白銀のヘカトンケイル   作:北十五条東一丁目

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第2話

 このベルダンの町は、市壁の北側を川が流れ、周辺に農地が広がっている。そして市壁の南側にはすぐそばに深い森があり、それは遙かにそびえる大山脈まで続いている。

 

 貴重な薬草の類は、その南の森で採れるらしい。市壁の北側では、ずっと昔にほとんど採りつくされてしまったそうだ。

 ではどうして、南の森には貴重な薬草がほとんど手つかずで残っているのか。その理由は単純だ。

 

 南の森はこの領邦の大結界の外にある。即ち、そこには魔物が出るのだ。

 

 魔物が跋扈(ばっこ)するこの世界において、人間が安穏と生活できるのは結界の中だけだ。この町はその結界のちょうど南端に位置しており、ここを南に一歩出れば、いつ魔物に襲われてもおかしくなかった。

 

 それでも南の太い街道には、等間隔に石の柱――魔物よけの入った簡易結界が設置されている。街道沿いに進めば滅多なことがない限り、魔物に襲われることはない。

 

 しかし、森の中は完全に結界の外だ。奥地に入り込まなければ、強力な魔物が出現する可能性は低い。とは言っても、そこは既に人間の領域ではない。だからこそ、南の森の中には薬草の群生地が豊富に存在している――というのは、アルフェが組合で受けた説明である。

 

 本来その森は、自衛の手段を持たない少女が間違っても一人で踏み入ってよい場所ではない。完全に無知ならばアルフェも自重したかもしれないが、なまじ城からの逃避生活で、森での経験があったことが、彼女を無謀にさせていた。

 

 ――クラウスと二人でここを抜けてきたときは、特に危険はなかったのだもの。少し行って戻ってくるだけなら、私一人でも……。

 

 この領邦の隣にある自領から、街道を使わずこの森を抜けて来たときには、魔物らしい魔物にも遭遇しなかった。森にいた数ヶ月の間、アルフェが不自由に感じたのは、粗末な食事と寝床だけだった。

 実際には、優秀な護衛の手によって危険は目に触れる前に排除されてきたからこそのその結果だったが、彼女には知る由も無い。

 

 街道を逸れ、がさりと落ち葉を踏みしめて、アルフェは森の中に入った。

 故郷の城の周囲にも森があった。それも彼女は外から眺めた経験しかなかったが、それでもこの森の雰囲気は明らかに彼女の知っている森と違う。

 

 ――すごい木の匂い……。

 

 あまりにも濃い緑の空気にむせ返りそうだ。ここに人間が足を踏み入れることは、ほとんど無いのだろう。そこは混沌とした生命力に満ち溢れ、自然に対する畏怖を感じさせる。

 振り返ればまだ木々の隙間からベルダンの市壁が見えるが、黙っていると妙に不安になるので、自然と独り言が多くなっていく。

 

「え~と、シムの花は森の中、日の差し込む場所に群生している……」

 

 目当ての薬草の特徴を口にしながら、彼女は初めての冒険を始めた。

 シムの花は、薬草と呼ばれるものの中でも最もありふれた品だ。効果は低いがそれ故に安価で、道具屋などにはたいてい並んでいるという。アルフェが冒険者組合で閲覧した薬草辞典の中でも、最も採集難度が低く設定されていた。

 

 森に入って三十分も歩いたころ、彼女は少し開けた草地に出た。そこだけぽっかりと木が生えておらず、上には青い空が覗いている。草地の中央には大きな倒木があり、その周囲には白い花が生えていた。

 

「これだわ!」

 

 たいした苦労も無く目当ての薬草を見つけ出したことに、少女は歓喜の声を上げた。

 

「カゴいっぱいに取ってくれば、銀貨二枚で買い取ってくれるということですし……、案外簡単でしたね!」

 

 彼女はうきうきとした気分で採取にかかった。慣れない作業だったが、これが自分の初めての稼ぎになるのだ。疲労すらも心地よく、アルフェは花を摘んでいった。

 

「薬になるのは花びらだけ……採り尽くさなければ、一月程度でまた採れる……」

 

 シムの花は下級の傷薬の材料になる。人里での需要は常に絶えない。

 

「これだけたくさんあるんだから、私が暮らしていく分は、簡単にお金を稼ぐことができるんじゃないかしら」

 

 先行きが全く見えなかった暮らしに目途が立ったことで、アルフェの想像は膨らんだ。

 

「そうしたら飢え死にする心配はないし、お腹いっぱい食べられるようになるかもしれないし――」

 

 そして夢中で採取すること一時間。花びらが籠一杯になり、そろそろ帰ろうかかと彼女が腰を浮かせた時だった。

 

「…………え?」

 

 彼女は異変に気がついた。

 木々の隙間から、何かがこちらの様子をうかがっている。

 

「……誰?」

 

 こんなところに人間がいるはずもないのに、アルフェはそう問いかけてしまった。その声を受けて、隠れていたものが彼女の方に飛び出してきた。

 

 ――魔物? ……ゴブリン!?

 

 見るのは初めてだが知識はある。かつて城で読んだ物語に絵姿が載っていた。小鬼とも呼ばれるありふれた魔物だ。

 

 ――私のことを狙っているの……?

 

 実際には地域や種類によって様々だが、一般的にゴブリンは最下級の魔物とされる。一対一で剣を持てば、訓練を受けていない平民でも対処はできるだろう。だがアルフェは今、まったくの丸腰だった。彼女はナイフの一本すら帯びていない。

 

 緊張に、アルフェの喉がごくりと鳴る。

 彼女は一瞬、魔物が自分のことを観察しているだけかもしれないと期待したが、ゴブリンの顔に浮かんだ表情を見て、すぐにその考えを改めた。

 

 にたりという醜悪な、喜色に満ちた笑み。目の前の怪物は完全に、自分のことを、ただの柔らかそうな肉として見ている。

 

「あ……」

 

 その笑みを目にして、アルフェは腰を落としたまま後ずさった。

 

 ――ど、どうしよう。助けを呼ばなきゃ! いえ、こんなところに人がいるはずなんて――!

 

 後悔が頭をよぎる。完全に甘く見ていた。

 先ほどまでの楽観的な想像が消し飛び、彼女は恐怖で叫び声をあげることもできない。それに、声を立てれば無用に目の前の怪物を刺激するかもしれない。少しでも距離をとらなければ。そう考えた彼女は、じりじりと後ずさりを続ける。

 

「……え?」

 

 すると、背中に何かが当たった。草地の中央にあった倒木だ。驚いてアルフェが後ろを確認した瞬間、ゴブリンが手斧を振り上げて少女に迫ってきた。奇声を発しながら、ゴブリンは見た目に反した速度でアルフェのすぐ側まで近づいた。

 

「――きゃあ!」

 

 アルフェはとっさに、唯一手に持っていた薬草籠をゴブリンめがけて投げつけた。ゴブリンの顔にカゴがぶつかり、白い花びらが舞い散る。

 しかしそれが功を奏した。面食らったゴブリンは手斧を背後の倒木に打ち込んでしまった。それは幹に深く食い込み、抜けなくなってしまったようだ。

 その足元に腰を抜かしたようになりながらも、アルフェは何とか這いだして立ち上がった。

 

 ――殺される! 嫌だ! 逃げなきゃ! 逃げなきゃ!!

 

 とにかくここを離れなければ。彼女は一心に足を動かす。森の地面は起伏が激しく、足が取られる。枝が肌をかすり、血がにじむ。

 少し走っただけで、心臓と肺が破裂しそうになった。それでも走らなければ、あの魔物に殺される。

 

 殺されたら食べられるのだろうか?

 殺される前に食べられるのだろうか?

 食べられるのは痛いのだろうか?

 もっとひどいことをされてしまうのだろうか?

 

 走るアルフェの脳裏に浮かんだのはゴブリンの姿ではない。――城を出るとき、自分に覆いかかって死んでいた、あの青年の顔。

 

 どこをどう走ったのかわからない。ゴブリンが追いかけてきているかどうか、アルフェには振り返って見る余裕すらなかった。

 ただ気がつくと森を抜け、彼女は街道沿いに出てきていた。しかし街道に出てからも足を止められず、さらにもうしばらく走って、彼女はようやく足を止めた。

 

「はぁッ、はぁッ、はぁッ――」

 

 止めたというよりは止まってしまった。もうこれ以上走ることはできない。アルフェは倒れこみ、激しく息をついた。彼女の整った顔からは、大粒の汗が次々と地面に滴り落ちている。

 

 息が収まっても、彼女はしばらく後ろを確認する勇気が持てなかった。まるで背後に、あのゴブリンが彼女を見下ろして立っているとでもいうように。

 

「……っ! …………ああ」

 

 ようやく振り向く勇気がわいたアルフェは、背後の森に目を向けたが、彼女を追ってきているものは何もいなかった。

 生き延びたのだ。アルフェの心に少しの安堵が浮かぶ。だが、それはすぐに大きな失望に変わった。

 

 ――薬草が……。

 

 初仕事は失敗である。それは誰の目にも明らかだった。それどころか、アルフェは組合で借りた薬草籠もなくしてしまった。

 弁償しなければならないのだろうか。とはいえ今からあれを取りに戻る勇気はない。徒労感を感じながら、それでもアルフェはとぼとぼと町に向かった。

 

「お嬢ちゃん――、あんた、本当に森に入ったのかい!?」

 

 アルフェが組合に着くなり、いきなり立ち上がったタルボットが彼女に声をかけてきた。

 

「……その様子だと、大分ひどい目にあったみたいだな……。悪かった。まさか本当に、一人で森に行くとは思わなかったんだ。なんにしても、命があってよかった」

 

 タルボットは殊勝な顔をして謝ってくる。彼は真実、少女の安否を気にかけていたのだろう。

 

「いえ……、私が軽率だったのがいけないのです……。すみません、お借りした籠、失くしてしまいました……。弁償しなければなりませんよね……?」

 

 アルフェは今にも消え入りそうな声で言う。

 

「本当なら損料をもらうんだが……、今回はいいよ。な? とりあえず今日は帰って休め。ひでぇ顔してるよ、お嬢ちゃん。悪いことは言わないから、な?」

 

 アルフェが軽率だった事は間違いないのに、タルボットは優しい言葉をかけてくる。それが逆に情けなく、アルフェは目頭が熱くなるのを感じた。

 

「はい、そうさせていただきます。でも、これで二度と、依頼を受けられないということにはならないんですよね?」

 

 しかし彼女は涙を飲み込み、顔を上げて聞いた。

 

「あ、ああ。常設の依頼は失敗扱いにならない。でも本気かい? もうやめておいたほうがいいと思うんだが……」

「私なら大丈夫です。後日また参りますので、そのときは改めてよろしくお願いします」

「な……、おい!」

 

 また泣きたくなる前にと、アルフェは踵を返し組合の建物を出た。

 外に出ると、空はすっかり紅く染まっている。ひとまず今日は家に帰ろう。彼女は足早に家への道をたどった。

 

 ――今夜は、自分で稼いだお金でご飯を食べるはずだったのに。

 

 その途中我慢しきれなくなって、少し涙がこぼれてしまった。

 

「……あれ?」

 

 そして彼女が誰も居ない我が家に帰り着き、玄関のドアの取っ手に触れると、違和感を覚えた。

 

 ――鍵が……?

 

 かかっていない。出るときにかけ忘れたのだろうか。

 そんなはずは無いと思う。もしかしたら、クラウスが帰ってきたのだろうか。アルフェは不安になりつつも、ゆっくりと扉を開いた。

 

「…………どろぼう?」

 

 一目で分かった。家の中が荒らされている。わずかな家財道具が床に散乱し、目も当てられないありさまだ。でも、家には盗るようなものは無いのに……。そう考えてアルフェははっと気が付いた。二階に駆け上がり、彼女は化粧台の引き出しを開けた。

 

「……そんな」

 

 絶望した声を出したきり、彼女の口から言葉は出なかった。

 そこにあったはずのクラウスがアルフェのために残した生活資金が、全てきれいに無くなっていたのだ。

 

 

「……う」

 

 朝になりアルフェは目覚めた。彼女は一瞬ここがどこだかわからず、戸惑う。

 寝台の上だ。ここは自分の家か。そうだ、昨日はとても疲れたので、家に帰るなり倒れるように眠ってしまったのだ。まだ床の上で眠ったのではなくてよかった。体の節々が痛む。自分はどうして――

 

「……!」

 

 ――そうだ……。泥棒が…………。

 

 寝ぼけていた頭がだんだんと覚醒し、アルフェは昨夜のことを思い出した。南の森から逃げ帰って来たら、盗人に家を荒らされていたのだ。

 昨日はアルフェにとって踏んだり蹴ったりの一日だった。疲れたやら哀しいやらでわけがわからなくなって、彼女は現実から逃避した。とにかく眠ることを選んだのだ。

 

 それでも、否が応でも朝はやってくる。彼女は自分の置かれた状況を直視しなければならなかった。床には服が散らばっている。これはアルフェがそうしたのではない。盗人がやったのだ。これを片付ける気力すら、昨夜のアルフェには残されていなかった。

 

 ――お金……。

 

 それを思うと、アルフェの顔は青ざめる。家にあったわずかな資金は、全て盗まれてしまったのだ。

 今となっては悔やまれる。なぜ仕事を探そうなどと思ったのだろう。もっとよく考えればよかった。こんなことになるのなら、外に出ず、家の中に閉じこもっていればよかった。

 

 昨日と今日では、アルフェを取り巻く状況は大きく違っていた。冷えた頭で考えると、クラウスが残してくれた資金はやはり大金だった。あれがあると無いとでは大違いだ。稼ぐことの難しさを知った今では、余計にそう思う。

 

 ――銀貨が二枚と……、銅貨が二十四枚……。

 

 昨日、アルフェが皮袋に入れて持ち出したお金はそれで全部。それだけは無事だった。

 

 ――これで……、これで何日生活できるの?

 

 昨日は銀貨一枚と銅貨六枚を使った。昼の食事代と、薬草辞典の閲覧料だ。夕飯は食べていない。

 

 あまり真剣に想像したくないが、切り詰めれば食事代だけで一ヶ月くらいは生活できるだろうか。そうやってじっと待っていれば、クラウスが戻ってくるだろうか。

 それにしてもクラウスは、あの従士はどこに行ったのだろうか。自分をこんなところに放っておいて、あの男は何をしているのだろうか。

 

 ――だいたい……、本当にクラウスは帰ってくるの?

 

 考えたくなかったが、そう思わざるを得ない。城から救い出されて以来、アルフェはクラウスに盲目的に従ってきたところがある。彼女にとっては、頼れる者が彼だけだったのだから仕方がない面もあるだろう。

 だが、クラウスにとってはどうだろうか。家も何もかも失った今の自分を守る理由が、彼にあるとは思えない。

 

 ――私はもう、大公家のお姫様じゃない……。クラウスが守る意味なんて……。

 

 ひょっとしたら自分は見捨てられたのかもしれない。その想像からはずっと目をそらしていたが、昨日に引き続く空腹のせいだろう。アルフェの思考はつい悪い方、悪い方へと転がっていく。

 しかし、アルフェには他に行くところもない。頭を振って、彼女は妄想を頭から追い払った。結局、今できることは昨日と変わらないのだ。

 

 ――働かないと……!

 

 アルフェは無理矢理己を奮い立たせた。そう、働く道を見つければ全てが解決する。その必要性と緊急性が増しただけだ。可及的速やかに、アルフェは自活できるようにならなければならない。

 

 しかし、この惨状の後始末をどうしようか。そう思って、彼女は荒れ果てた室内を見渡した。盗人が出たら、町の衛兵に通報しなければならないはずだ。

 

「あ」

 

 衛兵という言葉を思って、アルフェは急に気がついた。そう言えば、クラウスは衛兵を避けて行動していたのだ。

 

 ――ひょっとしたら、私は、お尋ね者なの……?

 

 難しいことは彼女にはよくわからない。だが、逃亡した大公家の娘を捕らえるために、王国から追っ手がかかっていないなどと言えるだろうか。

 

 ――衛兵のところには……。

 

 行かない方がいい。それは最後の最後の手段にしよう。とりあえずはそう判断し、アルフェは室内を片付け始めた。

 

 片付けが済むと彼女は一階に降りた。とにかく腹が減っている。昨日の残り物のパンだけはキッチンに残されていた。さすがの盗人も、これには手をつけなかったらしい。

 昨日よりもさらに硬くなったパンを飲み込み、どうにか空腹が満たされた。しかしこれで正真正銘、家にあった食料は尽きたことになる。あとは手持ちの金を元になんとかするしかない。

 

 アルフェは自分にできることを考えた。

 物乞いにでもなるべきだろうか。いや、それはできない。それは許されない。そんな惨めな思いをするぐらいならば、飢えて死ぬか、魔物に食われた方がいい。ならば商会所の男が言っていたように、誰かの「支援」を受けるべきか。それならば、物乞いになる方がましだという気がする。ということは、それも選べない手段ということだ。

 

 ――昨日はあと少し……、もう少しで上手くいったのだから。あのゴブリンさえ出てこなければ……、もしくは、私がゴブリンを倒せたら。

 

 根本的には、彼女はあまり懲りていなかったのかもしれない。結局そんな風に考えていた。

 

 ――戦う方法を見つけないと……。冒険者の人たちは、とても強そうでしたし、私も強くなれば……!

 

 そうすれば、魔物から身を守りつつ薬草を採取できる。

 とにかく、家に引きこもっているという選択肢は失われたのだ。飢えないためには、行動を起こさなくてはならない。立ち上がり、扉に向かう。

 

 ――もう本当に盗むものはありませんし……。泥棒がまたやってくるなんて、ないですよね?

 

 そう考えると怖くなって、アルフェは足早に家を出た。

 

 

 冒険者組合の裏手から坂を上っていくと、鍛冶屋や道具屋の並ぶ通りがある。この町の組合の冒険者は、ほとんどがこの一角で物資を調達していた。

 戦う手段を見つけなければならない。そう考えたアルフェは、その通りの武具屋に並べられた刀剣類を物色していた。カウンターでは年配の店主が口を開けて、武器を眺めている謎の美少女に見入っている。

 

 ――高い……。何故こんなに高いのでしょう。

 

 アルフェは細長いパンを小脇に抱えながら悩んでいる。武器調達よりも食料調達のほうが優先されたためだ。

 

 ――小剣(ショートソード)が金貨一枚? 安いものでも金貨か、銀貨が何十枚もいるのですね。このパンが何百本買えるのでしょう……。

 

 必要は成長の母と誰かが言った。世間知らずだった彼女の経済観念は、この二日間で大きく発展していた。その目から見ると、この店で扱っている武器防具はどれも値が張る。冒険者組合の御用達だけあって品質はいいのだが、彼女に使える手持ちは銀貨二枚。とても買えるものではない。

 唯一アルフェの手が届くのは、革製の投石器(スリング)だけ。しかしアルフェにはそれの用途すら分からない。値段を交渉する気にもなれず、アルフェは武具屋を後にした。

 

 この通りには、他にもいくつかの武具屋が並んでいた。中には中古品を扱う店もあり、一応全てをのぞいてみたが、今のアルフェに(あがな)える品物は無かった。

 

 ――だいたい、剣を買ったからと言って、戦えるようになるわけではないですよね……。お姉様のように、私に剣の才能があるわけもないですし……。

 

 アルフェの姉は女だてらに剣を振り回すのが趣味だった。大人の兵隊ですら、そう、アルフェを助けたクラウスですら彼女には敵わないと聞いたことがある。しかしそれは姉の話であり、アルフェが剣を振った経験は皆無だ。

 

 では、魔術ならばどうだろうか。

 貴族の子弟ならば大体が魔術教育を受ける。ご多分に漏れず、アルフェにも魔術が使えた。しかし、こと戦闘に用いるとなれば話は別だ。アルフェが使えるのは簡単な治癒術だけ。それも擦り傷を治す程度のものだ。戦いに使用するような魔術は使えない。

 

 ――今から魔術を身につけて、間に合うわけがないし……。

 

 魔術は高度な学問体系に裏打ちされた技術だ。彼女が家庭教師から学んだのは基礎の基礎だけ。今から魔術を学ぶなど、アルフェにはそんな悠長なことを言っていられる時間も資金もない。

 そんなことを考えながら通りを歩くと、なにやらわめき声がきこえてきた。それは男たちの叫び声だ。

 

「……練兵場?」

 

 見ればその一角には、民家でも商店でもない建物が並んでいる。柵の向こうに見えるのは、ならされた地面の上で木剣を構え、大声をあげて打ち合う若者たちだ。

 練兵場と言った彼女の見当は大外れでもない。ここは剣の道場だ。町には衛兵や冒険者を志す若者たちのために、戦闘技術を教えるこうした私塾がいくつか存在していた。

 

 アルフェはしばらく、そんな若者たちの訓練風景を柵の向こうから見学していた。周囲にはアルフェの他にも何人かの少女がいて、見目の良い若者の一挙手一投足に、黄色い声を上げている。

 

 ――このような練兵場に通えば、私も戦えるようになるのでしょうか?

 

 この若者たちがどの程度戦えるのかは分からないが、少なくとも昨日見たゴブリンを相手に遅れをとることはなさそうだ。

 気が付くと、何人かの若者がこちらを見ている。打ち合いの手が止まっていたが、アルフェと目が合うと真っ赤になって訓練を再開した。さっきまでよりもはるかにすさまじい熱の入れようだった。

 

 何となく妙な空気になったので、アルフェはその場を後にした。剣の道場の隣には槍の道場があり、さらにその隣では弓を教えているのだろうか。そうやって見学しながら歩いていると、建物の並びは途切れた。

 ここまで来ると、風景は小高い丘の上のようになってきた。町の大部分を見渡すことができ、少し遠くの景色まで見える。あそこに見える大きな建物は、アルフェが昨日訪れた商会所だろうか。

 

 町を眺めている間に、アルフェは道の突き当たりにまで来てしまった。奥には一軒、みすぼらしい建物が建っている。先ほど見たような道場と似たような造りをしているが、それらと異なり活気はない。人が居るかどうかも怪しい。

 ここも何かの私塾だろうか。見ると玄関の横には、大きな立て看板が置かれている。アルフェはそこに書かれた文面を読み上げた。

 

「オーガを素手でぶちのめしてみないか? 君も十日で強くなれる。見学者歓迎、体験無料……。無料?」

 

 顔を上げると、玄関の上には「武神流道場」と大書された看板が掛かっている。武神流、大げさな響きだ。

 

 ――拳闘術? を教える道場でしょうか……。

 

 アルフェはもう一度立て看板に目を落とした。そこには先ほどの宣伝文句の他に、ひげ面の男が魔物を拳で打ち倒している絵が描かれている。男の笑顔がやけにキラキラしていて、なんだか気色が悪い。看板の塗料もかなりはげている。

 

 拳闘術は、いざと言うときの護身術や競技として行われることがあるらしい。これも城の図書室の知識だが、帝都では毎年、拳闘大会なるものも開かれていると聞く。だがこの看板を見るに、どうやらここでは素手でモンスターと戦う術を教えているようだ。

 

 ――十日で強くなれる? 拳闘術なら武器を買う必要も無いし……、何よりも、無料というのがいいですね。

 

 金銭にまつわるここの所の悲劇が、少女にあからさまな過剰広告を信じさせた。

 とりあえずと思ったアルフェが扉をくぐると、外と雰囲気が一変した。この建物の外観は他と同じくレンガと漆喰造りだったが、中は壁にも床にも木の板が貼られている。玄関は土間になっているが、それはわずかな空間だけで、二段ほどの階段を上るとすぐに板張りの床に変わる。見たことのない建築様式だ。

 

「すみません」

 

 アルフェはおとないを告げるが、応対するものは誰もいない。

 いや、広間の奥に誰か座っている。やけに大きな男だ。

 

「すみません、よろしいですか?」

 

 もう一度アルフェが玄関から声をかけても、その男は微動だにしない。

 しかたがないのでアルフェは室内に入り、男性の側まで歩み寄った。

 

「あの、表の看板を見たのですが」

 

 そう言いながら、彼女はしげしげと座っている男を観察した。

 大きい。男は座っているのに、頭の高さがアルフェの身長くらいまである。着ている白い奇妙な服の上からでも、巌のような筋肉が盛り上がっているのが分かった。

 そして顔だ。目を閉じてはいるが顔が怖い。眉間にしわが寄っている。短髪で浅黒い肌をしている。このひげ面は、表の看板に描かれていたのと同一人物だろうか。

 しかしまるで反応が無いのはどうしてだろう。首を傾げながらさらに近くまで寄り、アルフェはもう一度男に声をかけた。

 

「あの――」

 

 その瞬間、突如として男が目を見開き、大音声を挙げた。

 

「神聖な道場に!! 土足で踏み入るとは何事かぁぁ!!」

「すみませんんん!!」

 

 アルフェは思わず謝ってしまった。

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