歪み
朝。まだ外も薄暗い早朝。
日課の畑仕事が一区切りした歌野は、鍬を地面に刺して大きく伸びをした。
諏訪から四国に移住してから早数ヶ月、誰かに請われたという訳ではないが、諏訪で勇者として戦っていた時から続けていた土いじりを今でも続けていた。
出来た野菜は特に美味しいと評判で、大社直営の“戌崎”を始め果てには一般の民家にまで、幅広く普及されている。
食べた人からの“美味しい”の一言が、今でも歌野に畑を耕させる最大の理由になっていた。
「ん~、きゅうりやトマトもグッドな出来になりそうね」
そろそろ旬を迎える野菜達の様子を見ながら、食べ頃になった時を楽しみに想い描く。
こうした日々変わる作物の成長具合も、畑仕事にある楽しみの一つだ。
さて、と作業が一段落ついた所で、少し離れた道を歩く人影が見えた。
今は薄暗い早朝、加えて此処は丸亀城付近、即ち大社の関係者以外はあまり、というかほとんど立ち入らない場所だ。
勇者ら少女達を狙う不埒者かはたまた畑泥棒か、と歌野がじっと人影を注視すれば、だんだんと顔が見えてきた。あれは、
「モミジ君じゃない。グッモーニン」
「……歌野か、お早う。今日も朝から元気だな」
軽い挨拶を交わして、丸亀城へ戻るために帰路を共にする。戻った頃には、朝の修行を終えた水都が朝食を準備してくれている筈だ。
「モミジ君は朝のトレーニング?」
「あぁ。毎日ある程度身体動かしてないと、寝付きが悪いし身体が鈍っちまうしな」
「あら、寝不足気味なのね」
「ちょっとな」
ぐい、と肩を回しながらモミジは言う。それを見ながら、そうね、と歌野は笑う。
「若葉達も毎日の鍛錬を続けているもの。当然、私もしてるけどね」
「畑仕事しながら“勇者”の鍛錬もこなすって、はっきり言ってスタミナぶっ壊れてるよな」
「ふっふっふ、もっと褒めてもオーケーよ?」
「元気だなぁ」
丸亀城の門を抜け、自身の住む寮へと足を進める。朝の巫女業で起きるのが早いひなたや水都の部屋には明かりが点いており、朝食を匂わせる良い匂いが微かに漂っていた。
それを確認して、歌野がふぅと安心した様に息を吐く。
「良かったー。お腹がハングリーだったから、みーちゃんが起きてなかったらどうしようかと」
「おいおい。“自炊が出来るようになりたいなぁ”と何処か他人事な抱負を書いていたのは誰だったかな」
「私はほら、あれだから。食材の
「料理の
「……夫婦は一心同体。つまりみーちゃんが料理すれば、私がしたということっ!」
「暴論だ!」
モミジとの論戦で言い詰まり、半ば負けを認めた様に言い捨てて水都の部屋へと急ぎ走る。
懐から、何故か所持している水都の部屋の合鍵を取り出すと、手慣れた動きで解錠してモミジへと振り返る。
「こ、今回はここまでにしておいてあげるわ……」
「此方はノーダメなんだが」
「みーちゃんに言いつけてやるんだからぁぁぁあ!!」
ドタドタと大きく足音を立てながら水都の部屋へと侵入する歌野。
水都の驚愕を含んだ悲鳴が聞こえたが、まぁ何時もの事かと帰路につこうとした所でガチャリと再びドアが開いた。歌野だ。
「言い忘れてたわ。あまり根を詰め過ぎない様にね。若葉もそうだけど、モミジ君も」
「あぁ、分かったよ」
モミジの返答に満足するように微笑むと、歌野は言う。
「本当よ?気を張り過ぎないでね。バーテックスも、今は大人しくしてるんだから」
「……あぁ」
歌野の言葉に、モミジは確かに頷いた。
◆
四国でのバーテックスとの初戦闘。
天照大御神を降ろした少女との最後の大技のぶつけ合いは、現実世界に多大な被害を及ぼしていた。
死者こそ居ないもの、火災や地震といった自然災害が数多く発生し、只でさえ住民の衣食住に四苦八苦していた大社や政府関係者は大慌てで対処に追われる事になった。
俺や若葉達“勇者”も、バーテックスとの戦闘が重く、全員が病院での入院を余儀なくされる。
“勇者”や力を持つ俺が満足に動けない今、バーテックスが攻めてきたらどうするのか、という焦りは、しかして杞憂に終わる。
バーテックスの侵攻がなくなったのだ。
居なくなった訳ではない。
事実、結界の外に出ればうじゃうじゃと数を増した状態で浮遊しているのが確認している。
何故攻めてこないのか、という疑念はあるが、今はこれを好機と見て四国の立て直しに専念すると大社、政府との話し合いで決定された。
災害で崩壊した箇所を綺麗に建て直したり、満足に動けない怪我人や老人、小さな子供達が多い場所へ物資や人手不足を解消するためにと、若葉達も駆り出されている。
そして、
「おはよう。モミジお兄ちゃん。朝ご飯出来てるよ、食べる?」
「おう、おはよう。そうだな、頼むよ。綾乃はまだ寝室か?」
「うん。さっき起こしたんだけど、まだしんどいみたい」
「そっか」
台所で朝食の準備をしていた梓へ軽く挨拶を交わし、綾乃が居る寝室へと足を運ぶ。
――同じ特殊な力を持つ“巫女”としてなのか、梓はこうして一緒に寝泊まりする事になった。まだ小さいということもあるし、歌野や水都からも梓が望む事ならとお願いされている。
家事も問題なくテキパキとこなしてくれる為、最近は家を空けることの多い自分としては大助かりだ。
「綾乃、起きてるか?」
「おきてるわよー、すぐいく」
ドア越しに声を掛ければ、寝ぼけた様な声で返事が返ってくる。のそのそと動く物音が聞こえて少し経てば、ガチャリとドアが開いた。
思わず、息が止まる。
「……なに?」
「いや……、調子悪そうだな、て」
「あぁ……、そうね。結構ダルいわー」
綾乃の言葉にそうかと返事をしつつ、そっと視線を綾乃の胸元へと向ける。
――そこには、禍々しい程の穢れを放つ刻印が浮かんでいた。
綾乃本人や、若葉達には見えていない。
“神”の力を宿す、大神紅葉にのみ瞳に映る。その異様な呪い。
天照大御神の呪いが、綾乃の身体を確実に蝕み始めていた。
~~
朝のニュース番組を見ながら、綾乃が味噌汁を片手にそういえばと口を開いた。
「梓ちゃんも、今日から学校だっけ?」
「おう。俺達と同じ教室で、別々の内容の物をだけどな」
「千景ちゃんみたいな感じか」
四月で卒業し、いち早く高校の内容の勉強を受けている千景の事を思い出しながら綾乃が言う。
その言葉にそうだな、と返して梓へと言った。
「まぁ、勉強で分かんない事があったら気軽に聞いてくれ。内容で言えば、歌野達ともそう変わらないんだから」
「そうなの?」
「あぁ、小学生5年生くらいから“勇者”として戦ってたみたいでな。そこからの勉強はさっぱりらしい」
英語の教科書を目を輝かせながら歌野はページを捲っていた。
英語にかっこよさを求める彼女からすれば、それを学べる場というのは特別嬉しい事なのだろう。
同じくらいで勉強が止まっていた水都も、学べる環境に身を置けるのは嬉しい。と笑みを浮かべて語っていた。
朝食を終え、丸亀城へと向かう身支度をしていく。
特に今日から初登校である梓は相当気合いが入っているらしく、何回目かの荷物チェックに入っていた。
「モミジお兄ちゃんは行かないの?」
「俺は復旧作業があるんだ。他の皆は居るはずだから、安心してくれ」
「はーい」
準備を終え外に出ると、同じく登校していた若葉とひなたが目に入った。向こうも気付いたらしく、若葉が片手を上げて呼んでいた。
「おはよう。今日から梓もだな、よろしく頼む」
「おはよう。よろしくお願いします!」
「はい。お願いしますね」
若葉の言葉通りに返答する梓に、ひなたが微笑みながら返す。
二人に任せても大丈夫か、と考えているとそれを見透かしたかの様にひなたが言う。
「あら、目的地までは保護者同伴が基本ですよ?」
「分かってるさ」
丸亀城の敷地内で、危険性は少ないとはいえあまり油断は出来ない。確実性を増すために送り迎えはきっちりとするべきだ。
合流して丸亀城へと向かう最中、そういえばと若葉が口を開く。
「モミジ、最近はよく外出しているらしいが……、その、大丈夫なのか?」
若葉の言葉に、声には出さないがひなたも僅かに緊張した雰囲気を持つ。
大社本部直轄、四国防衛の為の活動部隊、通称“防人”。
その活動の事を言っているのだろう。
隣に居る梓を気遣って暗喩した様な言い方をしているが、実際にはこう聞きたい筈だ。
危険な事をしてはいないのか?
心配してくれる人が居るというのは、本当にありがたい事だと思えた。
「大丈夫だよ。あるといっても災害地の片付けがメインだ。ニュースでも出てるだろ?」
「それもそうだが……」
「お前らが心配するような事はあのときに“ぶっ潰した”んだから、安心してくれ」
「……はい。分かりました」
その時の出来事を見ていたひなたが、静かに頷く。
梓みたいな小さな子供の前で、あまりバイオレンスな話題を出したくはない。特に朝っぱらだし。
気分を変える様に、若葉が強引に話題を変える。
「バーテックスが攻めて来なくなったとはいえ、こうも暇だと鍛錬のしがいがないな。バトルロイヤル形式で実戦練習でもするか?」
「やめとけ。お前と歌野が戦うと地形が変わる」
「そこまで暴れはしないぞ!」
「地形が変わるのは本当なんだ……」
全く、と若葉が言う。
「モミジも、最近呆けている事が多いぞ?シャキッとしないとな」
「悪いな。寝不足気味なんだよ」
「それはダメですよ?環境が変わったとはいえ、しっかりと休養も取らないと」
心配そうに言うひなたにありがとうと言いつつ、頭を撫でる。さらさらとした艶のある黒髪は、指の間を流れる様に解けていった。
最初は驚いた様だったが、僅かに顔を赤らめたまま、されるがままにひなたは大人しくしていた。
環境が変わった。というひなたの言葉に素直にそうだな。と思う。
確かに変わった。
環境も。
そして、俺自身も。
――家族の様に大切な二人に対して、平然と嘘で誤魔化せる様になった俺自身に、何とも言えない歪みを感じた。