白銀のヘカトンケイル   作:北十五条東一丁目

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第64話

「これは……」

 

 礼拝所に続く扉の前で、神殿騎士が二人倒れていた。倒れているというより、壁にもたれて床に座っているような格好だ。アルフェが軽く肩をゆすっても、反応がない。外傷は無いが、二人はこと切れていた。

毒か、あるいは何かの魔術によるものだろうか。

 

 この二人が守っていたはずの、両開きの大扉が開いている。ここを何者かが通って、中に入ったのか。この先の通路は、礼拝所、そしてその奥の秘蹟の間へと続いている。

 ユリアンの刺客が、クルツを狙って侵入したのだろうか。もしかしたら刺客は、クルツがこの奥にいると考えて、邪魔なこの二人を排除したのかもしれない。

 

 アルフェは戦闘準備を整えながら、礼拝所の方に向かって歩を進める。石畳に、少女の銀色のグリーヴが硬質な音を立てた。

 

 礼拝所に着くまでの通路において、アルフェを制止する神殿騎士はいなかった。正確に言うと、先ほど見たような死体として、二つ三つが横たわっていただけだ。

 彼らに、まともに抵抗した様子はない。神殿騎士は最下級の者でも、どれも並みの兵士や冒険者とは一線を画す力を持っているはずだ。それがなぜ、こうもあっさり突破されたのか。侵入者が相当の力を持っていることは、容易に推測できる。

 

 ――あの男がやったのでしょうか……。

 

 アルフェの頭に思い浮かぶのは、以前に遭遇したユリアンからの刺客だ。フロイド――なんとかと言っていた。あれならこのくらいはやるだろう。

 だが、あれは剣術使いだった。だとすると、神殿騎士たちに外傷がないことに説明が付かない。やはり、メルヴィナという死霊術士がやってきたのだろうか。

 

 この聖堂の礼拝所は、以前に訪れたウルムの大聖堂ほどではないが広く、ほとんど完成しているようだった。説教壇や礼拝用の長椅子など、内装も整えられている。説教壇の背後の壁には、金色の神像も据え付けてあった。

 

「……」

 

 そしてここにいる神殿騎士も、全て死んでいる。

 

 ――ここまで、誰ともすれ違わなかった。侵入者は、まだ奥に……?

 

 アルフェは神像の下にある扉に目を向けた。この礼拝所の奥には、例の秘蹟の間しかないはずだ。

 確かめるしか、ないだろう。アルフェは説教壇を回り、その扉を片手で押した。

 

「……助祭長、様?」

 

 アルフェが足を踏み入れた秘蹟の間には、助祭長のシンゼイがいた。

 

「何があったのですか……?」

 

 アルフェは警戒しながら声をかけた。シンゼイの様子は、明らかにおかしい。儀礼用の祭祀服を着た助祭長は、目と口を大きくあけたまま、秘蹟の間の中央で静止している。アルフェが呼びかけても、何の反応もない。

 眼だけを動かして、アルフェは部屋の中を確認した。

 

 床が血にまみれている。誰の――、いや、あの床に倒れている神殿騎士の血だ。腰から上が、きれいに削り取られたように無くなっている。確かあれは、ジオとかいう神殿騎士の隊長ではなかっただろうか。鎧の一部で、どうにかそう判断できた。

 壁際には、三人の助祭が転がっている。道中で見た他の神殿騎士と同じように外傷はないが、死んでいるとすぐに分かった。

 

「シンゼイ様」

 

 もう一度、アルフェは呼びかけた。シンゼイの姿は異様だが、彼は生きている。――いや、本当に生きているのか?

 

「誰がこれを……?」

「――私は」

 

 シンゼイが口を開いた。

 

「……」

「私は、結界の秘蹟を……」

 

 そこまで口にして、助祭長の体は、糸が切れたように床の血だまりの中に崩れ落ちた。

 

 この男も、死んだ。

 

 ――……一体、何が。

 

 何者かが、シンゼイたちを襲った。それは分かる。しかし、彼らの死に様が異常だった。これをやった者は一体どこから侵入し、どうやって彼らの命を奪ったのだろう。

 それに、結界を作るという儀式はどうなったか。アルフェは考えたが、それは、この部屋の様子を見れば明白だった。儀式が終わってから死んだのだとしても、最中に死んだのだとしても、やはり儀式は失敗したのだ。

 

 しかしとりあえず、侵入者の姿が無い以上、ここにいても仕方がない。アルフェとしては、すぐに護衛対象の元に戻り、異常を報告すべきだった。

 

「……あの箱は」

 

 だがその前に、アルフェにはそれが気にかかった。助祭長たちが“遺物”と呼び、最大限の敬意をもって扱っていた何か。この儀式の核をなすと言われていたもの。それを見ておきたいという好奇心が、彼女にもあった。

 

 血だまりを避けて、アルフェは祭壇に寄った。前に見たものと同じ、細かい装飾で飾られた金の箱が、その上に鎮座している。

 開けてはいけないのだろう。しかし、開けてみたいという欲望が、抑えられない。

 

 鍵などもかかっていない。箱は、意外と簡単に開いた。

 

「……粉?」

 

中にあったのは、くすんだ白い粉が、ほんのひとつかみ。

 

 ――いえ……、灰?

 

 そうだ、粉ではなく、灰だ。こんなものを、シンゼイたちは後生大事に運んできたのか。

 どんな大層なものが入っているかと思ったのに。がっかりしたというのは幼稚だが、少女は内心、がっかりとした。

 前に感じたこの箱への違和感は、自分の勘違いだったのだろうか。それとも、もう少し間近で見てみれば、これの特別さがわかるのかもしれない。そう思ったがしかし、アルフェはそうせず、彼女は箱のふたを、元の位置に戻した。

 

「……助祭長」

 

 振り向きながら、アルフェはつぶやいた。

 アルフェの背後で、助祭長が、立ち上がっている。――死体になったはずの、シンゼイが。

 

「また、アンデッドですか」

 

 冗談めかした言葉とは裏腹に、少女の声色は低く、冷たい。その細い身体からは、闘気が溢れている。

 

「私は……、私は秘蹟を――」

「……」

 

 そう繰り返すシンゼイに耳を貸さず、アルフェはばきばきと右手の指を鳴らした。

 

「背教者……? 違う、私は――」

 

 赤黒く染まった祭服が、ひどく禍々しい雰囲気を放っている。シンゼイだったものの眼球が、完全に闇に染まった。

 無言でアルフェは、祭壇から血だまりに跳んだ。ふわりと彼女が着地した時、その掌はすでに、シンゼイの胸に添えられている。

 アルフェが片足を踏み込み、腰をひねる。シンゼイの身体は、背後の石壁に叩きつけられ、ぐしゃりという音を立てた。

 

「……遺物―、――――」

 

 それでも機能の停止した肉体は、生命とは別の、忌まわしい力によって動かされている。逆方向に折れ曲がった関節を使い、シンゼイはなおも立ち上がろうとしている。口から発する音は、もはやほとんどが判別不能だ。

 

「秘蹟を―――――」

 

 シンゼイの両手に、魔力が集まってきている。魔術を使おうとしているのか。死んだ人間が、これほど早くアンデッド化するとは考え難い。魔術を使う高等なアンデッドともなれば尚更だ。では、これはやはり――

 

「【神の灯】」

 

 人の身長ほどの炎の柱が、アルフェが立っていた床から噴き上がった。魔力が収束する前に、三歩だけ歩いて、アルフェはそれを避けた。シンゼイの魔術は、床に転がっている神殿騎士の半身を焦がしただけだ。

 

 魔術を行使する人型のアンデッド。リッチというものだろうか。話に聞いていたよりも、のろまで弱々しく、大きな脅威を感じない。

 

「【光よ】」

 

 手のひらから放たれた熱線を、軽く首を振ってかわした。

 アンデッド化したシンゼイが使う魔術は、彼が生前習得していたもののようだ。大聖堂の助祭長が使う術としてはふさわしいのかもしれないが。不死者となった今の彼には不似合いだ。

 

「【破邪の――」

 

 三つ目の呪文は放たれなかった。

 銀のグリーヴが、彼の顔面にくるぶしまで埋まっている。

それきり、シンゼイは再び永の眠りについた。もう、彼が目覚めることはない。

 

 

 

「……戻ってきませんね」

「やはり、何かあったのか?」

 

 一方、アルフェを送り出したグレンたちは、なかなか戻ってこない彼女を案じていた。

 

「副長、俺も見に行った方がいいでしょうか」

「待て、ウェッジ。これ以上、クルツ様の周囲を手薄にするのは危険だ。その前に、外から応援を呼ぶ。誰か一人、団長に連絡に行かせよう」

「分かりました」

 

 ウェッジは部屋の扉を開き、廊下にいる傭兵の一人に指示を出して戻ってきた。

 

「まあアルフェなら、刺客に遭遇したとしても楽勝でしょうが。……でも、遅いですね」

 

 言いながらウェッジは、いつかの暗殺者騒ぎのことを思い出していた。毒に侵され、死の境をさまよったアルフェ。ああいうこともある。あの娘は強いが、それでも何があるのか分からないのがこの業界だ。

 

「――ん?」

 

 しばらく待ってから、ウェッジが顔を上げた。

 

「どうした」

 

 グレンが聞く。クルツは長椅子の上で足を組みながら、うつらうつらと船をこいでいる。

 

「……剣の音が」

「――何?」

「戦ってます、誰か」

「クルツ様、お目覚めください」

 

 ウェッジの表情には確信の色がある。それを見て、グレンはクルツを揺り起こした。

 

「……ん? ぎ、儀式はどうなった?」

 

 口の端からよだれを垂らしたクルツが、それを片手で拭いながら目を覚ました。

グレンの右手には、すでに鞘を払った短剣が握られている。ウェッジもまた、ナイフを抜いて異常に備えた。

 戦闘音は、すでにグレンの耳にも届いている。それに続く怒号と、どかどかと廊下を走ってくる数人の足音。

 

「団長!」

 

 乱暴に扉を開いたのは、彼らの団長のリグスだった。グレンとウェッジは危うく攻撃仕掛けた武器を止め、リグスを室内へと迎え入れた。

 

「敵襲だ! 魔物が――、アンデッドがそこら中にいる!」

 

 そう叫んだリグスの鎧には、返り血がそこら中についている。リグスの後から入ってきた兵の中には、負傷してわき腹を抑えている者もいた。

 

「アンデッド!?」

 

 なぜと聞く前にグレンは思い出し、例の死霊術士ですかとリグスに聞いた。

 

「分からん! だが――多分そうだ。こいつらが負傷した。この部屋に匿ってくれ」

「アンデッドの種類と数は?」

「数は分からん! とにかく山ほど、そこら中にだ! 種類は――、スケルトンが大量にいる。レイスも交じってた。見たことがねぇアンデッドもいる」

「そんな――、そんなことが人間に?」

 

 死霊術の詳細は一般にはほとんど知られていない。だが、レイスを一体召喚するだけでも、かなり高度な魔術のはずだ。リグスの言う大量のアンデッドなど――そんな大規模な術を行使してくるとは、流石に誰も考えていなかった。

 

 この際それは問題じゃねぇと、リグスは叫んだ。

 団長の説明によると、アンデッドは兵営内に突然現れた。まるで地の底から、直接湧き出たかのように。

 兵営は当然、混乱状態に陥った。外部からの襲撃には、リグスたちは当然備えていたが、アンデッドはむしろ、陣の中央、聖堂の周辺から現れたように見えたのだ。そして何より、その数が問題だった。何百――いや、もしかしたらそれ以上の数が、明確な敵意を持って、営内の兵たちに襲い掛かった。

 

 リグスは聖堂に撤退し、そこを拠点に防衛することを決めた。混乱から立ち直った者たちを集め、各入口にバリケードを築きはじめているという。

 

「グレン、ウェッジ! 手を貸せ! ――いや、ウェッジは坊ちゃんについていろ! 行くぞグレン!」

 

 グレンを従えて、リグスは部屋を出て行った。部屋の中には数人の負傷者とウェッジ、そしてクルツが残された。

 

「ば、馬鹿な。アンデッドだと? 秘蹟はどうなる!? そんな馬鹿な!」

 

 奈落に叩き落された男の声をクルツは上げていたが、とりあう者は誰もいなかった。

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