疾風走破の鬼畜レッスン   作:gohwave

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第2話「疾風走破と冒険者の育成」

◇◆◇

 

 クレマンティーヌと名乗った指導員の女は首に下がったネックレスのプレートを、エストたち冒険者見習いに見えるよう指で誇示した。

 冒険者プレートに似たそれは、シルバーでもプラチナでもない、エストが見たこともない色をしている。

 

「――アンタたちは晴れてアインズ・ウール・ゴウン魔導国の冒険者見習いになったんだけどー」

 

 一部の冒険者見習いの表情が険しくなった。

 

 冒険者見習いといってもその多くは指導員の女よりも年配だ。

 商人見習いから転身したばかりのエストとは違い、その佇まいには歴戦の戦士の雰囲気がある。

 彼らは充分な戦闘経験を持ちながらも、より優れた冒険者になるために魔導国の育成を受けようと考えた者たちなのだろう。

 そんな彼らが自分よりも若い女から見習い扱いをされたら腹も立つ。

 

「私がねー、九武芸ってゆーか、直接戦闘についての教育を……んー?」

 

 見習いの中に漂う苛立ちの感情に指導員が気付いたようだ。

 露骨に不満を示す者、値踏みしようとする者、嘲り笑う者、そんな見習いたちの表情を確認する。

 そして金髪の指導員は、その童顔の顔を歪ませ挑発的な笑みを作った。

 

「――そんじゃ詳しい話は後からするねー。……とりあえず全力でかかってきてちょーだい」

 

 指導員はその金髪を軽くかき上げると、見習いたちの前に腕を突き出して煽るように手招きをする。

 

 見習いの中でも腕に自信がある者たちが口元を歪める。

 彼らの冒険者としての実績と経験が若い女の指導員の挑発に反応したのだろう。

 何人かの見習いたちが視線を交わした。

 

「それじゃ俺から――」

 

 集まった見習いの中で最も身体の大きな戦士風の男が名乗り出ようとすると――、

 

「あー、違う違う」

 

 指導員はひらひらと幼子のように手を振った。

 

「そんな、かったるいことやってらんないからさー。いっぺんにかかってきて」

 

 名乗り出た男の顔が怒りで真っ赤になった。

 後ろに立つ男たちの表情が消え、何人かは自らの剣の柄に手をかける。

 

「そんじゃま、いっきますよー」

 

 散歩にでも行くような軽い言葉を残して、指導員の姿が消えた。

 次に聞こえたのは鈍い打撃音だ。

 

 最初に名乗り出た男がうずくまって呻き声を上げていた。

 傍らには指導員が笑顔で立っている。

 その腰にはレイピアが下がったままだ。

 周囲の男たち、そしてエストを含めた冒険者見習い全員が呆気に取られた。

 

「はーい、遭遇戦だよー。各自で対処しましょーねー」

 

 そう言って指導員はまた姿を消した。

 すぐに呻き声が上がり冒険者見習いがひとり倒れる。

 その傍らには笑顔の指導員。

 

 見習い全員が戦慄した。

 この金髪の指導員は冒険者見習いとはいえ、三十人弱を相手に素手で戦闘を行うつもりなのだ。

 

 エストは慌てて剣を抜いた。

 エ・ランテルの武器屋で買ったばかりの標準的な長剣(ブロードソード)だ。

 

 戦闘経験のないエストは、剣を中段に構え慌しく周囲を見回す。

 その間にも見習いがひとりふたりと呻き声と共に倒れていった。

 

 エストの目では追えないほど指導員の移動は速い。

 そしてほとんどの冒険者見習いたちも彼女の動きが見えてなかった。

 

「そっちだ!」

「……え? ぅぐっ!」

「剣を! 剣を振れっ!」

「うわあああああっ!!」

「バカ、危ないっ! 離れろっ!」

「ど、どこに……があっ」

 

 指導員の笑みが見えるのは、見習いの誰かが倒れたときと話をするときだけだ。

 

「後ろにも注意しなよー」

「予測は常に新しくしていかないと」

「陽動は本気でねー。でも武器を振り切ったら危ないよ」

「目を信じすぎんなよ。目耳肌でバランス良く状況を把握すんの」

 

 エストやその他の見習いたちが右往左往する中、合間合間に見える指導員の姿は美しかった。

 肩口までの金髪をふわりと膨らませ、冒険者見習いひとりひとりを確実に倒していく。

 マジックアイテムである獣耳と尻尾が人類とは別の肉食獣のような印象をエストに与える。

 腰に下げたレイピアもまた優れたマジックアイテムのようだが、その刃が振るわれる機会はどうやら訪れないようだ。

 

(……あれ?)

 

 金髪の美しい獣の姿にエストは違和感を感じた。

 その違和感の理由をはっきりさせようと思った瞬間――、

 

「――惚けてるヒマはないよー」

 

 耳元で声が聞こえたかと思うとエストは意識を失った。

 

 

 見習い仲間から活を入れてもらってエストは目を覚ました。

 まわりからはまだ苦悶の声が聞こえてくる。

 意識を取り戻したのはどうやらエストが最後だったようだ。

 

「――全員気がついたかなー? 手加減したしダイジョーブだよねー。怪我が気になるんなら後で治療を受けといて」

 

 エストのぼんやりとした頭にクレマンティーヌ指導員の声が届く。

 見習いたちが座ったりうずくまったりしている合間を指導員は縫うように歩いていた。

 

「私の動きが見えたヒト、見えなかったヒトいると思うけど――」

 

 年嵩の冒険者見習いがばつの悪そうな顔をした。

 だがエストや他の見習いが彼らを蔑むような視線を向けることはない。

 指導員の動きを追えた者は誰も居なかったからだ。

 

「死なない限りは次の手が打てるからねー。逃げることも考えなよ。まぁそれをするには相手の力を見極めなくちゃならないんだけどさ……」

 

 これほどの強さを見せた彼女でも相手の力を見て撤退を考えることがあるのだろうか。

 彼女の強さならばどんな相手でも蹂躙できるのではないか。

 エストはバハルス帝国の大闘技場で見た武王と魔導王の勝負を思い出した。

 クレマンティーヌ指導員ならどちらとも互角以上に戦えそうに思える。

 指導員の訓示は続いた。

 

「――普段から目的や勝利条件を意識しておくことは大切だよー。よーいどんで始まる戦闘なんて滅多にないからね」

 

 エストの前にクレマンティーヌ指導員が立ち止まった。

 童顔の指導員は二十歳のエストとそれほど年齢が違わなさそうに見える。

 蔑むような冷たい視線にエストは恐怖を感じた。

 

「……あんた、名前は?」

「あ、エ、エストです! エスト・マシオン!」

「ふーん」

 

 蔑むような視線は変わらない。

 エストは戦闘で善戦した訳でも彼女の動きに対処できた訳でもなかった。

 ただ慌てふためいて理由も分からず昏倒しただけだ。

 何が指導員の興味を惹いたのだろうか。

 

「エストちゃんさー。さっき、あんた変な顔で私を見てたよね。なんで?」

 

 冒険者見習い全員を蹂躙する間に、この年若い指導員はそんなところまで見ていたのかとエストは驚いた。

 

「ク、クレマンティーヌ……様の防具が、その……変、だったので……」

 

 言葉が上手くまとまらない。

 エストの感覚は他人に伝えることが難しく、エスト本人もこれまで言葉で表現することがあまりなかった。

 指導員は蔑むような表情から一転、童女のように不思議そうな顔をする。

 

「……変? なんで?」

「は、はい、その……武器や耳はマジックアイテムなのに、帯鎧(バンデッド・アーマー)だけ普通というか、良くないというか……」

「……あ、そ」

 

 童顔の指導員は自分の獣耳に触れながら考える様子を見せる。

 だが、次の瞬会には興味を失ったようにぷいと横を向いて歩き出した。

 その様子は気まぐれな野生の獣をエストに連想させる。

 

「とりあえず今日のところは各々で鍛錬してねー。なんか酷い間違いを見かけたときだけ、こっちから注意するから」

 

 それだけを言うとクレマンティーヌ指導員は地下広場の壁近くにある椅子に座ると、脚を組み書写板で何事かを記し始めた。

 時折、冒険者見習いを呼んで名前を聞いては追い返す。

 そのうち誰も呼ばれなくなり、何人かの見習いが恐る恐るアドバイスを求めに行ったが追い返された。

 エストもまた素気無く追い返された。

 

 仕方がないのでエストは自分と背格好が近い冒険者に鍛錬の方法を聞いて、まず地下広場の内周をランニングする。

 それから柔軟運動を行い、手持ちのロングソードで素振りをして、冒険者見習いとしての最初の訓練を終えた。

 

◇◆◇

 

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国の冒険者組合長プルトン・アインザックは組合にある自分の部屋で酷く緊張していた。

 組合長としての矜持がその緊張を、なんとか表に出さないよう隠してくれている。

 緊張の原因はつまらなさそうに応接用のソファーに座っている女だ。

 その女こそアインズ・ウール・ゴウン魔導王の紹介で、冒険者見習いの指導員になったクレマンティーヌである。

 

 彼女のことはエ・ランテルが魔導国領になる前から知っていた。

 エ・ランテルでアンデッドが大量に発生する事件が発生したときに首謀者のひとりとして捕まった女だったからだ。

 捕まったといってもアインザックが見たときには無残な姿の死体であった。

 

 アンデッド事件の首謀者は秘密結社ズーラーノーンの高弟2人であったと言われている。

 その2人は英雄モモンと美姫ナーベによって討伐された。

 だがその死体は事件の調査中に安置所から行方不明になった。

 その後、アインザックには何の情報も入ることはなく事件は謎を残したまま曖昧に終わった。

 

 そう。

 

 終わった事件だった。

 終わった筈の事件の首謀者が生きてアインザックの目の前に再び現れたのだ。

 それも現在のエ・ランテルの統治者である魔導王の紹介で。

 

 聞きたいことはいくつでもあった。

 

 先般のアンデッド事件は本当にズーラーノーンが企てたものだったのか。

 アンデッド事件の背後には魔導王がいたのではないか。

 魔導王とズーラーノーンとはどんな関係なのか。

 そして、無残に死んでいた筈のクレマンティーヌはどうやってあの安置所から逃れたのか。

 

 だが今のエ・ランテルは魔導国の領地であり、リ・エスティーゼ王国領時代の出来事を裁く必要も謂れもない。

 個人的な興味はあっても、現在の仕事とは何の関係もなく、しかも魔導王の進める計画に関係しそうな気がしているため、アインザックには聞き出すことが出来ずにいた。

 

(せめて安置所から姿を消した理由だけでも分かれば、エ・ランテル(ここ)の警備上の問題がひとつ片付くのだが……)

 

 問いただしたい欲望を抑えて、アインザックは指導員クレマンティーヌによって記された冒険者見習いの訓練報告書を読んでいる。

 これは冒険者組合長としての重要な仕事だ。

 丸っこい筆致に違和感を覚えながらも、アインザックはその報告書に少なからず驚いていた。

 

 今回の訓練は第1回目ということもあって見習いたちの能力の見極めが主な目的である。

 報告書によれば参加した29人の見習いは冒険者のランクで言えば銅から金相当の力であるらしい。

 そして報告書は見習いたちの力量の把握だけにとどまっていなかった。

 

 それぞれの得物や戦闘時の癖、今後の訓練の方向性と適したチームのポジションまでが記されてある。

 雛たちをミスリルやオリハルコン、そしてアダマンタイトへと育て上げるための資料として完璧な出来だった。

 しかも伝え聞いた話によればクレマンティーヌ指導員はこの詳細な分析を、ほんの僅かな時間の模擬戦で行ったという。

 

「……うむ。クレマンティーヌ――君の報告書に問題は無さそうだ。魔導王陛下にはこちらから写しを提出しておこう。原本は明日の朝にここで受け取ってくれ」

 

 以前であれば副書作成は主に女性組合員の仕事であったが、現在は魔導王から派遣されたエルダーリッチが行っている。

 とはいえ女性組合員の仕事がなくなった訳ではなく、その多くは冒険者訓練所へと出向しており、少なくとも冒険者組合において職を失った者はいない。

 

「今の人数くらいなら資料無しでも訓練できるけどねー」

 

 クレマンティーヌはソファーでだらけながら事も無げに言う。

 これこそが秘密結社ズーラーノーンの高弟の力なのだろうか。

 むしろ驚嘆すべきは彼女の能力を見極めた魔導王の眼力にだろうか。

 

「んで、組合長さー」

「……なんだね?」

 

 クレマンティーヌは頭だけをアインザックに向ける。

 

「報告書には書かなかったけど、知ってる武技は教えた方がいーかなー?」

 

 武技を多く覚えることは戦闘における選択肢を増やしてくれる。

 その一方で戦い方や状況に合わない武技の使用によって、使った本人は勿論のことチームの全滅に至った例も枚挙に暇がない。

 それでも攻撃や防御、移動や精神に関する基本的な武技は、覚えて損はないとアインザックは考えていた。

 

「戦闘に関する初歩的なものは身につけさせてほしい。特化型や難易度の高い武技については、他の訓練を見てからだな」

「他の訓練って……迷宮探索とかー?」

「……そちらもあったな」

 

 アインザックは他の指導員の訓練を想定していた。

 だが、クレマンティーヌが言ったように、チームを組んで迷宮探索をすることで習得すべき武技が明確になる場合もありそうだ。

 

()()()って?」

 

 少し前のめりになるクレマンティーヌの追及に、アインザックは目を逸らして聞こえなかった振りをした。

 別の訓練や指導員のことを口にして、強者の機嫌を損ねたくはない。

 

 しばらく疑いの視線を向けていたクレマンティーヌだったが、すぐに飽きてまたソファーに背を預けた。

 アインザックは顔にこそ出さないもののほっと胸を撫で下ろす。

 

「……ま、いーか。とりあえず見極めは済んだから次からは本格的な訓練をするよ。組合(ここ)には訓練用のマジックアイテムとかないの?」

「残念ながら組合(うち)にはないな。次にお見えになったとき魔導王陛下に聞いてみよう」

 

 アインザックの言葉にクレマンティーヌの表情が険しくなった。

 その理由がアインザックには分からない。

 

 魔導王の紹介で指導員になったのに確認されると困るのだろうか。

 魔導王からは可能な限り彼女を厚遇するようアインザックは頼まれていたのだ。

 そう考えたところでアインザックは魔導王からの依頼をひとつ思い出した。

 

「そういえば陛下からのご要望があった。生まれながらの異能(タレント)持ちを捜してほしいとのことだ」

「……生まれながらの異能(タレント)持ち? それは難しいんじゃない?」

 

 クレマンティーヌは否定的な言葉を口にしたが、その意見にはアインザックも首肯せざるを得ない。

 生まれながらの異能(タレント)はそもそも発見が難しい上に、本人が()()()として隠している事も多い。

 本人が自分が持つ生まれながらの異能(タレント)に気付いていない場合もあって、第三者が表面化明確化するためには高位階の魔法が必要となる。

 

「どーしてもって事なら、ひとりひとり念入りに調べることになるけどー」

 

 クレマンティーヌの童顔に邪悪な笑みが浮かんだ。

 

 アインザックの緊張の理由はこれだ。

 年齢のわりに童顔でありながらクレマンティーヌは底知れない殺意を垣間見せる。

 ズーラーノーン高弟が持つ恐怖にアインザックは冒険者組合長の矜持をもって耐えた。

 

「む、無理に調べろとは陛下は仰っておらん。気がついたらでいい」

「はーい。りょーかーい」

 

 詰まらなさそうに手だけを振ってクレマンティーヌは承諾した。

 

 その顔を横目で見ながらアインザックは考える。

 この女が持つ殺意の源はなんだろうか。

 

(もしかすると……)

 

 アインザックには思い当たるものがひとつだけあった。

 

「クレマンティーヌ君は近頃、モモン……殿には会ったかね?」

 

「……モモン? あーモモンね……」

 

 クレマンティーヌの紫の瞳が遠くを見るように虚ろになった。

 

「……そういえば()ってないかなー。うん。会ってないと思う。まぁ会う必要もないし……」

 

 それまでとは打って変わった歯切れの悪い物言いだった。

 アインザックは頭に浮かんだ疑惑を深める。

 

 先のアンデッド事件が短期間で解決できたのは英雄であるモモンの力が大きかった。

 事件の首謀者であるクレマンティーヌがモモンを憎んでいてもおかしくはない。

 そんな彼女が魔導王の力を借りてモモンへの復讐を企てているのではないか、と。

 

 魔導王は冒険者組合にクレマンティーヌを紹介し、厚遇するように依頼してきた。

 確かに厚遇に値する能力を持っていることは間違いない。

 真の冒険者を求める魔導王が彼女を重要視するのもよく分かる。

 もしかすると男女の結びつきもあるかも知れない。

 

 だが、かつてこの都市に多くの死と混乱をもたらした秘密結社の一員である。

 今もなお、この都市や個人に対して悪意を持ち続けることは充分にあり得る。

 

 エ・ランテルの冒険者組合がアインズ・ウール・ゴウン魔導国に組み込まれて以降、アインザックは魔導王と信頼関係を築いてきたと自負している。

 魔導王とクレマンティーヌとの結びつきが、それ以上のものであったら、そこに踏み込めばたとえアインザックであってもその立場を、そして命を失うかも知れない。

 

(……魔導王陛下に直訴せねばなるまい。エ・ランテルもモモン殿も失うことは許されない)

 

 懐に忍ばせた青い刃の短剣を握り締めアインザックは、エ・ランテルの平和を願うひとりの人間として、魔導王へ進言することを決意した。

 

 決意した後も冒険者組合長としての仕事はまだ残っている。

 クレマンティーヌの雇用に関して、詳しい条件の説明と要望の聞き取りを行わなければならなかった。

 

「それではクレマンティーヌ君。君の雇用条件についていくつか確認させてもらいたいのだが――」

 

◇◆◇

 

 組合長との打ち合わせを終えたクレマンティーヌは冒険者組合を後にした。

 灰色のマントを身にまといエ・ランテル都市内を散策する。

 黄金の輝き亭に戻るには、まだ周りは明るい。

 通りには晩の食事の準備であろう荷物を抱えた女の姿が数多く見える。

 

 クレマンティーヌの食事は宿で用意されており、自分で食材を買う必要はない。

 酒だってラウンジバーには何でもあるし、頼めば部屋まで持ってきてくれる。

 どこか立ち寄る用事もなく、誰かと会う約束もない。

 懐にある指導員になったときに受け取った支度金は使い道さえない。

 

 クレマンティーヌは首に下がった指導員プレートをいじる。

 それはクレマンティーヌの知らない金属で作られた物だ。

 

 かつて冒険者を殺して持っていたプレートを奪い集めたときもあった。

 プレートを縫い付けた特別仕立ての革鎧は既に失っている。

 今、身に着けているのは()()()()()()()低級な帯鎧(バンデッド・アーマー)だ。

 そうかといって今のクレマンティーヌにプレートを縫い付けた革鎧を再現する気はないし、そもそも再現したくもなかった。

 

 エ・ランテルのあちこちでは道路の舗装や拡張が行われていた。

 この街を堅固な要塞にしている城壁の補修工事、建築物の修理や改築もいたるところで見かける。

 それらの公共事業をドワーフの指示の下、スケルトンが黙々と行っている。

 

 それら工事の成果であろうエ・ランテルの道路事情は、以前に比べて格段に改善していた。

 小石を敷き詰めて舗装された道路は歩いても靴が汚れない。

 馬車が立ち往生(スタック)する光景もクレマンティーヌはこの数日間一度も見ていない。

 永続光(コンティニュアル・ライト)と思しき街路灯の数も驚くほど増えており、夜でも足元を気にせず歩けそうだ。

 

 これほどまでに都市の利便性を高めている理由は何故か。

 魔導王は生者と共に栄えることを目的としているのだろうか。

 

 クレマンティーヌはその考えを否定する。

 

 これは必ずしも生者のための都市整備であるとは限らない。

 アンデッドの都市へと作り変えるための下準備かもしれない。

 生者にとって便利な街は、おそらくアンデッドにとっても便利なのであろう。

 多分。

 

 そう考えるクレマンティーヌだったが、建設中の劇場については流石に首をひねった。

 アンデッドが劇場で何を楽しむのだろうか、と。

 

 劇場の前では髪を短く刈り込んだ恰幅の良い男が図面を見ながら、建設の責任者であろうドワーフに何やら指示を出していた。

 その様子を興味深く見ていたクレマンティーヌだったが、男の横に立っていたメイド姿のラビットマンが彼女にうろんげな視線を向ける。

 

(ボディガードか……)

 

 揉め事を起こす気のないクレマンティーヌは、興味を失った風を装い視線を逸らした。

 そのまま何食わぬ顔をして建設中の劇場の前を通り過ぎる。

 ラビットマンもまた何も行動を起こさず、クレマンティーヌを見送った。

 

 この街の劇場を誰が利用するのか分からないが、分からないことは考えても仕方がない。

 クレマンティーヌが考えるべきことは他にもあった。

 

 最初に考えるべきことは、クレマンティーヌのこれからの仕事についてだ。

 とりあえず殺されない程度には、魔導王に言われるままにするつもりだった。

 そして先ほど組合長から聞かされた労働条件の内容はクレマンティーヌを酷く驚かせた。

 

 過酷さにではない。

 

 その甘さ、寛大さにである。

 

 最初の驚きは休日があったことだ。

 

 漆黒聖典時代、任務のない日は奉仕日に充てられていた。

 奉仕日とは神殿の清掃や養護施設での無償労働のことだ。

 神官や孤児たち(がきども)の相手をすることは、クレマンティーヌにとって任務に勝る苦行であった。

 

 休日の比率もなんとも緩いものだ。

 組合長の説明によれば、休日は6日間の労働おきに1日ある。

 しかも現時点で職員が充分でないための暫定措置であり、いずれは労働日を5日に、休日を2日にする予定だという。

 

(そりゃアンデッドと違って人間には休息が必要だけどさ……)

 

 魔導王はアンデッドだから人間の持久力を低めに見積もっているのだろうか。

 

 さらに寛大なのは労働時間だけではない。

 

 支度金として手渡された10枚の交金貨に驚いた。

 クレマンティーヌひとりなら普通の街で1年間は生活できる金額である。

 そんな大金を何も働いていないうちから支給されたのだ。

 指導員を続けると月毎に同額の報酬が出るという。

 

 これは漆黒聖典時代と比較すると5倍以上の報酬だ。

 

 現在、クレマンティーヌが泊まっている黄金の輝き亭の宿泊費は、魔導王か冒険者組合の方で負担しているようだ。

 少なくともクレマンティーヌが料金を請求されたことはない。

 

(……なんなんだこの甘さは? 魔導王はアンデッドじゃなくて悪魔だっていうのか?)

 

 幼い頃に聞かされた人間を堕落させる悪魔の話をクレマンティーヌは思い出す。

 悪魔の誘惑を受け入れた男が贅の限りを尽くして、最期には悪魔の世界の業火に焼かれるという筋書きだ。

 幼い頃も今も面白い話だとは思っていないが、教訓として頭の隅に置いておく必要はありそうだ。

 

(だからって好きなことが何でもできるってワケじゃあないんだけどさ……)

 

 法国を抜け出し、ズーラーノーンで自由を得たときに、その自由をどう使うのか悩んだ覚えがある。

 クレマンティーヌは自らの嗜虐性を満たすべく、冒険者やワーカーを殺し、ときに狩猟戦利品(ハンティング・トロフィー)を手に入れて自由を満喫した。

 だがアインズ・ウール・ゴウン魔導国においては――少なくともここエ・ランテルでは殺人をするべきではないことは分かる。

 街を警邏しているデスナイトの大群に囲まれて(なます)切りにされたくはない。

 

 服には興味はないが食住が満たされていて、存分に使える金はある。

 その一方で金が無いから仕方ない、人類のためだから仕方ない、と言い訳しながら行ってきた人殺しが、この街ではできない。

 

 クレマンティーヌは確信した。

 これらは全てクレマンティーヌを陥れるための罠である、と。

 

 冒険者組合長がモモンの話題を振ってきたのがその理由のひとつだ。

 

 組合長はモモンが魔導王だとは知らない口振りで話をした。

 本当に知らないのか、あるいは知らない演技をしているのかは分からない。

 だが自分から口を滑らせるのが危険だということはクレマンティーヌには分かる。

 

 モモンの正体が知られる

  ↓

 エ・ランテルが騒ぎになる

  ↓

 騒ぎの原因を魔導王が知る

  ↓

 モモンの正体を知っているのは(クレマンティーヌ)

  ↓

 そういえば実験用の人体が必要だった

  ↓

 処刑

 

 カジット・バダンテールを含めズーラーノーンのメンバーもモモンの正体を知っている。

 その彼らをエ・ランテルで見たことはない。

 つまりエ・ランテルでモモンに関する悪評が広がれば、その発端として疑われ裁かれるのはクレマンティーヌのみだ。

 

 罠といえるもうひとつの理由が、冒険者組合の外に出たクレマンティーヌが尾行されていることだ。

 尾行している者が誰なのかは確認していないが、おそらく魔導王の手の者だろう。

 クレマンティーヌの動向を監視し、魔導王の不利益につながる行動、不敬と見られる行動をとるようなら即座に処刑するつもりなのだ。

 

 知らないうちに手に入れた手持ちのマジックアイテムを、クレマンティーヌは確認していない。

 そして自分が魔導王に殺され、蘇った経緯も明らかにできていない。

 まだクレマンティーヌにはやるべき事が残っているのだ。

 

 監視者をクレマンティーヌの方から見つけ出すような真似はしない。

 それは魔導王に仇なす行動であり、処罰の対象に成り得るからだ。

 

(見られっぱなしってのも気に入らないね)

 

 頭を巡らせ監視者の気配がある方向をクレマンティーヌはしばらく見つめる。

 姿までは確認できなかったが、すぐに向いていた意識が消えたのが分かった。

 クレマンティーヌが知覚できない距離まで離れたか、あるいは高位の魔法を使って知覚できない状態での監視に切り替えたか。

 魔導王の部下であれば後者の可能性が高い。

 そこまでの魔法を使わせたことで、クレマンティーヌの溜飲が少し下がる。

 

(……ふん。好きなだけ見張ってろ。私は絶対にドジを踏まねーからな)

 

 クレマンティーヌはそう決意すると、エ・ランテルの共同墓地に向かって歩き出した。

 

◇◆◇


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