適任ではないでしょうか?」

 

 これはクレマンティーヌの本音だ。

 

 英雄級の力を持つと自負してはいるが、ここ魔導国においては人間という枠組みの中での力でしかない。

 エ・ランテル内を警邏(けいら)しているデス・ナイトでさえ相手にすれば苦戦は必至だし、荷車を引くソウルイーターと対峙すれば死を覚悟しなければならない。

 それでいて、これら特級のアンデッドは魔導王にとってはただの駒でしかなく、より強大な化け物がその背後に数多く控えているのだ。

 貴賓室の隅に陣取る獅子の顔を持つ天使を、そして魔導王の背後に立つメイドをちらりと確認し、クレマンティーヌの身体はぶるりと震えた。

 

「ふむ。確かに我らは強者だ。だが強者であるが故に弱者を導く手立てを持たない者も多い。残念な話だがな……」

 

 確かにアンデッドが人間に剣術を教える様子は、クレマンティーヌには想像できない。

 眼前の魔王は論理的な思考をしているようだが、配下はそうでもないのだろうか。

 

「私は魔法詠唱者(マジック・キャスター)であるが、お前との戦いで前衛――戦士職に必要な技術、意識の一端を知ることが出来た」

 

 クレマンティーヌの緊張が高まる。

 やはりあのとき、エ・ランテルの墓地で剣を交えたのは、この魔導王であったのだ。

 

 ――この一戦は色々と良い勉強になる――

 

 漆黒のモモン――アインズ・ウール・ゴウン魔導王の言葉は本当だった。

 

「私はお前、クレマンティーヌに指導の才能がある、と見ている。お前のその技術と知恵を、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の冒険者の雛たちに伝えてはもらえないか?」

 

 魔導王にとってクレマンティーヌは一度殺した相手だ。

 そしていつでも()()()相手でもある。

 目的が言葉通りであれ虚言であれ、クレマンティーヌを指導員に就かせることが、このアンデッドにとって決定事項なのだろう。

 そんな傲慢さに怒りを覚えながらも、要請を断ったときのことを考えてみる。

 

 要請を拒否する

  ↓

 不快になる魔導王

  ↓

 不要な生者と判断

  ↓

 不足している配下の食料

  ↓

 そういえば配下は人肉食

  ↓

 処刑

 

(……ダメだ。間違いなく殺される……)

 

 化け物に頭から丸かじりされる自分の姿を想像したクレマンティーヌは深々と頭を下げる。

 

「……陛下の御心のままに」

 

 服従し承諾するしかない。

 魔導国において魔導王の命令に逆らうことは“死”だ。

 クレマンティーヌが考える“死”でさえ生温いと思える運命に陥ってもおかしくはない。

 

「あ……いや、その……今、決める必要はないぞ、うん。これから先、多くの時間を割くことになる。それにお前だって、その……なんだ。や、やりたいことや将来の希望もあるだろう?」

 

 服従の言葉に何故か魔導王は慌てたような素振りを見せた。

 その理由がクレマンティーヌには分からない。

 魔導王の言葉は命令ではなかったのか。

 あるいは、すぐに決断を下すと都合が悪いのだろうか。

 

「……はい。それでは検討するお時間をいただければ幸いかと」

 

 魔導王の言葉通りに回答を先送りにすることにする。

 どちらにしてもクレマンティーヌに従うほかに術はない。

 魔導王は落ち着いた雰囲気を取り戻すとソファーに背を預けた。

 

「返事は……そうだな。アインザックに伝えてくれ。お前が指導員になるのであれば彼が直接の上司になるのだからな」

 

 エ・ランテルの冒険者組合で会った組合長の顔をクレマンティーヌは思い出す。

 戦えば間違いなく勝てる相手に見えたが、以前のように手を出す気はさらさら無い。

 壮年の組合長は会話の中で、アンデッドの王に敬意を持っていることを隠さなかった。

 それが魔法による精神支配なのか別の理由によるものかクレマンティーヌには分からない。

 魔導王もまた組合長を信頼している節があり、クレマンティーヌが殺したり傷つけたりすれば不利益を被るのは間違い無さそうだった。

 

「私の話はこれで終わりだ」

 

 クレマンティーヌは深く一礼をして立ち上がろうとする。

 出来る限り早くこの場を離れたかった。

 

「――ところで、そのコーヒーは口に合わなかったかな?」

 

 魔導王のそのひと言が死刑執行の言葉に聞こえた。

 クレマンティーヌの額から汗が吹き出る。

 

「い、いえ。……陛下のお話に聞き入っており失念しておりました」

 

 毒の可能性を考慮して口を付けなかっただけだが、まさか魔導王から直接指摘されるとは思わなかった。

 香りを嗅ぐだけで人間の身体に異常をきたすものではないようだが、飲めば間違いなく効果は出る。

 

「それでは冷めてしまったかな。テアートルよ。新しいものを」

「はっ、い、いえ! 大丈夫です。せ、せっかく淹れていただいた物です。いた、いただきます!」

 

 近付こうとするメイドをクレマンティーヌが慌てて制した。

 クレマンティーヌは震える手でカップを持ち上げた。

 白いカップに描かれた模様は繊細で美しく、琥珀色の液体は冷めてもなお豊かな香りを漂わせている。

 

(……これを飲んだらどうなる? ……死ぬ? それともアンデッドの魔法で別の存在に成り果てるのか?)

 

 どれだけ迷った所でクレマンティーヌに選択肢はなかった。

 意を決してカップに口につける。

 

 少し冷めたコーヒーは、クレマンティーヌがこれまで飲んだなかで最も美味かった。

 

◇◆◇

 

 かつてクレマンティーヌは漆黒聖典第九席次でありズーラーノーンの幹部であった。

 スレイン法国の特殊部隊である漆黒聖典を脱してズーラーノーンの幹部となった後、国の追手から逃れるためにエ・ランテルでアンデッド騒動に加担した。

 騒動の最中に無名の戦士モモンに扮していたアインズ・ウール・ゴウンと戦って殺された。

 

 その後、復活を果たしてズーラーノーンと再合流したが、そのズーラーノーンがアインズ・ウール・ゴウンに恭順してしまう。

 これはクレマンティーヌにしてみれば騙し討ちであった。

 エ・ランテルでアンデッド騒動を起こしたカジット・バダンテールと共にズーラーノーンの盟主と他幹部によって行動を封じられ、半ば貢物のようなかたちで魔導国に連れてこられたのだ。

 アインズ・ウール・ゴウン(が扮していたモモン)と敵対した過去があるため苛烈な処罰を受けると思われたが、何故かクレマンティーヌとカジットへの咎めはなかった。

 そんな奇妙な魔導王との接見が終わった後、クレマンティーヌはズーラーノーンの構成員から引き離される。

 

 元漆黒聖典という特殊部隊での経験に基づけば、恭順してきた集団の構成員をそれぞれ引き離すのはよくあることだ。

 個別に任務なり課題なりを与えて元集団の構成力を弱め、新しい主人(あるじ)と組織への忠誠心を植えつける。

 仮に組織の破壊を目論む者が居たとしても、個人ならば対処もしやすい。

 分断されることを想定して、恭順側が個々人で内部工作を行うこともあり得た。

 今回のズーラーノーンにおいては、そのような話はない。

 少なくともクレマンティーヌは内部工作を行うという話を聞いてはいなかった。

 

 待機を命じられた場所がエ・ランテル最高の宿屋“黄金の輝き亭”だったことに困惑し、言伝に来たエルダーリッチに驚愕した。

 エルダーリッチの来訪に宿屋が騒ぎにならなかったことに、魔導王の支配がエ・ランテル市民に馴染んでいることを感じた。

 

 翌日の朝、言伝通りにエ・ランテルの冒険者組合に行くと、組合長のアインザックから新たな行き先を教えられた。

 それが先般、クレマンティーヌが数々のモンスターと戦った冒険者訓練施設だ。

 戦闘試験が終わったら魔導王の面接が始まり、その内容は冒険者指導員への勧誘だ。

 あらゆる事柄が想定外であり、その特殊性に黄金の輝き亭に戻った今もクレマンティーヌの思考は追いつけていない。

 

 革鎧(バンデッド・アーマー)を脱ぎ捨て、下着姿で豪華なベッドへと倒れこむ。

 日はまだ高かったが精神の疲労は極限に達している。

 ごろりと仰向けになってクレマンティーヌは目を閉じる。

 それでも浮かび上がる困惑と疑問は睡眠への逃避を許してはくれない。

 

 他のズーラーノーンの幹部はどうなったのだろうか。

 自分と同じように魔導王に歯向かったカジット・バダンテールは許されたのか。

 エ・ランテル(ここ)の住人はどうして逃げ出さないのか。

 

 いくつもの疑問が頭に浮かんでくる。

 そして今、クレマンティーヌが抱えた最も新しく大きな疑問は、何故、魔導王は冒険者指導員として自分を勧誘したのか、だ。

 

 そもそも勧誘するということがあり得ない。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王はアンデッドの王であり絶対的支配者である。

 ただ命令をすればいいのだ。

 弱者であるこちらは従うしかないのだから。

 

 魔導王の言葉を命令と受け止め、クレマンティーヌは即座に受諾した。

 だがアンデッドの支配者は、即決せずに検討しろと言った。

 あろうことかクレマンティーヌのやりたいことや将来の希望を考慮しろと言うのだ。

 

 不死者(アンデッド)が、である。

 

 戸惑わない者がいるだろうか。

 少なくともクレマンティーヌは戸惑い混乱していた。

 そして混乱しながらも自分の目的について考えてみる。

 

 クレマンティーヌの目的は自由気ままに面白おかしく日々を過ごすことだ。

 

 そのために自らの自由を縛る縁者を捨て国を捨てた。

 国から逃げる途中で選択を誤り命を失い、組織(ズーラーノーン)の手によって蘇ったようだ。

 

 せっかく取り戻した命だ。

 次に失う事態はできるだけ先送りにしたい。

 

 人間の常識で考えればアインズ・ウール・ゴウン魔導国とは出来得る限り距離を置くべきだ。

 アンデッドの魔法詠唱者(マジック・キャスター)が王として君臨する国である。

 人間は勿論のこと、生者が安穏と暮らせる保証はどこにもない。

 生きとし生けるものの誰であれ慰みに嬲られ殺される可能性があり、魔導王と敵対したことのあるクレマンティーヌやカジットなどはいつ粛清されてもおかしくない。

 

 では魔導国から逃げることが可能だろうか。

 

 一時的であれば逃れることは可能だろう。

 

 だが、そのまま逃れ切れるのかを考えると疑問が残る。

 疑問が残るということは、常に魔導国の影に怯えながら生きるということに他ならない。

 スレイン法国から逐電したときと同じだ。

 だからこそクレマンティーヌは組織(ズーラーノーン)を頼り、その力を利用した。

 その目的はもう少しで達成されるところだった。

 漆黒のモモン――アインズ・ウール・ゴウンが現れなければ。

 

 クレマンティーヌの見立てでは魔導国は法国よりも遥かに強大だ。

 強大な魔導国から逃れるためには、ズーラーノーンよりも強大な伝手(つて)が必要だ。

 そしてクレマンティーヌはそんな伝手(つて)を持っていない。

 スレイン法国を除いては。

 

(……法国の慈悲にすがる、か?)

 

 その思いつきをクレマンティーヌはすぐさま打ち消した。

 あの国には気に食わない神官長が居て、気に食わない神人が居て、何より気に食わない肉親が居る。

 それでなくとも巫女姫(みこひめ)から額冠(がっかん)を奪い去ったクレマンティーヌだ。

 ノコノコと国に戻れば苛烈な処罰は免れられないし、ズーラーノーンや魔導国の情報を引き出すために何をされるか分からない。

 つまり魔導国からの逐電は不可能だということだ。

 

(なんかこう……進退窮まったか?)

 

 そう考えながらもクレマンティーヌの頭にはどこか余裕があった。

 それは“勘”だ。

 

 不思議とアインズ・ウール・ゴウンに殺されないという“勘”がクレマンティーヌにはある。

 だが、この“勘”の源はなんだろうか。

 

 魔導王が闇妖精(ダークエルフ)に殺さないよう命じたからか。

 あるいは訓練所での会話が驚くほど人間臭かったからか。

 

(……どっちも違う……かな?)

 

 クレマンティーヌは頭を巡らせ部屋の隅に置いている備え付けの宝箱を見る。

 その中には数多くのマジックアイテムが詰まった魔法の袋が入っている。

 いつの間にか自分の所有物になっていたものだ。

 アイテムが持つ全ての能力を確認した訳ではないが、クレマンティーヌの命の担保になるほど強力なものとは思えない。

 

(……ま、理由がないから“勘”なんだよね)

 

 クレマンティーヌの“勘”は、これまで幾度となく彼女自身を助けてきた。

 殺害対象の逃走先を見つけ、尋問の嘘を見抜き、待ち伏せを察知した。

 その一方、プライドで“勘”を捻じ曲げた漆黒のモモン(アインズ・ウール・ゴウン)との戦いは敗北の末の無残な死だ。

 

 クレマンティーヌが考えるべきは自身の延命である。

 別の目的もあるにはあるが、今は生き延びることを最優先しなければならない。

 魔導国から逃れられないのであれば、魔導王の言葉に従い行動することこそが延命に繋がる唯一の手段だ。

 “勘”を信じる信じないに関わらず楽観的な判断を避け、あくまでも慎重に従い慎重に行動するべきだろう。

 

(……この私を冒険者の指導員に、だって?)

 

 期待に目を輝かせた冒険者見習い共の前に立ち、心得や戦い方を教えている自分の姿を想像する。

 実に珍妙な光景だ。

 

 自分が誰かに何かを教えることなど考えたこともない。

 漆黒聖典時代に同僚相手に研鑽を積んだことはあるが、あれはあくまでも模擬戦だ。

 教え教わりといったものではなく、どうやったら相手を殺せるかを模索していただけに過ぎない。

 そんな自分が冒険者見習いを指導することが出来るだろうか。

 感情だけで判断するなら他人の世話など真っ平御免だった。

 

(……あのアンデッド、頭おかしいんじゃねーか?)

 

 アンデッドの価値観が人間とは著しく異なることはクレマンティーヌも知っている。

 だが、それと今回の魔導王の提案は別の話だ。

 

(提案……提案でいいんだよ……ね?)

 

 そう。

 命令ではなく提案だった。

 僅かな力しか持たないクレマンティーヌに、強大な力を持つアンデッドが提案してきたのだ。

 

 ――私はお前に指導員になってもらいたい――

 

 目的が何であれ提案を引き受けさえすれば、すぐにクレマンティーヌがあのアンデッドに殺されることはない。

 すぐに殺されなければ、逃亡のための別の手段を思いつくこともあるだろう。

 

「指導の才能、か……」

 

 魔導王の言葉を噛み締めながら、クレマンティーヌはベッドから立ち上がると革鎧(バンデッド・アーマー)をもう一度装備した。

 すぐに冒険者組合に出向くためだ。

 

「……まさか本当に私の力が必要ってことはないんだろうけど、さ」

 

 たとえ偽りであったとしても自分の能力を認めたのが人類ではなく不死者(アンデッド)だというのが、クレマンティーヌにはひどい皮肉に思えた。

 

◇◆◇

 

 エスト・マシオンはアインズ・ウール・ゴウン魔導国の冒険者見習いである。

 

 バハルス帝国の出身で武器屋の見習いをしていた。

 ほんの数日前に一人で魔導国に入国し、冒険者組合で登録したのだ。

 その後、冒険者組合の窓口に貼り出された告示に従い冒険者訓練所を訪れた。

 そこで待っていた組合員に案内されたのが訓練所の地下にある広場だ。

 

 集められた三十人ほどの見習いたちが地下広場の壮大さに言葉を失っていると、エストたちが入ってきた扉とは反対側の小さな扉が開く。

 見習いたちの視線が注目する中、扉の奥から細くしなやかな身体を持った女が姿を現した。

 その白く細い首にはアインズ・ウール・ゴウン魔導国冒険者組合の指導員プレートが下がっている。

 金髪の女は歯をむき出しにして、その童顔に肉食獣の笑みを浮かべた。

 

「はーい。私が指導員のクレマンティーヌだよー。よろしくねー」

 

◇◆◇

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。