白銀のヘカトンケイル   作:北十五条東一丁目

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第61話

 穏やかな午後、弱い風がさわさわと梢を鳴らし、木漏れ日が揺れている。

 

 聖堂が建設されている草原には、あちらこちらに林が点在している。そして陣の側にもひとつ、三百歩四方ほどの小さな林があった。

 その林の中には、まだ新しい切り株がいくつもあり、濃い木の匂いを放っている。どうやら建設工事の足場などに利用するために、人の手が入ったらしい。

 

 今、そこにひとつの人影があった。

 汗ばむような気温だというのに、その人影は、全身をくすんだ鼠色のローブで覆い、頭にはフードを被っている。

 フードの下からわずかに見える肌は、灰か雪のように白い。唇にさしたわずかな赤がなければ、死人と見紛うほどだ。

 

 人影は木陰の中で、地面にかがみ込み、何かを拾い集めている。脇の地面に置かれている木の杖は、その人影の持ち物だろうか。

 

「あなたは、そこで何をしているのですか?」

 

 声をかけられるなど、思ってもいなかったのだろう。鼠色のローブの下にある肩が、びくりふるえた。

 

「――!」

「……お久しぶりです」

 

 恐る恐る後ろを振り向いた人影と、銀髪の少女が眼を合わせた。

 信じられないものを見た、会うはずのない者に会ったという表情。フードを被った人影――メルヴィナという女の顔には、偽りの無い驚きがある。

 

「…………ぁ」

 

 彼女は驚きのあまり、声もまともに出せないようだ。

 女の大きな黒い瞳が、瞬きもせずアルフェを見ている。

 

「メルヴィナさん、でよろしいですね」

「……う」

 

 メルヴィナが後ずさると、劇場で見たときと変わらない、炭を夜に溶かし込んだような黒い髪が揺れた。この国には、ほとんど居ないはずの、不吉とされる髪色。それは、この黒い瞳も同じだ。

 

「――……ア、アルフィミア、様」

 

 その名前を耳にして、アルフェの目が鋭くなった。やはり、この女はアルフェのことを知っている。

 

「……どう、して」

「――どうして?」

 

 後ずさるメルヴィナを追い詰めるように、アルフェは一歩、前に進んだ。

 

「……どうして、このような、所に。……その、お姿は?」

「あなたには、聞かせていただきたいことがあります」

 

 相手の疑問に答えずに、アルフェが尋ねる。そうだ、この女には、聞きたいことが無限にある。さらに一歩、アルフェは脚を前に出した。

 

「クラウスは、どこにいるのです? あなたは、彼の知人なのでしょう?」

 

 無限にあると思っていたが、いざその姿を目の前にすると、言葉が出てこない。だから、アルフェは最初に思いついたことを聞いた。

 クラウス。アルフェを燃える城から連れ出した、ラトリアに仕えていた男。今、大公領の外にいる人間で、あの時のことを最も知っていると思われる者。

 

「……妹姫様は、ベルダンから、どうやって――」

「答えなさい」

 

 お互いに相手の問いを無視して、自分の聞きたいことを聞いている。なんともかみ合わない会話だ。

 しかし、この女は確かにアルフェのことを本名で呼んだ。アルフェをそう呼ぶ者が、ラトリアに縁のある人間以外で、存在するだろうか。

 

 ――……いえ。

 

 いや、もしかしたらとアルフェは考えた。この女はもしかしたら、コンラッドを殺したあの男と繋がっているのかもしれない。あの男も、アルフェのことを本名で呼んだ。

 

「――……わ、私は……」

「答えなさい」

 

 強い調子で、アルフェは迫った。目の前の女は震えている。視点も定まっていない。まるで、アルフェに怯えているかのように。

 

「……あの人は、……あの人は、ここには、いません」

「“ここには”? では、どこにいるのです」

「……」

 

 メルヴィナが口を閉ざした。彼女は杖を胸に抱きかかえるようにしながら、辛そうにうつむいた。

 

 ――……杖。……魔術士?

 

 アルフェの頭の中にある冷静な部分が、メルヴィナの姿を分析していく。

 非力そうに見える女だが、彼女が手にしている不格好な木の棒は、魔術士が魔術の媒介として好んで用いる杖に似ている。ローブといい、彼女が魔術の使い手ならば、それはこの女が、戦えるということを意味する。警戒心を呼び起こされ、アルフェの筋肉が若干緊張した。

 

「本当にあなたは、アルフィミア様、なのですか?」

 

 メルヴィナの後ずさる足が止まった。

 心なしか、さっきよりも声がはっきりとしている。加えて、上目遣いにアルフェを見る目からは、いつの間にか怯えの色が消えている。

 

「そんな事を聞かれても、私は、私以外にはいません。……人の名前を疑う前に、質問に答えてください」

「“あの”アルフィミア様が、あなたのような物言いをするとは……」

 

 メルヴィナを中心にして、林の中のマナが動いている。やはり彼女は魔術士だ。しかも、この魔力のざわめき様は、この女が相当の力量を持っていることを示している。

 自分と敵対するつもりか。だとしたら、どんな魔術を使ってくるのか。警戒を強めながらも、アルフェは次の問いを投げかけた。

 

「では、お姉様はどこにいるのですか」

「――!」

 

 二人の間で、戦いは避け得ないかと思われた。しかしアルフェがその単語を口にした途端、メルヴィナに集まり始めていた魔力が霧散した。

 

「……あなたも」

 

 再び弱々しい雰囲気になったメルヴィナは、杖にすがりつき、言った。

 唇をかみしめたメルヴィナの声が、震えている。

 

「あなたも、あの方を……、お嬢様を、追っているのですか」

 

 その弱々しさは、アルフェが何もしなくても、消え入ってしまいそうな程だ。

 戦意をむき出しにされるのとは逆の仕草に、アルフェは気勢をそがれてしまった。

 

「……? お姉様の居場所を、知っているのですか?」

 

 アルフェは思い直した。少女の身体からもまた、充満していた闘気が抜けていく。自分は彼女と、戦うことを目的にここに来たのではない。対話で解決するのなら、それに及ぶことはないのだと。

 

「知っているのなら、教えて下さい」

 

 メルヴィナは首を横に振った。教えるつもりはない、ということだろうか。

 

「……私は、知りません」

「本当に?」

「……はい。……知らないのです」

 

 違うらしい。どうやら、彼女は本当に知らないようだ。そこでアルフェは、またさっきの問いに戻った。

 

「では――、では、クラウスはどこに? 彼に、合わせていただけませんか」

 

 クラウスの居場所も知らないとは、メルヴィナは言わなかった。その代わり彼女は、アルフェの真意を測るように、うつむいた顔から上目遣いで、アルフェの様子をうかがっている。

 

「そうして、あの人のいる所を知って……。……それからアルフィミア様は、どうなされるおつもりですか」

「するべきことがあります」

「するべきこと……? ……もしや、故郷を奪った王国に対する、復讐を、なさりたいと?」

「……」

「そうなのですか……?」

 

 それは違う。そんな執着を、アルフェはあの場所に対して持っていない。しかし、敢えてメルヴィナの言葉を否定することはせず、アルフェは毅然とした表情でメルヴィナを見据えた。

 

「……何がアルフィミア様を、そこまで変えたのでしょう」

「……変わった?」

 

 ということは、やはりこの女は昔のアルフェを知っている。

昔の――、城にいた頃のアルフェを。

 

「……そこまで私は、変わりましたか?」

 

 では、城にいたときの自分は、どんな人間だったのだろう。よく思い出せないアルフェは、首を傾げた。

 

「……」

「メルヴィナさん。知っていることを、話していただけませんか?」

 

 アルフェは優しく語りかけた。

 杖にすがるメルヴィナの視線は、アルフェの足下に注がれている。そういえばここは、さっきアルフェが彼女に声をかけたとき、メルヴィナがしゃがみ込んでいた所だ。

 

「……?」

 

 アルフェはつられて、自分の足下に目を落とす。

 

「――な!?」

 

そこには何匹、何十匹もの羽虫や甲虫の死骸が、きれいに並べられている。それを認識した瞬間、アルフェの背中に例えようのない怖気が走った。

 

「これは……!?」

「……アルフィミア様、どうか、ここからお離れください」

「え?」

「でなければ……。でなければ、私は――」

 

 ――! まずい!

 

 油断していた。再び周囲の魔力が集まる。その奔流は急激に形を成し、メルヴィナの足下の地面に吸い込まれた。

 

「ッ! 止めなさい!」

 

 地面に杖を突き立てたメルヴィナに、アルフェが怒声を浴びせかけた。

 それは、悪手だったのかもしれない。アルフェの瞬発力なら、魔術が本格的に発動する前に、術者であるメルヴィナの息を止めることができたはずだ。しかし、この女から、まだ何も有益な情報を引き出せていない。その思いが、アルフェの動きを遅らせた。

 

「【群れを成す屍よ】」

 

 透き通った声が、呪文を紡ぐ。

 メルヴィナによって集められた林のマナは、彼女の髪のように黒く変質し、大地を浸した。

 その一瞬の後――。

 

「――スケルトン!?」

 

 アルフェは驚愕した。皮も肉も無い、骨だけの身体。それが、メルヴィナとアルフェの間を埋め尽くすように、一斉に這い出してくる。

 

「これは――、死霊術!? やはりあなたが――!」

 

 ユリアン・エアハルトが尋問の時に語っていた、使い手の限られた、忌まわしい魔術。ウルムの劇場で遭遇した、二体のレイス。それらがアルフェの中で、急速に目の前の女とつながる。

 

「【制圧しなさい】」

 

 杖先をアルフェに差し向け、メルヴィナは自身が召喚した死人たちに命令を与えた。そのとき、アルフェは女の黒い瞳に宿る、奈落のような闇を見た。

 

「――ッ!」

 

 この女は、敵だ。

緩んでいた少女の肉体と魔力が、瞬時に戦闘用に切り替わる。瞬きの後、三体のスケルトンの頭蓋が粉砕された。

 

 ――この程度のアンデッドが、何体いたところで――!

 

 死霊術がいかに珍しい魔術だとしても、喚び出されたのはただのスケルトンである。それよりも困難な敵を何度も打ち倒してきた、今のアルフェの相手にはならない。

 一撃ずつ確実に、アルフェはアンデッドを行動不能にしていく。そうする間にも、次から次へと新しいスケルトンが生まれてくる。だが、アルフェがそれを潰す速度の方が勝っていた。

 

「……その力は? その力は一体……!? アルフィミア様、あなたは――」

 

 メルヴィナが、この女がそんな声を出せたのかというほど大きな声で驚いている。彼女の中のアルフェのイメージがどんなものなのかは知らない。だが少なくとも、非力だった少女が、こんな風になっているとは想像もしていなかっただろう。

 

 ――いける!

 

 今また新たなスケルトンを砕いたアルフェの目が、後退するメルヴィナを捉えた。しかし――。

 

「【――、―――、――――――、―――――――――】」

 

 メルヴィナが長い詠唱を始めている。妨害しなければと思う。しかし、前に出ようとした少女の身体が、ガクンと止まった。

 

「チッ!」

 

 アルフェの足首を、その直下から生えた数本の白い腕がつかんでいる。次の瞬間には、それらの腕は粉々にはじけ飛んでいたが、相手の魔術士にとって、それは充分な隙だった。

 

 ――魔法陣!?

 メルヴィナを中心に、黒い光のサークルが現れる。

 滅多にお目にかかることは無い、可視化するほど高密度化したマナが描く、魔の術式。――高位魔術の発動である。

 

「【我が、昏き祈りに応えよ】」

 

 魔力のこもったメルヴィナの声にあわせて、ずん、と地面が鳴動した。アルフェによって砕かれ、地面に散らばっていた骨が、浮遊し、寄り集まっていく。それ以外にも、大地が盛り上がるほどに、地下から次々と白骨が――。

 

 ――骨の巨人……!

 

 瘴気に満ちた不死者の巣窟で、ごく稀に発生することがあると言われるスケルトンの集合体。名だたる冒険者でも挑むことに二の足を踏む、高位のアンデッド。

 

「はあああああああ!」

 

 手強い。そう判断した刹那、アルフェは集気法の体勢をとっていた。

 木々の高さほどに膨れ上がった巨人は、その腕を少女に向かって振り下ろす。

 

「ふッ!」

 

 アルフェがすくい上げた掌底と、白骨の巨腕がぶつかり合った。――はじけたのはアンデッドの方だ。手のひらにあたる部分が粉砕され、無数の骨片が中空に舞い上がる。

 

 ――ッ! 再生する!?

 

 しかし吹き飛ばした先から、巨人は周囲の骨を集め、再生しようとしている。驚異的なまでの復元力だ。

 

 ――“核”はどこ!?

 

 このアンデッドの構造は、エレメンタルや、リーフが作っていたゴーレムに似ている。無生物の集合体であるそれらには、全体をつなぎ止め、動きを制御するための、魔力の核があるはずだ。

 アルフェは巨人の残った方の腕を駆け上がり、跳び蹴りでその頭を砕いた。しかし、目的のものは見当たらない。ならば胴体か、それとも、術者自身が核となっているのか。

 

「すぅ――――」

 

 迷う時間は不利を呼ぶ。アルフェは息を吸い、止めた。核をみつけて破壊するよりも、手っ取り早い解決法を思いついたからだ。

 魔力による身体強化が可能にする爆発的な瞬発力を活かし、少女は巨人の股下に入った。

 

「――!」

 

 かっと目を見開いた彼女は、拳で手当たり次第に巨人の体を殴り始めた。息を止めたまま、その連撃はどこまでも続く。

 

「――ん! んんんんんんん!」

 

 砕き、再生し、また砕く。アルフェの顔は息苦しさに赤く染まっていく。

 

「――がッ!」

 

 五分後、アルフェの呼吸が止まる前に、巨人の再生の方が止まった。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ――」

 

 白い骨片が、雪のように林の地面を埋め尽くしている。

 

「はぁっ、はぁ、は――、くそっ!」

 

 息を落ち着かせたアルフェの口から飛び出たのは、冒険者生活で覚えた罵り言葉だ。

 

メルヴィナの姿は、既に消えていた。

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