それまでも何度もあったのとはちがう、本気のお見合い
そうわかると震える胸の中
秘めた想いがこのまま消えることになりそうで…
(2015年、Pixivさまにて初公開)
「日取りが決まったらセバスチャンに伝えさせよう」
「はい…」
あまりにショックが大きくて、お父様の言葉は私の耳をただ通り過ぎるだけで、頭の中に全く残りません。
ですから、私のお返事もなおざりになってしまいます。
「失礼します…」
お父様の部屋から出るときの私の声はとても落ち込んでいました。
いつかはこうなることはわかっていましたけど…でも…いざ、その時が来るとやはりショックを受けてしまいます。
あの、つらくも楽しく、そして、濃密な1年が終わりを告げて、私達は元の生活に…いえ、元の生活よりも華やかに、忙しく、そして、すばらしい日々になりました。
私達はこのすばらしい力を使って、たくさんの人々の笑顔を守るため日々戦っております。
マナちゃんを初め、仲間とともに人々の笑顔を守るこのお仕事は、幼い頃からの私の夢そのものであり、叶った今、幸せな気持ちでいっぱいです。
そして、月1回のお茶会でしか逢うことができなかったマナちゃんに逢う機会が増えて、さらに幸せを感じています。
幼い頃からずっとお慕いしていたマナちゃん。
マナちゃんの持つ大きさ、強さ、明るさ、優しさ…いいえ、全てが私の憧れです。
いつからか、その憧れは恋心に変わり、いつもその姿を瞳で追っていました。
マナちゃんの中でも私が一番であってほしい、そう想い続ける私でしたが、それは夢物語です。
私は四葉の跡継ぎ。四葉の家を末永く繁栄させるためにもいつかは望まない結婚を迎えるのでしょう。
だから、マナちゃんと結ばれるなんて、夢のまた夢。
心の中ではわかっていましたけど…でも、それでも、マナちゃんへの想いをいつまでも断つことができませんでした。
でも…この想いを持ち続けることをきっちりとやめなくてはならないでしょう。
私に、本格的なお見合いの話が出た、今、この時点から。
「お嬢様…」
部屋を出たところにはセバスチャン。私を一目見るなり心配そうな顔に変わります。
その顔に笑顔を…自分でもわかるくらい弱々しかったですが…向けて、大丈夫ですよ、そう答えます。
でも、セバスチャンの顔は変わらないまま。
私は心配させてしまったことを申しわけなく思い、もうこれ以上その顔を見ていることができなくなって、振り返って自分の部屋に向かいます。
「お嬢様……」
再び、セバスチャンの声。
私は立ち止まり、
「大丈夫ですよ、セバスチャン。私はもう寝ることにします。また明日」
背中を向けたまま、答えました。
「わかりました。お休みなさいませ、お嬢様」
それを最後にセバスチャンの声はありません。
私は少し足早に自分の部屋に戻りました。
「パタリ」
部屋の扉が音をたてて閉まります。
「カタリ」
後ろ手で扉の鍵を落とします。
「ふぅ…」
思わずこぼれてしまうのはため息です。
今日、ランスちゃんはシャルルちゃんのところへお出かけ。ため息が聞かれなかったのはよかったですけど、マナちゃんの家に自由に行けるランスちゃんが少しうらやましいです。
私も、マナちゃんの家に自由に行けたらと思うことが何度あったでしょうか。
マナちゃんと共に同じ時をすごしたい。マナちゃんと夜を通して語り合いたい。マナちゃんのこと、私のこと、お互いのことを語り合って、お互いのことをもっと知り合いたい。
そう願うことが何度あったでしょうか。
もっと、もっと、マナちゃんとの時間がほしい。今よりも、もっと、もっと…
…そこで考えることをやめます。
これ以上続けたら止まらなくなりそう…いえ、もっと寂しくなってしまいそうでしたので。
もう一度ため息をつくと、軽く頭を降って頭の中の想いを外に追いやります。
髪を解くために鏡台の前に座ります。鏡に映る顔は本当にしょんぼりしています。
ぎゅっと目をつむって、心の中で3つ、マナちゃんの事を考えながら数えて、ゆっくり瞳を開いても、やはりしょんぼりした顔で…
…やがて、鏡の中の私は涙を流し始めます。
すると、もう、そんな自分を見ていることができなくて、鏡台を離れ、ベッドに上がり、枕に顔を押しつけます。
あふれる涙も、こぼれる嗚咽も、どちらも我慢せずに、ずっと、ずっと、任せるままにしてしまいます。
今までの想い、すべてが流れ去って、そして、一生、想い出せないといい。そんな風に想いながら。
外から聞こえてくる小鳥の声と、カーテンを越しのやわらかな光で私は目を覚ましました。
枕に顔を押しつけて寝ていたからでしょうか。それとも、ずっと涙を流していたからでしょうか。私のまぶたは熱を持ち、厚ぼったくなっているのがわかります。
こんな姿を見たらセバスチャンはどう思うでしょう。
なんとか治すために、冷たいお水で顔を洗います。
そして、冷やしたタオルでまぶたを覆います。
でも、私のまぶたは戻ってくれなさそうです。
と、そのとき、扉をノックする音が。朝食の時間です
でも、こんな顔はお見せできませんので、お断りして着替えることにいたしました。
着たままだった制服は所々しわになってしまいました。
申し訳ないですが、すぐにアイロンをかけていただくことにしましょう。
鏡の前、上着のホックに手をかけてジッパを上げて脱ぐと、肌着になります。
その肌着も手をかけて脱ぐと、下着姿の自分が鏡に映ります。
その時、自分の姿を見て気づいてしまうのです。
今まで誰も触れたことのない肌を、見ず知らずの人、それも、男性に見られてしまうことがそう遠くない未来に訪れること。
この下着に隠された私の体を、遠慮なく触られてしまうこと。
私は思わず体を抱きしめて座り込んでしまいます。
自ら望まないそんな未来に私はまたも涙がこぼれそうになります。
でも、いつまでもそんなことはしていられません。
私は四葉の後継者。このような結婚も生まれたときから決まっていたもの。
それに、この結婚によって四葉の事業の幅もまた広がることでしょう。
そうすれば、私の夢はもっと大きく叶うことになります。
私は、私の夢のためにこの結婚をする。
そう、自分に言い聞かせます。
私はそのまま下着も脱いで、部屋の奥にあるシャワールームへ向かいます。
なにもかも、流れていくように頭からシャワーを浴びてゆきます。
熱いお湯は私の心の中まで染み渡るよう。
でも…私の心に残る想いは流れていきませんでした。
瞳を閉じれば、思い浮かぶマナちゃんの顔。
私の涙は止めどもなく流れていました。
どれだけ、我慢しても止めることはできなくて…
「おはようございます。お嬢様」
セバスチャンがいつもの通り車の前で待ってくれています。
「おはよう、セバスチャン」
私もいつもを装って挨拶をしてみましたが、少しだけ、声が震えてしまいました。
でも、セバスチャンは気にせずにドアを開けてくれます。
「ありがとう、セバスチャン」
いつものようにお礼を言って座ります。
座席は私の全てを包んでくれるかのようにやわらかくて、少しだけ心が安まります。
優しく動き出す車。学校に行けばいつも通りの気持ちに、いつも通りの私になれるでしょうか。
窓から外を眺めながらそんなことばかり考えていました。
途中で一緒になった麗奈さんがいつものようにいろいろお話してくださった内容も全く覚えていないくらいに。
でも、学校に着いても、私は気がつくと上の空でした。
授業を聞いていても先生の声は入ってきません。
体育の授業でもミスをしてばかりでみなさんにご迷惑をおかけしてしまいました。
お見合いのことが、そして、マナちゃんのことが、私のことを縛り付けるように頭の中に何度も浮かぶのです。
私はいつもより疲れた一日を過ごし、校門で車を待っていました。
横にはいつものように麗奈さん。楽しそうにお話をしてくださいますが、私はどうしても返事をする気力がなくてなおざりになっていました。
この先どうしたらいいのか…どうしても逆らえない運命ですけど、それでも「どうしましょう」という言葉と、マナちゃんのことばかり頭の中をまわります。
ふと気づくと、あたりは街の音と校門を出るみなさんの話し声だけが響いています。
いつの間にか止まっている麗奈さんの声。
不思議に思って麗奈さんに視線を向けると、怒った顔をしていました。
私はしまったと思いました。麗奈さんを無視していたのですから当然です。
謝ろうと口を開くより先に、
「ありすっ!」
麗奈さんが私を大きな声で叱ります。
「ごめんなさい、麗奈さん…」
私は頭を下げます。でも、麗奈さんは怒った顔のままです。
「本当にごめんなさい…麗奈さんのこと無視し」「ちがいますわ!」
謝る私の言葉をぴしゃりと止める麗奈さん。
私は驚いてその瞳を見つめます。
麗奈さんの瞳は最初は厳しい光をたたえていましたが、そのうちにだんだんと潤んできて、ひとすじ、涙が流れて…それは、とてもきらきらとして美しくて思わず見ほれてしまうほどです。
「ばかっ…ばかありすっ!」
きらきら輝く涙は、後から後からその綺麗な瞳からこぼれ落ちます。
「そんな、苦しそうな顔をして…私が気づかないとでも思っているんですの…?」
私が悩んでいることは麗奈さんにはお見通しだったようです。
私は、ただただ申し訳なくてなにも言えませんでした。
麗奈さんの瞳からこぼれる涙がいつまでも終わらないものですから、私はハンカチを差し出しました。
でも、麗奈さんは受け取ろうともせずに私の手を握ります。そして、その涙にあふれた瞳を私に向けます。
「あなたの大切なお友達には…勝てないかも…しれませんけど…私だってありすを想う気持ちは…変わらないですわ…」
涙に濡れたその言葉に私は本当に申し訳ない気持ちになります。
そして、もうひとつ、私の胸にあふれる気持ちがありました。
それは、暖かい気持ち。
私のために沢山の涙を流してくださるその想い、優しさが私の胸まで届き、心の奥まで暖かく染み渡るようで、落ち込んでいた私を少しだけもどしてくれます。
それが嬉しくて、私は優しく肩を抱き寄せました。
ぴくり、と震える麗奈さんの体。
私はその耳元に「ありがとうございます」と伝えました。
やがて到着した車。乗り込む頃には麗奈さんはいつも通りの顔をなさっていました。
でも、ひとつだけ違っていたことがありました。
それは、私の手を握ったままで離さないこと。
私は手を握られるままにセバスチャンの運転する車に揺られていました。
握られた手から流れ込むのは麗奈さんの体温。泣いていたからでしょうか、少し熱くも感じました。
でも、その熱さに麗奈さんの想いの大きさを感じることができて、私のことを安心させてくれます。
私は少しだけ手を握る力を強くします。
すると、麗奈さんはちらりとこちらを見ます。
私も見返しますと、麗奈さんは慌てて元のように前を見ます。
頬が少し赤い麗奈さん。そんな麗奈さんが少しかわいく感じて、もう一度その手を少しだけ強く握ります。
麗奈さんはもう一度私に顔を向けると、小さな笑みを見せてくれました。
「セバスチャンさん」
しばらく走っていると急に麗奈さんはセバスチャンに声をかけます。
突然話しかけてくるとは思わなかったのでしょう。セバスチャンは少しだけ眉を動かしてミラー越しに私たちを見ます。
「どうされましたか?」
でも、いつもの穏やかで優しい声で麗奈さんに返事をします。
「私たち、ここで降りますから」
「え?」
私はその言葉に驚いてしまいます。まだ麗奈さんの家まではかなりありましたから。
「ですが…」
さすがのセバスチャンも驚いた声です。
私は麗奈さんの横顔に視線を向けてその真意を知ろうとします。
でも、麗奈さんはいつも通りの凛としたお顔で、
「私はありすとお話があるからここまでで大丈夫です」
きっぱりとそれだけを言います。
セバスチャンはちらりと私の姿を見ます。
私は小さくうなずいて車を止めるようにお願いします。
静かに止まる車、大きな公園の横。
セバスチャンはまず麗奈さん側の扉を開け、続いて私側の扉を開けようとしたのですが、麗奈さんに握られたままの手をそのまま引っ張られてしまいました。
セバスチャンは心配そうな顔をしていましたが、私はもう一度うなずいて大丈夫であることを伝えます。
「お迎えが必要なときはご連絡を」
「ええ、ありがとう、セバスチャン」
「では麗奈様。また…」
「はい…わがまま言ってごめんなさい」
麗奈さんは少しだけ申し訳なさそうな顔をしてセバスチャンに頭を下げます。
私は手を振ってセバスチャンを見送ります。
車はゆっくりと動き始め、角を曲がって見えなくなります。
でも、セバスチャンのことですから曲がったすぐのところで待っているでしょう。
公園には小学生やお母さんに連れられた小さな子供たちが沢山遊んでいました。
麗奈さんは私の手を引いたまま、沢山の人がいる広場から少し離れたところにあるベンチへと歩いてゆきます。
ちょうどそこは木陰になっていて、木洩れ陽が座る私たちを柔らかに包みます。
麗奈さんはふと気づいたように私の手をやさしく離します。
「ごめんなさい。いつまでも握っていて」
少しだけ恥ずかしそうに声をうわずらせながらあやまります。
私は「大丈夫ですよ」と小さな声で返します。
私の心の中では「もう少し握っていても大丈夫ですよ」そんな言葉が浮かんでいましたが…
「それで…」
はっきりとした麗奈さんの声。
私は顔を向けると少しだけ怒ったような麗奈さん。
でもそれは、私のことを怒っているよりも心配しているような表情で、私は笑顔を向けたまま言葉を待ちます。
「今日はどうなさったというの? ありすらしくもないですわ」
その言葉に私の胸が小さく跳ねます。
「私でよければ話してほしいですわ」
麗奈さんの表情は徐々に優しいものに変わってゆきます。
私は小さく息を吐いて気持ちを落ち着けると、意を決して口を開きます。
「その…」
これから話そうとすることを考えるだけで胸が痛くなります。
でも、麗奈さんは優しくも真面目な表情に変わっていましたから、一言すら聞き逃さない、そんな気持ち感じましたから、私は言葉を続けることにしました。
「お見合いすることが決まりまして…」
その言葉に麗奈さんはきょとんとしてしまいます。
それがどうしたのといわんばかりの表情です。
「それがどうしたというの?」
加えて言葉まで。
「私だって毎月1回はお見合いをしますわ。おつきあいばかりですけど。ありすだってそうでしょう?」
そうです。私たちは資産家の娘に生まれたからでしょうか。中学に入ることから毎月のようにお見合いをさせられていました。
でも、それは本気なのではなく、お父様のおつきあいの延長だったのでしょう。いつもお父様は笑いながら私にお見合いがあることを告げ、お話を楽しんでおいで、と私を送り出していましたから。
私も嫌ではありませんでした。年上の男性のお話は楽しいですし、知らないことを知ることができるチャンスでもありましたから。
でも、昨日のお父様の表情、口調、そして、言葉の内容、いずれをとっても本気のお見合いであることがわかりました。
お父様のお仕事でとても大切な方…なんとしても私と結婚をさせたいと思っているのでしょう…それがよくわかりました。
「ありす?」
私の表情をのぞき込む麗奈さん。私はいつの間にか考え込みすぎていたようです。
その顔は最初は不思議そうな顔でしたけど、一瞬で心配そうな表情に変わります。
私はいつの間にか余りにも深刻な顔をしていたのでしょうか。
「まさか…本気のお見合いですの?」
麗奈さんの表情はさらに心配そうな色に染まります。
私はもう隠すこともできないと思い、そのまま小さくうなずきます。
すると今度は麗奈さんは驚いた表情になってそのまままくし立てます。
「まだ15じゃないですの! 早すぎますわ! ありすのお父様は何を考えているの!?」
麗奈さんの言うことも当然です。私たちはまだ義務教育中であり、結婚できる年齢でもありません。
でも、資産家の娘にはあまり関係がありません。
幼い頃からすでに許婚がある方もいらっしゃいます。
むしろ、私たちの方がお相手が決まるのが遅いくらいです。
それをわかっていて、なお、麗奈さんはどうしても言わずにいられなかったのでしょう。
「ありす…」
少しして、麗奈さんは落ち着いた小さな声で私を呼びます。
私は合わせるように小さな声で返事をします。
「本当は、嫌…なんでしょう?」
その言葉に私の胸は大きく音を立てます。
そんなことまで表情に出ていたのでしょうか。
私はこれ以上悟られないように横を向いてしまいます。
「わかりますわ…ありすのことですから」
麗奈さんは私の横顔をじっと見つめているのでしょう。視線が痛いです。
「あの、マナって子が好きなのでしょう、ありすは」
麗奈さんはためらうこともなくはっきりと言います。
私の胸は大きく跳ねます。ドキドキが全く止まりません。
「やはり…。でも、ありす」
優しくなる声。私は麗奈さんに向き直ります。
「あきらめないといけませんわ。私たちはそう言う星の元に生まれたのですから」
小さなため息とあきらめの表情。
私は自分の恋心を否定されたことよりも、その麗奈さんの表情が気になりました。
「もしかして、麗奈さんも…」
その私の言葉に麗奈さんの顔は急に赤くなります。
頬は染まり、瞳は潤んで、下を向いてしまいます。
でも、しばらくして麗奈さんはいつもの凛とした瞳を向けます。
「そうですわ。決して叶わない恋をしていますわ。ずっと昔から」
そして柔らかくなる表情、私のことを包むような優しい瞳。
不意にドキっとしてしまいます。
麗奈さんのそんな表情は初めて見たものですから。
でも、その表情でわかってしまいました。
麗奈さんが大切に暖めてきた愛。それが向けられる相手が。
「もしかして…」
「そのもしかしてよ、ありす」
ふっと、一呼吸を置く麗奈さん。
もう一度、私を包み込むような瞳で見つめます。
私の胸はさらに早い鼓動を打ちます。
「ありす…貴女のことをずっと想っていましたわ。それは友情ではなく…愛情で…」
その言葉に私の頬が熱に包まれます。
瞳が潤んでしまいます。
ずっと続くドキドキはいつまで経っても止まらなさそうです。
風が木々を揺らす音も、遠くから聞こえる子供たちの声も、激しい鼓動ですべてかき消されてしまいます。
そのまま、私たちは黙ってしまいました。
ただ、ただ、私は胸の鼓動がおさまらないことだけが気になっていました。
風が私の髪を揺らしてもおさまりません。風が頬を優しく撫でてもその熱はさめません。
私たちは黙って見つめ合っていました。
夕暮れになり、子供たちの声が消える頃まで、ずっと…
家に帰るとお父様に呼ばれました。
告げられる、お見合いの日取り。
それは思った以上に早く、今度の日曜日に決まっていました。
私が悩んでいる間も、麗奈さんの告白を受けている時も、私の運命は変わらずに進んでいるようで、心はまた沈んでいくようでした。
「ありす」
お話が終わり、最後に優しい声でお父様が私を呼びます。
私はいつもの笑顔を作ってお父様に顔を向けます。
「お見合いは嫌かい?」
私はその言葉を聞いてドキっとしてしまいます。
麗奈さんだけでなくお父様にまで嫌そうな表情をしていたのでしょうか…
小さく首を横に振って、そんなことはないとお父様に伝えます。
「本当かい?」
お父様の優しい表情に私は一瞬本当のことを伝えてしまいそうになりましたが、そこはなんとか耐えます。
「もし、もう想う人がいるなら」
その言葉に私の胸は大きく音を立てます。
そして、脳裏に浮かんでくるのは麗奈さん。
想い人の話がでたときに心に必ず浮かんでいたのはマナちゃんだったのに…そんな自分の気持ちに驚いて、私の胸はもう一度大きく震えます。
「そうか…」
お父様は小さくため息をつきます。
私はお父様にすべてを悟られたと気づき、うつむくことしかできません。
「四葉にふさわしい者ならいいのだが…」
お父様はそれだけを言うと私に部屋に戻るように言いました。
私はその言葉に従うことしかできません。
「失礼します、お父様」
「ああ…」
少しだけ困った声のお父様。でも、最後にこれだけを言いました。
「お見合いは予定通り行うから準備をしておくように」
と…
早くも土曜日になってしまいました。
明日はお見合いの日です。
学校では、先日と同様に落ち着かない私でした。
授業は半分上の空で、先生に注意を受けてしまう始末。
でも、注意を受けても頭の中に内容は全く入ってきませんでした。
それは、期待とかそういう素敵なドキドキではなくて…私の運命が決められてしまうことへの恐怖のドキドキ。
そして、先日から止まらない麗奈さんに対するドキドキ、です。
正午過ぎ、家に着くとお父様はとても嬉しそうな顔をして私を迎えてくれました。
私も精一杯笑顔を作ってお父様に応えます。
私の心にはもう迷いがない、というところを見せておかないと、いろいろと聞かれてしまって本心がこぼれてしまいそうでしたから。
私は部屋に入ると、制服のままベッドに倒れ込んでしまいます。
この先私はどうなってしまうのか。
敷かれたレールに乗ってどこまでも行ってしまうのでしょうか。
そして、結婚が決まってしまったら、私の行動も制限されてしまうのでしょうか。
プリキュアとしての活動もやめさせられてしまうのでしょう。
そうして、マナちゃんたちと離ればなれになって、今後一緒に遊ぶこともできないかもしれない、そう思いはじめるともう涙が止まりませんでした。
昼食にセバスチャンが呼びにきましたが、それもお断りして私はただベッドの上で枕に顔を押しつけて自らの運命を呪い続けていました。
もう、いっそのことおうちを出てしまいましょうか、そんなことまで頭の中に浮かびますけど、さすがにそれは許されないこともわかっていました。
ふと、ポケットに入れたままの携帯電話が震えます。
こんな時に誰とも話す気にはなれない、そんな気持ちと、こんな時だからこそ誰かとお話をして気分を紛らわせた方がよいのかもしれない、そんなふたつの気持ちが同時に生まれたことを感じながら発信者を見ると、麗奈さんでした。
「ありす」
麗奈さんの声は優しく耳元に響きます。
「今日もさんざんでしたわね…大丈夫ですの?」
少し、慈しみを感じる声。私はその声に張っていた気が少しほどけて、そして、今度は嬉しさに涙があふれそうになります。
「え、ええ…ご迷惑をおかけしてごめんなさい」
少しの涙声で私は答えます。
麗奈さんは小さくため息を洩らします。
「迷惑だなんて思っていないですわ。それよりありす…」
急に深刻そうな声に変わります。
「まさか、お見合いに出ないなんて考えていないわよね」
その言葉に私はドキッとしてしまいます。
そんなことは絶対しないけど、少しだけ考えてしまったのは事実。それを見抜かれてしまったのですから。
「そ、そんなことは…」
否定しようとしても、どもってしまった自分の声が本当のことを伝えてしまいます。
もう一度、麗奈さんのため息が聞こえてきます。
そして、思いがけない言葉が聞こえます。
「それはいけませんわ。お見合いには出なくては」
そんな一言が。
先日、私のことが大好きだと告白してくださった麗奈さん。
そんな麗奈さんが私にお見合いに出るように言うのです。
私は言葉に詰まってしまいました。どうしてそんなことを言うのか、本当にわからなかったからです。
私が黙ってしまったことで麗奈さんは私が思っていることに気づいてしまったのでしょう。
いつもの自信にあふれた声で、しっかりした口調で、私に伝えます。
「どうしてそんなことを言うのか、という感じですわね。私はありすのことが大好きで、誰よりも愛していますわ。だからこそ、ありすにはお見合いは絶対に出てもらいたいの」
その言葉に私はさらに麗奈の気持ちがわからなくなってしまいます。
私のことを愛していると言ってくださるのであれば、このまま私の家に乗り込んで連れ去ってくださってもいいのに。あのときのマナちゃんたちのように。
「愛しているからこそですわ。お見合いをしなかったことでありすが家で困ったことになったり、まさか勘当されたりしたら、私も悲しいですわ…」
私はハッとしてしまいました。
確かに、それほど大切なお見合いに出ないとなったらお父様に迷惑がかかるどころか相手の方にも迷惑をかけてしまいます。
そして、このことでお父様のお仕事に大きな影響が出てしまったら…お父様だけではなく、四葉で働いている皆さんにも迷惑をかけてしまいます。それは私の望まないことです。
父も私のことを家から追い出してしまうかもしれません。
そこまで考えてくださっていた麗奈さん。その想いの深さを知ります。
「ありがとうございます。麗奈さん」
「お、お礼なんて言われるほどではないですわ…」
少しだけ恥ずかしそうな声の麗奈さん。
そんなかわいいところも愛おしくて、私はもう一度お礼を言って電話を切りました。
翌、日曜日。
お屋敷は少し騒がしい朝から始まりました。
今回のお見合いはいつものように私の家で開かれます。
でも、今回はいつも以上にお相手の方を歓迎するムードを漂わせていることに気づきます。
いつも以上に綺麗に磨かれる床、いつも以上に綺麗に豪勢に生けられる花。お父様がどれだけ本気でこのお見合いに力を入れているかがわかります。
そして、今回はお見合いでは初めて洋室の応接間が使われることになりました。
洋室が使われるということは、外国の方なのでしょうか。
外国の方とのお見合いは初めてなので、どういった振る舞いをしたらよいか、少しだけ心配になります。
用意されたドレスに身を包み、鏡の前で笑顔を作るために、ゆっくりと瞳を閉じます。
そして、3つ数えて一度瞳を開くと、大丈夫そうです。なんとか笑顔になれました。
もう、あまり色々と深く考えないようにしました。
麗奈さんの言うとおり、まずはお見合いに出ることにします。
その先のことはわかりません。
これで結婚が決まってしまうかもしれません。
そのときは…そのときには…
そこにノックの音が。
「はい」
「お嬢様、お時間です…」
セバスチャンのお迎え。私はお見合いの席へと向かいます。
廊下がいつも以上に長く感じられます。
応接間の扉の前、笑顔のお父様とお母様。
その、大きな扉を見るだけで逃げ出したい気持ちになってしまいます。
ノックをすると大きく響く音、私にはとても大きく聞こえて思わず瞳を閉じてしまいます。
でも、その次に聞こえてきたのは…
夜、お父様とお母様との食事が終わり、私は自室に戻りました。
色々あった今日一日、私は本当に疲れてしまいました。
でも、明日の準備だけはしようと部屋に戻ると、鞄を開いて、明日必要な物を詰めます。
と、そこで携帯電話が震えます。
発信者は麗奈さん。すぐにボタンを押して出ます。
「こ、こんばんは、ありす…」
「こんばんは、麗奈さん」
麗奈さんの声はおそるおそる私の状況を探ろうとしている感じです。
逆に、私は今までより少しだけ明るい声が出てしまいました。
そのことが麗奈さんには驚きだったのでしょう。
「なんだか妙に明るいんですのね。どうしたというの?」
そんなことを聞いてしまうのもわかります。
「いえ、特には…」
口ではそう言いますが、本当は麗奈さんとお話しすることが嬉しいのです。
麗奈さんがこうやって私のことを気にかけてくださるのがとても嬉しいのです。
それが、自然と口調に現れてしまうのでしょう。
「そんな明るいと言うことは…お見合いは残念ながら失敗でしたのね」
少しのため息にあきれた声。
それは少しの安堵のため息と、ほぼ決まりのお見合いを覆してしまう私への驚きだったのでしょうか。
「いえ、そういうわけでは…」
「ということはやはり…」
麗奈さんの声が沈みます。
「いえ、そういうわけでもなくて…」
「は? まさか四葉財閥の御嬢様が本気のお見合いでお断りされたんですの? まさか冗談でしょう?」
麗奈さんの声が大きく耳元で響きます。少し驚いてしまいましたけどきちんと答えます。
「いいえ、そういうわけでもないのですよ」
と、そこで言葉を止めて、
「あ、お見合いはお断りしました。お互いに決めて」
「はぁっ!?」
麗奈さんは相当驚いたのでしょう。普段では絶対に聞けないような声で驚きます。
私は今日あったことを麗奈さんにお話しました。
セバスチャンに呼ばれて、ゆっくりと応接間に向かいます。
その扉の前にお父様とお母様が待っていました。
おふたりの姿を認めると、少しだけ心がゆらぎそうでしたけど、それも一瞬のこと。
ゆっくりになりがちな足をしっかり動かして、
しっかりと笑顔を作って、
ふたりの前に立ちます。
「こんこん」
ノックの音は私の胸に大きく響きます。あまりに大きく響くものですから、思わず瞳を閉じてしまいます。
でも、次の瞬間、驚いてしまいました。
「どうぞ、お入りください」
中から響いてくるのは若い女性…いえ、私と同じくらいの歳の女の子の声です。しかも、聞いたことがあるような…凛とした声です。
「失礼します」
私は扉をおそるおそると開けます。
するとそこには、プリキュアの服にマントをつけ、腰に細身の剣をさげたキュアソード、真琴さんが立っていらっしゃいました。
「まぁ…私のお見合い相手は真琴さんでしたか」
驚いて思わずそんなことを尋ねてしまいます。
でも、真琴さんは凛とした表情を崩さずに口の形だけで「そんなわけないでしょ」と言います。
そして、私から視線を動かしたその先には、
「僕だよ、ありす」
「まぁ……」
ジョー岡田さん。元、トランプ王国の騎士にしてマリー・アンジュ王女の婚約者。現在はトランプ共和国の大統領、ジョナサン・クロンダイクさんがそこにはいらっしゃいました。
形ばかりの、いつものお見合いと変わらない挨拶を交わし、
「元々知っているふたりなら」
そう言ってお父様とお母様、そして、真琴さんが退席されてふたりきりにされます。
お互いよく知る仲ですからあえてふたりきりの時間を作る必要もなく、更にはもう決まっている結婚であれば、あとは結婚式までの予定を決めたりするのでは…
そう思いながら、紅茶を一口飲みます。
いつも以上にいい葉をつかっていらっしゃいますね。お父様がどれだけ本気かわかります。
「驚いたかい?」
ジョーさんはカップをソーサーに置くと、不意に口にしました。
「ええ、驚いてしまいましたわ。真琴さんがいることにも驚きましたが、まさか、お見合いのお相手がジョーさんだったなんて」
私もカップをソーサーに置いて笑顔を向けながら口にします。
確かに、ジョーさんは結婚相手として申し分ないでしょう。
ご身分は大統領。平民の私にその地位はもったいなさすぎます。
でも、四葉財閥はトランプ共和国との貿易をほぼ独占しております。私とジョーさんが結婚すればそれは盤石になり、ますます四葉は、そして、トランプ共和国はお互いに発展してゆくでしょう。
お父様がこのお見合いに力を入れる理由が本当によくわかります。
でも…ジョーさんは、大切な、本当に心から大切な方を失くしてそれほど月日が経っていないのにもう気持ちを入れ替えることができたのでしょうか。
そうだとしたら、いつまでも沈んでいた私とは全然違います。さすが、大人です。
「僕も驚いたよ。急に君とお見合いをしろなんて言われたから」
軽く苦笑するジョーさん。そこで少し違和感を覚えます。
ジョーさんにも寝耳に水だったのでしょうか。
ジョーさんがおもむろに立ち上がり、窓際へと歩きます。
そこからは庭がよく見えます。
今の季節はコスモスが所々に咲き乱れていて、芝生を所々彩ってくれます。
私もジョーさんの横に並んで庭を眺めます。
鳥が数羽、芝生の上で羽を休めています。
その様子をジョーさんは眺めながら再び口を開きます。
「先日大臣がやってくるなりいきなり、お見合いです、なんて言うものだからさ」
もう一度苦笑するジョーさん。
本当に急に決まったのですね。
大臣の方々の慌て様が容易に想像できて、私も笑ってしまいました。
「思わず尋ねたんだ。どうして急に、と」
そこでジョーさんは視線を少し落とします。
何かを考えている様子。私は言葉を待ちます。
「その時は何も言わなかったんだけど、どうもアンのことがあってからもうそろそろ1年だから、大統領としてしっかりしてもらうために身を固めてほしい、ってことみたいなんだ」
たまたま盗み聞きしてしまってね。
そう付け加えるジョーさんは楽しそうな顔はしていましたが、瞳は寂しそうです。
「でも、さすがに1年では短すぎる。僕の胸の中のアンはそんなに簡単にはいなくならない。だから、最初は断ろうと思ったんだ」
その、ひとつひとつの言葉で、ジョーさんがアン王女を今でもどれだけ愛しているか、わかります。
「でも、あっちも乗り気だからって、せめて出るだけでも出てほしいって言われてね。僕は全然乗り気じゃなかったんだけど…いや、これは失礼かな」
ぺこりと頭を下げるジョーさんに「大丈夫ですよ。気にしていません」と伝えます。
「でも…」
ジョーさんはこっちを向きます。
じっと、その瞳は私を射抜くよう。
私は心の中まで見透かされているかのように思えてきて、思わず視線を下げてしまいます。
「君にもいるんだよね。心の中に」
そのとき、私の胸が大きく打ちました。
やはりジョーさんは大人の方です。
私の思っていることなんて簡単に見抜いてしまいます。
私はそのまま下を向いたまま何も言えません。
すると、ジョーさんの優しい声が伝わります。
「大丈夫だよ、ありす。きちんとお断りするから。僕にはまだ早すぎるから、って」
きびすを返して部屋から出ようとするジョーさん。
そのジョーさんにお礼を言うことも後を追うこともできませんでした。
それほどに、私の胸はドキドキ揺れていたのです。
気持ちを見抜かれてしまったことで、
そして、
胸の中に浮かんだ人がまたもマナちゃんではなく麗奈さんだったことへの驚きで、
そして…
その麗奈さんが愛おしくて…今すぐ逢いたい、そんな気持ちになっていて。
「それは運が良かったですわね…いえ、悪かったのかしら…」
麗奈さんも話を聞き終わる頃には明るい声に戻っていて、笑い声も混じります。
私もいつもの口調でお話ができます。
「でも、よかった」
「なにがですか?」
急に落ち着いた口調になる麗奈さん。
私は疑問を投げかけます。
「せっかくありすと仲良くなれたのに、結婚なんてして遠い存在になったら残念ですもの」
恥ずかしがらずにきっぱりと言う麗奈さん。
そんな麗奈さんが少しうらやましくなってしまいます。
だから、私も少しだけ勇気を出して、
「私も、よかったと思います」
「せっかくの縁談がご破算になってなにがよかったんですの…」
「だって」
私はそこで言葉を区切ります。
とくん、とくん…胸が音を立て始めます。
言葉にきちんとできるか、少しだけ自信がないです。
でも、本当の気持ちを伝えたいですから…
「もっと、麗奈さんと一緒に歩いてゆきたいと思いましたから」
私は自分の言葉で私は耳まで赤くなってゆくのを感じます。
麗奈さんからのお返事はなにもありません。
私はなんか変なことを言ってしまったと思い、声をかけようとしたとき、
「ば、ばかっ。そう言う冗談はおやめなさいな…」
声は、怒っているようでもあり、恥ずかしそうにも聞こえます。
私は、もうひとつ、勇気を上乗せして、
「本当ですよ。先ほど私の声が明るかったのも、麗奈さんとお話できることがとても嬉しかったからですよ」
そう、伝えます。
「もう…」
またもため息。でも、嬉しそうな麗奈さんの声が続きます。
「なら、いっそのこと、私とお見合いでもなさるかしら?」
「それはいいですね。早速日取りを決めないと」
「もう…調子がいいですわね」
ふたり、同時に笑い出してしまいます。
こんな風に麗奈さんとふたりで思い切り笑うのは初めてのことかもしれません。
私はとても嬉しい気持ちです。
麗奈さんも同じ気持ちでしょうか。
同じ気持ちであれば、もっと、もっと嬉しいです。
こんな風にこれから先も、麗奈さんとふたりで笑いあってゆきたい。私の心はそう願っていました。
この先、私たちの運命はわかりません。
いつかは誰かのところに嫁ぐことになるのでしょう。それは逆らえない運命です。
でも、今は、今だけは、ふたりだけの時間を誰にも邪魔されたくはない。
麗奈さんの本当の優しさ、想い、愛情を知った今、そう願わずにはいられません。
私たちの電話はずっと、ずっと、続きました。
夜半近くまで、ずっと、ずっと。
明日、学校があることを忘れてしまうくらいに、ずっと。