何種類ものファンデーションやチークを塗り、かといって厚いと思わせない透明感のある肌、陰影を付けられて大きく見える瞳、華やかで清楚さを存分に醸し出している純白のドレス。
若干濃いようにも思えるブライダルメイクを見事に施された鏡の中のわたしはこれでもかというほど緊張していた。
懸念だった寝不足はさほど問題にならなかったのが唯一の救いだが、いざ当日を迎えるとなるとそれどころではなくなってしまった。
疑いようのない美貌に、元の素材がいいからだと冗談も言えないほど縮こまってしまい、先程からなされるがままであった。
真っ青な面持ちでヘアメイクさんの、皆さんこうなるんですよーというふんわりと間延びした声を聞いていたが、上手く舌が回らなかったのでリハーサルを設けていなかったら色々と危なかっただろう。
なんとか無理矢理にでも笑ってみようと口角を上げると、なんとも不気味で硬い、ぎこちない笑顔が映ってしまったので思わずため息をついてしまう。
するとドアからノックの音が響き、「……俺だ」と短くドア越しのくぐもった先輩の声が聞こえた。
途端に、しゃんと背筋が伸び、少し裏返った声で「は、はい!」と応えてしまうので参ったものである。
ちなみにであるが、わたしを名前呼びするのはまだハードルが高いというのだが式でわたしを紹介する時は言えるというのに二人きりだと難しいとはどういった了見だろうか、普通逆だろう。
若干の間が空いた後、躊躇がちに開かれた扉の先にはわたしと対照的に真っ黒なタキシードを身にまとった先輩が、慣れない蝶ネクタイの具合を確かめるように立っていた。
───ガチガチに緊張した表情で視線を彷徨わせながら。
思わず吹き出してしまい、そのまま笑い声に転じる。
自分より緊張している人をみると不思議と自分の緊張が軽減される理論はどうやら本当だったようだ。
わたしの笑い声を聞いてか、頬を薄く羞恥の色に染めた先輩がこちらを視界の中に捉える。
意外も意外、似合っていると言うより憎たらしいほどカッコイイ先輩にドキドキしてしまっている自分が憎い。
そんな先輩の自称チャームポイントであるアホ毛はワックスの威力の前に哀れ、生気を失ってへなりと倒れてしまっている。
「ほんっとに信じられないくらい着こなしてますね……。まぁ、目はいつも通りなので安心しましたけど。それより!どうですかわたし!」
これでもまだ死んだ魚のような目は学生時よりかはマシになったとは思うのだがどうにも目の下のクマが今回は悪い。
責任の一端どころかだいぶ担っているのでからかうことは出来ないけれど。
慣れないウエディングシューズでやや危なげに先輩のそばに近寄り、ゆっくりと回ってみせる。
何枚もの花弁が重ねられたかのようなスカート部分がふわりと上下し、驚くほど緻密にあしらわれた模様が宙を舞う。
……ブライダルインナーが動くと余計にキツかったのはわたしの内心のみに留めておきたい。
「───」
「ちょ、ちょっと先輩、何か言ってくれないと困りますよ……。何だか回って見せたわたしが恥ずかしいじゃないですか」
何も言わずにただわたしのドレス姿を見つめる先輩は微動だにせず、まるでマネキンになってしまったかのように動かない。
これではわたしだけが感情を露わにしている子供のようで気恥ずかしくて仕方がない。
そんな彼を恨めしげに見上げると、嫌でも胸の下あたりまである下襟のタキシードが目に入る。
近くに来て分かったのだが、タキシードのシルクが滑らかに光を反射し、真珠のような気品のある光沢を生み出していた。
デザインの為か凛々しさを引き立てて、クールなイメージを醸し出しているのかと冷静な分析に入っていたところ上から声が降ってきた。
「……あー、すまん一色」
「ホントですよ!わたしがどれだけ恥をかいたと思ってるんですか!理由を説明してもらわないとこの怒りは収まりません!」
いかにもわたし怒ってますアピールをし、ふいっと後ろを向くおまけ付きである。
もちろん冗談で、先輩も普段ならそれを理解して困ったような顔をするのだが、今回は冷静な判断が出来なかったのか予想だにしない答えを口にしてきた。
「一色の格好に、その、見惚れていてだな……」
「───」
今度はわたしが黙る番だった。
言葉が脳内で反芻されて頭の中を駆け巡り、目を見開いて
たった一言であったが、その言葉により様々な感情が掻き立てられる。
喜び、困惑、幸福、驚愕、安心、愛しさ。
混ざりに混ざった感情の渦の行方は、ストンとジグソーパズルのピースがハマるように落ち着いた。
「……あ、いや、ちょっと待った、待ってくれ!」
固まってしまったわたしに気づいたのかようやく脳が正常に働きだしたらしい先輩は先程の発言が平生は口にしない言葉を零してしまったことに気づいたらしい。
熟れたリンゴまでとは言わないが、先ほどよりも真っ赤な顔で焦った様子を隠すことなく見せる先輩にニヤリと口端を広げて笑ってみせる。
「いやー、そうなんですねー、先輩がちゃんとわたし史上最強の姿に見惚れてくれたんですねー、ちゃんと細かいところまでチェックしておいてほんとうに良かったですー」
呆れるほどの語尾を伸ばしたわたしの声に冷静さを取り戻した先輩は咳払いをして調子を整えている。
そんな姿がまた可愛らしいのでニヤニヤが止まらないのは申し訳ないと思いつつ、そちらに責任があるのだと憚りもなくやめない。
「……ほら、写真撮影行くぞ」
未だに薄く色付いた頬をなるべく見せないためか、先輩はこちらに視線を合わせずドアに向かっていく。
無理矢理に話題を変えるところと言い、あどけなさを残した少し拗ねたような顔で歩くと言い、どこまでこの人はわたしを悶えさせる気だろうか、心臓に悪いのでやめていただきたい。
ドアまでたどり着いた先輩がドアノブを握る。
「先輩」
後ろから声をかけると、バツが悪そうな表情を浮かべた先輩がいつも通りの猫背気味な格好でこちらを振り向く。
先輩の顔を見据えてゆっくりと一歩、また一歩と歩み寄り、先輩の横に並ぶ。
困惑の色が見える表情を見上げて、少し意地悪な顔をしてちょいちょいと指で耳をこちらに持ってこいと合図する。
わたしの意図が見えず不思議そうに、訝しむように顔を寄せてくる先輩。
先輩の肩に手を乗せて口を耳元まで近づけ、囁く。
「わたし、世界で一番幸せです」
驚いたように目を見開いてこちらを見る先輩に弾けんばかりの満開の笑顔を向ける。
すると、人差し指で上気した頬をかいて唇を噛みしめる先輩。
そして意を決したかのようにこちらを見つめ、先ほどと真逆の格好で先輩が近づいてわたしの耳元で囁く。
「俺もだ」
一気に顔の温度が上がる。
予想外の行動に思わず口を開けながら先輩の方を見ると、してやったりと、口角を上げてニヤリと笑いかけてきた。
いつもは絶対に口にしない、歯の浮くような台詞と笑顔のコンボに心臓の鼓動が加速する。
最後の最後にしてやられた。
「……ズルいです、先輩」
「お前が悪い」
イタズラが成功した子供のような顔の先輩、むーっと悔しげにそれをみるわたし、そして何の合図もなしに二人同時に破顔して笑いあった。
「それじゃ行くか」
「はい」
ドアノブが倒され、扉がゆっくりと開かれる。
この先、思いもよらない困難や様々な理不尽にわたしたちは出会うだろう。
けれど、わたしたちはそれ以上に数えきれない思い出を築いていく。
この人とだからこそ、わたしは一緒に歩いていける。
ゆっくりでもいい、回り道をしたっていい、一つひとつ、一歩一歩噛みしめながら歩んでいこう。
「先輩」
ドアが開ききって、先輩が歩きだそうとしたところを呼び止める。
「先輩、愛しています」
その言葉に視線を走らせて周りを確認した先輩はゆっくりと近づいて優しいキスで応じた。
最後までお付き合い下さりありがとうございました。
本編の方はこれにて終わりさせていただきますが、本編では書ききれなかった部分などがありますので短編という形でこれから書いていけたらな、と思っております。
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