クウガは運が良いのか悪いのか。
いや、おそらくとてつもなく悪い。
まさかのまさか。
メ・ドゥサ・レの魔眼によって根本がポッキリと折れたビルが、ドゥサにはかすりもせず、クウガに向かって倒れ直撃した。
「!?」
ダメージはない。
異界のグロンギはそういうものなのだが、びっくりしただけに終わった。
気分は温かい風呂だと思って入ったら冷水でした、というアレに近そうである。
不幸中の幸いだが、倒れたビルが盾になって視線も遮られた。
なんとか石化による即死も免れようで、クウガは瓦礫の合間をコソコソと動き回りながら安堵の息を吐く。
「ダグバダ・ダグ・バンザボセ*1」
これは偶然なのか?
否。
ビルがここで倒れて来たのは、必然である。
神話にさして詳しくないクウガは知るよしもなかったが、これもまた神話の再現だ。
メドゥーサの魔眼は、『制御ができない』。
そのため、サーヴァントとしてのメドゥーサは自分の魔眼を封じるための宝具を持って召喚されるという。なんとも難儀な話だ。
神話ではこの"メドゥーサの魔眼はメドゥーサの意志に関係なく見たものを石にする"という特性を利用し、死んだメドゥーサの首を盾に付け、利用したという。
なんにせよ、メドゥーサの魔眼は強化するより制御することの方が圧倒的に難しい、ということなのだ。
146個の魔眼があり、73対の顔があるとしても、73個の魔眼封印宝具なんて用意できるわけがないのである。
メドゥーサというビッグネームですら制御できない魔眼・キュベレイを、無理矢理にでも制御しようとしたのがサーヴァント・メドゥーサなら、制御を放棄して周囲全てを破壊する滅びそのものへと変えることを決めたのがメ・ドゥサ・レなのだろう。
なので、自分の意思に反してビルを破壊してしまったのだ。
地面に立っている怪人が自然な姿勢を取れば、水平方向を見る形となり、ビルの根本だけが石化し過剰な石化による崩壊も始まっていく。しからば折れるのは必然である。
そもそも、ビルというものは鉄筋コンクリートを石化させた時点で鉄筋ではなくなり、強度問題ですぐさまポキっといってもおかしくないものだ。
規模が跳ね上がった石化の魔眼は、もはや周囲の全てを終わりに導くまで止まるまい。
信じられない魔眼の効果の突破力を、本来二つしかなかったはずの魔眼キュベレイを10個20個、30個40個と重ねることで実現させている。
「ゼロ・パダギジャ・バベセダ・ダゴゲバギ。ビガギゾギ・セバギド*2」
今最も有望な対策は、時間切れ狙いだろう。
ドゥサを立香の方に行かせず、かつ迂闊にあの魔眼にやられないように立ち回り、ゲゲルの時間制限切れを狙う。
一回目はこれで乗り切れたのだから二回目もこれを狙えばいい。
あとは一週間かけて対策を練ってぶっ殺す。これが手堅いやり方だ。
ならば、位置関係を把握しなければならない。
必要なのは索敵だ。
クウガには索敵系の技能も能力も一切ないが、事この状況に至っては、ドゥサの位置くらいは常に把握しておかなければ最悪の状況に転がりかねない。
よって、索敵を始めたのだが。
「あ」
「あ」
ある店の中でクウガが見つけたのは、ドゥサではなく、立香と警察官だった。
「え、あの…………なんでまだこんなところに?」
「うっ」
立香の後ろには、小さい子供達が何人もいた。
「子供…………ですね」
「この子達、目の前でお父さんやお母さんを石にされちゃったらしいんだ。
小さい子供は背が低いじゃん?
だから窓の高さまで身長が届いてなくて助かったみたい。それ自体は、いいんだけど……」
「まいったっす。そういうわけなので、子供達の恐怖の状態は最悪と言っていいっすね」
子供達は立香にすがりつく者、警察官に抱きつく者、石になった親に泣きつく者と多種多様。
店の中をクウガがぐるりと見渡せば、子供の数は12人。
少し……いや、かなり多い。
この数を連れて逃げるなら、ドゥサからは逃げ切れない。絶対に。
「おかーさん……」
「おどーざん……!」
「えぐっ、ひぐっ」
泣いて、何かか誰かにしがみついて、このままここにいれば死んでしまうのに、ほとんどの子供がここを動こうとしていない。
子供らしいと言えば聞こえはいいが、この状況では最悪だ。
子供が枷になっている。
ゆえに立香が逃げられない。
しからば立香は制限時間内に必ずドゥサに発見され、殺され……エクストラターゲット達成で、日本全国にて一斉にゲゲルが開始される。
発生する死者は百万人クラスか、千万人クラスか。
最悪、桁はもう一つ上に行くかもしれない。
「もう奴を倒すしかないっす。立ち向かいましょう! 子供達を守るんす!」
「…………」
「……最悪、クウガさんと立香ちゃんは逃します。二人は希望っすから!」
クウガは顎に手を当て、考え込んでいる。
警察官の言う子供達を全員活かす道を考えつつ、最悪の事態を回避するために最後の一線を引いている折衝案は一見悪くないものに見える。
だが、それすらもクウガから見ればありえない案であった。
子供達生存の道を探すためにドゥサに立ち向かうというのが既に論外である。
その瞬間に全滅もありえる。
クウガからすればこんな子供は見捨てる以外にありえない。
ドゥサに対する勝機が0になっている以上、それ以外の選択肢はありえないのだ。
"自分はドゥサに勝てない"と言えばいい。
"子供達を見捨てて逃げよう"と言えばいい。
それが正しい選択だと分かっているのだから、クウガは言ってしまえばいいのだ。
きっと立香も警察官も、最低一考はしてくれるはずだ。
なのに、言えなかった。
「ねえクウガ君。石化した人達、どうにかして戻せないかな……」
「それは…………ドゥサを倒せば、戻ると思う。
でも。その前に石化した体が砕けたりしたら…………おそらくは、無理になる」
「そっか。
じゃあやっぱり、今日どうにかしないとダメなのかな……
今日ダメだったら、最悪来週まで解決できなくなるかもしれない。
そうしたらこの子達、親が石になったまま一週間って、トラウマになっちゃうよ」
言えばいいのだ。
今夜、これだけの破壊がもたらされたなら、死人は大量に出たはずだと。
十人や二十人の子供の死者が追加されたくらいなら誤差だと。
そんなものにこだわって大局を見誤ることが最悪なのだと。
クウガは言ってしまえばいい。
けれど、言えなかった。
ドゥサのゲゲルを失敗扱いにし、エクストラターゲットをグロンギから守り抜くために、子供を犠牲にしようと言えばいいのに。
どうしても、言えなかった。
言わなければ。
言えない。
言うべきだ。
言えない。
言う以外に何がある。
言えない。
子供達を見捨てろと、言うべき口が開かない。
口を開けないクウガの手を、怪物の姿をしている今の彼の手を、歩み寄ってきた子供の小さな手が握る。
クウガは言葉なく驚いた。
さっきまで開こうとしても開けなかった口が、何故かするりと開いていた。
「…………どうか、したかな」
「げんき、だして」
「―――」
何かを言おうとして、何かを言うべきはずだった口が、何も言えなくなった。
クウガの手が、現実に立ち向かうように、現実から逃げるように、子供の手を優しく握った。
そして、終わりがやってくる。
「ボボバ*3」
ドゥサの声が聞こえた瞬間、クウガは何も言えなかった自分を悔いた。
見捨てられなかった自分を悔いた。
もはや手遅れ。
ここから全てを見捨てても、間に合わない。
視界に入れば即アウト。
見られたならばすぐ石に。
そうなることを分かっていた警官は、前に出た。
ドゥサに近付けば助からない。
けれどドゥサに近付けば、より多くの視界を塞げる。
前に出たのは、その警官の勇気の証。
「子供を頼―――」
警官が一瞬で石化し、その体が視線を遮る壁となる。
クウガは上手く視界の穴を縫うようにして、立香を魔眼の視界の穴へと滑り込ませた。
「っ!」
だがそこに立香を滑り込ませる代償として、クウガの左手が魔眼の視界に入ってしまう。
急速に石化が進む左手を見て、クウガは迷いなく自分の左腕を肩口から切り落とした。
落ちた左腕が完全に石化し、体はなんとか無事に済む。
未確認って腕も生えるのかな、と立香は思った。
だが、いつまで経っても生えてこない。
切り落とされた腕は、そのままだった。
「流石に…………切り落としちゃったら、生えて、こないか」
「そんな……!」
少女の顔色が、さあっと青くなる。だが、騎士に動揺はない。
「リツカ。ここからは、指示に、従って欲しい」
「う、うん」
ドゥサは、とっくに冷静ではない。
能力はありえないほどに規格外だが、それを操るドゥサの思考は加速度的に単調になっていっている。
動きを読むだけなら造作もなく、ここから立香を連れて逃げるたった一つの道筋を、クウガは既に見つけていた。
見つけていた、けれど。
「………………」
思考があった。計算があった。予測があった。
「―――」
葛藤があった。懊悩があった。
「―――」
だが、迷いはなかった。
「―――」
決断は一瞬だった。
クウガは店内の物陰に入り込み隠れてなんとか石化をやり過ごした幼い子供の服を掴み、物陰から無理矢理に引きずり出す。
そして、投げた。
「え? え―――」
計算され尽くした子供の投擲が、ドゥサの視界の一角を的確に塞ぐ。
子供は石化し、視線を塞ぐ壁となった。
店内の置物、警官の体、石化した大人などが複合的に死角を作り、道が出来た。
クウガは立香の手を引き、数秒の間だけ出来た道筋を走る。
「ちょ、ちょっと!?」
立香の声は、もう聞かない。
大きな棚の陰に隠れて震えていた幼い子供を無理矢理引きずり出す。
「やだぁ、やだぁ、やだぁ! あ―――」
そして、投げる。
石化させられた子供でまた視覚的隙間を作り、その隙間に立香と自分の体を滑り込ませる。
出口に近付く、小さな一歩。
とても大きなサイズの梱包用ボックスの中に隠れ、泣いていた年齢一桁の子供を無理矢理引きずり出し、視線を遮る盾に使う。
「ママー! ママー! 助けてママー! マ―――」
盾に使った後は無造作に床に投げ捨てた。
次の逃げ道もまだ視線が通る隙間がある。
視線が僅かでも通ってしまえば、即座に石化させられてしまう。
だから、親の石像にすがりついていた5歳くらいの女の子を、隙間塞ぎに使った。
「やめてぇ! やだぁ! やぁー! や―――」
石化した小さな女の子に目もくれず、泣いている女の子を物陰に見つけ、また無理矢理引きずり出してドゥサへと投げる。
「怖いよぉ……ぐすっ……えぐっ……離してぇ……怖いよぉ……! ぁ―――」
一歩、また一歩と、魔眼の視線に触れない道を辿りながら出口へと近付いていく。
そして、最後の一手。
ここまでドゥサの動きを完璧に読み切ってきたクウガが、最後の詰めに入る。
少年はドゥサの思考を読み切っていた。
クウガ達がどこにいるか分からず――視界に一切入らないため――、けれど逃げ切る寸前だということを察したドゥサは、尾を巨大化させる。
そしてクウガ達がいそうな場所に見当をつけて薙ぎ払う。
大味に。
大雑把に。
先程石になった警官の石像を、粉砕しながら。
「―――」
立香は、先程したばかりの会話を思い出す。
―――それは…………ドゥサを倒せば、戻ると思う。
―――でも。その前に石化した体が砕けたりしたら…………おそらくは、無理になる
バラバラになった"警察官だったもの"が宙を舞い、クウガが立香を抱えて脱出に入る。
クウガが読み切った通りにドゥサは動き、クウガが予想した通りの犠牲にて終着した。
「ま」
思考が停止している立香を抱え、クウガは駆ける。
「待って、クウガ君、待って」
12人の子供達全てを
逃げ切った後、立香がクウガに詰め寄ったのは、当然のことだった。
「ねえ……ねえ! これ、どういうことなの!?」
「子供を頼むと……言われ、ました。子供達は石化しただけ、だから」
「―――」
子供を見捨てられない気持ちがあった。
子供を頼むと言われた警官の言葉があった。
立香を見捨てられない気持ち、エクストラターゲットを殺させてはならない責任があった。
だから、ズ・クウガ・バに選べる道など、これ一つしかなかったのだ。
子供達は全員犠牲にされたが、石化だけなためにまだ生き返る道はある。
警察官は立香と子供達全員を救うために許容されてしまった犠牲。
エクストラターゲットもまだ倒されていないため、致命的な一線を越えずに済んだと言えないくもないのかも知れない。
だが、立香はクウガを褒められない。
褒めたくない。
泣き叫ぶ子供達を、まるで道具のように扱い、計算尽くで警察官を犠牲にしたその冷酷さ。
少しずつ積み上げられていた立香のクウガに対する信頼と好感を、根こそぎ消し去ってしまうのに、先の彼の非人道的な行動は十分すぎるものだった。
あまりにも辛かった。
あまりにも悲しかった。
素直に「私を助けてくれてありがとう」と言いたくても言えなくて、立香は胸が張り裂けてしまいそうだった。
クウガのあの行動を見てから、感謝の言葉を言うことなど、できなかったのだ。
「子供と、リツカ、どちらも全員助かる可能性があるのは、この道筋だけで……」
「分かってる! 分かってるけど! 私が言ってるのはそういうことじゃなくて!」
クウガの選択は正しかったのかもしれない。
だが、正しかっただけなのかもしれない。
小さな子供をボールのように無造作に投げ、単なる壁として使うという異常行動。
子供をそんな風に扱う行為に一切の躊躇いがないズ・クウガ・バが、恐ろしかった。
立香は、クウガを恐れてしまった。
クウガを『理解』してしまったがゆえに、恐怖してしまったのだ。
「その選択が合理的に正解なのと、躊躇いなくやれちゃうのは、別の話じゃないのっ……!?」
「―――」
ズ・クウガ・バは、人間ではない。
グロンギなのだ。
怪人の裏切者で、人間の味方でも、未確認生命体の一人なのだ。
人間と同じように見てしまえば、必ずズレが出る。
「逃げ切ったら……
クウガ君、申し訳なさそうにするとか、謝るとか、思ってて、私、私っ……!」
普通の女の子と、異常な怪物。
この瞬間まで仲良く出来ていたという奇跡が終わり、当たり前のズレが表出してしまう。
二人の価値観は、絶対的にズレ込んでいる。
「申し、訳、ない」
「……私に、私に、謝らないでよっ……!」
せめて、子供達を見捨てようと最初から言えなかった『慈悲』が、彼の中に欠片もなければ良かったのに。
その慈悲がなければ、最適解が選べていたのに。
警察官は死なず、子供達の多くも石化せずに済んでいたかもしれない。
せめて、子供達や警察官をあんな風に非人道的に使う『無慈悲』が、彼の中に欠片もなければ良かったのに。
その無慈悲がなければ、立香と喧嘩はせずに済んでいただろうに。
善き人気取りの悪くない気持ちのまま、彼らは悔いも少なく死ねていけただろう。
けれども、結末は本当に中途半端だった。
「本当に、ごめん、なさい」
クウガは両手も両足も揃えたお辞儀をしようとする。
だが、片腕の欠損を忘れていたクウガが、少し姿勢を崩してしまった。
取り繕って、再度クウガは頭を下げる。
「ワタシは…………まだ…………リントの心が、完璧には、分かってなくて…………」
「―――っ」
立香の内に、感情が噴出する。
クウガへのやるせない怒り。
自分を守ってくれたことへの感謝。
死んでしまった、いい人そうだった警察官。
泣き叫びながら石になっていった子供達。
そして怪物のくせに、
感情に振り回されて、クウガの気持ちを理解しようとさえ思っていなかった一瞬前の自分へと向けられた感情。
混ざりあった複雑な感情を、立香は精一杯頑張って飲み込んだ。
「……ごめんね」
クウガが謝って、立香が謝って、けれど何も解決はしなくて。
死んだ人は、戻ってこなくて。
胸の奥が削られるような苦しみと痛みが、少女を苛んでいた。