やはり私の先生は間違っているようで間違っていない。 作:黒霧Rose
「雪ノ下、こいつが新しい顧問の比企谷先生だ」
高校2年生になってから初めての部活動の日、平塚先生から新たな顧問を紹介された。
「えぇー、知っているとは思うが比企谷八幡です。担当教科は国語、平塚先生からの命でこの『奉仕部』の新顧問となりました。よろしくお願いします」
知っている。私はこの先生のことを知っている。
それにしても、随分と礼儀の正しい先生ね。
「私は2年J組の雪ノ下雪乃です。奉仕部の部長です。よろしくお願いします」
そう自己紹介をし終えると、比企谷先生は平塚先生を見る。
「どうだ、比企谷」
「懐かしい呼び方ですね。ここも含めて何も変わっていないようで、なんだか安心しました」
どうやら平塚先生と比企谷先生は旧知の間柄のようだ。もしかして、元教え子だったりするのかしら?
それに、『ここ』が何も変わっていない?
その言い方はまるで
「ああそうだ雪ノ下、比企谷先生は『奉仕部』の初代部長だ」
「え?」
この部活は確かに私が1年の頃からあった。彼は確か新採用と紹介されていた。ということは少なくとも5年以上はこの部活があるということなの?
「比企谷、雪ノ下は二代目の部長だ」
「へぇー。俺とは違って真面目そうなやつですね」
「まぁそうだな。君とは違うタイプの人間だ、まぁそれはそれだ。とりあえず私は職員室に戻っているから比企谷は雪ノ下と話していなさい」
「はーい」
そう言い残すと、平塚先生は職員室に戻っていった。
それにしても驚いたわ。まさか初代部長が目の前に居るだなんて。
「そこの席、昔は俺が座っていたんだよ。そこに座っているとなにかが見えてきそうになるだろ」
「え、ええ。なんだか、落ち着く・・・というよりここに居るべき、みたいな感じになります」
それは1年前、私が平塚先生に連れられこの部室に来た時だ。この奉仕部を紹介され、自分が部長だと命じられた後、なぜだかこの窓際の位置にある椅子に腰をかけたのだ。普段なら自分で椅子を持ってくるはずなのに、その時は置いてあった椅子に座った。
「そうか・・・ああ、部活中は敬語はいらん。基本的に敬われるようなやつじゃないからな、俺は」
それは教師としてはどうなのだろうか。
「まぁ、先生がそう言うなら」
「おう」
そうだ、あの時の話をしなければいけない。私の入学式の日のことを。
「先生、1年前の4月、事故に遭われましたよね?」
「・・・なんでそれを」
やはりこの先生だったか。
「あの時、車に乗っていたのが私だからです。謝罪が遅れてしまったことも重ねてお詫びします」
私は彼がどこの人なのか、名前と顔以外の全てを知らなかった。正確には知らされていなかった。だから謝罪が1年も遅れてしまったこと謝らなければいけない。
「ああ、そうだったのか。いいよ、俺が勝手に犬助けようとして飛び出しただけだし。気にすんな」
「けれど」
「お前は乗っていただけだろ?そんなことは正直な話を言うと、どうでもいいんだよ。俺は生きていて、犬は助かった。それでいいじゃねぇか」
絶句だった。この世に本当にこんな人がいるのか?いや、実際に目の前に居るのだ。驚きのあまり、信じられなかった。
「なぁ雪ノ下、お前さ『悪』ってなんだと思う?」
そんなことを考えているといきなり先生が問いかけてくる。一体どうしてこんな話をするのだろうか?分からなかったが、訊かれた手前答えることにする。
「そうですね、やはり『法律』や『倫理観』などに則っていないものや誰かを傷付けること・・・ね」
私は私の考えを言う。
「そうだな。でも俺は違う」
「聞かせてくれないかしら」
私の考える『悪』と違うとは一体どういうことだろうか?一般的に考えれば私の考えが正真正銘の『悪』のはずなのに。
「俺の思う『悪』ってのは
自分を『善』だと、『正義』だと思うことだ」
「ど、どういうことかしら?」
全くの予想外だった返答が来てしまい、たまらず聞き返す。
「自分は正しい、自分は善行を積んでるだの思うこと、この思い込みが俺の考える『悪』だ。結局そんなのは偽善だ。自分に酔っているだけの自己陶酔の果てに過ぎない」
だから、と彼は続ける。
「俺が気にしないと言っているんだから、もう謝罪をするのは止めろ。お前は一体『誰』に許されたいんだ?」
私は理解した。彼という人間が一体どういう思想を持っているのか。
そして、今私がしていることもまた醜い自己満足に似たなにかだということに。
「わ、分かったわ」
「分かってもらえてよかったよ。まぁ、『善行』も程々にしなきゃいけないってことだ。『行き過ぎた善行は人を窒息させる』よく覚えとけ」
私は彼の言うことを理解はできる。けれどどうも違和感が拭えないのだ。何かが分からない、何かが引っかかる、なにかおかしい、どこか破綻していると、そう思ってしまう。
「分からない、私はあなたのことが分からない。あなたは一体今までどんな風に生きてきたの?」
気付けば、声に出ていた。私は無意識に声に出していた。脳から喉へ信号が送られ、声帯を震わせ空気を振動させ彼の鼓膜を振動させていた。
「『最善』と思い込んだ『欲』にまみれた生き方だ」
*
「早いな」
翌日の放課後、比企谷先生が私より少し後に部室に来た。
昨日からは激動の連続だった。それも彼と出会ったことが全ての始まりだった。初代奉仕部部長。この肩書きだけで大きな驚きなのに、彼の思想、思考がなによりも私を驚かせた。
本当に彼は何者なのかしら?それに、最後のあの言葉・・・。
「雪ノ下、今日は依頼人が来る予定だ」
コンコン
「お、いいタイミングだな」
「失礼しまーす」
入って来たのは、ピンクの髪でそれをお団子にまとめた女子生徒、由比ヶ浜結衣さんだった。
「ひ、比企谷先生の紹介で来ました。ここって生徒のお願い聞いてくれるんでしょ?」
残念ながらそれは違う。ここはあくまで手助けをする部活、故にお願いを聞くところではない。
「いいえ違うわ。ここの活動理念は『魚を与えるのではなく、魚の取り方を教える』よ。つまり、手助けをするだけで実際に結果に繋がるかどうかはあなた次第よ」
「へ、へぇー。なんか凄そうだね!」
あ、これ理解できてないやつね。
「ほぉ〜。俺の時と活動理念が変わってるんだな」
え?そうだったの?私はてっきり初めからこれなのかと思っていたわ。
「俺の時の活動理念は『魚の居場所を教えて、どの魚にするかどう利用するかは任せる』だったぞ」
「随分と曖昧なのね」
適当だと思ってしまった。その言葉の通り、それは完全に手放し状態ということじゃない。
「そう、曖昧でいいんだよ。教えてもらった魚の取り方1つだけじゃ世の中生きていけない。どれを選ぶか、どう取るかは自分で決めなければいけないんだよ」
「っ!」
「お前も、生きていけば分かるようになるさ」
言われてみれば、そうかもしれない。私が教えた取り方に固執してしまえばそれは『甘え』になって『依存』となるのではなのか。どうして今までそれに気付かなかったのか。
「あ、あのぉー」
「おっと、わりぃな由比ヶ浜。とりあえず俺は一旦職員室に戻るから。何かあったら電話くれ。雪ノ下は俺の番号知ってるだろ?」
「え、ええ」
昨日、顧問と連絡はとれるようにと番号を受け取っておいたのだ。早速使うかもしれなくなるとは。
*
「で、早速呼び出されたわけだが・・・どうした?」
私は家庭科室に比企谷先生を呼び出した。やはり早速使ってしまったわね。
「これは一体なんだ?」
そう言いながら比企谷先生は『あるもの』を手に取る。
「それは由比ヶ浜さんが作ったクッキーよ」
「炭じゃねぇかよ」
黒々としていて、原型を留めていないそれは確かにクッキーと呼べるものではなかった。
「まぁいい、それで雪ノ下。今回の依頼内容は?」
「お世話になった男性が居るらしく、クッキーを渡したいそうよ」
それが由比ヶ浜さんの依頼だった。
「それでクッキー作りというわけか」
「ええ」
今は依頼完遂のため、由比ヶ浜さんにクッキー作りを教えているところだ。しかし結果はご覧通りとなっており、何かいい方法はないかと先生を呼んだというわけだ。
「・・・雪ノ下、どうして美味しいクッキーにこだわる?」
「え?」
何を言われたか分からなかった、正確には『理解』できなかった。手作りクッキーを渡すのだから当然美味しい方がいいに決まっている。それなのにどうしてそんなことを訊くのか、それが理解できなかった。
「お前は『目的』と『手段』を履き違えている。これが今回俺が教える魚の居場所だ。後は自分で考えろ、教師ができるのはここまでだ」
じゃあな、と言うと先生は職員室に帰ってしまった。