白銀のヘカトンケイル   作:北十五条東一丁目

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第3話

 熊のような男がアルフェをにらみつけている。彼はアルフェが靴を履いたままここに上がり込んだことが気にくわなかったようだ。

 しかしアルフェは釈然としなかった。さっきは慌てて誤ってしまったが、こちらはきちんと来訪を告げたのだ。黙っていたのはそっちではないか。

 

「あの、私は」

「いいから玄関で靴を脱いでこい! 話はそれからだ!」

 

 口答えをしようと思ったアルフェだったが、また男に発言を遮られてしまった。

 それにしてもこの男は、女性に人前で靴を脱げというのか。初対面の男性の前で靴を脱ぐ。それはひどくはしたない行為だと教わった。それとも市井にはそのような作法があるのだろうか。

 

「道場は神聖なものだ! 土足で上がることは許さん!」

 

 戸惑っているアルフェに対して、たたみかけるように男が言う。その雰囲気が有無を言わさないものだったので、アルフェはすごすごと玄関まで引き下がり靴を脱いだ。

 靴下だけになり、アルフェは再び男の前に進み出る。見れば彼も靴を履いていない。それどころか靴下さえない。裸足である。アルフェは何だか良くないことをしている気分になった。恥ずかしさに耐えかねて、彼女はもじもじと足をすりあわせた。

 

「何をくねくねしておるか。看板を見て来たのか? 入門希望か? 良く参ったな。歓迎するぞ! 細っこい身体をしているが、何、俺にかかればお前も立派な拳士になるだろう!」

 

 アルフェとは対照的に、男はえらく上機嫌である。

 

「何せ今日まで一人も客が……、おほん! いや、それはいい。それでどうした。強くなりたいのか? 拳闘大会に出場したいのか? ん……、お前は女だな……。あの大会に女は出れたか? まあいい、女でもかまわん! お前は今日から俺の弟子第一号だ!」

 

 男の中で話が勝手に進んでいく。アルフェはその勢いに、すっかり気圧されてしまっていた。

 

「まあとりあえず、まずはおまえの力をみてみるとしようか……。何をしてる小娘。ぼやっとしとらんとこいつに着替えてこい。そんな服で修行ができるか!」

 

 そう言って、男は白い服を差し出してきた。えらくごわごわした布でできた服だ。男の着ているものと同じものだろうか。アルフェが手元に押しつけられたそれと男の顔を見比べていると、男は自分の名を名乗った。

 

「んん? ああ、そうか。俺の名前はコンラッドだ! この武神流の総師範だ! これからは俺のことを師匠とよべよ!」

 

 どうやら彼の中で、アルフェが弟子となることは決定しているようだ。流されながらもアルフェは聞いた。

 

「あの、ここで着替えるのですか……?」

「あん? 嫌か? ……まあそうだな、あそこの物置で着替えてこい」

 

 町の人々の直接的な口調には慣れたつもりだったが、コンラッドの物言いはそれよりもずっと乱暴だ。しかし少なくとも悪意は感じなかったので、アルフェは言いなりになって服を着替えた。変わった型のズボンとシャツだ。真っ白な生地は、質素だが不潔な感じはしない。

 やはりこれはコンラッドの着ているものと同じ物である。ただ、彼の着ていたものは帯が黒かったが、アルフェに渡されたほうは、帯の色も白い。何か意味があるのだろうか。

 

 それまでアルフェが着ていたのは、すねまで隠れるスカートだ。どこにでもある町娘の服装だが、確かに運動には向かないだろう。彼女はそれを脱ぎ、肌着の上から渡された服の袖に腕を通した。

 見よう見まねだが、こんな感じで良いのだろうか。少し丈が大きいだろうか。

そんな風に迷いながらも、なんとか着替え終わった。

 

「本来なら靴下も脱ぐべきなのだが……、次からは気をつけろ」

 

 靴を脱ぐのも大分勇気が要ったのだが、やはり裸足にならなければならないのか。コンラッドが変な意味で言っているのではないということはわかったが、やはり尻込みしてしまう。

 

「さあ、それでお前は一体どこまで強くなりたいんだ」

 

 コンラッドが尋ねたので、ようやくアルフェが口を開く機会がめぐってきた。

 

「あ、あの、実は私、冒険者として依頼をこなせるようになりたいのです。それで、そのために、戦う術を身につけたいのです!」

 

 相手に合わせて、アルフェの方も少し大きな声になってしまう。

 

「……冒険者?」

 

 その単語を口にしたコンラッドの目が、少し鋭くなった。

 

「……冒険者志望か。変わった娘だな……。まあいい、冒険者結構。つまりお前は魔物と戦いたいのだな?」

「は、はい」

 

 戦いたいのとは少し違う。自分はあくまで自活を目指しているだけだ。戦いはその手段に過ぎない。アルフェはそう思ったが、逆らわずにうなずくことにした。

 

「魔物結構! 俺の編み出した武神流は魔物相手にも非常に効果的だ。看板に偽りは無い。十日でおまえを戦える身体にしてやろう。来い!」

 

 そう言ってコンラッドは裏庭に飛び出していく。十日で戦えるなどと言っているが本当だろうか。看板にも書いてあったが、そんなことが可能なのだろうか。今になって、アルフェにはこの男のことがかなり怪しく思えてきた。

 

「まずはこいつを殴ってみろ」

 

 遅れて庭に出たアルフェに対し、コンラッドがあごでしゃくって示したのは、棒にくくり付けられた藁の束だ。

 外からは塀に遮られて見えなかったが、意外と広さのある裏庭だ。白い砂利が敷き詰められた庭には、草一本生えていない。その空間にはコンラッドが示した藁束以外にも、木でできた人形のようなものや、その他わけのわからないものがいくつも置かれている。

 

「な、殴ればいいのですか?」

「そうしなければ始まらんだろう」

「わ、分かりました」

 

 アルフェは言われるままに拳を固めて、藁束に殴りかかって見た。

 

「――えい!」

 

 ぼすっという音がする。最初は恐る恐るという感じだったが、藁は柔らかく、手はそれほど痛くない。コンラッドは何も言わないので、アルフェはそのままもう二、三発拳を突き出した。

 

「――やあ!」

 

 こんな感じでいいのだろうか。アルフェがコンラッドの顔をうかがって見ると、彼はあごに手を当て、何やら真剣な表情で考え込んでいる。少しは見込みがあるのだろうかと期待したアルフェに、コンラッドは無情な事実を突きつけた。

 

「うむ、酷いな」

「う……、酷いですか」

「ああ、すがすがしいくらいにな」

 

 分かっていたが、やはりそう都合の良いことはなかった。しかし落ち込むアルフェに、コンラッドは希望を持たせるようなことも言った。

 

「だが、思ったよりはマシだな。意外と芯がしっかりしている。ここに来るまでに何かやっていたのか?」

「え? ……ダンス、くらいです」

「ダンスぅ?」

 

 家庭教師が教養の一環として教えてくれたダンス。アルフェがしたことのある運動というと、それくらいしかない。

 実はそれ以外にも、この町に来るまでの数ヶ月のサバイバル生活で、アルフェは貴族の令嬢にしては妙に基礎体力がついてしまっていたのだが、コンラッドには知る由も無かった。

 

「ダンスってお前、貴族のお姫様じゃないんだから……」

 

 コンラッドはぼやいたが、しかしアルフェは実際に貴族のお姫様だったのだ。それもこの帝国ではかなり上位の。しかしそれを言っても始まらない。アルフェは何も言わなかった。

 

「だがこれなら、案外なんとかなるかもしれんな……」

 

 呟きつつ、コンラッドは庭に置かれた木の人形の方に歩いていく。そして大げさな身振りでアルフェを振り返ると、大声で言った。

 

「小娘! いまいち俺を見くびっているようだから、まずは我が流派の真髄を見せておいてやろう!」

 

 そう言うと、コンラッドは木人の前で構えを取った。足を前後に開き、左右の手は身体の前で天地を指す。拳は緩く開かれている。

 

「はぁぁああああ!」

 

 気合の声を発するやいなや、アルフェにも分かるほどの膨大な力がコンラッドの体内から吹き上がってくる。しばらくの溜めの後、彼の右足は前方に向かって大きく踏み出された。

 

「破ァ!」

 

 裂帛の気合を上げて、コンラッドが両の掌を木人に突き出す。その突きはすさまじいまでの迫力だが、それだけでなく、木人に触れる瞬間、アルフェの目にはコンラッドの掌から巨大な魔力のようなものが噴出したのが見えた。

 

 破壊的な音を上げて、木人がきりもみをしながら吹き飛んでいく。アルフェの身長よりも大きなそれは、どう見てもそんな簡単に吹き飛ぶような代物には見えなかったのにだ。

 木人の勢いは止まらず、庭奥の塀に激突した。そして塀を突き破りいくつかの破片になった木人は、塀のかけらとともに丘の下に落ちていった。下から屋根の瓦が割れるような大音と、うわあぁっという町民の悲鳴が聞こえる。

 

 ――……下の住民は大丈夫だろうか。

 アルフェは頭の隅でそう思ったが、それよりも彼女は、今し方コンラッドが見せた力に目を奪われていた。

 

「ま、まずいぞ……、このままでは大家に叱られてしまう……」

 

 庭に土ぼこりが舞っている。さっきまで自信満々だったのが打って変わって顔面蒼白になり、コンラッドはなにやら呟いている。奥の塀が大きく破壊され、町の風景が一望できるほど、庭はずいぶん見通しが良くなってしまった。

 

「た……ただでさえ家賃を待ってもらっているのに……。お、追い出されてしまったらどうする……?」

 

 彼のつぶやきは悲壮な嘆きに変わっていたが、アルフェは聞いていなかった。

 

「……す、すごい! すごいです!!」

「え?」

「いったい何をされたのですか!? あんなにすごいの、私、初めて見ました!」

 

 手を胸の前で合わせ、瞳をキラキラさせながら、少女は感に堪えないといった様子ではしゃいでいる。

 

「わ、私も練習したら、今のができるようになるんですか!? ――すごいです! これでもう、魔物も怖くありません!!」

「す、すごいか? まあな!」

 

 少女の単純な反応に気を良くしたか、あっけなくコンラッドは立ち直った。

 

「あれができるようになるまでに十年はかかる……! しかしそこいらの魔物を蹴散らすくらいなら、あれほどの大技は必要ない! 我が流派の基礎を学ぶだけで、お前も立派に戦えるようになるだろう!」

「はいお師匠様! よろしくお願いします!」

 

 アルフェの方も大分調子がいい。さっきまで目の前の男を疑っていたはずであるが、そんなことは忘れてしまったようだ。

 

「お師匠様……? お師匠様か……。……うん、いいな。いい響きだ! これからは俺の指導を良く聞き、ともに修行に励むのだ。わかったな小娘!」

「はい!」

 

 にやけるコンラッドの前で、アルフェは満面の笑顔で返事をする。そうやって、アルフェの弟子入りは決まった。

 

「まずお前は、武神流の根本原理を知らなければならない」

 

 二人が庭から道場に戻り、向かい合って座ると、コンラッドはそう切り出した。

 

「武神流は俺が二十年の歳月をかけて生み出した、魔術と体術を融合させた、まったく新しい格闘術だ」

 

 二十年の修行と言った。そんなに歳を取っているようには見えないが、この人はいったいいくつなのだろうか。アルフェはそんなことを思った。

 

「魔力には二種類あるのは万人が知るところだ。自然や大気の中に宿るものが『マナ』、人間から魔獣、虫けらに至るまで、生命に等しく宿るのが『オド』と呼ばれ大別されている」

 

 しかし改めて見ると、この道場は変わった内装である。コンラッドの背後の壁には、縦に広げられた巻物のような紙がかけられている。書かれているのは何かの文字のようだが、アルフェの知らない言語だ。何と書かれているのだろうか。

 

「一般的に魔術を使うときは、マナのほうが主に用いられている。魔物に比べ、人間の体内に流れるオドは決して多くない。それならば、世界に無尽蔵に溢れるマナに指向性を持たせ利用しようと言うのが魔術の基本的な考え方だ」

 

 この道場は一階建てだが、コンラッドはここで生活しているのだろうか。それにしては生活感が無い。奥にはまだ部屋があるようだが、それが彼の私室だろうか。

 

「魔術を使用する時、個人のオドは付け木のような役割を果たしている。外にあるマナに『きっかけ』を与えることで、何らかの現象を起こすのだ」

 

 それにしても、庭の壁は見事に粉々になった。町の風景が良く見えるし、開放的な感じになったから、これはこれでいいのかもしれない。

 

「しかし我が流派では、基本的にこのオドの方を用いる。体内の魔力を活性化させることで、身体を強化し、普段以上の瞬発力や(りょ)力を得るのだ」

 

 道場の中には、アルフェとコンラッドの二人だけだ。他に門下生が来る様子はない上に、先ほどコンラッドはアルフェが弟子の第一号だと言っていた。ということは、どういうことなのだろうか。

 

「そして命中の瞬間にのみ、魔力を体外に向けて爆発させることで、岩をも砕く威力を生み出すのだ。筋力は重要だが、武神流においては全てではない。その気になれば赤子でも、巨人を打ち倒す力を得ることができるのだ――って、聞いてるのかお前!」

「はっ、はい!」

 

 コンラッドに怒鳴られ、思考をふわふわさせていたアルフェは居住まいを正した。

 

「聞いています!聞いていました! で、ではお師匠様、学べば私もお師匠様のような技が使えるのでしょうか?」

「……うむ。そのはず、だ」

 

 コンラッドはいきなり自信なさげにうなずいた。

 

「そのはず?」

「それはいい! ともあれまずは実践だ。基本的な技からやってみるとしようか」

 

 そして二人は再び裏庭に降り立ち、コンラッドはアルフェを藁束の前に立たせた。

 

「時にお前は、魔術を使うことはできるのか?」

「は、はい。いえ、基本的な教育は受けました。ごく簡単な治癒魔術は使うことができます。ですが、本格的な魔術の訓練は受けていませんし、使えません……」

「十分だ。むしろ下手に既存の魔術の訓練を受けていないほうが好ましいかも知れん。……俺以外にこの技を使える者はおらんから、お前が使えるようになるかは分からんのだが……」

 

 コンラッドの最後のほうのつぶやきは小さく、アルフェには聞き取れなかった。彼女にはまだ、先ほどの技を見た興奮が残っている。にこにことコンラッドの指示に従っていた。

 

「とりあえずやって見ると良い。構えてみろ」

「はい、お師匠様!」

 

 アルフェが元気よく返事をする。彼女は拳を前に突き出して、見よう見まねで構えをとった。

 

「拳は握りこまなくていい。武神流の基本は掌打だ。単純に接触面が多いほうが魔力が通しやすいからな。重心を落とせ。もう少し肩の力を抜んだ。自然体だ。体内の魔力を感じるか? それを循環させ、身体中に張り巡らせるイメージだ。下腹に力を入れろ。そこを魔力が通るとき、さらに増幅させるんだ。そうして魔力を循環させつつ、徐々に高めていく……」

「ちょ、ちょっと待ってください! いきなりそんなに言われても、一度にできないです!」

 

 滑らかにまくし立てるコンラッドをアルフェは制止した。乱暴な見た目だが、さっきの流派に関する説明といい、彼は理知的な話し方もしようと思えばできるのかもしれない。

 

「……普通の魔術を使うときと、やってることは大して変わらない。違うのは、体外のマナに干渉しようとするのではなく、純粋に己の肉体に対して魔力を行き渡らせるということだけだ」

 

 普通の魔術と同じ。そう言われて、アルフェは魔術を使うときのことを想像した。自分の中にある魔力の流れを外界に流れる魔力の流れに干渉させて、効果を引き出すイメージだ。しかし今はあえてマナを感じようとせず、体内のオドにだけ意識を向ける。

 

「そうして高めた魔力を、相手に触れる瞬間だけ放出し、敵の体内に叩き込むのだ。干渉を受けた相手の魔力の流れは乱れ、身体に重大なダメージを与える。……と、言うのは簡単なんだが」

 

 集中すると、確かに体内の魔力を感じる。普段は余り意識しないが、身体の中を駆け巡っている。この流れを速めてやればよいのだろうか。

 魔力が身体の中を回転する速度が上がる。全身が何やら熱を持ってきたようだ。これがコンラッドの言う魔力の高まりだろうか。しかし――これはまずい。回転が止まらない。どんどん体が熱くなる。構えているだけなのに、アルフェの顔は赤くなり、額から汗がこぼれる。動悸が早まり、息も乱れてきた。この高まりを外に出さないと、体が破裂してしまいそうだ。

 

 ふらつきそうになりながら、アルフェは目の前の藁束を見据える。よく分からないが、先ほどのコンラッドと同じようにやればいいのだ。

 

 ――相手に触れる瞬間に、魔力を相手に流し込む……!

 

 アルフェが腕を突き出す。先ほどと違い、拳ではなく掌打だ。そして手の平が標的に触れる瞬間、アルフェは体内の高まりを解き放った。

 

 彼女の突き自体は弱々しいものだったが、しばらくするとパンッという小さく乾いた音がして、藁束の背中がはじけた。

 アルフェの体内の高まりは消えている。師の技とは比べるべくもないが、どうやら成功したらしい。アルフェの中に小さな達成感が生まれた。

 

「やりました! 少しだけどできました!」

「そうか、やはりできないか……。無理もない。俺がこの原理を体得するまで、十年の歳月がかかった……。……ん? できたのか!? え、マジで!?」

「はい、やりました! ほんのちょっとだけど……、でも、これでいいんですよね!」

 

 コンラッドはきょろきょろと藁束とアルフェを見比べる。大分挙動不審になり、さっきまでの演技じみた口調も崩れてしまっていた。

 

「ほ、本当だ……、できてるよ……。マジか……」

 

 そんなコンラッドの姿を見て、アルフェは思った。

 どうしてそんなに驚くのだろう。流派の基本のはずなのに、お師匠様は私にはできないと思って教えていたのだろうか。少し心外な気がするが、無理もない。このような非力な小娘に、それほどの期待はかけないだろう。しかし、私はやったのだ。これで何とか失望されずにすむだろう。これで更に教えを請うことができる。

 

「やりました! すごいです! これで私も強くなれますよね!」

「う、うん、そうだな、すごいな」

「やりました! これで私も冒険者になることができますね! 依頼を受けることができますね! そうしたらおなか一杯おいしいものを……、あ、あら?」

 

 アルフェは嬉しさの余りぴょんぴょんと飛び跳ねていたが、急にめまいがして、ぐらりと横に倒れそうになった。

 

「あ、あれ、どうしたのでしょうか。体が、うまく、動きません」

 

 とっさに片手を床についた彼女に、コンラッドが改まった表情で告げる。

 

「オホンッ。……当然だ。体内の魔力が尽きれば、人は死ぬ。おまえは今体内の魔力を放出しすぎて、魔力が枯渇寸前なのだ。魔術師たちができるだけオドを使わず、体外のマナを利用するのは、魔力の枯渇による死を防ぐためでもあるな。それだけに、世間ではオドを利用する技術は未発達なのだ。しかし、この技を高めていけばいずれ我が流派が世界標準になるだろう! 何、鍛錬していくうちに慣れる! ちょっとやそっとで死にはしない!」

 

 コンラッドは何気に危険なことを言っている気がするが、それも耳に入らないほど、アルフェは消耗していた。

 

「しかしその様子では、今日はもう鍛錬を続けられないな。まあいい、今日は帰って休め、明日続きを行おう」

「は、はい……、お師匠様」

 

 うまく動かない身体を無理やり動かして、アルフェは稽古着から、もとの服に着替えた。コンラッドに礼をして道場を跡にしようとしたところ、アルフェはコンラッドに思い出したように呼び止められた。

 

「言い忘れていたが、月謝は月に銀貨二枚だ。前払いでいいぞ!」

 

 アルフェに向かって手のひらを突き出すコンラッドの微笑が、少女にはとても残酷なものに見えた。

 しかしこれは必要経費である。アルフェは残りの全財産から、泣く泣く銀貨二枚を差し出した。

 

 

 突然やってきた少女が出て行った後、コンラッドは一人、道場の中心で瞑目していた。その口は、笑みを隠しきれないといったように歪んでいる。

 

 ――家を出て、道場を立ち上げてからこっち、全く客が来なくて不安になって来たところだが……。どうやらようやく、俺の商売も軌道に乗っていきそうだ……!

 

 コンラッドは平民の出自ではない。実家はさる貴族の家だが、悲しいかな彼は三男坊だった。家督を継げる身分ではない。冷飯喰らいになりたくなければ、後は婿に行くしかないが、コンラッドには婿になる口がなかった。

 それは彼自身の大雑把な性格も原因だったかもしれないが、もっと大きな理由があった。彼が剣も魔術も人並に使えなかったからだ。

 

 ――出来損ないだな。名誉ある武門の家に生まれてそれか。恥ずかしくはないのか?

 

「――ちっ」

 

 いい気分だったコンラッドの脳裏に、突然苦い思い出がよぎり、彼は軽く舌を打った。

 

「まあいいさ。これで俺にも弟子ができたんだ」

 

 このままではわずかな貯えも底を突き、いよいよ食い詰めるかと悩んでいた矢先、ようやく冷やかしの類ではない、初めての客がやってきた。

 

 ――しかし……、あの娘、恐ろしい才能を持っているのかも知れん。あのように簡単にできる技術ではないはずなのだが……、生来の魔力量が尋常ではないのか?

 

 ここに流れてくるまでにも、ここに住み着いてからも、コンラッドが自分の習得した技術を他人に伝えてみようとしたことはあった。だが、どうやってみても上手くいかなかった。

 たまたま相手に才能が無かったからだと自分に言い聞かせていたが、ひょっとしたらこの技は己以外には扱えないのではないかと、彼が不安に思い始めていたこともまた事実だ。

 

「あの娘が、俺の運を変えてくれるかも――。あの娘……。……あれ?」

 

 そう言えば、あの娘はなんと言う名前なのだろうか。それを聞き忘れたコンラッドは、娘の出て行った扉を見て首をひねった。

 

 ――お金の残りが、銅貨二十枚……。

 

 家路につきながら、アルフェは何度も革袋の中身を数えた。しかしその数は、当然のことながら増えたりはしない。

 コンラッドに月謝を払ったのは間違いではない――と思う。あれは将来の自活のために必要な先行投資だ。だがしかし、そのせいでアルフェに残された生活資金は、本当にあとわずかになってしまった。

 

 ――とことん節約しないと……。

 

 アルフェとて、さすがに今日学んだことだけで薬草を採りに森に出かけるほど無謀ではない。せめて、ゴブリンに対処できるだけの技を身につけたかった。

 

 ――お師匠様は十日で強くしてくれると言われました……。十日……。一日銅貨二枚で生活……、できるでしょうか?

 

 できるできないではない。やらなければならないのだ。決意を込めて、アルフェは一人うなずいた。

 

 ――でも今日は、家に戻りましょう……。

 

 今は体がガタガタだ。昨日からの筋肉痛もあったし、それに加えて体の中身がまるごとどこかに抜けたような感覚もある。放っておくと、足ががくがくと震え出しそうだ。

 アルフェはよたよたとしながらも、家までの道のりを何とか歩いた。最後は半ば這うようになりながら家にたどり着くと、一階の床に倒れこみ、まだ日も高いというのに翌朝まで熟睡してしまった。

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