戦いが終わった日
それは、すべてが終わった日
ふたり、離れ離れへのはじまりの日
離れる心、迷うこころ、緩やかに、でも、確実に…

※『ドキドキ!プリキュア』と『猫目堂ココロ譚』のクロスオーバーです。

(2015年、Pixivさまにて初公開)

1 / 1
秋の流星群 〜猫目堂ココロ譚〜

・静かな一日

 

 心が迷ったのなら

 その店にたどりつける

 扉を開ければ

 必ず見つかるみちしるべ

 

 そこにあるのは心をかたちにした物たち

 それは、綺麗な物だったり、穢い物だったり

 軽い物だったり、重い物だったり

 

 ボブの髪に大きな花飾り、そこから長くたらしたリボンが揺れる

 規則的だった靴音が慌てたように止まる

 それは小さなガラスの飾り棚の前

 中には2つの薬壜

「まだこんなものが…」

 金糸雀のように美しい声に焦りが含まれる

 でも、中の物を取り出すこともできなくて…

 

 紺色の壜はくすんだ輝き、中の液体の色はわからない

 透明の壜はつややかな輝き、中の液体は薄紅で

 

 せめてもと、その飾り棚に黒い布がかけられる

 少しだけ、安心したように離れる靴音

 その足もとを黒い猫がまとわりつく

 

 今日はひとりもお客様がいらっしゃらない、とても静かな一日

 黒猫を抱き上げると頬ずりをして、奥へ…

 

 猫目堂、それは心のかたちを扱うお店

 心が迷ったときにだけ、訪れることができるお店

 

 

 

1. ひとりの日々 ~菱川六花・1~

 

 全てが終わり、町が、世界が、平和に包まれる。

 ふりそそぐ柔らかな光は、全ての人に、全ての物に、等しく、優しく、降り注ぐ。

 そして、破壊されたすべて全てを元に戻してくれる。

 みんなの笑顔があふれる。

 マナがみんなと肩を抱き合う。

 私も無事に終わったことに胸をほっとなでおろす。

 よかった。これでまたマナと共に静かな日々を過ごすことができる。

 これから受験だから、そうそう落ち着いてもいられないけど、でも、今年みたいに色々なことに振り回されることはない。

 そんなことを思いながら、私は安堵のため息と共にマナの横顔をみる。

 本当に嬉しそうな笑顔、こんなマナを見るのは久しぶり。

 これからはずっとその笑顔のそばで日々過ごせる。

 そう思うだけで私の胸はまたいっぱいになる。

 

 …でも、それは間違いだと気づいたのはすぐ。

 私は甘すぎる夢を見ていた。

 あの、全て終わった日は私にとっても全て終わった日。

 本当の意味でマナとの今までの日々が終わった日だった。

 今思えば、こんな甘い考えをしていた私はどうかしていたのかもしれない。

 すべてが終わって浮かれていたのだと思う。

 

 

 

 その日から、私達はマスコミに囲まれるようになった。

「世界を救った6人のヒロイン」

 そんな見出しが新聞を何日も踊った。

 最初はプリキュアとしての私達が取材された。

 いつからプリキュアになったのか、その力の源は何か。

 どれほどの敵を倒してきたのか。

 以前に横浜に現れたプリキュアは仲間なのか。

 そんな風に、プリキュアに関することは何でも聞かれた。

 

 そのうち、私達自身についても…変身前の私達も注目されるようになった。

 

 その中でも、一番取材を受けていたのは、やはりまこぴーだった。

 人気アイドルが実は正義の味方で、この世界を救った。

 そのことがますますまこぴーの人気を高めて、今や世界中に知られるアイドルになった。

 まこぴーの悲しい運命のことも話題になった。

 アイドルになった理由、そして、大切な王女様の行方。

 まこぴーに加わった新しい色は、その人気をさらに高めることになった。

 

 そして、ありす。

 まこぴーほどではないにしても、クローバータワーのオーナーであり、四葉財閥の重役ということで社交界で有名だったありす。

 そんなありすが実はプリキュアということで、社交界だけでなく世界中に知られる人となった。

 トランプ共和国開国後、即座に貿易を開始し、それを成功させた手腕も話題になって、今や日本の経済に大きな影響を与えるひとりとしてよく新聞に載るようになった。

 

 亜久里ちゃんはレジーナと共に数奇な運命をたどった姫としてスポットライトを当てられていた。

 王女様の想い、願い、そして、ジコチュー、それがふたりを誕生させた理由。

 その、王女の愛の物語と相まって、彼女達の物語は何度もテレビや雑誌で語られていた。

 

 そして、マナ。

 自らその正体をばらしたマナ。

 マナは私達のリーダーとして沢山のインタビューを受けていた。

 そして、マナに助けてもらった沢山の人々…大貝町だけではない、日本各地、様々な場所でマナに助けてもらったという人達の証言もあって、日本中に、世界中に、その名が知られるようになった。

 そして、マナに手渡された一台の携帯電話。国からのお墨付きをもらった幸せの王子。そのことが、ますますマナを有名にし、マナ自身も人助けをがんばるようになっていた。

 

 マナは将来総理大臣という夢があるからか、この露出を上手に利用しているようだった。

 まこぴーとありすも同じように。

 3人とも臆することなく沢山露出していた。

 

 そして、私。

 何の取り柄もなく、目立つところもなく、自分でもわかるくらいに地味な私なので、マスコミが殺到すると言うことはなかった。

 それに、私は元々人に注目されることは苦手だったから、カメラに囲まれたり、取材を受けるのはとても嫌だった。

 日々の取材を受けるうちに私のことは放っておいてほしい。そう思うようになっていった。

 あちらも私の思うことを察してくれたのか、やがて私には取材が来ることは無くなっていった。

 

 

 

 大貝町に潮の香りがかすかに漂いはじめる。それは、春が来たしるし。

 町中の桜の木々もつぼみをふくらませて、ますます春を感じることができる。

 全てが終わってから2か月、早いもので桜の季節。

 私とマナは3年生に。

 4月の楽しみはありすの家に集まってのお花見。

 大きな大きな庭、桜に囲まれた芝生の上、黄色いレジャーシートにマナお手製の重箱が並ので、セバスチャンさんの作った桜餅や桜団子が並ぶ。

 綺麗な空、静かに浮かぶ雲、ゆっくり流れる風に舞い漂う桜の花びらに囲まれて、静かにお話をして、時には笑って、楽しいひと時を過ごす…

 今年もそのお花見の日を楽しみにしていた。

 

 でも、今年は違っていた。

 マナはますます人助けに没頭していった。

 プリキュアとしての活躍を知り、色々な人がマナを頼る。

 頼られると断れないマナは、ますますお手伝いをがんばる。

 それだけではなく、部活の助っ人にも沢山。

 プリキュアとしての活動で、マナの運動神経はますますよくなったようで、沢山の部活からお願いをされていた。

 

 ありすはトランプ共和国の仕事が忙しいみたいで、おやすみの日はほとんどあちらで過ごしていて、お花見どころではないようだった。

 

 まこぴーも忙しかった。

 世界的なアイドル…いえ、世界で知らない人はいないのではないかと思うほどに有名になった彼女は、春の全国ツアーとかで、桜前線と共に北上している。今日は東京と聞いた。

 

 亜久里ちゃんは失われた時を取り戻すように国王様と共に過ごしている。今日はトランプ王国に久々に里帰りらしい。レジーナも一緒に。

 

 私は日々お勉強をしていた。

 この先のことを考えたらやはりレベルの高い学校には行っておきたかったから。

 それに、私は少し焦っていた。

 昨年はほぼ学年トップをキープしていたけど、今年はどうなるかわからない。

 全国でも上位を保っていられるかわからない。

 受験が近づくにつれて全体的に成績が上がってくると聞いている。

 偏差値はひとつでも高い方がいい。

 そんなことばかり考えていて、派手やかなみんなと違って、前みたいに普通の生活…いえ、どちらかといえばさらに地味な生活を送っていた。

 

 

 

 せっかくの桜はあっと言う間に散ってしまい、八重桜が咲く頃になっても誰からもお花見の話は出てこない。

 もったいない気持ちでいっぱいになった私は、ある夜、八重桜が満開に咲いた日、ひとりで公園に行くことにした。

 少しだけ肌寒い風が私の体を包む。

 青白い月は満月。私を照らしている。

 伸ばす手まで青白く輝かせ、月光と同化してしまったかのよう。

 公園のベンチにハンカチを敷いて座る。

 レジャーシートの代わり、それでも少しだけ気分は変わる。

 飲み物は水筒の温かいほうじ茶。

「ふぅ…」

 ひとつため息。

 夜の町に少しだっけ冷えた体をほうじ茶は温めてくれる。

 その優しさに心まで温かくなって、

「ほぅ…」

 もう一度、小さくため息をついてしまう。

 夜の風は優しく町を流れてゆき、私の髪を、桜の花を、優しく揺らしてゆく。

 その風に揺れて、流れてゆく桜の花びら。

 私の視線はその流れに釘付けになる。

 少しだけ、寂しさを忘れることができる。

 優しく吹く風、桜の舞う中、私はゆっくりと瞳を閉じる。

 すると、どこからかゆっくりと聞こえるのは足音。

 こんな時間で人気のない公園だから、私は少し怖くなってしまった。

 その足音は確実に私に近づいていたから余計に。

 こういうときは慌てて逃げると相手を刺激してしまう。

 だから、様子をそっとうかがうため、足音に気づいていないかのように首をゆっくり動かすと、

「あ…見つかっちゃった…」

「マナ…」

 そこにはマナが立っていた。

 

「お邪魔します」

「お邪魔されます」

 私は自分のハンカチからおしり半分ずれてマナの分の席を作る。

 でも、小さなハンカチだからマナのおしりも半分だけ。

 私にぴったりくっついてマナは座る。

「どうしたの…?」

 まずは私の疑問。マナの手に水筒のふたを渡してほうじ茶を注ぐ。

「六花がお出かけするのが見えたから、ついて来ちゃった」

「そんなことだと思った」

 さましながらゆっくりとふたを傾けるマナ。のどがころころと鳴る。

 口を離すとふっと吐息。白い湯気になって風にまざる。

 私はその横顔を見つめる。なんだか久しぶりに思えるマナの横顔。

 少しだけ懐かしくも感じたりして。

「どうしたの…?」

 その顔がこちらに向くと、今度はマナの疑問。

 私はゆっくりと前を向いて言葉を選ぶ。

 小さな声でささやくように。

「桜、まだ見てなかったから」

 それだけを答える。

 私の本当の心に気づかれなければいいけれど。

「うん、そうだったね」

 マナは笑顔で返してくれる。

 私は少し安心した。私の本当の心がバレなかったみたいだから。

 寂しさを紛らわせるため、ということが。

 

 風は柔らかく私達を包む。

 桜の香りが鼻をくすぐる。

 マナとふたりきりで過ごす時間が久々すぎて、何を話したらいいかわからなくて…

 瞳を閉じて、桜の香りを楽しむように鼻から息をゆっくりと吸いこむと、体全部が桜の香りに包まれたように感じる。

 ゆっくりと口から息を吐いて、それでも桜の香りは体に残っているみたいで。

 私自身、辺りにまぎれてしまったかのような、そんな気持ちになる。

「ごめんね、六花」

 突然聞こえるマナの謝罪。

 私は驚いて瞳を開ける。

 マナは優しそうな顔で私を見つめている。

「桜、みんなと見たかったよね」

 それは、時々私にだけ見せてくれる表情。

 私のことをいつでも見ているよ。頼ってよ。あたしに何でも言ってよ。そんなことを思っているときの表情。

 私はこの表情を見てしまうともうダメだった。

 マナに見られないように、その背中に腕を回して、胸に顔を押しつける。

「ごめんね、六花」

 もう一度、謝罪の声。

 私は胸に顔を押しつけたまま顔を横に振って、そんなことないよ、って伝える。

 マナの手が私の頭に添えられる。

 優しく、優しく、撫でられる。

 私はマナの洋服が濡れてしまうことも忘れて、ただ、その胸の中で涙を流していた。

 それは優しかったから、自然と。

 でも、マナは気にもせずにずっと私のことを抱きしめてくれていた。

 頭を撫でる手、髪をとかす指、おさげをつまむ指先、そのどれもが優しくて、私は涙を流し続けていた。

 私達が桜の香りに染めあげられても、ずっと、夜半まで。

 

 

 

2. 幸せな日々 ~相田マナ・1~

 

 あたし達の戦いは勝利で終わった。

 みんなが無事だったこと、そして、しばらく平和な日々が続くと思うととても嬉しかった。

 沢山の人の笑顔があたし達を迎えてくれるのを見て、沢山の幸せを感じた。

 だから、この力をつかって、もっと、もっと、沢山の人を助けてあげたい!

 みんなのためにこの力を惜しみなく使いたい!!

 そう思ってみんなに提案したら、みんな賛成してくれてとても嬉しかった。

 六花が「また…この幸せの王子は…」って言ったけど、賛成してくれたから安心していた。

 やっぱり六花に賛成してもらえないとダメかなって思っているから。

 

 それからすぐに私達は沢山のテレビ局や新聞社から取材を受けるようになった。

 プリキュアにどうやってなったのか、とか、怖くなかったのか、とか、いつから活躍していたのか、とか。

 特にまこぴーは沢山取材を受けていたみたい。

 そりゃそうだよね、売れっ子アイドルが実はプリキュアで、しかも異世界の人だったなんて聞いたら、色々と聞きたくなっても仕方ない。

 まこぴーも自分を売り出すチャンスだからって沢山取材を受けてるみたいだった。

 そして、同じようにありすも、沢山取材を受けていたみたい。

 名を広めるにはいいから、って、さすが将来の四葉の総帥は言うことが違うって思ったり。

 亜久里ちゃんもレジーナと一緒によく取材を受けていたみたいだった。

 あたしも、ドキドキ!プリキュアのリーダーだからって結構単独でも取材を受けてた。

 あたしが活躍できていたのはみんなのおかげだから取材を受けるのもみんなで、そう思ってたけど、将来の夢のために名前を売っておくのはいいことよ、って六花が言うからせっかくなので単独でも取材を受けていた。

 六花の言葉のおかげかな? 将来総理大臣になれたとき、こんな風に沢山の取材を受けるんだろうなって思うと胸がキュンキュンして、受けられるだけの取材を受けてた。

 

 でも…六花は全然取材を受けていなかったみたい。

「私は表に立つのは苦手だから」

 そう言って、あたし達がそろうとき以外は全部お断りしているみたいだった。

 あたし達が全員そろったときも、あまりおもしろくなさそうな顔をしていたのも見逃していなかった。

 あたしは悪いかなって思いながらも、後から後から取材が来てしまうのでどうしても断ることができなかった。

 

 そうしてあたし達の知名度が上がると、思いがけないプレゼントをもらうことになった。

 それは、今の総理大臣からの携帯電話。

 直接、お仕事を頼みたいときに連絡する、って言われて、あたしは本当に嬉しかった。

 だって、自分達の周りの人達だけでなく、この国の人達…ううん、もしかしたら世界中の人を助けることができるお仕事がくるかもしれないし。

 あたしは、もっともっと頑張ろうって気持ちになって、みんなも、国からの依頼だからってとってもがんばっているみたいだった。

 

 そうしているうちに2月はすぎて、3月もすぎて、私達は3年生に、亜久里ちゃんは5年生になった。

 

 あたしは学校の中でも今まで以上に色々な人からお願い事をされるようになった。

 もちろん、あたしも嬉しくてどれもこれも喜んで受けてた。

 毎朝、ひらひらと町の中を舞い飛ぶ桜の花びらを見ながら、今日も沢山の人の力になりたいと思ってた。

 でも、頭の片隅に残るちょっとした違和感。

 何か大事なことを忘れてるような気がしたけど、毎日が充実しすぎて何かを忘れたことも忘れちゃってた。

 

 学校に来ると、あたしは色々な部活からひっぱりだこになる。

 年度の終わりで生徒会長の役目が終わったことがそれに拍車をかけていたみたい。

「今までお忙しそうだったのでお誘いしなかったんです。生徒会長の役が終わった今、是非とも!」

 そう言って入部を誘われることも少なくなかった。

 でも、あまりに沢山の部から誘われて、どこに入っても悪いような気がしたし、プリキュアのお仕事もあったから丁重にお断りして助っ人としてお手伝いするだけにとどまることにしてた。

 それでも、朝も、放課後も、部活のお手伝いをするようになってたから、気づいたときにはひとりで登下校するようになってた。

 最初は六花も一緒に登下校する、って言ってたけど、朝早くから夕方遅くまでになってしまうし、お勉強がある六花に悪いと思ってあたしからお断りした。

 それでも最初は六花は一緒にいてくれたけど、1週間もすると六花はお勉強があるからと普通の時間に登下校するようになった。

 あたしはちょっと寂しかったけど、それよりも、あたしを頼ってくれる沢山の人の期待に応えたくて、ひとりで登下校を繰り返してた。

 

 ある日の朝。

 その日もあたしはひとりで学校に向かっていた。

 今日は朝からソフト部の練習のお手伝い。

 朝から体を動かすととっても気持ちがいい。

 葉を透かす陽差しがあたしの前に光の輪を作る。

 そして、地面に降り積もる沢山の桜の花びら。

 もう桜の季節も終わりなんだ、って思った時、あたしはとても大切なことを思い出して体は弾かれたように震える。

 「お花見……」

 すっかり忘れてた、みんなとのお花見。

 そして、あたしはここ最近感じていた違和感の正体を知った。

 毎年していたお花見をすっかり忘れていたこと。

 何でこんな大事なことを忘れていたんだろう、ってことに、

 自分のことばかり考えていたことに、

 あたしはかなりショックだった。

 そして、頭に浮かぶのは六花のこと。

 六花は毎年お花見を楽しみにしてた。

 大騒ぎするあたし達を見ながらため息をついてたけど、空を覆う桜の花を眺める横顔はとても嬉しそうで、とても幸せそうで、そして綺麗だった。

 毎年お花見の話を出すと、まずはため息ひとつつく六花だったけど、すっごい楽しみにしていたってこと、知ってた。

 それなのに、今年は…

 あたしは自分のしてきたことを後悔する。

 みんなが頼ってくれて嬉しいからって、大事な幼なじみのことを忘れていたこと。

 普段、わがままを言わない幼なじみが楽しみにしていたことを放置していたこと。

 あたしはまるでジコチューになってしまったみたいな自分にショックを受けながら、学校へと向かって再び歩き始めた。

 

 教室に入ったら六花に謝ろう。

 そう思いながら部活の助っ人をしていたけど、結局六花と話す機会がなかった。

 色々とお手伝いを頼まれることもあって、そして、六花もお休み時間もお勉強をしていて、話しかけづらいこともあって。

 さらに、こういうときに限ってプリキュアのお仕事もなくて六花と逢う機会がなくて…

 どうすることもできないまま、ただ日々がすぎていった。

 

 

 

 八重桜も満開になったけど、お花見する時間がとれなくて、まだ六花にも謝ることができなくて、あたしはどうしようどうしようって思い悩んでた。

 夜、自分の部屋で勉強している時も、六花のことが気になって六花の家をのぞいたりして…六花の部屋の明かりがついていると邪魔できないなってまたお勉強に戻ったり…

「ごめんね、六花…」

 心の中で謝りながらカーテンを閉じた、そのとき、六花のお部屋の明かりが消えたのが見えた。

 お風呂に入るのかな、って思って勉強を再開しようと机に向かったときだった。

「ぱたり」

 そんな音がして六花の家の玄関が閉まる。

 もう一度のぞいたら、出てきたのは六花。

 こんな時間にどうしたんだろうって思ってじっと見つめてた。

 小さめのバッグを片手に持って、白いカーディガンをはおって、ゆっくりと歩き始める。

 あたしはそんな六花が心配で…ふと消えてしまいそうなほど月の光に染まっているから…いてもたってもいられなくて、部屋を出るとそのまま玄関を出て六花の後をついていく。六花には見つからないように。

 

 六花の足は町のはずれの方へ。

 こんな夜に女の子のひとり歩きは危ないよ、って思いながらも、どうしても声をかけることができない。

 月の明かりに青く染まる六花は、触れたら消えちゃいそうな、それくらいはかなげに見えたから。

 心配な気持ちを沢山抱えながら、六花の後を歩いていた。

 

「あ…」

 心の中で言葉が揺れる。

 幼い頃、よくふたりで、そして、ありすも一緒に3人で遊びに来た公園。3人で桜の花を見上げたこともある懐かしい場所。

 沢山の木々が、遊具が、そして、仄暗さが邪魔をして、あたしの視界から六花が消える。

 あたしは心配になって少し早足で追いかけた。

 けど、見つからない、六花の姿。

 来慣れた公園だから迷子になることはないと思うけど…いや、もしかして、六花に何かあったら、そう思うと気が気じゃない。

 あたしは公園を小走りで駆けてゆく。

 と、見つけた、六花の姿。

 列に植わっている八重桜がよく見えるベンチ、

 そこにハンカチを敷いて座る六花。

 あたしは後ろから近づいていく。

 静かに、静かに。

 なんだか、音を立てて邪魔をしたらいけないような気がして。

 だけど、一緒に八重の桜を見たくて…

 でも、ゆっくり歩いているのに、小枝を踏む音が、草を踏む音が、周りに響いてしまう。

 あたしはもう仕方ないと思って普通に六花のそばに歩いていく。

 ベンチに座ったまま首を回してあたしを見つけた六花。

 まゆをひそめて少し困ったような、複雑そうな表情だった。たぶん、あたしも同じ。

「あ…見つかっちゃった…」

 冗談混じりでもそれしか言えない。

 六花はまゆをひそめたままで、

「マナ…」

 それだけしか言わなかった。

 

「お邪魔します」

「お邪魔されます」

 どんな言葉を交わせばいいかわからなくて、とりあえずあたしはベンチを少しだけ譲ってもらうことにした。

 すると六花はそんな冗談のような言葉を返してくれて、座っていたハンカチの半分を譲ってくれる。

 ハンカチは小さくて少ししか乗らないけど、そんな六花の優しさが嬉しかったのと同時に、久しぶりに感じて、どれだけあたし達は言葉を交わしていなかったんだろうって少しびっくりする。

 あたしはなるべくくっついて座って、ハンカチにおしりを乗せられるだけ乗せる。それでもどうしてもはみ出しちゃうんだけど、それよりも六花のことを近くに感じられることも懐かしかったりして。

「どうしたの…?」

 桜の花を見ている六花は水筒のふたを開けながらあたしに尋ねてきた。

 ふたが開くと湯気が沢山あがる。

 そのふたにとぽとぽお茶を注いでくれるとあたしに渡してくれる。

 ありがとう、って言いながら受け取って、

「六花がお出かけするのが見えたから、ついて来ちゃった」

 そう、伝えた。

 すると、マナはふっと笑顔になって、

「そんなことだと思った」

 それだけをつぶやいた。

 桜の花へと視線を向ける六花。

 あたしはふーふーしながらカップを傾ける。

 のどを暖かいお茶が通り抜けて安心する。

「ふぅ…」

 ひとつため息、湯気が舞う。

 静かに風が吹いてきて、その湯気が一瞬で消えていく。

 そのとき、あたしの横顔をじっと見つめる視線に気がついた。

 もちろん、六花の視線。

 あたしは最初はそのままにしていたけど、なんだかどんどんとくすぐったくなってきて、

「どうしたの…?」

 顔を向けながら思わず尋ねちゃった。

 すると、六花は前を、桜を見て、ささやくような声で、

「桜、まだ見てなかったから」

 って応えてくれた。

 本当は、そのことを聞いたんじゃないんだけど…そう思いながらもあたしはただひとこと、

「うん、そうだったね」

 そう、笑顔で返した。

 六花だったらいつもはあたしの言いたいこと、全部わかってくれていたはずなのに…

 あたし達の間にはいつの間にか大きな隔たりができてしまったように感じて、ちょっとだけ寂しかった。

 

 風がゆっくりとあたし達の周りを流れる。桜の方から、香りを乗せて。

 あたしは何を話したらいいかわからなかった。

 さっきみたいに、思ったことが伝わらないと嫌だから。

 だから、あたしは黙って桜を見ていた。

 六花も、桜を見ながら深呼吸したりして、桜の香りを楽しんでいるみたい。

 そんな六花を見ていると、本当はみんなでお花見をしたかったんだろうなって思って、こんなふうに夜道をひとりで歩く必要もなかったんだろうなって思って、

「ごめんね、六花」

 思わず六花の横顔にそんなことを言ってしまう。

 六花はびっくりしたような顔をしてこっちを向く。

 くちびるが震えて言葉があふれる前に、あたしはそのままくちびるを開く。

「桜、みんなと見たかったよね」

 もう、六花を困らせない。

 六花に寂しい思いをさせない。

 六花のためなら、あたしはなんでもするから、

 だから、ひとりで夜道を歩いたりしないで。

 そんな想いが伝わるように、あたしは六花を見つめる。

 六花の驚いた瞳が震え出すと、腕がのびてきて抱きしめられた。

 あたしの胸に六花は顔を押しつける。

 小さく震えているのがわかる。

「ごめんね、六花」

 もう一度、同じ言葉を繰り返す。

 すると、六花は頭を小さく横に振って否定する。

 でも、知ってる。

 六花はいつでもあたしのことは全肯定だから、あたしは悪くないって否定する。

 でも、悪いのはあたし。

 六花を寂しくさせちゃったから。

 

 胸の中から小さく泣き声が聞こえる。

 あたしは頭を優しく撫でてあげる。

 綺麗な六花の髪は夜露で少し濡れている。

 それは、六花の涙みたいに思えて、あたしもちょっとだけ悲しくなる。

 でも、それでも、あたしは六花の髪をなでてあげた。

 おさげをつまんで、優しく結びなおしてあげた。

 少し乱れた髪を指でとかして、もっと綺麗になるようにしてあげた。

 六花はずっと私の胸に顔を押しつけていた。

 ごめんね、六花。

 もう一度、心の中であやまる。

 もう、さみしくなんてさせない。

 もう一度、心の中で誓う。

 あたしはずっと、六花の頭を撫でてあげていた。

 桜の花の香りがあたし達の服にしみこんでしまったかのように思える、夜半まで。

 

 

 

3. 激しい雨の日 ~菱川六花・2~

 

 八重の桜の日から、私とマナはいつものふたりに戻っていた。

「もう受験生なんだし、お勉強もしないとね」

 そう言ってマナは部活の助っ人を半分ぐらいに減らしていた。

 プリキュアの仕事も、本当に私達ではないとできないくらいの大きなことだけを受けるようになっていた。

 ありすもまこぴーもそれぞれのお仕事が忙しくなってきたみたいだから、そんなことを言っていたけど、本当は私のことを考えて抑えていたことも知っていた。

 私はとても幸せだった。

 大好きなマナが側にいてくれて、嬉しかった。

 ふたりで毎朝学校に行って、同じ教室で授業を受けて、休み時間にもお勉強しながら他愛ない話をしたり。

 そんな普通の生活がとてもかけがえないものだって改めて気づくぐらい、マナと私の間には普通の時間が流れ続けていた。

 時々はお手伝いとか助っ人とかでマナと時間が合わなくなることがあっても、私もなるべく合わせて一緒にいるようにした。

 この、かけがえのない幸せをいつまでも感じたかったから。

 

「六花」

 金雀枝の黄色い花が蝶のように咲き乱れる初夏のある登校時、普段の何気ない話が途切れたそのとき、ちょっとためらいがちなマナの声が私の名前を呼ぶ。

「どうしたの?」

 本当に困っているときの顔、私は少し心配になる。

「うん、ちょっと相談があって…」

 声のトーンから予想していた通り相談事。

 断る理由なんてないからうなずいていいよって伝える。

 マナは嬉しそうな顔をして私の手を握る。

 少し恥ずかしかったけど、こうやってマナに頼られるととても嬉しい。

 その手を柔らかく握りなおすと、マナの嬉しそうな顔に柔らかさが含まれる。

 けど、その瞳は心配そうな色を含ませたままだった。

 

 放課後。

 マナはいつものように何人かに助けを求められていたけど、全部断っていた。

 でも、教室に誰もいなくなるのを待っていたのか、そのまま教室にいるものだから、助っ人をお願いした人は怪訝な表情になって…そんなマナのちょっとした不器用さもかわいいと思ったりするけど、マナが悪い子みたいになってしまうから、

「おまたせ、マナ。行きましょ」

 私は急いで準備をするとマナの手を引いて教室を出た。

「うん、みんなまったね~!」

「ばいば~い!」

 大きな声で教室に声をかけると、私の手を握りなおして逆に私を引いていく。

 私はそのまま、手を引かれて教室を出た。

 

 廊下を歩く私達の足音は、いつの間にか降り出した激しい雨音に消されてゆく。

 強い雨は窓ガラスをたたいて、全てを洗い流してゆく。

 マナの手は私の手を柔らかく握って離さない。

 少しだけ汗ばんだそれは、マナの相談事の大きさを思わせる。

 本当に、迷って、困って、どうしたらいいかわからない。

 そんな不安な気持ちでいっぱいなのかもしれない。

 足も、いつもより少し早い。

 私は、マナの悩み事が何か、色々と考えながら、手を引かれていた。

 

「ここで…」

 到着したのは第二理科室。

 中には誰もいないから灯りもついていなくて、ただ、雨音だけが響いている。

 今までの教室と廊下の喧噪が嘘のよう。

 まるで一瞬で別の世界に来てしまったみたい。

 私はただそんなことを廊下の灯りに光る蛇口を見て考えていた。

 黒板の近くの席にマナは座る。

 私も手を引かれたままその横の席に座る。

 マナは座ったとたんにうつむいて、何かを考えているみたい。

 私の手を握ったまま、その力がちょっと強くなったり弱くなったり。

 それは、マナの気持ちを表しているみたいに。

 私は黙ってマナの言葉を待つ。

 マナはお話してくれるはず。

 でも、焦らせてはいけない。

 マナは困って何も言えなくなってしまうから。

 

「ね、六花…」

 細い声はマナの心配をあらわしているよう。

 私は顔をのぞき込む。それはお返事のかわり。

 マナはそのままの心配そうな表情のまま。

 くちびるがかすかに開いて、何か言葉を発するのかと思ったらそのまま閉じて、何度かそんなことを繰り返す。

 今聞こえるのは、雨音、マナの吐息、そして、私の心臓の鼓動。

 何度か、かすかに動くマナのくちびる。

 でも、やがて覚悟したようにそのくちびるが開いた。

「進路のこと、なんだけど…」

 私はその言葉に少しだけ拍子抜けした。

 もっと大きな悩み事だと思っていたから。

 でも、そう思ったのも一瞬だけ。

 自分のことだったらだいたい自分で解決できるマナだから、そんな悩みを私に持ちかけてくるということは相当なのかもしれない。

 そう思って、私は顔を近くに寄せる。

「あたし、推薦決まったんだ」

 その口から弱々しく出てきた言葉は思いがけない言葉だった。

「おめでとう! よかったわね」

 私は心の中からの祝辞を述べる。

 さすがマナ。去年の活躍を見て放っておかない高校はないと思っていたけど、決まったと思うと私も自分のことのように嬉しかった。

「それで、どこに決まったの?」

 マナのことを推薦でほしいという学校だから相当レベルは高いと思う。でも、私もがんばれば同じ学校に行けるかもしれない。

 今までと変わらずマナと共に過ごす日々を頭に思い描いてたずねた。

「七ツ橋学園…」

 けど…

「あっ…そうなの…」

 私の期待は泡と消えてしまった。

 

 ありすや五星さんが通う七ツ橋学園。

 女学校時代からの伝統校。

 男性に負けず劣らずの女傑を多く育ててきた学校として知られている。

 特に経済や政治の世界に多くの優秀な人材を出していて、日本の中でも文系の最高峰の女子校として知られている。

 だから、将来総理大臣を目指すと公言しているマナにはとてもいい学校なのだけど…

「理系が…」

 そう、マナが言うとおり七ツ橋は理系にはそれほど強みがない学校だった。

 

「でも、すごいじゃない、七ツ橋から推薦をもらえるなんて。もうこれで将来は安泰ね」

 私は膨らんでくる残念な気持ちをなんとか心の奥底に押しこんでマナに伝える。

 もし、わがままを言ったらマナは絶対に七ツ橋を蹴ると言い始めるから。

 だから、しっかり笑顔を作って、明るい口調を作って。

「でも…」

「七ツ橋なら私がいなくても大丈夫ね、ありすも五星さんもいるから。ふたりで一緒にマナの暴走を止めてくれそう」

「だけど…」

「それに七ツ橋で生徒会長をしたら、もう将来の夢も安泰ね」

「……」

「七ツ橋での活躍、期待しているから」

「六花っ!」

 机を叩く大きな音、そして、私を呼ぶ大きな声。

 私の言葉が止まる。作った笑顔がそのまま顔に張り付いたみたいに。

「あたし…断ろうと思ってる」

 その言葉は私の予想の範囲内。

 私は顔を普通に戻してマナを見る。

「どうして…?」

 私は不思議そうな表情を作ってマナを見つめる。

 マナは私を見つめ返す。

 その視線は多少熱を帯びていて、まるで真意を見射られているようで私の胸が少し締めつけられる。

 でも、マナの視線に負けるわけにはいかない。

 マナの言うことをそのまま受け入れてはいけない。

 マナにはマナの夢へとすすんでほしいから、だから…

「六花と一緒じゃないと…」

「私と一緒だと、マナは夢を成就できないよ」

「それでも…」

「マナ…」

 私は優しく呼びかけて、

「これからの活躍、応援しているから」

 それだけを伝えた。

 マナは吐息を飲む。

 私はマナの正面を向いて、にっこりと笑顔を見せる。

 マナは一瞬だけ、顔をゆがめたかと思うと、鞄を持って教室を走り出てしまった。

 

 がらんとした第二理科室、私ひとりだけ。

 もう誰もいない、ただ、残るのは雨音だけ。

「…はぁっ」

 私の吐息が雨音にまざる。

 疲れた、とても疲れた。

 疲れた理由はただひとつ…嘘をついたこと。

 最後のゆがんだマナの顔が私の胸に強く残る。

 でも、でも…これでいい。そう自分に言い聞かせる。

 だって、マナには私の事なんてほおっておいて自分の夢を叶えてほしいから。

 マナの夢に七ツ橋は絶対にいい。

 これでよかったのよね。もう一度自分に言い聞かせる。

 でも、心の奥底はその言葉を拒絶する。

 いいのよ、これでよかったのよ。

 何度そう言っても心の奥底は拒絶するばかりで…

 

 ……雨音に混ざる私の嗚咽は、空が灰色からねずみ色に、そして黒くなっても止まらなかった。

 最終下校のチャイムが鳴る、そのときまで。

 

 

 

4. 沁みこむ雨粒 ~相田マナ・2~

 

 大雨の中、あたしは傘もささずに走っていた。

 第二理科室から校門まで誰にも会わなかったのはラッキーだった。

 こんな姿を見られたら心配されちゃうから。

「六花…どうして…」

 あたしの頭の中はそれだけがぐるぐるまわっていた。

 大粒の雨が全身を濡らしていくのなんて気にしてられない。

「六花…どうして…わからないよ…」

 服に、鞄に、しみこんでいく雨粒も気にしてられない。

 一度は少し疎遠になったあたし達だけど、やっぱりお互いが大切だってわかって、ずっとこれからも一緒だと思ったのに…

「六花のバカ…わからない…わからないよ…」

 あたしは六花の気持ちが全然わからなかった。

 どうしてあんな事を言い出したのか。

 …でも、心の奥底ではわかってた。

 六花はあたしのことを思ってあんなことを言ったってこと。

 わかってたけど、でも…様子が全く変わらないところがわからなかった。

 少しぐらい何か言ってくれてもいいのに。少しぐらい驚いてくれてもいいのに。

 全然表情が変わらなかった六花。

 …もしかして、本当に七ツ橋に行っちゃってもいいの? 六花はあたしと別の学校でもいいの? ふたりで一緒にいたいって思っていたのはあたしだけなの?

 沢山の疑問を頭の中でぐるぐるさせながら家に向かって走っていった。

 

「マナ!?」

 店に入るなりパパにびっくりされた。

 そうだよね。傘を持っているのにずぶぬれになって帰ってきたら誰だってびっくりするに決まってる。

 でも、あたしはそのまま店の奥まで行こうとしてパパに止められる。

「こら、ちゃんと拭かないと風邪引くぞ」

 腕を伸ばしてとおせんぼするパパは奥にいるママに声をかける。あたしはそのままカウンターの席に座らせられる。

 しかたなくそのままテーブルに突っ伏す。

 普通にしていると涙があふれてパパを心配させてしまいそうだから。

「おい、マナ、大丈夫か? まさか、風邪引いていないよな?」

 そんなパパの声を聞いてもあたしは頭を上げることができなかった。

「本当に、大丈夫?」

 ママの声と頭の上に載せられるタオル。でも、あたしはそのまま突っ伏していた。

「本当に風邪引くわよ?」

 あたしのリボンが外される。そして、髪を少し乱暴に拭かれる。

 その、少しの乱暴さの中にママの優しさがまざっているのが伝わってくる。

 あたしはそれが気持ちよくてそのままになってた

 

「そう言えば、前にもこんな事があったなあ…」

 パパの懐かしむような声。ママの懐かしさをにじませた声が重なる。

「そうね、あれはもうかなり前よね…」

「そうだな。小学校の頃かな。激しい夕立が降ってきて六花ちゃんと慌てて」

「ガタッ!」

 パパの言葉を遮るように思わず大きな音をさせて席を立ってしまった。

 驚いたようなパパの顔。

 後ろで息をのむママ。

 あたしは鞄を持って奥に、そして、階段を駆け上がって自分の部屋へ。

「おい、ちゃんと乾かすんだぞ」

「服も着替えちゃいなさい」

 心配するふたりの言葉を聞き流しながら部屋に入ると、そのままベッドに倒れ込む。

 天井を見ながら思い出すのは六花のことばかり。

 どうして、どうして、その言葉ばかり。

 ずっと一緒だと思ったのに。ずっと一緒に歩いていけるって思っていたのに。

 ずっとそばにいてくれると思ったのに。

 拒絶されたっていう気持ちがつもる。

 あとからあとから涙があふれてくる。

「もう、一緒にいられないのかな…」

 自分のつぶやきが胸に突き刺さってとても痛い。

 もう、六花と一緒にいられないのなんてやだ。

 六花といつまでも一緒にいたい…

 でも……あきらめるしかないのかな。

 そう思うと、寂しさでだんだんと私は押しつぶされて…どうしようもなくなってきた。

 もう、何も考えたくない…もう、六花に逢うのも怖い…

 でも…でも…

 大きな雨音の中、私の「でも」はずっと続いていた。

 いつの間にか空が真っ黒になる、そのときまで。

 

 

 

5. 夏の流星群・ひとりきり ~菱川六花・3~

 

 あの、激しい雨の日から、私とマナの関係は変わってしまった。

 いえ…私の態度だけが変わったのかもしれない。

 マナはいつものように私に近づいてくる。私に声をかけてくる。

 私は必要なことは話すけど、進路の話は無理に遮っていた。

 少しでもほころびが生じれば、私と一緒にいることを選ぶために言葉を尽くすだろうから。

 そして、ずるずるとマナの言葉に引きずられてしまうと思ったから。

 だから、

「六花はどこかから推薦をもらったの?」

 なんて尋ねられても、

「いいえ?」

 それだけを答えて席を立つ。

 実は、私もいくつか推薦をもらっていたけど、まだ決めかねていた。

 近くの学校からも、遠くの学校からももらっていた私は、いっそのこと、マナにそう簡単に逢えないくらい遠くの学校に行くのもありかも…そう思っていた。

 でも、マナから離れるのは嫌という気分もあったりして…

 そうしているうちに、マナは本当に七ツ橋に決めたみたいで、人助けを再開するようになっていた。

 なんだかんだ言って、人助けをして生き生きしているマナの方がマナらしくて好きだと思った。

 梅雨が明けて、朝顔の紫や紅が咲くようになって、夏休みの足音が聞こえてくる頃、マナは以前と同様に人助けをするように、部活の助っ人もいつも通りにするようになっていた。

 マナと過ごせる時間が減ったことを、どこか寂しいと感じる私と、好都合と考える私と、両方がいた。

 私は相変わらず、ただお勉強の日々。

 どの学校でも選べるように、それだけを考えて。

 

 それは、夏休みに入っても変わらない。

 毎年、夏休みはマナと共に過ごすことが多かった。

 一緒に宿題をしたり、遊んだり。

 でも、今年はなるべく避けなければいけないと思った。

 一緒にいれば聞かれてしまうだろう進路のこと。

 だから…夏なら必ずしていたあの約束を今回はやめることにした。

 流星群の日、その約束を。

 

「ど、どうして?」

 おどろきを隠すことなく、受話器越しに届くマナの言葉。それは予想通り。

「今年は受験生だから。私はまだ受ける学校も決まっていないから勉強はきちんとしておかないとって思って」

 心の中で何度も考えていた言葉を伝える。

「でも、1日くらい…」

「その1日が命取りになるの」

 私はつとめて平静を装ってマナに伝える。

 マナの声は驚きから悲しみに。

 私の心はだんだんと重たく。

 でも、ここでいつもみたいに流されていてはだめ。

 私はもう決めたのだから。

 

 沈黙が流れる。

 小さな息づかいだけが受話器を通して聞こえる。

 それは、本当に小さいから、乱れているから、

 …ほんの小さく、嗚咽が混じっているから、わかるマナの気持ち。

 私もなにも言えない。なにも言わない。

 でも、受話器を通して聞こえる声は私の胸を締め付ける。

 徐々に、徐々に、締め付ける。

 それがいっぱいいっぱいで、胸が痛くなって、我慢ができなくなりそうで、思わずすべてを撤回してしまいそうで…

「あたし、待ってるから!」

 その時突然聞こえたマナの声。その明るさからたぶん笑顔なんだろうって思う。

 けど、涙混じりなのは押さえられなかったみたいで、少しだけ声が裏返る。

「いつもと同じ場所、いつもと同じ時間、絶対に、絶対に絶対に待ってるから! それじゃ、おやすみ!」

 一方的に伝えて一方的に切るマナ。最後は涙声。

 私はただ受話器を握っていることしかできなかった。

 マナの声が胸の中で響きわたる。

「待ってるから!」

 同じ言葉を繰り返す。

 私はただ立ち尽くしていた。

 受話器の奥底からの音が止まって沈黙が訪れても。

 

 マナは絶対にあの場所に行く。

 私の心の中にはそのときのマナの様子が思い浮かぶ。

 私をずっと待ちながら空を見上げる。

 昼の暑さが残る、まとわりつくようなぬめったい空気の中、青い匂いが体を包み込むような草いきれの中、私を、ずっと、ずっと。

 だから、私は行けない。

 その姿を見たら私は駆け寄って横に座ってマナにすべてを許してしまうだろうから。

 

 黙った受話器を戻し、部屋に戻る、ふらふらと。

 そして、机に向かってテキストを開いて勉強に集中しようとした。

 絶対できないことはわかっていても。

 

 

 

6. ひとりきりの夏休み ~相田マナ・3~

 

 期末試験も終わってもうすぐ夏休み。

 今年はさすがに受験生だからウキウキ、というわけにはいかないけど、やっぱり夏って聞くだけで浮かれちゃう。

 でも、今年はいつも一緒の六花がいてくれない気がして心が沈んじゃう。

 だけど、夏の約束。あの約束があるから、その日だけでも一緒にいてくれるって思っていたから…

 だから…思ってもみなかったことに、あたしは最初なんて言われたかわからなかった。

 まさか、六花と一緒に夏の流星群をみられないなんて。

 

 あたしの心の中は同じ言葉を繰り返してた。

「どうして?」

 この5文字だけが繰り返してる。

 六花からの久しぶりの電話。

 それはとても嬉しかったのに、嬉しいものになるはずだったのに…

 六花の言葉はとても残酷で、あたしは電話を切ってもわからないままだった。

 

 もしかして、六花はあたしのことが嫌いになったの?

 そんな疑問が心の中で生まれる。

 でも、それだったら電話をかけてくるはずなんてない。

 あたしの言葉はちゃんと聞いてくれていた。

 でも、あたしの質問の答えはひとつにしかたどり着かなくて。

 やっぱり嫌いになったの?

 それとも、ただ行きたくないだけなの?

 毎年必ず約束していたこと、それなのに。

 どうして? どうして?

 六花の気持ちがわからない。

 あたしも、自分の心がわからない。

 どうしてこんなに悲しいのか。

 どうしてこんなに寂しいのか。

 どうして? どうして?

 この5文字がずっとあたしの心をつかんでる。

 でも、いつまでたっても答えは出ない。

 枕に顔を押しつけて涙を流していた。

 六花との約束がとぎれることに。一緒にいられないことに。そして、自分の気持ちが全くわからないもどかしさに。

 涙を流しながら、あたしの胸の中に浮かぶ幼なじみの姿に胸がまた痛くなって…

 

 六花とはその日限り、ずっと逢えなかった。

 夏休みが終わるその日まで。ずっと。

 

 

 

7. 沈む晩夏 ~菱川六花・4~

 

 今年の暑さは例年以上で、9月になっても変わらない。

 私は日々、その暑さに耐えかねてぐったりすごしていた。

 それは、暑さだけのせいではなかった…そう、マナのこと。

 私はマナに酷い仕打ちをしたと思っている。

 毎年の約束を守らず、マナに話しかけられても適当にあしらって。

 もう私なんて放っておかれても仕方ないと思っている。

 でも、マナはそれでも私にいつものように挨拶をしてくれる。

 私にいつものように話しかけてくれる。

 私は、ただ、じっと、話を聞き流して、話を遮って、席を立つ。

 マナは小さく声をあげるけど、私を引き止めるようなことはしない。

 私は、その積み重ねがマナだけではなく私もゆっくりと、でも、しっかりと傷つけていくように感じた。

 つらい…マナを裏切ることが。

 つらい…つらい…マナときちんとお話しできないことが…

 つらい…つらすぎる…マナと今までのように過ごすことができないことが。

 そうしているうちに、私は自分の心がわからなくなっていた。

 どうしてマナを避けるようになったのか。

 私はマナとどうしておしゃべりできないのか。

 私は、マナとどうなりたいのか。

 つい1年前を思い出す。

 あの頃は、私はマナとどうありたいのか、わかっていた。

 でも、今はその気持ちこそがマナを縛ることになるから。

 マナといつまでも一緒にいたい。

 でも、マナの夢を考えるとだめだから。

 だから、もう、我慢して離れるしかない、そう思っていた。

 

 でも、マナのことを遠ざけても、マナが普通に話しかけてくると、マナのことをいとおしく思う気持ちがまたあらわれる。

 

 そんなことを毎日考えて、考えすぎて、体調も少しおかしくなってしまったようだった。

 夜、いつまでも眠ることができない。朝起きても眠気と疲れが取れない。

 勉強も全然身に入らなくなって、成績なんてあがりそうにもない。

 

 秋雨の頃を迎え、秋桜咲く頃も過ぎて、

 私の心はますます深く沈んで、体調は徐々に乱れて…

 ずっと、闇の中にいるような気持ちになっていた。

 

 

 

8. 心配 ~相田マナ・4~

 

「え…」

 あたしは驚いてしまった。

 六花が学校に来ていない。

「ひしかわ~、菱川はいないのか? 相田、菱川は?」

「え、あ、えっと…相当体調が悪いみたいで。おやすみって言っていました」

 思わず出てしまう嘘。

 六花が何の断りもなく休むなんてありえない。

 でも、実際に学校に来ていないということは本当に調子が悪いのかも。

 最近雨が多くて少し肌寒かったから、風邪をひいてひどいことになっているのかも。

 そう思うと心配で…後で電話をしてみようと思った。

 

 1時間目の授業中、六花のことが心配で心配で、あたしは内容もわからなくなるくらいに六花のことしか考えていなかった。

 六花のことを思い出す。最近様子がとても変だった。

 ため息を多くついたり、遠くをじっと見つめていたり。

 何にそんなに悩んでいるの? あたしは頭を巡らせてみるけど、どうしてもわからなかった。

 

 1時間目が終わるとあたしはすぐに六花に電話をした。

 携帯電話の奥底、響く発信音。

 1つ…2つ……3つ………

 いつまで経っても六花は出ない。

 数が増えるごとにあたしの心配は増してゆく。

 と、音がして発信音が止まる。

「あ、六花…」

「おかけになった電話は電波の届かないところに…」

 聞こえたのは単調な声。

 あたしは電話を切って、もう一度電話をかける。

 発信音が響く、それが途切れる、聞こえるのは同じ言葉。

 あたしは念のためもう一度試した…けど同じだった。

「倒れたりしていなければいいけど…」

 つぶやく言葉は降ってきた雨に消えて…

 心配で心は外と同じ暗い色になっていって…

 でも、もう休み時間も終わりだから、教室に戻るしかなかった。

 

 

 

9. 出会い ~菱川六花・5~

 

 あまりにも体と心の調子が悪くて…私は学校に行くのも辛くなっていた。

 マナのことを考えるだけで、私の心が、体が、悲鳴を上げる。

 学校に近づくと足が重くなる。

 この日も、私はため息をつきながら歩いていた。

 学校に行ったらマナに絶対に話しかけられる。

 普通にお話ができるのか、肝心のことはうまくごまかせるのか、そればかりが心配だった。

 そんなことばかりたまりにたまって、私の体は限界に近くなっていた。

 あまりに苦しくて、あまりに切なくて、私の心が全ての動きを止めそうになっていた。

 ただ、マナの声を聞くだけで、それを思うだけで辛かった。

 秋の朝、爽やかと表現されるこの季節なのに、私の胸の中はずっとどんより、黒く濁っていた。

 もう、学校に行きたくない、そう思い始めていたけど…でも…

 行かないなら行かないでマナに本気で心配されそうだからそうもいかない。

 何度かわからないため息をつきながら、曲がり角を折れた時だった。

「にゃあ…」

 猫の小さな鳴き声。

 そんな音もしゃくに触るくらい。

 私は少しいらだちを覚えながら歩き続けるけど、

「にゃぁぁ…」

 その鳴き声は再び聞こえてきた。

 私は我慢できず、首を動かす。

 目に入ったのは黒猫。首には赤いリボンが結ばれて飼い猫なことがわかる。

 私はその猫から視線を外して再び歩き始めようとする。でも、その猫は私の目の前に立つ。

 その目をしっかりと開き、私をじっと見つめる。

 私は自分の全てを見透かされているようなそんな気が少しだけして思わずあとずさる。

「にゃぁ……」

 すると、少しだけ口を開いてその猫は鳴く。

 じっと、私のことを見続けるその猫。

 私はただどうすることもできずに立ち止まったまま。

 やがて、その猫はゆっくりと歩き始めた。

 私は導かれるように後をゆく。

 ゆっくり、ゆっくり、まるで私に合わせてくれるかのように歩く黒猫。

 不思議な気分で歩き始める私は、かすかに感じた、少しだけ季節の早い金木犀の香りを。

 学校があることもすっかり忘れて、ただ、その猫の後を追っていった。

 

 

 

10. 導き ~相田マナ・5~

 

 ずっと、ずっと、わからない。

 どうして六花はずっと悩んだ顔をしているのか。

 

 今思うと、ここ最近ではなく、夏休みが終わったあたりからすでに六花はだんだんと違う人になってしまったみたいだった。

 聞いても答えてくれなさそうだからあえて聞かなかったけど、悩み事があるみたいだった。

 それは進路とかのことじゃないことで。ずっと、ずっと、何か他のこと…人生とか、そういう大きなこと。

 

 今までだったら六花はちょっとしたことなら自分で解決していたと思う。

 それなのに、今の六花はどうしても解決できないくらいに悩みすぎているみたいだった。

 あたしは力になりたかった。いつも助けてくれる六花のためになんとかしてあげたかった。

 でも、六花にまた拒絶されたら、六花にまた冷たくにされたら…

 あたしはどうしても六花の力になることはできなかった。

 

 ため息が大きく漏れてしまう。

 帰り道、ひとりで帰るのに慣れちゃったけど、やっぱり寂しい。

 ただひとりの帰り道、雨上がりの茜空はこんなに高くて綺麗で気持ちいいのに、あたしの心は曇り空。

 

 六花と一緒に歩いた通学路、

 六花と一緒に遊んだ公園、

 六花との思い出があたしの心を覆い尽くしていく。

 どうしてこんなに六花のことが気になるのか。

 どうして…どうして…考えすぎてあたしは歩けなくなってしまった。

 帰り道、住宅地の中、いつもの慣れた通学路、

 あたしはただ、歩くこともできず、ただ、ただ、六花のことだけでいっぱいだった。

 

「にゃあ…」

 ふと聞こえた猫の鳴き声。

 あたしは正気を取り戻す。

「にゃぁぁ……」

 ふたたび鳴き声。

 あたしは首を回してその声の持ち主を自然と探していた。

「にゃぁぁぁ…」

 みつけたその声の持ち主は真っ黒な猫。じっとあたしを見つめてる。

 その、少し強い視線からあたしは目を離せなくなる。

 にらみ合っているかのような時間…それはほんの少しの間だけだったかもしれないけどあたしには長く感じた時間…それをすぎると、猫はそのままゆっくりと歩き始めた。

「あっ…」

 あたしは思わず小さく声を出してしまう。

 と、そのままそのあとを追いかけてしまう。

 なんだか、ついてくるようにって言われているようで、導かれているかのようで。

 小さな足音を、猫のあとを、ずっと追っていた。

 どうしてもそうしなければいけないかのようで。

 

「あっ、待って!」

 猫の足が急に速くなるので、あたしは思わず声をかけてしまった。

 でも、猫は待ってくれない。

 あたしは足を速めて猫の後を追う。

 本気の駆け足くらいの速さ。いつまで続くかわからない。もう結構疲れたかも。

 そう思う頃、気づくと猫さんは足を止めていた。

 その後ろには洋風の可愛らしい家。

 ううん、扉の横にはお店の名前が下がっている。

「猫目堂」

 こんなお店あったっけ? そう思いながらも、猫が入口の前であたしを待っているように見えたから、扉を開けてみた。

 

「いらっしゃい」

 扉を開けるとあたしの足元を抜けて猫がお店に入る。

 そして聞こえる声は鈴の音のようで。

「あ、え、えっと…」

「ここは猫目堂。心のかたちを扱うお店」

「心のかたち…」

 私と同じくらいか少し年下くらいの女の子。

 和服に大きな髪飾り、そこからリボンが垂れ下がってる。

 その子はしゃがむと猫を手招きする。

 応じるように猫はその腕に。

 そっと抱き上げると、優しく頬ずりをした。

 抱き上げる猫の目の形は六花を思わせる。

 じっと私のことを見つめる視線は六花に見つめられているようで少し苦しくて、思わず視線を外してしまう。

 静かになるお店の中、窓から差し込む陽の光に照らされるのは、骨董品の数々。

 それこそ、普段使っているものに似たものから、

 どう使ったらいいかわからないものまで。

「それぞれが、心のかたちを表しているのです」

 再び聞こえる女の子の声。その言葉に背中を押されるように、あたしはお店の中を歩き始めた。

 珍しいものも多くて、あたしはひとつひとつに目を奪われる。

 ゆっくりと、歩きながら、ひとつひとつを見ていく。

 すると、

「あなたの心が迷っているから、このお店にたどり着いたのです」

 不意にその女の子は口にした。

「迷っているから…」

 あたしは何を言われているのかよくわからなかった。

 あたしの心が迷っている…

 もう一度、言葉を噛み締めてわかった。

 私の心は迷っている。

 六花とのすごしかた、六花とのつきあいかた、

 そして、あたしの六花に対する気持ち…

「気づきましたか?」

 いつの間にかその女の子はティーセットを持ってやってきた。

 いい香りが鼻に届く。金木犀の香り。

「一杯、いかがですか?」

 窓際のテーブルに置かれるティーセット。

 朝とは比べ物にならない陽の光。

 座るとやわらかい暖かさに心が少しだけ落ち着いてきた気がした。

 

「ここには…」

 テーブルのそばに立つ女の子が静かに話し始める。

「あなたの心を救うものがあります」

「あたしの心を…?」

「はい。迷ったあなたの心を救うもの」

 あたしは一口お茶を飲みながら、ゆっくりと全体を見回してみた。

 この中に、あたしの心を救うもの…

 どう、あたしの心が救われるのか、わからないけど…

「きっと…」

 あたしはその言葉を聞くと、カップを置いて立ち上がった。

 お店の中をもう一度歩く…この中にあたしの心を救ってくれるもの…

 カップ、グラス、小箱、羽ペン、ノート、夜空の星の絵、原稿用紙、地球儀、香水瓶、天球儀、封筒…

 あたしは不思議に思いながら、ひとつひとつを見てゆく。

 そのうち、ひとつの戸棚の前に誘われるように足を止めた。

 黒い布を被せられた小さな戸棚。

 あたしは興味本位にその布をめくろうとした。

「ぁ…」

 その時、小さく声が聞こえた、女の子の声。

「あ、だめでした?」

「い、いえ…大丈夫ですよ。自由に見てくださいね」

 急に変わったその態度を不思議に思いながら、その布をめくってみた。

 そこは、ガラスの飾り棚。瓶が2つ置いてあった。

 片方は透明な瓶、中には桃色の液体、半透明。

 その綺麗さ色に目が奪われる。

 飲み物? 薬? どっちなんだろう?

 迷いながら手をのばすと、女の子が近づいてきた。

「それは…さる戦争の時に使われた自白剤、です…」

 その言葉に驚いた。

 こんな綺麗な色をしているのに戦争に使われたものだなんて。

「どんなに頑な人でも、こちらが尋ねたことを必ず答える、それくらい強力な薬です…」

 あたしはその瓶を手に取る。

 外の明かりが反射して、桃色の光が目に突き刺さるよう。

「アウシュビッツの誘惑、という名前の薬です」

 あたしは魅入られたようにその瓶を手の上に転がしながら桃色の光を見つめていた。

 猫の鳴き声が聞こえる、でも、それはもうただ聞こえるだけ。

 これで、六花のことがわかるならちょっと高くてもいいかも。

 何も話してくれない六花。無理にでもその本心を聞けるなら…

 

 …無理にでも?

 

 あたしはその瓶をガラスの戸棚に戻す。

 コトリ、小さな音はあたしの心をもう一度震わせるけど、もう大丈夫。

 六花も、あたしが秘密にしたことは無理に聞いたりせずにいつも待ってくれてる。

 それなのに、あたしばっかり無理に聞こうとしていいわけがない。

 六花のことを信じて、六花が話してくれなければあたしから話そう、沢山。

 あたしの心を、あたしの想いを、いくらでも時間をかけて。

 そして、六花のことを沢山聞こう、沢山知ろう、

 まだまだ、あたし達には時間がある。

 …ちょっとだけ、自信がないけど。

 また六花に拒絶されたらって思うと気が進まないけど、

 でも、このままは絶対嫌だから。

 

 あたしは黒い布を戻す。

 そして、もう一度お店の中を見まわす。

 ゆっくり、ゆっくりと。

 いろいろなものが並んでいる中、綺麗な星屑のペンダント。

 その時、あたしは気付いた。沢山の思い出、流星群の想い出、そんな沢山の思い出とともに。

 あたしが六花のことでどうしてこんなに悩んでいたのか。

 どうしてこんなに心配になるのか。

 それは…六花が大好きだから。

 いつも、いつまでも、六花と一緒にいたいから。

 だから、もう一度六花を流星群に誘おう。

 秋にも冬にも流星群はあったはず。

 おうちに帰ってすぐに調べて、六花に電話をしよう。

 そして、約束の日、六花と一緒に、いつもと同じ場所へ。

 今度こそあたしはどんなことがあっても六花を連れていく。

 だって、あたしの気持ち、この、気づいた自分の心、伝えたいから。

「これ、いただけますか?」

「ありがとうございます」

 女の子は笑顔で返事をすると、優しく、丁寧に、包んでくれた。

 もう、あたしの頭の中はその日のことでいっぱいだった。

 すこしだけ、ほんの少しだけ、拒絶されたらどうしようって思うけど、

 でも、それよりも、あたしは六花とともにいる時間のことを考えていた。

 それは、とっても大切な宝物みたいに感じるから。

 六花について想いを巡らせてると、あたしの心はなんだかどんどん晴れたみたいになって、笑顔になってしまう。

 

「ごちそうさまでした」

「ありがとうございました」

 少しだけ残っていたお茶をいただいて、外を出るともう暗くて。

 あたしは今の気持ちと同じくまっすぐ進んでいった。

 しばらくして振り返るとそのお店は消えてしまっていた。

 あたしは不思議な気持ちのまま、家へと向かって行った。

 気づいた、六花への気持ちを心にしっかりと刻みつけながら。

 

 

 

11. 猫目堂 ~菱川六花・6~

 

「ちょ、ちょっと!?」

 急に駆け出した黒猫に驚きながらも私は何とか追いかける。

 だんだんと空は暗くなり、ぽつ、ぽつ、と、雨が降ってきてしまった。

「ど、どうしよう…」

 傘なんて持っていなかった。

 今日は雨が降るなんて一言も聞いていなかったから。

 私はただ、猫が駆けるのを追いかけながら雨宿りできる場所を探していた。

 でも、まわりは民家ばかりで雨宿りできそうにない。

 猫は速度を緩めることもせずに走り続けている。

 私は仕方なくそのあとを追いかける。

 かばんを頭の上に掲げて。

「なぁ~お」

 気づくと猫は足を止めていた。

 私をじっと見つめるその瞳。

 その瞳から視線を上にずらすと、小さくもかわいらしいひとつの洋館。

 軒下の看板にはこう書いてあった。

「猫目堂」

 と。

 

「ちりん、ちりん」

 かわいらしい音をして扉が開く。

 中には私より年下か同じくらいの女の子がいた。

 大胆にアレンジした和服に大きな髪飾り。リボンが胸に垂れ下がっていてかわいい。

 私の姿を見るなり、びっくりした顔になって、

「大丈夫ですか!? ずぶ濡れになっちゃいましたね」

 少しだけ焦りをにじませた声でそれだけ言うと、奥へと引き込んでしまった。

 私はしかたなく店の中を見回す。

 建物は古いみたいだけど、しっかり手入れされているみたいで、その古さを感じさせず、逆におしゃれな感じを受ける。

 見たところ雑貨屋さんみたいだけど、置いてあるものはバラバラ。

 小瓶だったり、箱だったり、手かがみだったり、でも、決して整理されていないわけでもなく、きちんと手入れもされているみたい。

 でも、どうも新品はない。全部中古のもののよう。

 雑貨屋ではなくて骨董屋さんなのかも、そう思っていた時に先ほど奥に消えた女の子が出てきた。

「こちらをどうぞ」

 手渡されたのはバスタオル。私はお辞儀をして受け取ると入口あたりに戻って軽く髪に押し当てる。品物に雫がかからないように。

 リボンを外して、おさげを解いて、髪の雫をゆっくりと拭き取っていく。

 濡れてしまった制服もバスタオルを押し当てて水分を吸い取っていく。

 髪を拭きながら、お店の中を見まわす。

 どれも値札は付いていなくて、やっぱり骨董屋さんなのかも、そう思った時だった。

「暖かいお茶もいれましたから。こちらにどうぞ」

 届く香りはほうじ茶、そして…甘い香りは金木犀、交ざる、いい香り。

「金木犀…」

 思わず口に出してしまうほどに胸まで迫る甘い香り。

「はい、桂花茶と言うのですよ。お口に合えばいいのですが…」

 はにかむような笑顔につられるように小さなテーブルに。

 素朴だけど可愛い椅子に腰をおろす。

「タオル、お預かりしますね」

「あ、はい、ありがとうございました」

 おかげさまで髪はほとんど乾いた。でも、制服はどうしても濡れているから家に帰ったらきちんと干さないといけない。

 替えの制服をしまった場所を頭の中で思い出しながら、濡れたタオルを返す。

 暖かい桂花茶に口をつけながら、私はそもそもどうしてここにいるのかということをふと思い出す。

「ご紹介が遅れました」

 そんな、私の考えが顔に浮かんだのか、それとも、雰囲気を察したのか、和装の女の子はふいに口を開く。

 私はカップを置いて視線を向けると、ちょうどその視線と合う。

「ここは猫目堂。心のかたちを取り扱うお店」

「心のかたち…」

「はい…ここはあなたの失った心のかたちがあります」

「失った…」

 言っていることがよく理解できなくて、私はおうむ返しばかりしてしまう。

 心のかたち? 失った…?

 私が何を失くしたというのだろうか。

 私自身の心を私自身が知らないわけない、そんな反抗心も浮かぶ。

「えっと…よくわからないのだけど…」

 だから、そんな言葉が出てしまうのも仕方のないことだった。

 すると、その子は私のことをじっと見つめてくる。

 少しだけ、おどおどとした視線、かと思えば、強い視線、

 どちらも含まれるその視線。くりっとした目はマナを思わせる。

「あなたは何かに迷ったりしていませんか?」

 その言葉に、私の胸はひとつ強く打つ。

 そして、すぐに浮かぶマナのこと。

 私は迷っている。マナとのこと。

 マナとの関係、マナとの日々、

 どうしたらいいのか、ずっと、ずっと、悩んで、結局空回りして、

 私はマナとどうお話したらいいか、それすらわからなくなっていて…

「見つかったようですね、迷子の心」

「は、はい…」

「それを救うものがここにはあります」

「……」

 それでも、彼女の言うことは現実離れしすぎていて、私は信じられなくて、でも、うなずくことも否定することもできない。

 でも、彼女は全く動じることもなく、少しだけ微笑んで。

「探してみてはいかがでしょう」

 そう言うので、私はカップを置いてお店の中を歩いてみることにした。

 西洋のものが多いみたいだけど、時々目に入る、場違いなもの。

 それは、ノートであったり、人形…異形の…だったり、ただの包丁だったり。

 これがそれぞれ心のかたちだというのであれば、常にこんな恐ろしいことを考えている人がいるのかとびっくりする。

 でも、そんな気持ちがわからないでもない自分がいる。

 誰かを殺したいと思う人は世の中一定数いると思う。

 それは、恨み、つらみ、もしくは、それ以上の激しい感情で…

 …激しい感情、私が今持っているものも同じような感情かもしれない、とふと思う。

 そっと、そばにあった小さなナイフを手に取ってみる。柄は金色、身は銀色、丁寧に磨かれていて、私の顔をしっかりと映す。

 私自身を見つめる、その目は暗く濁っている…まるで私の今の気持ちを写すよう…心がわからない自分。

 いや、違う…あまりに激しくて自分で認めたくないだけ、かもしれない。マナに対する気持ちを。

 マナに対する気持ちは恋慕、そうだったことを思い出す。

 誰よりもマナのことが好き。マナ以上にマナのことが好き。

 マナのためなら私はなんでもできるしなんでもする。

 マナのためなら、マナのために、マナの、マナ……

 私の心が渦を巻いているかのように色々な気持ちが溢れる。

 マナのことでいっぱいになる。沢山の気持ち、沢山の想い。

 やがて、汚い気持ちも溢れてくる。

 マナには私だけを見ていてほしい、私のこと以外を考えないでほしい、

 私以外の人には決して渡さない、ずっと、私だけのものにしたい。

 マナを、ずっと、ずっと、私だけのものに…

 いっそ、このナイフでマナを…そして、私を…

 …刀身に映る私の唇のはしが少しだけ持ち上がったような気がした。

 それで、私の手は急に震え始める。

 私のその汚れたどす黒い気持ちを私の心の奥底が拒否しているかのように。

 私は少しだけ正気を取り戻す。

 こんな気持ちが私の心の奥底にあるのかと思うとても怖かった。

 思わず放り投げてしまいそうになるのをなんとか抑えて優しくそのナイフを戻す。

 銀色の刀身は恐怖の色に染まる私の顔を映していた。

 

 私は再び足を動かす。

 心臓の音がやけに大きい。

 靴音だけがいやに響く。

 ノート・はさみ・小さな箱・ネックレス・手鏡…

 可愛らしいもの・古そうなもの・壊れそうなもの・きれいなもの…

 どれも素敵だけど、私の心を動かすことはない。

 部屋に置いておきたいけど、私の心は求めていない。

 そのとき、ふと、ひとつ、布がかけられた横長の箱に気づく。

 その、黒い布が私の心にひっかかる。

 その前に足を止めると、別の足音…あの女の子の…が少し慌てた感じで響く。

「これ、めくってもいいですか?」

 向いたその顔は一瞬困ったような顔だった…気がした。

 でも、すぐに普通の表情に戻って、

「は、はい…どうぞ…」

 少しだけ困ったような口調だった。

 私は少しだけ迷ったけど、興味の方が上だった。

 どうしてわざわざ隠しているのか、どうして彼女は困ったような表情をするのか。

 ゆっくりとその布をめくると、ガラスの小さな飾り棚、中に2つの小瓶。

 ひとつは透明の瓶、中には桜色の液体が入っている。

 もうひとつは紺色。とても古いものみたいでくすんでいる。

 でも、なんとなくわかる。これは香水やお化粧品の類ではなく、お薬。

 それも、普通ではない薬。

 ひとつ、くすんだ瓶を手に取ってみる。

 ふたには細かな装飾がされていてとても高級なことがわかる。

 中で液体が軽く動いているのがわかる。

 半分くらい…色は相変わらずわからない。

「それは…」

 鈴の転がるような声がする。

「マイヤーリンクの死神という名前の薬です」

 小さくもしっかりした口調。

 私は顔を向ける。

「その昔、さる帝国の皇太子が、許されざる恋を成就するために恋人とともに使ったと言われる…毒薬です」

 私はその言葉にドキッとする。

 許されざる恋…それを成就させるため…恋人とともに使った…

 その言葉に、薬の名前に、歴史の中に埋もれた恋物語を思い出す。

 そのとき使われた毒薬がここにあるというのが信じられなかった。あるわけないと思った。

 けど、その古めかしい瓶に、細かく刻まれた装飾に、取っ手にある双頭の鷲の紋章に、私はもしかしたら、という気持ちが生まれていた。

 それよりも、そんな素敵な恋物語を思い出して、私の心はとらわれ始めていた。

 私の恋も許されざる恋だろう、同性だし、幼馴染だし、マナは決して私のことをそういう目で見ていない。どう考えても。

 いずれか、マナは誰かのものになる。かわいくて人気のあるマナなら、高校に入ればすぐにでも。

 今だって、多くの人に慕われているマナだから。

 

 死によって永遠に結ばれることになったふたりのように、

 私も、マナとともに死ぬことで、ずっと私だけのものにできるのなら…

 マナと一緒にいられるなら、私は何でもする。

 それが、死でも、私は一向に構わない。

 そんな甘美な考えが私の心を捉えて離さない。

 この薬をもってマナの全てを私のものにすることができるのなら…

 

 全てを私のものに…?

 

 違う。絶対違う。

 私はそんなマナなんて望んでいない。

 誰からも慕われて、誰にも優しくて、

 沢山の人達からのお願い事を笑顔で受けているマナ。

 私はそんなマナのことが好き。

 そして、そんなマナのことを誇りに思っている。

 私の大切な、大好きな、マナ。

 そのマナにそんなことをしようと考えていたなんて…自分が怖い。

 私は頭を振ってその考えを追い出そうとする。

 もう、決してこんなことを考えないようにって、慌ててその瓶を戸棚に戻す。

 慌てて黒い布も戻す。

 胸の鼓動は激しく続いている。

 息が苦しい…私は椅子に寄りかかるように座る。

 心配そうな女の子の顔。

 私はおでこをテーブルにつけながら落ち着くのを待っている。

「大丈夫ですか?」

 優しい声とともに食器の音。

「新しいお茶を用意しましたから、どうぞ」

「ありがとうございます…」

 少しだけ顔を上げると目線の高さに白いカップ。

 きれいな星の絵付け。

 紺色が白い陶磁器に映える。

 それを見て思い出す、今年の夏の流星群のこと。

 マナには本当に悪いことをした。

 マナには謝っても謝っても謝り足りないくらい。

 …そうだ。だから、いつか夏のやり直しをして、マナに沢山謝ろう。

 そして、私の本心を打ち明けよう。

 もしかしたら、マナに拒絶されてしまうかもしれないけど、

 それ以前に、私とお話してくれないかもしれないけど、

 でも、それでも、マナのことが大好きだから、私は絶対伝える、この想いを。

 私はゆっくり立ち上がる。

 少しだけ心配そうな顔をする女の子、

 でも、私は私の心がわかったから大丈夫。

 再びお店の中をゆっくりと歩いて、置いてあるものを見る。

 いろいろなものがあるけど、私の心は何も感じない。

 もう、自分の心を見つけたからかと思うと、そういうわけでもなくて、

 まだ、何か物足りない感じ。

 何かが心の中で引っかかっている感じ。

 それは何かと考えている時、カップを下げている女の子を見て、気付く、私の心を動かすもの。

 先ほどはくすんで見えたもの達が輝いて見えてくるような気がする。

 艶やかな陶器、綺麗な色彩の絵、輝くアクセサリ。

 その中で、ひときわ明るく光る星屑が散りばめられたネックレス。

 私の心はすぐに決まった。

「これ、いただけますか?」

 戻ってきた女の子に伝えると笑顔で「はい」と答えてくれる。

 細い指、整えられた爪、優しく包まれる箱。

 私の胸はただ、マナのことばかり考えていた。

 このネックレスをつけてマナに逢おう。

 このネックレスのように煌めく満天の星、そして、流星群を見に行こう。

 そして、マナと沢山お話をして、私の心を打ち明けよう。

 いつの間にか止んでいた雨。

 薄陽もお店の中に差し込んでくる。

 心はいつの間にか軽くなっていた。

 今まで悩んでいたのが嘘みたいに。

「ごちそうさまでした」

「ありがとうございました」

 店を出る頃にはすでに夕方。仕方なく家に向かうことにする。

 水たまりもきらきらするくらい、もうすっかり晴れている道を踏みしめて。

 

 

 

 

12. 約束 ~相田マナ・6~

 

「あ…あれ?」

 おうちに近づくと六花の家の前に六花が立っていた。

「六花? 大丈夫? 風邪? 体調悪い? あたし心配したんだよ…」

 ちょっとだけ涙声になっちゃいそうだけど、少し怒った口調で伝える。

 あたしをこんなこんなに心配させて、そんな気持ちも含めて。

 そんなあたしを見る六花の顔は、いつもの六花で、優しい瞳で、いつもの優しい微笑みで、

「り…っか…?」

 あたしの言葉はそこで止まる。

 六花は申し訳なさそうな顔であたしを見つめる。

 あたしはただ言葉が出なくて…

 

「ごめんなさい」

 小さな声の六花、優しい声。

 あたしはドキリとして目を見開く。

「今日は急に熱が出て…でも大丈夫。もう熱は下がったから」

 あたしのことを見る六花は前の六花のようで、前の六花のようではなくて…

「明日からはちゃんと学校に行くわ。心配かけて本当にごめんなさい」

 頭をさげる六花にあたしは手を振って、

「大丈夫だよ、心配したけど、元気そうで安心したから」

 あたしはそんなことしか言えなかった。

 街灯が六花の頬を照らす。

 街灯が六花の瞳に写りこむ。

 あたしはただ、何も言えずに六花を見つめている。

 本当に六花なの? ここ最近の私の知らない六花のままじゃないの?

 あたしはまじまじと見つめていたら、

「なにかついてる?」

 六花が聞いてきたからあたしは慌てて首を振った。

「その…」

 ちょっと何か言いにくそうに口をもごもごする六花。

「来週の水曜日、22日の夜…時間ある?」

 その口から聞こえてきたのはお誘いの言葉。

 あたしは六花から誘ってくれることが嬉しくて思わずぶんぶん頭を振っちゃう。

「よかった…あの、夏に見に行けなかったから、流星群。一緒に行けたらって思って」

 あたしはその言葉に嬉しくなって、笑顔で大丈夫って答えた。

 六花も嬉しそうに微笑んでうなずいてくれる。

「ありがとう…」

「ううん、あたしの方こそ誘ってくれて嬉しいよ。今日はもう休んで? 病み上がりなんだから」

「ええ、そうさせてもらうわ」

 六花が門を開けて玄関を開ける。

 いつもの六花、優しい六花、大好きな六花。

 その背中に声をかける。

「また明日ね、六花」

 その言葉に六花は振り向くと笑顔で「ええ」と言う。

 もう、六花は大丈夫。あたしも大丈夫。あたし達も大丈夫。

 六花が家に入っていくのを見届けて家に向かって行った。

 スキップしたくなる気持ちをなんとか抑えながら。

 

 

 

13. 流星群への道 ~菱川六花・7~

 

 あの、少し不思議な体験をした日から、

 マナと、少しだけ元に戻ったと感じたあの日から、

 私の心は毎日ドキドキしていた。

 マナへの想いを改めてわかって、確認できた日。

 私の胸にはっきり刻んだ「恋心」という言葉。

 そして、ふたりで出かける流星群の日。

 その日が楽しみだった。

 一緒に流星群を見られることが楽しみだったし、

 また、マナと沢山お話できることも楽しみだった。

 でも、私はこの胸につもる想いをマナに伝えることだけは、まだ少し心配だった。

 マナに拒絶されたらどうしようという気持ち。

 マナは優しいから拒絶なんてしないと思っていたけど、

 でも、今までの私達の関係が変わってしまうのは多分確実。

 それが、わかっていてもなお、私はマナに告白をする。

 この想いはどうしても止められそうにないから。

 

 学校から帰ってきて夕方、ポットに桂花茶を詰める。

 金木犀の香りがあたりに舞って、優しい気持ちになる。

 いつもの洋服に星屑のネックレス、銀色が胸に光る。

 薄手のカーディガンを着て夜10時。玄関を出るとちょうどマナと出逢った。

「こんばんは、六花」

「こんばんは、マナ」

 マナも寒くないようにきちんとポンチョを着ている。

「行こう、六花」

 マナは私の手を握るとゆっくり歩き出した。

 

 夜の町は静かで、それほど寒くなくて、空はとても澄んでいて、流れ星が沢山見られそう。

 私は期待しつつ、ドキドキしつつ、マナの手の温かさを感じ、ゆっくりと町を歩いていた。

 30分、私達はなぜか一言も言葉を交わさずに歩き続けていた。

 静かな町の中を、ふたりの靴音だけが響く。

 時々、望遠鏡を持っている人が通ったりして、私達のいつもの場所に他の人がいないか少し心配。

 人がいたら、マナに告白することができないから。

 

 でも、それは杞憂だった。

 いつもの場所は私達だけ。

 私達だけの内緒の場所。

 草原に渡る風、遠くに見える町の灯り、満天の星。

 私達は手をつなぎながら、ただ、その満天の星に圧倒されたかのように何もしゃべらず、風に吹かれていた。

 しばらく見ていたけど、流れ星は見えない。

 まだ時間が早いのかもしれない。

 シートを敷いて座ることにする。

 私とマナ、それぞれのシートをぴったりくっつけて。

 小さなランタンをつけてふたりの間に置く。

 そんな時でも、マナは何も言わない。私も何も言えない。

 なぜか、沈黙の時間ばかり、私達を渡っていた。

 

 

 

14. オリオン座流星群 ~相田マナ・7~

 

 どうしてかわからないけど、途中お話することができなかった。

 長い間こうやってふたりでいることがなかったからかもしれないし、なにをおしゃべりしたらいいかわからないからかもしれない。

 六花も、なにもしゃべらずにいて、余計にどうしたらいいかわらかない。

 でも、繋いだ手を解かないから、あたしのことを避けているわけではないのだろうけど。

 

 ふたり、シートを並べて座る。

 この丘までかけてくる風はそれほど冷たくなくて、優しくて、

 満天の星は、まだ流れない流星を待つあたし達を優しく抱きしめてくれているようで。

 

 でも、そんな沈黙もちょっとつらくなってきて、あたしはポットを取り出した。

 それを見てか、六花もポットを取り出す。

 薄暗くてわかりにくけど、いつもの水色のポットみたい。

 その蓋が開かれたとき、あたしはハッとした。

「桂花茶…」

 あたしのつぶやきに六花が息を飲む声が聞こえた。

 あたしもポットを開くと漂う香りは金木犀。

「マナまで?」

 普通なら緑茶とかほうじ茶とかだと思うけど、あたし達はふたりとも桂花茶。

 このお茶がかぶることは珍しいと思う。

 あたしは胸いっぱいに桂花茶の香りを吸い込んでみる。と、落ち着く心。

「どうして桂花茶が…」

 六花がつぶやくように言う。

 あたしも同じ気持ち。桂花茶でかぶるなんて…

「思い出のお茶、だから…」

 そういうあたしに六花も「私もよ」ってつぶやいて、ますます不思議な気持ちになる。

 もしかして、六花も同じところに行ったことがあるの?

 猫目堂、という名前の骨董屋さん。

 あの、不思議なお店。

「六花、もしかして猫目堂、行った?」

 尋ねてみると、六花はあたしのことをじっと見つめる。

 あたしは確信した。六花も同じお店に行ったんだって。

 六花も、何か迷うことがあってあのお店にたどり着いて…

 あたしはもう一度ハッとする。

 あの、六花が戻ったように見えた日、あの日だと思う。

 六花も、あたしと同じ日に…運命を感じてしまう。

 そのことが、あたしの背中を押してくれる。

「あたしも、行ったよ、同じお店」

 すると、もっと驚いた目になる六花。

 あたしはそのまま言葉を続ける。

「六花があたしとあまりおしゃべりしてくれなくなって、悲しくて、どうしてだかわからなくて、でも、いつかはお話ししてくれるかもと思って、でも、寂しくて悲しくて、そんなときに猫目堂に行ったの…行ったのっていうのかな? 導かれたっていうのかな?

 そこで、あたし、気づいたの。自分の心がわかったの」

 一気にしゃべるから少し喉が渇いて、桂花茶をゆっくりと口にする。

 あのお店での出来事がはっきり記憶に戻る香り。

 悩んだ自分、わかった心、六花をじっと見据えて。

「あたし、どうしてかわかった。どうしてさみしかったり悲しかったりしたか」

 一息、吸って、落ち着かせて…意識すると顔が熱くなってくる。

「あたし、六花のことが」

 そこで、あたしのくちびるに指が添えられる。

 それは、しーって言っているみたい。

 六花の顔も真っ赤で、少しだけ震えているみたい。

 潤んだ目、もしかして、あたしの気持ちが迷惑なのかなって少し悲しくなってきた。

 時が止まる。風も止んで、満天の星が音を立てているかのように瞬いて。

 あたしはどうすることもできず、指を押し当てる六花のことを見つめていた。

 

 

 

15. 告白 ~菱川六花・8~

 

 マナのそれはどう考えても告白だった。

 真っ赤な顔、一生懸命な瞳、強い口調、震える指先。

 私は、マナの気持ちがまっすぐすぎて、

 沢山の想いが一気に押し寄せて、

 思わずそのくちびるに指を置いてしまった。

 これ以上は私の頭がいっぱいいっぱいになりそうだったから。

 マナの顔が少し悲しそうになる。

 私はしまったと思いながらもどうすることもできない。

 指を離せば告白の言葉が続いて、頭の中だけではなくて心までどうにかなってしまいそう。

 でも、マナの顔に悲しさが広がるのを見て、どうしたらいいかわからなかった。

 けど、マナと私の気持ちが同じってわかって、私は少しだけ落ち着いてきた。

 ゆっくり指を…いつの間にか同じように震えていた指を離すと笑顔を向ける。

 マナは心配そうな表情から笑顔になる。

「言わないで、マナ」

 その私の言葉にマナは再び悲しそうな表情になる。

 私はその表情を覆い隠すようにゆっくりとマナを抱きしめる。

 すると、わずかな金属音。

 離れてマナを見つめると、ポンチョの中からネックレスが出てきた。

 星屑のネックレス、私と同じもの。

 私も、慌ててコートのボタンを外して、ネックレスを見せる。

 全く同じデザインのネックレス、星屑が散りばめられている。

「同じ…だね」

 マナの言葉に私はうなずく。

 私達は同じ日、同じ場所で、同じものを買っていた。

 そして、私達は同じ気持ちになったのだと思う。

 お互い、誰が一番大切か。

 

 私とマナは笑顔を合わせる。

 もう、心配なんて何もない。

 私達は同じ心で繋がっているってわかったから。

 もう一度、どちらともなく抱きしめあって、

 お互いのぬくもりを感じあって、

 そして…

 

 初めて交わす口づけは、とても温かった。

 それは、マナの心を、想いを、十分感じられるくらいに。

 

 沢山の星々が流れてゆく。

 これは、ハレー彗星から別れた細かい星屑。

「この、流れ星みたいに私達もいつかは離れてしまうかもしれない」

 通じ合った想い、でも、現実はもうすぐ目の前に。

 12年一緒だったけど、ついに学校も別になって、逢うことも少なくなって…

「まだまだ、一緒だよ」

 でも、マナはケロリと言う。

「だって、七ツ橋…」

「辞退しちゃった」

「は!?」

 私は思わず大きな声を出す。

「どういうことよ?」

「六花と同じ所行きたかったから」

 ごそごそとバッグをあさるマナ。

 そこから出てきたのはとある高校のパンフレット

「ノーブル学園高等部…?」

 聞いたことがない高校。裏表紙を見ると場所の案内。結構ここから距離がある。

「全寮制で世の中に役立つ人を育てる高校なんだって。文理どっちも強みがあるから、あたしも六花もどっちも大丈夫」

 自信たっぷりに言うけど、そもそもこういうところは中高一貫で高校からの編入は相当大変なのでは…

 それに今から受験も間に合うか…

「大丈夫だよ、六花。あたし達ならできる」

 私は心配そうな顔になっていたのかもしれない。

 そんな私の様子に気づいてそういったのかも。

「あたしは六花と一緒じゃないとやっぱり無理なんだよ。六花がそばにいてくれて、あたしのことを助けてくれないと、あたしはあたしではいられない。だから」

 マナは私にパンフレットを渡して、

「一緒に頑張ろう!」

 笑顔のマナ、私はあまりに嬉しくてマナに抱きついて泣いてしまった。

 私をこれほど求めてくれることに、そして、あれほどのことをした私と一緒にいてくれることに、

 そして、これからもずっと一緒にいられることに。

 マナはいつまでも私を抱きしめて優しく頭を撫でてくれた。

 流れ星がいくつもいくつも流れていく満天の星のもとで。

 

 

 

・星灯りの骨董店

 

 扉についたベルが鳴る。

 わずかに開かれた扉、黒い影が忍び込む。

 それは、宵闇よりも黒い猫。

 赤いリボンが星明かりにぼんやり浮かぶ。

 灯りを落とした猫目堂。

 窓際で星を見ていた少女は待ちかねたように椅子を立ち上がる。

「おかえりなさい、どうだった?」

 その猫は抱きかかえられると、小さな声で鳴いた。

「よかった。あのふたりも心を見つけ出すことができたのね」

 その声はやや明るいけど、表情は無表情で。

 心配そうな猫の鳴き声が響く。

 その声に、彼女は小さく笑顔を作る。

「大丈夫よ」

 でも、その声も小さくて。

 

 店の灯りが消える。

 猫と共に奥に消える彼女。

 窓の外は、沢山の流れ星。

 まるで、落ちてゆく雨のように。

 それは、これから先、誰かの迷う心を導く品々を仄かに輝かせながら。



▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。