屋敷は既に半壊しきっていた。和室だった部屋は、瓦礫で埋もれ、壁には穴が無数に存在し、至る所に罅が入り、パラパラと頭上から破片が落ちてきた。部屋を彩っていた家具は無残な姿を見せている。足元に転がる燭台の蝋燭には灯した跡が残り、その近くにはガラスの破片があちこちに散らばって、歩く度に破片の擦れる音がする。おい、何処からか声がした。珠世様から離れたくない、と言っていた鬼の声だ。
「こっちだ、こっち」
声に従い進めば廊下へと続く道へと誘われる。地下室へ続く階段があった、薄暗い階段を一段一段下りていけば、蝋燭の明かりが見えてきた。最後の一段を下りる、座敷牢が広がっていた。廊下のような空間には牢がいくつか存在している。何処かでは人間の匂いが混じっている。先程の女鬼が眠る少女の鬼の額に手を当てていた。眠る鬼が少年の妹だろうか。身体の状態を診ているらしい、手慣れた動きだった。嘉納教授もそんな動きをしていたな、動きから見るに医療に携わる者であるのは明らかだった。……確か、珠世と言ったか。おい貴様、女性の名前を思い出しているとまた先程と同じ声がする。いかめしい眼の少年が此方を睨みつけてくる。
「珠世様をじろじろと見るな、そして面ぐらい外せ」
それとも顔も晒すのが怖いのか、臆病者め。せせら笑うような口ぶりだ。鼻で笑う男の鬼は明確な敵意を俺に向けていた。
「……兪史郎」
珠世のたしなめる声がすれば、男は黙り込む、だが変わらず殺伐とした空気を身に纏う、此方を静かに睨みつけていた。警戒しているのは明らかだった。まるで懐かない猫のようだ。兪史郎がごめんなさい、珠世は此方に歩み寄ってくる。少年の妹は無事だと言う判断がついたらしい。珠世は静かに口を開く。
「先程鬼の襲撃にあってピリピリしているの」
構わない、俺は気にしていないと頭を振った。珠世様に何だその言い方は、噛み付かんばかりに襟を掴もうと動く兪史郎に、珠世は制止の手を見せる。
「……間違いではないからな、顔を晒さないのは人間にバレたくないからだしな」
臆病者さ、俺が肩をすくめれば、唖然とした表情を見せる兪史郎が何だかおかしかった。それで、珠世は伏し目がちな眼は此方を見据えている。なるほど、兪史郎と呼ばれた鬼の方が分かりやすい。静かにだが、警戒しているのは珠世も同じようだった。何か、聞きたいようだ。
「貴方は何者ですか?」
「それに関しては少年が来てからだな、それにほら、少女が起きる」
もぞり、少女は目を覚ます。桃色の眼が此方を見ている。随分と穏やかな空気を持つ娘のようだ。良かった、安心した様子を見せる珠世に近づいたかと思えば、不意にガバリと抱きついた。珠世はびっくりした表情を隠さなかった。どうやら同性でも駄目らしい、兪史郎は我慢ならない様子で少女を睨んだ。思わず笑う。
「はは、随分懐かれたじゃないか。確か、兪史郎、といったか?いちいち相手に目くじら立てては珠世様とやらに嫌われるんじゃないのか?」
なっ、と兪史郎はわなわなと顔を強張らせていると珠世は少女に抱き着かれたままで俺を見ていた。
「貴方は、炭治郎さんとお知り合いのようですが、一体……?」
「山で会って少し話したくらいだ、鬼の匂いを嗅いで来たらたまたま再会しただけのことだ」
腹が減ってな、俺がそう言えば兪史郎は珠世を後ろに下がらせた。珠世様、こいつは信用出来ません。首を振って俺を睨んだ。
「先程の連中と同じかもしれません!」
「とんでもない、今日あいつらとは会ったばかりだ。俺には手に眼がある知り合いも、六本腕の生えた知り合いもいないんだ」
「……油断させて襲うのかもしれません!」
「油断ならさっきからしているじゃないか」
あぁ……ッ、貴様には言っていない、手を頭に抱えて男は髪を掻き毟った。珠世の凛とした声が響く。
「貴方は、鬼ですね?」
「似たようなモノだ、少年が来たら話すと言ったろ?……その代わりに俺からも質問だ。鬼舞辻とは何だ?鬼か?」
ぎょっとした様子で兪史郎は見ていた。珠世も呪いと称される現象が起きない俺に目を細めた。続けて口にする。
「さあ、これで鬼ではないと分かったか?呪いは発動する素振りをみせたか?連中のお仲間じゃないと証明できたか?」
それなら俺の問いに答えて欲しい、そう畳みかけるように言葉を続ける。兪史郎はまた何か言いたげな表情だった。いいでしょう、という珠世の一声でその場の決着はついたようだった。
鬼舞辻無惨、千年以上前に、一番最初に鬼になった人喰い鬼。原種にして首魁。 人の手では祓う事の叶わない、最悪の災厄と言われる悪鬼。少年の、仇だというその鬼は鬼を増やせるのだと珠世は語る。喰種でさえ増えたら厄介だというのに、鬼が増やせるなんて、切りがないし本当に救いがない。
――あぁぁァァああああアアあああアあああ!お許しください、お許しください!!お願いです!どうかっ!どうか許してェ……!!ぁぁ……ッ
切実な懇願も涙も、きっとその鬼には届かない。あの六本腕の鬼は鬼舞辻を慕っていたというのに。臆病者と比喩された男はそんな鬼を良いように扱っているようだった。
「私はあの男を抹殺したいと思っている」
静かな冷たい声が地下の空間を支配した。珠世には並々ならぬ感情を閉じ込めているようにも思えた。臆病者とまで言った珠世の言葉はまるで鬼舞辻を知っているような口ぶりだった。憎んでいるとも思えるような、そんな声。何故だろうか、似ても似つかないのにタタラの姿とダブって見える。タタラもいつも珠世と似たような雰囲気を纏っていた。兄を殺したという。ただ1人の男を殺すため、それだけを瞳に閉じ込めて。鋭く切れる刃を尖らせた。冷たく冷酷に殺せと語る彼が唯一、心を穏やかにさせた相手は、……君だったな。
タタラとエト。どうしたって俺が近づいてはいけない境界線を、常に感じていた。その光景を見るたびに強く思う。嫉妬がないとは言えない。それに近い感情だ、悔しいのかもしれない。それでもタタラのことは嫌いではなかった。不思議な感情だった。珠世も兪史郎と出会って安らぎを得たのだろうか。いいや、よそう。人の関係をとやかく考えるのは不躾だ。頭を振って思考を打ち消した。ピクリ、少年の妹が何かに気付いたように珠世から離れて行く。上から足音が聞こえた。少年が建物に入ってきたようだ。兪史郎は先程俺を呼んだように少年を呼び込んだ。
「こっちだこっち。別に来なくてもいいんだが来たいなら降りて来い」
兪史郎が毒を吐けば、珠世は彼をたしなめた。少年は俺が先程下りて来た階段からひょっこりと顏を見せた。少女は走って少年を抱きしめる。禰豆子、嬉しそうに少女を抱き締め返した。
「朝を迎える前に光の届かないこの地下に移動しました」
珠世が説明すると途端に少女は少年から離れ、珠世にまた抱き着いた。くッ……か、空気の抜けたような声が兪史郎から聞こえる。先程の忠告は聞いていないようだった。
「貴様ぁ!珠世様から離れろ!失礼だぞ……ッ!」
やめなさい、兪史郎はどうやら珠世の言葉なら聞くようだ。珠世に抱き着きながら少女は兪史郎の頭を幼子をあやすように撫ではじめる。やめろ、声を震わせて兪史郎は顔をひきつらせた。
「先程から禰豆子さんがこのような状態なのですが……大丈夫でしょうか?」
不安げに珠世は少年に訊けば少年は穏やかに答えた。
「心配いりません。大丈夫です。……多分二人の事を家族の誰かだと思ってるんです」
少年の答えに珠世はキョトンとした表情だ。大人の女性らしい、凛とした様子はないようだ。
「家族……?しかし禰豆子さんのかかっている暗示は、人間が家族に見えるものでは……?」
私達は鬼ですが……、珠世の言葉はそう続くが少年は珠世の言葉に頭を横に振る。
「でも禰豆子はお二人を人間だと判断しています」
だから、守ろうとした。少年の言葉に珠世はハッとした表情で目を伏せた。少年は珠世の様子に気付かず話を続けた。
「俺……禰豆子に暗示かかってるの嫌だったけど本人の意思がちゃんとあるみたいでよかっ……」
珠世の瞳から涙がつっと一筋流れ落ちた。溜まった水は重力に従って、ポロポロと止めどなく溢れ出す。少年は焦って妹を引き離そうとするが、珠世は少女の腕に顔を埋めて抱き寄せる。ありがとう、禰豆子さん、……ありがとう、救われたような彼女の言葉が耳に残る。喰種も人間と同じように見なされたら、そんな馬鹿げたことを夢想する。馬鹿げた夢だ、でもくすぐったくて、優しくて。思わず笑みが零れた。
「私達はこの土地を去ります。鬼舞辻に近付き過ぎました。早く身を隠さなければ危険な状況です」
それに、珠世は顔を伏せて言葉を続ける。
「うまく隠しているつもりでも、医者として人と関わりを持てば鬼と気付かれる時もある。……特に、子供や年配の方は鋭いのです」
喰種も同じところには居られない、肉を喰らう化け物はいつだって怯えられる。恐怖と罵倒の声と、傷付くように選ばれて紡がれる言葉。含みのある珠世の言葉にはそういった迫害もあったように思わせた。……そんな不便なところも同じか。鬼と言うのは本当に……俺達によく似ているな。不意に、珠世は少年にこんな提案をする。
――炭治郎さん…禰豆子さんは私達がお預かりしましょうか?
当然、兪史郎は嫌がって首を振る。戦いに連れていくよりはという珠世の提案に、少年は黙り込む。悩んでいると少女は少年の考えを打ち消そうと手をつなぐ。少女の眼は、真っ直ぐだった。少年は穏やかに微笑んで、意思を持った眼で珠世を見据えた。一緒に行くと決めたようだった。離れ離れにはならない、とそう告げて。分かりました、珠世はその回答に頷いて微笑んだ。
「武運長久を祈ります」
兪史郎も口を開く。そっぽ向いて少年達を見ない。そして俺の方を指さして、睨んだ。
「じゃあな、俺達は痕跡を消して行く。だがその前に、……般若面のお前、いい加減に珠世様の質問に答えろ!」
「ああ、そういえばそうだったな。俺の正体、だろ?」
少年も気になっているようだ、ハッとした表情で此方を見ていた。
「質問には答えるよ。見れば分かるか」
階段を上っていけば何処に行く、と兪史郎の非難する声がする。皆付いてきているようだ。真っ暗な廊下の中を歩いて、瓦礫まみれの和室へと足を運ぶ。そこまで行けば鬼である少女も珠世、兪史郎も行けないようで廊下の辺りで歩みを踏みとどめた。少年は妹を守るように腕の中に包み込む。俺は光の差し込む和室の手前の廊下で立ち止まった。後一歩歩けば鬼が四散して消える手前の位置にいる。その先からは光が差し込んでいた。
「貴様、珠世様に光が当たったらどうするつもりだ」
「実際見れば分かるかと思ってな、すまないな」
睨む男に謝罪して、一歩その光の中へ足を進めた。おい、止める兪史郎の声を聞きながら夜明けの陽光を浴びた。朽ちない俺の姿を見て驚いた様子だった。貴方は、どうして。少年が呟いた言葉に耳を傾けて答える。
「見ての通り、俺は鬼じゃない。日光も藤も弱点にはなり得ないんだ」
淡々と説明をしながら面を外す。そういえば、人前で顔を晒すのはエト以外に見せたことはないな、とボンヤリと思う。
「人間でもないがな」
俺達は鬼と同じで人間を食べるんだ、眼を熱くさせて、種族独特の赤い眼を廊下にいる人たちに見せつけた。