第41話
「よう、アルフェ。久しぶりだな」
その日の朝、数日ぶりにウルムの冒険者組合を訪れたアルフェは、そこで傭兵隊長のリグスに遭遇した。
「あ……。おはようございます、リグスさん」
「病み上がりだろ。無理していいのか?」
「もう、問題ありません」
リグスの問いかけに対して、強がりではなく、アルフェはそう答えた。
晩餐会の襲撃から十日近くが経っている。彼女が襲撃の夜に受けた毒の影響は、今では全く残っていない。昏睡から目が覚めてすぐは、硬くなった身体を思う様に動かせなかったアルフェだったが、二日も休めば元通りになった。
むしろこれ以上休むと、体が鈍ってしまう。早く実戦の勘を取り戻したいと思った彼女は、とりあえず組合に顔を出したのだ。
「本当か?」
傭兵隊長は、アルフェの身体の調子を確かめるように、彼女の一挙手一投足を観察している。その上で、彼も問題無いと判断したのだろう。ならいいんだけどよとつぶやいてからこう言った。
「見舞いに行ったら、もういねぇっていうからさ」
ここに来る前、アルフェが療養していた治癒院を訪ねた彼は、彼女が既に退院したと聞かされて耳を疑った。
襲撃のあった夜。路地裏で毒に侵され倒れていたアルフェを拾ったリグスたちは、一度はクルツお抱えの名医だという男にアルフェを診せた。
手の施しようがない。大して診もしないうちに、その藪医者はあっけなく匙を投げた。その医者をリグスが張り倒す一幕もあったのだがそれはそれ、次の手として、リグスはこの都市で最近にわかに評判になっていた、平民街の治癒院にアルフェを運んだのだ。
そこにいたのが、以前アルフェと一緒に歩いていた治癒術士の娘だったのには、彼も少なからず驚いたが、その娘がアルフェを治してみせたことには、もっと驚いた。
アルフェには言わないが、ひょっとしたら死ぬかもしれない。――いや、たぶん助からないのだろうとまで考えていたのだ。まさかこれほど早く回復して、普段通りに動いているとは思っていなかった。
「あの、治癒術士の嬢ちゃんも、怒ってたっていうか……、心配してたぜ」
「……そうですか」
リグスの言葉に、アルフェが少し後ろめたそうな声を出した。
それもそのはず、ステラはまだ退院は認められないと言って、アルフェを強硬に引き留めたが、アルフェはそれを振り切り、半ば逃げ出すような形で出てきてしまったのだ。
「でも、本当にもう、大丈夫ですから」
少し目を伏せ、左の二の腕をかばうような仕草を見せながら、アルフェがつぶやく。その言葉は、彼女自身が自覚できるほど、言い訳のように響いた。
だがこれは一体、誰に対する、何の言い訳なのか。
アルフェが治癒院から逃げたのは、怖かったからだ。
あの治癒術士の少女の振りまく優しさや気遣いが、アルフェには怖かった。そんな風に優しくされても、今のアルフェには、ステラにどう返せばいいのか分からない。そして、分からないのになぜか、その優しさに抗うことができない。
あのまま彼女の優しさに溺れていると、今の自分を支えている大切なものが、折れてしまう気がする。アルフェにとって、あの暖かさは、ある意味で毒よりも恐ろしいものだった。
だからアルフェは、ステラに対してまともに別れの言葉も言わず、治癒院を出てきていた。
「――それより、クルツさんはどうなりましたか?」
「ん? おお、問題ない。かすり傷一つないし、ピンピンしてるさ」
アルフェは強引に話を逸らしたが、リグスは深く追求してこなかった。
「しぶといのは、あいつの数少ない取り得だな。――でな、次の仕事について話したいんだが……、今は大丈夫か?」
彼が冒険者組合までアルフェを探しに来たのも、その件で彼女に用があったからなのだろう。ここでは人の耳があるからと、二階の部屋を一つ借り、二人はそこに移動した。
「とにかく、敵の襲撃は空振りだ。お前が体を張ってくれたお陰で、あの坊ちゃんは死なずに済んだ。まずは礼を言わせてもらう」
椅子に腰を据えると、アルフェが治癒院にいた間の詳細について、リグスは語った。それによると、アルフェが敵を撃退した後は、特に大きな事件は無かったようだ。
「では、あの後は何事もなかったのですね」
「ああ、坊ちゃんは普通に馬車で屋敷まで帰ったよ。約束した報酬は、後で引き渡そう。色を付けてな」
「敵を一人、逃がしてしまいましたが」
アルフェの名を聞いてきた剣士の男。クルツを狙った方の男は、その剣士によって、アルフェたちが追いつく前に既に息の根を止められていた。
「そうだってな。ウェッジから聞いたよ。……毒の分を差っ引いても、お前が仕留め損ねるってことは、相当腕の立つ野郎だな」
「はい、かなり。フロイド……、なんとかと名乗っていました」
「わざわざ名乗ったのか? 妙な野郎だな。フロイド……、フロイドか、知らん名前だな。お前は?」
「知りません」
「そうか。まあ、そいつの事は後で調べさせよう。で、こっちの方だが、結論を言うと、襲撃を指示した人間の手掛かりは無かった。この十日、坊ちゃんに言われて、俺たちも色々と走り回ったんだが……」
全て空振りだったと、リグスは肩をすくめた。
「……クルツさんのお兄様は?」
「坊ちゃんは相変わらず、兄貴――ユリアン・エアハルトの仕業だって言い張ってるがな。あいつが言ってるだけで、当然証拠なんかない。街の衛兵に調べさせようにも、そもそもその衛兵たちは、兄貴の命令しか聞かんからな。八方ふさがりだ」
そう言うが、特別リグスは残念がっているようには見えない。アルフェがそう思ったのを察したのか、リグスは付け加えた。
「ま、暗殺者を防ぐのは俺たちの仕事だが、その黒幕を捕まえるのはそうじゃないからな」
アルフェは座ったまま口を挟まず、リグスの話を聞いている。彼女にしても、誰がクルツを殺したいのかということには、あまり関心が無い。
「ただな、ボウガンのボルトに塗られていた毒は、そんじょそこらで手に入るもんじゃない。お前が食らった毒もそうだ。これだけのブツを用意して、そんな手練れを雇えるってことは、指示した人間は、かなり力のある人間だ。それは間違いない。しかもそいつは、よっぽどあいつに死んでもらいたいらしい。……今回はお前も無事だったし、ウチの団員も死ななかった。だが、気を引き締めてかからんとな」
今回の襲撃で、クルツを狙う敵の本気の程が知れた。だからリグスは、雇い主というよりも、自分の部下を案じてそう言うのだ。
「坊ちゃんも、しばらくは大人しくしていたが、また次の夜会に出なければならんとのたまいはじめた。……で、だ。その、なんだ」
そこまで説明して、リグスは言いよどむ。あご髭をこねくり回して、首をひねっている。
彼が口に出したくても口に出せないことが、アルフェには分かる。彼はまた、自分にクルツの護衛について欲しいのだ。しかし彼の正式の部下ではない上に、ついこの間死ぬ思いをしたアルフェに、再び危険な目に遭ってくれとは、リグスにも言い出しにくいのだろう。
助け船を出すように、アルフェは自分から言った。
「お引き受けします。――報酬さえ払ってもらえるなら。私を気遣って下さる必要はありません」
「そう言ってもらえると助かる。恩に着るぜ」
リグスは明らかに、胸のつかえがとれた様子をしている。
しかしアルフェの方には、リグスに恩を着せようというつもりは無い。言葉通りただ、報酬目当てでやっていることだ。
「で、次はどちらで開かれる晩餐会ですか?」
「観劇だ」
「……は?」
「晩餐会じゃない。次は、演劇を鑑賞するんだそうだ。付き添ってやってくれ。いやぁ、絶対断られると思ったんだが、まさかお前から引き受けてくれるとはな」
リグスの言葉には、若干の白々しさが混じっている。しかしもう引き受けると言ってしまった手前、断ることもできない。少し不満げなため息をついて、アルフェは答えた。
「もう、何でもいいです。どこにでも連れて行って下さい」
「……お前が呆れるのは分かるよ。文句を言ってくれていい。道化じみた真似をさせて、悪いと思ってる。でもな、あいつらお貴族様は、そういう気取った場所じゃないと、内緒話もできねぇんだ」
「……」
「そして情けねぇことに、そいつらのおこぼれを預かって生きてるのが俺たちだ」
クルツというよりは、貴族全体に対する嫌悪と、それに尻尾を振る己に対する卑下をにじませて、リグスは喋っている。
「でもな、お前なら分かるだろう。食うためには――仕方ねぇんだよ」
だから、辛抱して付き合ってくれとリグスは言う。
「……分かりました。クルツさんの次のお相手も、エアハルトの貴族ですか?」
「いや」
アルフェの問いに対しリグスが挙げたのは、少し意外な名前だった。
「教会の人間が一緒だと聞いている」
◇
「教会、ですか。なぜ教会が?」
そう聞いたが、別におかしくはないのだろうか。各地の結界を管理している教会は、どの領邦においても、暗然たる影響力を持っている。彼らが地方貴族と同じように、エアハルトの後継者争いに介入していても、不思議ではない。
そんなことを考えているアルフェに対して、リグスが詳しい事情を説明し始める。
「クルツ坊ちゃんの兄貴――ユリアンは、かなりのやり手だ。それは聞いてるな?」
「ええ」
「ユリアンはエアハルトの地方領主を潰して、自分が継いだ後の伯の権力を高めようとしている。それに恐々としてるのが、この間の晩餐会に集まった連中だ」
「……」
「やると決めたら、あの兄貴はやるだろう。それだけの能力を、あいつは持っている。だがそれだけじゃない。ユリアンは、教会権力にも手を付けようと考えてるらしいんだ」
教会は、魔物を払う結界を守護管理し、大陸における人間の領域を守っている。ある意味で国を超越した存在だ。民から独自の税を取る権利を持ち、領主も教会の内部には干渉できない。
教会に手を出す。いくらユリアンが次代の伯とはいえ、それは大それた考えに聞こえる。“手を付ける”というのが一体どこまでを意味するかは不明だが、場合によっては伯の立場すら危うくする、危険な行為ではないだろうか。
「……野心家、というのですよね。そういう人を」
「その言葉だけで済めばいいがな。――とにかく、それで分かっただろう。そういう事情で教会も、クルツ坊ちゃんの支援者になり得る。だから一緒に演劇鑑賞だ。そういう訳だ」
そこまで喋って、リグスはテーブルに手をついて立ち上がった。説明はこれで終わりということだろう。
二人きりの部屋を出て廊下を歩きつつ、リグスがアルフェに細かい指示を出す。
「当日の夕方、お前は坊ちゃんの館に来てくれ。そこで着替えてもらって、馬車で目的地まで移動だ。前と同じ手順だから、分かるな」
「はい」
相槌を打ちながら、リグスの後について階段を降りる。一階に戻ると、アルフェはそこに、さっきまではいなかった青年の姿を見た。
「あれぇ、リグス隊長。久しぶり」
「おや、リーフの坊ちゃんじゃないですか」
ゴーレムクラフターのリーフが、また冒険者組合にいる。アルフェより先にリグスに気付いた彼は、かなり気安い調子で挨拶を交わした。
「ははは、坊ちゃんはよしてよ。ん? え、アルフェ君?」
「……おはようございます」
「二人は、どういう知り合いなの?」
アルフェとリグスを見比べてから、不思議そうにリーフが尋ねる。
アルフェも頭の中で同じことを思ったが、そう言えばリグスは以前、依頼の関係でリーフと面識があると言っていた。
「仕事仲間ですよ」
「へぇ?」
アルフェの代わりに、リグスがリーフの質問に答える。リーフはよく理解していなさそうな返事をした。
「坊ちゃんは、ここで何を?」
「僕がここに来る時の用は決まっているさ。ゴーレムの材料調達だよ。――どうせなら、アルフェ君か隊長に頼めるといいんだけど」
「すいませんね。俺たちは今、別件を請け負ってるんで。また今度お願いします」
リグスに柔らかく断られると、リーフは拍子抜けした顔をして、それじゃ仕方ないとつぶやいた。それから彼は指で眼鏡を押し上げ、話を切り替えた。
「そうだ、アルフェ君」
「何ですか?」
「前に、君と採取した鉱石だけどね」
アルフェは一瞬、何を言われたのか分からなかった。
少し記憶を探って思い出した。リーフの言う鉱石とはきっと、先日、彼の依頼を受けて行った廃鉱で拾った、あの黒い石のことだ。貴重なものだったのだろうか。
「……ああ、それが何か?」
「それがねぇ、僕が鑑定しても良く分からないんだ。今度、城の研究所に持っていくから、良ければ君も一緒にどうだい?」
「そうですね……」
その鉱石にはあまり興味が無いが、城の研究所というのは、一介の冒険者が訪れる機会はあまり無い。すぐに断るのも勿体ない気がする。
「今の仕事が済んだら、考えさせてください。それでもいいですか?」
「いいよ。急がないし」
あっけらかんとリーフがうなずく。そのやり取りを見ていた傭兵隊長が、いぶかし気に尋ねた。
「何だ、えらく仲がいいじゃねぇか。二人はどういう関係なんだ?」
◇
エアハルト伯の居城がある大都市ウルムは、いくつかの区画に分かれている。リーフのアトリエがある工房区や、クルツたちの晩餐会の会場があった貴族街区などがそうだ。
そして都市の中央に位置する商業区には、多くの商家が立ち並び、通りには市が連なっている。ここは帝国内でも、最も賑やかな場所の一つだ。
夜、その商業区にある最も大きな劇場には、精一杯にめかしこんだ男女が次々と集まっていた。
下層民から上級貴族に至るまで、演劇は欠かすことのできない娯楽である。特に今宵の劇場では、帝都で演じたこともある領内一と言われる名優が、怪我から回復して久しぶりの舞台に立つ。ウルムの物見高い人間は、こぞってその演技を見に来ているのだ。
劇場の中に入ると、一階の土間には、平民たちがひしめき合っているのが見える。桟敷席にいる貴族や大商人は、まるでそれも見世物の一部だとでもいうように、高みから彼らを見下ろしていた。
そしてその桟敷の一つに、アルフェはクルツと共にいた。
幕が上がる前の、ざわざわとした喧騒。誰もがこの非日常の空間に、浮かれているようだ。
アルフェは、観劇の作法についても一通りは知っている。しかしそれは知っているだけであり、実践するのは初めてだ。そのせいか、彼女は少し場の雰囲気に圧倒されていた。
普段と変わらない、抑えた表情をしている顔をよく見れば、その肌が少し上気している。
「アルフェさんは、観劇は初めてですか? 緊張しているようですね」
「……いえ、そんなことはありません」
クルツの問いかけに、張らなくてもいい見栄を張った。これも彼女が、普段と違う精神状態だからなのかもしれない。
本当の恋人同士ならば、寄り添って座るのだろう。しかし二人は、薄暗い桟敷の端と端に、距離を開けて座っていた。投げ出した脚を組み、頬杖をついて座るクルツと、揃えた脚の上に手を重ねて座るアルフェ。その姿も対照的だ。
「今夜の姿も、より一層に美しい……。君を見る度に、私の胸は早鐘を打つよ」
感に堪えないという様子で、クルツがつぶやいた。
アルフェは先日の晩餐会の時とは違う意匠の、青いドレスを着ている。大きく開いた背中から、彼女のぴんと伸びた背筋が見える。
クルツはそのドレス姿を、穴が開くほどに見つめているが、アルフェの視線は幕が掛かった舞台の上に注がれていた。
「お世辞はやめていただけませんか。お話しするなら、仕事の話をしましょう」
雇い主を見ようともせず、冷え冷えとした声でアルフェが返した。
「……今日のゲストは、幕間になるまでは来ない。仕事まで、まだしばらくは時間がある」
「……」
「それにこの劇場では、無粋な暗殺者も襲ってきにくい」
クルツのその言葉には、アルフェも同意する。劇場内は薄暗いが、人目も多い。先日のように、外から不意を打つのも難しい。自分の身を省みない人間ならともかく、金で雇われた刺客が、逃亡の困難なここを、襲撃の場に選ぶとは考え辛い。
「君とはぜひ一度、二人きりで話をしたかったのだ」
「そのようなことのために、私をお雇いになったのですか?」
「お互いを知ることは、仕事を円滑にこなすためには必要だろう?」
わざわざ離れて座ったのに、言葉の距離が近い。さらにその言葉の中に、よこしまな気配が混じっている。ステラに対するものとは違う意味で、アルフェはクルツのような人間が苦手だった。
「そんなに離れていないで、もう少し近くに――」
「クルツ様」
腰を浮かしかけたクルツの言葉を、少女が遮る。
ほんの少しだけ、クルツの方を向いたアルフェの眼光が、彼の全身をその場に縛り付ける。
「この距離が、貴方をお守りするための、最適な距離です。……不用意にそれ以上近づかれると、命の保証が、できかねますので」
その“命の保証”とは、間違いなく暗殺者からの命の保証なのか。
もしかしたら、君が――。そんな冗談を言う度胸は、クルツには無かった。
「わ、分かった」
生唾を飲み込み、クルツは椅子に座りなおした。
その時、彼の心臓が早鐘を打っていたのは、紛れもない事実だ。
主人公の心情をどのように描写するべきかが、もの凄く悩ましいです。