「旦那、そろそろ引き上げませんか」
村に来てから何度目かの夜、夕食が済んだ後にリグスが言った。
「何を言う隊長、まだ魔物の討伐は済んでいないぞ」
クルツが首をかしげる。村における大角牛の被害は減っては来たものの、まだ駆逐にはほど遠かったからだ。
「そうですが、柵と土塁の補修は明日には終わります。全滅させられないまでも、魔物の数も相当減らしました。これだけやれば、収穫への影響も抑えられる。ここの領主も納得するでしょう」
大角牛は弱い。だが、こう倒す端から湧いて出てくるのでは仕方がない。グレンとクルツが指揮している土塁と柵の補修は完了しつつあるが、それでも魔物が絶える気配は見えなかった。
「……」
「頃合いです、旦那。これ以上、ここに手をかける理由はありません。退きどころですよ」
元々彼らがここに来たのは、クルツが地方領主にいい格好をし、恩を売るためだ。ならば、その目的は果たしたと言える。リグスは雇い主に撤退の利を説いた。そうすれば、街と文明が恋しいこのワガママ坊やは、すぐに帰ると言い出すだろう。そう思ったからだ。
「そういう問題ではない。貴公は何か勘違いをしている」
「は?」
だが、クルツはリグスの思惑から外れた反応を返してきた。
「じゃあ、どういう問題です」
「隊長は聞いていなかったのか」
「何をですか」
「この村に来た時、私は民に宣言した。『必ずやこの地の魔物を打ち払う』と」
「そう……でしたかね?」
リグスはとぼけているが、しかし確かにそんなことをわめいていた。
「そうだ。である以上、我々はこの地の魔物を完全に討滅するまで、ここを離れる訳にはいかんのだ」
「……仕方ありませんね。分かりました」
想定とは違うが、雑魚と遊んで報酬がもらえるなら、それもいい。そう判断してリグスは承諾した。
「じゃあ、明日からは大角牛の侵入を防ぐために配置を変えて――」
「うむ。だが、それでは根本的な解決にはならないのではないか?」
「……ですが、相手は結界の外から、際限なく湧いて出てくるんです。それを全滅させるってぇのは、いくら何でも――」
「なら、魔物どもが流れ込んでくる原因を絶てばいい。だろう?」
「……まあ、そうですね。そうかもしれません」
話の流れが、少しずついやな方向に傾いている。この坊ちゃんは、何を言い出すつもりなのか。
「ですが、原因を絶つって言っても、その原因が分からないんじゃあね」
「奴らが結界よりも恐れるものが、どこかに潜んでいるに違いない。それを倒せば解決する」
「そ、れは」
リグスは固まった。ボンボンと侮っていたクルツの的を射た指摘に、もしかしたらウェッジあたりが何か漏らしたのかと思い、すごい目でにらみつけたが、彼は違うと首を横に振っている。
――……正解だよ。クソッ、こんな時だけ余計な頭働かせやがって……!
まさにクルツの言う通りだ。そしてそれは、リグスが何とか回避したかった方法でもある。
リグスは苦い顔をしながら頭の中で雇い主を罵り、次になだめるような声を出した。
「それは、その通りでしょう。ですがね、勘弁してください。何がいるか分かったもんじゃありません。手に負えない魔獣でもいたらどうします。取り返しがつかないことになる」
「だからと言って、背を向けるのか?」
「死ぬよりはいいでしょう」
「それでは、この遠征の目的を果たせない」
「だから、領主への宣伝ならもう十分だッてんですよ! その領主もこの村程度、そもそも大して気にしちゃいねぇ!」
引き下がらないクルツに対して苛立ったのか、リグスは雇い主に対するにしては、かなり険悪な言い方をした。
この場には二人以外の人間もいる。少しずつ大きくなる二人の声に、大半は驚いた顔でこの話の成り行きを見守っている。
「何度も言わせるな、隊長。そういう問題ではないのだ」
「は……?」
リグスの剣幕にも、クルツは動じない。彼はやけに真っ直ぐとリグスの目を見つめた。
「民が窮しているのだから、私がそれに背を向けることはできん。私はエアハルト家の人間。この地の平穏を預かる者だ」
「なっ……」
別の場面で聞けば、おそらくリグスも失笑したであろう台詞。だが、今は自分たちの生死にも関わる話だ。笑っていられない。
信じられないがこの坊ちゃんは大真面目だ。説得も聞き入れそうにない。いっそ、お前だけ置いて帰るぞと脅かそうかと思ったが、それなら一人で残るとでも言いそうな顔をしている。自分にできるのは、命令を受け入れるか拒否するかの選択だけ。
「こうなりそうな予感はしたんだよ……」
頭を抱えたリグスは、己だけに聞こえる声でつぶやいた。
それでも次に顔を上げた彼は、傭兵らしく雇い主にこう言った。
「報酬は、割り増しでいただきますよ」
◇
次の日から、リグスは結界の外での索敵に人を割いた。クルツの言う、大角牛が大移動した“原因”を見つけるためだ。本気で探さず、だらだらと時間を引き延ばすことも考えたが、見つけたくないと思うと、意外とすぐに見つかるものだ。
農園の近くの草原に何かがいる。そう報告があったのは、索敵を開始してから二日目のことだった。
「団長、あれです。見えますか?」
「ああ、……何か、光ってるな」
丘の上にある例の風車の上に、リグスとグレン、ウェッジの三人の男が立っている。一人でも狭苦しい感じがするこの場所は、三人ともなると非常に窮屈だ。そんな中、男たちは身を寄せ合うようにしながら、真剣な表情でささやき合っていた。
斥候のウェッジが指さした先、丈の長い草の中で、時折太陽の光を反射するものが動いている。
「……蛇、か?」
ここからでは全貌はよく見えないが、草の中を這うように動く姿から、リグスはそう連想した。
「そうにも見えますが、あの大きさは――」
そこまで言ってウェッジが押し黙り、リグスもうなずいた。
蛇型の魔物は種類が豊富だ。農民でも踏みつぶせる、指一本ほどの小さなものもいれば、一軍とも渡り合える、塔や城ほどもある巨大なものまで様々にいる。そして悪いことに、今リグスたちが視界にとらえているものは、どうやら後者に近いようだ。
この距離から視認できる体長の蛇。塔ほどとは言い過ぎにしても、三人が立っている風車くらいの大きさは、優にあるかもしれない。確かにあれなら、牛程度は簡単に丸のみにできる。
「間違いない、大角牛たちが結界を越えた理由は、あいつだ」
「……あれに、仕掛けるのですか? こちらから?」
そう言ったグレンの顔からは、慎重な色が読み取れる。もしかしたら彼はリグスを制止したいのかもしれないが、それも当然だろう。
見た目だけでも、あの魔物が相当な難敵であることは明白だ。加えてあれがもともとこの辺りにいた魔物ではなく、荒野の奥地から流れてきたのだとしたら、思わぬ能力を備えている可能性もある。不用意に手を出したい相手ではなかった。
「それが雇い主の命令だから仕方ねぇ。……あいつを連れて来といてよかったぜ」
“あいつ”というのは、もちろんアルフェのことである。
「――ウェッジ、あの魔物を俺が言う場所に誘い込めるか?」
今あの魔物が這い回っているのは、いかにも身を隠しやすそうな、草原だ。あそこで戦えば、地の利は敵側にある。
「多分、やれます」
「よし、北東の、草の少ない荒地に引き込もう。グレン、お前は全員を広場に集めろ。作戦会議だ」
「はい。……大角牛の方は?」
「雑魚の相手はおしまいだ。あの蛇を倒せば、もともとここは結界の中だ。残った奴らも勝手に出ていくだろう」
「分かりました」
「くれぐれも油断するなよ。相手は並じゃねぇ。そこらの魔物を相手にするようにはいかねぇからな」
念を押したリグスの言葉に、二人が同時にうなずく。彼らは団長の命令を実行するために、順に梯子を滑り降りる。そしてリグスも、しばらく草原の方を忌々しそうににらみつけてから、二人の後を追った。
「――お、いたのか」
「はい」
「すまんがまた、お前の力を借りることになるぞ」
すでに先に降りた二人の姿は見えず、風車の下には、アルフェが一人で立っていた。短く返事を返したアルフェは、例の魔物がいる草原の方角を眺めている。つられてリグスもそちらを向いたが、何も見えない。少女に目を戻したリグスは、短くため息をついた。
「楽な仕事のはずだったが、うまくいかねぇもんだ」
「私は別に、構いません」
「……悪いな、毎度毎度」
ついこの前の晩、リーフにあんなことを言った手前、リグスはアルフェに若干の後ろめたさを感じていた。それなのに、自分はこうしてこの娘を便利に使う。我ながら調子のいいことだ。悪いという彼の言葉には、そんな思いもこめられていたのかもしれない。
「――クルツさんは、どうしてあんなことを言ったのでしょう」
「あ?」
「『民のため』だと」
「ああ、それか……」
「……そういう事を言う方だとは、思っていませんでした」
傭兵隊長の思いをよそに、アルフェは全く別のことを考えていたようだ。
「お前も驚いたよな。……オークの村に遠征する時も、あの坊ちゃんは似たようなことをほざいてたよ」
「……」
「へっ、何が民のためだ。どう言い繕っても、てめぇが領主に恩を売りてぇのは事実だろうが。民のためになりてぇなら、ご自慢の鎧を売り払って施しでもしたほうが、なんぼか民のためになるぜ」
「……そうですか。そうかもしれませんね」
少し間をおいて、アルフェがそう言った。彼女は草原の方を見つめたまま、何かを考え込むような表情をしている。
「そうさ! それに、実際に命を張るのは俺たちなんだからな!」
リグスが最も不満に思っているところがそれだ。どれだけ格好つけようと、あの坊やが先頭に立って戦うことは無い。いや、そう言えばそうするかもしれないが――、それで死んでもらわれると、安定した金づるを失うリグスは困る。
そこまで考え、リグスははたと気がついた。
結局自分も、さっきから己の都合でしか物を言っていない。もしかしたら、一番身勝手なのはクルツではなく、自分なのかも知れないと。
「……チッ!」
「報酬が出るなら、私に不満はありません」
舌打ちをしたリグスの横で、ぽつりとアルフェがつぶやいた。
十分な報酬が出るならば。確かにその言葉こそ、自分たちにとってただ一つの真理だ。命を切り売りしている者の、それが宿命だ。
「――ふぅ。……そうだったな。愚痴っぽくなっちまった」
気勢をそがれたリグスは、小さくため息をついた。いつから自分は、こんなに臆病になってしまったのか。これも歳のせいだとリグスは思う。年ごとに自分の――それ以上に手下の命を失う決断をすることが、難しくなっていく。
「アルフェ」
「……何ですか?」
「お前の方が、俺よりよっぽど傭兵に向いてるよ」
リグスは心の底から、そう思った。