白銀のヘカトンケイル   作:北十五条東一丁目

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第46話

「お邪魔します」

「どうぞどうぞ」

 

 家主の言葉に導かれ、アルフェは扉をくぐった。久しぶりに訪れたリーフの工房は、相変わらずよく分からない器具などで雑然としている。

 

「でも、地下室を使いたいなんて、どうしたんだい?」

「少し鍛錬したくて、身体を動かす場所が欲しかったんです。ご迷惑なら……」

「別にいいよ。自由に使ってくれて。鍛錬……? よくわからないけど、冒険者も大変だねぇ」

 

 地下室に降りたリーフが灯りを点ける。ランプではなく、リーフの魔術によって天井の中央に据え付けられた石が発光した。ろうそくの火よりもずっと明るい白い光で、地下室が照らされる。

 以前にアルフェが破壊したゴーレムたちは、どこかに片付けられたようだ。四隅にいくつかゴーレムの部品らしきものが転がっているだけで、あの時よりも部屋はずっと広々として見える。

 四方を石壁で囲まれた部屋で、広さも十分。体を動かす場所としては申し分ない。変化の乏しいアルフェの顔にも、心持ち満足そうな色が浮かんだ。

 

「鍛錬って、その格好でするの?」

 

 朝に大聖堂を訪ねた時から、アルフェはずっと平凡な町娘の格好をしている。長いスカートに、初夏なので、上には薄手のシャツを着ているだけだ。

 

「軽くですから」

 

 本音を言えば、アルフェとしてはもう少し動きやすい服装で、思いっきり暴れまわりたい気分だったのだが、背に腹は代えられない。

 

「そう? じゃあ、好きなだけ使ってよ。僕は上に居るから、終わったら声をかけて」

「はい、ありがとうございます」

「どういたしまして」

 

 軽くうなずくと、リーフはアルフェを地下室に残して階段を上がっていった。

 

「うーむ……」

 

 一階の居間に戻ってきたリーフは、腕を組んでうなりながら、眼鏡の奥の目を閉じた。

 

「どうしよう」

 

 まさかこのアトリエに、女子が訪ねてくることがあろうとは。

研究に必要な品の買い出しに行った帰りに偶然アルフェに出会って、突然家に来たいと申し出られた。それからここに帰ってくるまで、リーフは表向き冷静にふるまっていたが、これは彼にとって完全に思いがけない事態である。

 

 いや、正確に言えば、アルフェがこのアトリエに来たのは初めてではない。ゴーレムの耐久実験を依頼した時と、バジリスクに石化された自分を運んでもらった時の都合二回、彼女はこのアトリエの敷居をまたいだ。だがあれは二回とも、冒険者としての仕事という大義名分があった。

 しかし今回は違う。鍛錬のためという、ある意味で仕事よりも乾燥した、不可解な理由ではあったが、それでも女性が私的な理由でここにやってきたというのは、非常に貴重な体験である。

 

「ん? いや待てよ」

 

 よくよく考えてみると、他人がこのアトリエに足を踏み入れること自体が珍しい。実際、アルフェの前にここに来た人間が誰だったか、リーフにはすぐに思い出せなかった。

 

 リーフは天涯孤独の身の上である。両親は、彼が生まれてすぐに病気で亡くなっている。彼をかわいがり育てた唯一の肉親である祖父も、数年前に他界した。幸い彼は魔術の才能に恵まれていたので、一人でも、これまで生活に困ったことは無い。むしろ人より、よほど余裕のある生活を送っている。

だが、才能があるゆえにと言うべきか、リーフが今まで親しく接してきた人間は年の離れた大人ばかりで、女の子以前に、彼は同年代の人間と交流した経験に乏しかった。

 

「どうしよう」

 

 リーフはもう一度つぶやいた。しかし、別にどうするもこうするもない。アルフェが他意あって来ているのではないということは、彼にも分かる。しかし健全な一青年として、同年代の少女を家に招き入れているという事実に、今日まで研究一筋で生きてきた彼も、そわそわせずにはいられない。

 

「――ふっ。もてる男はつらいなぁ」

 

 人差し指でメガネを持ち上げて、色男気分でそうつぶやいてみた。あくまで冗談だ。

 しかしその時、地下からずずんと地響きが鳴り、机の上のビンが一つ、倒れて転がった。

 

「……ごめんなさい」

 

 リーフは思わず謝ってしまった。

しかし鍛錬と言っていたが、アルフェはいったいどんな鍛錬をしているのだろう。時折聞こえる爆発音や金属音は、彼女が使うような体術を訓練する際には、普通に生じるものなのだろうか。

 

「むむむ」

 

 彼はキッチンに立って、客人に出せそうな物がないか物色した。せっかく女子を家に迎え入れたのだから、気の利く男はお茶でも出すべきなのだろうと考えたからだ。

普段は外食ばかりなので、うまく入れる自信は無いが、それでも茶葉くらいはある。……あったはずだ。

 

 それからしばらく、リーフがキッチンで格闘を続けたにもかかわらず、お茶はまだ入っていなかった。

 地下から伝わってくる地響きは、まだ断続的に起こっている。

 

「参ったな……。お湯を沸かすまでは、魔術でできるんだけどなぁ」

 

 簡単そうに見えて、やってみようとすると意外に難しいものだ。リーフがそんなことを考えていたその時、入り口の方からノックの音が響いた。

 

「んん?」

 

 このアトリエに、一日に二度も来客があるなど珍しい。いや、かつて無かったことではないだろうか。

 

「はいはい、今出ますよ」

 

 そしてリーフが玄関の扉を開けると、そこに居たのは、彼の予期しない人物だった。

 

「おや、君は……、ステラ君じゃないか」

「こんにちは、リーフ君」

 

 玄関の前に立っている亜麻色の髪の少女は、治癒術士のステラだ。前に石化したリーフを治療してくれたのが、この少女だ。こんにちはと返して、リーフは尋ねる。

 

「先日はどうも。今日はなんの用だい?」

「“どうも”じゃないですよ」

「え?」

「“え?”って……。忘れたんですか? 定期的に経過を見せに来るように、言っておいたじゃないですか」

 

 そうだったっけと、リーフが首をひねる。その表情は本当に忘れていたようだ。

 

「もう……。そちらが一度も来ないので、私の方から来たんです」

「う~ん。でも、もう何ともないからさ」

「リーフ君、治癒士の指示はちゃんと守ってください。あなたは数日間石化していたんですからね? 元に戻れたからって、後から容態が急変することもあるんだから」

「ごめんごめん。次からはちゃんと行くよ」

「はぁー。そう言う人は、たいていもう来ないのよ……」

 

 眉をひそめたステラが、大げさにため息をついた。その声音にはむき出しの棘がある。

 

「どいつもこいつも、治癒士の言いつけを守らない患者ばっかりなんだから……!」

「ま、まあまあ、落ち着いて」

 

 ステラの怒りは、リーフ個人と言うよりも、不特定多数の誰かに向いているようだ。その剣幕に圧倒されたリーフは、うろたえつつもステラをなだめた。

 

「――ふぅ。まあいいです。それで、その後は何か、身体に変わったことはありますか?」

「ないよ」

「関節が固まって動かないとか、記憶に混乱があるとか」

「全然」

 

 それ以外にも、いくつかステラの質問が続いたが、リーフは気楽な調子で、どこにも異変は無いと答えた。

 

「――はい、分かりました。全て異常なし、と。ほんとに大丈夫みたいですね」

「ふふふ、もちろんさ」

「調子にのらないで」

「はい」

「じゃあ、私はこれで帰りますけど。いいですか、次に何かあったら、ちゃんと治癒士の指示に従って――、きゃあ! な、なに? 爆発?」

 

 念を押すように繰り返されていたステラの小言は、地下から響いたドゴンという振動によって遮られた。

 反射的に身をかがめたステラに対して、リーフは涼しい顔をしていた。

 

「ああ、気にしなくていいよ」

「そう言われても……。中で怪しい実験でもやってるんですか?」

「やだなぁ、違うよ。……僕って、そんな風に見える?」

「見えます」

「心外だなぁ」

 

 そんなことを話していると、アトリエの奥からリーフを呼ぶ若い女性の声が響いた。

 

「――え? 今の声……」

 

このアトリエにはもっとも不似合いな声を聴いたからか、ステラが不審な顔になる。ちょっと待ってねとステラに断って、リーフは地下への階段をのぞきこんだ。

 

「呼んだかい、アルフェ君」

「リーフさん、これを使ってもかまいませんか?」

「どれ?」

「これです」

 

 一抱え程ある鉄塊を、アルフェが両手で持っている。あれはアイアンゴーレムの頭部にしようと用意した鉄球だ。自分が運び込んだ時は、変性術で軽量化して持ってきた。とても普通の女の子には――いや、人間には持ち上げられない重量だと思うのだが、彼女は事も無げに持っている。

 

「いいよ」

 

 若干思考が麻痺していたリーフは、それを何に使うのかとも聞かずに承諾した。

 

「ありがとうございます。壊しませんから、安心してください」

 

 壊そうと思ったら壊せるのだろうか。リーフはそれも聞かなかった。

 

「どういたまし――うおぉっ」

 

 リーフが振り返ると、彼のすぐ後ろに、玄関にいたはずのステラの顔があった。彼女はえらく深刻そうな顔で、階段の下を見つめている。

 

「……あ」

 

 そして下にいるアルフェも、それに気が付いたようだ。彼女はなぜか手に持った鉄球を、危うく取り落としそうになっていた。

 

 

「アルフェちゃん」

「…………はい」

「どうして、勝手にいなくなったの?」

「……それは」

 

 ステラに問い詰められたアルフェは、そこまで言って少しうつむき、押し黙った。

 二人はリーフのアトリエのリビングで、向かい合ってテーブルについている。

 

 ――ステラ君、僕の時とは、なんか真剣さが違うなぁ。

 

 割って入れる空気ではなさそうなので、再びキッチンに退避していたリーフが、心の中でつぶやいた。

 どうしてステラがアルフェを問い詰めているのかは知らない。切れ切れに聞こえてくる会話によると、おそらく自分と同じように、アルフェも診察の約束をすっぽかしたりしたのだろう。

 

 リーフから見て、アルフェを見つめるステラの表情は、責める顔という感じではない。どちらかと言えば哀しげな表情だが、妙な威圧感というか、気迫がある。対するアルフェの方は、そのステラを前にして、リーフが知る彼女とは思えないほど弱々しく見える。ひょっとしたら泣き出してしまうんじゃないだろうか。そんな風に思ったほどだ。

 

 ――あんなに強いアルフェ君でも、あんな顔をするんだね……。

 

 初めて会った時のアルフェは、リーフ自慢のゴーレムを簡単に打ち砕いた。次に会った時には、共に行った廃坑探索で、バジリスクをはじめとする多くの魔物を蹴散らした。旅慣れていて、危険な魔物に遭っても堂々としていて、何事にも動揺せず、表情を崩さない。時にはリーフに対して、冷たい口調で皮肉も言う。

 リーフは彼女に対して、外見を除けば、まさに熟練の冒険者という印象を持っていた。それどころか、今まで彼が雇ってきた冒険者の中にも、彼女ほどの凄腕はいなかった。

 

 ――でも。

 

 今あそこに座っている彼女は、年相応の、ただの女の子に見えるから不思議だ。

 

 ――少しだけ、ステラ君の方が年上なのかな?

 

 彼女たちの正確な年齢を尋ねたことはないが、そう考えると、リビングにいる二人の様子は、姉に怒られてへこんでいる妹の構図に見えなくもない。

 さっきまで、初めて女子を家に迎え入れて舞い上がっていたことを忘れて、リーフはハラハラと話の成り行きを見守っていた。

 

「終わった……?」

 

 まだ座ったままのアルフェに、恐る恐る声をかける。あれからしばらくして、ステラは帰っていった。リーフはそれまでの間ずっと、キッチンの中で右往左往するしかなかった。

 

「……はい」

「そう」

 

 次にどんな言葉をかけるべきか、リーフは悩んだ。そこで思いついたのが、この言葉だ。

 

「仲直りできたかい?」

「……仲直り?」

 

 そう、仲直りだ。一から十まで話を聞いていたのではないが、二人の間を流れる空気は、悪い流れにはなっていなかったと思う。あくまでも、リーフの受けた印象だが。

 

「友達なんだよね? 友達は、大事にしなきゃだめさ。喧嘩したなら、仲直りしなきゃ」

 

 柄にもないアドバイスをしてしまった。得意げな顔になっていなかっただろうか。それにそんなことは、友人のいない自分が言うことではなかっただろうか。言ってから、リーフは少し体がむずがゆくなるのを感じた。客観的に見れば、かなり照れ臭い台詞でもある。しかしここは勢いだ。

 

「……とも、だち。――友達?」

 

 こちらを見て、あっけに取られたように、その単語を繰り返すアルフェ。しばしの後、彼女の頬がかっと朱く染まり、次いで酷く苦々しい表情になると、再びうつむいてしまった。今日の彼女は、なぜだかすごく表情が良く変わる。

 

「……黙って治癒院を抜け出したことは、許していただきました」

「良かったね」

「……はい」

 

 それきり、お互いの鼓動の音が聞こえそうなほどの沈黙と静寂が、室内を襲う。

 

 ――……ど、どうしたのかな。

 

 なぜだろうか、物凄く気まずい。

 

 うつむいたアルフェは、何であろうか、とても苦しそうな感じだ。とてもリーフが言うように、「良かったね」という表情ではない。

 もしかして、体調でも悪いのだろうか。――お腹が減っている? ――治療費を踏み倒した? まさかそんな。それとも自分の言葉の中に、何かまずいものがあったのだろうか。そんな風に、リーフの中で思考がグルグルと駆け巡る。ゴーレムや魔術以外のことについて、彼がこんなに真剣に考えたのは初めてだった。

 

「え、と」

 

 何か、慰めか励ましの声を掛けるべきなのではないか。しかしリーフも、こういう分野は全くの不得手だ。気の利く言葉など思いつかない。

 

「おほん。あ~、そうだ」

 

 多分、その時のリーフは、自分が思うよりもずっと混乱していたのだろう。

 室内の音声が途絶えてしばらくしてから、リーフはその重苦しい空気に耐え切れなくなって、苦し紛れに己の人生で初めての台詞を口にした。

 

「アルフェ君、明日暇かい? よかったら、気分転換に一緒に出掛けない?」

 

 再びの沈黙。

 

 ――は? 何を言ってるんですか?

 

 正直、リーフはアルフェに、それくらいの反応を期待していた。

 

 ――……報酬は出るんですか?

 

 あるいは彼女なら、辛辣に、そういうことも言うかもしれない。

 いずれにしてもリーフは、そう、弱々しい彼女を見ているのが嫌で、少しアルフェを元気づけたかっただけなのだ。己に似合わない、今のナンパじみた発言は、あくまでもただの冗談のつもりだった。

 

「……え?」

「え?」

 

 だから彼は、こうして彼女に、そんな不意を打たれた表情で見つめられるなどとは、考えもしていなかった。

 

「……」

 

 小さく口を開けたままのアルフェが、少し上目遣いにリーフを見ている。

 リーフが見たことのある、戦っている時の彼女の、恐ろしい魔物を力尽くでねじ伏せるほどの、あの強い意志を宿した眼光はそこにない。

そこにあったのはただ、どこまでも吸い込まれそうな、透き通った無垢な瞳で――

 

「えっ、いやっ……、あの……」

 

 それに捕らわれたリーフは、なかなか次の言葉が接げなくなってしまった。

 

「――あのっ、いや、そう、ほら……、そ、そうだ! 前に言ってた――約束してただろう!? 城の研究所に行こうって! この間廃鉱で見つけたあれを、鑑定、してもらわなきゃ!」

 

 ――これはまずい。非常にまずいぞ。

 

 そう思ったリーフは慌てて目をそらし、手をわたわたと動かしながら、リビング中に響くほど、妙に声を張り上げる。しかし、いったい何がまずいのだろうか。それは彼自身にもよく分かっていなかった。

 

「……研究所? ――ああ」

「そ、そう。関係者が居ないと、滅多に行くところじゃ無いと思うし、アルフェ君の冒険者の仕事にも、何か参考になるものがあるかもしれないし」

 

 早口にそう言いながら、リーフはゆっくりと、視線をアルフェの顔に戻す。

 彼女の目はもう、青年を見ていなかった。横顔から見える瞳は、再び強さを取り戻し、さっきまで感じた弱々しさも、彼女の表面からは消えている。

もしかして、あれはリーフが見た幻だったのだろうか。それを見て、リーフはとてもほっとしたような、非常に残念なような、そんな複雑な気分になった。

 

「――でも、君が忙しければ、別にいいんだ。……本当に」

 

 そこまで言い終わって、リーフは、いつの間にか握っていた手のひらが、じっとりと汗で濡れている自分に気付いた。

 

「……どう?」

 

 そうだ。これは前から誘っていたことだ。タイミングが悪かった気もするけれど、別に不自然、非常識というほどではない。

 ――でも、でも、できるなら断ってほしい。彼女が断ってくれれば、この気まずい雰囲気も、それで終わりにできる。

 

「……そうですね」

 

 間を置いて放たれたその声を受け、リーフの心臓が一つ跳ねた。

 アルフェはいつもと変わらない調子で喋っているはずなのに、リーフには、少女の声がさっきまでと違って聞こえた。

 

「いいですよ。明日、何もお仕事がなければ」

「え」

 

 自分は今日、彼女に軽い運動の場所を提供するだけだったはずなのに、何がどうしてこんなことになったのだろう。心の中で自問するリーフに対し、いい知恵を授けてくれる人間は、少なくともここにはいない。

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