疾風走破の鬼畜レッスン   作:gohwave

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第6話「疾風走破とリザードマンの村」

◇◆◇

 

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国の冒険者組合訓練所で地下の広場と迷宮を除けば、最も大きな施設は食堂だ。

 訓練所一階の床面積の半分を占めるそれは、冒険者見習いと組合職員の朝昼晩の食を賄っている。

 

 午前の訓練を終えた百人ほどの冒険者見習いたちは全員が食堂に(つど)う。

 訓練でどれだけ身体を酷使していても食事を抜くことはない。

 食事は心を癒し、身体を作る大切なものだと誰もが本能で知っている。

 それに何より訓練所食堂では金を払わなくても良いのだ。

 

 食堂の奥、厨房では何人もの女が忙しそうに走り回っている。

 いずれも魔導王の政策によってエ・ランテルで雇われた戦災寡婦たちだ。

 そんな彼女らが煮炊きを行い、巨大な鍋をかき回している。

 

 今日のメインディッシュはクリームを使った鶏肉のシチューだ。

 腹を空かせた見習いたちが行儀良く並び、木の椀に入ったシチュー、パン、チーズ、サラダを自分の木皿によそう。

 食事の配膳をしているのがスケルトンという点に目をつぶれば、なんとも平和な風景だ。

 飲み物はワインやエールではなく綺麗な水である。

 魔法の蛇口から、各々が備え付けのカップで飲む。

 冒険者見習いは食事を選ぶことはできず、出された物を食べるしかない。

 だが食堂で出される食事の質と量は、エ・ランテルにある大抵の宿屋に勝っており、見習いの口から不満が出ることはなかった。

 なお食堂では酒が出ないため、どうしても飲みたい見習いは、訓練終了後にエ・ランテルの酒場まで出かけているようだ。

 

 クレマンティーヌたち指導員もまた見習いたちと同じく食堂内で昼食を食べている。

 献立に多少の変更ができるのが指導員の特権だ。

 材料の有無と調理人の腕前によって制限はあるが、クレマンティーヌたちが文句をつけたことはない。

 

 クレマンティーヌは基本的に見習いと同じものを食べている。

 当初はあれやこれやと注文していたが、そのうち面倒臭くなった。

 今はその日の気分や体調に応じて焼いた肉や野菜、果物などを追加することでちょっとした贅沢を味わっている。

 

 レイナースも同じように、その日の献立にいくつかの惣菜を加えた物を摂っている。

 ただし彼女が追加する惣菜は野菜と果物が中心で、クレマンティーヌに比べると肉は少なめだ。

 

 クレマンティーヌは食事の作法を漆黒聖典時代に学んだ。

 神官長クラスの前でも無礼にならない程度の作法は身につけているつもりだ。

 そんなクレマンティーヌから見たレイナースの食事の作法は完璧に見えた。

 シチューをスプーンで口に運ぶ仕草やナイフを使ったパンの切り分け方にも、平民にはない優雅さを感じさせる。

 彼女が元貴族であることの証なのだろう。

 そうかといってクレマンティーヌが己の食事作法をより洗練させようとは思わない。

 ただ感心しているだけだ。

 

 クレマンティーヌとレイナースは見習いと同じ木のテーブルで食事をしていた。

 そんな彼女たちを、少し離れた場所で見習いたちが食事をしながら見ている。

 そんな二人の指導員に話しかけてくることはない。

 その理由は彼女たち二人の向かいで食事をする壁のような巨体にあった。

 

 リザードマン“竜牙(ドラゴン・タスク)”族のゼンベル・ググー。

 

 異形とも取れる大きく発達した右腕と全身を覆う傷が見習いたちを圧倒する。

 彼もまた冒険者見習いを教育する指導員として訓練所に来ていた。

 ゼンベルは素手での戦闘と“気”の使い方を、見習いたちに教えている。

 亜人種であることから、仮想敵となって見習いたちと模擬戦を行うこともあるらしい。

 

 そんなゼンベルの前に置いてあるのは大皿に乗せられた山盛りの煮魚だ。

 食堂の調理人たちがリザードマンであるゼンベルのために用意した料理である。

 密封した鍋で時間をかけて煮込み骨まで食べられるようにした魚が、塩と香辛料で味付けした煮汁に浸けられている。

 生魚と干し魚しか食べたことのないゼンベルが何度か試食して、ようやくこの料理に行き着いたらしい。

 出来上がるまでの話を聞いた限りでは、この魚料理はゼンベルのためというよりも調理人の意地だったのだろうとクレマンティーヌは睨んでいる。

 

 そんな意地の結晶である煮魚の横には、小さなオムライスが置いてある。

 小さいといってもゼンベルの巨体に比べてのことで、普通の人間にとっては二人前くらいの大きさだ。

 以前、クレマンティーヌとレイナースが食べていた物をつまみ食いしたゼンベルが気に入り、それ以来、食後のおやつとして注文するようになった。

 注文が可能な指導員だからこそ食べることのできる贅沢品だと言えるだろう。

 

 巨大な身体でオムライスを食べるゼンベルをクレマンティーヌは何度もからかったが、当の本人は気にする様子はなかった。

 

「これで酒が呑めりゃ()いんだがなあ……」

 

 最後の煮魚を噛み締めながらゼンベルがしんみりと呟いた。

 太い首にかかったメダルがキラキラと輝いている。

 

「……ここに文句があるんなら魔導王陛下に言ったらー?」

「も、文句じゃねえよ。ただの冗談だよ、冗談」

 

 クレマンティーヌの突っ込みに、巨大なリザードマンは慌てふためいた。

 それはそうだろう。

 脅しをかけたクレマンティーヌは思う。

 あのアンデッドには身体の大きさもリザードマンの硬い鱗の皮膚も関係ない。

 不興を買わないように平伏し、目に付かないように身を隠す。

 それが生き延びるための最良の手段だ。

 

「そんなに呑みたいんならエ・ランテルにでも行けばー? 指導が終わった後でさ」

「あ? ああ。エ・ランテルか。エ・ランテルね……。まあ、そのうち行くかもなぁ」

 

 曖昧に言葉を返すリザードマンを見て、クレマンティーヌはニヤニヤと笑う。

 見た目の豪放さに反してゼンベルが繊細なことを知っている。

 異人種を相手にすると小山のような巨体のリザードマンが人見知りをするのだ。

 その事実を知っているレイナースもまた、自らの右頬に触れながら静かに微笑んでいる。

 

「そんなことよりもよ……。お前ら、よくそんな量で足りるもんだなぁ?」

「身体の大きさが違うからねぇ。これでも私たちにはけっこうな量だよ?」

 

 話を逸らすゼンベルにクレマンティーヌは付き合うことにした。

 リザードマンをからかい続けても、特に楽しいことはない。

 

「そりゃそうかも知れないけどよ。葉っぱなんか食って腹の足しになるのかぁ?」

(わたくし)たちは肉、野菜、穀物をバランス良く食べて、強さと美しさを維持していますの」

 

 レイナースは流れるような仕草でサラダを口に運んだ。

 煮魚を食べつくしたゼンベルは、惣菜であるオムライスの()()に取り掛かる。

 

「強さと美しさねぇ……。面倒臭い生き物だなぁ人間ってのは」

「そこは“人間”じゃなくて“私”が強いの」

 

 クレマンティーヌが釘を刺した。

 ゼンベルは()()()()()を気にすることもなく、赤いソースのかかった卵料理を楽しそうに大きな口に運んでいる。

 

 クレマンティーヌは初めて訓練所を訪れたゼンベルと模擬戦を行い圧倒的な勝利を収めた。

 レイナースもまた彼の希望で模擬戦を行い、一進一退の攻防の末にゼンベルに辛勝する。

 以来、ゼンベルは二人を強者と認め、同じ指導員として親しく話すようになった。

 

「強いといえば、近いうちに訓練所(ここ)に漆黒の英雄が来られるのでしょう?」

「誰だ、そりゃ?」

 

 レイナースの話題にゼンベルが反応する。

 

「アダマンタイト級冒険者チーム“漆黒”のモモン様ですわ。なんでも魔導王陛下と互角に渡り合える唯一の戦士だと聞いています」

 

 帝国女騎士は自分の口から出た言葉を、あまり信じていない様子だった。

 だが話を聞いたゼンベルは明らかに驚いている。

 そしてクレマンティーヌは嫌な話題になったと思った。

 

「そんな奴がこの世に居るのか? 人間って種族はそこまで強くなれんのか?」

「聞くところによれば、リ・エスティーゼ王国に現れた大悪魔(ヤルダバオト)を一度追い払ったそうですわね」

本当(マジ)かよ? ヤルダバオトって陛下が一度負けた相手だろ? そりゃ凄えな」

 

 アインズ・ウール・ゴウンがローブル聖王国で魔皇ヤルダバオトに敗北したという話は、支配地であるエ・ランテルにとって衝撃的な情報だった。

 魔導王に支配されているリザードマンにも情報は伝わっているようだ。

 

「そんな凄え奴が何をしに訓練所(ここ)に来るんだ?」

「エ・ランテルの住民からの要望ですわ。なんでも、冒険者見習いに対して非道が行われてないかを調べに来ると聞きました」

 

 漆黒のモモンは人間の英雄として、アンデッドであるアインズ・ウール・ゴウンの行いを監視することを仕事としている。

 その一方でエ・ランテル住民の反魔導王的な動きを諌めてもいた。

 聖王国での魔導王敗北後、独立を求める声が上がったとき、モモンがエ・ランテルの住人に対して静観を促していたという。

 ほどなく魔導王は復活してヤルダバオトを討伐したので、モモンの判断によってエ・ランテルは救われたことになった。

 

 アインズ・ウール・ゴウンとモモンの関係を知っているクレマンティーヌとしてはそれらは茶番にしか見えず、聖王国を蹂躙したヤルダバオトでさえも魔導王の手駒のひとつではないかと疑っている。

 だが、魔導王とモモンという二つの存在によって、エ・ランテルの統治が平和裏に行われているのは事実だった。

 

(平和か……。平和って言って良いんだろうね……今は)

 

 現在の平和の先に待つ物がなんなのか、クレマンティーヌには予測がつかない。

 だがそれが彼女にとって――いや、人類にとって、とてつもなくおぞましい物になることは間違いない。

 

「要望ってのがよく分かんねえな。誰かに頼むんじゃなくてよ。気にする奴が見に来りゃいいじゃねえか」

「怖いのでしょう。弱者は強者に頼ることしかできません。(わたくし)も魔導王陛下から助けて頂くまで自分の問題を解決できませんでしたし」

 

 レイナースは自分の頬にそっと触れた。

 かつて彼女の美しい顔は呪いによって醜く(ただ)れていたらしい。

 それはバハルス帝国の大魔法詠唱者フールーダ・パラダインをもってしても解呪できない呪いであった。

 魔導王の魔法によって治癒してもらったとクレマンティーヌは聞いている。

 その恩に報いるべくレイナースは帝国を離れ、冒険者訓練所(ここ)で指導員をしているのだ。

 

(どこまでが本当なんだか……)

 

 クレマンティーヌがどれだけ目を凝らしても女騎士の顔に呪いの痕跡は見当たらない。

 同僚でもあり表向きは親しくなったレイナースであるが、クレマンティーヌは彼女が帝国の工作員である可能性はまだ残っていると考えている。

 そんなレイナースだが、彼女の言葉の端々には、常に魔導王への敬意と崇拝が含まれていた。

 魔導王とモモンが同格の強さを持っているという話を疑っているあたりにも、それが見て取れる。

 

「そんだけ強い奴なら一度戦ってみてぇな。いつ来るんだ? そのモモンってのは」

「さあ? (わたくし)もそこまでは……。なんでもクレマンティーヌ様がモモン様とお会いになってから、訓練所に来ることが決まったと聞いておりますけど?」

 

 女騎士とリザードマンの視線がクレマンティーヌに向けられた。

 モモンの話題を振ってきたレイナースに軽い怒りと焦りを感じる。

 

「あ……あぁ、うん。そーなんだけど、予定はまだ決まってないと思うよー」

 

 クレマンティーヌは狼狽を悟られないよう果物を口に放り込んだ。

 

「組長が色々調整してるみたいでね。なんか決まれば指導員(うちら)に通達があるんじゃないかな? モモンさ――んの件は」

 

 詳しい話を聞いた訳ではないが、アインザック組合長が何やら催事(もよおしごと)を企てているのは知っている。

 その予定にモモンの来訪を合わせるのではないかと、クレマンティーヌは考えていた。

 

「……折角、英雄がお見えになるのですから、冒険者組合が利用しない手はありませんわね」

 

 レイナースは納得の表情を浮かべる。

 事情が飲み込めていないゼンベルに説明している女騎士を見て、モモンの話題が終わったことにクレマンティーヌは安心する。

 

 クレマンティーヌの本音としては、モモンに訓練所には来て欲しくない。

 出来ることなら二度と会いたくないが、来ることが決まっている以上どうすることもできない。

 

 モモンについてクレマンティーヌにはもうひとつ気がかりなことを抱えていた。

 先日の面会の直後、黄金の輝き亭のクレマンティーヌの部屋にモモンから花束が贈られてきたのだ。

 

 魔導王名義ではなかったので、()()モモンなのだろう。

 

 花を贈ってきたのがただの男であればクレマンティーヌも悩むことはない。

 秘匿すべき秘密を抱えた者が、その秘密を知る者に花を贈る。

 そこに込められた意味が色欲の(たぐい)ではないことは明白だ。

 

「――そういえばクレマンティーヌ様が連れてこられた娘が居たでしょう?」

 

 モモンの話題が終わり油断していたクレマンティーヌは酷く焦る。

 なんとか表情に出さなかったことは幸いだった。

 

「あー。ひょっとしたら使えるかなーと思ったんだけど……。なんかやらかした?」

 

 連れてきた人間が問題を起こせば、それは自分の責任になる。

 魔導国で責任を取る方法と言われ思いつく()()はひとつしかない。

 

「そんなことはありませんわ。とても熱心に私の話を聞いてくれます」

「……そりゃ良かった」

 

 それとなくクレマンティーヌは食堂を見渡し、周囲を圧倒する勢いでパンとシチューを口に放り込んでいるスリ娘の姿を確認した。

 

「訓練のときにも、二言目にはクレマンティーヌ先生のためって言ってますわ」

「あぁ、あの小さいのか? ……あれってメスだよな? いっつも無理して突っかかってくるから俺も覚えちまったぜ」

 

 大雑把そうなゼンベルが覚えているとなれば余程目立っているのか。

 ただ、それが悪い方向ではないと知って、クレマンティーヌはほっと胸を撫で下ろす。

 

 金袋をスられてムカついたもののデス・ナイトが警備をしている手前、痛めつけて殺すことが出来なかった娘だ。

 とりあえず訓練所に放り込んで、そのうち痛めつけてやろうと考えていたが興味を失っていた。

 

「面識があった訳ではないのでしょう?」

「そだねー。エ・ランテルをぶらぶらしてるときに見かけただけだよ」

 

 レイナースの問いかけにクレマンティーヌは雑に相槌を打つ。

 もはやあの娘に興味はない。

 

「なるほど。優秀な人材を見つけ出すのも指導員(われわれ)の仕事ですか……」

「あん?」

 

 レイナースは何かを察したようにひとり呟いた。

 

「常にそういう心がけでないと魔導王陛下の信頼は得られないのですね」

 

 自らの頬に触れながら女騎士は遠い目をする。

 ゼンベルも納得するようにうんうんと頷いていた。

 

(……なんだ、この空気?)

 

 居心地の悪さを感じたクレマンティーヌは、別の話題を振ることにする。

 

「ゼンベルちゃん今日は()()()だよねー? なんか用事あんの?」

 

 冒険者訓練所では昼食後にも訓練か座学の時間が組まれていた。

 いつの間にか指導員をまとめる立場になっているクレマンティーヌには、予定に関する情報が集まるようになっている。

 

「村で儀式があるんでよ。戻って手伝いをしなくちゃならねえ」

 

 ゼンベル達が住むリザードマンの村はエ・ランテルの北にある。

 魔導王の側近であるコキュートスによって安全かつ平和に統治されていると聞いた。

 まだズーラーノーンの一員だった頃に、ナザリック地下大墳墓で見た白藍色の巨体をクレマンティーヌは思い出す。

 

「なんの儀式なのですか?」

「よく知らねえ。俺は竜牙(ドラゴン・タスク)族を仕切ってるからな。それで呼ばれたんだろうよ」

 

 質問が無駄に終わったことにレイナースは鼻白む。

 ゼンベルは気にすることなくオムライスに舌鼓を打っていた。

 

「ゼンベルちゃんの村ってさー。今、どんな感じ?」

 

 魔導王はエ・ランテル以外でどんな支配を行っているのだろうか。

 人間の村ではないが何か逃亡の参考になるかも知れないと、クレマンティーヌは考えた。

 

「魔導王陛下とコキュートス様のお力で信じられないくらい立派になったぜ。まだまだエ・ランテルやドワーフの街には負けてるけどな」

 

 支配されている筈のゼンベルの機嫌は良さそうだ。

 その理由がリザードマンの村が繁栄しているからなのか、オムライスが美味いからなのかは分からない。

 

 魔導王の持つ強大な力がリザードマンの支配にうまく合致しているのか。

 あるいは魔導王の側近であるコキュートスが、不満の出ない善政を敷いているのか。

 どちらにせよ不満が出ていないということは、家畜や虜囚のような狭い場所に押し込められた生活をしているのではないだろう。

 

「ゼンベルちゃんはどんな(うち)に住んでんの?」

「普通の家だぜ。人間にはちょっとデカイかもな」

「リザードマンの普通って言われても、私たちには判りませんわ」

 

 少しきつい言葉でレイナースが突っ込む。

 (さっき)の質問が雑に流されたことを根に持っているのだろう。

 だが“リザードマンの普通”が判らないことについてはクレマンティーヌも同じ気持ちだった。

 

「泥と木の枝で作った奴だぜ。俺たちのは昔っからの家だよ、ただ――」

「ただ?」

「魔導王陛下の聖殿は石造りだし、新しい家は木の柱を組んで作ったのが多いな」

 

 エ・ランテルと同様、魔導王はリザードマンの村にも新しい文化を持ち込んでいるのか。

 

「柱を組んだ家の方が住み心地が良くてなあ。昔ながらの家に住んでる俺が馬鹿みたいに見えてくるぜ」

「伝統を守るのも大変ですわね」

 

 しみじみと愚痴るゼンベルをレイナースが気遣う。が――、

 

「俺は伝統なんか気にしちゃいねえよ。建てたときのタイミングだよ、タイミング」

 

 レイナースが眉を(ひそ)めたが、とりあえずクレマンティーヌは無視する。

 

「ちょっと待てば快適な(うち)に住めたのに、急いで損をしたってこと?」

「そういうこと。大体なんで、そんなことを俺に聞くんだ?」

「んー。レイナースにも聞いたんだけどさ。今度、エ・ランテルに家を買うことになりそうでね。色んな意見を聞いとこうと思って」

 

 ゼンベルがその巨大な口を半開きにした。

 おそらくこれはリザードマンの呆けた顔なのだろう。

 

「買う? 家なんて自分たちで作るもんじゃねえのか?」

「そーゆーのは専門家に任せんの、人間(うちら)は」

 

 職業の多様性や専門性を要求するほど、リザードマンの文化は成熟していないらしい。

 

「……なるほどなぁ。それが人間の強さの秘密か」

 

 ゼンベルは本気とも冗談ともつかない言葉を呟きながら納得している。

 突っ込むのも面倒なのでクレマンティーヌはこれも無視をした。

 

「俺たちの家のことが知りたいんだったら、暇なときに村に来いや。そんときに俺の家と他の家も見せてやるよ」

「そりゃどーも」

 

 クレマンティーヌは雑に応対する。

 今の彼女の立場でエ・ランテルの外に出ることが許されるとは思えない。

 リザードマンの村に行くことなど当分ないだろう。

 

「俺は寝るとこがありゃいいからなぁ。食い物だって魔導王陛下のお陰で不自由はなくなった。あとは好きなときに酒が飲めりゃ申し分ねえな」

「酒ねぇ……」

「そういや人間の酒はまだ飲んだことねえな。来るときは酒を頼むぜ」

「あーはいはい」

 

 クレマンティーヌはぞんざいに手を振った。

 剣呑な目でゼンベルを見ているレイナースが視界に入る。

 

「レイナースは帝都にも家を持ってんだっけ? 場所はどの辺?」

「ジルクニフ皇帝陛下にいただいた屋敷は皇城の近くですわ」

「へー。そりゃ凄い。金がかかってんのね」

「ええ。皇帝陛下から賜った恩義は計り知れません。勿論、魔導王陛下にも」

 

 レイナースは右頬に触れながら薄笑いを浮かべた。

 

「人間の街で家を買うってどのくらいするんだ? (かね)がいっぱいいるのか?」

 

 ゼンベルが口元についた赤いソースを腕で拭いながら聞いてきた。

 

「まーねー。エ・ランテルの安い家だと50金貨から100金貨くらいかな?」

「帝都だとその10倍はしますわね」

「なるほどなぁ」

 

 レイナースの補足説明にゼンベルは何度も頷いてみせた。

 だがそういう仕草をしているだけで、価値を全く理解していないことがクレマンティーヌには分かる。

 貨幣経済もリザードマンの文化にはまだ根付いていないのだろう。

 面倒臭いのでこれも詳しい説明はしない。

 

「陛下に頼めば家くらい作ってくれるんじゃねえか?」

 

 クレマンティーヌは言葉に詰まった。

 それだけは避けなければならない事態だ。

 

 魔導王との今までのやり取りを考慮すれば、家のひとつやふたつ用意してくれそうな気もする。

 だがアンデッドの魔法詠唱者(マジック・キャスター)が用意する人間の家がどんなものになるだろう。

 

 まず、全ての部屋に監視魔法が施されることはまず間違いない。

 そこに住む人間(クレマンティーヌ)は、常にアインズ・ウール・ゴウンの視線に怯えることになる。

 仮に監視魔法がかけられなかったとしても死と殺戮を好むアンデッドだ。

 どんなびっくりどっきり屋敷になるのか知れたものではない。

 

「……な、なんでもかんでも、おんぶに抱っこじゃ陛下に申し訳ないからねー」

 

 そう言いながらも慌てて言い訳を考えるクレマンティーヌ。

 逃亡を企てていることは誰にも悟られる訳にはいかない。

 

「それにほら。その……金を使えば魔導国のためにもなるし……」

 

 クレマンティーヌは心にも無いことを口にする。

 

「まだまだエ・ランテルも栄えるだろうからさ。そのためには金を使って人に働いてもらわないと」

 

 急いで言い訳を重ねるクレマンティーヌに、女騎士とリザードマンが驚いた顔を見せた。

 自分の言い訳に無理があったのだろうか。

 しかし口に出してしまった言葉は、もはや取り消すことはできない。

 

 レイナースが重い溜息を吐いた。

 

「……感服いたしましたわ」

「え?」

(わたくし)訓練所(ここ)で見習いたちを鍛えることだけが、魔導王陛下に認められる手段だと思っておりました。でも――」

 

 レイナースは自分の頬に触れながら、今度は自嘲の笑みを浮かべた。

 

「それは(わたくし)の勝手な思い違いだったのですね。自らの足で優秀な人材を探し出し、魔導国の繁栄のために財産も投じる……。忠義とはクレマンティーヌ様のようにあらゆる行動で示すことができるのですわね」

「陛下が目をかけるには、それだけの理由があるんだなあ」

 

 レイナースが敬意に満ちた瞳をクレマンティーヌに向けた。

 ゼンベルも――人間には判別がつかないが――おそらくリザードマン的に尊敬の眼差しで見ているのだろう。

 

「……あ、う、うん。そういう考え方もある……かな?」

 

 クレマンティーヌは苦笑いを浮かべる。

 二人の真意は判らないが、魔導王を裏切りそうだと思われるよりはマシだ。

 

「流石の私でもさー。武力じゃ陛下のお力になれないしね。別のかたちで役に立ってみせるしかないんじゃないかな?」

 

 からかうような口調でクレマンティーヌは言った。

 どこかで聞いたような言葉だが、誰から聞いたのかは覚えていない。

 

 女騎士とリザードマンはクレマンティーヌの言葉を静かに噛み締めている。

 

「……(ちげ)ぇねえ」

「その言葉、深く胸に留めておきますわ」

 

 二人の漏らした殊勝な言葉がクレマンティーヌを困惑させた。

 いつの間にか自分が魔導王の忠臣になっていて、レイナースとゼンベルに忠義のあり方を示している。

 

(……この私がアンデッドの忠臣だなんて、どんな冗談だ?)

 

 明らかな誤解ではあるが安心を得るためには必要かつ有利な誤解だ。

 これから先、魔導王の忠臣にして冒険者指導員の取りまとめ役を、上手く演じてみせようとクレマンティーヌは決意する。

 

「それで……午後はモックナックとベロテが訓練をやるんだよね?」

 

 デザートの果実を食べ終え、指についた果汁を舐めながらクレマンティーヌはゼンベルに尋ねた。

 

「おう。話は通してあるぜ」

「うん、聞いてる。確認しただけだよー」

 

 元ミスリル級冒険者チーム「虹」のモックナックと、同じく「天狼」のベロテは、現在魔導国の冒険者見習いをしている。

 だが冒険者としての彼らの経験を組合長アインザックは重要視した。

 アインザックは二人に準指導員としての立場を与え、クレマンティーヌたち正指導員の手が足りないときは、他の見習いたちへの指導を任せているのだ。

 

「よっしゃ。食うもん食ったし、そろそろ俺は引き上げるぜ」

 

 オムライスを食べ終わったゼンベルが立ち上がった。

 クレマンティーヌとレイナースも立ち上がる。

 

 食器を配膳担当のスケルトンに渡して三人は食堂を出た。

 

 クレマンティーヌとレイナースは指導員室へ、ゼンベルは出口へと向かう。

 一度、エ・ランテルの冒険者組合に行くらしい。

 

「よくわかんない儀式、がんばってねー」

 

 ゼンベルの背中に向かってクレマンティーヌは声をかける。

 リザードマンの儀式など他人事であり、族長の苦労など知ったことではない。

 

 クレマンティーヌの無責任な応援を、ゼンベルは巨大な右腕を上げて受け止めた。

 

◇◆◇

 

 薄暗い小屋の中、リザードマンがひとり静かに部屋の中央に座っていた。

 

 日はまだ高いが小屋の中は酷く薄暗い。

 部屋の中に灯りはなく窓の数も少ないからだ。

 壁には数多くの呪言が白い染料で描かれており、入口の真向かいには小さな祭壇が設けられている。

 

 そこはリザードマンの森祭司(ドルイド)が使う祭事小屋だ。

 

 リザードマンの名は“朱の瞳《レッド・アイ》”族の森祭司(ドルイド)、ムハンビ・ビービといった。

 

 彼はリザードマン特有の闇視能力に長けた目を閉じ、祭事小屋の中でその時を待っている。

 その身は既に湖で清められており、朝から何も口にしていない。

 

 これらはリザードマンの物を外界へ持ち出さないための伝統である。

 夜には最後の手順が執り行われることになるだろう。

 それらの全てが終われば、ムハンビは晴れて“旅人”になるのだ。

 

 

 現在、五部族からなるリザードマンは、かつてアインズ・ウール・ゴウン配下の軍勢と戦った。

 強大な力を持つ魔法詠唱者(マジック・キャスター)に対して、全ての部族のリザードマンは勇気を持って立ち向かった。

 歴史に残る凄惨な戦争はアインズ・ウール・ゴウンの軍勢の勝利で幕を閉じた。

 だが死の支配者はリザードマンの勇気ある戦い振りを称えた。

 アインズ・ウール・ゴウンは彼らに食料と知恵を与え、リザードマンの繁栄を約束した。

 

 ムハンビは戦争に参加したものの、()()()()()に赴くことはできなかった。

 それは彼が戦士ではなく森祭司(ドルイド)であったからだ。

 ムハンビの部族“朱の瞳《レッド・アイ》”族の族長代理であるクルシュ・ルールーもまた最後の戦いには行かなかった。

 残る四部族の族長は全て最後の戦いに赴き、アインズ・ウール・ゴウンの側近であるコキュートスによって殺されたと聞く。

 

 クルシュが残されたのは生き残ったリザードマンを率いるために仕方がないことだ。

 だが理性では分かっていても感情で許せない部分は出てくる。

 族長を失った部族とそうでない部族の間にわだかまりが残った。

 死んだ族長がアインズ・ウール・ゴウンの力で蘇っても、それが消えることはない。

 “朱の瞳《レッド・アイ》”族のムハンビ・ビービもまた、()()()()()を抱えたひとりだった。

 

 五部族をまとめ上げ、最後の戦いに赴き、死んでのちに蘇った“緑爪《グリーン・クロー》”族のザリュース・シャシャはかつて“旅人”だった。

 英雄ザリュースと戦い、その後の大戦争と最後の戦いで大活躍をした“竜牙《ドラゴン・タスク》”族のゼンベル・ググーも元“旅人”だ。

 

 “緑爪《グリーン・クロー》”族と“竜牙《ドラゴン・タスク》”族は、二人を誇りに思っている。

 そんな眩しいほどの誇りを持てない他の部族――特に“朱の瞳《レッド・アイ》”族は何をすれば良いのだろう。

 

 ムハンビが出した答えは、自分が“旅人”となることだった。

 

 “旅人”となって世界を見聞し、優れた知識を持ち帰る。

 その知識によってリザードマンに大いなる益をもたらし、“朱の瞳《レッド・アイ》”族が有用であることを知らしめるのだ。

 

 今まで森祭司(ドルイド)のリザードマンが“旅人”になったことはない。

 森祭司(ドルイド)は祭事と治癒を司る存在であり、部族が生き延びる上で重要な存在だからだ。

 そして今、リザードマンはアインズ・ウール・ゴウン魔導国の庇護下にいる。

 ムハンビが“旅人”になるためには魔導国の、アインズ・ウール・ゴウン魔導王の許可を得なければならなかった。

 

 まずムハンビは願いを祭司頭に伝えた。

 祭司頭の老人はムハンビの言葉に賛同しなかった。

 “旅人”になるより森祭司(ドルイド)としての力を高めることこそがリザードマンのためになると諭された。

 

 次にムハンビは元“旅人”であり“竜牙《ドラゴン・タスク》”族の族長であるゼンベル・ググーに話をした。

 “旅人”になりたいというムハンビの言葉にゼンベルは同意してくれた。

 外の世界には美味い酒があること、“おむらいす”という美味い食べ物があることを教えてくれた。

 だが、ゼンベルの話はそこで終わってしまった。

 “竜牙《ドラゴン・タスク》”族の族長は“旅人”になるということを、あまり深く考えていないのかも知れない。

 “旅人”になるための具体的な話をムハンビは聞けなかった。

 

 最後にムハンビが話をしたのは、リザードマン全部族の中心人物である英雄ザリュース・シャシャだ。

 ザリュースはムハンビの顔を見つめ、個人的な意見だと前置きをして“旅人”になることには反対した。

 リザードマンの村において、祭事や治癒を行える森祭司(ドルイド)はたとえ一人であっても重要だからだ。

 それでもザリュースはムハンビの意思を尊重したいと言った。

 リザードマンの統治者でありアインズ・ウール・ゴウンの側近であるコキュートスに、ムハンビの願いを伝えると約束してくれた。

 

 ムハンビは自らの部族の族長代理であるクルシュ・ルールーに話をしなかった。

 それは彼女が“わだかまり”の直接の原因だったからだ。

 そしてムハンビの心の奥底に、アルビノであるクルシュに対する不信と嫌悪がこびりついていたのかも知れない。

 

 

 やがてクルシュを通じてアインズ・ウール・ゴウン魔導王からムハンビは呼び出しを受けた。

 彼は恐怖に怯えながらクルシュと共に聖殿で魔導王と謁見した。

 

 そのときのことを思い出すと、今でもムハンビは恐怖に打ち震える。

 

 黒装束のモンスター数体を引き連れた死の支配者の前にムハンビはただ平伏した。

 

「――頭を上げよ」

 

 魔導王の言葉にムハンビはゆっくりと頭をもたげる。

 恐怖の権化が二人のリザードマンを見下ろしていた。

 

「お前が“旅人”となって、外の世界を見たいと願った(リザードマン)だな。その考えは今も変わりないか?」

「は、はいっ!」

 

 ムハンビは恐怖に震えながら深々と頭を下げた。

 

「この村は安全でかつ快適だ。敵に襲われることも食料に困ることもない。なにせこの私が保証をしているのだからな」

「魔導王陛下の仰る通りでございます」

 

 白い身体を持つ族長代理が返事をする。

 その声は震えているようだった。

 

「……ふむ。では、安全な地を離れようとするお前の真意はなんだ? 私やコキュートスの支配に不満があるのか?」

「そ、そんなことはありません!」

 

 ムハンビは否定した。

 

「先の戦いで俺は力を尽くしました。ですが今の村において、俺の力が役に立っているとは思えません。それが悔しいのです」

 

 魔導王が僅かに首を傾げたように見えた。

 

「……それはどうなのだ? クルシュ・ルールーよ」

「ムハンビ・ビービは若くて才能のある森祭司(ドルイド)です。村の祭事をよくし、怪我や病気を癒してくれる貴重な人材です。充分に村の力になっていると存じます」

 

 クルシュの言葉がムハンビの胸に染みる。

 だがそれは今の彼が欲しい言葉ではなかった。

 

「どうだ? クルシュのお前への評価は高いぞ。む……ムハンビ・ビービよ?」

 

「く……族長代理の言葉は嬉しいです。でも、俺は今よりもっと大きな働きがしたいです。それにはもっと多くの経験が必要です」

「それが“旅人”になることだと?」

「はい。リザードマンの英雄であるザリュース・シャシャのように」

「……そうか。そうだな。あのザリュースはかつて“旅人”であったな」

 

 ムハンビと身体の大きさが変わらない緑爪(グリーン・クロー)族のザリュースは、彼よりひと回り巨大な竜牙(ドラゴン・タスク)族のゼンベルと勝負して勝利した。

 勝利の理由は“旅人”として培った見識にあるとムハンビは確信している。

 

 幾度か小さく頷いた魔導王は、もう一度ムハンビに尋ねた。

 

「では“旅人”になったとして、お前はどこへ向かうつもりだ?」

 

 ムハンビは“旅人”になることは考えていたが、どこに行くかまでは考えてなかった。

 リザードマンの仇敵であったトードマンも、コキュートスの討伐によって既に魔導王の支配下にあった。

 湖の周辺を旅したとして村に有益な情報を持って帰ることはできそうにはない。

 

 魔導王が言葉を続けた。

 

「この村に恵みをもたらす湖は全てアインズ・ウール・ゴウンのものだ。そのギルドサインを首に下げている限り、お前が敵に害されることはないと断言できる。しかし、それでは新たな知識を得ることは叶うまい。どこを旅するのだ?」

「み、未知の……場所を……俺たちリザードマンが行ったことのない場所に……行きたい、と……」

 

 ムハンビは苦し紛れの言葉を捻り出した。

 

 リザードマンたちが知らないだけで、魔導王の支配地などはいくらでもあるのだろう。

 もしかすると支配地の外に出ることさえ困難ではないのか。

 “旅人”になりたいという自らの願いが遠のいていくようにムハンビは感じた。

 

「ほう。未知の場所、か……」

 

 何故か魔導王が考え込んだ。

 アンデッドの王が気にすることがどこかにあったのだろうか。

 

「なかなか魅力的な話ではある。だが、私としては無理な遠出を許して、貴重なリザードマンの森祭司(ドルイド)を失いたくはない」

 

 死の支配者がリザードマンを大切に思っていることはムハンビにも分かった。

 だがそれは彼個人の願いに反する思いやりだ。

 魔導王は言葉を続ける。

 

「聞けば、お前たちリザードマンは乾燥地帯では生きられないというではないか。さらには極端な温度変化にも弱いともな。そのような身体で、どれだけ未知の場所を探し回れると言うのだ?」

 

 ムハンビは言葉を呑んだ。

 一介のリザードマンでしかないムハンビに、そんな環境対策ができる訳がない。

 たとえ森祭司(ドルイド)であっても、治癒魔法を唱え続けたら魔力が尽きる。

 その先には死、あるのみだ。

 

 助けは意外なところからやってきた。

 

「魔導王陛下の仰る通り、我らリザードマンは乾燥に弱く乾いた土地では生きて行けません。ですが我が部族“朱の瞳”に伝わる秘宝を用いれば、この村にいるときと同じように生活することができます。それをムハンビに渡しましょう」

 

 ムハンビは驚きの目で自らの部族の族長代理を見た。

 白きクルシュの冷徹な表情に変化はない。

 

「勿論、秘宝は環境から身体を保護するだけで、命を保障するものではありません。それでも我が一族のオス、ムハンビ・ビービならば“旅人”の務めを立派に果たし、陛下の益となる何かを見出してくれると私は存じます」

 

 ムハンビ・ビービは自らの部族の族長代理を蔑ろにしていた。

 アルビノであること、族長代理として祭り上げられたこと、他の部族のオスに擦り寄ったこと。

 先の戦争で生き残ったことも軽蔑していた理由のひとつだ。

 だがそんな不信感が、今、彼の胸の中で消えていくのを感じる。

 ムハンビはクルシュ・ルールーを族長と認め、これまでの自分の態度を恥じた。

 

「ふむ。なるほど興味深い話だ。だが、それらの願いと対策を聞いた上での私の判断は、お前――ムハンビを未知の場所に送り出すことは許可できない」

 

 魔導王の言葉は残酷だった。

 それでも白い身体を持った族長代理の言葉が、ムハンビの心を癒してくれた。

 心の奥底にこびりついていたわだかまりが、消えていくのをムハンビは感じる。

 

 魔導王が言葉を続けた。

 

「だがリザードマンの……若者が、外界へ興味を抱いたということを私は重視している。そこでだ――」

 

 アンデッドの王がその身を前に傾け、ムハンビに語りかけた。

 

「リザードマンの森祭司(ドルイド)ムハンビ・ビービよ。お前は冒険者になるつもりはあるか?」

 

 

 そして今、ムハンビは“旅人”となって外界に出るため、祭事小屋で空腹と戦いながらその時間(とき)が来るのを待っている。

 

 “旅人”になって最初に何をするのかムハンビは決意していた。

 元“旅人”であるゼンベル・ググーに教えてもらった外の世界の美味。

 

 “おむらいす”を食べるのだ。

 

◇◆◇

 

 訓練所での指導を終え冒険者組合に顔を出したクレマンティーヌは、リザードマンの村に行くようアインザックに指示された。

 急な話に憤慨しながらも渋々と承諾し、身支度を整えるために黄金の輝き亭へと戻った。

 

 部屋に戻るとすぐに服を脱ぎ捨て浴室に入ると、仕事で付いた汗や埃を流す。

 新しい下着に着替えて、いつもの帯鎧を身に付け、レイピアを下げてから部屋を出る。

 あとは冒険者組合に向かうだけだ。

 ふとクレマンティーヌが化粧台を見る。

 ほとんど使っていない化粧台の上に花瓶に生けられた豪華な花束があった。

 

「……ふん」

 

 クレマンティーヌは顔を顰めて部屋を出る。

 1階に降りるとラウンジに併設している酒場が目に入った。

 黄金の輝き亭の酒場は常に営業しており、クレマンティーヌもたまに利用することがある。

 

(そーいやゼンベルが酒を欲しがっていたなー)

 

 リザードマンの村に行くのであれば、おそらくゼンベル・ググーと会うことになるだろう。

 土産のひとつでも持っていけば、これから先の指示や命令が円滑に行われることは間違いないのだが――。

 

(はっ、馬鹿馬鹿しい)

 

 立場が近いからといって馴れ合う理由はクレマンティーヌにない。

 どれだけ親しくなろうとも、いずれはこの魔導国を逃げ出すのだ。

 それに武力ではクレマンティーヌはゼンベルに勝っている。

 自分よりも弱いリザードマンにわざわざおもねる理由はどこにもなかった。

 

 まるで一般人のような処世術を思いつく自分に嫌悪感を抱きながら、そのまま黄金の輝き亭を出ようとする。

 そんなクレマンティーヌの脳裏にひとつの考えが浮かんできた。

 

 土産を持っていかない

  ↓

 ゼンベルが不満に思う

  ↓

 ゼンベルの不満がコキュートスを通じて魔導王の耳に入る

  ↓

 クレマンティーヌは同僚と親しむ気がない

  ↓

 冒険者訓練所が上手く機能しない

  ↓

 クレマンティーヌは不要

  ↓

 そういえばコキュートスが武器の斬れ味を試したいと言っていた

  ↓

 御試し斬り

  ↓

 処刑

 

 数多くのリザードマンに囲まれ、巨大な太刀を持ったコキュートスから(なます)斬りにされる自分の姿を幻視する。

 クレマンティーヌは急いでラウンジにある酒場へと向かった。

 

 

 冒険者組合に戻ったクレマンティーヌは、受付嬢への挨拶もそこそこに組合長の部屋へと向かった。

 そのままノックもせずにドアを開ける。

 

「はーい、組長ー。戻ったよー……ひぃっ」

 

 ソファーに座っているアインズ・ウール・ゴウンに出くわしたクレマンティーヌは小さな悲鳴を上げた。

 慌ててその場に膝を突き、臣下の礼を取る。

 今日の魔導王は黒装束のイジャニーヤ風のモンスターを引き連れていた。

 

「こ、これは……魔導王陛下が居られるとは露知らず……た、た、大変失礼をいたしました!」

「……よい。お前の全てを許そう」

 

 平伏して詫びるクレマンティーヌにアンデッドの王は尊大に応じる。

 

「そんなところでは話もできん。こちらに座るがいい」

 

 促されるままクレマンティーヌは魔導王の向かいに座った。

 隣に座るアインザックと同様に膝を揃え、背筋はぴんと伸ばしたままだ。

 周囲を守る黒装束のモンスターたちは、まるで精緻な彫刻のようにぴくりとも動かない。

 

 ひとりソファーにもたれ、くつろいだ様子の魔導王が口を開いた。

 

「あー、そのー、なんだ。ぱ……モモンとは話をしたか?」

「はい! モモン様の屋敷に招かれまして……」

 

 クレマンティーヌは自らが犯した失態に気が付いた。

 

「ま、魔導王陛下の御城の敷地に入ったにも関わらず、陛下にご挨拶を行わず申し訳ありませんでしたっ!」

「……よい。謝罪には及ばん。それでどうだ? モモンとは……あー、過去に囚われず上手くやって行けそうか?」

「は、はい! モモン様は強さだけでなく、深い見識と慈悲の心を併せ持った方だと理解いたしました。正に英雄と呼ぶに相応しい人物かと」

 

 モモンを賞賛する言葉を聞いて、満足そうに頷くアインザックが煩わしい。

 魔導王も小さく頷いた。

 

「ふむ。少々褒めすぎにも思えるが……。とにかく、お前たちが争わないということであれば私としては不満はない。無駄な(いさか)いで失うには、どちらも惜しい人材だからな」

 

 魔導王の言葉にクレマンティーヌは深く頭を下げた。

 そして伝えなければならないことを思い出す。

 

「それと……モモン様は、お会いした後で私の宿に素晴らしい……花をお贈りくださいました」

 

 アインザックが驚いた様子でクレマンティーヌを見る。

 そんな視線も煩わしい。

 

「……なんというか、その花は……とても美しく……モモン様の高潔な精神を現しているかのようでした」

 

 なにが高潔だ、と思いながらもクレマンティーヌは歯の浮くような世辞の言葉を並べた。

 

 今のモモンはアインズ・ウール・ゴウン本人ではないのだろうが、()()()の存在であることは間違いない。

 その行為にどんな意味が含まれているにせよ、美辞麗句をもって称えることこそが命を永らえる手段であるとクレマンティーヌは理解していた。

 

「何? 花だと? そうか。モモンが花を贈ったか……」

 

 魔導王はまるで初めて聞いたような反応を見せる。

 白い髑髏の顎に手を当て、魔導王は考え込む振りをした。

 その沈黙がクレマンティーヌを恐怖に陥れる。

 

 花のことを口にしてはいけなかったのだろうか。

 それともあの花には何か別の意図があったのか。

 正しい行動が思いつかないクレマンティーヌは、恐怖のあまり意識を失いそうになる。

 

 助けは(アインザック)からやってきた。

 

「あの……陛下? これからリザードマンの村へと行くと聞いておりましたが、お時間の方は大丈夫ですか?」

 

 顔を上げた魔導王がぽんと手を打つ。

 

「おお。そうだった、そうだった。リザードマンの村に行くのであったな」

 

 先ほどまでの緊張感が薄れクレマンティーヌは脱力した。

 それと同時に、このアンデッドと共にリザードマンの村に行くことを改めて知らされ心の中で嘆息する。

 勿論、表情には一切出していない。

 魔導王はクレマンティーヌを見た。

 

「お前も一緒にリザードマンの村に来てもらう……良いな?」

 

 勿論、お断りだ。

 

 そう返事できたら、どれだけ幸せだろうか。

 

「謹んで陛下のお供をさせていただきます」

 

 深く頭を下げてクレマンティーヌは承諾した。

 

「なに、夜までには戻れるはずだ。今回の一件にはお前の力が必要なのでな」

 

 リザードマンの村に自分を連れて行く理由が、クレマンティーヌには分からない。

 もしかすると行き先がリザードマンの村というのは真っ赤な嘘(ブラフ)で、元ズーラーノーンを処刑する場が整っただけかも知れない。

 

 クレマンティーヌはぶるりと恐怖に震える。

 魔導王の言葉が続いた。

 

「……よく考えたら時間外勤務になるな。組合の方から残業手当を出すよう手配しよう。アインザック、良いな?」

「はっ」

 

 アインザックが軽快に返事をした。

 “ザンギョウテアテ”というのはよく分からないが、とりあえずクレマンティーヌも平伏する。

 理解できないことは頭を下げてやり過ごすしかない。

 

「ところでクレマンティーヌよ。それはなんだ?」

 

 魔導王が指し示したのはクレマンティーヌが持ってきた荷物だ。

 

「は、はいっ! これは……同じ指導員であるゼンベル・ググーが所望していた酒でございます。リザードマンの村に行くと聞いて……よ、用意いたしました」

 

 クレマンティーヌの説明を聞いたアンデッドの王は二度三度と頷いた。

 どんな酒でも飲むクレマンティーヌには銘柄の良し悪しは判らない。

 とりあえず瓶の大きな酒を3本、酒場のウェイターに持ってこさせただけだ。 

 代金は冒険者組合が支払う宿代に含まれるので、クレマンティーヌの懐は全く痛んでいない。

 

「なるほど。手土産というわけだな。種族や立場が違えば色々とやりにくいこともあるだろう。帝国から招いた……指導員もいるしな。今後とも上手くやってくれ」

「お気遣いのお言葉、ありがたく存じます」

「では、そろそろリザードマンの村へ向かうとしよう。儀式は進めておくようコキュートスに伝えてあるが、せめて終わる前には顔を出したいからな」

 

 魔導王が立ち上がり、それからクレマンティーヌとアインザックが続く。

 それまで身動きひとつしなかった黒装束のモンスターもまたじわりと動き出した。

 

◇◆◇

 

 半球状の黒い空間を通り抜けて到着した先は石造りの部屋だ。

 リザードマンが作ったものとは思えない壁の作りを見たクレマンティーヌは、一瞬、自分が騙されて魔導王の居城に連れてこられたのかと錯覚する。

 そんな彼女の戸惑いなど意に介することなく魔導王は歩き始めた。

 その後ろを黒衣のモンスターたちが音もなくついていく。

 クレマンティーヌもまた彼らの後ろについていくと大きな広間に出た。

 

 広間の最奥(さいおう)には魔導王本人をそのまま写し取ったような石像があった。

 像の足元の祭壇には花や虹色に輝く石、巨大な魚などが捧げられている。

 ここが魔導王を崇めるための聖殿なのだろう。

 石像の出来と献上品とを見る限り、リザードマンたちが魔導王を崇拝していることが分かる。

 そして祭壇の正面には、数人のリザードマンと巨大な白藍色の昆虫人が平伏していた。

 

「頭を上げよ」

 

 支配者に相応しい傲慢な態度で、魔導王は平伏する者たちに許可を与える。

 

「コレハアインズ様。オ越シイタダキ誠ニ感謝イタシマス」

 

 昆虫人の声を耳にしたクレマンティーヌは、魔導王の背後で膝を突き臣下の礼を取った。

 その白藍色の巨体には見覚えがある。

 ナザリック地下大墳墓でズーラーノーンの高弟たちと共に目撃したアインズ・ウール・ゴウン魔導王の側近コキュートスだ。

 

 コキュートスの意識がほんの僅かクレマンティーヌに向いた。

 そこには殺気のような剣呑な意思が込められている。

 

 膝を突くのが遅かったからだろうか。

 怯えながらクレマンティーヌは更に深く頭を下げる。

 そんな彼女の恐怖など知る由もない魔導王はコキュートスに話しかけた。

 

「うむ。務め、ご苦労。この度は急に来訪を決めたことを詫びよう」

「詫ビルナドト恐レ多イ。我ラハ全テアインズ様ノ忠実ナル下僕(シモベ)。アインズ様ガナサリタイコトハ全テニ優先サレマス」

 

 魔導王は満足そうにその髑髏を傾ける。

 

「それで、儀式の方は問題なく進んでいるか?」

「時間バカリカカル儀式デアリマスガ、ツツガナク」

 

 コキュートスの言葉にはほんの少し苛立ちが含まれていた。

 リザードマン以外には理解しがたい手順の多い儀式なのだろう。

 後ろに控えているリザードマンたちが昆虫人の苛立ちに怯えている様子が窺える。

 

「そう伝統を(ないがし)ろにするな。伝統や風習には往々にして本質が隠れていることがあるものだ。無論、犠牲を強いるような伝統に価値はないがな。そうでなければ良し悪しを見極めるためにも、時間をかけて儀式を執り行うのも手であろう」

 

 魔導王がコキュートスを(たしな)める。

 その言葉は周りのリザードマンたちを安堵させたようだ。

 

「オオ! ソノヨウナオ考エガアッタトハ! アインズ様ノ深慮ニ気付カヌ愚カナ身ヲオ許シクダサイ」

 

 コキュートスは平伏した。

 クレマンティーヌが束になっても敵わないであろう昆虫人が這いつくばるように忠誠を見せる。

 その言葉と態度からは不平や不満といったものが微塵たりとも感じられない。

 魔導王が部下のその心の底まで掌握している様にクレマンティーヌは戦慄する。

 

(このアンデッドに何か無礼を働いたら側近が全部敵になるってことだよね……)

 

 つまり側近の裏切りなど全く期待できず、魔導国からの逃亡は己の身ひとつで行わなければならない。

 自らの目標のあまりの困難さ遠大さに、クレマンティーヌは眩暈(めまい)すら覚える。

 

 ふいに魔導王が振り返った。

 

「そうだ、クレマンティーヌよ。ゼンベルへの土産をコキュートスに渡すがいい」

「は、はいっ!」

 

 慌てて立ち上がると、震える腕で昆虫人に酒を渡す。

 大瓶3本の酒がコキュートスが手にするとやけに小さく見えた。

 

「あくまでも人間の酒だからな。リザードマンに悪影響がないか確かめなければならん。決してお前を疑っている訳ではないと理解してくれ。良いな」

「ははっ」

 

 クレマンティーヌは膝を突き平伏した。

 魔導王のリザードマン保護の方針は慎重すぎるとも思える。

 だがクレマンティーヌが生活しているエ・ランテルには、多くの亜人種や異形種が存在するのだ。

 これから先、異種族と接するときには相応の注意を払う必要があるだろう。

 

「コキュートスよ。その酒は魔導国の冒険者組合にとって重要な物である。安全の確認がとれたら間違いなくゼンベル・ググーに渡すのだ、良いな」

「ハイ。畏マリマシタ」

 

 魔導王の大仰な物言いにクレマンティーヌは身を硬くした。

 そんな大層な物ではなく、ただの思いつきだとは言えない雰囲気だ。

 

「ではリザードマンの儀式を見物するとしよう。……クレマンティーヌよ」

「はっ」

 

 名を呼ばれた恐怖で身体がすくむ。

 何度呼ばれても決して慣れることがない。

 

「ついてこい。私の(そば)から離れるな」

 

 クレマンティーヌは魔導王のすぐ後ろに付いた。

 

 圧倒的な力を持った存在を警護することほど馬鹿馬鹿しいことはないとクレマンティーヌは思う。

 だが、ここで求められているのは武力ではなく忠誠心だ。

 襲撃に対して素早く対応し、場合によっては魔導王を守る盾になる必要がある。

 

(……問題は敵の襲撃じゃない、よね?)

 

 クレマンティーヌはただならぬ圧力を感じている。

 その圧力の発生源は彼女の後ろを歩くコキュートスと黒装束のモンスターたちだ。

 どうやら魔導王に最も近い場所にクレマンティーヌがいることが不満らしい。

 

(勘弁してよ……。好きでやってんじゃないから。あんたたちの上司の命令で仕方なくやってんだから)

 

 凄まじい嫉妬のプレッシャーに怯えながら内心で愚痴る。

 代われるものならすぐにでも代わってやる、と叫びたい気持ちを抑えつつクレマンティーヌはある事実に気がついた。

 

(そーいや昆虫人(コキュートス)って魔導王のこと“アインズ様”って呼んだよね……)

 

 他に魔導王を名前で呼んでいたと言えば、エ・ランテルの墓地で遭遇した眼鏡のメイド、ユリ・アルファだ。

 てっきり愛人だから名で呼ぶことを許しているとばかり思っていた。

 直属の配下は名で呼ぶのがアンデッドの慣わしなのだろうか。

 

(……あるいは)

 

 アンデッドの魔法詠唱者(マジック・キャスター)は、女にも男にも欲情できるのだろうか。

 肉を持たない悪魔のような不死者(アンデッド)にとって性別など何の意味も持っていないのかも知れない。

 死の恐怖に怯え、肉の快楽に堕ちる。

 そんな生者の負の精神作用こそが、魔導王の糧であるならば――。

 

 クレマンティーヌは骸骨と昆虫人の情事を想像して、思わず顔を(しか)めた。

 

 襲撃の気配などまるで無いまま、クレマンティーヌと魔導王の一行は開けた場所へとたどり着いた。

 この広場がリザードマンの儀式の場所なのだろう。

 

 いくつかの篝火(かがりび)が立てられた中、数多くのリザードマンがひとりを囲むように座っている。

 その中に右腕の大きなリザードマン、ゼンベル・ググーを見つけクレマンティーヌは少し安心した。

 顔見知りを見て安心するということは相応に不安を感じていたのだろう。

 そこまで脆弱になった自分をクレマンティーヌは嫌悪する。

 

 この儀式のためにゼンベルが早引けしたことは理解した。

 そのゼンベルが居るということは、そのあたりがリザードマンの有力者の集まりなのだろう。

 有力者たちはどれも落ち着き、それでいて他のリザードマンより大きな身体を持った者ばかりである。

 だが、最も目を引いたのは細く小さく、そして真っ白な鱗を持ったリザードマンだ。

 クレマンティーヌは目を凝らす。

 

(眼の色が赤いってことは、そういう()()じゃないってことか……)

 

 白化個体(アルビノ)は珍しい。

 クレマンティーヌも知識としては知っているが、実際に見るのは初めてだ。

 リザードマンにおいて白化個体(アルビノ)は人間ほど珍しくないのかも知れない。

 

(あんまし強そうじゃないね……。魔法詠唱者(マジック・キャスター)? それとも森祭司(ドルイド)か?)

 

 白化個体(アルビノ)の強さを見積もりながら、それでもクレマンティーヌは感心していた。

 

 生まれた瞬間に殺されてもおかしくない個体が、有力者として要職に就いているのだ。

 個人の感情だけでなく社会全体が、あの白化個体(アルビノ)を受け入れたのだろう。

 

(案外、人間よりも文化的に生きてんのかもね……)

 

 魔導王は儀式を観察しながらぐるりと広場に沿うように歩いた。

 その後ろをクレマンティーヌは付かず離れずついて行く。

 どうやら儀式は佳境に入ったらしい。

 

 白化個体(アルビノ)のリザードマンが木の棒を掲げると、周囲のリザードマンから吐息が漏れた。

 夕闇の中で棒の先が赤く輝くのが見える。

 火で熱せられた石のような物が縛り付けてあるようだ。

 白化個体(アルビノ)のリザードマンが棒をリザードマンの胸に押し付けた。

 

(……鱗だからそんなに熱くない?)

 

 だが周囲から辛そうな溜息が聞こえたところをみると普通に熱いのだろう。

 

 前を歩いていた魔導王が広場の縁、儀式を行っている場のすぐ手前で立ち止まった。

 ここで儀式を最後まで見守るつもりなのだろうか。

 

「アインズ様、何カニオカケニナッテハイカガデショウカ?」

 

 クレマンティーヌの背後からコキュートスの声が聞こえる。

 少しの間を置いて魔導王がおもむろに振り向いた。

 死の支配者は、ほんの一瞬クレマンティーヌの様子を窺い、それから昆虫人にその炎の視線を向ける。

 

「……今は必要ない。すぐに私の出番が来るからな」

「左様デスカ……」

 

 コキュートスは残念そうに呟きながら引き下がった。

 魔導王は広場の方へと向き直る。

 

 祭事に関わる者であろう別のリザードマンが薄汚れた布を恭しく持ってきた。

 その布を白いリザードマンが先ほど焼印を押されたリザードマンの首に巻きつける。

 どうやらそれで儀式が終わったようだ。

 全てのリザードマンの視線が魔導王に向いた。

 

「……付いて来い」

 

 魔導王が小さく呟き歩き出した。

 クレマンティーヌはその後ろを付いて行く。

 途中、くしゃりと紙が握りつぶされたような音が聞こえたが気にする余裕はなかった。

 

 広場の中央に居たリザードマンたちは場所を空け、闘技場の観客のように周りを囲んで死の支配者を見つめている。

 魔導王は中央近くまで進むと両手を広げた。

 

「聞け、リザードマンたちよ! 今ここにひとりの若者が“旅人”となり村を離れようとしている」

 

 先ほど焼印を付けられたリザードマンに皆の視線が集まった。

 

「豊かになったこの村に“旅人”など必要ないと考える者もいるだろう。確かにお前たちは私の庇護によって新たな繁栄の道を進むことになった。だが、それはこれまでのようにリザードマンのみに限られた繁栄ではない。人間やリザードマン、ゴブリンやドワーフなど様々な種族の共存によって築かれる繁栄だ」

 

 クレマンティーヌはエ・ランテルの風景を思い出す。

 住人のほとんどは人間だが、ドワーフやゴブリンといった亜人がそれぞれ普通に生活していた。

 あの風景がさらに進むのかとクレマンティーヌは少しうんざりする。

 魔導王の話は続く。

 

「他種族との共存とは難しいものだ。かつて生き残る為に行ったこととは違う試練がお前たちの前に立ちはだかるだろう。そのとき“旅人”が持ち帰った知恵や勇気がリザードマンを助けるのだ。そう! 英雄ザリュース・シャシャのように!」

 

 魔導王はひとりのリザードマンを指差す。

 白いリザードマンの傍らに寄り添うよう立っていたその者はゼンベルのように巨大ではなかった。

 だがその身から漂う気配は強者のものであり、胸には焼印の(あと)がある。

 あれがリザードマンの“旅人”の証なのだろう。

 

「新しい繁栄には新しい“旅人”が必要だ。それはこれまでの“旅人”のように資質のみに頼る必要はない。まずは私が作った育成機関によって力を蓄えて貰う。未知の世界へと旅立つために必要な力をだ!」

 

 ようやくクレマンティーヌは理解した。

 要するにリザードマンがひとり冒険者見習いになるのだ。

 その見習いを訓練所に連れて帰るためにクレマンティーヌが呼ばれたのだろう。

 

(そんなの、ゼンベルに任せりゃいーじゃん。同じリザードマンなんだからさ)

 

 そんな不満が頭によぎるが口にはしない。

 今のクレマンティーヌは魔導王の忠実な下僕(しもべ)なのだ。

 

「新たな“旅人”には、まず人間の街に来てもらう。そこに私の作った育成機関がある」

 

 クレマンティーヌは嫌な予感がした。

 魔導王が振り返り、クレマンティーヌを見る。

 

「人間の街に不安を抱くものもいるだろう。そこで行われる育成を疑う者もいるだろう。ここに居る人間の女、クレマンティーヌは育成を行う指導者の一人だ。彼女は細く小さく、お前たちの目には脆弱に見えるかも知れない。だが、それが間違いであることをここに証明してもらおう」

 

 魔導王が手をかざすと広場の中央にゆらりと闇が立ち(のぼ)った。

 闇が明確な輪郭を形作り、その実体を現したとき、その場に居た全てのリザードマンが(おのの)き、恐怖する。

 ゼンベルを含めた、リザードマンの有力者たちも身構えた。

 

 魔導王はエルダーリッチを召喚したのだ。

 

「クレマンティーヌよ。このエルダーリッチを倒してみせよ」

 

 リザードマンたちの緊張を生み出した死の支配者がクレマンティーヌに命じた。

 

「はっ」

 

 あまりに急過ぎる討伐依頼をクレマンティーヌは即座に承諾する。

 エルダーリッチは強敵ではあるが倒せない相手ではない。

 何より魔導王の命令を拒否できる立場ではなかった。

 

 立ち上がってエルダーリッチに向かって歩き出すクレマンティーヌに魔導王が小声で囁く。

 

「……少し早めにな」

 

 クレマンティーヌは少しだけ顔を歪めた。

 

◇◆◇

 

 クレマンティーヌのレイピアがエルダーリッチの頭蓋を両断した瞬間、全てのリザードマンが歓声を上げた。

 レイピアを優雅に一振りしてクレマンティーヌは魔導王の前に跪く。

 その髪は焦げ、肌のいたるところに火傷の痕ができた。

 勝負を()かされた代償だ。

 

「見ただろう。この力が若きリザードマンを冒険者へと(いざな)うのだ!」

 

 魔導王は満足した様子で、再びリザードマンたちに向かって両の(かいな)を広げた。

 

「リザードマンよ。強きリザードマンたちよ。幼き者は力を蓄えよ。若き者はその意思を示せ。老いた者は種族の力を語り継げ。これは義務でも命令でもない! お前たち種族の可能性と冒険心を示すのだ! そうすれば私が、アインズ・ウール・ゴウンが、お前たちに力を授けよう! その力を得たリザードマンは更なる繁栄の時を迎えるのだ!」

 

 リザードマンたちは静まり返った。

 クレマンティーヌも無言で(こうべ)を垂れたままだ。

 

 ――アインズ・ウール・ゴウン万歳!――

 

 どこかで声が上がった。

 魔導王を讃えるその言葉は、次第に広がり、やがては広場全体を覆った。

 

 ――アインズ・ウール・ゴウン万歳!――

 ――アインズ・ウール・ゴウン万歳!――

 ――アインズ・ウール・ゴウン万歳!――

 

 周囲のリザードマンは勿論のこと、コキュートスと黒衣のモンスターも唱和し拳を突き上げ、足と尻尾を踏み鳴らしていた。

 彼らの興奮を、魔導王は両手を広げて満足そうに受け止めている。

 そしてクレマンティーヌは――、

 

(はいはい。万歳ばんざい)

 

 半ば自棄(やけ)気味に、それでいて懸命に見えるように拳を突き上げ、魔導王を讃える言葉を叫んでいた。

 

 

 儀式が終わりクレマンティーヌは一時的ではあるが呪縛から解放された。

 魔導王はコキュートスたち直属の部下に呼ばれて聖殿へと入っていったのだ。

 

 エ・ランテルへは魔導王と共に転移魔法で戻ることになっている。

 そのため魔導王が戻るまでの間、クレマンティーヌは村の様子を見て回ることにした。

 勿論、魔導国から逃れるための手がかりを見つけるのが目的だ。

 

 リザードマンの村は聞いていたよりも文化的に進んだ印象を受ける。

 巨大な生簀や石造りの聖殿、木材を巧みに組み上げた住居などが、篝火(かがりび)に照らされている様は芸術的ですらあった。

 人間の農村でもここより開けていないところはいくつもあるだろう。

 

 村の通り道のほとんどは土が踏み固められた自然道だが、聖殿の周りだけは小石と粘土で舗装がされていた。

 これもまた魔導王への敬意の表れなのだろうか。

 

 リザードマンたちの様子を見る限り、ここでも魔導王は恐怖による支配は行っていない。

 住人の大部分は広場に集まって自由に食事をし、酒を飲んでいる。

 

 歩き回るクレマンティーヌに話しかけてくるリザードマンは居なかった。

 遠巻きに彼女を見つめ、なるべく目を合わせないようにしている。

 エルダーリッチを倒したことで、畏敬の念を感じているのだろう。

 ただし子供たちだけは目を輝かせながら、クレマンティーヌの後ろをついてきていた。

 

「……があっ!」

 

 ふいにクレマンティーヌが大声を上げる。

 驚いた子供たちは一斉に逃げ出すが、またすぐに後ろに集まった。

 

(人間の餓鬼と同じだね……)

 

 そんなことを考えながらクレマンティーヌはぶらぶらと歩く。

 どうも逃亡するための手がかりは見つからなさそうだ。

 

 子供たちを従え広場へと戻ってきたクレマンティーヌを大柄なリザードマンが待っていた。

 クレマンティーヌを見つけたゼンベル・ググーは、千鳥足で彼女に近付いてくる。

 

「すっかり人気者じゃねえか」

 

 後ろに居るリザードマンの子供たちを見て、ゼンベルは感心したように言った。

 

「……人間が珍しいだけでしょ?」

「そりゃ()()アンデッドを倒した人間だからなぁ」

 

 笑うゼンベルの胸に焼印があることにクレマンティーヌは気付いた。

 

「……これが“旅人”の印?」

「ああ。あれで、あの小僧もこの村の外に出られるって訳よ」

 

 クレマンティーヌはリザードマンのしきたりには興味はない。

 

「で、その小僧さんは? 私が連れて行くんでしょ?」

「もう聖殿に行ってるぜ。この村じゃ飲み食いが出来ねえからな」

「ふーん」

「まだ(わけ)ぇが森祭司(ドルイド)としちゃ結構なもんだとよ」

 

 若いと言われてもクレマンティーヌにはリザードマンの年齢はよく判らない。

 ただ森祭司(ドルイド)であるなら、魔法支援によって冒険者チームの力にはなるだろう。

 リザードマンを仲間にしたがる冒険者チームがあったらの話だが。

 

訓練所(あそこ)にゃ寝る場所くらいあったよな?」

「そりゃ宿も兼ねてるからね」

 

 蓄えのない見習いのために訓練所には寝泊りできる部屋が用意してあった。

 まだ空き部屋も残っていた筈だ。

 そんな仕事の事情にまで気が回るようになった自分をクレマンティーヌは嫌悪する。

 

「そりゃあ良かった」

 

 ゼンベルが安心したようにげっぷをした。

 巨大なリザードマンの口から熟れた果実の臭いが広がる。

 

(くっさ)! どんだけ飲んでんだよ」

「土産だったら1本しか飲んじゃいねぇよ」

 

 自分が持ってきた酒瓶の大きさを思い出して、クレマンティーヌはため息を吐いた。

 

「……そんだけ飲めば十分だよ」

「美味い酒だよなぁ。あんな酒があるんなら人間の街に住むのも悪くないかもなぁ」

 

 そんなゼンベルの呟きを聞いてクレマンティーヌは魔導王の演説を思い出した。

 

“他種族との共存による繁栄”

 

 漆黒聖典に所属していた頃は考えも及ばなかった発想だ。

 

 人類が生き残るためには亜人を含む他種族を滅ぼすしかない。

 クレマンティーヌはそう教えられて育ったし、スレイン法国を飛び出た今もそう信じている。

 だが今の自分はどうだ。

 ドワーフの作った道路を歩き、リザードマンと肩を並べて仕事をして、アンデッドから報酬を貰っている。

 

(アンデッドは……まぁ、しょうがないけど)

 

 人間の街(エ・ランテル)の冒険者組合には指導員としてリザードマンが訪れ、今度は冒険者見習いとしてやってくる。

 魔導王(アンデッド)は何をするつもりなのか。

 これからも他種族の指導員や冒険者見習いが増えていくのだろうか。

 

(リザードマンやゴブリンはいいとして……ドラゴンとかナーガとかが来たら何を教えりゃいいんだ?)

 

 たまにエ・ランテル上空を飛んでいるドラゴンや、名前が長い入国管理官のナーガを思い出して、クレマンティーヌの心に言い知れぬ不安が湧き上がってくる。

 

「これを持っていけよ」

 

 物思いに耽っていたクレマンティーヌの前に、ゼンベルがひと抱えほどもある大きな灰色の塊を突き出した。

 

「……何これ?」

「美味い酒の礼だ」

 

 手渡された巨大なそれは荒縄で縛られまとめられていた。

 楕円形の胴体に巨大な鋏と複数の脚。

 近くの湖に生息している巨大蟹だった。

 

 リザードマンの子供たちがクレマンティーヌの背後で泥蟹だ泥蟹だと口々に言う。

 

「俺の好物だぜ。酒の肴にもなる」

 

 ゼンベルが巨大な口を噛み付かんばかりに開いた。

 このリザードマンの笑顔なのだろう。

 酒の礼だけが目的だったのか、ゼンベルはそのまま去っていく。

 

 クレマンティーヌは巨大な蟹を片手にぶら下げ、魔導王の用事が終わるのをただ待つしかなかった。

 

◇◆◇


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