今回から日中戦争です。
「ふざけるな!」
妖夢は机を殴り、そう放つと 自室に閉じこもってしまった。
この話の始まりはいまから5日前の 7月7日に遡る。
7月7日正午 正確にはそれくらいの時間帯にある青年らが話をしていた。
「おい、見ろよ! 日本兵だぜ!」と左の青年が話すと
「今日も軍事演習か...それも中国の領土[我々の土地]で」と右の青年らがしゃべっていた。
そしてしばらくすると左の青年がモーゼルC96というピストルを手に取り
「なあ、奴らに一発喰らわせてやりたいと思わないか?」と言う
右の青年が、お前正気か? と言うと左の青年が
「大丈夫、バレやしない 奴らに一矢報いるチャンスだぞ?」
そう言いその青年は引き金を引いた。
これが当時近くにいた中国人からの証言である。
しかし当時 現場では様々な憶測などが飛び回り とんでもないことになってしまったのだ。
それにこの時の銃弾が当たらなければ ただの誤発で済んだのだろう。
しかしその弾は、演習中の田中少尉の胸に当たり 少尉は死亡した。
これが発端となり日中は盧溝橋で全面衝突することになる。
最初は有利に進んでいた日本軍だが、 盧溝橋を突破したあたりで膠着状態となった
日本側は、すぐに撤兵し、講和しようとしたが、中華民国 総統 蒋介石は、徹底抗戦と総動員 日本側に満州 朝鮮半島 台湾 九州の割譲と
天皇一族 華族 の処刑 全日本国民の奴隷化を要求した。 これに対して妖夢がブチ切れて現在に至る
事実上 大陸と戦争に突入した日本の陸海軍参謀本部では、いかに前線を突破して4カ月で降伏させるかで会議していた。
各参謀らは北京からの中央突破 畑俊六 [はた しゅんろく]陸軍大臣もそれに賛成したが 一人の後方担当 人事部本部長の魂魄牙太郎大佐
の発言により、会議は二分することになる。
「満州領内に後退し、遼寧 遼東方面に建設されていた。旧要塞を二週間で復旧させ 大陸にいる全陸軍で食い止めて時間を稼ぎ
稼いでる間に 第五軍団を北京に強襲上陸し、敵兵を包囲し、殲滅 第五軍団と温存させた機動部隊で各都市を電撃的に占領する方が
我が軍の被害を最小限にし、的に大損害を与え 早期終了が目指せるぞ」
魂魄牙太郎がこの時発言した作戦である この作戦を使えば確かに早期終了させ被害を最小限に抑えることができるが、
敵側が食いついてこないかもしれない 満州の国民の避難はできるのか そもそも第五軍団が上陸に成功する保証があるのか
そもそも要塞を二週間で完全再建することなど不可能だ という理由で半分の参謀から反対される。
そこから6時間たち、なかなか決まらない作戦に対して陸軍大臣は、現在参謀本部長である 妖夢陛下に決めてもらうとして
妖夢陛下の閉じこもった部屋の隙間から作戦である2案を入れ どちらにするか決めてくだされといい陸軍大臣は参謀本部に戻った。
1時間の後 妖夢の決断が発表された。 妖夢は牙太郎大佐の案を採用し、そこに修正してできた案を発表した。
妖夢の修正案には、まだ牙太郎大佐が書く予定であった補給線 付近の民間人の避難にかかる最短時間 1日でどこまで要塞を補強するか、
軍団の逐次撤退 の日程 第五軍団の適切な上陸場所の指定 満州航空隊の爆撃支援の日程 本土爆撃隊の運用 連合艦隊による海上封鎖
などなど多数の事を増量された作戦に各参謀は驚いていた。
今まで実戦経験もない小娘が これほどの作戦を立てるとは、思わなかったのだ。
この後すぐに作戦を実行することになる。
一週間後 作戦の全貌が決まり実行が開始された。
まず第四軍団の半師団が敵前線に食い込もうとして失敗したふりをする、この時被弾した者は実は藁でできた人形で
日本軍の制服を着せ一人二体持たせ少し掘った溝から突撃した。 その結果 中国軍は 敵6万人を撃破という戦果が上がり
中国軍全体が慢心することになる[無論撃破したのは 日本軍の制服を着せた藁人形だが]
その間に日本軍は後方支援していた砲兵、補給部隊など後方支援部隊の撤退を2日で成功させ、さらに作戦を短縮させることに成功した
そしてその6時間後の7月16日午後18時に魂魄武尊率いる第五軍団に作戦指令が届いた。
指令は二つで、一つは陸上航空隊による第四軍団残存部隊撤収支援
もう一つは第五軍団による 天津上陸作戦であった。
この指令を見た魂魄武尊は、少し口を緩めたのちすぐに戻り 安藤に全上級士官をすぐに集めてくれと頼んだ。
2時間後、全士官が席に着いたところで会議が開始された。
まず最初に航空参謀兼隊長のチェン大佐が「我が航空部隊を総動員すれば、撤退作戦は成功致します。 現在の我が軍の戦闘機を増槽を乗っければ、敵前線にでれます。 その後爆撃完了次第、大連の飛行場に着陸し補給後に基地に帰投するのが定石かと思われます」
と、最初の指令に対し成功すると断言した。 それと同時に
「しかし、次に行われる天津上陸には間に合いません。 間に合ったとしても全体の四割くらいしか発進出来ないでしょう」
と言い天津作戦の援護はほぼ不可と宣言した。
これにより陸軍からのもう少し航空機の数を増やせと言う意見と航空参謀のこれ以上減らせば作戦は失敗すると言う意見が対立することになる、
そして対立が少し静まったところで艦隊副司令官の浅井少将が代案を提案した。
「かつては天津には大沽砲台がありましたが もう数十年前に破棄され 現在天津には砲台が存在しません。 そこで私からの提案ですが、ここを戦艦 伊勢、日向 重巡洋艦 最上 三隈 古鷹 那智による艦砲射撃で支援すればいいのでは?」
そこに特殊装甲兵団団長の薬丸大佐が
「なら上陸は俺たちだけでいいだろう 航空支援も加賀の部隊だけでは火力不足なのは明らかだ。 ならいっそ俺たちだけでやるのが早い。」
この発言により 特殊装甲兵団のみを上陸させ 占領後に全軍を上陸させ北京近郊一帯を制圧するという作戦に決まった。
数時間
武尊は、要塞司令室で作戦の最終確認をしていた。
その時、突然扉がいきなり開き、見知った顔の人物が現れた。
「ああ、飛鳥先輩殿 」
そこに現れたのは伊勢艦長の飛鳥 仁少将であった。
「例の計画は、どこまで進みましたか?」
「伊勢の改修は間に合うが日向はダメだ、戦闘後に改修工事を行う」
「ああ、先輩、忘れていましたが、 例の兵器はどれくらいありますか?」
「一応確認したが八発だ、 しかしあれを使うには 現在開発中のあの艦しかないが、まさか、、」
「えぇ、そのまさかです あの艦の試験航海をしないといけないので」
この3日後の7月19日 第一作戦が開始された。