白銀のヘカトンケイル   作:北十五条東一丁目

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第40話

「お師匠様、またローラさんに怒られたのですか?」

 

 道場の床板に座って、アルフェが言った。目の前には彼女の師匠のコンラッドが、あぐらをかいて腕を組み、首をうなだれてしょげている。

 彼がこうなっている時は、大抵道場の大家、ローラに怒られたと決まっているのだ。

 

「そんなことはない! ただ、ちょっとな、家賃の方が……」

「えぇ……」

 

 アルフェは呆れて絶句する。この前の仕事で借金を返済し、溜まっていた家賃も全て払ったはずではないか。しかし聞けば、コンラッドの貯えは、それからすぐに底をついたのだそうだ。

 

 基本的に、コンラッドの収入は、アルフェが払う銀二枚の月謝しかないのだ。それだけでは多分、大家に払う家賃の分にもならないだろう。それ以外にもせっせと働かなくては、収支がマイナスになるのは当たり前だ。

 少し懐に余裕ができたからと油断するとは、なんと仕方の無い師匠だろうか。

 

「仕方の無い師匠ですね……」

「ずばり言うな。可愛げのない奴だ」

「あら、聞こえてしまいましたか?」

 

 わざとらしく手のひらを口に当て、アルフェは驚いた仕草をする。

 

「こいつ……」

「で、ローラさんは何と?」

 

 話題を逸らすなと言いながらも、コンラッドは答える。

 

「あいつはまた、この俺に雑用を押し付けてきたのだ」

「雑用?」

「今度、祭りがあるそうなのだが」

「ええ、そうらしいですね」

 

 まさに街は今、その祭りの準備で浮かれている。毎年開催される、都市の偉人の生誕祭とかで、リアナがうきうきしながら話していたのを覚えている。特別な市も立ち、都市の外から観光客も訪れるので、その期間は市内がかなり賑やかになるそうだ。

 しかし、そのこととコンラッドが、どう関わりがあるというのか。

 

「――で?」

「うむ、その祭りで買い物をするから、また荷物持ちをしろと――」

 

 ――ベルダンの女の人が、そのお祭りに男の人を誘うのは、愛の告白と同じようなものなんですよ。ロマンチックですね!

 

 そう言えばリアナは、ついでにそんなことも言っていた気がする。

 

「……引き受けたのですか」

「断りたかったんだがなぁ。家賃を盾にされては、何も言えん」

 

 がりがりと頭をかいて、コンラッドが言う。リアナの言うような風習を、彼が知っているとは考えられない。この人は、本当にただの雑用を命じられたとしか思っていないようだ。純粋に面倒くさがっているのが、アルフェには分かる。

 だから、花のような笑顔でアルフェは言った。

 

「ご存じですか? お師匠様の様な方を、世間では唐変木とか、朴念仁とか言うそうですよ」

「何だ、それは? 聞いたことのない言葉だ。さぞかし素晴らしい意味なのだろうなぁ」

 

 師弟は向き合いながら、はっはっはと白々しく笑った。

 

「――私、今日は帰ります」

「はっはっは――、ん?」

 

 急に真顔に戻ったアルフェがそう言ったので、コンラッドも笑いを止めて彼女を見た。

 

「お師匠様はローラさんと、精々楽しんでいらしてください」

「ど、どうした。何をそんなに怒ってるんだ」

「知りません」

「ははぁ、さては、お前も行きたいのか? 祭りと聞いてはしゃぐとは、お前も子供だな」

「違います!」

 

 なぜ怒るのかなど、自分でも分からない。ただ、何となく無性に腹が立つ。明日になればきっと治まるから、その時また、お師匠様に非礼を詫びよう。そう思いながら、アルフェは立って玄関に向かって歩いていく。

 

 ――アルフェ。

 

 彼女が道場の扉に手をかけた時、後ろからコンラッドの声が掛かった。

 突然の優しい声音に振り向いて、アルフェは師の顔を見る。だが、その顔がなぜか、ぼやけて見えない。

 

 ――なんですか? お師匠様。

 

 そう口にしたつもりだが、声にならなかった。やはり、コンラッドの顔には霞がかかったようになっている。

 そう言えば、お師匠様はどんな顔をしていただろうか。そう思った瞬間、全身に恐怖が押し寄せてきた。

 

 ――――……。

 

 よく聞き取れなかった。彼は何と言ったのだろう。大切なことを言われた気がする。でも、声が聞こえない。彼の声が思い出せない。

 胸がつよく締め付けられる。もう一度聞き返そうとしたその瞬間、目の前の道場が掻き消えた。

 

 

 後に残ったのは、ただ延々と続く、寒々とした荒野の様な風景だ。

 

 

 

 

 

 窓の外から、鳥の鳴き声が聞こえる。

 ボロボロの木の天井が目の前にあるが、ここは、ベルダンの道場ではない。

 

 あの人の顔と声を、思い出の中から探る。

 

 ――大丈夫だ。思い出せる。はっきりと憶えている。忘れていない。 

 

 跳ねていた心臓が、次第に落ち着いてきた。

 分かっている。今のは、ただの夢だ。心が弱った時、あんな夢を見てしまう。あれは、自分の弱さが見せる幻だ。

 

 なぜか、目の周りが濡れている。拭おうと思ったが、手が動かない。手だけでなく、全身に力が入らない。

 何とか首を動かして部屋の様子を観察すると、白い漆喰の壁が見えた。それほど広くはない部屋には、家具がほとんど置かれていない。あるのは小さな椅子と、棚が一つ。棚の上に飾られた黄色い花は、確か、何かの薬草だったはずだ。

 自分が今寝ているのは、粗末な木製のベッドのようだが、シーツは清潔で、心地が良い。

 

「くっ……」

 

 正常な判断力が、徐々に戻ってきた。

 

 ――確か、私は路地裏で……。

 

 毒を受けて、倒れたはずだ。しかしどうやら、死なずに済んだらしい。力は抜けているが、悪寒も吐き気もしない。手足も――動く。それを確認して、ベッドの上で無理やり上体を起こした。そうして改めて、自分があの時着ていたドレスと違う、薄手のシャツを着ていることに気付いた。

 

 敵はいない。拉致されたのだとしたら、こんな薄いドアのついた部屋に、捕虜を一人で放置するはずがないだろう。では、自分は誰かに助けられたのか。

 よくよく見れば、ここはどこか見覚えのある建物だ。しかし、どこだっただろうか。はっきりと思い出す前にノックの音が響き、建物の住人が室内に入ってきた。

 

「――ステラさん」

 

 緊張した筋肉が弛緩する。

 彼女は起き上がっていた自分に少し驚いたようだが、すぐに笑顔になると、ベッドの隣に腰かけた。

 

「良かった。目が覚めたんだね」

 

 亜麻色の髪の少女が、こちらに微笑みかけている。

 そうだ、ここはステラが滞在している治癒院だ。石化したリーフを治すために、一度彼女を呼びに訪ねたことがある。

 

「……あなたが?」

 

 助けてくれたのか。そう聞くと、ステラは首を横に振った。

 怪我人を刺激しないようにという配慮だろう。彼女は柔らかい声で、ゆっくりと語りかけてくる。

 

「あの、アルフェちゃんの知り合いの傭兵の……、そう、リグスさん。あの人たちが、あなたを運んできたの」

「……そうですか」

 

 ステラと目を合わせず、宙を見ながらつぶやいた。そうしながら、左の二の腕に、探るように右手を這わせる。確かここに、自分は毒を受けたはずだ。

 

「安心して。もう、大丈夫だから。だから、もう少し眠りましょう?」

 

 ステラが両手をこちらの肩に添え、寝かしつけようとする。

 彼女の手には、殆ど力はこもっていない、だが、その力に抵抗できないほど、今の自分は衰弱している。大人しくしているのが正解のようだ。そう思って横になり、目を閉じると、あっけなく睡魔が襲ってきた。

 

 眠りに落ちた後、誰かの指が、自分の両目の下を優しく拭ったように感じた。それはきっと、さっきの夢の続きだったのかもしれない。

 

 

 患者を寝かしつけると、その上にそっとシーツをかけて、ステラは病室を出た。

 

「……」

 

 回廊を歩きながら、彼女はため息をつきそうになる。自分の中にある、このやり切れない気持ちは何だろうかと。

 アルフェはステラが病室に入った瞬間、まるで外敵の侵入に反応したかのように、素早く彼女を振り向いた。その時に見せた、アルフェのこわばった表情。赤く泣きはらした目。無意識に傷の重さをはかるような、手の仕草。全てが、やり切れない。

 

 三日前の深夜、屈強な傭兵たちに担がれて、アルフェはここに運ばれてきた。

 ここは治癒院である。ステラだって、夜中に急病人や怪我人がやってくることには慣れている。しかし自分と同じ年ごろの、知り合いの少女が、猛毒を受けて運ばれてくるなど初めてだった。

 

 ――あんたなら治せるか? 城には、ろくな治癒術士がいないんだ。

 

 そう頼んできた傭兵隊長のリグスは、最後まではぐらかして、アルフェが毒を受けた時の状況を詳しく話さなかった。

 

 だが、ステラは知っている。アルフェの体を蝕んだ毒は、いくつかの毒草と鉱物毒とを組み合わせた激毒だ。普通の生活を送っている人間が、それに接することなど万が一にもあり得ない。幼い頃から治癒についてあらゆる文献を読み漁ってきたステラが、辛うじて読んだ記憶がある程度の代物なのだから。

 

 あれは、帝都の暗殺ギルドについて書かれた本だったろうか。作り話と思って、勉強中に気まぐれに読んだ本だ。それが役に立つ日が来るとは、彼女自身、思いもしなかった。

 常人ならば、間違いなく即死する猛毒。例え鍛えられた人間であろうとも、あれを受ければ、のたうち回りながら血反吐を吐き、正気を失って死ぬだろう。

 それなのに、どうしてアルフェが無事だったのかは、治癒したステラですら分からない。

 

 アルフェを診たステラ以外に、あの少女が運ばれてきた経緯を知る者はいない。朝の治癒院の中には、いつもの日常が流れている。

 

「お疲れ様でしたね」

 

 控え室に戻ったステラに、居合わせた一人が、軽くねぎらいの言葉をかけてきた。年下のステラにも丁寧な言葉を使う、物腰の柔らかな男性の治癒術士だ。

 

「……あの子は、どうです?」

 

 詳しい事情を聞かされていないとは言え、眠ったままの少女をステラが看病し続けていたことは、彼も知っていた。ステラが、患者が目覚めたことを伝えると、彼はよかったと繰り返し口にし、自分の仕事に戻っていった。

 ステラも、アルフェのために必要な薬草を煎じる作業に戻った。手を動かしながらも、彼女はまた、三日前の夜のことを思い出している。

 

 

「ここに、お願いします。ゆっくり」

 

 二人の傭兵が、ぐったりとしたアルフェの体を寝台に横たえる。彼女の額に手を当てると、まるで火が付いたような熱さだった。

 ステラは振り向いて、部屋の中にいる男たちに言った。

 

「すみません。治癒を始めるので、席を外してください」

「……なんか、手伝うかい?」

「大丈夫です」

「ああ、分かった。……頼むぜ」

 

 実際、彼らにやってもらうことは無い。ステラの言葉を受け、リグスが部下に手で合図をする。部屋の空間の大部分を占めていた男たちは、無言で病室を出て行った。

 アルフェと二人きりになったステラは深呼吸した。傭兵の一人によると、アルフェは毒をもらったということだ。左腕に、濃い紫に変色した切り傷がある。

 

 何の毒を、どうして受けたのかは気になるが、この様子だと、そう長くはもたない。調べている暇はなかった。とりあえず、今の自分にできる最高位の治癒術を施そうと、ステラは精神を集中した。

 

 腕を前に差し出したステラの口から、治癒の呪文が紡がれはじめた。空気中のマナがゆらめき、青い光が術者を中心に陣を形成した。――高位魔術である。

 

「――!? 効かない? どうして……!」

 

 驚きが、ステラの口から洩れる。アルフェにかけた解毒の術が、なぜか効力を発揮しなかったからだ。

 アルフェは歯を食いしばって、苦悶の表情を浮かべ続けている。症状が改善した様子は、全く見られなかった。

 

 毒の力が、ステラの治癒術を上回っていたようには感じられなかった。厄介な毒には違いないだろうが、ステラの行使した術は、見る者が見れば唖然とするほど高度なものだった。

 小さな町の治癒術士なら、それこそ見ただけで腰を抜かしてしまうだろう。帝都でも、この魔術を使える治癒術士は十指に満たない。これで治癒できない毒など、初めて遭遇した。

 

 ――いいえ。

 

 違う。毒ではない。毒ではなく、アルフェの体自身が、ステラの術に抵抗したのだ。肉体が治癒術を拒否する。そんなことがあるのだろうか。

 

 生まれつき、魔術の掛かりにくい体質の者はいる。体内に内包する魔力《オド》を、ほとんど持たない人間がそれだ。しかしそういう者は、大抵の場合、子供のうちに死んでしまう。

 しかしアルフェから感じたのは、それとも違う感覚である。あたかも彼女の身体の中から溢れる魔力が、ステラの術を、内側から押し流したかのような感覚だ。

 

「なんで……!?」

 

 高位魔術を行使した疲労と動揺から、ステラの顔色も、アルフェと同じように蒼白になっている。

 ステラは魔術が通じない原因を探ろうと、手のひらをアルフェの胸に当て、目を閉じ、体内の魔力の流れを探った。

 

「何、これ……!?」

 

 そうして感じた驚きに、ステラの目が見開かれる。

 アルフェの中にある、人間とは思えない量の魔力。それがまるで、大河のように轟々と彼女の身の内を流れている。

 一個の生命の中に、こんな非常識なまでの魔力が宿ることなど、あるのだろうか。これは、これではまるで、人間ではなく、強力な魔物か何かのような――

 

 ――どうする? どうするの……!?

 

 ステラは自分に問いかける。驚いている時間はない。もう一度、解毒の魔術を試みるか。

 だが、それではさっきと同じ結果になるだろう。解毒の魔術は、対象の内側に働きかけて作用する。この魔力の奔流の中に、ステラが集めたわずかな魔力を流し込んでも、かき消されるだけだ。

 

 治癒院の術士を叩き起こして、全員で大魔術を行使するか。それも、違う。申し訳ないが、並みの術士が何人集まっても、今のステラの役には立たない。

 

 ――教会なら……。

 

 そう思いかけて、ステラは首を振った。帝都の大聖堂に行けば、ステラ以上の術を行使できる者はいる。しかしそれは、さらに非現実的な案だ。帝都ははるか遠くに離れているのだ。それに、例え手に届く場所に彼らがいたとしても、あそこにいる人々はきっと自分に力を貸してはくれない。

 涙が出そうになる。だが、ここで泣いてどうなる。

 

「……ま」

 

 アルフェが、何かうわごとをつぶやいた。

 苦しい表情を浮かべる力も失われたのか。土気色になったその顔はむしろ、穏やかにさえ見える。その口から、初めてうめき声以外の単語が漏れたのだ。

 

「……さま」

 

 名前だ。消えそうなか細い声で、彼女は誰かを呼んでいる。繰り返し繰り返し、まるで助けを求めるように。

 

「――っ!」

 

 諦めてはいけない。何か方法を考えるのだ。

 ステラの頬が紅潮し、表情が再び引き締まった。

 

 ――この毒を打ち消すには……。

 

 単純に考えよう。要は、アルフェの魔力を上回る魔力をぶつければいい。しかし、今の自分では、持てる力を全て振り絞ったとしても、十分な量を用意できない。ならばどうするのか。

 

 ――毒?

 

 その時、毒という単語から、ステラはある方法を連想した。 

 

 ――そうだ、毒を。

 

 立ち上がったステラは、アルフェの寝ている病室を出て、突き動かされるように薬の保管庫に向かった。

 

「――ん? お、おい、あいつは助かったのか?」

 

 その途中、廊下の壁に寄りかかって待っていたリグスがステラに声を掛けたが、彼女の耳には届かなかった。

 ステラは鬼気迫る表情で立ち去り、再び病室にもどってきた。その手には、一つの小さな瓶が握られている。

 

 ――これを、使えば。もしかしたら。

 

 アルフェの横に立ったステラは、ごくりとつばを飲み込む。彼女の頭に浮かんだのは、非常に危険な計画である。

 瓶の口を引き抜くと、そこから立ち上った臭気が、ステラの鼻を刺した。

 

 ステラが手に握っているのは、ある種の毒だ。通常の治療で用いられることはない、対象の魔力を奪う毒。健常な人間には、ほとんど効果は無いが、弱っている今のアルフェになら効くかもしれない。そうすれば、解毒の魔術も通じるようになるかもしれない。

 

 “かもしれない”ばかりだ。弱くとも毒は毒、もしかしたらこの処置によって、字部の手で彼女の命を絶つことになるかもしれないのに。それでもこのままでは、アルフェは間違いなく死ぬ。それは断言できる。

 

 だから、覚悟を、決めなくてはならない。

 ベッドの横で膝立ちになったステラは、震える手を必死に抑え、アルフェの口に、ゆっくりと小瓶を近づけていった。

 

 

 ――……っ!

 

 びくりと身を震わせて、ステラの意識は回想から現実に戻る。

 アルフェの口内に、小瓶の中身を注ぎ入れた瞬間の、何か取り返しのつかないことをしてしまったのではないかという感覚。それを思い出すと、彼女の背中には今でも怖気が走る。

 

 何はともあれ、危機は脱した。ステラの思いついた治療法は奇蹟的に成功し、アルフェの体内から毒は消え去った。

 

 だがステラは、二度とあの方法を実行したいとは思わなかった。たまたま上手くいっただけで、少し間違えば最悪の結果もあり得たのだ。

 あの夜の自分は、正直どうかしていた。アルフェが助かった喜びは喜びとして、ステラは心の中で、そうやって己の無謀な行動を戒める。

 

「――ふぅ。よしっ!」

 

 片手で軽く頬を叩き、ステラは気を取り直した。

 煎じた薬草を持って、控えの間を出る。これを薬湯にして、次にアルフェが起きた時、飲ませなければならない。そのための湯を取りに行こうと、ステラは治癒院の回廊を歩いた。

 

 この治癒院にはいくつかの病室がある。しかし今は丁度、アルフェが使っているもの以外は、誰も入っていなかった。重篤な患者がいる時の、あの重苦しい、嫌な気配は今は無い。むしろ、どこか優しい時間が治癒院には流れている。

 

 ステラが目的の部屋の前に立つと、良い香りがその中から漂ってきていた。中を見れば、年配の恰幅のいい女性が、料理室で患者のための食事を用意している。

 その女性は治癒術士ではなく、近所に住む子持ちの主婦だ。新入りのステラにも気安く接してくれる切符のいいおかみさんで、いつもこうして、料理や掃除などの手伝いに来てもらっている。

 

「お疲れ様です」

「ああ、お疲れさん。もう少し待ってておくれ。すぐにできるからさ」

「急がなくても大丈夫ですよ。あの子、まだ眠っていますから」

「違うよ。これはあんたの分さ。他人のことばっかり気にしてないで、あんたもちゃんと食べなさいよ」

 

 そう言われて、ステラは昨日から、自分が何も口に入れていないことに気付いた。看病に夢中で、すっかり忘れていた。

 テーブルの上には、パンと野菜で作った簡単な軽食が用意されている。その横に置いた皿に、女性は肉の入ったスープをよそった。

 

「患者の分も作ったら、あたしは子供の世話に戻るからね」

「ありがとうございます」

「いいよ礼なんか。水臭い」

 

 ステラは料理室で久しぶりの食事をとると、女性が作り置いて行った重湯と薬湯を盆に乗せて、アルフェの病室に戻った。

 

 彼女はまだ、眠っている。

 苦しそうな表情はしていない。胸も静かに上下している。

 

 この二晩、ステラはほとんど一睡もしていなかったが、その時の様な、二度と彼女が目覚めなければどうしようという切迫した思いは、ステラの中から消えていた。

 

 ――……っと、いけない。

 

 危うく意識が、眠りの中に落ちそうになった。

 季節はもうすぐに夏だ。心地よい陽気が、窓の外に溢れている。ベッドの横に座り、アルフェの寝顔を見ていると、ステラまでうつらうつらとしてしまいそうだった。

 ステラは一度伸びをすると、重湯をそのまま病室に置いて、治癒院の庭先に出た。

 

 この治癒院には中庭があった。とは言っても、平民街にある、ろくに貴族の援助も受けていない貧乏治癒院のことだ。貧相な建物に似合い、庭の面積は限られている。

 それでも、その庭には所狭しと、様々な草木が植えられている。施術に必要な薬草の類はもちろんだが、ただの観賞用の草花や、季節の野菜などもある。日当たりの良い中庭で陽光を浴びながら、それらの植物は、つやつやとした鮮やかな緑を茂らせていた。

 

 ステラの知る限り、治癒院はどこもこんな感じだ。植物が多く生えている方が、空気中のマナが濃くなるので、治癒術の効果が上がる。そのように、治癒士たちの間で信じられているのだ。

 だから、治癒院は病室にもできるだけ植物を飾る。少し迷信じみた話で、本当に効き目があるのかは知らないが、気持ちがいいので、ステラもこの方がいいと思っている。

 

 腕まくりをしたステラは、中庭に掘られた井戸から水を汲み、ブリキのじょうろに移す。そしてそれを、中庭の植物たちに振りまいていった。

 

 そうやってしばらく庭仕事をしていると、背中に誰かの視線を感じて、ステラは振り返った。

 彼女は危うく、手に持っていたじょうろを取り落としそうになった。

 

「あ――」

 

 それだけを口にして、ステラの声が詰まる。庇の下、太陽の光を避けるように、アルフェが立っていた。

 

 彼女が運び込まれた時に着ていたドレスは、寝ている間にステラが脱がした。アルフェは今、治癒院の患者が着る、白い、丈の長いチュニックを身に着けている。

 あの、彼女の年齢には不似合いな大人びたドレスを着て、アルフェが何をしていたのか――させられていたのか、それは知らない。彼女が生きている世界がどういうものか、それも今はどうでもいい。

 

 今はただ、彼女がここに、無事にこうして生きていることこそが大切だ。この瞬間のステラには、そう思えた。

 

「アルフェちゃん」

「……おはようございます」

 

 その声を聴き、ステラの目の奥が何となく熱くなる。

 二本の脚で立つ少女を見て、こみ上げてきた嬉しさと安堵を抑え、ステラは彼女を優しくたしなめた。

 

「まだ、無理しちゃだめだよ」

「……大丈夫です。お粥、ありがとうございました」

「食べれた?」

「……ええ」

 

 大丈夫だとは言ったが、アルフェの声はまだ頼りない。その立ち姿も、どこか危うかった。

 ステラとまともに目を合わせようとしないのは、アルフェの癖だろうか。

 

 ――いや、避けられているのだろう。

 感情を抑えた低い声でつぶやく、彼女の短い返事からも、ステラを柔らかく、しかし確かに拒絶する意思を感じる。

 オークに襲われた村で、初めて会った時の彼女も、そう言えばこんな雰囲気を醸し出していた。

 

「部屋に戻ろう? まだ寝てないと……」

「……いえ、もう、治りましたから。私はこれで――。――あっ」

 

 ――私はこれで失礼します。きっとアルフェは、そんなことを言おうとしたに違いない。だから、言われる前に、ステラはアルフェの手を取った。一瞬びくりと、痛いものに触れたように、アルフェの肩が跳ねる。

 ステラの指が、アルフェの指先をそっと包んでいる。病み上がりでも、アルフェの力なら振り払える。だが、彼女はそうしなかった。

 

「アルフェちゃん?」

「……」

 

 アルフェは答えない。ステラはアルフェの手を握る自身の両手に、力を込めた。

 初めて、二人の目が合った。真っ直ぐとアルフェの瞳を見つめて、真摯な表情でステラは言った。

 

「――戻ろう?」

 

 繰り返されたステラの言葉には少しの厳しさも混じっていたが、そこには、目の前の少女を案じる気持ちが満ちていた。

 

「…………はい」

 

 うつむいて返事をしたアルフェは、まるで母親にわがままを叱られた子供が、しょげたような顔をしていた。

主人公に仲間は必要でしょうか? 参考にさせて下さい。

  • 大軍を率いさせるのがいい。
  • 数人くらいがちょうどいい。
  • 動物系のマスコットを作るのがいい。
  • 孤独を貫くべきだ。
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