時刻は深夜、まだ草木も眠る静寂な闇が広がる時間。
四国、神樹の結界内のとある無人の洞窟で、それは起こっていた。
「はぁ……、はぁ……っ!」
壁に掘った緊急時の身隠し用の
近くには、身を寄せ合う様に二人の少女が震えている。話では今年で中学生になったばかりらしい。
恐怖からくる震えを堪える余裕もなく、三人は迫る恐怖から身を隠していた。
コツリ、と足音が響く。
隠れた影からそっと覗けば、蝋燭が揺れる空間に一人の人影が見えた。
年は少女達と同じか少し上くらいの少年。まだ幼さの残る顔立ちだが、先程までの出来事を思えば即座に違うと言い切れる。
「さ、て。この辺りに居るはずなんだがな……」
自分たちの事だろうか。と女は思わず身体が強張る。見つかる訳にはいかない、見つかれば、
「ここか?」
大きめのテーブルが蹴りによってひっくり返る。突如起きた音に、少女がびくりと跳ねたのが理解できた。
衝撃で室内を照らす蝋燭が消える。静かな暗闇の中で、少年がふぅと息を吐くのが聞こえた。
「居ねぇ、か。“巫女”もとっくに逃げたみたいだし……。やっぱり、大社に内通者でも居るのかねぇ」
コツリ、コツリ、と少年の足音が部屋から出て行き遠退いて行くのを感じる。
足音が完全に離れていくのを聞き取り、女は安堵の息を吐いた。
女が緊張を解けたのを見て、安全だと悟った少女達からも緊張が解けたのを感じる。
安心させる様に、姿が完全に見えない暗闇内だが少女達へ励ます様に指示を飛ばす。
「様子を見て、直ぐに離れましょう。別の集会場に行けば、アイツから守ってくれる筈よ」
「はい……!」
「うんっ……!」
女の言葉に希望を見出したのか、少女達の声に熱が籠もる。
「へぇ、誰が?」
声が聞こえた。
反射的に声の方を振り向くと、ガシリと万力の如き怪力で首元を掴まれ強引に引き寄せられた。
その先に見えるのは、此方の顔を覗き込む神性を宿した碧掛かった金色の瞳。
その目と視線があった瞬間、何をするまでもなく女の意識は闇に落ちた。
~~
「御役目ご苦労様です。大神様」
「……おう。“巫女”は無しだ」
外に出ると、待ち伏せていたかの様に現れた神官へ三人を引き渡す。
瞳から光が消えた、魂が抜かれたとしか言いようのない三人は両手と腰に縄を巻かれ、昔みた時代劇の罪人が如く神官に連れて行かれた。
「それにしても、中々本命には当たりませんね」
「こっちの情報が筒抜けみたいな逃げ方だったぞ。大社にスパイでも居るんじゃねーのかよ」
「……それについては何とも言い様がありませんね」
申し訳ありません、と頭を下げる神官にモミジは諦めた様にため息を吐くしかなかった。
“天の神信仰”
四国に大きな災害をもたらした、先日の“勇者”の初出撃の後出来た宗教団体。
バーテックスという、人類には打倒できない存在に対し畏れた人々が作り上げた、簡単に言えば“天の神を奉り、少しでも人を許して貰おう”という目的の下出来た集団だ。
ただの素人の集まりであれば問題はなかったのだが、現実にはそうは行かなかった。
「裏切りの可能性があるのは大社の上層部である、と……?」
「あくまで“可能性”だけどな。集会ありと聞いて俺が此処に踏み込むまでの時間は短時間、ただの情報屋程度の腕なら捕まえていた筈。それが出来ないという事は……」
「私達の動きを完全に把握している者が伝達している、と」
「そういう事。……もしかしてアンタかもな」
「ご冗談を」
モミジの言葉に、呆れた様に両手を上げて無罪を主張する。モミジも神官が無関係な事は理解していたので笑って流した。
もし仮にだが、大社の上層部が大社を裏切り、“天の神信仰”に肩入れしているのであればそれは由々しき事態でもある。
細々とだが相次ぐ大社の“巫女”の失踪。それが奴等に渡っているのだとすれば、その目的はただ一つだ。
天の神、“天津神”への生け贄である。
そういえば、と前置きをして神官が言う。
「国土綾乃様のご容態は如何でしょうか?」
「お前らに心配される程じゃないさ」
「以前にもご提案しましたが、大社の病院での入院をけ――」
神官の言葉は目の前に振り下ろされたそれを見て止まる。
眼前に突きつけられた、“勇者”達が所有する神具に近い力を秘めた棍によって。
「前にも言ったが、」
凍り付いた場で、モミジは淡々と切り出す。
「俺の身内に手を出すな、余計な企みを練るな、邪な考えを映すな。約束が破られればこの御役目も無しだ。……そう、言った筈だ」
静かな怒気混じりの言葉に、神官は軽く居住まいを正し、神事に赴くような恭しさでモミジへと頭を垂れる。
それに続くように、周囲の神官もまたモミジへと恭しく頭を垂れた。
「要らぬ提案、申し訳ありませんでした。四国が“防人”大神紅葉様」
畏れ
奉り
信仰
まるで神様にでもなったみたいだな、と何処か他人事の様にモミジはその光景を眺めていた。
◆
遡る事、一週間前。
「久しぶりだな、モミジ君」
「ご無沙汰してます、和人さん」
大社。国土家の代表を、と取り次ぎの巫女に頼めば応接間に通されてあまり経たない内に和人がやって来た。
挨拶もそこそこに、ソファへと座る。
「皆は元気かい?」
「えぇ、おかげさまで。……えっと、その」
「あぁ。綾乃の事は分かっている」
「……すみません」
皆まで言うな、という和人の態度に出てくるのは謝罪の言葉しかなかった。不思議そうに此方を見る和人へと窺い見る様にモミジは口を開く。
「おじさん、俺がどんな家系の血筋か分かってますよね。今の綾乃の“呪い”だって、それで……」
「……あぁ、分かっているとも。君が私の姉を殺した“天津神”を信仰する大神家の血を引く事も、天の神に目を付けられ、綾乃の“呪い”の切欠にもなった事も」
「……っ」
淡々と続ける和人の言葉に、モミジは何も言い返せずじっと耳を傾ける。
全て自分が招いた種だ。
悪いのは自分であり、この件について罵声を浴びせられ様が暴力を振るわれようが耐えるつもりでいた。
「――だが、それはもう終わった事でもある」
「……え?」
掛けられた和人の言葉に、聞き間違いかとモミジは顔を上げる。
和人の顔を見れば、モミジへの怒りなどは微塵も感じられない様子だった。
「ん? だってそうだろう。今モミジ君を叱った所で時が戻るという訳でもあるまいに」
「でも、俺のせいで……」
「それに、出自等本人にはどうしようもない運命だ。君は君だよ、モミジ君。問題はこれからどうするか、だろう?」
和人が言葉の後に懐から出した書類をテーブルの上へと広げる。そこには身元不明の巫女の情報や、不穏分子の一団等の情報が事細かに調べられていた。
つまり、モミジの“防人”としてのこれからの行動を把握しているという事だ。
「これを、何処で?」
「大社を裏まで探れるのは、君達だけではないという事だ。大人を舐めるなよ?」
言葉の後でさて、と言うと和人はモミジ君、と切り出す。
その目には、何かの決意を感じた。
「大人を舐めるな、と言った後で恥ずかしいんだが、君に頼みたい事がある」
「はい」
“防人”、そして“大神紅葉”として自分の目の届く範囲にある物は全て守ると諏訪の一件で誓った。
“勇者”である若葉達や“巫女”のひなた達も、全力で守ってみせると。
そしてそれは、目の前の叔父である和人も入るものだ。だとするならば、この頼み事は出来る限り叶えたい。
「綾乃の味方になってやってくれ」
「味方……、ですか?」
言葉の意味を理解するのが遅れ、聞き返す様に問う。
あぁ、と頷くと和人は苦笑いをして言う。
「綾乃に掛けられた“呪い”。それは“天の神”からの物であり。私の姉を……、つまりは、君の母親を殺したのと同じ物だ」
「……はい」
あの日、俺と双子の片割れである少女との戦闘の際に見た過去の断片。
あの時見た俺の母親は、今の綾乃と同じくじわりじわりと衰弱していったと思える。
「私にはどうにも出来なかった。解呪、即ち“穢れ祓い”等を行える力は私にはない」
和人が続ける。
「今の大社、そして四国は限界だ。“天の神”から“呪い”を受けたと広まれば、それを奉り上げる者と穢れとみなし排除しようとする者、両方居るだろう」
確かにそうだ。
人は脆い。精神が安定している時ならまだしも、バーテックスに家族を殺された者に、“天の神”と繋がりがあるとされる者が近くに居ると知られれば最悪どうなるか想像がつく。
モミジ自身の事は厳重に伏せられている状態であり、大神紅葉が“天津神”の因子を宿しているというのは、大社ではごく僅かにしか居ないのが事実だ。
「あの時と同じ“呪い”であれば、周囲に穢れが洩れるのは時間の問題だ。ならば、その時に綾乃を守りきれるかは私にも分からない」
だからこそ、と和人は言う。
「君は最後まで、綾乃の味方で居てほしい。守れ、とは言わない。あの子が四国中から非難されても、それでも、君はあの子の側に居てやってほしいんだ」
頼む。と和人は頭を下げた。
俺が“勇者”と同等の力を持つから
俺が“防人”という重要な役割を担っているから
「(違うな……)」
それらの理由とは違う。ただ純粋に、国土綾乃を幼少の頃から見てきた同士として、大神紅葉という一人の人間に頼っているのだと理解できた。
ならば、その答えは直ぐに返せる。
「勿論。綾乃の事は任せて下さい」
気の利いた事は言えなかった。それこそシンプルな、言葉少なくなってしまったが、それでも和人には届いたようでしっかりと頷きを返された。
「もう一つ、聞いてほしい話があるんだが」
「何ですか?」
先程見せた書類とは別、付箋だらけの手帳を取り出しとあるページで止めた。
そこには、“解呪・呪詛返し”と銘打ったページだった。
「綾乃、あの子の“呪い”を解けるかもしれない方法が、一つだけある」
和人の言葉にモミジは目を見開いた。同じ神の力を持つとはいえ、どう対処すれば良いのか分からないままだったのだ。
「どうすれば?!」
「その前に。モミジ君、君は――」
◆
その“巫女”は、恐怖から来る震えを抑えるのに精一杯だった。
視線を向ける先には、凄腕のボディーガードで有名な男が喉からこひゅ、と空気が漏れる音を立てながら痙攣している所だった。
やがてピクリとも動かなくなると、用がなくなったとばかりにゴミの様に床へと雑に投げ捨てられる。男を吊り上げていたのは、どう見ても中高生程の少年だった。
「お前が巫女か」
底冷えするような問いに、カタカタと震えるだけで返事が出来ない。
あの神性を宿した碧金の瞳に見られるだけで、蛇に睨まれたカエルの様に動けなくなるのだ。
コツリ、コツリと歩を進める。それだけで、女の身体はびくりと跳ねた。
頭の中で警報が鳴る。ダメだ、逃げなきゃダメだ、逃げなきゃダメだ――
「“天の神”とやらは何て言ってた?アイツらが、態々人間如き相手するわけないだろうに……」
少年の言葉に、身体の震えが止まる。
“巫女”の中にある、“天の神”という絶対的な存在をけなされて恐怖より怒りが勝った結果だった。
「ふざけるな。下賤な者の分際で……っ!」
「…………」
黙って此方を見つめる少年に、火が点いた様に“巫女”は捲したてる。
「我等が“天の神”は、薄汚い野良犬の様な人間を駆除しようと御力を行使されただけの事。それらは我等の事を哀れんで行われたのを解らぬのか!!」
「…………、そうかい。なら“天災”で死んだ人間は死んで当然の者とでも?」
「当たり前よな、それも天命であろう。そして生き残った我々こそが、あの方を崇拝し繁栄へと導く選ばれし者よ!」
思い出す。あの日下った“神託”を。
目を閉じれば映る、あの方に邪魔な“巫女”の姿を。
邪魔されるわけにはいかない。懐にしまってある物を確認し、少年へと向き直る。
「計画の為ならば、幾人も生け贄になるのは仕方のない事。“勇者”やそのお付きの“巫女”共も、一緒にな!」
言い終わると共に、懐の拳銃を少年へと向ける。“勇者”や神具に選ばれた者といえど、銃火器等の攻撃は有効だというデータもある。
距離はある。引き金を引けば勝ちだ。
「…………」
勝ち誇った顔の“巫女”を見て、少年、大神紅葉はゆっくりと目を閉じた。
~~
「モミジ君、君は――」
「人を“殺す”覚悟は持てるかい?」
~~
何かが破ける音がした。
「ぇ、」
「良かったよ。アンタが“良い人”じゃなくて」
“巫女”の腹から背中まで貫通した腕。血塗れのモミジの手の平には、未だ脈打つ心臓が握られていた。
「“天の神”にはこっちも用があってな。貰うぜ、アンタの“巫女”としての力」
「ぁ、ぁ」
声が出ない。自分の中から何かが消える感覚がする。
消える。消える。消える。
あの方との繋がりが、消える。
消える。消える。消え――
◆
「漸く一人目、か」
事切れた“巫女”を床へと蹴り倒しつつ、血塗れの腕を軽く振るう。べっとりと付いた血が、びしゃりと壁に飛び散った。
“解呪・呪詛返し”の第一段階は、対象の神との繋がり、パスを取ること。
力の根源が違うモミジには、その強い繋がりを持つ“天の神”の“巫女”を殺害し、力を奪うことは絶対だった。
「……あまり変化は感じないな。何回か繰り返せば変わるのかな」
手をグーパーして確かめる。実感はないが、繰り返して行けば変わるだろうか。
そして、それこそが綾乃を救う糸口になる筈だ。
「待ってろよ、綾乃……」
許される筈はない。
綾乃本人がそんな方法で助かったと知れば、どんな罵声を浴びせるか分からない程だった。
だとしても。そうだとしても。
「やってやる。例えそれが、地獄に落ちる所業だろうと……っ!」
――なら、アンタの名前は、山の紅葉から取って