わたしが「一色いろは」をやめる日   作:赤狐

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0─秘めてきた想い

「……ふふふっ」

 

自然とでてきた笑い声に、どうしていいのか分からないと困惑している先輩の様子が電話口を通して伝わってくる。

 

それこそ、眉間にしわを少し寄せて電話を持っている反対の手を顎に添えて撫でる姿が鮮明に、瞬時に思い描ける程度の付き合いなのだから。

 

そんな彼に今まで何を緊張していたのだろう、時間を言い訳にしていたのがバカバカしい。

 

「んんっ、いえ、なんでもないです。ところでどうして先輩はこんな時間に起きているんですか?」

 

自分でも笑ってしまうほどわざとらしい咳払いで話題を転換するも、ブーメランな発言であることに直ぐに気づいた。

 

どうやら未だにわたしは動揺しているらしい。

 

それが緊張から来るものなのか、驚きからなのか、はたまた喜びからなのかは判断がつかない。

 

『あー、その、なんだ、ちょっと眠れなくてな』

 

気まずいのか彼の中のそれを声音に混ぜて話す先輩は混乱しているわたしを察してか追及してこない。

 

こんな、小さいけれど、確かにある優しさを持っている先輩をわたしは好───

 

『というか、お前もだろ。なんでお前も起きてるんだよ』

 

「……」

 

いや、違う。

 

違う、そうじゃない。

 

どうしてそこで選択を堂々と間違えるのか。

 

恋愛シュミレーションゲームで出された選択肢のひとつだったとしても選んじゃいけない類いの発言だ。

 

やったことないから知らないけど。

 

隣で先輩がやってる所を見ただけだけど。

 

『お、おい、どうした?』

 

「あーあ、なんでもないです、先輩が察しの悪い人だってことは分かってますから」

 

『お、おう……。俺何かしたか……?』

 

すっ、と脳が冷めて冷静になっていく感覚を感じ取りながら小さくため息をつく。

 

どうやら動揺はため息とともに外へ追い出されてしまったようだ。

 

今頃何を間違えたのか分からずに困惑してる彼は確かに優しいが、変なところで空気を読めない。

 

けれど、

 

まっ、そんな所も結局は好きなんですけどね……

 

『なんか言ったか?』

 

「いいえ、なんでもありませんよー」

 

知らずうちに小さく漏れていた本音は先輩の鈍感系主人公イヤーには届かないようだった。

 

届いていたら赤面ものなのだが。

 

「ところでなんの話でしたっけ」

 

『ん?』

 

「あー、どうしてわたしが起きてるかでしたね」

 

『何お前俺に恨みでもあるの?なんでちょっと前の会話スルーされるの?』

 

ケラケラ笑いながら冗談だと伝えるが不服そうな様子の先輩。

 

やはりそこに可愛らしさを見出すわたしは間違っている、と思う。

 

「ちょっと昔のことを思い出してたんですよ」

 

『高校時代……とかか?』

 

「え?なんで分かるんですか気持ち悪いですちょっと分かってくれることが嬉しい自分もいるので責任取って結婚してください」

 

『なんか懐かしいなこれ。というかよくよく思い出すと初めて振られたから段々とデレてきてると思うの俺だけ?』

 

「……うるさいです、勝手に口が動くから無意識です無意識」

 

『まぁなんというか、あれだ、明日というか今日、否が応でも……な?』

 

「……はい」

 

『……』

 

「……」

 

なんだこれ。

 

もう一度言おう、なんだこれ。

 

なんでこんなに甘酸っぱい空気になってるんだろう、学生でもあるまいし。

 

たぶん二人とも俯いて顔を真っ赤にしているはずだ。

 

今更恥ずかしがることでもないはずなのになんでこんなに顔が熱いんだ。

 

もしこの会話を聞いている人がいたならば、バカップルかよ、の一言でも入りそうだが残念ながらそんな人はいないし聞かれてたまるか。

 

「話、戻しますね……」

 

『頼んだ……』

 

これ以上この空気に耐える自信も耐性も持ち合わせていないので話を戻す。

 

いつもなら先程みたいに無理やり話を逸らしているのだが、宣言してからのあたりかなりこの空気に当てられているようだ。

 

「えーとですね、そうそう、わたしが一期目の生徒会長になった時のことを思い出してたんですよ。つまり、わたしが先輩と初めてあった時です!今のいろは的にポイント高いですよ、先輩」

 

『俺、あの時が初めてじゃないんだが……』

 

「えっ」

 

予期していない返答に素っ頓狂な声が飛び出てしまう。

 

そんな馬鹿な、小町ちゃんの鉄板ネタで空気を戻そうとしたらこのザマだよ。

 

違う、そうじゃなくて初めてではないということはどういうことだろう。

 

うーん、と唸りながら思い起こしてみるも思い当たる節はない。

 

わたしが知らないのに先輩が知っている。

 

この情報から導き出される結論は……

 

「もしかして先輩ってストーカー……!?」

 

『違ぇよ。どうしたらそんな結論に行き着くんだよ』

 

「いやでもわたし知らないのに先輩知ってますし……」

 

『お前が高一の時の夏に柔道のイベントあったろ?葉山が参加して、後でお前が回収に来たやつ。それに俺も参加してたんだよ』

 

「おー……?」

 

脳内サーチに出てきた言葉をかけてみる。

 

ところで思い出すときに視線が上の方にいってしまうのはわたしだけじゃないはず。

 

高一、夏、柔道、葉山先輩…………あっ。

 

「言われてみればそんなのありましたね……。けど、なんで先輩参加してたんですか?そんな体育会系のイベントに参加するような人には今でも見えませんが」

 

『余計なお世話だ。それに奉仕部への依頼で仕方なく、だ。』

 

「ほへー」

 

『あまりに棒読み過ぎやしませんかね……』

 

「そんなことないですよー」

 

『……』

 

むむ、どうでもいいという思いが声に表れてしまったようだ。

 

しかしながら反省する気はさらさらないので是非ともこれからの先輩に期待するしかない。

 

『しかし残念だ、あの時の俺は凄かったぞ?とある柔道部OBが理不尽極まりないハラスメントを行い、柔道部は退部希望者が増えて崩壊の危機を迎えていた。そこで俺が颯爽と手を差し伸べ、相手を改心させるべく危機から救わんと色々と策を打った。当日、そのOBが試合に出ざるを得ない状況に追い込み、そこで俺が相手になった。俺の得意な心理戦で優位に立ち、そいつの見せた一瞬の隙を見逃さず技をかけにいって───』

 

「倒されたんですね、分かります」

 

『……』

 

「どうしたんですか?先輩」

 

『……本当にその時いなかったんだよな?お前』

 

「先輩自身が言ってたじゃないですか」

 

『いや、まぁ、そうだけど……』

 

どこか腑に落ちない様子の先輩の声を聞いて胸がすいた。

 

わたしの知らないエピソードを先輩が話すのは若干気に食わないが、こういうのは大歓迎だ。

 

失礼だとは思うけれど残念ながらこういう人間なので先輩には諦めて受け入れて貰うしかない。

 

第一、何年の付き合いだと思っているのか。

 

あんな口調で話す時の先輩のオチなんて決まっているだろうに。

 

「まぁ、先輩のことですから誰もが考えつかないような方法できっと解決させたんでしょう。……わたしの時みたいに」

 

『なんか小っ恥ずかしいから辞めてくれ。今思えばあの時期が一番黒歴史な気がするぞ……』

 

「ほう、わたしとの出会いを先輩は黒歴史と言うんですね?そんなに消したい過去でしたか、わたし悲しいです」

 

『そうは言ってねぇだろ……。消したいとは一言も言ってないし、既に歴たことだから歴史って言うだけだ』

 

「捻デレさんめ」

 

『……まだそれ残ってんのか』

 

「先輩を言い表すのに一番適した言葉ですからね、ソースは小町ちゃん」

 

『小町ェ……』

 

先輩が聞いたら嫌な顔をするだろうがわたしはこの言葉が好きだ。

 

好きな要素を上げろと言われたら真っ先に出てくるだろう、そんな機会が訪れたことも訪れる予定もないけど。

 

表面は当たり障りのない言葉なのに、こちらを気遣ったり照れ隠しをふんだんに含んだ言葉。

 

先輩の性格がそのまま反映されていると言ってもおかしくはない。

 

「……っと、また話がそれました」

 

『というか本題に辿り着いた試しが一度もないな』

 

「一言余計です。それで、生徒会長選挙の時にわたしが依頼をしに奉仕部に訪れた時、先輩と二度目の運命的な再会を果たしたわけです」

 

『あの時、なんだコイツみたいな顔をお前にされたんだが』

 

「だから一言余計ですって」

こういう所があるから先輩はモテな……、いや、今でもモテてたし学生の時もフラグ立てまくってたなぁ……。

 

というかモテると困るし、そもそも親しい仲じゃないと先輩はこういう面を見せない。

 

そう考えると何だかいい気がしてきた。

 

何も言ってないのに丸め込むなんて先輩、恐ろしい子……!

 

「その後何やかんやあってわたしが生徒会長になり、変な学校合同企画に参加することになったんですよね」

 

『端折りすぎだろ……』

 

「いいんですー。選挙の時、先輩が色々と暗躍してたこと全部しってるんですよ?わたし」

 

『……』

 

愕然としている先輩の様子がありありと浮かんでくる。

 

自分が先輩を掻き乱している状態にニヤニヤしながら話を続ける。

 

「そうそう、その謎企画の一環でディスティニーにも行きましたよね。実はわたし、あれが異性と初ディスティニーだったんです。あ、お父さんはノーカンですよ?」

 

『……あー、先生から貰ったやつか。今でも思うけどあれかなり先生可哀想だな』

 

「まぁ、今は幸せを掴んだからいいんじゃないんですか?」

 

『そうだな』

 

苗字は変わってしまったが、ずっと「平塚先生」と呼んでいたので呼び方を変えるのは難しく、仮に呼んだとしても違和感しかなかった。

 

そこで今でも教鞭をとっていることから「先生」と呼んでいるが、そうでなくとも、いつまでも先生はわたし達の「先生」だ。

 

数年前に純白のドレスに身を包んだ先生が目尻に雫を浮かべながらヴァージンロードをゆっくりと歩んでいたのを思い出す。

 

先生、貴女はあの日何を思ってあの場所に立ち、そしてその前日をどうやってすごしたんですか?

 

記憶に残る幸せを纏った先生に尋ねてみるも、答えはない。

 

わたしはどうも先生に自分を重ねてしまっているようだ。

 

『大丈夫か、一色』

 

その一言で現実の暗い部屋へ引き戻される。

 

しまった、思った以上に黙りを決め込んでいた時間が長かったらしい。

 

「あぁ、すみません、ちょっと考え事をしてました」

 

『眠いんだったら寝とけよ』

 

「その点についてはまだ大丈夫です。そう言えばパレードの時、先輩と雪ノ下先輩はどこいってたんですか?」

 

『……まぁ、ちょっとな』

 

「なんですか、わたしに言えないことでもしたんですか。酷いです、浮気です、最低です」

 

『いやいやいやいや、お前の思っているようなことはしてねぇよ。ただ雪ノ下の名誉に関わるから言えないだけだ』

 

「雪ノ下先輩を泣かしたんですか、先輩最低です」

 

『どうしてそうなるんだ……。てかお前楽しんでるだろ』

 

「あっ、バレちゃいました?」

 

『……』

 

生まれてしまった違和感をなかったかのように振る舞い、話題をすり替える。

 

先輩に気づかれたくない、その一心で今まで嫌悪していた行為に走る。

 

最低だ、いつまでも変われずに同じことを繰り返す自分が。

 

『お前もあの時葉山に告白してただろ』

 

「いやまぁあれは恋に恋した結果なので仕方ないというか、あれが布石だったというか……」

 

『結果わかってた上で行くのは今でも凄いと思うが、やっぱり無謀すぎやしなかったか』

 

「正論なのに先輩が言うとなんかムカつきますね……。あ、もしかして先輩、嫉妬してます?」

 

『…………』

 

「……その、無言の場合を想定していなかったんですけど、これはどう返すのが正解でしたか?」

 

『なんか、すまん……』

 

ごまかしの終着点が想定の範疇の外であったのに驚きを隠せない。

 

一度顔を引っ込めた羞恥心が再び顔を出してきたせいか若干顔のあたりが熱いが、普段こういったことを示さない先輩のなかなか見れない一面を見れた喜びがギリギリ勝っている。

 

「結局、先輩には責任とってもらったので一番良かったことには変わりないんですけどね」

 

『まさかこんな形でなんては当時は思いもよらなかったな……。あ、いや、結果こうなっただけで責任とるためになんてことは無いぞ?』

 

「分かってますって、大丈夫ですよ、これ以上は先輩をいじりませんから」

 

何かに気づいたように少し早口に弁解をする先輩の様子が再びわたしの笑い声を誘う。

 

まぁ、先輩が自分で言わなかったらそこをいじっている自信があることは否定しないが。

 

ふと気にも止めていなかった時計を見ると丑三つ時にさしかかろうとしている所だった。

 

こんなに長い時間話していたことに全く気づかなかった。

 

これ以上話しているとお互い朝が大変だろう、夜型人間にはいささか辛くなる。

 

「そろそろ二時ですね」

 

『もうそんな時間か、二人とも寝た方がいいのは確かだな』

 

「化粧のノリが悪くて恥をかくのは嫌ですからね、今更すぎますけど」

 

『だな』

 

「じゃあ、そろそろ切りますね」

 

『おう、おやすみ』

 

「おやすみなさい」

 

先輩との会話が終わる。

 

そう考えた瞬間に、今まで息を潜めていた形のない漠然とした恐怖が突如として襲ってきた。

 

それは的確にわたしを混乱と底なしの不安に陥らせる。

 

布団を剥いで空気に晒された体はすっかり熱を奪われ、徐々に冷えていっているのが分かった。

 

先輩には話したくない、なのに伝えないと狂ってしまいそうになる。

 

相反する矛盾した衝動。

 

理性と本能の乖離。

 

画面の向こうでこちらから電話を切らないことに疑問を抱いているのが伝わってくる。

 

いつもこちらから切ることになっていたせいでわたしが切ろうとしないと切れない電話。

 

ただ少しトン、と触れるだけで終わるのに、スマホを持ち上げた指は動かない。

 

沈黙が部屋をつつみ、唯一の音の発生源である時計の針がスマホの画面の数字と同調するように音を立てる。

 

もう切ろう、切ってしまおう。

 

そんな意志に身体は伴わない。

 

だから、吐いた息のようにか細い声は必然だったのかもしれない。

 

「せん、ぱい……」

 

『……どうした』

 

出されるはずのなかったわたしの懇願の篭もった声と異常さをくみ取った先輩の心配と疑念と気遣いが織り混ざった返答。

 

「わたし、怖いんです」

 

『……』

 

勝手に口から言葉は零れる。

 

「なんで怖いのか、分からないんです」

 

止まらない。

 

「でも怖いんです」

 

止まらない止まらない止まらない。

 

「今日のことを考えるとすごく満たされるんです。なのに、得体のしれない不安が襲ってくるんです」

 

呟きは徐々に膨らみ始める。

 

そして、それは叫びに近づいていく。

 

「そんなよくわかんないような不安を怖がってる自分がもっと怖いんです……!」

自分でも何を言ってるのかわからない。

 

言葉も感情もぐちゃぐちゃで抑えることができない。

 

「おかしいんです、わたし。これからの生活を想像すると、幸せに思えるんです。幸せなんです。けど、幸せすぎて怖いんです。ほんとにそうなるのか、わたしの思い込みなだけじゃないのかって恐ろしいんです。わかんない、こんな自分がわかんないんです!」

 

ぽたり、と眩いディスプレイに水滴が光を含んで垂れた。

 

自分が泣いていることと指先が震えていることに今更気づいた。

 

なんて情けないのだろうか、脈絡もない雑然とした心を、言葉を先輩にぶつけるのみならず、挙句の果てに涙を流すなんて。

 

涙で滲んだ光が目に沁みる。

 

なんで、ですか

 

ダメだ。

 

これだけは絶対に言葉にしてはいけない。

 

頭の中で警笛がけたたましく鳴り響く。

 

なんで……たし……ですか

 

それを言ってしまうとわたしの全てが終わってしまう、消えてしまう。

 

だから、けれど───

 

「なんで、わたしなんですか」

 

 




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