ハリーと時間のロード 作:長身灰色目隠し青色系
光が溢れる。
1、2、3秒と経つにつれて次第に光は消え、もとの薄暗い空間が取り戻されていく。同時に、大小2つの影が部屋の一画に現れた。
「お母さま、眩しかったね」
「そうね。あなたの目玉は、まだちゃんとそこについている?」
「はい、ゴーグルちゃんと着けてたから。ぴったり」
「そう」
黒髪の長身の女と5〜6才ほどの子どもは淡々と会話を続ける。どちらも顔を覆うほどの大きさのゴーグルを装着していた。
「次に移るから用意なさい」
杖を振りながら、女は子どもに声をかける。宙では、色とりどりの液体が満たされた容器が浮かんでいる。
「はい、お母さま」
女の言葉に子どもは頷いて、シャツの中に下から手を滑らせる。冷たい感触を感じて、それをそっと握りしめた。
「…?どうしたの、離れなさい」
「でも」
「あのね、あなたの役目はわかっているでしょう?」
「でもわたしも見たいんです。これ前にもしたことだよね。だから大丈夫だと思って。1度、見てみたいのです」
「……」
女はため息をついて、子どもから視線を外した。
子どもは小さく笑う。女が何も言われないということは、許されたということだから。
女は、沸々と煮えるビーカーにフラスコを近づける。子どもは目を輝かせて、一瞬足りとも見逃さないように気をつけた。
「くしゅんっ」
「えっ」
女はフラスコから必要以上に溢れる液体を見た。
即座に杖を向けようとしてーーやめた。一瞬の内に、間に合わないと判断した。
女は、心臓が飛び出たような顔をしている子どもに覆い被さろうとして、子どもごと吹き飛ぶ。
爆発は、3度に分けて続いた。
強化していた1階への壁も吹き飛び、瓦礫が地下室に降り注いだ。
「…おか…さま」
瓦礫中で子どもが絶え絶えと声を出した。気を失いながらも、女の体は子どもを守っていた。
しかし子どもも無事とは言えない。右腕、両足の感覚はない。背中を強打したせいで息が出来ない。視界の半分は塞がっていた。
子どもにとっての幸運は、もはや耐えきれない激痛により、痛覚が麻痺したことだった。
「おか……ぁーー」
母を求めた子どもが見上げた先にあったのは、女の変わり果てた姿だった。
顔が溶けて無くなっていようとも、それが己の母であることを、子どもは理解してしまった。
そして理解した次の瞬間には、子どもは既に狂っていた。全身が強張り、ぐるりと白目を剥く。
強く握っていた左手の中で、"カチ"と音が鳴った。
「次に移るから用意なさい」
杖を振りながら、女は子どもに声をかける。宙では、色とりどりの液体が満たされた容器が浮かんでいる。
「…?ねえ」
バタン、と何かが倒れる音がした。
女はその発生源へと目を向けた。
「…え?」
女が見たのは、仰向けに倒れた子どもの姿だった。
「ーー!」
女は子どもに寄ろうとしてーー杖を一振りして浮かんでいたものを下ろして、膝をついた。
何があったのかと子どもの様子を確かめようとすれば、子どもの胸元が発光していることに気づく。
女は、それで原因の半分を理解した。
しかし、なぜ。
今までこんなことはなかった。
「…まさか」
女は子どもに向けて杖を一振りした。
数秒後、子どもの身に何が起きたのかを知る。
女は後悔する。
己がどれほど愚かであったのか。本来ならば有り得ることのない環境に、いつからだろうか、従順になってしまっていたのだ。
己はいつから、リスクを考えるのを止めてしまったのだろうか?
子どもの左腕の袖をまくるーー女の顔色は真っ青になり、体を小刻みに震えさせる。
「…ごめん、なさい……」
人生で一度として口にしなかった謝罪の言葉は、赦しを乞うためのものではなく、無意識に口から滑り落ちたものだった。
「なんてことを…こんなことになるだなんて…そんな、こんな、だって、知らなかったのーー私、のせい……いやぁ、あ、あーー」
女は子どもの名前を叫ぶ。
叫びながら、涙を流しながらも、女は子どもの治療に神経を注ぐ。
「オブ………エイト」
久しく聞いていない、懐かしい声。ベッドに身を預けている子どもの意識は覚醒した。ニャーと聞き覚えの鳴き声がする。
しかし、目蓋は貼り付けられてしまったかのように重く、開かない。
動くことを諦めた子どもは、声を出すことを試みる。
かすれ、自分のものではない音に気味悪さを感じるも、声が出たことに安堵する。そして、縋るように呼びかけた。
「…マ…マ……?」
ひゅっと隙間風が通ったような音を、子どもの耳が拾う。子どもは、もう一度呼びかける。
「マ…マ?」
「嫌いだったんでしょう?見捨ててしまえばよかったのに」
「でも、ダドリーは…」
急患用の一室に、黒髪の長身の女と、年齢にしてはかなりの長身の子どもの2人がいた。2人以外、周りに1つとして人影はない。子どもの枕元で、猫が小さく鳴いていた。
ベッドに仰向けになった子どもの身体には、様々な医療機器が取り付けられている。
今子どもの体からは、全身の感覚が失われていた。
「それより、なんでママが………え?ぅえーー」
突然の吐き気に子どもの抵抗は利かなかった。迫り上がる胃液が子どもの口周りを汚していく。
女は杖をひと振りした後、子どもを支えて背中をゆっくりとさすった。
「何も考える必要はないわ」
「で、でもママ」
「シレンシオ ‘だまれ’」
子どもの言葉を待たずに、女は杖を一振りする。そして、トランクからいくつかの注射器を出して、宙に浮かせた。
女の口から呪文が綴られる。その間に、1本、また1本と子どもの皮膚に注射針が刺さっていく。
最後の1本が右足に刺さったところで、女は口を閉じた。
「これで問題ないわ。もう2度と、こんな風になるまで使わないように。自分のためだけに使いなさい…と言っても、おまえは聞かないのでしょうね」
「……マ」
「いいわ。でも、生きなさい。生きてさえいれば、この先永遠に、私がおまえを治すから。おやすみなさい、オブリビエイト」