白銀のヘカトンケイル   作:北十五条東一丁目

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第51話

 リグスの言い出した内容があまりに唐突だったからか、リーフはそれをすぐには飲み込めないようだった。

 

「え?」

「……」

 

 また、からかわれている。リーフはそう思ったが、リグスの表情は真剣で、その声音にはふざけた響きも無かった。

 

「そ、そりゃあ、僕みたいなのじゃ不釣り合いかもしれないけど、そんな風に言うことは――」

 

 リーフのその言葉は、アルフェに惚れているのかというリグスの質問を認めたも同然だったが、彼自身はそれには気づいていないようだ。

 

「違うよ、坊ちゃん」

 

 慌てるリーフの様子を見て、リグスはむしろ優しい声になった。

 

「釣り合わねぇのは、あいつの方さ」

「……どういうこと?」

 

 険悪な表情をする少年と、やれやれと石垣に腰かけるリグス。彼は手まねで少年にも腰を下ろすように伝えたが、リーフは立ったままだった。

 

「坊ちゃんがあいつと会ったのは、あいつがウルムに来てからだろ?」

「そうだよ」

「ついこないだじゃねぇか。どこに惚れた。顔か?」

「かっ、顔は確かにかわ、可愛いけど、いや、そうじゃなくて――」

 

 歯に衣着せぬリグスの問いかけに、リーフはうろたえる事しかできていない。

 

「確かにあいつの見た目はいいさ。そんじょそこらにいる玉じゃない。俺がお前の歳なら、同じように惚れてたかもな」

「惚れてないって!」

 

 顔を真っ赤にして否定する少年を見て、リグスの口にまたしても苦笑が浮かぶが、それはすぐに見えなくなった。

 

「だがな、坊ちゃんは他に、あいつの何を知ってる」

「な――、そういう隊長は、アルフェ君の何を知ってるのさ」

「知ってるよ。少なくとも、お前よりは」

 

 確かに、自分はあの少女と数か月足らずの、それも依頼を通したわずかな付き合いしかない。それに対して、リグスはウルムに現れる前のアルフェを知っている。反論できずに、リーフは口を閉じた。

 

「……そうだな、例えばお前は、あいつが戦っているところを見たことがあるか?」

「あ、あるよ。今日だって一緒に――」

「戦うったって、あんな雑魚の話じゃない。もっと別の話だ」

「それは……」

「冒険者が戦うのは、魔物相手だけじゃねぇってことさ」

「う……」

 

 冒険者も傭兵も、時には魔物以外の敵――人間を相手にすることがある。

 あの少女も、人間をその手にかけたことがある。だから、彼女は自分とは違う世界の住人だと。この傭兵隊長は、自分にそれを伝えたいのだろうか。リーフはそう考えた。

 人殺し――。街で安穏と、危険とは遠く育ってきたリーフには馴染みの薄い言葉だ。だが、あの歳で冒険者として生きてきた彼女の境遇を思えば、それも仕方がないではないか。降りかかる火の粉は、払わなければならない。それだけで彼女を嫌悪する理由にはならない。

 

「それが――、それがどうしたの?」

 

 リーフは普段の彼に似合わない、鋭い目でリグスをにらんだ。

 

「冒険者じゃなくても、兵隊や騎士だって、そういうことはあるじゃないか。隊長たちだってそうだろ?」

 

 そう言えば、彼女はどうして、何のために冒険者をしているのだろう。そんな疑問が、今更のようにリーフの中に生じた。リグスの言う通り、自分はあの少女について何も知らないかもしれない。それでも、黙っていることができずにリーフはまくしたてた。

 

「ああ、そうだ。その通りだ」

「そうさ。隊長はあの子が、人を……殺したって言いたいんだろ? だからって、それくらいで。確かにアルフェ君は、ちょっと冷たいところや、乱暴なところもあるけど、それでも、別に普通の女の子で――」

「――普通だと?」

「え……」

「お前には、あれが“普通”に見えるのか?」

「……」

「俺には、見えないがな」

 

 言葉に詰まったリーフから視線を外して、中空を見つめながら、リグスは語り始めた。

 

「……今から一年近く前のことだ。そのころ色々あってな、俺たちは別のある傭兵隊とモメてて、そいつらの砦に一戦交えに行ったんだ」

「……」

「相手はまあ二流以下の――、山賊と変わらねえ屑どもだった。仁義の欠片も無い奴らで、仲間内の評判も最悪でな。だが、腕だけはそれなりに立つ連中だったよ」

 

 訥々と喋っているリグスの横顔は暗い。リーフは彼の話を、黙って聞いている。

 

「その時は俺も、手下を何人か死なせる覚悟をしてたが……、そうならなかった。どうしてだと思う?」

「……知らないよ」

「……俺たちが連中のねぐらに辿り着いたとき、相手はもう、全員死体になってたからだ。……五十はいた手練れの傭兵が、全部。そしてそれをやったのが――」

「……アルフェ君」

 

 小さな声で、リーフはその名をつぶやいた。

 天には、話の血なまぐささとは不似合いな星空がどこまでも広がり、夏の星座が瞬いている。

 

「そうだ。それが、俺があいつと初めて会った時の話だ」

 

 話し終わったリグスは、頭の中でその時の光景を思い出している。これでもリグスは、あの光景を少年に伝えるにあたり、努めて柔らかい表現を選んだつもりだった。

 

 あの日、彼らが踏み込んだ砦の中には、この世の地獄が広がっていた。どてっ腹をぶち抜かれた死体。首を力任せにねじ切られた死体。脳天からまたぐらまで、縦に二つに割られた死体。頭から石の天井に突き刺さった死体。何かから逃れようと這いずった挙句、廊下でこと切れていた死体。魔術で身体が爆散したとしか思えない、無惨な死体もあった。

 リグスも長く傭兵をやってきたが、あれほどのものは、そうそうお目にかかるものではない。

 

 ――……まだ、残りがいましたか。

 

 そして転がる躯の中で一人立っていた、牙をむいた魔獣のような娘。臓物の付着した、血の滴る手。赤黒いもので全身を、顔まで染めながらこちらを振り向いた彼女の、憎悪を孕んだ凄絶な眼の光。――そうだ。あの現場にいて、娘のあの瞳を見た者ならば、リグスの言いたいことは言わずとも理解できるはずなのだ。

 

「――だから、やめとけ。……あれは、お前とは違うんだ」

 

 この少年は、あの娘について何も知らない。少なくともあれは、そんな憧れを秘めた瞳で見つめる相手ではないというのに。

 

「……隊長はどうして、そんなことを、僕に」

 

 リーフがつぶやき、リグスは地面を見て頭をかいた。

 確かに、クルツの方にはこんなことまでは言わなかった。彼がどうして、わざわざ少年の甘酸っぱい想いに水を差すような話をする気になったのか。それは、酔いのせいばかりでもなさそうだ。

 

「さあな……」

 

 リグスは濁したが、これは彼なりの、少年に向けた真摯な忠告のつもりだった。

 あの時に比べると、娘は信じられないほど丸くなった。しかしそれも表面だけだ。あの光景を、あの頃の娘を覚えているリグスには、その娘が見た目通りの可愛らしい存在ではないことは、重々分かっているのだ。

 

 薄皮一枚剥けば、その下には、あの獣の本性が隠れている。

その彼女が普通の生活を送れるとは、彼には全く思えなかった。まして普通の色恋沙汰など、できるはずもない。あの娘は、望むと望まぬに関わりなく、一生修羅場で生きていくしかない。あれは、それしかできない娘なのだ。分かっている。他ならぬリグス自身がそうなのだから。

 

「確かに、余計なことを喋ったな」

 

 自分が言わなくとも、この少年もいつか己で気が付いただろう。だがどうせいつか知るならば、早い方が傷も浅くて済む。

 

「どう言っても、坊ちゃんが判断することだしな」

 

 いつの間にか、傭兵たちの馬鹿騒ぎも静まったようだ。二人が黙ると、虫の声しか聞こえなくなった。俺は寝るよと言いながら、リグスは立ち上がる。彼はすれ違いざま少年の肩を叩くと、宿舎へと戻っていった。

 

「……」

 

 独り残されたリーフは、しばらくその場に立ち尽くしていた。

 今の話を聞いた後で、すぐに眠る気にはなれなかったからだ。

 

「……そんなの」

 

 関係ないさと、リグスのいる前では、彼は言えなかった。今になって色々と反論が思い浮かんだが、もう遅い。だから彼は、黙って拳を握りしめるしかなかった。

 リグスの言葉通り、リーフがアルフェに惚れているのかどうか、実を言うと、それは彼自身にもよくわかっていなかった。リーフには、今まで恋をした経験が無かったからだ。

 

ただ最近の彼は、何かにつけて彼女の碧い瞳を思い出す。そして思い出すと、彼女の顔を見たくて仕方なくなるのだ。リーフが研究を放りだして、こんな農園までアルフェたちに付いて来たのもそのせいだ。

 

 このよくわからない感情を彼が抱え込むことになったあの日、リーフがアルフェの瞳をのぞき込んだ時、その中にあったのは、リグスの語るような恐ろしいものでは決して無かったはずだ。

 そこにあったのは、まるで赤子のように純粋な、何者にも穢されていない無垢な光だった。

 

 

「……あ」

 

 とぼとぼと歩いていたリーフは、いつの間にか村の外れにまで来ていた自分に気付いた。そこにある、リーフたち男性陣の宿舎と負けず劣らずの粗末な小屋は、アルフェが寝床に使っているはずだ。

 あの中で、あの子は今、夢を見ているのだろうか。

 

 ――……って、何考えてるんだよ。

 

 リーフは妄想を振り払った。リグスの指摘はともかくとして、最近のリーフが変なのは、確かにその通りだ。彼は再びとぼとぼと、宿舎の方に引き返した。

 

 

「――さん。リーフさん」

「えっ、あ、何だい?」

 

 少女の呼びかけに、気の抜けた表情でリーフが返事をする。

 翌朝も、傭兵たちは農園内の各所に散らばって、魔物狩りに精を出していた。

 

「何だじゃないですよ。リーフさんも働いてください」

「働いてるよ」

「働いているのは“マリーさん”だけでしょう。リーフさんはぼうっと見ているだけじゃないですか」

 

 アルフェは少し口を尖らせている。今また、リーフがマリーと名付けたアイアンゴーレムが、その巨体を利用して魔物を殴り倒した。動きはそれほど素早くないが、中々良い動きをしている。

 

「彼女は僕が魔力で命令しないと、ほとんど動けないんだ」

「本当ですか?」

「うん、自律できるように試行錯誤しているんだけど、まだまだ改良の余地があってね……」

 

 返事はしていても、そこはかとなく適当な調子だったし、アルフェに疑わしい視線を向けられても上の空だ。今日の彼は、朝からずっとこの調子である。働く、働かないはともかく、昨日までやたらにはしゃいでいた少年が急に物思いに捕らわれているので、アルフェも不審がっていた。

 

「……なら、いいのですが」

 

 よそ見をして、魔物に轢かれないようにしてくださいねと言って、アルフェは次の獲物を探すために、リーフの前を歩き出した。

 

 ――やっぱり、おかしいところなんて、無いじゃないか。

 

 その後ろ姿を見ながら、心の中でリーフがつぶやく。

 心ここにあらずと言う顔をしつつも、彼はずっとアルフェの方を見ていたし、彼女の事を考えていた。

 昨晩リグスはああ言って自分を脅かしたが、彼女に対して、彼が言うような異常なものなど、やはり自分は感じない。

 

 ――魔物と戦うのは、いけないことじゃない。人間とだって……、そうしなきゃならないことはあるよ。

 

 リグスの発言はきっと、自分を子供と侮っているから出たものだ。未だに自分を坊ちゃん扱いするのがその証拠である。だからあんな風に、リグスは自分を脅かしたのだ。

 

 ――アルフェ君は、アルフェ君じゃないか。

 

 彼女を怪物か何かのように、リグスは語った。でも、そんなことはない。

 アルフェとの付き合いがリグスよりも短いからといって、だから自分は彼女のことを理解していない――。リーフはそうは思わなかった。

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