第8話
深い深い森の中、息を切らして少女が走る。枝に引っ掛けた服が破れるのも、葉で切れた頬から血が流れるのも構わずに。呼吸が乱れ、肺が破裂しそうになっても、彼女はただひたすらに足を動かす。
考えることは一つだけだ。――あの化け物は、まだ自分を追ってきているのだろうか。
この少女は今日、たった一人で森に入った。糊口をしのぐために、薬草を採取しようと考えたからだ。
幸い薬草を発見することは出来たが、そこで恐れていた事態が起こった。哀れな少女は、魔物――ゴブリンと遭遇したのだ。
森で採れる貴重な薬草は高く売れる。それはこういう危険性があるからだ。
浅はかだと、他人が彼女を笑うのは簡単だ。しかしここが危険な魔の森であることは、少女にだって分かっていた。彼女のような小娘を雇ってくれる店など、あの町のどこにもない。そうでもして稼がなければ、待っているのは飢えと死だった。あるいはどこかの人買いに売り飛ばされて、奴隷にでもなるのだろうか。
少女としては、他に方法は無かったのだ。
――助けてっ! 誰かっ、助けてっ!
叫びを上げようとするが、声は喉から出てこない。そもそも、こんなところに人が来るはずは無いのだ。死にたくないなら、とにかく足を前に出さなければ。
どこをどう走ったかも分からない。ついに力尽きて、少女は地面にへたり込んだ。ぜえぜえと激しく息をつく。心臓がのどから飛び出しそうだ。だが、しばらくそうしていても、ゴブリンは襲ってこない。
――たす……かった?
何とか振り切ることができたのか。
ようやく動悸が収まり、ほうと息を吐いた少女は、勇気を出して顔を上げ、辺りを見回した。魔物は――いない。しかしその代わり、彼女は今の自分が置かれた状況に気が付き、戦慄する。
「ここは……、どこ?」
周りにはただ、どこまでも暗い森が広がっている。
少女は、森の奥に迷い込んでしまった。
◇
その日、道場に通ってきたアルフェは、自分の目の前に広がっている光景を理解できずに戸惑っていた。
――……どちらの方でしょう?
いつも通り、早朝の道場には彼女の師匠、コンラッドがいた。だが、普段と違うのは、今日はもう一人いるということだ。それも、若い女性である。この道場に通い始めてから、彼女がここでコンラッド以外の人間を見たのは、これが初めてだった。
まあそれはいいだろう。闘うことしかできなさそうなコンラッドにも、交友関係というものはあるはずだ。非常に意外ではあるが、納得しようと思えばできる。
それよりアルフェが驚いているのは、どうしてコンラッドが床に這いつくばっているのか、ということだった。
アルフェのお師匠様は額を床にこすり付けて、稽古場の奥にいる女性に向かって平伏している。女性は腕を組みながら仁王立ちし、上からコンラッドを見下ろしていた。
「すみません大家さん! 家賃は……、その……、もう少し待っていただけないでしょうか……!」
コンラッドは、いつもの傍若無人な彼は思えないほど丁寧な口調で、女性に謝っている。
――なるほど、そういうことですか。
今の台詞で、アルフェにはお師匠様が置かれている状況が完全に理解できた。
――情けないです、お師匠様。
アルフェは心の中で嘆いた。
あの女性はきっと、この道場の建物の大家なのだろう。しかしその割には若く見える。年のころは二十過ぎだろうか。コンラッドよりもそれなりに年下だろう。つり目が少しきつそうな印象を与えるが、長い赤毛の彼女は中々の美人だった。
「コンラッドさん、またそれですか……。もう半年分は溜まってますよ? ……まあ、それは『今は』いいのです。私が怒っているのは、別のことです」
底冷えのするような女性の声に、コンラッドがびくりと身体を震わせた。
「あの庭は……、どういうことですか? ずいぶんと見晴らしが良くなったようですが」
女性の言葉に従って軒先を見れば、庭の奥の塀が無残に崩れている。あれはアルフェが初めてここに来た日、お師匠様が破壊した跡だ。コンラッドの震えが、がたがたと大きくなってきた。
「この家を貸した時も、無断でこのような形に改装するし……。この塀は、いつからこうなっているのですか? 聞いていますか、コンラッドさん」
「は! い、いえ……。これは、ちょっと、その、様々な事情がありまして……」
平伏したまま挙動不審になるコンラッドの前で、女性が大げさなため息をついた。
「……はぁ~。とにかく、あなたには誠意を見せてもらいたいですね。店賃でも修理費でも何でもいいですから、少しはお金を納めてください。……今すぐとは言いませんから。じゃあ、後日またうかがいます。よろしくお願いしますね」
ははぁと答えたコンラッドが、さらに身体を小さくした。女性は平伏するコンラッドをそのままに、道場の入り口に歩み寄ってくる。
「あら? あなたは――」
「あ、お、おはようございます」
入り口にたたずんでいるアルフェに気付くと、女性はいたずらな顔で微笑んだ。そして彼女は、挨拶をしたアルフェにぱちりと片目をつぶると、そのまま道場を出て行った。
「――ふう、何とかやりすごしたな」
数分後、身を起こしたコンラッドが、やれやれといった感じで額の汗をぬぐった。そこにアルフェが声を掛ける。
「……ぜんぜんやりすごせてないじゃないですか」
「うぉぉっ! いたのかお前は! 声くらい掛けんか!」
「あの状況でですか? ……お師匠様、あの方に借金をしているのですか?」
心なしか、アルフェの声は低く冷たい。ばつが悪そうにコンラッドは言い訳した。
「しゃ、借金というほどのものでは……。……少しだけ家賃が、ほんの少しだけ、滞っているだけだ」
「どのくらい?」
「憶えとらん」
「……ふぅ。お師匠様、だめですよ借金は……。きちんとお金は返してください」
コンラッドに向かって、こんこんとアルフェは諭した。まずい場面を目撃してしまったが、それでも彼はアルフェにとっては強くて頼れるお師匠様なのだ。あまり情けない真似はして欲しくない。
それに、お金のやりとりはちゃんとしなければならない。
「……わ、わかっている。見くびるな! しっかり金は返す! ……そんな目で見るな」
弟子のじとりとした視線に耐えきれなくなって、コンラッドはわめいた。
「お師匠様も働かれたら良いんですよ」
「人聞きの悪いことを言うな! ちゃんと働いとる!」
「そうだったのですか?」
両手を口に当て、アルフェがまあと驚きの声を上げる。
「わざとらしく驚くな! こうやって道場を経営してるだろうが!」
確かにそうだが、門下生はアルフェだけしかいない。銀貨二枚の月謝はきちんと払っているが、それだけで大の男が生活できるわけがないではないか。
「しかし私一人では、お師匠様を養いきれません……」
「そういう誤解されそうな言い方はやめろ! 俺はお前のヒモではない!」
「――? ヒモって何ですか?」
「……細かいことは気にするな!」
アルフェとコンラッドは、道場の中央で向かい合って座っている。いつもの鍛錬を始める空気でもないので、アルフェはお師匠様の家計を立て直す方法を思案し始めた。
「ここは初心に立ち返って、新しい弟子を勧誘されてはいかがでしょうか」
「……それができれば苦労はない」
痛いところを突かれて、コンラッドが渋い顔をする。
今までだって、アルフェの他にも自分の技を人に教えようとしたことはある。だが、誰も彼のようにはこの技術を使いこなせなかった。
アルフェが例外、異常なのだ。この娘の成長は、まさに神がかり的とも言える。コンラッドが教える技を次々と吸収し、数か月前にはウサギも倒せなかった娘が、今は立派に冒険者稼業をこなしている。アルフェと同じような拾い物が、そうそうその辺りに転がっているとは思えなかった。
「では、私と一緒に冒険者になりませんか? お師匠様ほど強ければ――」
アルフェは名案だという風に手を叩いた。
実力的に、コンラッドはアルフェが知るどんな冒険者よりも強い。単純に魔物を倒したりする依頼ならこなし放題だ。
「冒険者? 冒険者か……。うーむ」
「お嫌ですか?」
「ん……、まあな」
しかしコンラッドは言葉を濁した。気乗りしない様子で無精髭に覆われたあごをいじくっている。どうやら彼は、あまり冒険者というものに良い印象を持っていないようである。思いつきを却下されたアルフェは、珍しくむくれた。
「わがままなお師匠様ですね」
「……ぐ、お前も言う様になったじゃないか」
――まあ、いい傾向なのかもしれんが。
そんな少女を見て、コンラッドは心の中で思った。
お師匠様お師匠様と慕ってくれてはいるが、実のところこの娘は、初めのころ、彼にほとんど心を開いていなかった。慇懃な振る舞いと言葉の奥に、いつも見えない壁を作っていた。それが最近は、少しだけ薄れてきたように感じる。
コンラッドが、ここに来る前のアルフェの事情を尋ねたことは無い。最初は純粋に興味が無かったからだが、彼が今もって彼女の過去を知ろうとしないのは、むやみにそこに踏み込むべきではないと考えているからだ。
この娘の物言いや所作を見れば、元は卑しい身分でなかったということはすぐに悟れる。それがどうしてこんな所で、冒険者などをやっているのか。
――何か、事情があったのだろうが。
本人が語らぬ限り、それは聞くべきことではない。口には出さねど、それがコンラッドの信条だった。自分だって、語りたくない過去のことなど、無闇に他人に触れられたくはない。
「お師匠様、聞いてますか? お金、ちゃんと返さなきゃだめですよ?」
「うむ……、分かっとる」
コンラッドがそんな事を考えているとは知らず、アルフェはさっきから彼に説教を続けていた。それに曖昧な返事をしつつ、彼は思った。
――確かに、これ以上、情けないところを見られたくないしな。
冒険者に気乗りがしないのは本当だが、弟子を幻滅させるわけにもいかない。自分も少し、金策の方法を考えるか。そう決めて、コンラッドは勢いよく立ち上がった。
「まあ、それはそれだ! 今日も鍛錬するぞ!」
「本当に分かってもらえたのでしょうか……」
◇
――やっぱりお師匠様は、お金に困っているのでしょうか?
道場を出てからもアルフェは考えていた。今のコンラッドに、ろくに収入が無いのは予想できていたが、あれではまともな貯えもなさそうである。
貧乏は辛い。アルフェはそのことを、身をもって知っている。
幸いにして、今のアルフェには余裕があった。一ヶ月ほど前にレイスを討伐した報奨金が、まだ手元に残っているからだ。
先日、町に近い街道沿いに強力なアンデッドが住み着き、アルフェは偶然一緒になった騎士たちとともに、これを退治した。
交易路でもある街道の危険を排除するに際して、ベルダンの商会所は、その討伐に大きな賞金を掛けていた。その金は、即席パーティーを組んだ騎士二人と折半してもまだ大金で、アルフェの懐を大いに潤したのだった。
――金額によっては、私が援助して……。――いえ。
そう考えそうになって、アルフェはやめた。
確かに、コンラッドには鍛えてもらった大恩がある。それに家賃はともかく、道場の塀が壊れたのは、アルフェとも無関係とは言えない。
しかしコンラッドも大人の男、年若い女性から情けを掛けられるなど、紳士の誇りが許さないだろう。また、弟子が師に施しを行おうなどとは、差し出がましいにもほどがある。だからアルフェの方から金を支援したいとは、口が裂けても言うべきではない。
実際にコンラッドがそう考えるかは、はなはだ疑問だったが、とにかくアルフェはそう判断した。
それにもし、嬉々として差し出した金を受け取られてしまったら、今現在もぐらついているアルフェの師に対する評価は完全に崩壊してしまうだろう。彼にはなんとか、自力で殿方の甲斐性というものを見せてもらいたい。
うら若き女性に平身低頭で謝っていたコンラッドの姿を思い出して、アルフェはまたむくれた。
「それよりお仕事ですね」
とにかく今のコンラッドの惨状を見てもわかるように、金と言うものはもしものときのため、いくらあっても困らないのだ。そう思って、アルフェは今日も手ごろな依頼を探しに、冒険者組合に向かって坂を下りて行った。
――……?
しかしその日の組合には、なぜか不穏な空気が漂っていた。カウンターの奥で、組合の職員たちが真剣な表情で話し合っており、普段は酒盛りしている者が多い冒険者たちも、珍しく完全に出払っている。
「――! アルフェか! いいところに来たな」
はげ頭の職員が、入り口に現れたアルフェに気付くなりそう言った。タルボットだ。
アルフェは既に、このベルダンの冒険者組合ではちょっとした有名人になっている。
危険な森やアンデッドの沼地に単独で踏み込み、素材を採取してくる美しい少女。先日は二人の聖騎士と組んで、レイス討伐まで成し遂げてしまった。実際に彼女が戦っている現場を見た者はいないが、その実態は若いながら凄腕の魔術士なのだとまことしやかに噂されている。
当初はアルフェが依頼をこなすたびに、苦虫を噛み潰したような顔をしていたタルボットも、すっかり彼女を一人前の冒険者として扱うようになっていた。
「何かあったんですか? タルボットさん」
「ああ。実は町の娘が一人、行方不明になった。昨日の話だ」
「……! 事情をお聞かせください」
タルボットのその説明だけで、アルフェにはこの場に漂う緊迫した空気の理由が理解できた。にわかに表情を引き締めた少女に、タルボットが説明を始める。
「娘の年は十、鳶色の瞳、茶色の髪を三つ編みにしている。名前はリアナだ。居なくなったのを知らせに来たのは弟。泣きながら、姉が森に行って帰ってこないと言っているそうだ。衛兵の詰め所から、組合にも連絡が回ってきた」
タルボットは前置きも余計な修飾も省いて、要点をつかんで事件の内容をアルフェに伝えた。さらにその話の続きを、別の職員が引き取った。
「通報を聞いて、俺たちが娘の家に行ってみたんだけど……、家にいるのはその弟と、酒びたりの親父だけでさ、話が全く要領を得なかったんだ。かろうじて弟から聞き出せたのは、姉貴が金を稼ぐために、薬草を採りに森に入ったってことだけだ」
「森――、南の森ですか?」
「ああ」
換金できる薬草が採れる森というと、ベルダンの周囲にはそこしか無い。どこかで聞いたような話である。
その森には薬草もあるが――、それ以上に魔物が出る。
「親父は近所でも有名なごくつぶしだが、姉のほうは評判の良い、賢い娘だったそうだ。しかし、賢いといっても十歳の娘だ。早まって危険な森に入っちまったっていうのは……、十分に考えられる」
「今は動ける冒険者を集めて、捜索隊を出しているところだ。……だがちょうど、別件があってな、出せる人数が限られてる。――すまないが、お前も行ってくれるか?」
真剣な表情で頼むタルボットに、アルフェは力強くうなずいた。
「本当に助かる。それに、一人で行ってくれってわけじゃない。今、ちょうど……、ああ、来たな」
タルボットがカウンター脇の階段に目を向けた。二階から降りてきたのは、アルフェも見覚えのある二人の青年だ。
「げっ……、俺たちと組む冒険者ってのはお前か」
「アルフェさんじゃないですか! 久しぶりですね」
「お久しぶりです、テオドールさん、マキアスさん」
アルフェはその二人に丁寧な挨拶を返した。二人の青年とはもちろん、騎士のテオドールとマキアスである。彼らは遍歴の騎士だと言っていた気がするが、まだこの町に留まっていたようだ。
「その様子だと、話を聞いたんだな」
二人のうち、焦げ茶の髪をした青年、マキアスがそう言った。
「私たちも事情を聞いて、これから森に向かうところです。今、上で森の魔物について調べて来ました」
金髪の青年、テオドールが続ける。
「事態は一刻を争う。アルフェさんも同行してくれるとなると、心強いんだが」
テオドールはアルフェに言った。マキアスは黙っているが、その眼差しには期待の色が見える。少女はそれに応えてうなずいた。
「もちろんです。南の森なら、私もある程度は知っています。急いで準備します」
少女が一人で森に入る。どれだけ追い詰められてのことだろうか。同じ経験をしたアルフェには、そのリアナという娘の思いが分かる気がした。しかもその少女は、アルフェよりもずっと幼いという。
――独りで森にいるのは、怖いですから。
誰かが行ってやらなければならないだろう。アルフェは森の中にいる少女を思って、きつく拳を握り締めた。
◇
森は広い。タルボットの話によると、アルフェたち以外にもいくつかのグループが捜索に入ったということだが、そんなものはこの広大な森林の中では、文字通り一本の木の大きさにも満たない。
だが、人手を増やして山狩りをしようにも、魔物が出現する魔の森では、それが逆効果になることもある。魔物の縄張りを下手に荒らして、奥地から強力な魔獣が出てこないとも限らないのだ。
加えて、衛兵の動員も期待できない。貧民の少女一人を捜索するために、わざわざ都市の防備を弱める選択を、市議会が行うとは考えられないからだ。
それらの材料から総合的に判断すると、少女の捜索は絶望的に困難であると言わざるを得なかった。
しかし冒険者の存在意義は、結界の外でのこうした活動にこそある。衛兵が動かないからこそ冒険者が動くべきだ。タルボットはそう言った。組合の面子というものもあるだろうが、それはタルボットたち組合の職員や、この町の冒険者の気質によるところも大きい。
捜索の報酬も、非常事態に備えて積み立てられた町の予算から、わずかではあるが自動的に用意されていた。
「女の子は、シムの花という薬草を目当てにしていたんじゃないかという話だ。あれなら一般的に出回っている。小さい女の子でも眼にしたことはあっただろう」
アルフェが家に戻って準備をしている間に、テオドールたちは事件に関するさらに細かい情報を聞き出していた。
「シムの花なら、私も何度か採りに行ったことがあります。群生地をいくつか知っているので、そこに行ってみましょう」
パーティーの中で一番森に詳しいアルフェが先頭だ。彼女の案内で三人は森に足を踏み入れ、真っ直ぐにシムの花の群生地を訪れた。
「なんだここは。何でこんなに魔物の骨が散らばってんだ? ここで何があった?」
「もしかしたら、強力な魔獣が現れたのかもしれないな……」
テオドールとマキアスがきょろきょろと周囲を見回す。辺りには、薬草に混じって、ゴブリンのものと思われる小さな骨が散乱している。実のところその有様は、二人の隣にいる少女が作り出したものだったが、彼らにそれを知るよしは無い。
「ここを訪れた形跡はありませんね。……もっと奥に行ってしまったのでしょうか?」
不安そうに眉をひそめて、アルフェがつぶやく。
「とにかく、日が傾くまでは捜索を続けよう。私たちにできることは、それしかない。女の子の足だ。通れるルートは限られるはず。起伏の少ない所を選んで進もう」
テオドールの言葉に促されて、三人はさらに森の奥に入った。
「おい二人とも! こっちに来てくれ!!」
さらに森の中を行ったところで、マキアスが何かを発見した。
「薬草籠……、ですね。組合で支給されているものとは形が違います」
しゃがみ込み、アルフェがそれを改めている。
「少しだけ、シムの花が入っています。まだ乾いていません。恐らくこれは、リアナちゃんのものじゃないでしょうか」
籠に入った何本かのシムの花は、根本から引き抜かれていた。この草に薬効があるのは花びらだけだ。それも知らずに、少女は森に入ったのか。それを思うと、アルフェの心はしくりと痛んだ。
「ここでモンスターと遭遇したのかな? ……うまく逃げられたんだろうか」
そう言うテオドールの表情も暗い。
「食われちまったにしては、死体も血の跡もないのはおかしい。襲われて、逃げたんだ。きっとどこかに隠れてる。まだ死んだって決まったわけじゃないさ」
アルフェとテオドールを奮い立たせるように、明るい声でマキアスが言う。しかし彼自身も、不安げな表情を隠しきれていない。
「……そうだな。マキアスの言うとおりだ。進もう」
「はい」
だが結局、その日の一行は、行方不明の少女を見つけることはできなかった。
「テオドール、これ以上はだめだ。日が落ちる」
「まだもう少し――。……いや、分かった。適当なところでキャンプしよう」
マキアスの提案で、まだ暗くならないうちに捜索が打ち切られ、野営の準備が始まった。
道しるべもない森の中だ。日が沈んで前後不覚になれば、二重遭難の危険性が高くなる。例え気がせいていたとしても、無理に夜間の探索を続行することはできなかった。
「
「そうだな、我々は、我々にできることをするしかない」
ベルダンの町には、野外での探索を専門とするレンジャーとしての技術を持つ冒険者もいたが、不運にも別の仕事で出払っていた。捜し物に適した占星術を使える人間もいない。
そういう視点で考えると、このパーティーの構成はかなりアンバランスと言えた。聖騎士が二人と、よく分からない格闘娘が一人。魔術の使い手もなく、治癒の専門家もいない。だからこそテオドールの言う通り、彼らはできることをするしかないのだ。
「ここなら水も確保できるな」
近くに手頃なせせらぎがあり、一行はそこにキャンプを設営することを決めた。手分けして焚き火と夕食が用意される。野営といってもテントなどは無い。夜になれば、毛布にくるまって休む。
「粗末なものだが……、アルフェさん、どうぞ」
「ありがとうございます」
「マキアスも」
「またこれか。他に無いのかよ」
「わがまま言うな」
「とても美味しいですよ」
テオドールが調理した穀物粥を、アルフェが口にしている。具材は塩とわずかな穀物に、その辺で摘んだ野草だけだ。正直、マキアスにとっては閉口する味だったが、アルフェは言葉通り、美味そうに食べていた。
――というかやっぱり……、この娘は何なんだろうな。
不意に訪れた静かな時間の中で、改めてマキアスは考える。
倒木に足をそろえて腰かける少女は、粗末な木の椀を使い、優雅な動作で食事をしている。どう見てもそれなりのしつけを受けた者の振る舞いだ。さっきまで、手際よく焚き火の準備をしていた姿とは、大きな隔たりがあった。
――前は悪霊と見間違えたが……、こうして見ると――。
焚火の灯りに照らされて、少女の銀色の髪が、幻想的な淡い光を放っている。ほんのりと赤みを帯びた白い肌。透き通った瞳に、長いまつげ。いつか見た絵画の中にある光景のようで、彼女を見ていると、危うくここが魔の森のただ中だということを忘れそうになる。
「――い」
おとぎ話の中に、こんな妖精が出てきたなとマキアスは思った。そう見紛うほど、この少女は――
「――い、おい! 聞いてるのか、マキアス」
「――あ、ああ。ああ、聞いてるよ。 ……何だったっけ」
「聞いてないじゃないか……」
呆れた表情で、テオドールが明日の行動計画について繰り返す。
――……アホか俺は。
それを聞きながら、マキアスは自分自身に呆れていた。今自分は、いったい何を考えていたのだろう。まるでテオドールのような、キザったらしい妄想をしていなかったかと。
「アルフェさんも、それでいいですね」
「はい、分かりました。お任せ下さい」
説明を終えたテオドールが、アルフェに確認をとる。いつの間にやら、テオドールが調理した鍋の中の穀物粥は空になっていた。
「マキアスは?」
「……ああ、了解だ」
「……? どうした?」
「何でもない」
それでパーティーの会話は、いったん途切れた。森の中の静寂に、パチパチという薪のはぜる音が消えていく。
「そう言えば、我々はお互いのことをよく知りませんでしたね。改めて自己紹介でもさせて下さい」
間を持たせようと思ったのだろうか。しばらくして、テオドールがそう切り出した。
「前にも少しお話ししましたが、我々はある任務を帯びて、この地域を巡回している騎士です。あ、申し訳ありません。事情があって、どこの騎士団かは言えないのです。ともかくそこの騎士団に、私とマキアスは幼いころから参加していて……。あ、任務に支障があるので、我々の家名を明かすことができず申し訳ありませんが……。えー……」
一人でしゃべり出したテオドールは、一人で言葉に詰まってしまった。
「……すみません、これでは自己紹介にはなりませんね。……まいったな」
――おいおい。不器用かよ。
首をひねるテオドールを見て、マキアスは心の中で一人突っ込む。
「アルフェさんは、どうなのでしょう。冒険者になられる前は、何をしていらっしゃったのですか?」
「……私、ですか?」
――おいテオドール! お前、それを聞くのか……。
天然というものは怖い。どんな事情を抱えた娘かもわからないのに、テオドールは容赦なく踏み込んだ。だが正直、それにはマキアスも興味があった。彼は制止することなく、アルフェの回答を待った。
アルフェは何も答えない。少し目を伏せて、何かを考えているようだ。
彼女はしばらく、本当に思い悩んでいる様子だった。その視線は己の頭の中を探るように、焚き火の前の中空を泳いでいる。
「……何も、していませんでした」
「何も?」
ようやく口を開いたアルフェの言葉に、テオドールが首をかしげた。何もしていなかったとは、どういうことなのだろうか。
「……そうです。……何も。そう、私は、何も」
ずっと城の中にいた自分。いつも部屋の窓から、外の風景を眺めていた自分。食べることと着ることには不自由したことがなかったが、ただずっと、そんな生活を繰り返してきた。それが、当然だと思っていた。
あの日、城が陥落するまでは。
「おい、いいじゃないか、昔のことはさ」
「――あ」
「マキアス」
アルフェの思考を、マキアスの言葉が遮った。
「言いたくないことだってあるだろ。――それよりも、明日は早朝から捜索再開だ。早めに寝ようぜ」
「あ、ああ、そうだな、そうしよう。すみませんアルフェさん。立ち入った事をお聞きしました。許して下さい」
「……いえ、お気になさらないでください」
絶対にリアナちゃんを見つけましょうねとアルフェが言って、それでその夜の会話は終了した。
寝る前に、夜間は交代で見張りに立つことを決めた。テオドールははじめ、女性であるアルフェを夜中に立たせることを渋っていたが、
「そういうご心配は、どうぞ無用にしてください」
というアルフェの言葉に、最終的には首を縦に振った。
明日は、どうなるのだろうか。
焚き火の前に座りながら、あるいは毛布にくるまりながら、三人は同じことを考えていた。現実的に考えれば、死体すら見つからない可能性の方が高い。だが、それでも――
森の夜は更けていった。
◇
リアナは暗い洞窟の奥で震えていた。もう、どれくらい奥に入ってきてしまったのだろう。周囲から、ギチギチという音がする。奴らが、自分を探している。
――死にたくない! 死にたくないよ……!
どうしてこんなことになったのだろう。
ゴブリンを振り切った後も、彼女は森をさ迷っていた。当ても無く動き回るよりは、一箇所に留まったほうがまだいい気がしたが、森の木々のざわめきや鳥の羽音、そういったものを耳にするたび、何かに追われているような気がして、足が勝手に前へと動いてしまったのだ。
どれくらい経っただろうか。薄暗い森がさらに暗くなってきた。朝食のすぐ後に家を出たはずなのに、もう日が暮れようとしている。リアナはさらに焦り、足早になった。
日が沈む。森に夜が訪れる。このままここで、一夜を過ごさなければならないのだろうか。
――いやだ……! 死にたくない! リオン……!
彼女は家に残してきた、幼い弟のことを思う。
リアナの父は、彼女が小さいころには優しかったが、いつのころからか酒びたりになった。仕事もせずに、昼間から酒ばかり飲んでいる。母は、弟を産んですぐに出て行った。
その弟にご飯を食べさせるため、自分はこの森に入ってきたのだ。死ぬわけにはいかない。リアナは震えていたが、気丈にも涙は流さなかった。
日が落ちてしまった。森の中にはかろうじて、木々の隙間から月明かりが届くだけだ。夜は危険な魔物が活性化する。このままここで夜を明かせば、間違いなく死ぬ。そのことはリアナにも、本能的に理解できた。
その時、そんなリアナの目に、淡い光が飛び込んできたのだ。
巨大な木の根元に、大きな穴が開いている。光はその穴の奥から漏れてきていた。
ふらふらと彼女が近くに寄ってみると、それは穴と言うより洞窟だった。青白い光が、リアナをその洞窟の中に誘った。
「きれい……」
一瞬、リアナは全てを忘れてつぶやいた。
そこには天然の鍾乳洞が広がっていた。青白い光を放っているのは、辺りの壁や地面を流れる水だ。地下水が森を満たすマナに反応して、このような光景を作り出しているのだろうか。
――ここなら、魔物もこないかな……。
そんなことはない。洞窟にだって危険な魔物は山ほどいる。むしろ、森の中よりも危険かもしれない。
だがリアナは、せっかく手に入れた灯りから離れたくなかった。森の闇の中には戻りたくなかった。彼女は鍾乳洞の壁面に、自分が入り込めそうな小さなくぼみを見つけて、その中で膝を抱えてうずくまった。
――ここで、朝になるのを待とう。ここで……。明日になれば、きっと……。
疲労は限界までたまっていたのだろう。眠れるはずが無い。そう思っていたのに、彼女はいつの間にか眠っていたようだ。目覚めたリアナは、少し目をこすった。
――もう……、朝になったかな?
外の様子を見てみよう。そう考えた彼女がくぼみから顔を出そうとすると、恐ろしい生き物が目に入った。
直立する巨大な甲虫。ジャイアントビートルだ。大人の男ほどの大きさの魔物が、あごを伸ばして鍾乳洞の光る水をじゅるじゅるとすすっている。
――モンスター!? モンスターだ!
リアナは咄嗟に両手で口を押さえた。悲鳴を上げて、あの魔物に気付かれるわけには行かない。
ジャイアントビートルは、水を飲むのに夢中になっている。その隙に、洞窟の入り口に向かって走り抜けよう。リアナはそろりそろりと魔物の背後を通りぬけようとした。
しかし運悪く、彼女は大きな石ころにつまずいた。がたりという音が鳴り、リアなの心臓が跳ねる。
巨大な甲虫がむくりと顔を上げ、触覚を動かす。気付かれた。そう思った時、リアナの足は洞窟の奥に向かって走り出していた。
それから、だいぶ時が経った。この洞窟は、ジャイアントビートルの巣穴だったようだ。とにかく奴らに見つからないようにと、リアナは奥へ、奥へと逃げた。そのうち彼女は、自分がどこにいるかもわからなくなったのだ。
そこかしこから、ギチギチという音が聞こえる。奴らが、リアナを探している。誰に届くはずも無いが、リアナは頭の中で、助けてという悲鳴をあげた。