疾風走破の鬼畜レッスン   作:gohwave

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第3話「疾風走破と魔導王のメイド」

◇◆◇

 

 モニータはスレイン法国がアインズ・ウール・ゴウン魔導国に送り込んだ工作員だ。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王を魔法的に監視することが危険だと判断した法国上層部は、より単純で犠牲の少ない手段として首都(エ・ランテル)に工作員を潜入させることに決めた。

 即時性や緻密さを犠牲にしても、魔導国の情報を収集することを最優先したのである。

 

 法国生まれのモニータは土の神の敬虔な信徒だ。

 魔法の才はなかったが健康な肉体と如才のなさが買われて工作員に選ばれた。

 夫役のオブセと共にリ・エスティーゼ王国の田舎の小村出身の商人夫婦という設定で魔導国に入国する。

 ちなみにモニータは夫であるオブセの本名は知らない。

 モニータもまたオブセには自分の本名を教えていない。

 

 警備のデス・ナイトと入国管理官のナーガを見て多少混乱したが、エ・ランテルへは問題なく入城できた。

 生者を憎むアンデッドが統治する国である。

 入国時に殺されることすら覚悟していたモニータたちだったが、その心配は杞憂だった。

 

 二人の驚きはエ・ランテルの中に入っても続く。

 警邏や物流といった都市の根幹事業がアンデッドによって行われていた。

 しかもそんな悪夢のような状態にあって、怯える市民はほとんどいない。

 生者を憎む筈のアンデッドが生者のための都市を維持していたのだ。

 

 市民の殆どは人間だったが時折、山小人(ドワーフ)小鬼(ゴブリン)などの亜人を見かけることもあった。

 ドワーフの多くは建築作業や土木工事に携わっていた。

 ドワーフの指示に従って作業を行っているのはスケルトンだ。

 ゴブリンはエ・ランテル近郊にある村で生活しているらしい。

 大きな馬車に乗って街を訪れては大量の食料を買い込んでいる様子を、モニータは何度も目にした。

 それら亜人たちはただエ・ランテルを訪問しているだけではない。

 亜人用の住宅地として開放している地区があり、ドワーフなどはそこに定住しているというのだ。

 それは人類至上主義を掲げる法国出身のモニータとして信じがたい光景であった。

 

 亜人地区から離れた宿に少し高い宿代を払って、そこをモニータたちは定宿にした。

 そこで商人夫婦として生活を行いながら、魔導国の情報収集に努めた。

 

 昨冬にはローブル聖王国の騎士団がエ・ランテルを訪問した。

 魔導王の居城に聖王国の国旗が掲げてあったのをモニータが見たので間違いない。

 

 なんでも聖王国は魔皇ヤルダバオトと名乗る大悪魔の襲撃を受けかなりの被害を被ったらしい。

 自国のみでの大悪魔撃退が不可能だと判断した騎士団が支援を求めて魔導国を訪れたのだ。

 魔導国の建国から間もなく統治も不安定な中で、事態の緊急性を鑑みた魔導王は自ら聖王国へと赴いた。

 一国の王として常識外れの行動を起こした魔導王は大悪魔と戦い一度は敗北を喫したという。

 だがそれから魔導王は奇跡の復活を遂げる。

 より力を増した魔導王はアベリオン丘陵の亜人群を支配し、その余勢を駆って大悪魔ヤルダバオトを葬り去ったそうだ。

 

 これはモニータたちが独自に集めた情報ではない。

 魔導国から公布された広報紙に記してあったものだ。

 広報紙にはその後、魔導王が聖王国の解放に尽力したこと、新たな聖王の即位に貢献したこと、感謝の式典を慎ましく辞退したことなどが書いてあった。

 

 アンデッドが人類の国を守るために悪魔を滅ぼすという話をモニータは想像できない。

 皮肉屋の吟遊詩人が酒ででっち上げた与太話か悪夢かのどちらかだ。

 これらエ・ランテルで集まる出来事のひとつひとつを日記の体でモニータは記録していた。

 

 彼女の任務は事象を判断することではない。

 然るべき指示が来れば命を賭して工作を行う覚悟はある。

 だが用心深い祖国からはモニータに新しい指示が来ることはなく、彼女は日々の出来事を記録することに努めた。

 

 商人夫婦として数ヶ月を過ごした頃、夫のオブセが冒険者組合でひとつの情報を仕入れてくる。

 なんでも以前ここエ・ランテルで大きな事件を起こした秘密結社の幹部が、冒険者訓練所の指導員になるというのだ。

 

 魔導王が組合を囲い込んで冒険者を育成するという話は以前から耳にしていた。

 アンデッドが冒険者を育成するという不可解さに首をひねっていたが、ようやくその企ての目的をモニータは理解する。

 冒険者育成という名目で、魔導王は魔導国の工作員を用意するつもりなのだ、と。

 

 これは重要な情報になるとモニータたちは確信した。

 夫婦で交代しながら冒険者組合を監視していたそこに元漆黒聖典の“疾風走破”が現れたのだ。

 

 疾風走破はスレイン法国が“聖典”を動かしてまで行方を追っていた犯罪者である。

 法国の秘密部隊に所属していながらそれを裏切り、国の至宝までも奪い去った人類の敵だ。

 そんな彼女が周囲を警戒する様子も見せず、冒険者組合の正面玄関から入っていった。

 

 彼女が冒険者訓練所の指導員なのだろうか。

 秘密結社の幹部というのは疾風走破のことなのか。

 スレイン法国の情報を魔導国(アンデッド)に売り渡したのではないか。

 冒険者組合から出てきた疾風走破を横目で追いながら、モニータは頭に浮かぶいくつもの疑問を忘れることにした。

 

 考えるのは国の責任者がすることだ。

 モニータの任務はアインズ・ウール・ゴウン魔導国の実情を余すことなく記録することなのだから。

 

 買い物ついでの散歩の振りをして、モニータは通りの反対側から疾風走破を観察する。

 彼女はその童顔に物憂げな表情を浮かべてエ・ランテルを散策していた。

 何の目的もなくただ街の中を彷徨(さまよ)っているように見える。

 途中、熱心な様子で建設途中の劇場を見ていたが、すぐに興味を失ったようで振り向くことなく場を離れた。

 

 疾風走破はそれから当てもなく歩いているようにモニータには見えた。

 せめて彼女の行き先が知りたい。

 そんな意識が強すぎたのだろう。

 疾風走破が丁字路に差し掛かったときにモニータはミスを犯した。

 東西のどちらに向かうのかを見極めようとして不自然に身を乗り出してしまう。

 そして元漆黒聖典の女はその不自然さを見逃さなかった。

 

 疾風走破が自分が居る方向を凝視していることにモニータは気付いた。

 慌てて視線を逸らすと大きく距離を取って、疾風走破の視線から逃れようとする。

 周囲には急ぎの用事を思い出したと見えるようにだ。

 それから急いで脇道に入って足早に歩き出す。

 疾風走破の観察を中断し、早急に距離を取る必要があった。

 

 彼女は戦闘に特化した特殊部隊の元一員だ。

 それなりに体力に自信のあるモニータであっても戦闘となれば勝ち目はない。

 

 殺されることが怖い訳ではない。

 人類の永遠の存続と繁栄のためなら、己の命を捧げる覚悟もある。

 怖いのは与えられた任務を全う出来ない事だ。

 

 モニータは明日の任務のために疾風走破の追跡を切り上げることにする。

 後は商人の妻としての行動に専念するだけだ。

 亜人や異形種が殲滅された人類の恒久平和を夢見て、モニータは食材の詰まった袋を抱きしめ宿への岐路に着いた。

 

◇◆◇

 

 クレマンティーヌが訪れたのはエ・ランテル西地区にある共同墓地だ。

 背丈の3倍くらいの高さの壁が左右に広がっていた。

 人食い大鬼(オーガ)の攻撃を受けても壊れないであろう丈夫な門は開かれている。

 門の両側には門番としてオーガよりも強力で凶悪なデス・ナイトが立っていた。

 

死の騎士(デス・ナイト)が墓地の番ってのも酷い冗談だね……)

 

 アンデッドが生者のために仕事をするという事実が、未だにクレマンティーヌには馴染めない。

 普通、墓地の番や巡回は冒険者や衛兵が行っている。

 その目的は死者がアンデッドになることを防ぐためであり、生者がアンデッドの被害を受けないためだ。

 そんな任務をアンデッドであるデス・ナイトが行っているというのは滑稽を通り越して皮肉に思える。

 

(こーゆーのをなんて言うんだろ……盗賊の留守番? ネズミの粉挽き? 氷の堰?)

 

 上手いたとえが思いつかないまま、クレマンティーヌは門の脇にある詰め所へと向かう。

 墓地の中に入ることを人間の方の衛兵に断りを入れるためだ。

 承諾を得るといった彼女らしくない行動を取ったのは、ここが魔導国であるからだ。

 クレマンティーヌが自分勝手な行動を取れば、恐ろしい結果が訪れるのは必至だ。

 伝説のアンデッドに集団で襲い掛かられては命がいくつあっても足りない。

 この数週間というもの、クレマンティーヌにとってデス・ナイトの伝説感がかなり薄れているのであるが。

 

 知人を偲ぶためと言って冒険者組合の指導員プレートを見せると、衛兵は面白いほど恐縮して墓地に入ることを許可してくれた。

 冒険者組合の力が浸透しているのか、それとも魔導王の威光が凄いのか判断がつかないまま、クレマンティーヌは共同墓地の敷地内へと入った。

 

 共同墓地には何度か訪れたことがある。

 無論、それはクレマンティーヌがズーラーノーンの幹部だった頃の話だ。

 覚えているのは静かな夜ばかり。

 あまり見慣れていない昼の墓地もまた静謐であった。

 

 午後の日が差すその空間を歩く人間はクレマンティーヌただひとり。

 他には人間ではないアンデッドのデス・ナイトがぽつぽつと巡回しているだけだ。

 

 クレマンティーヌは自分に何が起きたのかを確認するために共同墓地(ここ)を訪れた。

 それというのも自分の記憶と知識、そして所持品に不可解な点や欠落した部分があるからだ。

 その不明を明らかにするため、まずは記憶が途切れた場所を調べたかった。

 

 カジット・バダンテールが引き起こしたアンデッド騒動は調査中のままだと聞いている。

 エ・ランテルの統治者が代わったため騒動の真相究明が棚上げされているらしい。

 片棒を担いだクレマンティーヌであったが、これまで騒動の話を聞かれたことはない。

 

(別に隠すこともないけどね……)

 

 聞かれないから話していないだけに過ぎない。

 ただカジットが行っていた魔法の詳細を知らないので、儀式の説明を求められても回答はできないのだが。

 

 午後の木漏れ日の中を歩きながら、クレマンティーヌは遠巻きに霊廟の入口を見た。

 奥に入るつもりはない。

 隠し神殿はカジットの()()()であり、そこには思い入れも興味もないからだ。

 

 霊廟から少し歩いたところで開けた場所に出る。

 クレマンティーヌがアインズ・ウール・ゴウン魔導王扮する漆黒の戦士モモンと切り結んだ場所だ。

 

 ()()()()からいくつかの季節が過ぎ去っている。

 昼夜は勿論のこと、木々の生い茂りや風向きなど異なる要素は多い。

 クレマンティーヌは自分が立っていた場所を見つけた。

 昼と夜の違いがあっても、そこからの景色には覚えがある。

 

(あっちに魔導王(モモン)が居て、私がここに立っていて、と……)

 

 クレマンティーヌはその場にしゃがみ込むと地面を調べた。

 

 抉ったような跡がはっきりと残っている。

 自分が駆け出して作った跡であることを確かめると、立ち上がってまっすぐ大股で進む。

 着いたのは魔導王が立っていた場所であり、そここそがクレマンティーヌが死んだ場所だ。

 

 その場の地面を調べても目立った跡は残っていなかった。

 ぐるりと周囲を見回してもクレマンティーヌの知らない景色しか見えない。

 迫り来る死から逃れようと、もがくことに必死で周りを見る余裕はなかったのだ。

 

(モモンが魔導王(アンデッド)だと知ってたら……)

 

 そう考えてクレマンティーヌは口元を自嘲気味にゆがめた。

 

 相手がアンデッドだと分かっていたとしても、勝てたかと問えば答えは否だ。

 では逃げることができたかといえば、その答えも否だ。

 

(目を付けられた時点で終わっていたんだな……私は)

 

 それでもなおクレマンティーヌは死の支配者から逃れる術を探している。

 そのためには記憶の不明を明らかにしなければならない。

 

 それは単なる偶然なのかも知れない。

 ただ感情が納得していないだけかも知れない。

 それでも全てが明らかになれば、魔導王やスレイン法国の手が届かない世界へと逃げられる気がする。

 

 自分が死んだ場所でクレマンティーヌはそう感じていた。

 

(私がここで死んだとして、死体を置きっぱなしにはしないよね? どこに持ってった?)

 

 事件が発生した場合、その容疑者が生きていれば取調べを受けただろう。

 では容疑者が死んでいた場合、その死体はどこで調べられるのか。

 

 死んだからといって即、共同墓地や神殿に運ばれるとは思わない。

 おそらくどこか特別な場所で容疑者の死体を調べた筈だ。

 自分の身体がどのように取り調べられていたか想像するだけで不愉快になる。

 

(どっかの死体愛好者(ネクロフィリア)に好き勝手されたりしてねーだろうな……)

 

 そんな事実があったと分かったら真っ先にそいつを殺しに行かねばならない。

 居るかどうかも分からない存在の抹殺予定を心に刻みながら、クレマンティーヌは取調べの場所について考えを巡らせる。

 

 カジットの起こした騒動はエ・ランテルの都市全体に関わる大きなものだった。

 その取調べを行うなら、この都市の最高責任者の屋敷だろうか。

 確かに都市の責任者ともなればその暗部に触れる必要はある。

 そういった暗部に触れるための秘密の場所があってもおかしくはない。

 

 王国統治時代の都市長の屋敷は今は魔導王の居城になっている。

 クレマンティーヌにとって、ここエ・ランテルの中で最も行きたくない場所だ。

 そこに行くくらいなら死を選ぶとまでは言わないにしても、悩みや執着を捨てても良いと諦めるくらいのことはできる。

 

(可能性は高いけど……まぁ後回しだね)

 

 クレマンティーヌは別の場所を考えてみることにする。

 例えば衛兵の詰め所だ。

 

 そこは責任者の屋敷の次に可能性が高いだろう。

 どんな都市であれ衛兵は警備機構で、詰め所はその基地だ。

 屋敷に容疑者の死体を搬送するにしても、最寄りの詰め所に一時的に留めることも考えられる。

 

 現在のエ・ランテルでは警備任務の大部分をアンデッドであるデス・ナイトに委ねている。

 とはいえ住人である生者たちが直接交渉するのは人間の衛兵だ。

 クレマンティーヌもまた墓地に入るときに許可を取った相手は人間だった。

 人間相手なら話を聞くのも苦ではない。

 少なくともデス・ナイトに話を聞くよりは遥かにマシだ。

 

(話を聞く、か……)

 

 いちいち詰め所を訪問して、そこに居る衛兵に話を聞くのは効率が悪い。

 エ・ランテルは巨大な街であり詰め所の数は相応に多かった。

 そんなことをするよりは衛兵を管理していた者に聞いた方が早いだろう。

 

 現在、衛兵を管理しているのは魔導王の配下だ。

 だが王国時代は違う。

 形式上は都市長が警備の責任者であるだろうが、有事の際に衛兵を動かすのは武装集団の指揮に長けた人間である。

 それは軍隊の指揮官であり、そうでない場合は冒険者組合の長がその任に就く場合が多い。

 

 クレマンティーヌは先ほどまで話をしていた壮年の男の顔を思い出した。

 

 王国や帝国における冒険者組合は独立した武装組織だ。

 その活動は国家間の紛争に使用されることはないという前提の元に成り立っている。

 そしてモンスターの出現による都市の危急時にのみ、都市の責任者は冒険者組合に協力を要請する。

 原則として常備軍を持たない王国領の都市ではそれ以外に解決の道はない。

 

 カジットが起こした騒動で大量のアンデッドが発生したとなれば、衛兵の他にモンスター討伐に長けた冒険者が動いた筈だ。

 つまり騒動に近い位置で、組合長のアインザックが動いていたことは予想がつく。

 

 冒険者組合に取り込まれ、指導員になったことで距離が近くなり過ぎていた。

 口元を歪め自虐の笑みを浮かべる。

 

(クレマンティーヌ様ともあろう者が、すっかり馴染んでやがる……)

 

 墓地で得る物はなかったが、次の行動の指針が見えたことは良かった。

 アインザックをどう誘導して、必要な情報を得るかは、宿に戻ってから考えよう。

 解決を急ぐクレマンティーヌとはいえ、今から冒険者組合に戻る気にはならない。

 

 西門に向かおうとしたクレマンティーヌの視線の先に人影が映った。

 墓地を巡回しているデス・ナイトより遥かに小さなその影は、真っ直ぐに彼女に向かって歩いてくる。

 

(なんだ……こいつは?)

 

 クレマンティーヌの首筋にちりちりとした感情が這い登ってくる。

 29人の冒険者見習いを相手にしたときには触れもしなかったレイピアの柄に右手をかけた。

 金髪が逆立ち、その感情が警戒の先にあるものだと判る。

 

 それは恐怖だ。

 

 人影は女だった。

 背筋を伸ばした姿勢に隙はない。

 身に着けているものは白と黒で構成されたフリルつきのエプロンドレス。

 いわゆるメイド服だ。

 黒い髪を夜会巻きに結い上げ、高価そうな眼鏡をかけている。

 何より目を惹いたのは、その女の異常なまでに整った顔立ち。

 それはクレマンティーヌが今までに見たこともないほどの美貌――。

 

(……いや。あいつと同じくらい、か?)

 

 ここエ・ランテルの墓地で見た漆黒のモモンが連れていた女魔法詠唱者(マジック・キャスター)

 夜闇に浮かんだ白皙(はくせき)の美貌を思い出す。

 

(たしかナーベ……ナーベラルって呼んでたっけ)

 

 モモン――アインズ・ウール・ゴウンがクレマンティーヌに勝てると語った女。

 今、歩いてくるメイド服の女も同等の美を有している。

 その美は見た目ばかりではなかった。

 その所作には隙がなく、それでいて揺るがない体幹と流れるような足の運びが戦う者としての力量を感じさせる。

 クレマンティーヌは苦々しい思いで顔を顰めた。

 

 エ・ランテルに来てからというもの、こういう緊張ばかり強いられている気がする。

 これだったら冒険者見習いを相手にしているときの方が気楽でいい。

 そんなことを考えながらクレマンティーヌは視線を逸らすことなく女が近づいてくるのを待った。

 

 メイド服の女がクレマンティーヌの前で立ち止まった。

 相手の顔がはっきりと視認できながら、レイピアがぎりぎりで届かない距離。

 そこまで近付いてなお女の美貌には欠点らしきものが見当たらない。

 

「クレマンティーヌ様でいらっしゃいますね?」

 

 女はよく通る澄んだ声で話しかけてきた。

 クレマンティーヌを知っていながら女の表情に変化はない。

 自らの強さに自信があることの表れだろうか。

 普段であれば違うととぼけたところだが、今は少しでも情報が欲しい。

 

「……あんたは?」

「近くにある孤児院に勤めておりますユリ・アルファと申します。以後、お見知りおきを」

 

 完璧な角度で頭を下げるメイド服の女――ユリ・アルファにクレマンティーヌは少し混乱する。

 

 孤児院に勤めているということは神官なのだろうか。

 メイド服を着た神官とはどんな存在なのか。

 仕事と見た目のアンバランスさに、クレマンティーヌは漆黒聖典に与えられる装備を思い出す。

 

「孤児院? てことは、西の神殿の関係者さん?」

 

 いつでもレイピアを抜けるよう身構えながらクレマンティーヌはアルファに尋ねた。

 

 都市で孤児の支援を行うのは多くの場合は神殿だ。

 アンデッドが支配しているこの都市(エ・ランテル)ではあるが、神殿勢力そのものはいまだ健在である。

 死者を弔うためには墓地と神殿は近いほうが都合が良い。

 ここ共同墓地の近くには西の神殿がある。

 アルファはそこの人間なのだろうか。

 

 疑問への解答はすぐに返ってきた。

 

「神殿の皆様とは関係ございません。ぼ……私達が勤めております孤児院は、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下がお作りになったものです」

 

 クレマンティーヌの思考が一瞬止まる。

 生者を憎み滅ぼすことを常とするアンデッドが孤児院を作ったと聞こえたからだ。

 

「……なんでアンデッドが……孤児院なんか……?」

 

 思わずクレマンティーヌの口から呟きが漏れた。

 その呟きが問いに聞こえたのか、アルファは左の眉を少しだけ上げると説明を始める。

 

「アインズ様は先の戦争で多くの命が失われたことに酷く心を痛めておいででした。そして残されたご遺族が抱える不安をできる限り取り除こうと、この街に孤児院を作るようお命じになられたのです」

 

 アルファの説明はクレマンティーヌをさらに混乱させる。

 

 魔導王はアンデッドなのに子供を殺すつもりはないのだろうか。

 あるいは殺すのであれば子供よりも大人の方を好むのだろうか。

 だからこそ孤児院なんかを作り、子供が成人するまで待つのか。

 たしかに不死者(アンデッド)には時間の制限はない。

 人間が成人するまでの時間くらいなら、アンデッドは苦もなく待てるのだろう。

 

 クレマンティーヌはそう納得しかけたところで、今度は別の事実に気付く。

 

(……この女は今、なんと言った? “アインズ様”と名前で呼ばなかったか?)

 

 情報によれば魔導王には黒い角と羽を持った(きさき)と思われる美女がいるらしい。

 場末の大衆酒場(パブ)でクレマンティーヌが酔っ払いから聞いた情報だ。

 髑髏の顔を持つアンデッドでも(きさき)がいるのならば愛人がいてもおかしくない。

 愛人に与える見せ掛けの仕事なら、孤児院で子供の相手をさせるというのも悪くないだろう。

 

 そんな女に対して自分は戦闘態勢を取り、ぞんざいな言葉遣いで応じてしまった。

 クレマンティーヌの思考が恐怖に塗りつぶされる。

 

 メイド服の女に無礼を働いた

  ↓

 女は魔導王の愛人だった

  ↓

 愛人が魔導王に不満を訴える

  ↓

 魔導王が激怒する

  ↓

 そういえば生者への拷問がご無沙汰している

  ↓

 拷問

  ↓

 処刑

 

 己の未来を素早く予見したクレマンティーヌは素早く膝を突く。

 

「魔導王陛下お付きの方とは露知らず大変失礼をいたしました。御用がありましたらなんなりとお申し付けください」

 

 深く頭を下げて臣下の礼を取る。

 

 クレマンティーヌの言動がアルファにどんな印象を与えたかは分からない。

 だが今は生き延びるためのあらゆる手段を取らねばならなかった。

 

「お顔を上げてください、クレマンティーヌ様」

 

 僅かの無言の後、アルファが口を開いた。

 その澄んだ声音は先ほどまでと少しも変わりない。

 クレマンティーヌは顔を上げる。

 変わらぬ言葉を発したアルファの美貌もまた変わるところはない。

 

「私が貴女に声をかけたのは、墓地に入るところを偶然お見かけしたからです」

「……で、では、ワタクシに何か……ご用件がありましたか?」

 

 クレマンティーヌは立ち上がると膝についた砂を軽く払う。

 少し目を伏せ、失礼にならないようアルファの顔を直に見ないようにした。

 

「いえ」

 

 アルファは言葉を続ける。

 

「貴女が何かを悩んでいる様子だったので声をお掛けしたのです」

 

 クレマンティーヌの心臓がどきりと鳴る。

 

 悩んでいたのは魔導王に殺されてから蘇生されるまで自分に何があったか分からないからだ。

 それを明かすためにこの墓地を訪れた。

 だがそれは最終的に魔導国から逃れるための前準備である。

 逃亡の意思ありと魔導王に判断されたらクレマンティーヌの命はない。

 

「そ、そんな、悩んでいるというほどのことではありません!」

 

 クレマンティーヌは大きく左右に頭を振った。

 

「ま、魔導王陛下が、お求めになられてる冒険者の育成について考えておりました、はい!」

「育成ですか!」

 

 今度は妙に力強い相槌が返ってきた。

 心なしかアルファの顔が明るくなり、先ほどまでの冷たい印象が和らいだ様にも感じる。

 その理由を考えるクレマンティーヌにアルファが追って聞いてきた。

 

「育成について何かお悩みになることがありましたか?」

「お、お、お悩みというほどのことではありませんです、はい!」

 

 クレマンティーヌの返答にアルファは僅かに笑みを浮かべた。

 慌てふためく様が滑稽なのだろう。

 嘲笑された怒りが表に出ないよう今は我慢するしかない。

 アルファは笑顔のままだ。

 

「アインズ様は教育に熱心な御方であり、クレマンティーヌ様に期待をしておられます」

「……は、はい」

「私達も可能な限り協力いたしましょう。困り事や不明な点がありましたら気軽に孤児院まで聞きに来てください」

 

◇◆◇

 

「えー、魔導王陛下のご厚意によって、あんたらが訓練に使う道具が用意されましたー。はい。拍手拍手ー」

 

 指導員に促されてエストは手を叩いた。

 他の見習いもまた引きつった笑顔で両の手を打ち鳴らす。

 全てはクレマンティーヌ指導員への恐怖のためだ。

 

 地下広場に新たに用意された物は、移動式の藁人形が20体と大量の訓練用武具。

 そしてそれらを片付けるために、いつのまにか壁面に棚が備え付けられている。

 前回の訓練の時には影も形もなかった物なので、一日足らずでこれだけの訓練具が用意されたということだ。

 エストは改めて魔導王の力に感心する。

 

「これからも必要だと思った道具(もの)は色々追加するらしいからねー。ここになくて別に欲しいものとかあるんなら私に言ってちょーだい」

 

 そう言って指導員は幼子のような無垢な笑顔を見せる。

 だが、エストを含めた全ての冒険者見習いが、緊張を緩めることはない。

 なんといっても見習い全員と素手で戦って勝てる存在なのだから。

 

「それじゃ各自で練習してねー。私はそこらをブラブラしてるから、何かあったら声かけて」

 

 指導員が言葉を終えると同時に、ほとんどの見習いが訓練用の武具を選びに行った。

 命を失う危険がないのなら訓練に自前の武具を使う必要はない。

 武器を手にして藁人形を適当な場所まで運び、各々訓練の場を整えている。

 

 訓練用の武具に元武器屋見習いであるエストは心惹かれた。

 だが、その質を見るのは後でもできる。

 エストを除いた見習いたちは、大なり小なり冒険者として生きてきた者だ。

 冒険者としての基礎は既にできており、そこからより優秀な魔導国が求める冒険者になるために努力する。

 冒険者として未経験者であるエストは、まずは基礎を作らなければならない。

 

 藁人形に武器を叩きつけている他の見習いを横目で見ながら、エストは地下広場の内周を黙々と走ることにした。

 武器の訓練よりも先に地下広場を走っている者が何人か居る。

 少ない同輩の中でも自分に背格好が近い見習いの走り方をエストは手本にした。

 

 手本が全力で走ればエストも全力で走り、軽く走れば同じように流して走る。

 歩いたり、ジャンプしたり、手や足を大きく上げたりと、エストは手本の真似をして様々な走り方をした。

 

 手本にした見習いが走ることを止めた後も、エストは走り続けた。

 走り続けながら、他の見習いたちが藁人形を相手に剣や槍の訓練をしている様子を観察する。

 

 武器を上から振ったり横から振ったりしている見習いがいた。

 片足立ちで振ったり、ジャンプして振ったり、倒れながら振ったり、仰向けに寝て武器を振っている者もいる。

 

 考えてみれば実戦において敵と相対して綺麗に武器を使える状況は少ないだろう。

 多くの敵に囲まれる場合もあれば、1体の敵をチームで囲むこともありそうだ。

 それら見習いたちの訓練風景を目に焼き付けながら、エストは黙々と走った。

 

 見習いたちの間から、クレマンティーヌ指導員の明るい声が響いてきた。

 

「武器の当て方も考えなよ。同じ武器でも効果が変わるからね」

「あんまし目が良くないヒトはねー、敵への近付き方を覚えるといーよ」

「自分の攻撃範囲を覚えてね。そして敵にはその範囲を悟らせないことー」

 

 それらは見習い個人へのアドバイスだったり、戦闘における一般論だったりする。

 地下広場に居る全ての見習いに聞こえるよう言っており、エストは勿論のこと、他の見習いたちも皆、自らの鍛錬に努めながら聞き耳を立てていた。

 

 

「あの……先生」

 

 訓練が終わろうかという頃にエストは勇気を振り絞って、クレマンティーヌ指導員に話しかけた。

 

「……先生? ……先生かぁ。……先生ねぇ。まぁいいか。で、何かな? エスト・マシオンちゃん」

 

 指導員はどこか納得できない様子を見せながら見習いの問いかけに応じる。

 

 エストは名前を覚えられていたことに驚いた。

 名乗ったのは初日の訓練のときだけの筈だ。

 その事実にエストは少し高揚感を感じる。

 

 エストはクレマンティーヌ指導員に聞きたいことがあった。

 それは指導員の装備の不自然さについてだ。

 

 クレマンティーヌ指導員はいくつかのマジックアイテムを身につけている。

 頭と腰には獣の耳と尻尾の装飾品。

 その効果は分からないが価値のあるマジックアイテムなのはエストには分かる。

 腰のレイピアもそうだ。

 刃に紅い炎のような揺らめきを映したそれは、桁外れの業物(わざもの)であろう。

 だがそんな中で、防御の要である胴体に身につけた防具は、魔法が付与されていない程度も低い帯鎧(バンデッド・アーマー)だ。

 二の腕や太腿、腹などを露出したそれは動きやすさを重視したにしても、あまりにも頼りない。

 クレマンティーヌ指導員の強さであれば、より強力な防具を手に入れ使っていてもおかしくないのではないか。

 

 指導員が抜きん出た武力を持っているのは紛れもない事実である。

 それらの装備にはエストのうかがい知れない理由があるのだろうか。

 だがそれは極々私的な事であって訓練の場で聞くような話ではないのかも知れない。

 次々と湧き上がる好奇心を抑え、まずエストは無難な質問をすることにした。

 

「あ、あの……僕はどんな装備が向いているでしょうか?」

「エストちゃんは、そーだね……」

 

 指導員が目を細めた。

 それは笑顔のようであり、肉食獣の品定めのようにも見える。

 

「ぶっちゃけ装備を選ぶ段階じゃないね。けけっ」

 

 いたずらっ子のような顔で指導員が笑う。

 

「しばらくは地下広場(ここ)を走り回って、適当な剣を振ってさ、基礎を身につけてちょーだい。装備がどうこうはその後だね」

「先生も……そんな風にして使う武器を決めたんですか?」

「んー? 私はねー、手に入ったものを使ってるだけかなー」

 

 指導員は一瞬だけ遠い目になった。

 

「でもさー。訓練所(ここ)だったら好きなものが選べるんだよね。そーゆーのは利用したほーがいーよ。もったいないし」

 

 冒険者にとって武具は自分の命を賭ける物である。

 だが一部の金持ちを除いて、自分に適した最高級の武具を揃えることは不可能だ。

 多くの人間は偶然手に入ったもの、少ない所持金で買えたものでやりくりするしかない。

 

「……せ、先生の今の防具は、好みで選んだんですか?」

 

 クレマンティーヌ指導員は自らの防具とエストの顔を見比べる。

 

「これはねぇ――」

 

 突如、物凄い力で引き寄せられたかと思うと、エストの頭はクレマンティーヌ指導員の胸に押し付けられた。

 帯鎧(バンデッド・アーマー)越しに豊かな胸の肉感が頬に伝わる。

 慌ててエストは身体を引こうとするが指導員の細い腕はびくともしない。

 なんとか首を捻ると指導員の顔を見る。

 

 エストとそれほど年齢が変わらないどころか年下のようにも見える幼い顔立ち。

 その紫の視線は戦闘経験のないエストにさえ理解できる殺意が込められていた。

 

「あんたみたいな助平な雄餓鬼を楽に殺すためだよー」

 

 エストの頭を抱きしめたまま指導員の声が大きくなる。

 

「楽に人殺しをしたいならねー。女であることを誇示(アピール)するのは有効だよー。男だったらこーゆー助平が引っかかるし、女であってもイラつく奴も多かったしねー。冷静じゃない相手ってのは料理が楽になるんだよ」

 

 そう言うと指導員はエストを解放した。

 エストは勢い余って尻餅をつく。

 みっともない姿だったが見習いたちから笑い声が上がることはない。

 

「先生は……ひ、人殺しを?」

「そりゃもう。跳ねっ返りの冒険者やワーカーをいっぱいねー。浮かれた貴族なんかも殺したかなー」

 

 クレマンティーヌ指導員の殺意混じりの視線が、くるりと童女のような笑顔へと変わった。

 

「なーんて嘘嘘。本気にした? 私の演技も大したもんだね。殺ったのはモンスターとかばっかりだよー。あと亜人をちょっとかなー」

 

 ぺろりと舌を出す。

 

「私はねー、動きが邪魔されなきゃ装備はなんでもいいんだよ」

 

 そう言いながら指導員は両腕をぐるぐると回し、上半身を左右へと振ってみせる。

 

「私の戦い方は腰の動きが大切だから、お腹の周りにごてごて装備したくないんだよね。腕や脚だってそう。なるべく自由に動かしたいからねー」

 

 エストは思わずクレマンティーヌ指導員の腹と太腿を見る。

 彼女の白い肌が(なまめ)かしく躍動しているのが分かった。 

 指導員の口元が妖しく歪んだ。

 

「ってことは行き着くとこ素っ裸がいいのかな? でもそうなるとおっぱいが邪魔になっちゃうかなー」

 

 指導員は帯鎧(バンデッド・アーマー)の上から自らの胸を揉みながら、目を細めてエストの表情を覗き見た。

 エストは自分の頬でその柔らかさに触れたことを思い出して頬を染める。

 周囲の見習いたちが耳をそばだてているのが分かった。

 

「エストちゃんはやけに武具が気になるみたいだねー。なんかあんの?」

「ちょ、ちょっと前まで商人の見習いとして武具を扱っていた……いました、です、はい」

 

 指導員の目が大きく見開かれる。

 童顔が際立ち、まるで幼子のようにエストには見えた。

 

「商人から冒険者かー。そりゃまた大胆な身の振り方だね」

 

 バハルス帝国の大闘技場で武王をいとも簡単に葬り去った魔導王の姿。

 そして勝利した魔導王が語った真の冒険者の姿に、激しく心動かされたことを口にすべきかどうかエストは迷う。

 だがクレマンティーヌ指導員はエストの動機には興味がないようだった。

 

「だからってエストちゃんが未熟なことには変わんないからね。他の連中との差は自分でなんとかしてちょーだい」

 

 指導員は他の見習いへと向き直った。

 

「話を聞いてる()が多いから続けるけどさ。さっき言ったお色気作戦は人間以外じゃ効かないからねー。アンデッド相手にあはんうふんってやっても意味ないから。男女どっちがやってもね」

 

 くすくすと小さな笑い声が地下広場に響く。

 

「ここで真面目に訓練すりゃ自分の戦い方が見つかると思うよ。でも、この先マジックアイテムを手に入れることを前提に、自分の技術を狭くしないことー。手に入ったマジックアイテムで戦い方を変えるのはアリだけどね」

 

 見習いたちの手が止まる。

 

「自分にぴったりのマジックアイテムなんて、そうそう手に入んないよー。将来、手に入るかどうかも分かんないマジックアイテムに人生を賭けるなんて馬鹿馬鹿しいでしょ?」

 

 その言葉にはエストは賛同できなかった。

 

 エストを含めた多くの若者が冒険者を目指すのは、華々しい冒険に赴きそれを達成したいがためだ。

 伝説の武具を手に強大なドラゴンを倒して、莫大な財宝と美しい姫を手に入れる。

 そんな馬鹿馬鹿しいほど能天気な夢があるからこそ、エストは全てを放り出して魔導国に来たのだ。

 クレマンティーヌ指導員の現実的なアドバイスは続く。

 

「結局のところ持ち合わせでやりくりするしかないんだよ。そのためには力とか技とか基本になる持ち合わせを増やしていかないとね」

 

 指導員はくるりと踵を返すと入口付近にある自分の椅子へと歩き出した。

 話が終わったと思った見習いたちは各々自分の訓練を再開する。

 エストもまた剣の訓練を始めるため武具の棚に向かおうとした。

 そんな彼の耳にクレマンティーヌ指導員の呟きが届く。

 

「……本当の自分の戦い方が分かるのは、大抵は自分が死ぬ直前なんだよね」

 

 その言葉はエストの耳に強く残った。

 

◇◆◇

 

 アインザックは組合の自室でクレマンティーヌから訓練の進捗について報告を受けていた。

 見習いたちへの訓練が終わり、エ・ランテルに戻る度に行っていることだ。

 アインザックが報告書を読む間、クレマンティーヌはソファーにだらしなくもたれ掛かっている。

 時折、クレマンティーヌが応接室への扉を見る他は、いつもと変わりない風景だった。

 

 そんなクレマンティーヌの様子を気にしながらアインザックは報告書の内容に感心していた。

 訓練を開始して10日足らずで見習いのうち数人が白金級(プラチナ)程度まで成長したとある。

 かつてのアインザックだったら信じなかっただろうが、彼女の能力を知った今では素直に賞賛できた。

 効率を重視して能力の向上に注力すれば、これほどの効果が出るのである。

 無論、指導員であるクレマンティーヌが優秀なことが、成果の一番の要因であることに間違いはない。

 

 訓練場の地下にある迷宮を使った探索訓練においても、見習いたちの能力向上の効果は出ていた。

 探索距離が飛躍的に伸び、第一階層で撤退していたパーティが、第二階層を踏破しそうなほど成長しているらしい。

 そんな報告が地下迷宮の管理者のひとりであるエルダーリッチから上がっていた。

 

「この短期間でここまで成果を出すとは……。流石は魔導王陛下が推薦されたクレマンティーヌ君だな」

「やる気がある奴が多いからねー。私の力ってゆーより、魔導王陛下の理念の賜物じゃないかなー」

 

 僅かな笑みを浮かべてクレマンティーヌは謙遜をする。

 

「正直に言えば、君の指導能力を私は疑っていた。陛下も君の能力は信じていたようだが、この成果にはいたく感心しておいでだ」

「……ふーん」

 

 彼女は頷きながら応接室への扉を見つめる。

 その童顔からは表情が消えている。

 アインザックが言葉を続けようとして――、

 

「でも、この程度じゃダメなんだよね?」

 

 クレマンティーヌに遮られる。

 それはアインザックが言おうとしていた言葉と同じだった。

 

「……その通りだ」

 

 アインザックは唇をかみ締めた。

 金級(ゴールド)は当然の事ながら白金級(プラチナ)でもなお、魔導王が望む冒険者には程遠いのだ。

 アインザックの見立てでは、少なくともオリハルコン級の力は持っていないと、亜人やモンスターが跋扈する場所へと送り出すことはできない。

 

「前にも言ったけど強そうな奴を勧誘したほうが早いんじゃないかなー?」

 

 アインザックの心象を察したのかクレマンティーヌが明るく声をかける。

 

「名の知れた者は皆、それなりの立場や収入を得ているからな。……それに志望者を募るというのは魔導王陛下の願いだ」

「本人のやる気が優先、ね……」

 

 何か思い出したのかクレマンティーヌが遠い目をした。

 

「――組長さー」

「……組合長だ」

 

 アインザックは彼女の呼びかけを訂正する。

 

「呼び方はどっちでもいーんだけど」

 

 クレマンティーヌは身体を捻ってアインザックに顔を向けた。

 

「進捗遅延はさておいて切り捨てはどーするー? 何か指針は?」

「……今のところご指示は賜っていない」

 

 アインザックの眉間にもう一度、深い皺が刻まれる。

 

 それは育成を考えた場合、必ず付いてまわる問題だ。

 志望者の全てが望む力を手に入れられる訳ではない。

 才能ある者にその能力の開花を促す一方で、才能なき者に現実を突きつけ諦めさせるのは育てる側の務めである。

 それが出来なければ若者を無駄に使い潰すことになりかねない。

 

 以前、それとなく魔導王に尋ねたことがあったが明確な回答は貰えなかった。

 フールーダ・パラダインを凌駕する大魔法詠唱者(マジックキャスター)にして、武王を容易く屠れる戦士でもある魔導王には人間の限界というものが理解できないのかも知れない。

 

 もうひとつ現実的な問題もある。

 才能の有無に関わらず志望者の育成には金がかかるのだ。

 現在の冒険者組合は魔導国から割り当てられた予算で賄われていた。

 旧来の組合の収入であった依頼の仲介による利益が激減しているからだ。

 冒険者見習いの育成はその予算によるものであり、能力のない志望者をいつまでも養っていては無駄遣いになるだろう。

 魔導王から予算についての明確な指示はなく、驚くべきことにどの程度の冒険者をいつまでに育て上げるのかという目標すら明確な指針がないのだ。

 これは魔導王が寿命のないアンデッドだから気にしていないだけなのだろうか。

 

 だがアインザックは人間であり、何より自分自身が冒険に繰り出したいと考えている。

 そのためには出来うる限り早急に冒険者育成の道筋を確立させたかった。

 

「てきとーに期限と課題を決めて、切り捨てんのが一番早いよ」

 

 クレマンティーヌの意見は残酷な様で正しい。

 未熟な冒険者はチームを危険に晒すどころか、魔導国の評価を下げることにもなりかねない。

 以前の冒険者組合は依頼を難易度を割り振って待つだけで良かった。

 才能ある冒険者チームは多くの依頼を遂行しながらも生き残り、そうでないチームは全滅したり、メンバーを減らしたりで淘汰された。

 言わばモンスターに選別を任せ、組合は冒険者に対して何も責任を負ってなかったのだ。

 そのツケが回ってきたとも言える。

 

 その一方でアインザックには魔導国冒険者組合の門を叩いた志望者を切り捨てたくないという感情がある。

 彼もまた夢を持つ冒険者なのだ。

 

「……うむ。もう一度魔導王陛下に進言してみよう」

 

 魔導王への進言がまたひとつ増えた。

 即座に問題を解決できない我が身を呪うが仕方がない。

 クレマンティーヌと打ち合わせなければならないことは他にもあった。

 

「既に聞いているかも知れないが、新たな志望者が集まっている」

「……ふーん。人数はどのくらい?」

 

 知っていたのかいなかったのか、クレマンティーヌの反応は鈍い。

 だが、優秀な指導員である彼女が情報収集を怠るとは考えにくい。

 そういう()()をしているのだろうとアインザックは考える。

 

「登録があったのは50人強だ。更に増えそうだという話も聞いている」

「今居る子の数よりも多いんだー? 増えた原因はなんだろね?」

「そこまでは確認していない。おそらく様子を窺っていたのではないか? 冒険者訓練所の実情が知れたことで決心がついたと考えられるな」

 

 それら志望者たちの心情はアインザックにも分かる。

 魔導王の人物と理念を知らなければ、アインザックとて魔導国の冒険者組合に所属しようとは思わなかっただろう。

 今居る見習いが訓練所の様子をエ・ランテルで語り、それが潜在的な志望者の後押しになったのではないかと推測している。

 若い女の指導員(クレマンティーヌ)という存在に釣られた者が居るらしいという受付の話も聞いているが、ここで言う必要はない。

 

 ともあれ志望者の数が増えれば、より強い力を持つ者が出てくる可能性が高まり、アインザック自身が冒険に旅立てる日が近づくのだ。

 

「なるほどねぇ……。まぁそーゆー慎重な姿勢は悪くないよね、うん」

「……なにか気になることでもあるのかね?」

 

 クレマンティーヌの含むような物言いがアインザックの注意を惹いた。

 

「うーんとね……。そーゆー慎重さや用心深さって魔導王陛下が求めてるもんなのかなーって」

 

 アインザックの頭にいくつもの疑問が浮かぶ。

 

 慎重すぎて損はない。

 冒険前の下調べや、武具の充実などの用心深さは依頼達成につながるだろう。

 魔導王もまた依頼の達成を望んでいるのではないか。

 

 クレマンティーヌは言葉を続ける。

 

「最初に話を聞いたときの印象からするとさ。陛下は無鉄砲さを期待してるんじゃないかな? それこそ商人が仕事を放っぽり出して冒険に出かけるみたいな、そんな感じ? まぁ勇気と無謀は違うけどねー」

 

 その言葉を聞いてアインザックは衝撃を受けた。

 

 自分自身、魔導王から同じような言葉を聞いていたにも拘らず冒険者の資質について考えが及ばなかった。

 いや違う。

 考えていたが、自分が冒険に出たいばかりに魔導王が望んでいた冒険者像を見失っていたのだ。

 

「……なるほど。クレマンティーヌ君の話には一理ある。資質によっては見習い登録前の足切りも考えねばならないか。先ほどの切り捨ての件も併せて考えなければならんだろうな」

 

 アインザックは動揺を表に出さないように努める。

 

 志望者の取り扱いについては彼の一存で決められるものではない。

 いずれにせよ魔導王の判断を仰ぐ必要があった。

 

「単なる印象だよー。深刻に捉えるもんじゃないかも知れないけどね。人数が増えればデキる奴が出てくる機会も多くなるんだし」

 

 少し明るい声でクレマンティーヌが言った。

 

 そんな彼女の気休めを聞きながらアインザックは考える。

 この慎重な姿勢と多面的な物の見方、そして優れた武力を持った彼女は、自分よりも組合長に向いているのではないだろうか、と。

 アインザックは次の組合長候補を頭に留めておくことにした。

 

「見習いの訓練についてなんだが、いずれにせよ人数は倍以上にはなるだろう」

 

 クレマンティーヌは応接室への扉を見ながらうんうんと頷く。

 

「切り捨ては後々行うにしても、訓練の質は維持できるかね?」

 

 アインザックの問いに彼女は少しだけ考える素振りを見せた。

 

「採点だけなら100人居てもできるけどねー。でもまぁ訓練となると2、30人くらいまで分けた方が目が届くかな」

「……なるほど。では、どう分ける? 難度か? 得物か?」

「どっちでも良いかなー。利点も問題点も同じくらいあるし」

 

 それはアインザックも同じ考えだ。

 難度で分ければ訓練強度の調整が楽になるし、得物で分けた場合より専門的な指導が可能になる。

 問題点はその逆だ。

 

「とりあえずは志望者の採点を済ませてから、方針を決めて集団を分けることにしよう」

「りょーかい。で、いくつかの人数で分けるとして訓練中は他の集団はどーすんの? 時間が無駄になんない?」

 

 クレマンティーヌの洞察力はときにアインザックを助けてくれる。

 話題が上手く転がり組合長は満足した。

 

「そのとき他の集団には別の訓練を受けてもらうことになる」

 

 喜びを表に出すことなくアインザックは重々しい口調で言う。

 

「んー? 別の訓練? 別の指導員が居るの?」

「うむ。魔導王陛下からの紹介でな。……入りたまえ」

 

 アインザックは応接室に向かって声をかけた。

 

「それでは失礼いたしますわ」

 

 応接室から入ってきたのは長い髪で顔を半分隠した美女だ。

 

「バハルス帝国から来た指導実習生だ。座ってくれ」

 

 薄く笑みを湛えた女は訝るクレマンティーヌの真向かいのソファーに腰を降ろした。

 短いマントを羽織った軽装の鎧は、貴人の前に立っても問題なさそうだ。

 獣耳と尻尾を身に付け、実戦的な帯鎧(バンデッド・アーマー)で腹や太腿を晒しているクレマンティーヌとは対照的だった。

 形の良い眉、切れ長の目、通った鼻筋、小さな唇。

 それらもまたクレマンティーヌとは別の魅力に溢れている。

 

 向かいのソファーに座る女を胡乱げな表情で見つめるクレマンティーヌにアインザックは紹介した。

 

「帝国四騎士のひとり、レイナース・ロックブルズ君だ」

 

◇◆◇

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