白銀のヘカトンケイル   作:北十五条東一丁目

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第16話

「で? どうして俺たちが駆り出されるんだ?」

「お暇なのでしょう?」

「別に暇じゃないって。俺たちにも、ちゃんと騎士団の任務が――」

 

 マキアスが愚痴をこぼしている。それを放置してアルフェは言った。

 

「ローラさんは、再びお師匠様と買い物に出る約束をしたそうです。その約束の日が、まさに今日です」

「なるほど……、その現場を押さえて、商会との交渉の材料にしようというわけだね?」

「テオドール……。なんでノってるんだ、お前は」

 

 市場近くの狭い路地裏で三人は顔を寄せ合い、ひそひそと話をしている。

 アルフェはその日、お茶を飲みに訪ねてきた暇な騎士二人を動員し、作戦の説明をしていた。その作戦とは、概ねテオドールが述べた通りである。

 

「お師匠様のような人と付き合いがあることが世間に知られれば、ローラさんは困るに違いありません。特に、お父上である商会長には絶対に知られたくないでしょう」

「お前はどうして、そんなに自分の師匠に辛辣なんだよ……」

 

 マキアスが片手で頭を押さえる。テオドールは確認するように言った。

 

「アルフェさんの師匠とは、この間、魔獣を倒して私たちを救ってくれた人物だね? 一度、きちんとお礼を言わなければと思っていたんだ」

「――ああ、そうだったな。あの、変なマントを羽織ってた変態か。一応は、俺にとっても命の恩人ってことになるんだな」

「変態とは失礼でしょう。人のお師匠様を、悪く言わないでください」

「どっちなんだよ……」

 

 ともかく、と言ってアルフェは続ける。

 

「お師匠様とローラさんは、あそこのお店に現れるはずです。ここで見張りましょう」

 

 アルフェは既に、コンラッドからローラと行くはずの店の名前を聞き出していた。さらにその名を冒険者組合で調べたところ、その店はベルダンの市場でも知られた、女性服を扱う専門店だという。

 待ち合わせ場所は店の近く。ここからでも見える広場の噴水だ。

 

「お前、なんだかんだ野次馬したいだけなんじゃないのか?」

「静かにしてください」

 

 それから待つことしばらく、ローラが待ち合わせ場所に現れた。

 商会長の娘という身分を考えると、馬車で移動するのが普通だろうが、彼女は徒歩だった。待ち合わせの時間にはまだかなり早い。落ち着かなそうに、ローラは噴水の前でそわそわしている。

 

「……なぜ、女性が先に現れるんだ? こういうときは、何があっても男が先に来るべきだろうに」

 

 その様子を見て、テオドールが理解しかねるとつぶやいた。彼は珍しく怖い顔で憤慨している。

 

「徹夜をしてでも、紳士は淑女を待たせるべきではないっ……!」

「テ、テオドールさん、どうしたのですか」

「気にすんな。こいつの癖だ」

 

 さらに待つこと数十分。ようやくコンラッドが現れた。彼が現れたのを見ると、ローラは一度ぱっと顔を明るくしてから、すまし顔になってコンラッドを迎えた。コンラッドの方は、いつものごとくの仏頂面だ。

 

「やあ、待たせたかな。――いえ、全然、私も今来たところなの」

「何言ってるんです」

 

 自分の頭の上で下手な声真似をしているマキアスに、アルフェが突っ込む。

 

「それっぽいだろ? そんな感じじゃないか」

「そうですか……?」

 

 コンラッドはローラに先導される形で、渋々と言った表情で歩いて行く。

 

 ――ふぅ、それにしても、普通の服を着てきてくださったのですね……。

 

 コンラッドの格好を見たアルフェは、心の中で安堵していた。

 先日のコンラッドは、道場で使っている稽古着を着て、今日の買い物に臨むと言い張っていたのだ。しかし、今日彼が着ているものは、見るべきところは無いまでも、どうにか普通の服装と言えた。

 普通の服さえ着ていれば、上背もあり、筋肉でがっしりしているコンラッドだ。少なくとも、みっともないということはない。

 

「しかしあの髭はいただけないな」

 

 だが、アルフェの考えを読んだように、テオドールがコンラッドの装いについて厳しい評価を下した。身なりと淑女の扱いに気を遣う彼にとって、コンラッドの散らかった無精ひげもまた、許すことのできないポイントなのだろう。

 

「私もさんざん、剃るように勧めたのですが……」

 

 ――俺は、自分が髭を剃った顔が嫌いなのだ。

 

 そう強情に主張するコンラッドを、アルフェが説き伏せることはできなかった。

 

「せめて、整えなくてはダメだよ。あれでは山賊にしか見えない」

「そうですね……」

「お前ら、仲いいな」

 

 しかし、当のローラは、コンラッドの格好のことはそれほど気にしていないようだ。彼女は遅れるコンラッドを振り返り、こぼれるような笑顔で何かを話しかけている。

 

「レディに腕を貸すくらいのことが、どうしてできないんだ。基本だろう」

「す、すみません。うちのお師匠様が……」

 

 堅く拳を握り締めてテオドールが憤り。どうしてかアルフェが謝っている。そうこうしているうちに、コンラッドとローラは目的の店にたどり着いた。

 

「なんてことだ! 女性に店の扉を開かせるなんて!」

「――本当にすみません!」

 

 信じられないといった表情で叫ぶテオドールと、顔を覆って謝るアルフェ。それを見て、マキアスが口を開いた。

 

「なあ、俺もう帰っていいか?」

 

 

 アルフェたちが外で様子をうかがっていると、しばらくしてから二人が出てきた。コンラッドの両手には、ローラの戦利品と思しき荷物が乗っている。最初の店から出た後もローラは市場の出店を見て回り、たまに何かを購入してはコンラッドの両手に積み上げていった。

 

「楽しそうですね……」

 

 相変わらず仏頂面のコンラッドとは対照的に、ローラは常に明るい笑顔で、見るからにうきうきと市場を回っている。

 仏頂面と言ったが、コンラッドも本気では嫌がっていない。アルフェにはその事が分かった。

 

「どうしたんだい?」

「いえ……」

 

 二人を見ていると、アルフェは自分の知らないお師匠様の姿を見せつけられているようで、少し複雑な気持ちになった。

 先ほどマキアスがアルフェに指摘した通りだ。アルフェが今日ここに来たのは、商会とのコネを得るためというのは口実である。ただ純粋に、ローラとコンラッドが二人で何を見て、何を話すのか、それに興味があっただけだ。

 

「……」

 

 あそこにいる師は、道場で自分と向かい合っている時とは、また別の人の様に見えた。その事が、アルフェには何だか気に入らない。

 

「どうしたんだ? こいつ」

「さあ?」

 

 今まで、彼女にしてははしゃいでいたアルフェが、急に大人しくなったのを見て、テオドールとマキアスは顔を見合わせた。

 ローラたちは一通りの店を回った後、さらに市場の奥に向かって歩き出した。

 

「あっ」

 

 アルフェが声を上げる。このまま向こうに行けば、自分たちが今いる場所からは、二人の姿は見えなくなってしまう。

 

「追いましょう!」

「ああ」

「了解、了解」

 

 路地裏から出て、三人はローラたちの後を追った。

 ベルダンの市街でも、市場は最もにぎわっている所だ。彼ら以外にも、今日も沢山の人間であふれかえっていた。

 少女の後について、二人の騎士が並んで歩く。アルフェはただの町娘姿で、マキアスとテオドールも目立たない平服を着ていたが、それでもすれ違う人々は、たまに一行を振り返って見た。

 

「テオドールさん、目立たないでください」

「そ、そんなことを言われても……」

 

 特に、ほとんどの若い娘が頬を染めて振り返るのは、アルフェの後ろを歩く金髪碧眼の美青年が振りまく、やたらにきらきらとした雰囲気が原因だろう。

 アルフェに無理難題を言われたテオドールは、困り果てた表情をした。

 

「そうだぞテオドール。もうちょっと地味になれ。潜入任務の時、困るだろうが。……ああ、女の子を口説く任務の時は、役立つかもな」

「馬鹿を言うなよ、マキアス」

 

 そう言ってからかうマキアスも、険はあるが男らしい精悍な顔をしている。実際のところ、振り返る娘たちの何割かは、彼の方に興味を示していた。

 

「お師匠様は達人です。不用意に後をつければ、気付かれるかもしれません」

「しかし、私たちは尾行術など習得していないからなぁ」

「訓練所でも、そんなもんは習わなかったしな」

「簡単です。こうするんです」

「こう、とは?」

 

 テオドールが首をかしげた。そう言えばすれ違う人々は、アルフェには全く注意を向けていない。まるで二人の青年以外は、他に誰もいないかのように。この少女も客観的に言って、かなり目立つ存在のはずなのにだ。

 

「こうです」

「――ん? ――え?」

 

 立ち止まり振り返ったアルフェが、軽く両手を拡げる。するとテオドールは、アルフェの姿が急に希薄になったような錯覚を覚えた。目の前にいるはずなのに、視点が彼女に定まらない。下手をすると、見失ってしまいそうになる。

 

「な、なんだ!? どうなってんだ!?」

 

 マキアスが驚きの声を漏らす。周囲の人々は、そんな彼を不審な表情で見つめた。

 

「穏行です。体内の魔力の循環を抑え、体外に発散される魔力を限りなく無にすることで、気配を遮断することができるんです」

「え、どっから喋ってるんだ? お前」

 

 アルフェが技の精度を上げると、マキアスたちにも彼女の姿が認識できなくなった。まるで、何もない中空から少女の声が響いてくるように聞こえる。

 流石にこれでは不便なので、アルフェは技の精度を弱めた。

 

「あ、いる。……いや、いたな、ずっとそこに。見えなかっただけで。つーか怖ぇよ」

「さすがはアルフェさんだ」

「お前、真面目に言ってんのか? テオドール」

「さあ、お二人も」

「『さあ』って、そんな当たり前みたいに言うなよ。できないから。……お前、犯罪とかに使うなよ、それ」

「使いません。第一、素早く動こうとすると気配が発散されるので、技が無効になってしまうのです」

「本当に分かってんのか? とにかく、俺たちは人間だから、適当に離れて尾行するぞ」

 

 それからも三人は追跡を続けた。

 歩きながらも、ローラとコンラッドは様々な店の前でしきりに立ち止まっている。装飾品を扱う店などはともかく、食器を扱う店、野菜を扱う店の前でローラが足を止めるのは、本当にそれが欲しいからではなく、ただ色々なものを見て回るのが楽しいのだろう。

 

「なあ、俺たちも何か食べないか?」

 

 ローラが揚げたパンのような菓子を買うのを見て、マキアスがそう言った。確かにずっと後をつけてばかりで、アルフェも空腹だった。

 

「そうだな、それもいいな。アルフェさん。何か食べたいものはありますか?」

「いえ、そうしている間に見失っては困ります」

「御馳走しますよ。奢らせてもらいます」

「そうですね。では、何か甘いものを食べましょう」

 

 ローラが買った揚げパンは、蜜がたっぷりかかっていて美味しそうだ。あれを見ていると、自分も甘いものが食べたくなった。

 

「あれ食おう、あれ。美味いんだ、あれが」

「マキアスさん、この市場に詳しいんですか?」

 

 マキアスが指したのは、何かの果実を加工した焼き菓子だった。彼によると、これはこの地方の郷土料理らしい。

 

「ああ、この辺りの屋台は大体見て回ったね」

「お前、任務中にそんなことを……」

「固いことを言うなよ、これも任務のうちさ。――あ、オバちゃん、これ三つ下さい」

 

 屋台の主人は笑顔で応じ、食べやすいように木の串に刺した菓子を三本、マキアスに差し出した。マキアスはそれを片手で器用に受け取り、もう片方の手で代金を支払った。

 

「ほら」

「ありがとうございます。……本当です。甘酸っぱくて、すごく美味しいですね」

「うん、美味い。いい店を知ってるじゃないか」

「だろ?」

 

 得意げな顔をするマキアス。ちょうど尾行対象は、通りに設置されたベンチで休憩することにしたようだ。アルフェたちも適当な目立たない場所で、立ち止まって焼き菓子を頬張った。

 

「……そう言えば、先ほど任務と仰いましたが、お二人はこの町で何をなさっているんですか?」

 

 ローラとコンラッドは、会話に花を咲かせている。もっとも、一方的にローラが話しかけて、コンラッドは相槌を打っているだけのようだが。

 尾行対象に動きが無いので、アルフェはそんなことを聞いてみた。そう言えば、彼女から彼らについて、何かを聞くのは初めてだ。

 

「――あ、秘密の任務なのでしたね。すみません、変なことをお聞きしました」

 

 だが、いつかテオドールがそう言っていたのを思い出したアルフェは、即座に質問を撤回した。

 

「ん? ああ……、いいさ。大した秘密じゃない。俺たちはただ、この町について調査してるだけさ」

「おい、マキアス……」

「別にいいじゃないか。こいつになら、話しても妙な事にはならんだろ」

 

 それはそうだが、と言いいつつも渋い顔をするテオドールをよそに、マキアスが説明を続ける。

 

「一年くらい前、南のラトリア大公領が、ドニエステ王国に侵攻されただろ」

 

 ――それは。

 

 突然、懐かしい名前を耳にして、アルフェの全身が硬直した。だがそれは一瞬の事で、彼女はすぐにいつもの表情に戻った。

 

「……ああ、そんなことがありましたね」

「でかい事件だったからな。当然お前も知ってるか。でな、このベルダンは、帝国直属都市の中でも、大公領にかなり近い。侵攻の影響がないかどうか、調べて回ってるんだ」

「ここは帝都と大公領を繋ぐ交易路の上にあるからね。経済的にも重要な場所だ」

 

 一応はマキアスを諫めたが、テオドールも話して差し支えないと判断したのだろう。説明を補足した。

 隣国――ドニエステ王国による突然の侵攻は、ラトリア大公領を占領したことで止まったが、再び進軍を開始する危険がないか、帝国内の各領が注視している。

 テオドールたちと同じように、様々な思惑の元、各領からこの地域に人が送り込まれているという。

 

「……帝国に、大公領を奪還するつもりは……」

「それは分からないな。まあ、しばらくは静観ってところじゃないか? 色々、ごたごたがあるんだろ、上の方で。な?」

「……難しい国、だからね。ここは」

「お前が言うと重みがあるな。テオドール」

 

 意味深な言葉を交わす騎士二人の前で、アルフェは沈鬱な表情で何かを考えている。

 

「……」

「アルフェさん?」

「……いえ、何も。行きましょう。二人が動き始めました」

 

 ローラとコンラッドが立ち上がり、移動を始めた。三人はまた、それを追って人混みの中を歩きだした。

 

 

「ここより先には、あまり店は無いけれど、どこに向かっているのかな?」

「さあなあ。デートなんだから、適当に人気のないところに行こうってんじゃないのか?」

「デート……。やはりこれは、逢引きなのですね」

「それ以外の何なんだよ」

「実物を、初めて見たので」

「ふーん」

 

 そう言って気の無い風を装いながら、マキアスは少し安心していた。

 今日のアルフェはどこかおかしい。いや、いつも変な娘ではあるが。それでも今日は、妙にはしゃいだり、急に大人しくなったり、浮き沈みが大きい。特にさっきは、この娘の表情に、確かに暗い影が走った。――そうだ、確か王国と大公領の話をしている時だ。

 何事かと思ったが、どうやら今は元通りになったようだ。

 

「ああ、そうか、この先は彼女の家だよ」

 

 はたと思い出したように、テオドールが言った。その言葉でマキアスも気が付く。この通りは、前に調査で来たことがある。

 

「え?」

「ハルコム女史の家さ、確かこの先にあるはずだよ」

「よくご存じですね。――と言うより、テオドールさんはローラさんのことをご存じだったのですか?」

「実はそうなんだ」

「この町を調べるのが目的だって言ったじゃないか。一通りの有力者とは顔合わせしているさ」

 

 マキアスたちの言葉を聞いて、アルフェは少し拍子抜けした様子だった。

 

「教えて下さればよかったのに」

「教える前に、お前が俺たちを引っ張ってきたんだろうが」

 

 むくれた表情をするアルフェに、マキアスは苦笑いした。初めて会った時よりも、ずっと彼女の表情は豊かになっている。十四か十五だったか。こうするとこの娘も年相応に見える。

 歩いているうち、マキアスには、ここからローラ・ハルコムの屋敷までの道もはっきりと思い出せた。確かにアルフェの師匠とローラの二人は、そこに向かって歩いている。

 

「そろそろデートは終了ってとこかな」

 

 あの歳の女が家まで男を連れてきたとなれば、じゃあ次は家の中で――となるのが普通だが、マキアスはそれをアルフェに言ってはいけない気がした。

 それにアルフェではないが、商会長の娘がよく分からん筋肉男をいきなり家に上げることはあるまい。

 

「満足したか? アルフェ」

「……はい」

「結局、何がしたかったんだ、お前は」

 

 そしてしばらく歩くと、尾行対象の二人はあっさり目的地にたどり着いた。ローラ・ハルコムの屋敷は、実父であるベルダンの商会長の屋敷とは別に構えられている。女史の意向で規模は抑えられているそうだが、それでも十分に立派な建物だった。下手をすれば、マキアスの実家よりもである。

 

 アルフェの師匠は、やはり屋敷の中に上がり込むなどということもなく、出てきた使用人に荷物を渡して解放された。三人がかりでも、使用人が一度に荷物を持ち切れなかったところを見ると、あの師匠の荷物持ちの技術は大したものだ。

 

「じゃあ、今日はこれで解散するとしようか」

 

 アルフェの師匠が去ったのを見届けてから、テオドールが言った。

 変なことに付き合わされたが、これでアルフェも気が済んだだろう。それに、まあそこそこに自分たちも楽しかったのではないだろうか。そう思ってマキアスも口を開いた。

 

「そうだな……、俺たちも結局、買い食いしただけだったな。――ん? どうした。帰らないのか?」

 

 マキアスとテオドールが踵を巡らせたのに、アルフェはじっと屋敷の方を見つめている。

 

「あの、今日はありがとうございました。……私はまだ用があるので、ここで失礼させていただきます」

 

 何かを決めたようにマキアスたちの方を向くと、アルフェはそう言って一礼した。

 

「まったく……、あいつは何をするつもりなんだ」

 

 アルフェをハルコム邸の前に置いて、マキアスとテオドールは、彼らが滞留している宿への道を歩いていた。

 

「……」

「まさかハルコムの屋敷に乗り込んで、直接師匠との関係を問いただすつもりじゃないだろうな」

 

 あの娘ならばやらかしかねない。自分で言っておきながら、マキアスは心配になって今来た道を振り向いた。

 

「……でも、あいつもこんな事に興味を持つんだな。色恋とかそんなもんには、関心が無い娘だと思ってたよ」

「……」

「――まさか、ハルコムに嫉妬してるとか? いや、まさか」

 

 しかし、そのまさかが有りそうな気がして、マキアスはまた振り向いた。

 

「あいつはああいうのが好みなのか……? ……おい、何だよ。俺ばっかりに喋らせるなよ。どうしたテオドール」

「ん? ああ、すまない。そうだな、うん。アルフェさんの師匠への思いは、恋愛感情とか、そういうものではない気がするよ」

「……それで悩んでたのか?」

 

 いや、と言ってテオドールが続ける。その顔つきはやけに厳しい。

 

「アルフェさんの師匠の顔を見て、少し気になったんだ」

「顔? 俺はあの髭しか気にならなかったが。お前だってそう言ってたろ」

「マキアス。彼は……、誰かに似ていると思わないか?」

「……誰かに、だと? 別に誰も……、ん?」

 

 自分にはあのような変態的人物と似た知り合いはいない。そう言おうと思ったが、何かが記憶のどこかに引っかかった。

 テオドールが指摘した通り、あの男はマキアスの知っている誰かに似ている。それもかなり、彼らの身近な人物だ。

 

「髪も体型もそっくりだ。顔はよく分からなかったけれど……、髭を剃れば、多分」

 

 あれほどの長身の人間は、あまりいない。

 

「魔獣から助けてもらった時、あの時も彼の声を聴いて、そう思ったんだが――」

 

 そこまで言われて、マキアスにもテオドールが考えている人物に思い当たった。

 

「そうか――。あれは」

「そう、あの人は、団長にすごく似ているんだ」

 

 

 二人の騎士と別れてからも、アルフェはローラの屋敷前の通りに立っていた。

 彼女がしようとしていることは、マキアスが予想したこととそう変わらない。アルフェは正面から、ローラの屋敷を訪ねようとしている。

 

 彼女はただ何となく、ローラと、お師匠様について話をしてみたかったのだ。

 そうは思ったが、しかし中々踏ん切りがつかない。なので彼女は、まだこうやって立ちすくんだままなのである。

 

 ――よし。

 

 だが、いつまでもここに立っている訳にもいかない。腹をくくったアルフェは、屋敷の門をくぐった。

 

「あの、すみません、ご主人は御在宅ですか?」

 

 立派な扉の前に立つと、アルフェはノックをし、出てきた使用人に案内を乞う。約束の無い突然の訪問だ。追い返されても仕方あるまい。そう思っていたのだが、意外にもすんなり奥に通された。

 アルフェはそのまま使用人に導かれて、ローラがいるという部屋の前まで来た。

 

「お入り下さい」

 

 中から女主人の声が響く。良く通る、明るい声だ。

 

「失礼します」

 

 アルフェは部屋の中に足を踏み入れた。本棚のある立派な書斎である。壁にはベルダンの市街図らしき絵が貼られていた。

 この部屋からはあまり女性的な印象を受けない。どちらかと言えば男性的な、熱心に商売に打ち込む商人の部屋、という感じだ。

 

「あなた、アルフェちゃんね?」

 

 入るなり、立って迎えた女主人はそう言った。入り口で、アルフェは自分がコンラッドの関係者であるとは伝えたが、自身の名前は名乗らなかった。

 

「は、はい。……あの、どうして」

「前に一度、会ったでしょう? あの人の家で」

「あ――、そうですね」

 

 アルフェの頭に、平伏してローラに許しを請うコンラッドと、アルフェに微笑みかけて道場を出て行くローラの姿が思い出された。

 

「――それに、あの人が話していたから」

「え?」

「自慢のお弟子さんの話を。……そればっかり」

 

 ローラはいたずらっぽく笑うと書斎のソファに腰掛けて、アルフェにも腰を下ろすように勧めた。

 

「だから一度、貴方と二人でお話してみたかったの」

「私とですか?」

 

 ローラはコンラッドと出かけていた時とは別の服を着ている。室内用の簡素なドレスだ。

 

「あの人が、自分以外の人の話をするのは、初めてだったから」

 

 そう言って、ローラは意味あり気な眼をした。

 アルフェは、ローラが口にした「あの人」という言葉の中に、自分よりも長い間、二人が築いてきた関係が見えるような気がして、良く分からない気持ちに襲われた。

 

「大家さん、ハルコムさんは――」

「ローラでいいわ。座って」

 

 もう一度勧められて、アルフェは腰を下ろした。使用人が入ってきて、茶と菓子を置いていく。

 

「……ローラさんは、いつからお師匠様とお知り合いなんですか?」

「いつからだったかしら……。そんなことを聞きたいの?」

「……はい。お願いします」

「……そうね、たまには、昔話もいいかもね」

 

 少し目を閉じてから、ローラが再び口を開いた。

 

「あの人がこの町にやって来た時の話でもしましょうか」

 

 ローラの口から、少し昔の出来事が語られ始める。アルフェは耳を澄ませて、その話に聞き入った。

 

「私がまだ、貴方と似たような歳のころね」

 

 ローラがまだ十三歳だったころ、コンラッドはベルダンに現れた。その頃のコンラッドは、ひどく粗暴な男だったという。

 

「今もあまり、変わっていない気がしますが」

「ふふふ、そうかもね。……でも、あれでもあの人は、すごく変わったのよ?」

 

 薄汚れた革鎧に、ボロボロのマント。それを身に着けた若い冒険者風の男が、ある日ベルダンの市門をくぐった。それがコンラッドだ。

 

「お師匠様は、冒険者があまり好きではないと……」

「……そう。そう言っていたのね」

 

 冒険者風の男と言ったが、実際、彼はこの町に来た当初、冒険者の真似事をして生計を立てていた。いや、怪しげな商家の用心棒をしたり、喧嘩の助っ人のようなことまでしていたのだから、冒険者よりもならず者と言った方が適切かもしれない。

 

 そしてその頃から既に、コンラッドは今のでたらめな強さを持っていたのだそうだ。

 

「……詳しいのですね」

「私の父のところに、苦情があったの。どうしても手の付けられない乱暴者がいるって」

 

 その頃のコンラッドは、何かひどい鬱屈を抱えていた。そのためか、彼は怪しい仕事に積極的に手を出して、わずかな日銭を稼いでは、酒場で酔いつぶれる毎日を送っていた。暴力沙汰も日常茶飯事だったという。

 そんなある日、因縁をつけたチンピラを半死半生の目に合わせた上、酒場で暴れ続けている男がいると、市議会議長を務める商会長、すなわちローラの父親に報告が行った。

 

 その時初めて、彼女は彼の存在を知ったのだ。

 

「驚いたわ。熊みたいな男が暴れているんですもの」

「ご自分で、見に行かれたんですか?」

「お転婆だったのよ」

 

 そう言って、ローラはまたいたずらな顔で微笑んだ。

 

「それで、どうなさったんですか?」

「ぶん殴ってやったわ。こうやって」

 

 ローラが拳を突き出すしぐさを見せる。アルフェから見ても、明らかに遅い突きだ。

 

 ――どうしてお師匠様は、その遅い拳をかわせなかったのだろうか。

 

 酒場にいたチンピラを、一人で全て叩き伏せた大男が、年若い少女に殴られた。その時のコンラッドは、いったいどういう表情をしたのだろうか。アルフェには想像できなかった。

 

「それから色々あって……、彼が今住んでいる家を貸したの。……あんな風に改造されるとは、思ってなかったけど」

「『色々』……ですか?」

「そうよ、色々。それは恥ずかしいから、また今度。でもね、今の彼はその時より……、ずっと穏やかになったわ」

「……」

「初めて会ったときは、怖かったんだから」

 

 この町に来た当初のコンラッドは、ひどく荒んだ目をしていたという。まるで、この世界の何もかもが気に入らないという風に。

 今のアルフェのお師匠様は、ガサツだが凶暴ではない。ローラが言う様に、彼がこうなるまでに、きっと色々なことがあったのだろう。アルフェの知らない、様々なことが。

 

「私たちのことは、これくらいでいいでしょう?」

 

 ローラは照れくさそうにして、そこで話を区切った。

 

「次はあなたの話を聞かせて」

 

 そう言って興味深そうに、彼女は長いまつげの眼をアルフェに向けている。

 

「……私ですか? 私はお師匠様の弟子で……、冒険者をしています」

「そうね、あの人に聞いたわ。でも、どうして冒険者に? その前はどこにいたの?」

「私も……『色々』あったので」

 

 アルフェはローラと同じ言葉ではぐらかした。しかし言ってから、何だか子供っぽいやり方だったかと後悔した。しかしローラは、そんなアルフェの反応を受け流して、話を続けた。

 

「じゃあ、どうしてあの人の弟子になったの?」

「……お師匠様はすごい人です。……私を、助けてくれました。お師匠様の流派の素晴らしさを知れば、きっとみんな弟子になります」

「ふうん。――もしかしたら、すごいのは貴方なのかもね。私も昔、あの人に教えてもらったことがあるけど、あの人の言っていることは、全然できなかったわ」

「――そうなのですか?」

 

 その事を聞いて、アルフェの中に少しだけ優越感が芽生えた。

 

「あの人は、昔よりずっと穏やかになったけど……、それでもずっと、寂しそうだった。でも今は、楽しそうに見えるわ」

「……それは、どうして?」

「多分、貴方がいるからね」

「――っ」

 

 ――そうなのだろうか。そう思って、いいのだろうか。

 

 自分は必要とされているのだろうか。お師匠様への恩を、少しでも返すことができているのだろうか。それならば、嬉しい。アルフェの胸の内が、何となく暖かくなる。

 なぜか顔を上げられなくなったアルフェを、ローラは微笑んで見ていた。

 

 

 アルフェとコンラッドに関する話題はそれで終わったが、それからもしばらく、二人は話をした。この町のこと、ローラの仕事や家族のこと。ローラの話し方は巧みで、あっという間に時間が過ぎた。

 窓から差し込む光が、鮮やかな紅に変わっていることに気付いて、アルフェは慌てた。突然訪ねて、ずいぶん長居をしてしまったようだ。

 

「すみません、急にお邪魔したのに、その上こんなに遅くまで。そろそろ失礼します」

「いいのよ。こんな話で良ければ、またしに来てちょうだい」

 

 玄関までアルフェを見送ってきたローラは、そうそうと言って付け加えた。

 

「――お師匠様にも、残りの返済を忘れないように伝えてね」

「は、はい。すみません、うちのお師匠様が……」

 

 ――まだ借金が残っていたのですね……。

 

 昔より優しくなったとは言っても、その辺りはまだまだのようだ。返事をしながら、アルフェは甲斐性のない師の事を思って身を小さくした。

 

「あ、そうだ。アルフェちゃん」

 

 暇を告げて、その場を去ろうとするアルフェに、さらについでの様にローラが声をかけた。

 

「はい、何でしょうか」

「貴方のお店の許可は、出しておくからね」

 

 意表を突いたローラの言葉に、アルフェは数瞬固まった。なぜ彼女が、そんなことまで知っているのだろうか。しかしすぐに、その理由に思い当たった。

 

「えっ、あっ。……お師匠様は、そんなことまで話したのですね」

「ええ、私は最初、貴方がそれをお願いしにきたのかと思っちゃった」

 

 そう言えばそうだ。いつの間にか、すっかり忘れていたが。

 

「あの人の弟子なら、問題ないわ。――あの人にもお願いされちゃったしね」

 

 そう言って、ローラは片目をつぶる。アルフェは素直に、彼女の厚意を受け取ることにした。

 

「ありがとうございます」

「それは私じゃなくって――」

「はい。お師匠様にも、そう言います」

「うん」

 

 最初思っていた形とは違った結末になったが、帰り道を歩くアルフェの胸は、何となく晴れやかだった。

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