究極の闇、『ン・クウガ・ゼバ』   作:ルシエド

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喫茶

 いい香りのコーヒー。

 いい香りのカレー。

 鼻孔をくすぐる美味の香りは、鼻で味わう味覚と言える。

 食べる前から美味しいと分かる、そんな食べ物だった。

 

「いただきます」

 

「おう、どんどん食べな」

 

 男は盲目のクウガを気遣い、誘導し、スプーンを手渡してくれた。

 クウガの心の人情味のない冷静な部分も、この行動を初対面の相手に取れるのであれば、善良な人間だろう……と判断していた。

 嗅覚をあてにして、カレーを口に運ぶ。

 瞬間、豊かな香りと重層的な旨味が口の中いっぱいに広がった。

 本場カレーが持つ複合的なスパイスの強みと、日本人向けにバターオイルなどでまろやかにした味わいが、隙の無いカレーの味を組み立てていた。

 警察食堂のカレーより美味い。

 

「おいしいです」

 

「お、良い食いっぷりだねえ。おかわり要るかい?」

 

「はい」

 

 クウガは一杯目を物凄い勢いでかっこみ、二杯目はゆっくりと味わうように食べる。

 喫茶ポレポレの朝の風景に、常連らしき人が次々やってきた。

 

「おっちゃん! ポレポレカレー一つ!」

 

「おういらしゃい。土日だからって何度来るかねえ。最近売れてる女優っ子のくせに」

 

「ええやん、暇な土日の朝くらい。ここのカレー美味しいんやもん」

 

「かーっ、嬉しいこと言ってくれるねえ、奈々ちゃん」

 

「そやそや、何せ私は今となってはポレポレ最古参の常連……ってなんやこの子、イケメン!?」

 

「こらこら、ゆっくり食べてくれてるんだから絡むんじゃないよ。

 ごめんな少年、このおばさんは無視してゆっくり食べててくれ」

 

「…………はい」

 

「あー! おばさん言うた! 去年30になっただけやん!」

 

「20代終わったら皆おじさんだしおばさんだっちゅうの!

 俺はおじさん! 君もおばさん! 2000年にプレミア17歳だった君はもういないの!」

 

「おっちゃんはもうぼちぼちおじいちゃんやろ! 還暦秒読みんくせに!

 まったく。

 しっかしまあ、はー、こんなイケメン少年も通うようになったんやなあ、ここ」

 

「ポレポレは国際色豊かな喫茶店だからねえ、むふふ」

 

 ゆっくりカレーを食べていると、朝食だけ食べに来た人、少し話に来た人、朝食をガッツリ頼んで食べながら長話をする人、等々様々な人が入れ替わり立ち替わりやって来る。

 クウガは知る由もないことだが。

 それは、今やこの日本でも絶滅しつつある光景だった。

 気の良い店主。

 心地いい空気。

 美味しい料理。

 上質コーヒー。

 急がなくてもいい、ゆっくりしよう、と思える雰囲気。

 

 店内には80年台のサザンの曲が流れ、古ぼけて白色が退色したレジスターや電子レンジがまだ使い回されていて、世界各国のマニアックな土産物が、レンガ風味の壁の前に並べられている。

 ででーん、と置かれた冷蔵庫はやけに新しくて目立ち、ポレポレの店主が「どう? この冷蔵庫ピッカピカでしょ? 新品のハイテクなんですよ!」とお客に何度か自慢していた。

 雰囲気は懐かしさと古さがあるが、こまめな掃除がされているようで、清潔感もある。

 

 古き良き、を体現するような喫茶店であった。

 

 色んな人が店に入ってきて、色んな人が店から出て行って、ポレポレの店主が彼らと絶え間なく楽しそうに話し、カウンターでカレーを食べるクウガの左右の人も入れ替わっていく。

 その誰も彼もが、クウガに話しかけて来たり、ポレポレの店主との話の過程でクウガを話題に出したりしつつも……誰一人として、クウガの目のことには触れなかった。

 カレー美味しいか、と聞いたり。

 お店のオススメメニューを教えてくれたり。

 チョコレートをくれたり。

 優しくはしてくれたが、踏み込んでは来なかった。

 

 それぞれ皆が、"いい人"だった。

 店の中の面子が二回ほど丸々入れ替わった頃、クウガは二杯目のカレーを食べ終わる。

 

「あの…………なんと、お呼びすればいいのでしょうか」

 

「ん? 俺? おっちゃんとかおやっさんとか皆呼んでるよ」

 

「では、おやっさんさんと」

 

「いやそこはおやっさんでいいんだよ。変わった子も居たもんだ。君の名前は?」

 

「五代空我…………と言います」

 

 男はぴくりと、眉を動かした。

 

「奇遇だねえ。俺の知り合いにさ、五代雄介ってやつがいるんだよ」

 

「―――」

 

 名乗ってから、嘘をつけばよかったと、クウガは思う。

 

「もう随分と帰って来てなくてねえ。ま、元気に冒険やってるとは思うんだけどさ」

 

 ここがそうなのか、と、思い。

 

 クウガは、少し前のことを思い返した。

 

 

 

 

 

 まだ、クウガの目が見えていた頃。

 まだ、クウガとカーマと五代雄介が三人で世界を旅していた頃。

 まだ、この世界に悲劇が再来していなかった頃。

 "世界で一番綺麗な森"を見た帰りに、クウガと雄介は二人で夜道を歩いていた。

 

 満ちたる月の下、月下の山道を二人は歩く。

 

 二人は少し、昔話をしていた。

 クウガは、最初の地球での、グロンギ達や姉との乾燥した思い出話を。

 それは、無自覚な地獄の感想語りだった。

 雄介は……少し前の、戦いの日々の話を。

 それは、本人の自覚以上に凄惨な、地獄の感想語りだった。

 

「俺はさ、皆の笑顔を守りたかったんだ」

 

「過去形…………ですか。諦めた、んですね」

 

「ううん。俺がそれを諦めることはないと思うよ」

 

 かつて、地獄があった。

 平和と幸福が在る社会を守るため、地獄の全てを引き受けた者がいた。

 

 第一次未確認生命体災害の時、五代雄介は変身し、戦った。

 未確認生命体は、彼をクウガと呼んだ。

 民衆は、彼を未確認生命体第4号と呼んだ。

 誰もが喜んだ。

 未確認生命体は、手応えのある敵を求めていたから。

 民衆は、自分を守ってくれる強き守護者を求めていたから。

 

 言い換えれば、五代雄介はほとんどの者達から愛されていたと言える。

 敵として。

 味方として。

 愛され、願われていたと言える。

 "もっと戦って"と、ほとんどの者が心の底から願っていた。

 

 けれど雄介は、戦いたくなんてなかった。

 暴力が嫌いだった。

 他者を殴る感触が大嫌いだった。

 拳で殺し合うのではなく、話して分かり合うことが好きだった。

 戦えるのが自分だけだったから、戦っていただけだ。

 自分しか居なかったから、戦っていただけだ。

 

 弱音を吐く暇などなかった。

 弱さを見せていい余裕などなかった。

 自分しかいないということは、自分が手を止めれば人が死ぬということだったから。

 自分が攻撃を受け止めなければ、守っている人々や警察官が死ぬ。

 自分なら受け止められる。

 だから一番前に出て、グロンギと戦い、その攻撃を受け続けた。

 肉は裂け。

 骨は砕け。

 血が流れ。

 槍で貫かれて磔にされ、ハンマーで殴られ肉を潰され、大剣で切り刻まれ。

 苦悶の声を上げ、苦痛にのたうち回り、それでも"五代雄介しか居ない"から。

 一度も逃げることはなく、必死に何度も何度も、立ち上がり続け、立ち上がり続けた。

 何度、その足は折れそうになっただろうか。

 

 痛い。苦しい。辛い。やりたくない。

 肉が潰れて痛い。刃が食い込んで意識が飛びそうだ。

 毒が苦しくて苦しくて、死んだ方がマシだ、死にたい、でも死んでなんていられない。

 未確認生命体の仲間だと誤認されて警察に撃たれた、心が痛い。

 未確認生命体が楽しそうだ、戦いが楽しそうだ、なんで、なんで。

 人が死んだ、俺が守れなかったからだ、沢山死んで、沢山の人が笑えなくなってしまった。

 俺しかいないなら、俺しか戦えないなら―――俺のせいだ。

 

 五代雄介は、そんな風に思って。

 

 辛い。苦しい。未確認生命体を殴った感触が手に残る。

 殴りたくない。傷つけたくない。

 ああ、俺が殴ったグロンギが苦しそうにしてる。

 ごめん、って思ってしまう。俺の拳が、今、あんなにも他者を傷つけて、痛めつけて。

 気持ちが悪い。拳に残る感触が気持ち悪い。

 なんで笑ってる。

 未確認生命体は……こんなのが楽しい? 分からない。俺には分からない。

 自分も、未確認生命体も、憎んでしまいそうで。

 憎しみで拳を振るってしまいそうで。

 自分が嫌いになりそうで。でも、戦わないと。殴らないと。俺しか居ないんだから。

 

 五代雄介は、そんな風に思う。

 

 他人を傷付けることが許せない雄介は、グロンギも、自分も、許せなかった。

 

 絶対に、許せなくなっていった。

 

 五代雄介が嫌うことは、憎しみで分かり合う余地がなくなり、殺し合い傷付け合うだけの悲しい世界が広がってしまうこと。

 そして、分かり合おうともせず、暴力に訴えること。

 総じて、笑顔が奪われてしまうことである。

 

 だが、未確認生命体とは分かり合えなかった。

 五代雄介は暴力に訴え、彼らを殺すしかなかった。

 未確認生命体を殴るたび、雄介の内側にヘドロのように自己嫌悪が溜まっていく。

 

 罪なく人が殺されるたび、雄介の中に憎悪が蓄積されていく。

 未確認生命体を殴る拳に、憎しみが乗ることが増えていく。

 五代雄介がなりたくない、誰も許せず憎しみで他者を殺す人間に、雄介が成り果てていく。

 

 未確認生命体を殺しても、死んだ人は戻ってこない。

 むしろ未確認生命体を殺した分、死者の数は増えたと言える。

 殺すことでしか殺人を止められない。

 100の内、1を殺して残り99を守ることしかできない。

 殺すことでしか、守れない。

 本当は"何があろうと殺すことはいけないことだよ"と言いたいのに。

 昔の雄介なら、殺すことはしてはいけないことなんだよ、と胸を張って言えていたのに。

 いつの間にか、言えなくなってしまっていた。

 

 五代雄介の笑顔で始まり、皆の笑顔を守るため拳が握られた。

 五代雄介の笑顔は失われ、その拳はドロドロとした感情と、グロンギの血に濡れた。

 グロンギは笑顔になり、人々の笑顔はいくつか守られたが、その多くは奪われただけで、笑顔は一つも増えることなく終わった。

 

 最後のン・ダグバ・ゼバとの戦いで、"クウガの仮面"が割れ、仮面の奥で泣きながら戦っていた雄介の苦痛を知ってしまった一条薫は十数年経った今でも、その苦しみを夢に見る。

 

「笑顔を、諦めないで戦ったんだ。皆に笑っていてほしかったから。でも」

 

 月の下、クウガという少年の手を引き、苦笑しながら雄介は語る。

 

 "人を殺す残酷なグロンギになれなかった"、『クウガという名の少年』が、自分の目の前に現れた奇跡のような巡り合わせに、雄介は運命のようなものを感じていた。

 

「守れた笑顔と、守れなかった笑顔を、いつからか数えるようになっちゃって」

 

 だからだろうか。雄介が、吐露したことのない心中をクウガに語るようになったのは。

 

「最後の最後に、笑えてない自分に気がついちゃってさ」

 

 それは、"君はこうなるなよ"という忠告のようで、クウガは静かに黙って聞いていた。

 

「だからまだ、帰れないんだ。

 おやっさんやみのりや、一条さんに、まだ会えない。

 今の俺、前の俺と同じように笑えてる自信がないから。

 もう少し上手く笑えるようになってからじゃないと、心配かけちゃいそうで」

 

「ユースケは…………いい笑顔の男だと、思う」

 

「ははっ、ありがとうな。

 でもさ、やっぱまだ前みたいに笑えてる自信無いんだ。

 俺自分で思ってた以上に、勇気が無い奴だったみたいだから」

 

「勇気ある者ほど…………自らの、勇気無きを、語る。

 愚かしい者ほど…………自らの、勇気有りを、語る。そういうもの」

 

「そうかな」

 

 クウガは、雄介に笑顔がないとは思わない。勇気がないとも思わない。

 一年近く一緒に旅をした結論として素直にそう言える。

 だが雄介は、自分が昔の通りの自分に戻っているとは思えていないようだ。

 ゆえに、日本の大切な人達の下に帰れていない。

 

 一年。

 第一次未確認生命体災害は、一年間続いた。

 丸一年かけて、優しく強く暴力を好まない男の心を削り、擦り減らし、斬り抉り、へし折り、押し潰し続けたのだ。

 何度も、何度も、繰り返し。その心が何度立ち直ろうと立ち直れなくなるまで何度も。

 そうして、未確認生命体は意識すらせず、五代雄介の心を削りきった。

 

 五代雄介が自分を嫌い、自分の笑顔を信じられず、自分を許せなくなるまで。

 

 クウガの胸中に、様々な感情が湧き上がった。

 虚しさ。

 悲しみ。

 無力感。

 苦痛の共感。

 かわいそう、と思う気持ち。

 グロンギに、人に対する共感などあるわけがない。

 何千人殺そうが、どんなに苦しめてから殺そうが、「痛そう」「かわいそう」などとは思わない種族だからだ。

 事実、この時のクウガに人らしい共感などはない。

 クウガは一年近く共に過ごした五代雄介の考えること、感じることなら、少しくらいは分かるようになってきた。それだけだ。

 

 それはつまり、()()()()()()()()()()()()()()への第一歩。

 五代雄介は、戦う力が素晴らしい人間だったのではない。

 優しいからこそ、正しさを教えられるからこそ、子供を優しい人になれる道へと導く生き様を自然にこなせるからこそ、素晴らしい人間だったのだ。

 本当は、五代雄介は、戦いの場で使い潰していい人間などではなかったのに。

 

 だからこそ、だろう。クウガが、『次のクウガ』にならんと決意を固めたのは。

 

「人には…………出来ることと、出来ないことがあります。

 人には、人の。

 怪物には、怪物の。

 それぞれの、境界線があります。

 人の領分を、越えれば、人では居られない。グロンギは皆知っていることです」

 

「そうなのかもね」

 

「"普通の人"に戻りたければ…………もう二度と、人を超えたことはしないように」

 

 普通の人間で居たい、と願う者がいる。

 そう願っている時点で、その者は高確率で不幸な人間だろう。

 その人間には、普通すらないということなのだから。

 今の五代雄介のように。

 

 グロンギは、皆望んで怪物になる。

 皆望んで人間を辞める。

 それと渡り合うために、雄介は人間を辞めていった。

 人間らしい幸福を失っていった。

 だからこれはクウガからの警告だ。

 

 二度とその世界に足を踏み入れるな、という、優しい警告。

 

「あなたが頑張ったことは、間違いなんかじゃない。

 あなたが目指したものは、間違ってなんかいない。

 それは正義ではなくて、もっと単純なことだから。

 好きだという気持ち。

 これが正しい、あれは正しくない、とかでなくて、笑顔が好きだという気持ち。

 正義を目指す正しさでなくて……

 正義よりも大切なものがあると知った上で、初めて貫くことができる……正しさ」

 

 言葉を紡げば紡ぐほどに、普段時々変なところで止まりがちなクウガの言葉が、するすると紡がれていく。

 クウガが流暢に話す時、その言葉がどんな意味を持つかを、雄介は知っている。

 

「ユースケが守った世界があって、繋げた未来があって、その平和が今もある。だから」

 

 月の光の下、少年の手が、男の手を強く握る。

 

「ユースケの順番が来たんです。あなたが、平和な世界で穏やかに生きる、順番が」

 

 クウガは何も話さなかった。

 これから異世界からグロンギが来ることも、何もかも。

 そしてこの後少しして……クウガは一人で全てのグロンギを倒そうとして、目を抉られ、海に蹴り落とされることとなる。

 

 五代雄介は、クウガと違って他人の気持ちがとてもよく分かってしまう男だったから。

 余計なことを少しでも話せば、察されてしまう危険があった。

 もしかしたら、大なり小なり何かは察されてはいたかもしれないし、クウガの想像通り何も察されてはいないのかもしれない。

 だが、クウガは何も話さなかった。

 平和が守られたこの世界にもうグロンギは居ないという雄介の認識を、守ろうとした。

 

「あなたはもう、『クウガ』をやらなくていい。…………ワタシが、保証します」

 

 どんな理由があろうとも、五代雄介をもう二度と戦わせてはいけない。

 

 そう思うグロンギが、ここにいた。

 

 クウガの保証に、雄介の心に刺さっていた"まだ戦わないといけないかもしれない"という想いのトゲが……すっと、抜ける。

 

「そっか。ああ―――安心した」

 

 もう二度と五代雄介を戦わせない。

 五代雄介が戦わなくて良いように、彼が守ろうとしたものを守る。

 それが、ズ・クウガ・バの月下の誓い。

 

 クウガが日本に行くと聞いて、雄介は"ある程度事情を鑑みてくれそうな"日本の友人知人に連絡を取ってくれた。

 橙子などがそれである。

 グロンギであるクウガを受け入れてくれる土壌もまた、五代雄介がくれたもの。

 雄介はクウガにとって色んなものを贈り、教えてくれた、兄であり父のようなものだった。

 

 グロンギの出来損ないを、人間の出来損ないにまで持って行ってくれたのは……五代雄介という人間の善良さであり、彼が持つ人の心だった。

 

 だからこそ。

 彼が家族、『おやっさん』、『一条さん』の下に帰れないことに……クウガは、虚しさを覚えてしまった。

 その虚しさと悲しみを、喫茶ポレポレにて、クウガは思い出してしまった。

 

 人を守る戦いの果てに、十二分に報われなかった男の結末に覚えた想いを。

 

 

 

 

 

 クウガはグロンギ基準で見れば、頭が良いとは言えない。

 こんな事態は想像していなかった。想定もしていなかった。

 けれども、何も考えないで答えるなら簡単だっただろう。

 

 言ってしまえばいい。

 五代雄介の現状を。言っていたことを。抱えていた苦しみを。

 帰って来ない理由から、自分が五代雄介に拾われた経緯まで、全部全部。

 それで別に損はしない。

 クウガには何のマイナスも無いのだ。

 

「雄介の奴の知り合いだったりするのかい? お客さん」

 

 グロンギとしてのクウガが、嘘をつく意味もないので淡々と、真実を口にしそうになって。

 

 クウガの心にある何かが、その口を開かせなかった。口を閉じ、唾を飲み、言葉を飲み込む。

 

「…………いいえ。知らない方です」

 

「そっか。そりゃ残念だ」

 

 本当のことを言わない、などではなく。

 勘違いをそのままにしておく、などでもなく。

 それはおそらく、彼にとっては生まれて初めての―――()()()()だった。

 

 いつの日か、自分を許し、自分がちゃんと昔の通りに笑えていると、雄介が思える日まで時を与えるために。

 雄介と、雄介の大切な人の再会の形を、雄介が自分の意志で選べるように。

 それまでの時間、雄介が望まない心配を、皆が抱かぬように。

 ズ・クウガ・バは、五代雄介を尊重した。

 

「今回の冒険は長くてさあ。いつまで経っても顔見せないんだよ、あいつ」

 

「…………そうなんですか」

 

「いつでも帰ってきて良いんだ。

 どんな雄介だって迎えてやるのにさ。

 あいつはちょっと抱え込みすぎるから、そこは心配なんだ」

 

 クウガの胸の奥が痛んだ。

 人間ならば何故痛むのか分かる痛み。

 けれどもグロンギである彼には分からない。

 

「帰りを待つ気持ちは…………人間皆、持っているものなんでしょうか」

 

「そりゃーそうだよ。変な聞き方するね、君」

 

 おやっさんはクウガのカップにコーヒーのおかわりを注ぎつつ、目をぱちくりさせる。

 

「人間、大切な人に望むのは、笑顔で帰って来てくれることが一番さ」

 

「…………」

 

「だから君も、そんな顔で帰ったら心配されるぞ?」

 

「え?」

 

「何を悩んでるかまでは分からんがね。何かお悩みの様子だったからさ」

 

 この人も目敏いな、と、クウガは思う。

 

「ええと…………

 喧嘩、喧嘩みたいなもの?

 スポーツ…………なるもので、勝てないんです。

 今のワタシには、一番大事なことなのに。それ以上に大切なことは、ないはずなのに」

 

「喧嘩みたいなもの、ねえ」

 

「…………あ、えっと、危ないとか、そういうことでなくて。

 ただなんというか、勝たないと、ワタシは…………価値が無いんです」

 

「……」

 

 おやっさんは、クウガの前に、無言で三杯目のカレーを置いた。

 

 そして、よく分からんことを言い始めた少年に向け、スパッと言い切った。

 

「美味しいものを食べて。

 友達と楽しく過ごして。

 今日も、明日も、その先も、笑って過ごす。

 それより大切なことなんてないんじゃないかね?」

 

「―――」

 

「喧嘩するなとは言わないけどね。

 喧嘩よりも楽しいことが沢山あるのにもったいないなぁ、とおじさんは思うわけですよ」

 

 人生楽しみなよ、と笑って言いながら、おやっさんはカレーの横に福神漬の皿を置く。

 

 そのカレーは、金箔入りイカスミカレー。

 かつて、未確認生命体第4号が46号を倒した時に……"クウガがガドルを倒した"記念に、ポレポレが新作としてメニューに載せたカレーであった。

 黒いカレーの合間にチラチラと、キラキラと金箔が見えて美しく、その実大きな肉とジャガイモが入った男らしさの塊のようなカレーである。

 

「昔ねえ、雄介の奴が俺に言ってくれたんだよ。

 世界一喧嘩強い奴でもこのカレーは作れないよ、って。

 へへっ、嬉しいこと言ってくれるよねえ。あいつはいつもそんな感じでさ」

 

「…………」

 

 話せば話すほどに、クウガは理解できてしまう。

 

 五代雄介が何を守りたかったのか。何を守ったのか。何のために戦い、何を残したのか。

 

 「()()()()()()()()()()()()()()()()」と、言っている雄介の姿が簡単に想像できてしまって……雄介の戦いが悲劇だったと、言い切れなくなってしまう。

 悲しみがあったとしても。

 消えない傷が残されたとしても。

 第一次未確認生命体災害は、悲しみと絶望だけの事件ではなかった。

 しからばそれは、英雄譚と言うべきなのだろう。

 

 そして英雄譚にはいつも、拭いきれない悲しみの残滓がある。

 

「いかんね、どうにも。

 空我君を見てると雄介を思い出しちまう。

 なんでだろうねえ? 全然似てないとは思うんだけどねえ」

 

 おやっさんは、クウガと雄介を重ねるが、どこも似ていない。

 それも当然だろう。

 クウガの単語の発音、歩き方、椅子を引く所作、座り方、座る姿勢、スプーンの使い方、それらは雄介を真似したものである。

 カーマや雄介の日本語や所作の癖がそのまま残っているのだ。

 大抵の人間には分からないだろうが、長年五代雄介と付き合いがある人間は、なんとなくでその共通点を理解することができる。

 

 似ていないのに雄介を思い出させる少年なのだ、クウガは。

 

「なんで…………でしょうね」

 

 クウガは三杯目のカレーに手を付け始めた。

 

「みのりっち! 手伝いに来てくれたのかい?」

 

「はい。今日はやることのない土曜日だったので」

 

 次々と新しい人が入って来て、新しく人が出ていって、店の中の光景が変わっていく。

 

「ちーっすでーす」

「どーもー。あ、クウガ君発見!」

 

「…………カーマに、リツカ?」

 

「迎えに来ましたよ。警察の皆さんに心配かけながら何遊んでるんですか? LINE回したれ」

 

「カーマ、連絡回すって、普通に言えば…………というか、なんでここが?」

 

「魔力反応が奇跡的に追えたので、辿って来たんですよ」

 

「カーマちゃんはクッソあざといからね。

 一人だけで迎えに行って、私特別だよアピールすると思ったから。

 ついていけば私もクウガ君にさっくり会えるかなー、って思ってさ」

 

「は? 妄想力豊かですね。何を根拠にそんな想像したんだか……」

 

「まあまあ。あ、朝ご飯食べちゃう? 喫茶店みたいだよここ」

 

「…………このカレー、美味しいから、オススメするよ」

 

「甘口甘口……カーマちゃんこの地雷臭たっぷりなやつ頼んでよ」

「三度生まれ変わっても嫌です。クウガさんを信じることにします、同じやつで」

 

 クウガを最速で発見するカーマに、ついてきた立香。

 遠く警察署ではクウガ健在の報を受け、喜ぶ人やこちらに向かってくる人もいるようだ。

 クウガの周辺がワチャワチャとしてきた。

 どこか儚げで、どこか危ういクウガの雰囲気によくないものを感じていたポレポレのおやっさんも、その光景を見てやがて微笑む。

 

「少年、可愛い子にモテモテなんだねえ。かーっ、羨ましい!」

 

「…………からかわないでください」

 

 少年の体内で見えない変化が起こっていることに、誰も気付いてはいなかった。

 心に生じ始めた変化が、クウガの腹の中に収められた四つの欠片を励起させていた。

 

 むしろ、目に見える『異常』は、外からやってきた。

 

「げっ」

 

 窓の外を見たカーマが、少女がしてはいけない顔をする。

 

 ほとんど沙条愛歌と言っていい顔の造りはとても可愛らしいが、それでもカバーしきれないほどに、表情が歪みきっていた。

 

「クウガさん、すぐ移動できますか」

 

「? もうちょっとカレー食べてたい…………コーヒーも美味しいし。なんでか苦いけど」

 

「苦くないコーヒーなんてあるわけないでしょうこのアンポンタン! っと、そうじゃなくて」

 

 クウガの尻を蹴り上げる勢いで連れ出そうとするカーマに、おやっさんと立香が首を傾げていると、喫茶店のドアが開く。

 

 からんからん、と、一昔前の喫茶店で流行った、客の入店を知らせる鐘が鳴る。

 

「いらっしゃい! オリエンタルな味と香りの、喫茶ポレポレにようこそ」

 

 店に入って来た男が、カウンターに座るクウガの横に座った。

 

 カーマが頭を抱えて、テーブルに突っ伏す。

 

「あーダメですねこりゃ、もうなんか色々ダメ」

 

 カーマの言葉が耳に入っていないクウガが、肌でその存在を感じ取り、戦慄し、立香とカーマを庇えるように心を構えた。

 

 

 

「ガドル…………!?」

 

「店主、コーヒーを一つ。最も自信のある豆で作れ」

 

「はいよ。一見さんだよね? 粋な注文するねえ」

 

 

 

 ジャーザの力で太平洋に流されてから、数時間。

 深き海に溺れることもなく。

 日本がどちらの方向にあるか見失うこともなく。

 彼は、帰って来た。

 たった数時間で帰って来たというべきか、帰って来るのに数時間もかかったと言うべきか。

 

 やや古臭い、現代ではコスプレで通じるくらいには知られた軍服を異様なほどに着こなして、ガドルはクウガの横の席に座っていた。

 

「コーヒー…………好きなんですか、ガドルさん」

 

「ああ」

 

 手早く出て来たコーヒーを、ガドルが口元に運ぶ。

 

 何しに来たんだコイツ、とカーマは戦々恐々しながら、様子を窺っていた。

 

 

 

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