その中には好きになった時のことも
よい思い出も悪い思い出もある中
輝くような想いが、ひとつ
(2014年、Pixivさまにて初公開)
人は誰しも、小さな頃から沢山の人から沢山の評価を受けて育っていくものだと思う。
私も例外ではなく、友達、両親、学校の先生、近所の人…多くの人に多くの評価を受けて今まで生きてきた。
「六花ちゃんはお勉強ができるわね」
とか、
「六花さんは年齢の割にしっかりしていますね」
とか
「菱川さんって何でも知っててすごいよね」
とか…
幼い頃はそんなふうにほめられることが多くて、とても嬉しかった。
更に、私がほめられて、ママが嬉しそうな顔をすると、大きな幸せを感じていた。
でも、それは幼い頃の話。
小学校中学年にもなると、ほめられることよりも影でこそこそ言われることの方が多くなって、嬉しさも幸せも全然感じなくなっていた。
小学校3年のある日の休み時間だった。
トイレに入っていると、後から入ってきたクラスメイトのささやき声が聞こえてきた。
「六花ちゃんって、お勉強できてすごいけど…なんか、苦手」
「あたしも。なんかいつも澄ましてて、お勉強できますよ、って感じがしてちょっと」
「わかるわかる」
本人たちはささやき声のつもりなのかもしれないけど、私の耳はその言葉をしっかりととらえていた。
その言葉に、私は目の前がだんだんと暗くなっていく感覚におそわれた。
心の中には伝えたい言葉が積もっていく。
「お勉強は小さな頃からの夢をかなえたいから」
「澄ましているわけじゃなくて、人と触れ合うのが苦手だからどうしてもそう見えてしまうのかも…」
そんな言葉。言えるわけもないのに。
私自身が周りからそんなふうに思われていることを知って、また、何も言えない自分の情けなさに、涙があふれていた。
そのまま、何もできず個室の中で彼女たちが去って行くのを待つことしかできなかった。
こんなことはこの一度だけではなく何度もあった。トイレで、教室で、色々なところで。
だからといって、私は勉強の手を抜くことはしなかった。
そうしなければ夢を叶えることが出来ないから。
その頃にはすでに将来の夢は決まっていて、今も変わらない、ママのようなお医者さんになることだった。
お医者さんになるには沢山勉強しなくてはいけないことは、ママから聞いてて知っていたから、幼い頃から私は沢山勉強するようになっていて、今更やめようとは思っていなかった。
でも、勉強を頑張っていた理由はそれだけじゃない。
勉強を教えるといつも喜んでくれるマナがいたから。
尊敬してくれるありすがいたから。
一緒に勉強しているとき、ちょっと難しい問題を解くとふたりは本当に感心してくれた。私はそれが嬉しくて、もっと勉強を頑張ることができた。
マナとありすが「勉強ができる私」を認めてくれたおかげで、周りからの言葉がだんだんと気にならなくなっていった。
今でもふたりには本当に感謝している。
やがて、小学校も高学年に進むと、それよりも、もっと、私がほめられても嬉しくない、幸せではないと感じる理由が現れた。
それは「何でも知っていること」
私は、幼い頃からひとりで過ごす時間…家で本を読み、そして、いろいろなことを知る時間…が豊富にあったおかげで、年相応以上に沢山のことを知っていた。
幼い頃は人からよく「何でもよく知っているね」と言われて、とても嬉しかった。
また、沢山のことを知り、得た知識を使うことで、クラスメイトや家族を助けることがよくあった。
助けると、みんなが私をほめてくれて、嬉しかった。
特に、マナにほめられるととても嬉しくて、幸せを感じて、もっとマナの役に立ちたくて本を読む、ということを繰り返していった。
常に、マナのことを考えて、マナのためになりそうなことを覚えていくのはとても楽しいことだった。
でも、沢山の本を読むことで、知りたいことばかりではなく、知りたくないことも入ってきてしまった。
その頃、私はママの医学書にも手を出し始めていた。
夢のため、ママの本を読めるところから読んでみようと思ったから。
でも、私はすぐに後悔する。
ある日、手に取ったとても大きな医学書には、普段なら絶対に見ることができないような写真が沢山あった。
沢山の手術の写真。
沢山の病状の写真。
お医者さんになるとこういう場面に出会うことがある、というのは頭の中ではわかっていたけど、写真で目の当たりにすると強い衝撃を受けてしまう。
ここでやめておけば後悔しなかったのに、将来のため、そう思ってこりもせずに読み続けていた。
そして、読み始めて3日目くらい。
私が最も衝撃を受けた内容へと入っていった。
それは「女の子」と「男の子」の違いについての詳しい説明。
そこには、女の子の体が元々どういう構造を持って産まれたもので、私自身に遠くない将来にどのような変化があるのか。また、その変化が持つ本当の意味。
私たち「メス」の体が「オス」をどのように受け入れるのか。
また、受け入れることによって起こりうること、などが書いてあった。
幼い頃から男子は苦手だった。
乱暴だし、うるさいし、下品だし。
少しいじめられたことがあったのも原因だと思う。
だから、私は、初めて知るその事実に嫌悪感しか抱けなかった。
いえ、それ以上。
気持ち悪い。とても気持ち悪い。ただそれだけ。
まさか、保育園に通っている頃に時々見た男子の「あれ」がそういう「もの」だなんて知らなかった。
しかも、それを自分の「あそこ」で受け入れるとか、想像したくもなかった。
元々男子に対して嫌悪感しか抱いていなかった私は、その章を読み終える頃には心が、全身が、その事実を拒絶していた。
気持ち悪い。考えたくもない。嘘だと信じたい。
でも、勝手に理解してしまう私の頭。こんなとき、回転が速い頭がとても恨めしい。
私の心が、私の頭で理解した事実を受け入れることを完全に拒絶したそのとき、強烈な吐き気が襲った。
本はそのままに、あわてて洗面所に駆け込んで、そして…
涙があふれる。のどが焼けるように痛い。全身、汗と鳥肌が覆う。がたがた震えてしまう。
何度もせき込みながら、何度も何度も胃がひっくりかえるのではないかと思うくらいになりながら「メス」の体として産まれたことを恨んだ。
胃がからっぽになっても、私の涙、そして、嗚咽は止まらなかった。
このときを境に、私は更に男子を避けるようになっていた。
男子が話しかけてくる理由は私の体に「いれる」ことが目的、そう考えるようになっていたから。
今思えば病的とも言える考えだけど、私の心はそうとしか考えられなくなっていた。
だから、男子に近寄られるとびくっとしてしまう。話しかけられると一歩引いてしまう。ときには吐き気まで。
最初のうちは男子も気にしていないようだったけど、そんなことが続くと、私に話しかけてくる男子はいなくなっていた。
更に、新しいことを知ろうと何かしら本を手に取ると、途端に吐き気を感じるようになってしまった。
私は、新しいことを知ることが楽しいこととは全く考えられなくなり、もう本を読むこともやめてしまった。
そして、何でも知っている、とほめられても、全然嬉しくなくなってしまった。
逆に、男子から避けるようになるにつれ、マナやありすと一緒にいる時間が増えていった。
これからも、未来も、ずっとそうやって男の人がいない世界で、できれば、マナやありすと一緒に大人になり、ずっと一緒にいたい、そう思い始めていた。
さらにもうひとつ、私に変化が現れた。
それは、マナに対しての気持ち、そして、態度。
もともと、特別な存在だった。マナのためなら何でもしてあげたいし、実際に困ったときとか、迷っているときとか、手を差しのべて助けてきた。それは、幼い頃、初めて逢ったときのあの握手がとても嬉しかったから。
でも、それだけではとどまらず、私がマナを大事に想うくらい、マナにも私を大事に想ってほしい。
周りのみんなに差し伸べる手を私だけに差し伸べてほしい。
そんなワガママな気持ちを抱くようになっていた。
初めのうちは、男子について知ってしまったため、その反動でマナともっと仲良くなりたいと思っているだけだと考えていた。
でも、私の気持ち、そして、態度は、だんだんと極端になっていった。
マナが誰かを助けに行くと聞くだけで胸が苦しくなった。
マナが誰かとお話しているのを見ると、邪魔したくなったりした。
急に訪れた私自身の変化に戸惑ってしまい、しばらく悩んでいた。
ときにはマナが誰かを助けに行く、という行動が嫌なものに見えて、無理やり止めようとしたり、どうしてそんなことばかりするのかと怒ったりもした。
どうしてこんな気持ちになってしまうのか、わからない私は本にその答えを求めた。
知りたくないことが入ってくる恐怖はあったけど、私は本を読むことを選んだ。
このままでは更にマナのことを傷つけてしまいそうだったから。
そうして本を読み始めて数日後、ついに見つかった答えは意外なところから現れた。
親友のありすから。
ある日の放課後、唐突なありすの家へのご招待。
私「だけ」にお話があると聞いて、私はすぐにわかった。
マナのことでお呼ばれしているということに。
学校からありすの家まで、セバスチャンさんの運転する車で向かう。
後ろの座席にありすと横並び。今までで初めてのこと。いつもは間にマナがいたから。
静かに動く車、優しいセバスチャンさんの運転。私とありすの間にも静かな空気が流れていた。
いえ、どちらかと言えば、張り詰めた、といったほうが正しいのかもしれない。
いつもなら、マナを介していろいろなお話をしていたのに、今は何も言わず、何もしゃべらず、ただ車に揺られる私たち。
ありすは前をじっと見つめているだけ。私は時々ありすを盗み見るけど、ありすの表情は変わらない。こちらを少しも見ようとしない。
私はしゃべりかけることができず、同じように前を見て揺られているだけだった。
セバスチャンさんからのお茶がテーブルに置かれる。
ゆっくりと立ち上る湯気、のぞき込む私の表情を映す琥珀色の液体。
そこに「どうぞ」と言う優しいありすの声。
車の中では本当に何もしゃべらなかったということに、久々に聞いたその声で気付いた。
私は顔を上げて小さく「ありがとう」と伝えると、ゆっくりとした動きでティーカップにくちびるをつける。
いつのまにか私ののど、そして、くちびるは乾いていたみたいで、お茶が流れ込むことで少し安心を感じた。
「六花ちゃん」
そこに何の感情もないような、機械のような口調のありすの声。
初めて聞くそんな声に私は思わずティーカップを落としそうになってしまった。
「今日はどうしてお呼びしたか、わかりますか?」
まだ続く、表情のない声。
「マナのこと、でしょう?」
その名前を口にするだけで、私の心はわずかに揺れる。
脳裏に浮かぶマナの顔。軽く頬がほてるのがわかった。
恥ずかしいからありすにはばれないように、ゆっくり、ゆっくりと下を向く。
でも、耳も熱くなっているのもわかる。
「はい。先日マナちゃんが珍しく落ち込んでいるので、どうされたのかをお尋ねしたのです」
そんな私の様子を知ってか知らずか、ありすは話を続ける。
私はふたたびゆっくり顔を上げてありすをじっと見つめる。
顔がまだ少し紅いけど、お話を聞くときは顔を見ないと、そう思って。
「マナちゃんは何も言いませんでしたけど、そのときの様子でわかってしまったのです。こっそりと視線をずらした先をたどったら」
ひと呼吸、ありすはティーカップに口をつけて、再びソーサーにカップを戻す。
そのときの表情に私はとても苦しい気持ちになった。
「六花ちゃんが原因だって」
悲しみに染まった表情に、私はありすまで傷つけていたことを知った。
考えてみれば、大切な親友が、大切な親友に、傷つけられていた。しかも、そのことをどちらも相談してこないのだから、それがどれほど苦しいことか、少し考えればすぐにわかるはずなのに…
それすら気づかないでマナにきつく当たっていた私。
私は何も言えず、ありすの泣きそうな表情を見つめていた。もっと、私に対して怒ってくれればいいのに。
でも、ありすは優しいからそんなことできるわけないのに…それでも、それでもそうしてほしいと願って。
「六花ちゃん。マナちゃんと何かあったのですか?」
心当たりがありすぎて私は何も言えなくなってしまう。
どこから話したらいいか…でも、原因もわからないし、説明のしようがない。
長い時間をかけて考えた結果、私はありすからわずかに視線を外すと、
「別に…」
それだけしか伝えられなかった。
少しあって聞こえるのは軽いため息。
これだけありすを悩ませているのに、これだけしか答えがないのは申し訳ないと思うけど、本当に伝えられる言葉がないから仕方がない。
そっと、ありすの顔を盗み見ると、瞳を閉じたまま何か考えているよう。じっとその顔を眺めていると、
「唐突ですけど…」
遠慮がちな、ありすの言葉。
瞳を開くと、少しだけ、迷うように視線をさまよわせて、
やがて、決意したように私をしっかり見ると、こう口にしたのだった。
「私、マナちゃんのことが好きなのです」
「え…」
私の返事は小さく、少なく。
でも、私の心の中は沢山の言葉を発していた。
好きって、どういうこと?
友達として好きってこと、だよね?
まさか、それ以外の意味で好き、ってこと?
どうして突然、こんなお話を…?
沢山あったけど、一番聞きたいと思っていたことを尋ねてみる。
「わ、私だってマナの事は好き。大切な友達には変わりないわ。ありすもそうでしょう?」
思わず大きくなる声、早くなる口調。
でも、逆にありすはゆっくりと頭を振る。横に。
「いいえ、違うのですよ、六花ちゃん」
ゆっくりと微笑みに変わる表情、わずかばかり、染まる頬。
私は気づいてしまった。思わず顔がゆがむのを感じる。
「クラスの女の子が男の子を想うのと同じように、私はマナちゃんをお慕いしているのです」
言葉とともに、小さな吐息。頬の紅さが更に深まっていくよう。
ありすは恥ずかしそうに瞳を閉じる。
私は何も言えずにただそのありすを見つめるだけ。
何も私は言えない。何も私は応えられない。
そんな私とは逆に、心の中は沢山の言葉が積もっていく。
ありすがマナのことを好きなんて。
そもそも、ありすとマナって女の子同士なのに、そんなことってあるの?
マナはありすに対してどう思っているの?
ありすに告白されたらマナはありすと「おつきあい」をするの?
そうなったら、マナとありすが一緒にいる時間が多くなって、私と一緒にいてくれる時間が少なくなっちゃう。
「……ゃん」
そんなの、嫌。想像したくない。私とマナの一緒の時間…とられたくない。
「…か、ちゃん?」
たとえありすでも、だめっ! 私のマナを、とらないで!!
「六花ちゃんっ!!」
「はいぃっっ!?」
今まで聞いたことがないようなありすの声に思わず大きな声で返事をしてしまう。
思わず見上げてしまったありすの顔は少し険しい。
それはそう。私はありすの話を全然聞いていなかったのだから。
「六花ちゃん」
でも、思ったよりやさしい声に戻るありす。顔も穏やかに。
「今の私の話を聞いて、どう思いました?」
「どう、って…」
どのような形であれ、親友が恋をしているのだ。
相手はマナ、私の一番大切な幼馴染が相手であっても、女の子同士であっても、その想いは応援してあげなくては。
私はゆっくり口を開く。
「びっくりしたけど…でも、私は…ふたりを…おうえ……」
その先の言葉を紡ごうとしてのどから言葉が出てこない。口がぱくぱくひらくだけ。声にならない言葉。
胸が苦しくなる。ドキドキが増えてくる。頭の中がぐるぐるしてくる。
ぎゅっと、勝手に閉じてしまう瞳。私が考えている通りに動かない、私の心。
どうして? 私、おかしくなっちゃったの…?
「六花ちゃん」
更に優しい声。ありすの指が私の頬をなぞる。それで気づく私の涙。いつの間に流れていたの?
「本当の、六花ちゃんの本当の気持ち、教えてください。本当は、どう、思いました?」
「だから…私は……」
涙のせいで、嗚咽のせいで、上手に動かないのどのせいで、言葉が続かない。
私が本当に思ったことが、私のくちびるを、のどを、動かそうとしない。
本当はどう思ったか、知っているの、知っているけど、言えない。言えないの。
本当は、言いたいけど、言いたいのに…ありす、私、言いたいのに言えない。
思っているのに、思っていないことにしなくちゃいけないって。
「六花ちゃん…」
ありすの腕が伸びてきて、私の背中にまわされると、そのまま優しく抱きしめられる。
柔らかくて、暖かい、ありすの体。私はそこで限界だった。
ありすの胸に顔を押し付けて、私は声をあげて泣いてしまった。
「六花ちゃん、ごめんなさい。ちょっといじわるでしたね…」
ありすはそうささやくと、背中に回した手でやさしく、やさしく撫でてくれる。
ありすの暖かい体、やさしい撫でかたに、私は安心しきって泣きじゃくる。
ありすはずっと私の背中を撫でてくれていた。あたたかい手は、やさしい撫でかたは、いつも優しいありすの心を現すようだった。
「ありがと、ありす…」
「いえ…」
泣き止むとともに襲ってくるのは恥ずかしさ。私たちは椅子に戻ってお互い向かうようになると、その恥ずかしさは更に増す。
私は顔を隠すように下を向くけど、それをとがめることもなく、普段通りに戻るありすは優しい声でたずねてくる。
「六花ちゃん、もうお気づきですよね」
「うん…」
私が想ったことの確認。もう迷わずに言える。
「マナのことが好きなの。私も」
口にすると顔が熱くなってくる。くちびるが震える。
「だから、ありすに対して感じたのは…」
「ええ、やきもち、ですね」
ありすはちょっと楽しそうに口にする。
私はそれで全部気づいてしまった。ありすはもしかして…
「初めからわかっていたの?」
私の言葉にありすはめずらしくいたずらっぽい表情をして、
「さぁ、何のことでしょう?」
それだけを口にすると、再びティーカップに口をつけて顔を隠してしまった。
ずるい。顔を隠して。そう言おうと思ったけど、やめた。
やがて、ティーカップで隠れていた表情が再び現れる。
笑顔は先ほどより大きくて。
「私もマナちゃんのことが大好きです」
紅く染まる頬。それを見て私の心に沸き立つのはありすに対してのやきもち。
「でも」
頬は紅いまま、表情は変わらずに。
「六花ちゃんのことも、同じくらい大好きなのですよ」
ふいうちの言葉に私はびっくりしてありすの顔をじっと見てしまう。
ひだまりのようなありすの笑顔に、私の頬は熱を帯びてしまっていた。
「嫉妬してしまうのは仕方ないと思います」
ゆっくりとした動作で自分でお茶をいれるありす。私のカップにも注がれる。
「でも、そこから沸き起こるいらいらをマナちゃんに向けてはいけません」
たしなめるような口調、私はちょっとうつむいてしまう。
「そういう時は、私に」
ありすの手が伸びてきて私の手を軽く握る。
私はその暖かさに安心して思わず握り返してしまう。
「私が、六花ちゃんの苦しみ、受けとめてあげます」
はっとして、ありすの表情を見る。とてもやさしい笑顔…ひだまりのような暖かさ。思わず私はありすに尋ねる。
「何で…そこまで?」
「言っているではないですか」
ありすは私の手を持ち上げて、手の甲にかるく唇をつける。
私は恥ずかしくて手を引こうと思ったけど、思ったより強い力、私の指がありすの指にからめとられる。
「六花ちゃんのことも、大好きだから、ですよ」
応接室に降り注ぐ陽の光はやわらかくありすを照らして、神々しさすら感じる。
幼いころに遊びに行った教会で見た聖母像のように慈悲深い表情、それに加えて、あたたかな心、私はもう一度泣きそうになってしまった。
ありすのおかげで気づいた私の心。
女の子が男の子のことを想うように、私の想いはただひとり、マナに向いている。
マナは女の子、女の子同士は周りから見たらおかしいと思う。
でも、仕方がない。私が好きになったのがマナだったのだから。
私はマナが好き。マナだけが好き。マナだけを愛している。マナさえいればほかには何もいらない。この世の中、マナだけで十分。だから、マナと友達のままなんて嫌。恋人同士になりたい。マナのことを占有してしまいたい。マナを私だけのモノにしたい…それほど深い想いを自分の中に感じていた。
その時から私は再び知識を得るために本を読み始めた。
女の子が女の子を好きになる、ということに関する本を沢山。
知りたくないことを知ってしまうのではないか、という恐怖感はすっかり影を潜めていた。
でも、そういった物語はほとんどなかった。特別なことすぎるのはわかっているから初めから期待していなかった。
心理学の本では、小学生や中学生が同性を好きになることについて書いてあるのをすぐに見つけることができた。
でも、見つけた一冊で読むのをやめた。
「幼少期における同性への思慕は一時の気の迷いである」なんてふざけたことしか書いていないから。
この気持ちが一時の気の迷いなんて思っていなかったし、思いたくはなかった。
その一行で、私自身のマナへの想いを笑われた気がして、馬鹿にされた気がして。
それから、心理学の本に答えを探すことをやめてしまった。
それから、沢山の本に目を通してみたけど、女の子同士の恋愛についての本はなく、
あったとしても、興味本位で書かれたエッセイか、美化されつくした物語しかなかった。
もっと、現実的なことを知りたい。現実的なお話を読みたい。
私の、知りたいという欲求も加わって、少しずつ心がささくれ立ってきているのを感じた。
でも、もうマナに八つ当たりなんてしない。
ありすに甘えることなんてしない。
私自身の問題だから。そう思っていたのに…
「六花ちゃん」
ありすにはお見通しだった。
「何か…ありました?」
心配そうなありすの言葉に私は首を横に振る。
今日の紅茶はアールグレイ。特別な香りが私の心を落ち着けてくれる。
ティーカップをソーサーに置いたありすが、ゆっくり口を開く。
「そうは見えませんわ」
やっぱりお見通しだったみたい。ごまかしきれないと思った私は、
「うん…女の子が女の子を好きになることについて調べてみたんだけど、そういう本って全然ないのね」
言葉を紡いで、溜息ひとつ、ティーカップの中のアールグレイが揺れる。私の顔も一緒に。
「まぁ…六花ちゃんは本当に本を読むのが好きなのですね」
感心したように微笑むありす。ほかの人から同じ言葉を聞いたら馬鹿にされたと思うかもしれないけど、ありすの人徳か、私には本当に感心しているように聞こえる。
「でも、六花ちゃん。それだけではいけません」
たしなめるような口調になるのもすぐのこと。
「六花ちゃんは疑問をすべて本から得ようとしますけれども、それではいけませんわ」
「えっ…」
その言葉は、今までの私のすべてを否定されたような気がして目の前が暗くなってくる。
私が今まで正しいと思っていたことをたった一言で拒否されてしまったような気がして、思わずうつむいてしまう。
「小さい頃はそれでも大丈夫だったのでしょう。でも、やがてはそれだけでは解決しない問題も増えてきますわ」
ありすの口調はまるで大人のよう。急にその存在が大きなものに思えてきて、大人にお説教されているような気がして、背筋がいつのまにか伸びてしまう。
「知っていることを元に、考えて、行動してみて、ぶつかったら考え直して、悩んて、道を切り拓くのが大人になるってことなのだと思います」
初めて聞くありすのとても大人な言葉、その考え。私はとても感心して、
「ありすって…すごいのね」
思わずそんな感想を述べてしまった。
すると、ありすは少し頬を染めて、
「実は、お父様から聞いた言葉そのままなのですけど…」
照れくさそうに言葉を短く切る。
それを見て、私は思わず小さく笑ってしまう。
そんなありすが何だかとてもかわいかったから。
「でも、この言葉は今の六花ちゃんへの道しるべになると思います。物知りで、頭のいい六花ちゃんなら、この言葉から解決へと導くことができるって、私、信じています」
そう、断言するありす。それは過大評価だと言いたかったけど…私はただ、強くうなずくしかできなかった。
「ありがとう、ありす」
私は玄関で振り返り、お礼を言う。
大きな扉の前、ありすは大きな笑顔で「いいえ」って言ってくれる。
ありすの言葉は私が気づかないことを気づかせてくれた。
「これで、安心です…私がいなくても…」
「え…?」
最後のほうは小さな声で聞こえなかった。でも、大切なことは言ったんだと思う。
ありすの顔が少し寂しそうに、でも、決意を抱くように、複雑な表情。
「では、またお逢いしましょう。お気をつけくださいね」
笑顔に戻ったありすは手を振ってくれる。
私も手を振り返して、家を後にする。
少しだけ、軽くなった心を、そして、胸に生れた新たな決意をしっかりと感じて。