白銀のヘカトンケイル   作:北十五条東一丁目

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第48話

「あの、主任」

「なんです? チェスタートン」

「どうしてわざわざ、城まで来たんですか?」

「ああ……」

 

 リーフが疑問を投げかける。魔術研究所の主任であるオスカーは、なぜか研究所を出て、伯の城の敷地内までリーフとアルフェを連れてきていた。

 

「こちらの方が、風が通って気持ちいいですからね」

 

 悪びれもせず、オスカーはそう答えた。

 緑の中庭に、白いテーブルが一つ据え付けられている。彼は手まねで二人に向かって座るように促すと、お茶を持ってきますと言ってその場を離れた。

 

「どうしようか」

「……とりあえず、座りましょうか」

「そ、そうだね」

 

 アルフェはあっけに取られていたリーフを誘い、椅子に腰かけた。

 暑い時間帯だが、このテーブルだけには木陰が掛かっている。木々との位置関係から見ても、造園家の手によって、そのように計算して配置されていることがうかがえた。

 

「あの方は、どういう人なのですか?」

「え? あ、ああ。主任は、研究所の主任研究員だよ。多分この領邦で一番の魔術士さ。変わった人なんだけど……、今日はいつもよりもっと変わってる。どうしたんだろう」

「ユリアン様の秘書官だそうですが」

「そうらしいよ。そっちの話はよくわかんないけど」

 

 政務の方面でも優秀で、以前からユリアンを補佐してきたのだと、リーフは説明してくれた。

 

「そうなんですか……。あ」

 

そこでアルフェは何かを思い出した顔になり、スカートのポケットから黒い石を取り出した。

 

「これ、お返ししておきます」

「あ、そうだね。ありがとう」

 

 そのやり取りの途中で、オスカーは戻ってきた。お茶を用意すると言った割には早い帰還だ。手ぶらなところを見ても、誰かに申しつけてきただけのようである。

 

「それは魔石の一種ですね。ギベリナイトとゲルフライトが混合した――、どこで見つけました?」

 

 オスカーは、リーフの手に乗った小さな石を一目見ただけで、その組成を看破した。

 

「ギベリナイト? じゃあ、あんまり珍しくないですね……」

 

 鉱石の種類を聞いたリーフは、残念といった表情をする。アルフェがその名前を聞いてもぴんとこないが、きっとありふれたものなのだろう。

 

「そうでもないですよ。魔力含有量や伝導率が高いので、用途はあります」

「うーん。でもやっぱり、僕のゴーレムには使えないですね。量が少なすぎるし」

「魔力核に活用したらいいでしょう。これなら従来型よりも、多くの術式を刻むことができる」

「でもそうなると、周辺素材との結合が――」

「――あの廃鉱でこれを発見したのですか? 魔物の巣になったので放棄されましたが……、再開を検討する余地がありますね」

 

 リーフとオスカーによる魔術議論は、少しずつ白熱していく。アルフェが庭を眺めながらその話に耳を傾けていると、三人の使用人の手によりティーセットが運ばれてきた。

 

「ああ、来ましたね、お茶にしましょう」

 

 議論に熱中していたように見えたオスカーが、ぱっと表情を切り替えてそう言った。

 使用人たちは恭しくカップの中にお茶を注ぐと、一礼して引き下がっていく。テーブルの中央には、高級そうな焼き菓子が添えられていた。

 そして、使われていないカップがもう一組。

 

「アルフェさん、君とはぜひもう一度、話をしてみたかった」

「あの件について、私が知る限りのことは全てお話しました」

「あの件? ああ、劇場のレイスのことは置いておきましょう。私が知りたいのは、君自身のことです」

「私自身?」

 

 オスカーが、アルフェに話の水を向けてくる。何かの意図があって、この男は自分を招いたのだとは思っていたが、さて、彼は一体何を聞こうとしているのか。

 

「君は、実に興味深い肉体をしている」

 

 磁器製のカップの持ち手が、アルフェの細い指の間で、みしりという音を立てる。お茶を噴いたリーフを見て、そういう意味ではありませんよとオスカーは言った。

 

「君――、ご両親はどんな方です?」

「……私が小さい頃、死別しました」

「そうですか」

 

 ――この男……。

 

 一瞬、クルツと同種の人間かと思ったがそうではない。

 アルフェの中に有る、目の前の男に対する警戒感が跳ね上がった。

 

「少し話題を変えましょう。魔術について学んだことは?」

「この前もお話ししました。簡単な治癒術だけです。……あの、これは以前の尋問の続きですか?」

「え? ああ……、そうではありません。ただの興味です。魔術士としての。……そうだな、簡単な、魔術の講義をさせてもらいましょうか」

「しゅ、主任?」

 

 場の空気についていけないリーフが、はらはらとした顔をして、アルフェとオスカーを交互に見た。

 

「まあいいじゃないですか。今、上司の命令で新しく魔術学校を設立しようという計画もあります。そうなったら私も多分『先生』ですからね。講義の練習も兼ねて」

 

 そう言いつつ、オスカーは何気なく、開いた手のひらの上に火球を作り出した。拳ほどの大きさの火球だ。詠唱も無ければ、魔力を集束する隙も全く無かった。

 

「これは、最も初歩的な魔術の一つです」

 

 少し学べば、誰にでもできる。彼はそう続けたが、隣にいるリーフはふるふると首を横に振った。

 

「しかし、人間がこれを体内の魔力だけで行おうとすると、かなり困難です。それなりの魔術士でも、一、二回唱えれば、疲労で立っていられなくなるでしょう」

 

 手のひらの炎をかき消して、オスカーが続ける。

 

「ですが研究所の魔術士であれば、この程度の魔術は、その気になればいくらでも放てます。そうですね? リーフ」

「いくらでもってことは……。でも、十発か、二十発くらいなら。……無理をすれば、もう少し」

「自分の魔力で?」

「いえ……」

「そう、魔術を使う際、魔術士は体内の魔力――オドではなく、外界に満ちるマナを利用します。常識ですね。そしてその理由は単純です。人間一人の身体に宿る魔力が、たかが知れているからです。知っていますか? 平均的な人間とゴブリンでは、ゴブリンの方が体内魔力の量が多いんですよ。それも、圧倒的に」

 

 そこで一度言葉を切って、オスカーはカップに口をつけた。

 

「さらに、特定の魔物は魔術を行使することができますが、その過程は我々とは大きく異なります。彼らは本能的に、その体内にある豊富なオドを利用して、強引に魔術を発動させているのです。それに対して、魔術士というものは、僅かなオドを呼び水として、マナを使う――言い換えれば、魔術士とは、オドが豊富な人間というよりは、マナの使い方を心得ている人間なのです」

「話が見えません」

「しかし、この『使い方』が難しい」

 

 アルフェが冷たく言い放った言葉を、オスカーは無視した。

 

「不定形なマナを加工して、人間が望む魔術を発現させるためには、恐ろしく繊細な手順を踏まなければなりません。極論すれば、その手順を分かりやすく体系化し、先人たちがまとめたもの、それが魔術です。人間が魔物よりも高度な魔術を行使できるのは、魔力よりも、その知恵によるところが大きい。そういうことですね」

 

 ここでようやく、オスカーの言葉が途切れた。無表情にそれを聞いていたアルフェの目が彼に向けられる。初夏の庭の気温が、少し下がった気がした。

 

「結局、あなたは何を仰りたいのですか?」

「回りくどかったですか?」

「そうですね。『先生』としては、余りよくないと思います」

「手厳しいですね……。でもまあ、いいでしょう。単刀直入に言います」

「そうしてもらえれば」

「では。――君の保有する魔力量は、異常です。非人間的――怪物的と言ってもいい。高位の魔物でも、君ほどの魔力を持っているものはそういない。」

「ちょっ――主任!」

 

 机に手を突いたリーフが、顔色を変えて立ち上がる。机の上のティーセットが、ガチャリと揺れた。

 

「そしてそういう人間には、ある種の共通点があります。……もう一度聞きましょう。君の、ご両親は?」

「死にました。小さい頃に」

 

 最初と同じ質問に対して、アルフェもまた、同じ答えで返した。

 

「あとは例えば、ご兄弟は――」

「いません」

「……」

 

場に沈黙が流れる。

 

「ふーん。そうですか」

 

 そう言うと、急に態度の崩れたオスカーは、両手を頭の後ろに回して脚を組み、背もたれに寄り掛かった。

 

「別に、あなたの悪いようにはしないつもりなんですけど」

「実験の材料にでも、お使いになりますか?」

「いいですねぇ、それ」

 

 オスカーが、ぱちんと鳴らした指をアルフェに向ける。

 

「ちょっと主任! いい加減にしてください! 何を言ってるのか――」

「どうしてあなたが怒るんですか、チェスタートン。それに、この子は理解しているからいいんですよ」

「――そうですね。でも、この話はもう、このくらいにしませんか?」

「私は、もうちょっと続けたいんですが……」

 

 しかしオスカーは、そこまで言って、余ったもう一組の茶器に目を向けているアルフェに気付いた。彼がその顔に張り付けた笑みが大きくなる。

 

「ああ、君は思ったよりも聡明な子みたいですね……。――うん、チェスタートン、ちょっとついてきてください」

「え、え?」

「いいからいいから、あっちで話しましょう」

「えええ?」

 

 最後まで会話の流れをつかめなかったリーフを、ここに来た時と同じように、肩を抱いて連れ出すオスカー。中庭のテーブルには、アルフェ一人がぽつんと残された。

 

 一人? いや、遠くから見ているつもりでも、この気配は隠しようが無い。

 

「……その様子だと、私が来るのは予想していたようだな」

 

 そして相手も、隠れる気など端から無かったようだ。リーフたちが去ったのとは別の方向から、彼が姿を現した。

 

「ユリアン・エアハルト――、様」

 

 

 中庭から音が消えた。少なくとも、アルフェには消えたように感じられた。

 

 灰色がかった金の髪に、不機嫌にひそめられた眉。

 質素な軍服の奥にある、練り上げられた体躯。

 そこまでを目で見ることができても、その男がまとう、息苦しいほどの圧力。それは並みの人間では感じ取ることができない。幾つもの修羅場を越えてきたアルフェだからこそ、こうしてそれを理解することができるのだ。

 

 二人の男女の間に漂う緊張感。

アルフェの首筋を流れる一筋の汗は、夏の暑さによってもたらされたものか。それとも――

 

「先日は、名乗らなかったと思うが」

 

 その気配に似合った重たい声が、男の口から発せられる。アルフェはそこで、呼吸を忘れていた自分に気付いた。

 

「どこで私の名前を知った?」

「……その前にまず、お座りになられては?」

 

 平静を装って、アルフェは言った。

 テーブルの上には一組、手つかずの茶器がある。それを一瞥した後、ユリアンはテーブルを挟んで、アルフェの向かい側に座った。詰め所で尋問された時と同じ配置だ。

 

「またこうして、すぐ会うことになるとは思わなかった」

 

 彼の言う通り、アルフェが詰め所で尋問を受けてから、まだ一日しか経っていない。

 

「私は、お会いしたかったですが」

「……ほう」

 

 ユリアンは椅子についたが、彼に給仕しようという人間は寄ってこない。人を払ってあるのだろうか。

 アルフェは無言で立ち上がると、ユリアンの傍に行き、そのカップに茶を注いだ。

 

「君は、なんだ?」

 

 大真面目な様子で、ユリアンは茶を注ぐアルフェの横顔に問いかけた。

 

「どうして笑う」

「お聞きになっている意味が、分かりませんから」

 

 なんだと言われただけで、答えられる人間がいるだろうか。

 アルフェは再び、椅子に座った。その一挙手一投足を、男の目が追っているのを感じる。

 

「家族はいるのか?」

「いません。その辺りの質問には、あなたの秘書官に全てお答えしました」

「……」

「それより、私からユリアン様にも、お聞きしたいことがあるのですが」

「何を」

「どうして私と、二人きりで話をしようと思ったのですか?」

 

 先のオスカーの言動は、この状況を予期してのものだろう。それが、彼の独断だとは思えない。ユリアンがアルフェの質問に答えるまで、少し考える間があった。

 

「……不可解だからだ」

「何が?」

「君がだ。君が、何者なのか。どうして“あれ”の手下をしているのか」

 

 そう言ってアルフェを見つめるユリアンは、目の前のカップに全く手を付けようとしていない。

 

「ユリアン様」

 

 アルフェはそっとテーブルに指を添えて、椅子から立ち上がる

 

「それなら一つ、私を知るいい方法があります」

 

 その言葉は、少女の口から出たとは思えない、妖艶な声色で紡がれた。

 アルフェはテーブルから離れ、日差しの中に入ると、くるりと振り向いて言った。

 

「ユリアン様、私と一度――手合わせを願います」

「……」

「いけませんか?」

 

 アルフェがもう一度聞いても、ユリアンは無言のままだ。

 アルフェの言葉の意味を、理解していないのだろうか。いや、違う。アルフェには確信が有った。この男は分かっている。分からないはずがない。

 

「昨日、初めてお前を見た時――」

 

 “君”ではなく“お前”と、ユリアンはアルフェの呼び方を変えた。

 

「何かに襲われたような気がした」

「それは、失礼しました」

 

 ユリアンがゆっくりと立ち上がる。

 

「まさかとは思ったが――、人は、見かけによらない」

「そうですね。人を見かけで判断してはいけません」

 

 アルフェの声と視線には、挑発的なものが含まれている。そうやって虚勢を張らないと、緊張で声がうわずってしまいそうだ。だが、この男と手合わせすることには、そうするだけの価値がある。こんな遣い手と戦う機会は、滅多に無い。

 

「はは」

 

 その時、ユリアンの不機嫌そうに固まった表情が、初めて動いた。彼の口の端に浮かんだのは、間違いなく――

 

「――いいだろう。このユリアン・エアハルトが相手をしてやる」

 

 戦えることを、喜ぶような笑み。アルフェはそこに、この男の本質を見た気がした。

 

 

「待たせた」

 

 ユリアンは中庭の端まで行くと、その手に二本の木剣を持って戻ってきた。よくある訓練用の木剣だ。アルフェの姉も、同じようなものを使っていた。

 なぜ中庭に木剣があるのか。脚を拡げて、身体をほぐしながらアルフェがそう思っていると、ユリアンは言った。

 

「鍛錬のためだ」

 

 ユリアンの眉間に刻まれた皺は、心なしかさっきよりも浅くなっている。

 

「お前も木剣でいいか」

「いえ」

「では長柄か? それもあるが、練兵場まで行かなければ」

「何も、要りません」

「何? それは――」

 

 ユリアンの視線が、アルフェの身体の上をしばしさ迷う。

 

「――体術か」

「はい」

「……」

「いけませんか?」

 

 立ったまま両手を地面についていたアルフェが、身体を起こす。

 

「いや、珍しいと思っただけだ」

「よく言われます」

「その服で動けるのか」

 

 次にユリアンは、アルフェの服装を見とがめた。確かに、この長いスカートは戦いにはふさわしくない。特に、相手が彼のような実力者の場合には。

 

「いいえ。ちょっと失礼します」

 

 だからアルフェはスカートの腰止めを解き、そのまま立っている地面に落とした。

 下から現れたのは、腿まで覆った短いズボンだ。昨日のように、服装のせいで満足に動けず、不便を感じたことがこれまでも何度かあった。だからこれを用意したのだが、早速役に立つとは思わなかった。アルフェは少し得意げな顔をしている。

 

「これで……、ユリアン様?」

 

 これで問題無いと言おうとしたところ、ユリアンはどうしてか、真横を向いてアルフェから目をそらしている。その眉間の皺が、再び深くなっていた。

 

「どうかされましたか?」

「……いや。冒険者とは、皆そんな風なのか?」

「は?」

「気にするな」

「――では」

「ああ、始めよう」

 

 中庭の芝生の上、向かい合って二人は構える。

 ユリアンの得物は何の変哲もない、長剣を模した木剣。それを素直に正面に構えている。

 

「――む」

 

貴重な時間だ。一片も無駄にしたくない。ユリアンの眼前にいたアルフェの姿がかき消えた。彼女は相手の懐に潜り込んで、そのまま脇腹に拳を――

 

 ――っ!

 

 間合いに入る直前に急停止し、大きく跳びすさる。

 ユリアンの木剣が、彼の右脇に伸びた自分の腕を、肘から切り落とすイメージがはっきりと見えた。

 それはとても生々しい映像で、きれいに露出した腕の断面から中々血が出てこないところまで、アルフェには鮮やかに想像できた。

 

「早く来い」

 

 ――やはり、強い。

 

「今更、臆したのか?」

「――すぅ」

 

 答える代わりに息を吸ったアルフェは、今度はむしろ、ゆっくりとした動作で間合いを詰める。

 相手の間合いのぎりぎり――ユリアンの木剣は、この広い中庭のどこにでも、ほんの一歩で届きそうな気がするから、その意味は薄いと思うが――、ぎりぎりに立って、すり足で僅かに位置をずらしていく。

 ユリアンの構えは、正眼から微動だにしない。

 

「心配するな」

 

 隙をうかがうアルフェに向けて、ユリアンが口を開いた。

 

「オスカーなら、腕くらいは繋げられる」

 

 初めて、ユリアンの方から動いた。

 のど笛を狙った突き、初手からアルフェを殺しに来ているかのような、遠慮の無い一撃。

 紙一重で避け――られるほど甘くない。アルフェは大きく横に跳んで、逃げるようにかわした。

 

「――はっ」

 

 慌てて体勢を立て直し、相手を見るアルフェ。その額に、冷や汗が浮かぶ。

 

 ――動いて、いない……!

 

 そうだ、ユリアンは彼女を突いてなどいない。足を少し、彼女に向けて踏みかえただけだ。

 攻撃の意志だけを飛ばした、果てしなく高度な牽制。

闘いにならない。彼我の力量の差があり過ぎる。

 

「――ふふ」

 

 なのに、アルフェの表情には笑みが混じる。

 

「どうした」

 

 ユリアンにも、今のアルフェの気持ちまでは理解できないだろう。

 

「いえ。――胸を、お借りします」

 

 そう言って、再びアルフェは足を前に出した。

 

 全力で踏み込んで、打つ。当然のように相手は避ける。分かっているから、何の気負いもなく、全力で。それをただただ、繰り返す。

 打ち込んだアルフェの隙目掛けて、相手の攻撃が迫る。向こうは全力には程遠い。だがこちらはそれを、必死にならなければかわせない。

 

 繰り返すうちに、雑念が消えていく。緊張感と疲労が心地いい。初夏の日差しも、木々のさざめきも、遠いものになっていく。

 一年前には、アルフェはこんなことを、あの人と毎日のように――

 

「がはッ――」

 

 斬り下ろしの終わりを狙った打ち込みを素手でいなされた。中空で一回転したアルフェの身体が、背中から芝生に叩きつけられる。

 実戦なら、ここで首を刎ねられて死んでいる。いや、それを言うならもう、この試合の中でアルフェは何度も死んでいる。

 

 ユリアンは追撃してこない。アルフェが立ち上がるのを待っているのだ。

 

「ふ、ふふふ」

 

 手のひらで汗を拭って、身を起こそうとする。

 

「身体強化の魔術か」

「……?」

 

 最初の攻防から、ユリアンはほとんど位置を変えていない。彼の重たい声が、頭の上から降ってきた。

 

「……似ているが、違うか。もっと原始的な発想だ」

 

 アルフェはユリアンの顔を見た。彼は鋭い目で、アルフェを見据えている。

 

「体内の魔力を見境なく、肉体の強化に使っている。……歪んでいるな。常人がやれば、数十秒と持たない。その前に、魔力が枯渇して死ぬだろう」

「……」

「お前はそれを、自力で身に着けたのか?」

「……何を、言いたいのです」

 

 場の空気が一変した。中庭にいた鳥たちが、一斉に飛び立つ。

 

「強くなるために、どうしてその方法を選んだ」

「……」

「お前にその技術を教えた者がいるなら、それは愚か者だ」

「黙りなさい」

「お前はいつか、その力で身を亡ぼすぞ」

「――うるさい!」

 

 立ち上がったアルフェは、貫き手でユリアンの喉を狙った。今までで、最も迅い一撃。いかに相手が格上とは言え、当たれば致命傷を免れない。その手には、確かに殺意が乗っていた。

 頭を振って、ユリアンはそれを避けた。アルフェの指先がわずかに掠り、彼の首に血がにじむ。

 

「ぐッ」

 

 その直後、こめかみに命中した柄頭が、少女の視界を暗転させた。

 

 

 木のさざめきで目を覚ました。

 

「つぅ……」

 

 芝生の上に仰向けになっていたアルフェは、片手で頭を抑えながら半身を起こす。

 彼女は、意識を失った地点とは違う場所にいる自分に気付いた。陽だまりの中でうつ伏せに倒れたはずの自分が、木陰になった椅子の横で、仰向けに寝ていたのはなぜだろう。そう言えばこの椅子は、さっき座っていた――

 

「起きたな」

 

 そう言ったユリアン・エアハルトが、椅子に座りながら、相変わらずの渋面でアルフェを見ている。

 太陽の位置から見て、アルフェが気を失っていた時間は、それほど長くないようだ。

 

「……はい」

 

 終わり方が終わり方だっただけに、アルフェは少し不機嫌な表情をしていた。

 

「お前の技には長所もあるが、欠点も多い」

「はい……、は?」

「せっかくの恵まれた魔力を、持て余している。力任せに振り回すだけでは、通用しない相手もいる」

「……」

「動きが一辺倒な上、一つ一つの技が、まだまだ練られていない。稽古と――実戦を積み重ねるしかないな。……どうした」

 

 技術的指導を並べ立てるユリアンを無視して、再び芝生に倒れこみ、大の字になるアルフェ。その彼女に、ユリアンが声を掛けた。

 

「悔しいです」

「負ければ悔しいものだ。だから、強くなろうとも思える」

「そうですね」

 

 目を閉じると、風の音がより大きく感じられた。

 

「負け惜しみを言ってもいいですか」

「なんだ」

「私は、あなたよりも、ずっと強い人を知っています」

 

 “あなたよりも”ではなく、本当は“誰よりも”――少なくともアルフェは、そう信じている。

 

「……私より強い人間など、どこにでもいるさ」

 

 ユリアンはそう言うと、さっきアルフェが注いだ茶のカップに口を付けた。

 

「……ぬるいな」

「当たり前です」

 

 渋面をより渋くして、ユリアンがつぶやいた。これだけ時間が経てば、当然の感想だ。

 両足を高く持ち上げてから、反動を付けてアルフェは跳ね起きる。

 

「ユリアン様、本日はありがとうございました」

「ああ」

 

 最後は妙な流れになったが、アルフェにとってはやりたいことができた訪問だった。しかし、この男にとってはどうだったのだろうか。

 

「こちらも久しぶりに、まともな稽古ができた。礼を言おう」

 

 意外な言葉を聞いた気がする。アルフェは目礼すると、地面に落ちていたスカートをはいた。

 

「……リーフさんは、どこに連れて行かれたのでしょう」

「リーフ・チェスタートンなら、オスカーのお気に入りだ。妙な事はしないだろう。それに、あいつなら――」

「終わりましたか?」

 

 ユリアンの言葉の途中で、中庭の端に現れたオスカーが声を掛けてきた。その傍らには、どうしてそうなったのか、よれよれになったリーフを伴っている。

 

「ご覧の通り、耳ざとい男だ」

「おや? 私の悪口でも言ってたんですか?」

「では、私たちはこれで失礼させていただきます」

「ああ」

「無視ですか?」

 

 にこやかに微笑むオスカーを放置して、アルフェは疲労困憊しているリーフを受け取った。それからもう一度別れの言葉を繰り返して、彼女はユリアンとオスカーに背を向けた。

 

「近いうちにまた会おう、アルフェ」

 

 最後に、アルフェの背中に掛けられたユリアンの声は、確かにそう言っていた。

 

 

「リーフさんは、あの方と城で何をしていたのですか?」

「聞かなくていいよそれは……、あんまり思い出したくないから」

 

 うんざりした顔で、リーフが口走る。その顔色は相当に疲れた様子だ。

 

「主任はいっつもあんな風にマイペースだから、研究員の僕らは大変さ」

「リーフさんが成長したら、ああいう感じになりそうな気もしますが」

「ええ……、そうかなぁ。……それよりも、アルフェ君は何を話してたの? ユリアン様と二人きりで」

「他愛もない話です。――でも、まあ、収穫はありました」

「ふーん?」

 

 それからしばらくは、二人とも無言だった。

 大通りを歩く途中、工房区域と冒険者組合のある区域との分かれ道まで来て、リーフが再び口を開く。

 

「あのさ、今日、楽しかった?」

「……?」

「いや、主任が変なこと言ってたりしたから……。もしかして、気を悪くしちゃったんじゃないかな、とかさ」

「……ああ、そうでしたね。それは別に気にしていませんし、……そう、楽しかった、ですよ」

 

 何はともあれ、あれだけ力を振り絞ったのは久しぶりだ。

 

「そ、それならいいんだ。この石も、あんまり大したものじゃなかったし、がっかりさせたかなと思って」

 

 リーフの手には、小さくなった魔石がある。例え無価値だとしても、艶のある黒の中に緑色の帯がかかって、それなりに美しい。だからアルフェは、思った通りのことを言った。

 

「確かに残念ですが……、それはそれで綺麗ですから、いいんじゃないでしょうか」

「そ、そう?」

 

 またリーフは口を閉じた。

 もう、今日の予定は全て終わった。何も無いなら、ここで別れて宿に帰ろう。アルフェがそう考えたところに、何か意を決した表情のリーフが言った。

 

「あの! じゃあ、これ、アルフェ君にあげるよ」

「え? リーフさんがゴーレムの材料に使うのでは?」

「まあ、それは今度、代わりを取りに行くことにしてさ。また今度……、二人でさ」

「はあ、……いいんですか?」

「うん! 別に売り払っちゃっても、何でもしてくれていいから!」

「さすがにそれは、しませんが……」

 

 以前に同じようなことをしようとして、誰かに怒られた記憶がある。

 

「はい、どうぞ!」

「あ、ありがとう、ございます?」

「うん! それじゃあ!」

 

 それだけ言って、疲れ切っていたはずのリーフが、猛然と駆け出していく。

 光る黒い石を押し付けられた少女は、遠ざかる青年の姿を、あっけに取られてただ見ていた。




アルフェの装備メモ:
町中にいる時は村娘のような格好。下は基本はロングスカートで、上は季節に応じて。
冒険に出かける時はスカートが膝上になり、鋼のグリーブ、革のブレーサー、革の胸当て、コンラッドの騎士マントを装備。
装備の更新は検討中です。ネタ求むです。
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