白銀のヘカトンケイル   作:北十五条東一丁目

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第20話

「何だ、こりゃあ……。ここで一体、何があったんだ?」

 

 そう言ったきり、男は絶句した。男はこの近隣の領邦に仕える兵士長だ。その日彼は、領邦内の都市に訪れた商隊の通報を受けて、街道に出る盗賊団のアジトを捜索していた。

 

 通報があったのは数日前だ。自由都市のベルダンからやってきた商隊が、街道沿いに妙なものを発見したのだという。それは、木々に繋がれた半死半生の男たちだった。

 発見時点で三日程放置されていたということで、男たちは皆、飲まず食わずで瀕死の状態だった。

 繋がれた木に刻まれた言葉から、何とそれが最近出没していた盗賊の一味だということが判明した。

 

 兵士長の勤務する詰め所に引き立てられてきたその盗賊たちの証言は、まるで要領を得なかった。全員がかなり錯乱しており、得られた情報は断片的だ。整合性もかなり怪しい。ともあれその証言に基づいて、この丘陵地帯奥地のアジトの位置が判明し、彼は部下を率いて探索にやってきたのだ。

 

「兵士長、上にも有りました! 死体です!」

 

 次々と部下の報告が入ってくる。これで十一人かと兵士長はつぶやいた。

 

 このアジトの近辺には、惨たらしい状態の盗賊の死体がいくつも転がっていた。入り口付近に一つ。少し離れた森の中に一つ。部下の報告によると、二階に三つと、最上階の部屋にも一つ。

 だが、最も凄惨な現場は、今兵士長が立っている、この地下室の中だった。

 

 床や壁、天井にまで、一面に血糊がついている。それは既に黒く固まり、そこに沈んだ死体からは、きつい腐臭が漂っている。

 襲撃者と盗賊の戦闘は、ここで最も激しく行われたのだろうと、容易に想像がついた。

 

 そう、襲撃者だ。彼らがやって来る前に、このアジトを襲撃した者がいる。街道沿いに繋がれていた盗賊も、その襲撃者の仕業だと思われた。

 

「この様子だと、襲って来たのは複数だな」

「そうですね……。剣で首を落とされた奴と、鈍器で殴られた奴がいます。少なくとも、二人以上でやったんでしょう」

「こいつは? 何で死んだんだ?」

 

 兵士長は遺体の一つを指さす。この男に目立った外傷はない。少し嫌そうな顔をしながら、部下の一人がその傍にしゃがみ込む。この男はこういった事の専門家だ。

 

「――武器じゃないですね。どこも刺されてないし……、殴られてもない。何でしょうね? ……魔術かな」

「魔術士もいたと言うのか?」

 

 兵士長の頭の中に描かれているのは、四、五人の武装した男たちだ。正規の兵集団ではないだろうから、有力な冒険者パーティーか何か。どのみち魔術士まで加わっているとなると、相当の戦力を備えた一団だろう。

 

「……ああ、心臓が破れてます。それで血を吹き出して、死んだんですな」

 

 外傷が無い代わりに、この死体は内側から内臓を破壊された。検死をした部下はそう言う。確かに、そうでなければ説明のつかない有様だ。この死体は顔面のあらゆるところから血を噴き出し、苦悶の表情を浮かべたまま死んでいる。

 

「心臓……、そんな魔術があったか?」

 

 兵士長の問いに、膝を払いながら部下が答える。

 

「聞いたことはあります。……相当、高位の魔術ですが。使える人間は、知りません」

「ふむ……」

 

 そのような高位の魔術を使う者がいるとして、それほどの魔術士を擁する集団が、こんな所までわざわざ盗賊を襲いに来るだろうか。兵士長は、あごひげを撫でながら首をひねる。

 どうやって死んだか判然としない死体は他にもある。そこに倒れているのもそうだ。壁に叩きつけられた衝撃で、首が見事に折れているが、こいつは何故、こうやって死んだのだろうか。

 

「……奥は、何かあったんですか?」

 

 そう言って部下が視線をやった先は、地下牢になっていた。

 

「いや、何もない。このアジトにあった死体は、これで全部だ」

 

 しかしその地下牢に囚われている者はなく、奥にはただ、鉄格子が開きっ放しになった空の牢があるだけだ。

 

「誰がやったのかは気になるが……、こいつらも捕まれば、いずれ縛り首になった連中だ。手間が省けた」

 

 木に繋がれていた盗賊たちも、証言を取りきったら絞首台に直行だろう。不可解な点は残るものの、兵士長の目に死体に対する同情の色は無かった。

 

「そうですね……、盗まれた財宝もあったそうで」

「奇特なもんだ。一財産はあるだろうに。全く手を付けんとは」

「代わりに我々が手を付ける訳には――、失礼、いきませんな」

 

 実直な兵士長が、笑えない冗談を言った部下を睨みつけた。

 

「全く……。おい、死体を焼く準備をしろ! グールになる前に、ここを清めるんだ!」

 

 結界の中とは言え、放置しておくとアンデッドと化すかもしれない。彼らにできることは、もうそれくらいしか残っていなかった。

 

「ん? どうしたお前たち! 私語は慎まんか!」

 

 兵士長が怒鳴ったのは、階段の上にいた部下たちが、ひそひそ話をしているのを聞きつけたからだ。怒鳴られた兵士は、どうしてか少し青い顔色をしながら、彼に弁解した。

 

「い、いえ、兵士長、違います」

「何が違う」

「少し気になるものが、あったもので」

「気になるもの?」

「こ、これです」

 

 その兵士は、兵士長が立っている後ろ、入り口付近の階段の床を指さしている。

 

 指摘されて気が付いたが、彼らのいる地下室から階段の上に向かっても、点々と血痕が残っている。薄暗いせいで見落としていた。

 血痕をたどると、それは地下室から、最上階まで続いているという。

 

「……足跡?」

 

 そうだ、確かにこれは足跡だ。ただの足跡なら、襲撃者のものと判断しただろう。

 

 だがこれは子供の、しかも、裸足の子供の足跡である。

 

 ――……子供?

 

 そう言えば、捕らえられた盗賊の証言の一部に、そのようなものがあった気がする。若い娘の姿をした、怪物が出たと。まさか結界の中でと一笑に付されていたが、これがもしや、そうなのだろうか。

 

「……ここで一体、何があった?」

 

 兵士長は、改めてそうつぶやいた。

 

 

「ただいま」

 

 野盗退治からベルダンに戻ったアルフェは、いつもの冒険の時と同じようにそう言った。

 

「おかえりなさい!」

「お帰りなさい、アルフェさん」

 

 リアナとリオンは笑顔で彼女を迎え入れ、アルフェもまた、笑顔で家の扉をくぐった。

 盗賊たちから装備を奪い、店での売り物にしようという彼女の試みは、結局不首尾に終わってしまった。しかしそのことを、彼女はあまり気にしていない。今のアルフェは、それほど金に困っているというわけではないのだから、地道に他の依頼を受けて稼げばいい。そう思っていた。

 

 その翌日、午前中にテオドールとマキアスがやって来た。

 

「やあアルフェさん、お店は順調かい?」

「また冒険に行ってたんだってな。リオンも心配してたんだ。あんまり危ない真似するなよ?」

 

 彼らもまたいつも通り、アルフェたちとテーブルを囲み、茶を飲んで他愛も無いも無い話をした。

 リオンはテオドールの持ってきた土産の菓子に夢中だったし、マキアスに商品を売りつけようとしたアルフェはまたしても断られた。

 

「それじゃあまた」

「またな」

 

 二人が帰った後、アルフェは道場を訪ねるために冒険者組合裏手の坂を上った。

 これも別段、特別な事ではない。冒険に出かけていない時は、必ず一日に一度は道場に行く。これは彼女の、決まった日課だ。

 

「こんにちは、お師匠様」

 

 勝手知ったる道場である。誰かいますかとも尋ねずに、アルフェは扉を開いた。

 

「おう、来たか。今日も稽古……を……」

 

 そこにはいつも通り、師匠のコンラッドがいて――

 

「…………お、お前」

 

 しかしその日は、コンラッドの様子がいつもと違った。

 

「アルフェか……?」

 

 道場に現れたアルフェを見るなり、それだけ言ってコンラッドは固まった。

 彼の目は凝然と見開かれ、瞬きもせずにアルフェの方を見ている。

 

「は、はい。どうかされましたか? お師匠様」

 

 その真意が読めずに、アルフェはいつものように靴を脱ぎ、板張りの床に上がった。彼の方に近づきながら、コンラッドの視線が、彼女の頭から足先までを行き来するのを感じる。

 多少は不審に思ったが、それでも笑顔のまま、アルフェは家から持ってきた包みを差し出した。

 

「お師匠様、お昼はもう食べましたか? まだなら私、少しおかずを作ったんです。お昼が済んだなら夕飯にでも……。お師匠様? お師匠様、何か、有りましたか?」

 

 コンラッドからは、何の反応も返ってこない。アルフェはさらに彼に近寄った。

 

「……変ですよ? 悪い物でも食べたんですか?」

 

 しかし、近寄るアルフェを避けるように、コンラッドは一歩だけ引き下がった。

 

「……え? ――ど、どうして」

「あ――。い、いや、何でも無い。何でも無いんだ」

 

 師のその行動を見て、アルフェの瞳に明らかな動揺の色が走った。それに気付いたコンラッドが、慌てて取り繕おうとする。

 

「そう、そうだな……。いや、すまん、今日の稽古は、やめておこう」

「どうしたのですか? 体調でも崩されたのですか?」

「いや、そうじゃないんだ……。……すまない」

「謝られることでは……」

 

 体長を崩したのなら、看病でもしようか。本気で心配になってきたアルフェがそう提案しても、コンラッドは次のように繰り返すばかりだった。

 

「……いや、俺は大丈夫だ。……大丈夫だ」

「……本当、ですか?」

 

 アルフェは、彼女から視線をそらしてうつむいているコンラッドの間近に来た。彼女が手を伸ばして、掌を彼の額に当てようとした瞬間、コンラッドははっと身を起こした。

 

「きゃっ――」

 

 差し出したアルフェの右手を、コンラッドのごつごつした手が、がしりと掴む。アルフェの持ってきた包みが、道場の床に音を立てて落ちた。

 

「お、お師匠様? ちょ」

 

 彼は掴んだアルフェの手を、驚くほど真剣な表情で見ている。

 

「い、痛いです」

「あっ――。……すまない」

 

 放された手には、コンラッドの朱い手形が残っている。彼はまたアルフェから目を逸らすと、絞り出すような声で言った。

 

「すまない。今日は、帰ってくれ」

「え……、あ……。……わかり、ました」

 

 コンラッドから、強い拒絶の意志を感じる。アルフェは何か言おうと思ったが、形にならなかった。彼女はただ、承諾の言葉を返す。

 掴まれて、赤くなった部分を抱きしめるようにしながら、アルフェは小走りで道場を出ていった。

 

 ――……アルフェ。

 

 一人残されたコンラッドは、酷くゆっくりとした動作で、道場の床に膝をついた。

 

 ――あいつ……、人を、人間を、殺してきたのか。

 

 入り口に立っていたアルフェの笑顔を見た瞬間、彼にはその事が確信できたのだ。

 彼の体から力が抜けている。膝をついただけでは足りず、彼は片手を床についた。その眼は、どこも見ていない。

 

 野盗か、どこかのならず者か、殺した相手は分からない。だが、あの娘は確かにここに来る前に、どこかの誰かの命を奪ってきた。彼女のまとった血の気配が、彼にそれを教えてくれた。

 

 どうやって? 決まっている。彼自身が教えた技でだ。

 

「……アルフェ」

 

 コンラッドは愛弟子の名を呼んだ。

 そういえば、あの娘はどうして自分の弟子になったのだろう。――冒険者になりたい。初めて会った時から、あれはそう言っていた。冒険者――。それを続けていれば、今回のようにあの娘が人の命を奪うことも、当然考えられたことだろうに。

 

 彼は床についていた右手を見た。今更な事ではないか。いつか、あの娘は誰かの命を奪う。そんなことは、分かっていたろうに。それなのになぜ自分は、こんなにも胸を締め付けられているのか。

 

 今日現れたアルフェは、いつもと変わらなかった。いつもと同じように扉を開け、最近かなり豊かになった表情で、普通に話をしていた。そのことが、さらにコンラッドを混乱させる。

 

 人を殺したことは、あの娘の中で、何のしこりにもなっていない。例え相手が悪人だったとしても、そんなことがあるのだろうか。

 

 この世の中だ、人は死ぬ。殺さなければならないこともある。

 そんなことは百も承知だ。コンラッド自身だって、これまでに何人殺したか分からない。だがコンラッドには、自分の教えた技で、自分の弟子がそれをやったということが、なぜか哀しくてしかたがなかった。

 

 アルフェは覚悟ができていたということなのだろうか。自分に覚悟が無かっただけなのだろうか。

 自分は本当に、あの娘にこの技を教えて良かったのだろうか。それは、娘のためになったのだろうか。誰かの命を奪って生きる。そんな殺伐とした生活に、彼女を無理矢理落とし込んだだけなのではないだろうか。

 

 今更ながら、それを思ってしまったのだ。

 

 ――全く、今更な話だ。

 

「……人間じゃ無くて、魔物なら、殺させていいのかよ?」

 

 コンラッドは、自分自身に皮肉を言ってみる。その言葉に答える者など、誰もいない。

 

 ――兄上の言う通りだ。

 

 自分は、あの娘のことを何も知らない。何も考えていなかった。

 

 ――俺は愚かで、浅はかな男だよ……。

 

 彼はそのまま、辺りが暗闇になるまで、ずっとそこでうずくまっていた。

 

 

 ――何か、私はお師匠様の機嫌を損ねるようなことをしたのだろうか。

 

 師に拒絶されたアルフェは、それだけを考えて道場からの坂を駆け下りていた。

 いつもと同じように道場を訪ねただけなのに、どうしてお師匠様はあんな風になったのだろう。しかし考えても、何も思い当たらない。

 

 アルフェの中には、言いようのない不安が渦巻いている。

 

 なぜあんな、得体の知れない異物を見るような目で、コンラッドは自分を見たのだろうか。

 

「はっ、はっ、はっ」

 

 立ち止まった彼女の呼吸が乱れているのは、きっと走り疲れたからではないだろう。

 

 

 ――なぜ……。どうしてこの子だけが、こんな所に。

 

 ――その必要があるからですよ。これが何なのか、あなたは理解していない。

 

 

 あの目――。あんな目で、アルフェはコンラッドに見られたくなかった。

 あのがさつで粗野な、だらしなくて、どうしようもない朴念仁の師でも、コンラッドはアルフェにとって、かけがえのない存在なのだ。

 彼はアルフェに、この世界で生きる力をくれた。この町で生きる居場所をくれた。他人からどう見られても、あの人にだけは、あんな風に見られたくなかった。

 

 

 ――この城の外には、何があるのですか?

 

 ――……何も無い。……何も。そんな事を、考える必要は無い。

 

 

 頭が痛い。吐き気がする。何か、とても嫌なことを思い出してしまいそうだ。

 

「お帰りなさい、アルフェさん。……どうしたんですか?」

 

 玄関先にいたリアナにも気付かず、憔悴したアルフェは家に入り、そのまま真っ直ぐ部屋に向かった。

 

 そのまま布団に潜り込み、彼女は強く目と耳を塞ぐ。しかしそうしていても、彼女のまぶたにこびりついたコンラッドのあの眼差しは、中々薄れようとしなかった。

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