読みながら自力で翻訳していくもよし、適宜翻訳の方を読んでいくもよし、怪物の言語を理解しないまま読み進めて最後にまとめて読むもよし。ご自由にどうぞ。
少女は飛び起きた。
そこは少女の部屋。
少女の体を掛布団とベッドが包み、カーテンの向こうには静寂と夜明けの空が広がっている。
意識もまだはっきりとしていない少女の瞳が、電子時計の日付と時間をその目に捉える。
【2014/07/31 06:00 a.m.】
なんてことのない時間の表示。
されど、終わりと始まりを告げる時の表示であった。
少女の瞳から涙が流れ、喉より嗚咽が漏れる。
少女は……『藤丸立香』は泣いていた。
「うっ……えうっ、えぐっ……」
ベッドに少女の涙が流れ落ちていく。
全てが終わり、世界は上書きされ、始まりに戻った。
失われたものは戻り、恐れるだけの歴史はゼロへと巻き戻り、やり直す。
誰もが予想しなかった者が勝者となり、結末は新たなる時代の始点へと置き換わった。
立香の嗚咽は止まらない。
「うえええっ……」
もう戻らないものがあって。
戻らないはずのものが戻ってきて。
けれどもおそらくは、ハッピーエンド。
今日一日は晴れそうにもない分厚い雲が、空いっぱいに広がっていた。
物語の視点は時を遡る。
今はもうない、塗り潰された既に亡き時間、その瞬間へと。
【東京都千代田区飯田橋 2014/07/31 06:00 p.m.】
藤丸立香、15歳。
夏休みに入った彼女は、『東京に引っ越した親友の家に泊まって夏休みを過ごす』という名目で親を説得し、憧れの東京に足を踏み入れていた。
ワクワクが隠せない表情は子供らしく、されどその体つきは大人に成りつつあり、大人と子供の境界の年齢特有の危うさも見て取れる。
だが、いい笑顔であった。
見ているだけで元気を貰えそうな、そんな笑顔だった。
「わぁ……人が多い……えげつないほど多い……!」
空は青。
今日一日は雲一つ見られそうにないほどの、曇りなき青空が広がっていた。
「かよちゃんの家に行く前に、ちょっと寄り道して行こうかな……」
立香は特別な人間ではない。
世の中にありふれたごく普通の女の子である。
運動がそこそこなのも、勉強がそこそこなのも、友人の数がそこそこなのもそう。
高校一年生最初の夏休みの多くを、中学時代の親友の家へのお泊りで使うのも、この年頃の少女であればあまりにもありふれている。
東京の雑踏の中を歩く立香は、『無数の普通の人達』の中に紛れ込み、特に目立たない『その他大勢の一人』になっていた。
「そういや未確認ってもう出ねえのかな」
そんな彼女の耳に、雑踏の中の会話が聞こえてきた。
立香が横目でそちらを見ると、男性が五人ほど固まって歩いており、気楽な様子で何かを話している。
「出ないんじゃね」
「まあ……もう何万人と死ぬってことはないだろ」
「去年のやつが最後であってほしいわ、未確認生命体」
その会話の中の一つのフレーズが、立香の耳に残った。
(未確認生命体かぁ)
未確認生命体。
『グロンギ』という正式名称も知られているが、普段の会話やTwitterではこっちの名称で呼ばれることが多いため、立香はこちらで覚えている。
未確認生命体とは、2000年に最初に、2013年にもう一度大規模な被害をもたらした、異形の怪人達だ。
その二回の事件は現在俗に『未確認生命体災害』と呼ばれ、特に第一次未確認生命体災害は二次被害なども含め三万人を超える日本人が未確認生命体に殺害されたとされる。
これはもはやちょっとした戦争レベルの死者数であり、当時は警察単独では対応不能と判断され自衛隊の国内出動が検討されていたほどだと言う。
(ギリギリ私は世代じゃないんだよなー)
しかし、立香は第一次を伝聞でしか知らない。
(あの頃、私は一歳かそこらだったよね、確か)
未確認生命体が日本で――正確に言えば東京で――大暴れしていた第一次の頃、立香は生まれたばかりで物心ついた頃ですらなかった。
ニュースや雑誌で毎年のように特集が組まれてはいるものの、立香はそれで見た事柄以外に未確認生命体のことを知らない。
立香のクラスメイトには「一回くらい未確認見てみたかったよなあ」と、未確認生命体を"もういなくなってしまったファンタジーの生き物"のように語る者もいるほどだ。
脅威は過去になった。
若き者達が未確認生命体を知らない世代になった。
世間は恐怖を忘れ、平和に馴染んでいった。
そんな日本をもう一度震撼させたのが、去年の……2013年の第二次未確認生命体災害である。
「去年はビビったよなあ」
「ああ……完全に居なくなったもんだと思ってたからな、未確認」
「忘れかけてた頃だったから尚更怖かったわ」
「でもまあ、前よりかはマシだったわ。第二次の方は気付いたら終わってたし」
「あー」
「あー」
「第一次は次から次へと出てくるから、一年くらいずっと街が怖くてしゃーなかった」
一般人の認識において、と頭に付くが。第一次における未確認生命体の出現数が約50体であったのに対し、第二次における未確認はたったの2体である。
単純な死者数において、第二次は第一次に遠く及ばない。
丸一年未確認生命体による殺人が続いた第一次に比較すると、市民が気付けば全部終わっていたという第二次は殺人実行者があまりにも少ないのだ。
「でもさ、第二次の後の方が空気ヤバかった気がする」
「分かるぞ」
「もう一年って言うべきなのか、まだ一年って言うべきなのか」
「終わったと思いてえよな……」
だが第二次において、未確認生命体は第一次とは違う形で、ある意味では第一次を遥かに超える恐怖を様々な形で日本の人々に植え付けた。
例えば、警察が未確認生命体の企みの阻止に失敗した場合の推定死者数がそうだ。
警察発表における第二次の、最悪の場合の推定死者数は、160万人。
記録によっては第二次世界大戦最大の死者数であるという、ベルリンの戦いの死傷者数130万人をはるかに超える、極大事件となるところであった。
(……正直、第二次の方が怖さはヤバいと思うのは、私が1999年生まれだからなのかな)
藤丸立香が第二次を半ば傍観者の気分で――日本人である以上当事者であるのに――見ていたのは、中学三年生の頃だ。
当時が受験期だったのもあって、立香は当時の空気をよく覚えている。
喧騒。
恐怖。
不安。
普段は目に見えない色んなものが、街の中に目に見えるようだった。
受験に集中したいのに、あまり集中できなくて。
学校の先生が職員室で泣いていたり、塾の先生が辞めて田舎に逃げたりして。
一時は子供が自宅から遠く離れた所まで行くセンター試験は危険だからと、センター試験の中止と来年への延期なんていうありえないことまで提案されていて。
立香は受験に集中していたために当事者意識が薄かったが、そんな彼女でも印象深いほどに……第一次で全て終わったと安心しきっていた人達の、第二次における狂乱は酷かった。
立香が横目で見ていた男性の内一人が、ぽつりと呟く。
「4号って今、何してるんだろうな」
4号。
その名が口にされるだけで、立香の脳裏にその姿が浮かび上がる。
実際にその姿を見たことはなくても、その姿を思い浮かべられる。
いつからかこの国の子供の多くは、写真等でその勇姿を見ながら育つようになっていたから。
(未確認生命体第4号)
第一次、第二次、どちらの未確認生命体災害においても、未確認生命体と真っ向から戦い平和をもたらしたのは警察でも自衛隊でもない。
未確認生命体第4号―――当時の一部関係者から、『クウガ』と呼ばれた存在である。
彼が警察と協力したからこそ平和な今日がある、というのは皆知っていることだ。
警察内部の一部関係者は、『クウガ』が人間が変身した存在だと知っている。
一般市民は、『4号』が良心と正しさに目覚めた未確認生命体の裏切者だと思っている。
だがどちらにせよ、4号に対する主な認識はさして変わらない。
この国における4号への評価のメインストリームは、『ヒーロー』『英雄』『守護者』『唯一の優しき未確認生命体』あたりになるだろう。
立香は会ったこともない、されど自分の日々の平和を守ってくれた英雄に思いを馳せる。
(皆が知ってる、ヒーロー)
会ったことも話したこともない立香が4号に対し悪い感情を一つも持っていないというだけで、この国における4号の評価は察せられるというものだ。
4号は様々な色に姿を変化させ、色ごとに違う力を使い、時に勇敢に敵を倒し、時に未確認生命体に襲われる人間を優しげに助けてきた。
言葉なくとも、その行動には愛があった。
4号と話した市民はいないが、ほとんどの市民が4号が味方であると信じていた。
4号の心を知る民衆はおらずとも、4号の優しさを知らない民衆はいなかった。
藤丸立香という少女もまた、その一人。
第一次、第二次、どちらにおいても未確認生命体による攻撃が始まると同時に現れ、数え切れないほどの人を救ってきた未確認生命体第4号/クウガ。
今でもなお、"未確認生命体が来るんじゃないか"と人々が不安に襲われた時、"でも4号がいる"と思うことでその心から不安は消し去られるという。
4号/クウガは、今も皆の心の中にいて、皆の心を守っているのだ。
それは、既に終わった英雄譚。かつて在った正義の味方が残してくれた心の希望。
(4号は現代最後の『正義の味方』……だっけ。テレビで言われてたのって)
少女は頭の中の4号の記憶を一つ一つ思い出していく。
立香の年齢世代は、「悪いことをするとこわーいこわーい未確認生命体が来るわよ」と言い聞かせられ、「4号みたいに弱い者いじめを許さない、人を守れる人になりなさい」と言われて育てられた世代だ。
正義の規範、正しさの例として4号が使われた世代であるとも言える。
この世代は『正義の味方』と言えばまず4号を思い浮かべるだろう。
クウガへの親しみと、憧れと、尊敬を自然に備え、それでいて4号が最も活動的だった第一次未確認生命体災害を知らないために他人事のように4号の活躍を語る。
去年あった第二次も気付けば終わっていたためにあまり当事者意識がない。
少女は4号の輝かしい伝説を知っている。
少女は未確認生命体に家族を殺され泣いている知り合いを見たことがない。
少女は英雄譚をよく知っている。
少女は怪物の恐ろしさをあまり知らない。
藤丸立香は正義の味方を知るも、正義の味方に守られたことがない世代であった。
「っと、さっさと行こう」
道端で男達の雑談に随分気を取られてしまったことに気が付いて、立香は歩き出す。
4号のことも、未確認生命体のことも、もう過去のことだ。
そんなに考えなくてもいい。
今は友達のことでも考えていた方がずっと生産的だ。
歩道を歩きゆっくりと人の流れに身を任せ、立香は中学時代の友人の家に向かう。
彼女に特別なところはない。
どこにでもいる普通の女の子。
特別な経験もなく、特別な能力もなく、特別な思考も持ってはいない。
友情に厚く、人よりも少しだけ我慢強くて、人よりも少しだけ優しさを多く持っている……彼女はそんな、『普通にいい子』だった。
かくして、立香は友人の家に到着し。
「フジー!」
「かよちゃーん!」
旧友と立香は、再会を喜び抱きしめ合うのであった。
【東京都千代田区飯田橋 2014/07/31 06:00 p.m.】
コンビニのトイレの鏡を覗き込んで、立香は髪を整える。
可愛らしく跳ねていた髪が、撫で付けられてすっと消えた。
店内に流れる曲が切り替わる。
立香のお気に入りの流行歌が店内に流れ始めて、立香のテンションが少し上がった。
「よし」
立香は友達の家にお泊りに来ているわけだが、友達と食べるお菓子やジュースまで最初から用意されているわけではない。
しからば買い出しである。
日が本格的に沈む前に、コンビニにお菓子とジュースを買いに来てようやくそこで髪の癖に気付き、立香はコンビニのトイレで髪の癖を直していたのである。
こういうところも気にしておかないと、今時の女の子など名乗れまい。
少なくとも、立香は恥ずかしくて名乗れない。
「かよちゃんの家でずっと寝っ転がってたからかなあ。
変な寝癖付いたまま街を出歩いてたなんて本当に恥ずかしい……」
買い物を終え、恥ずかしそうに立香がコンビニの前で伸びをした。
もう夜と言える時間だが、コンビニの外はまだ明るい。
この時期の東京の日没は国立天文台曰く18:47。まだまだ日は沈まない。
年頃の女の子が出歩くと危ない時刻まではまだ時間があるようだ。
(昔はこういうの許されなかったらしいからなあ。私はいいタイミングで生まれたのかも)
少しだけ前の話、立香にとっては昔々の話。
第一次未確認生命体災害の頃―――2000年の頃、既にコンビニは24時間営業のシステムを導入してから長く、夜中に買い物に行くと言えばコンビニであった。
しかし、そこで未確認生物による事件が連日連夜行われる未確認生命体災害が発生。
更に未確認による殺害が一年も継続されるという最悪の事態となった。
当時多くの市民が日没以後の外出を控えるようになり、未成年を夜に外に出す親は九割がた居なくなったとまで言われている。
そうなると当然大ダメージを受けるのがコンビニの夜間営業だ。
商品が売れないのに無駄に人件費だけかかる夜間営業なんて誰もやりたくはない。
加え、夜間外出を控えるように警察からの注意喚起が来たのが決定的だった。
2001年からコンビニ夜間営業の一斉廃止が一度は通りそうになったというのも、この時代に生きる立香からすれば信じられない話である。
夜にコンビニに行くのがありえないという時代があった。
今は夜中にコンビニに行く人も多い。
危機感の薄い若い人ほど夜間のコンビニを恐れない、とも言える。
だからこそ、友達の家に泊まりに来た立香が一人でコンビニに買い出しに来ているのだ。
自分の家の娘が夜前に外出するのを許さない親は未だに多い。
実際に危険だから許さないのではなく、感情的に嫌なので許せないのである。
去年に第二次未確認生命体災害が起こっている以上、親としては極めてまともな感情だ。
娘の外出は許さない。
けれど、自分の家に泊まりに来ている娘の友達の外出を止めようとまではしない。
感情の問題なんてそんなものだ。
結論から言えば、立香は――高校一年生らしく――大人と比べると危機感というものを十分に持ってはいなかった。
(今日は夜更かしして何をしようかな。明日は何ができるかな?)
けれど、立香は今日まで自分の命が危ういと感じたことはなく。
明日を一点の曇りもなく楽しみにしていて。
今日が何事もなく終わることを、ごく自然に揺るぎなく信じていた。
太陽が沈んでいく。
「……?」
何かがおかしい。
この道は、さっき通ったはずの道。
なのに、石が積み上がって塞がっている。
「あれ?」
何かがおかしい。
この道はさっき見た。
でもこの道も、この建物も、こんな風に壊れていなかったはずなのに。
「……!?」
何かがおかしい。
人が居ない。車も通らない。物音が全然聞こえてこない。
この時間帯に人が居ないなんてありえない。静かな街になるなんてあるはずがない。
薄れていく夕日の光が、やけに不気味に見えてきた。
「痛っ」
そんな立香の右手の甲に、突如紋章のようなものが浮かび上がる。
焼け付くような痛みに思わず立香が手を抑えると、一瞬の痛みと共に浮かび上がった紋章が目についた。
三画の線で構成されたそれは、二つの線が十字架を、一つの線が人間を現しているようで……生贄に捧げられる犠牲者にも、自らの身を犠牲にする聖人の姿にも見えた。
「なに、これ」
かつん、と静かな街に足音が響く。
立香が思い切り振り返ると、黒いローブに身を包んだ誰かがそこに立っていた。
顔も見えない。
体格も見えない。
だが、ぞっとするほどに冷たい目だけがかすかに見える。
出荷前の家畜を品定めするような、"相手の命の価値を全く認めていない"のに、『相手のそれ以外の価値を見定めている』ような目。
立香は訳も分からず、鳥肌が立つのを感じた。
「お前が、今回の獲物だ」
「だ……だれ?」
「『ラ・ブウロ・グ』……いや、覚える必要はない」
その人物の姿がふっと消える。
姿が消えて、言葉が残る。
「どうせすぐに終わるだろう。優しく殺してもらえることを祈れ」
日が沈んでいく。
コンビニを出てから歩き回って、そして一刻も早くここから離れようとしているのに離れられない立香が走り回って、動いた分だけ時間は減っていく。
壊れた道。
塞がれた道。
逃げる道が見つからないまま、土地勘のない街の中で、時間を浪費していく。
立香の足元から伸びる影がどんどん伸びていく。
夜が来る。
「なに、これ」
街中に、石の人間像が大量に並んでいる。
これは人形なのか?
人形でないなら―――なんなのか?
見覚えがある。
この石像の顔と形に、立香は見覚えがある。
今日友達の家に来る途中に彼女が横目で見ていた男性達だ。
未確認や4号の話をしていた男性達だ。
"昼間はまだ生きてたのに"と一瞬思ってしまった立香は、その思考を必死に振り払った。
「なに、これ」
夜が来る。
背の高い建物が影を伸ばして、街中の太陽の当たる場所がどんどん減っていく。
光がない。
建物の多くに光が灯らない。
太陽が沈む。
闇が来る。
立香は必死に走った。
何も見つからない。
どこにも行けない。
怖いものから逃げ切れない。
闇が街を覆う。
「なに、これ……?」
そして完全に太陽が沈み、夜の世界がやって来た。
夜と共に現れたるは、紫色と銅色が混じった怪物―――未確認生命体。
「ゲブグドサダダゲドド・バ*1」
「ひっ……み、未確認!?」
それは、見たこともない生命体だった。
大まかなシルエットは二足歩行の人間に見える。
だが髪の毛がなく、髪の毛の代わりに生物のように動く蛇が頭部に無数に生えているのは、到底人間とは思えない。
尻からは尾が生え、それが路面を叩いていた。
単色のプラスチックのような瞳。
金属製のスコップのような鋭利さと形状の爪。
そして何より、その言葉。
動物のような『鳴き声』ではない確かな『言語』でありながらも、人間の言語ではないがために人間には理解できない怪物の言語。
知性を感じられるのに、相互理解の可能性を感じられない、怪物の言葉が恐怖を覚えさせる。
殺される。
藤丸立香はこの日生まれて初めて自らの死を確信し、その恐怖に膝は折れ、その場にへたりこんでしまった。
逃げないと、とすら思えない。
恐怖のあまり思考が回らない。
言葉にならない恐怖の声が漏れ、じわりと涙が染み出してきた。
「ボンバビザジャ・ブゲゲル・グゴパス・ボパザジ・レデザバ*2」
「い、いや……」
「ギベ*3」
何が起こっているのかも分からないまま、何が自分を殺すのかも分からないまま、迷いながら走り続けた果てにここがどこかさえ分からないまま、立香は死ぬ。
そういう運命だった。
音速を超えて振るわれた怪物の尾が、立香に迫る。少女は恐れで目を閉じる。
「誰か、助けてっ―――!!」
死を覚悟した。
死を恐怖した。
死を待った。
死は来なかった。
死を見る勇気をもって、恐る恐る瞼を開いた少女が見たものは。
「……え?」
尾を受け止め、自分を守る、白銀の騎士だった。
「―――」
時間は止まっていた。
おそらくは一秒すらなかった光景。
けれど、あまりにも綺麗で。
だって、あまりにも勇壮で。
自分を守る騎士の背中に見惚れていた立香は、その背中だけは、たとえ地獄に落ちても鮮明に思い出せるだろうと―――そう、思った。
「っ」
目の前の光景が目に焼き付くのに一瞬遅れて、思考が追いつく。
立香を守ったのは騎士であったが、怪物だった。
あまりにも生物的で、黒い皮膚の上に銀色の甲冑が張り付いているようにも見えるが、よく見れば黒も銀も怪物の皮膚であることが分かる。
騎士が手に持つ両手剣も、嫌に生物的だ。
けれども、"地球上にこんな生物は普通いない"と断言できてしまうほどに、その体と武器は金属的で、その銀色は透き通るように美しかった。
クワガタムシの意匠を取り込んだ鎧ならこうなるだろうか、とも思えるが、人の手をいくら尽くしてもこの騎士のような危うい美しさは出せないだろう。
特に印象に残るのは、目。
騎士の顔には虫の複眼のような目があった……否、虫の複眼の残骸のような目があった。
その目のほとんどは抉られたように陥没しており、複眼の残骸のようなものが残るのみ。
それがいっそう、この騎士の怪物感を増す要因になっていた。
騎士と言うには醜すぎる。
怪物と言うには美麗すぎる。
甲冑と言うには生物的すぎる。
皮膚と言うには金属質すぎる。
『人間の騎士というものを上っ面だけ真似て体の形に採用した生物』にさえ見える。
そんな、奇っ怪な生物。
ひと目で分かる『未確認生命体』であった。
蛇の頭を持つ未確認生命体が立香を襲い、騎士の未確認生命体が立香を守った。
混乱する立香にもそこまでは理解できたが、何故そうなったのかは全く分からない。
銅紫二色の蛇はまたしても尾を振り、立香を狙う。
尾の先端が音速を超え、それ相応の音が鳴る。
すかさず黒銀の騎士が両手剣を握り、渾身の斬撃でそれを斬り弾く。
大気を切り裂く尾の剛撃と、衝撃波ごとそれをねじ伏せる剛剣一閃。
生物の尾を剣が弾いた音には全く思えない、金属が弾けるような音が響き渡った。
「え、なに、なんなの、なんなの!?」
戸惑う立香を庇い守るように騎士は立つ。
襲って来ているのも化物で、守ってくれているのも化物。
どちらも化物。
立香の心に安心などあろうはずもない。
「ゲギダダ*4」
曲線を描き騎士をかわして立香を打ち殺さんとした尾を見て、騎士は瞬時に少女を抱えた。
横抱き――いわゆるお姫様抱っこ――にし、飛び退る。
尾は空振って、騎士は少女を抱えたまま蛇の怪物から距離を取った。
蛇の怪物は追撃に更に尾を振り、立香はここで気付いた。
尾が、伸びている。
立っている時は1mほどしかなかった尾が、今は20m以上伸びている。
距離を取った騎士と少女にまで、届くほどに。
「しっ!」
その追撃を、少女を路面に降ろした騎士が斬り弾く。
一呼吸の間が空き、戦闘が停止した。
何かを観察していたらしい蛇の怪物が、何かを察した様子で口を開く。
「ギジャ・ヂガグバ。ビガラザバ・クウガ*5」
何を言っているのか、立香には分からない。
それがただただ恐怖だった。
蛇の怪物の言葉に騎士の怪物が応じ、よく分からない言葉による会話が始まる。
「ギョデゼ・ドベサギ・ドパゴ・ゴセギス・『ゲブグドサダダゲド』*6」
「ジャラ・ゾグスバ・『ズ・クウガ・バ』*7」
「ボドパス*8」
「ゴヂダロ・ボザバ*9
ボセラ・ゼパ・ゼビゴ・ボバギン・ンゴドグ・ドドギ・グザベ・ザダダ・ダグバ*10
ゴセグ・ギラゼパ・ザズデビ・グロンギ・ングサギ・シロボドパ・バガベバギ*11」
蛇の怪物は男性の声、騎士の怪物は少年の声。
どうやら怪物はどちらも男性のようだが、立香にはそれ以上のことはてんで分からない。
だが会話を聞いている内に、騎士の少年が言葉少なめなことと、蛇の男性の声にどこか嘲笑の色が混じっていることは分かってきた。
突然、騎士の怪物が振り返り、少女に問いかけてくる。
「君」
「へ?」
「問おう」
突然人間の言葉で問いかけられたことに少女は戸惑い、続く言葉に更に戸惑う。
「君は生きたいか。生きたいなら、ワタシが守ろう」
闇を弾く声で、彼は言った。
戸惑いはしたものの、少女が選ぶ答えは一つ。分かりきっている。
「―――死にたくない、助けて!」
日は沈み、月明かりが騎士と少女の間を照らす。
月光を反射した騎士の銀光が、少女の目に映る。
ほんの一瞬の間。
永遠にも感じられた思考の間。
こくり、と騎士は抉れた目で少女の目を見て頷いた。
「分かった。君はワタシが守る」
月光が染み込んでいるかのように、鈍く銀に光る両手剣が振るわれる。
騎士が見据える先には、蛇の頭と巨大な尾を持つ魔の怪物。
ここに、『約束』は完了した。
「お前の罪は」
騎士が掲げた剣先を蛇へと向けて、人の言葉で怪物へと言い放つ。
「ここで終わりだ」
かくして彼と彼女は出会った。
それが始まり。大いなる戦いと、大いなる終わりの始まり。
運命を変えるがための戦いの幕を上げた、運命の夜だった。
A New Hero. A New Legend.