大神家。
大社という組織において、その名を聞いて2種類の反応を示される。
一つは無知。どんな家系?
そしてもう一つは、
「その子は忌み子だ」
大神紅葉という少年は、産まれて間も無く“不要品”とレッテルを貼られた。
“一般的な子供の知育玩具”や、大量の本類が集められた部屋に、ベッドが一つ。風呂とトイレも部屋内に備えられてある。
食事は日に三回。ドアの下に作られた隙間から、食器の乗った盆が送り込まれる。ただそれだけだ。
「…………」
子供に言葉は無い。会話する相手も居ないのだ。物心付いたときから、窓際まで寄せた椅子によじ登り、夕暮れまで外の景色を眺める。それを繰り返していた。
春は桜の花が舞う景色を
夏は蝉が鳴き、アスファルトに浮かぶ陽炎を
秋は一面に真っ赤に染まる山々を
冬はユラユラと揺れるように降る雪を
一年を通して、外の景色をただ眺めていた。
ただ雨の日、空が雲に覆われ、太陽が隠れてしまう日には部屋の中でぼーっと過ごすのが当たり前だった。
何も考えず、ただ耳を澄ます。そうしていれば、いつの間にか眠って、次の日に進んでいるから。
――ただ、その日は違った。
その日は、激しい嵐の日だった。
バタバタと豪雨と暴風が窓を叩く音の中で、その声は混じった。
「可哀想になぁ」
「……?」
仰向けに転がり、目を閉じる。いつも通りな行動の最中に、それは聞こえた。周囲に人は居ない。家に居る使用人は食事の配膳以外に立ち寄ることもない。そういう場所だ。
「だれ?」
普段全く使わない声は、か細く小さなものだった。それでもと続けて口を開く。
「そこにだれかいるの?」
「おい、どうすんだ。バレちまっただろ」
「俺のせいか?! でも、姿までは見えまい」
声に耳を澄ませ、空間に目を凝らす。すると、その声の聞こえる場所だけ陽炎のように揺らめいている何かが居ることが分かった。
フラフラと手をそこに振れば、ぺちりと何かに当たる。
「ギャアアアアア?!」
軽く触れただけなのに、その声の主は大慌てで逃走した。脱兎の如く、とでも形容するその様子は、部屋内の埃を巻き上げた。
あっという間にそこから居なくなったそれを追うべく、そこまで広くない部屋を見渡す。すると、舞い上がった埃が、ある一方向へと流れていくのを見た。
立ち上がり、そこへとゆっくりと歩みを進める。運動をそこまで行ってなかった足は、覚束ない足取りで進んでいく。
そこへ近付くにつれ、風が流れているのを肌で感じた。雨独特の匂いも増し、外が近いのが分かる。
見れば、古い通気孔が壁紙を貼られて隠されていた。この家の人間がしたのか、はたまたリフォーム業者の職務怠慢か。
だが、そんなことは少年にとってはどうでも良かった。
――外に出られる。
少年の頭の中は、その事で一杯になっていた。
「――あぁ。やっちまった、やっちまった。あの方に怒られてしまう」
そんな声も、聞こえないくらいに。
〰️〰️
新鮮な空気を、肺一杯に吸い込んだ。
自然そのものというか、木々の香りを感じるそれは、少年は初めて感じたものだった。
古い通気孔を通って衣服や頭についたクモの巣や埃を軽く手で払う。汚れに構っているほど、今の気持ちに余裕はなかった。
昼の配膳は先程終わった。出された食事を手早く食べ、大きな音を出さぬよう注意しながら通気孔を通る。点検用を兼ねているのか、通気孔の中には金梯子が付けられていた。
「――~っ!!」
解放感?達成感?何とも言えない感覚に、少年は声を出――すのを寸でのところで堪えた。危ない。家の中の人間に聞かれれば、たちまちあの部屋に逆戻りだ。
靴は持ってなかったので、部屋にあった厚手の靴下を何重にも履いた。痛みなどはないか軽く確認してから、少年は歩きだした。
◆
外出するようになって、一週間程経過した。近くのごみ捨て場に落ちていたサンダルを履いて、今日も外へと散策する。
今は秋。山へ紅葉を見に行くというのも良いなぁ、と考えていると、一人の少女が現れた。
息を切らせ、肩で呼吸を繰り返している。大丈夫かな? と心配していると、その少女と目があった。
「アンタ、この辺の人間?」
「えっ、いや……」
「でも、この辺歩いているってことは多少の地理はあるよね。安全な場所に案内して!」
急かす少女の声を裏付けるように、道の奥から数人の大人が周りを見渡しながら歩いている。どうみても、誰かを探しているように
早く! と怒鳴る少女に、ええいままよ、と半分開き直って少年は手をとって走り出した。以前散策した近くの山に、人の居ない神社が在った筈だ。
これからどうしよう、と多少の不安を抱えつつも少年は足を急がせた。
〰️〰️
「あー……、疲れた」
「ぜぇっ、ぜぇっ」
しんどい、疲れた。肺が酸素を欲しているのを感じる。
尻餅を着くように座れば、古い床板がギィと音を立てた。
あの場所からそう離れていない山の麓、その場所にこの神社はあった。普段はあまり使われていないのだろうか、トイレや自動販売機等の最低限の施設しか用意されていない。
神事用の道具が置かれている倉庫の様な場所で、二人は息を調えていた。
「助かったわ、これである程度は時間を稼げる」
「時間を……?」
聞けば、少女は家柄上次期の巫女になることになっているらしく、それの修行を毎日行っているらしい。だが、その修行に嫌気が差して今回の逃避行に到ったのだ。
少年は思う。
――それは、ただのサボりではないだろうか?
今からこの少女をさっきの大人達に突き出してしまおうか。と考えていると少女が言う。
「そういえば、自己紹介してなかったね。アタシは国土綾乃」
にこりと微笑んでそう言う綾乃が、アンタは?と視線で促してきた。
そこで少年は詰まる。生まれてこのかた、自分の名前を聞いたこともない。かろうじて使用人が両親らしき人達に「大神様」と言っていたので、”大神”というのが自分の名字なのだろう。
「僕は、大神」
「大神――、下は?」
「えーっと、秘密」
「秘密って……。何、そんなにキツイ感じのキラキラネームなの?」
ならそうねぇ、と綾乃はうーむと考え込む。辺りに視線をやり、山々の山肌に目を向けると、そうだと手を打った。
「モミジ!」
「え?」
突然の言葉に着いていけない少年が聞き直すと、だーかーらーと綾乃が笑顔で言い直す。
「アンタの名前――あだ名ね! 山の“紅葉”(こうよう)で、モミジよ。良いセンスでしょう?」
ドヤァとドヤ顔で腰に手を当てる綾乃、彼女のどうだという満足気な態度に笑いが出ながらも、少年――
大神紅葉。
他人とはいえ、少年が初めて人から善意を持って与えられた物だった。
◆
「――それが、俺。“大神紅葉”が始まった瞬間だよ」
諏訪神と対峙する真っ白な空間で、モミジはそう口にした。諏訪神の姿は無いが、何か例えようのない大きな気配がこの空間全てから感じていた。
諏訪神から敵意は感じない、だが神というのは大体が気まぐれで事を起こす。気をぬけば何をされるかは分からない。暫く身体から緊張が抜けないのは、それが原因でもあった。
『――なるほどのぅ。ふむ、ふむ……』
諏訪神には人の過去を覗く力があるようだ。俺の言葉と照らし合わせる様に、うむうむと納得する言葉が聞こえる。
俺、大神紅葉の過去の話に偽りはない。
俺が居たあの家は、あの“天災”で崩壊したのだから。
『ふむ、分かった。お主の過去に若干引き気味じゃが、理解した』
「勝手に見て聞いて引かないでくれます?」
『いや、思ったより重すぎたし』
なんという失礼な神だ、夢から覚めたら藤森さんの事で本人と白鳥さんにチクってやる。
『それだけは止めて。……ふむ。お主の生誕、その後の過程は分かった。
ヒトガタ?
諏訪神の言葉に首を傾げるが、それを無視して続ける。
『ならば話の続きじゃ。お主は何故戦う?』
その問いに対して此方が口を開く前に、諏訪神は続ける。
『お主の境遇、それは異常じゃ。人に捨てられた様な過程を経て、何故人を救おうと戦う? お主の幼馴染、乃木若葉であっても、戦う事は容易い事じゃろうに』
「……過去を覗けるなら、その理由も分かるんじゃ?」
『過去は過程しか見れん、そこに在る人間の想いなぞ、神にも真意は掴めんよ。だからこそ、ワシ等は人間に興味があるんじゃから』
はっはっはと笑う諏訪神の声を聞いて、モミジは頭の隅に違和感を感じる。最初から少しだけ思っていたが、この
「……そこまで言うなら教えてやるよ、爺さん。話の途中で寝るなよ」
『むむ。急に大きく出てきたな、こやつめ。良かろう、“大神紅葉”をここで示してくれ』
「はいはい」
誰だったか、と思い出しながらモミジは話しやすいよう胡座をかいた。
時間はまだある。目が覚めるまで、じっくりこの神と話し合うとしよう。