やはり私の先生は間違っているようで間違っていない。   作:黒霧Rose

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28話 そして初代と恩師は

*八幡side

 

 

いつも一人だった。独りであった。

 

それを悪くないと思っていたし、間違っていないとも思っていた。

 

 

 

いつからか、他人と一緒に居ることが怖くなった。

 

他人が怖い、他人との関係が怖い、そして・・・自分自身が一番怖かった。

 

人を真っ直ぐに信頼できず、人に期待しては失望し、勝手に裏切られたかのような気持ちになる。そんな自分が堪らなく怖かった。

 

 

また誰かに傷付けられるのか、それとも、今度は自分自身が他人を傷付けてしまうのか。そんな思考の渦にハマり、俺は独りでいることを望み、受け入れた。

 

 

 

だが、あの人はそれを許してはくれなかった。

 

俺の恩師、平塚先生はそれを許してはくれなかった。

 

『奉仕部』という部活に案内され、俺はそこで高校生活の大半を過ごした。

 

一言で言うのなら、『悪くはなかった』

 

しかし、良いものとも言えない。

 

 

結局、俺は俺が分からなくなるだけだった。

 

 

 

 

 

『八幡先輩』

 

 

 

 

そう呼ぶ、アホな後輩の声が聞こえた。

 

 

 

 

 

『比企谷先生』

 

 

 

 

 

そう呼ぶ、アホな生徒の声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

その2人は、姉妹だ。後輩の姉と、生徒の妹。優秀で、多才で、どこまでも真っ直ぐである姉妹。そんな2人が自分のことを慕ってくれる。先輩として、教師として、俺を慕っていてくれる。

 

 

 

誇らしく、自分の自慢だ。

 

 

 

 

けれど、だからこそまたあの恐怖心が出てくる、湧き出てくる。

 

 

 

 

俺はあの2人を傷つけてしまうのではないのか、もう傷つけているのではないか。そう思えば思うほど、俺は分からなくなっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『比企谷』

 

 

 

 

 

 

 

今度は恩師の声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

「比企谷」

 

 

 

 

 

 

 

 

また、聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「比企谷」

 

 

 

 

 

 

目の前には、一人の女性が居た。

 

 

 

 

 

 

黒い長髪、女性として優れすぎているほどのスタイル、トレンチコートをスーツの上から羽織、タバコの匂いを纏った女性。

 

 

 

 

 

 

「ここに居ると思ったよ、比企谷」

 

 

 

 

 

恩師、平塚静がそこに居た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはり、ここだったか」

 

総武高校、特別棟の最上階にある教室。そう、奉仕部の部室に俺たちは居る。

 

「平塚先生、こんな時間にどうかしたんですか?」

 

時刻はとっくに午後9時を過ぎている。

 

「君がここに居ると思ってな」

 

「なら、大当たりですね」

 

「そのようだな」

 

少し微笑んでいる平塚先生。月に照らされているその姿は、まるで別の世界の住人と思うほどに綺麗だった。

 

「なぁ、比企谷」

 

その微笑みのまま、俺の名前を呼ぶ。

 

「なんですか?」

 

その呼び方で分かってしまう。その表情で、その雰囲気で、その声音で、分かってしまった。

 

 

 

今この人は、『平塚先生』なんだと。

 

 

 

「『本物』は見つかったか?」

 

 

その問いは、俺にとっての全てでもあった。俺の望みであり、願いであり、欲望。

 

 

それが、それこそが『本物』

 

 

「・・・分かりません。けれど、見つけられそうな、そんな気がするんです」

 

 

今、俺の中にある精一杯の答えを言う。拙い言葉だが、俺にはそれしかなかった。

 

 

 

「どんなものだと、感じたんだ?」

 

 

 

優しく、暖かい声音。こちらの答えを待っていてくれる、慈愛に満ちた声。

 

 

 

「感情で片付けられないものだと、思います。・・・いや、正確に言うなら感情で分かっていてもそれを言葉で片付けてはならないもの、俺はそう思いました」

 

 

 

 

だからだろうか。俺も、釣られて少しずつ優しい口調になっていく。今まであった心の冷たさが段々と無くっていくように。

 

 

 

 

「そうか・・・きっと、それで正しいのだろう。誰の近くにもあり、しかし誰もがそれに気付くわけではない。そして、仮に気付けたとしてもそれを真の意味で大切にできるものばかりでもない。自分には大き過ぎるから、自分の身には余ってしまうから、自分には相応しくないから、自分だと・・・理解できなかったから。そんな理由で手放してしまうものでもある。だからこそ、求めてしまう。そんな自分は、嫌だから」

 

 

 

「・・・そんな自分を好きになりたいと、思うから」

 

 

 

平塚先生の言葉に、俺は続けるように呟く。逃げるための理由を考えて、逃げるための道を探す。それが俺の知っている『比企谷八幡』だった。そんな自分が、たまらなく嫌いだ。自らの感情には正直でいられず、必ず誤魔化していた、必死で言い聞かせていた。

 

 

 

 

 

けれど、心のどこかで自分のことを好きになりたいと思っていることに気付いた。

 

 

 

 

 

「誰しもが抱える苦悩だ。私も、君と同じように『本物』を求めた時期があった」

 

 

 

 

 

 

その言葉に、俺は耳を疑った。平塚先生が、俺と同じものを?

 

 

 

 

 

「欲しかったんだ、何にも劣らない『かけがえのないもの』が。そんなありきたりなものを、本気で求めたんだ」

 

 

 

 

 

「・・・それは、見つかったんですか?」

 

 

 

 

 

平塚先生は、窓の外にある月を眺めながら口を開き、俺に答えを聞かせてくれた。

 

 

 

 

「ああ。分かったんだよ。私にとっての『かけがえのないもの』は紛れもない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『私自身』だったんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「平塚先生、自身?」

 

その答えを聞き返す。

 

「そう。私自身、それこそが私にとっての『かけがえのないもの』であり『本物』だった」

 

「理由を、聞いてもいいですか?」

 

その答えの理由が、俺は知りたかった。その答えに至った理由を、知りたいと思った。

 

「・・・それは、自分で探すものさ。私と君の『本物』は違うのだから。私の理由は私だけのものだ。そして同時に、君の理由も君だけのものだ」

 

実に彼女らしい言葉だった。俺が高校生の頃からこの人は明確な答えをくれなかった。代わりに、答えよりも大切なヒントをくれる。とても大切なことを、沢山教えてくれた。

 

 

「ここで過ごした時間は君にとっての『かけがえのないもの』になれたか?」

 

 

答えなど決まっている。言うまでもないし、今更言葉にする必要も無いほどに、決まりきっている。

 

 

「ええ。もちろんです」

 

 

けれど、言葉にする。文字に起こす。それも『ここ』で教わったことだ。言葉にしても伝わらないこともあるし、伝えきれないこともある。

 

でも、それでも、それを分かっていたとしても・・・

 

 

 

 

言葉にしなければ伝わらない。伝わらないとしても、伝えきれないとしても、言葉にしなければいけない。そうやって想いを、自らを言葉にしなければ何も伝わらない。

 

 

 

 

そうでなくては、『本物』と呼べないから。

 

 

 

 

 

「それは、よかった。本当に、よかったよ」

 

 

 

 

 

 

平塚先生の瞳から、一筋の涙が零れていく。生涯において、この人の涙を見る日が来るとは思っていなかった。

 

 

 

それが今は、こうして現実のものとなった。アホ後輩から聞いたことがある。この人の涙は、今まで見てきたどんなものよりも綺麗で、美しかったと。

 

 

 

「比企谷・・・君さえよければいつでも戻ってきて」

 

 

 

「駄目ですよ、先生。それ以上は、駄目です。約束、ですから。アイツと、アイツのための・・・『依頼』ですから」

 

 

 

 

俺は『ここ』を出る。そうして、今までの俺との別れをする。

 

 

 

「最後に『ここ』で話せたのが、平塚先生・・・あなたで本当によかったです。あり、がとう・・・ござ、い、ました」

 

 

 

 

「比企谷・・・お前、『それ』」

 

 

 

 

久しく溢れたのは、涙だった。もう流れないものだとばかり思っていたのに、俺の瞳からは涙が流れていた。

 

 

 

 

 

「すみません・・・最後の最後にこんなのを見せてしまって」

 

 

 

 

拭いながらそう言うが、涙は止まることがなかった。止めることが、できなかった。

 

 

 

 

「いいよ。それで、いいんだよ。私には、とても嬉しいものなんだよ」

 

 

 

「ひら、つか、せんせい・・・本当に、ありがとう、ございました」

 

 

 

 

「・・・教師をやっていて、本当によかったよ」

 

 

 

 

頭を撫でられていた。それを振り払おうともせず、俺はただ、撫でられていた。

 

 

 

 

「俺も、先生の生徒で・・・よかっ、た、です」

 

 

 

 

 

 

かつて、優しさを嘘と言った男が居た。

 

 

 

かつて、人の優しさを信じきれなかった男が居た。

 

 

 

 

だが、今その男は、人の優しさに触れた。『本物』の優しさに、触れた。

 

 

 

 

だから、彼はもう優しさを嘘とは思わない。

 

 

 

だから、彼はもう人の優しさを信じきれないわけではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここにあるこの『優しさ』が、偽物で紛い物なわけがない。欺瞞であるはずがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きっとこれは『かけがえのないもの』なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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