今日までと、今日から   作:真喜屋五木路

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第1話

最近ゆかりお姉ちゃんに避けられている気がする。

いや、気がするなんてものではない。この私、紲星あかりの直感が間違いなくそうだと告げている。

何せ今までずーっと一緒に登校していたのに、突然『最近ちょっと忙しいから』という文面での連絡が一通来たかと思えば、それ以来顔を合わせる機会がまるで無いのだ。

最初しばらくの間は不幸な偶然だと思っていたけれど、偶然もここまで続けば必然である。

その上、それについて問いただしていてものらりくらりとごまかすばかりで、全然理由を教えてくれなかった。

とくれば、これはもう何か私には言えない理由があるに違いない。

そして実の姉妹のように親しい私にも秘密にしなければならない理由と言えば、もう間違いなく彼氏ができたとか、そういう男がらみの理由に決まっていた。

雑誌にもネットにもそう書いてあったし間違いない。

……そういう訳で授業が終わってからずっと、具体的には一時間ほど前からじーっと隠れてお姉ちゃんが校門から出てくるのを見張っているのだ。

(うぅ……ずーっと待ってるだけなのって退屈だな……。中等部の授業が終わる時間より高等部の授業が終わる時間の方が遅いってのは知ってたけど、こんなに待たなきゃいけないなんて思わなかった……)

何時ものおやつタイムはとっくに過ぎていて、小腹がきゅるー、と抗議の声を上げている。

だが、コンビニに走っている間にゆかりお姉ちゃんを見逃してしまっては元も子もない。

「はぁ……」

今のでこの葛藤を何度繰り返したろうか、そんなため息をついた時だった。

ふわりと見慣れた、そしてずーっと見たかった紫色の髪が校門の柱の裏から躍り出る。

(ゆかりお姉ちゃんだ!)

嬉しくて反射的にバッ!! と隠れていた塀の影から飛び出してしまい――

「――っ!」

お姉ちゃんとうっかり目があってしまった。

しまった! と思うも時すでに遅く、お姉ちゃんは一瞬固まった後で、帰り道である筈のこちら側とは逆側へ足を向けなおし、すたすたと速足で歩き始めてしまっていた。

私はあんまりにもあんまりな自分のうっかり具合を呪いながら、慌ててその後を追いかける。

(でも、おかしいな。男の人と一緒だと思ってたんだけど……)

そう、私がお姉ちゃんを待ち構えていたのは、ひとえにお姉ちゃんの相手がどんな馬の骨なのかを見定めてやるつもりだったからだ。

そりゃあ本音を言えば、子供のころからずーーっと一緒だったお姉ちゃんが離れて行ってしまうのは寂しい。

だけど私だって立派な大人だ。

お姉ちゃんにだって好きな人が出来るのも当然だと分かっているし、お姉ちゃんに幸せになって欲しいとも思っている。

ただせめて、その相手がちゃんとお姉ちゃんを幸せにできる人かどうか見定めようと、そんなつもりで待っていたのに出てきたのはお姉ちゃん唯一人。

想定と違った結果への驚きは、時間が経つにつれて不安へと変化し始めた。

(……もしかして、気づかないうちに私がお姉ちゃんを怒らせるようなことしちゃったのかな)

思い当たる節は…………正直色々ある。

前のお出かけの時に、うっかり寝坊して三十分も待たせたのが悪かったのだろうか。

それとも、お気に入りの服にアイスを落として染みにしてしまったことが原因だろうか。

いやもしかしたら一緒に登校しなくなった日の前日、お姉ちゃんが口に運ぼうとしていたプリンを我慢できずに、横から一口パクリとやってしまったのがいけなかったのだろうか。

……あー、もう!! 

正直色々思い当たる節が多すぎて、今更ながら改めてお姉ちゃんに甘えすぎていたことに気づいてしまう。

こんなんじゃ嫌われても、面倒くさいと思われても仕方ないじゃないか。

(だったら、ちゃんと謝らないと!!)

私はお姉ちゃんと一定の距離を取る様なこっそり歩きから、距離を詰めるための走りに切り替え、丁度角を曲がったその背中を追いかける。

だが、角を曲がった所でお姉ちゃんの姿は見えなくなってしまっていた。

「あれ……?」

そんなに距離は離れていなかったと思うのだが……もしかしてお姉ちゃんは本気で怒っていて、私の姿が見えなくなったところで追いつかれないよう、走り去ってしまったのだろうか。

そう考えるとじんわり目頭が熱を帯びそうになって、私は慌ててぶんぶんと頭を振る。

もしそうなら、今やるべきことはしっかりお姉ちゃんに謝る事だ。

一人で悲しんで勝手に泣いている場合じゃない。

幸いにして路地は一本道で、その先にあるのは昔よく遊んだ大きな公園だけだ。

私はお姉ちゃんを一刻も早く見つけるべく、公園へ入る為の階段を駆け上がった。

「もしかしてもう、他の場所まで行っちゃったのかな……」

公園をぐるっと一回り、大体めぼしい所は探し終わって入り口付近まで戻ってきてしまったが、居るのは小さな子供やそのお母さんたち、そして井戸端会議に興じるお年寄りたちだけで、ゆかりお姉ちゃんの姿はちっとも見当たらなかった。

……もう、顔も見たくないほどに私の事を嫌いになってしまったんだろうか。

探している間は体を動かしていたおかげで紛れていた悲しさが、再び心を雨の日の空みたいな灰色一色に塗りたくっていく。

(泣いている場合じゃない、お姉ちゃんが行きそうな場所を考えないと……!)

そう思ってはいても、一人ぼっちになってしまったような、冷たくて湿っぽい悲しさに目の端から涙が一つ零れ落ちてしまう。

そういえば、昔もこの公園で似たような寂しい気持ちになったことがあったような――

記憶の箱が開くと同時、そういえばこの公園内に一か所だけまだ探してない場所があったと思い出す。

それと同時に私は再び公園の中に向かって走り始めた。

目指すはきっと私たちしか知らない場所。

「……あった!」

西側の遊歩道に並ぶ背もたれの無いベンチの一つ、その後ろにある茂みの割れ目は、あの日と同じように体を横にすれば何とか通れるか通れないかくらいの小さな隙間を残していた。

「う゛っ……」

尤も私の方はあの日から大分厚みが成長してしまった為に、小枝がチクチクとブレザーに引っかかってしまうのだが。

やっとの所で通り抜けた所に広がっていたのは小さな小さな空き地とその真ん中にそびえる大きな古木。

「そこにいるんだよね、ゆかりお姉ちゃん」

姿は見えないけれどそこにいる筈だと確信して、古木の裏に向かって声をかける。

「……この場所、覚えていたんですね」

お姉ちゃんは、ふわりともみあげを揺らして木の陰から姿を現す。

「……もちろん、忘れる筈ないよ。だってゆかりお姉ちゃんが、お姉ちゃんになった場所なんだから」

 

――あれはもう何時の事だったか覚えていない位に私が小さかったころの事だ。

友達とかくれんぼをしている最中に偶然この場所を発見した私は、最初『ここならぜったいみつからないはず!!』と喜び勇んでこの木の根元に腰かけ、るんるん気分で隠れていた。

だが待てど暮らせど誰にも見つけられず、楽しい気持ちはいつしか退屈とそれ以上の孤独感に、それに合わせるかのように空も茜を通り過ぎて深い紫へと染まっていった。

だけどその一方で『絶対自分からは出ていくものか』とよくわからない意地を張って――

 

『あかりちゃんみーつけた』

優しい負けを告げる声が聞こえたのはそんな時だ。

木の裏から飛び出した私の目に映ったのは額に汗を浮かべ、服を泥だらけにしながらも笑顔を見せる、今まであまり話したことのない従姉の姿だった。

見つけてくれた安堵感に、恥も外聞もなくその胸へと飛び込んでひたすらに泣きじゃくる私の頭をなでながらその従姉はこう言ったのだ――

 

「『もう大丈夫だよ、ゆかりおねえちゃんがずっとそばにいるからね』って」

「改めてそこまで詳しく言われると、なんだか恥ずかしいですね」

私の思い出話を聞いていたゆかりお姉ちゃんは困ったように笑って頬を掻く。

だけど、いつまでも美しい思い出に浸っているわけにはいかない。

「ごめんなさいっ!!!!」

私は先生やお母さんにも下げたことの無いくらいに思いっきり深く頭を下げる。

「私、気づかないうちにお姉ちゃんに嫌なことしてたんだよね……? だから、お姉ちゃんは私を避けて……。 いっつもお姉ちゃんに頼って、いっぱい迷惑かけて……なのに、なのにこんなことになるまで気づけなくて、本当にごめんなさい!!」

頭を下げていてお姉ちゃんの表情は見えないけれど、どんな不満だって文句だって、それこそ罵倒だって覚悟していた私に帰って来た言葉は意外なものだった。

「ううん、謝らなきゃいけないのは私の方。……ごめんね、あかりちゃん」

驚いて頭を上げると、そこには今まで見たことない悲痛な表情を浮かべたお姉ちゃんが、まるで自分の首を絞めるかのように制服のネクタイを握りしめていた。

その姿にはいつもの頼りがいなんてどこにもなくて、風でも吹けばそれこそどこかへ飛ばされてしまいそうなほどに弱弱しい。

「……なんで、なんでお姉ちゃんが謝らなきゃいけないの? いっつも私の事助けてくれて、私がわがまま言っても全然嫌な顔もしなくて――ゆかりお姉ちゃんが謝らなきゃいけない事なんて一つだってないのに!」

そんな姿を見ていられなくて、思わず声が大きくなる。

だけど、お姉ちゃんは静かに首を振る。

「あかりちゃんが私の事をそうやって慕ってくれるのはとっても嬉しい……けど、私があなたに優しくしてきたのは、他でもない私自身の為だったの」

「それって……?」

ゆかりお姉ちゃんは私の視線から逃げるように、くるりと後ろを向いた。

「私があなたに優しくしてたのはね、あかりちゃんに私の事好きになって欲しかったからだったって気づいちゃったんだ」

「え……?」

予想もしなかった答えに私は言葉を失う。

「お姉ちゃんがこんな浅ましい女で……引いちゃったよね?」

お姉ちゃんは続ける。

「この間、あかりちゃんが私のスプーンからプリンを食べちゃったじゃない? ――って、そんな些細な事言われてもあかりちゃんはきっと覚えていないよね。……でも私、あれであかりちゃんの事が好きなんだって気づいちゃったの。他でもない一人の女の子として、ね」

そこで何か覚悟を決めるように大きく息を吸い――苦しいまでに無理やり明るく、虚しいまでに無理やりおどけたふりをして吐き捨てた。

「あかりちゃんがプリンを食べた後のスプーンを見て思っちゃったんだ。『ああ、これで間接だけど“やっと”あかりちゃんとキスが出来るって』……あははは、すっっごく気持ち悪いよね?」

自棄になってぐるんと振り向いたお姉ちゃんの目は、ウサギみたいに真っ赤だった。

「分かってる、分かってるの!! あかりちゃんは普通だって。男の子と恋愛して、何時かは結婚して、それで幸せになるんだって。だけどそれでもあかりちゃんを見てると傍にいてほしくて、何処にもいってほしく無くて、何時までもなんて無理だけど、無理なのは分かってるけど、それでも一瞬でも長くあかりちゃんを私のそばに縛り付けておきたいって思っちゃって――!! ずっと……ずっと。そんな自分勝手な理由で、いいお姉ちゃんの振りを続けてたんだって気づいちゃったんだ」

その目に湛えきれず、溢れた透明な何かがその両頬を伝った。

「ごめん、本当にごめんねっ!! 駄目なお姉ちゃんで……ううん、もうあかりちゃんのお姉ちゃんでいる資格だってないのに――ッ!!」

私はボロボロになって泣いているゆかりお姉ちゃんを胸に抱き寄せる。

そう、丁度あの日おねえちゃんが私にしてくれたみたいに。

「あがりちゃ……ひぐっ、何して……?」

嗚咽を漏らす彼女の頭を優しく撫でる。

「……ごめんね、お姉ちゃん。私にはまだそんな大人の好きだとか恋愛だとかは分かんないや」

逃げようと抵抗するお姉ちゃんの頭を逃さないように胸に押し付けて続ける。

「でもね。ゆかりお姉ちゃんのことずっと大好きなのは確かなんだ。一緒にお出かけしたら時間を忘れるくらいに楽しいし、どんなお話でもにこにこして聞いてくれるし……そして何より、私が弱って誰か隣に居て欲しいときには、あの時の約束通りずっと居てくれる。そんなおねえちゃんが、大好きなんだ」

好きだと伝える度に、お姉ちゃんの抵抗は小さくなっていく。

「この大好きが、お姉ちゃんの私に対する好きと同じものなのかは分からない。けど、お姉ちゃんが私と一緒に居たいと思ってるのと同じくらい、私もお姉ちゃんと一緒に居たいと思ってる。それだけは断言できるよ」

長い沈黙を、風が草葉を揺らす音と、私がお姉ちゃんを撫でる音だけが彩った。

「……本当に、あかりちゃんのそばに居てもいいの?」

「うん」

「……私の事好きにさせるために、色々やっちゃうかもしれないよ?」

「いいよ」

「……あかりちゃんに寄って来る男の子、どんなにカッコよくても追い払っちゃうかもしれなくても?」

「それ位は仕方ないかな」

「…………そのうち我慢できなくなって、あかりちゃんの事押し倒しちゃうかもしれないけど」

「それは……出来れば我慢してほしいかな」

「ふふふ、流石に冗談だよ」

お姉ちゃんの声はいつもの明るい感じに戻っていた。

「あかりちゃん、ありがとうね。……でもやっぱりこれじゃあ、お姉ちゃん失格かな?」

「ううん、そんなことないよ」

顔を離して涙をぬぐうお姉ちゃんに私は抱き着く。

 

……私は今日までずっとお姉ちゃんからもらってきてばかりだった。

勝手にお姉ちゃんは強くて、優しくて、完璧だと思って、いっぱい一方通行で甘えて迷惑をかけっぱなしだった。

でも、ゆかりお姉ちゃんだってさっきみたいに悩んで、苦しんだりすることだってあるんだ。

……私がお姉ちゃんの事を大人として好きになれるかどうかは分からない。

そうなれたら素敵だとは思うけれど、もしかしたらお姉ちゃんの言うように誰か男の子を好きになって、疎遠になってしまう日が来るのかもしれない。

だからこそ、明日からは貰ってばかりじゃなくて私もお姉ちゃんに出来る事はしてあげたいのだ。……ううん、それこそ明日からじゃなくて今日から。

私はそんな決意を固めてお姉ちゃんを真っすぐ見つめる。

「どうしたの、あかりちゃん?」

「……さっきね、間接でも私とキスできたら嬉しいって言ったよね?」

「それは……あれだけぶっちゃけた後で、今更隠しても意味ないよね……。うん、正直凄く嬉しかった」

だったら……。

本当ならしっかりとそう口にするべきなんだろうけれど、やっぱりそれは気恥ずかしい。

だったら、行動で。

目を瞑って唇をツンと突き出す。

「――っ!! あかりちゃん……本当に、いいんですか?」

良かった、ちゃんとお姉ちゃんに伝わったらしい。

私はこくりと頷く。

ごくり、と唾液を嚥下する音。

私の肩にそっと置かれた震える指。

段々と近づいてくる熱っぽい吐息。

 

私のファーストキスはちょっぴり塩っ辛い味だった。

 


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