――貴方の血を調べさせて下さい
珠世の申し出はこうだった、俺の血が欲しいとそう告げる。鬼を人に戻す方法を確立させる、研究のためだと語るその言葉に嘘はない。だが、喰種の血が果たして研究の貢献になり得るかといえば、首を傾げてしまうことだった。
「……俺は鬼とはまるで違う種族だ、血を採ったところで研究が進むとは思えんが」
いいのか、俺の問いに構わないと言う様子で珠世は頷いて見せた。
「承知の上です。……少しでも人に戻れる可能性があるのなら、別の観点からでも」
珠世は静かな物腰ではあったが、確固たる意志をその眼に宿していた。俺から言える言葉はもうなかった。
腕の太い血管を探り当て、珠世は注射針を刺す。刺してみるが俺に針は通らない。針は刺す度に折れてしまい、何本かの注射針を無駄にした。新しい発見だ、鬼と喰種の皮膚の強度はまるで違うようだった。珠世もこれでは血が採れないと、困った様子で頬に手を置いた。
「貴様、珠世様の為にも脆くはなれんのか」
珠世が困れば兪史郎は当然ながら俺を睨む。しかし、それに対しては首を横に振るしかなかった。
「無茶を言うな、それが出来たら苦労はない」
こうすれば早いだろう、俺はそう言って鋭く尖った自身の爪を指に引っ付ける。爪を引けば指に軽い痛みが走った。じわりと切り筋から赤い血が滲み出して、少しずつ増えて赤い粒状の玉が出来る。重力に従って落ちる血を珠世のそばに置いてあった試験管に入れた。注射を刺す方法がない訳ではなかった。それは CCGが喰種を解体するにあたり、喰種を人間並みの強度に落とす為に作り出された忌まわしい薬、RC抑制剤を使うにあたって発覚したことだった。当然のことだが注射を通さない喰種にそれをどこに投与するのか、それは【粘膜】だ。喰種もそこは弱い、主に眼球に突き刺して、投与する。ヤモリはそれを喜んで壊れない玩具に与えて遊んでいた。良い趣味だとは言えないが、ヤモリが自慢げにそれを話していたのを覚えている。しかし、眼球から採血が出来るかと言えば、少し確信が持てなかった。何より、俺自身に被虐趣味はない。一番手っ取り早い方法を選んだ。貴様、兪史郎が吠える。
「それが出来るんなら最初からしろ」
珠世様を煩わせるな、と続けて話す兪史郎は心底不快そうに顔を歪ませて俺を睨んだ。珠世はそれを諫めるが兪史郎にとっては許せないようで睨むことをやめなかった。
「鬼に通る注射なら俺にも通ると思ったんだ、悪かったな」
素直に謝れば兪史郎も満足したようで顔を背けて口を閉ざした。採血を終えれば珠世はその血を大切そうに仕舞った。大体のことはやり終えた、兪史郎は痕跡を消すことにしたようだ。少年も何処からかやって来た喋る烏が任務だと言い出して、少年も行かざるを得なくなった。珠世からは共に行かないかとも誘われた、研究に付き合えという話だ。方針を決めかねたが結局少しだけ珠世の研究に付き合うことにした。喰種のRC細胞はある程度知っている者がいれば捗るだろうと思ったからだ。
少年が旅立ってから屋敷を引き払ったのはその日の晩だった。昼間は鬼の体質で出歩けない二人は地下室で荷物を纏めて片付けを始めた。ついていく俺も例外ではない、地下室以外の片づけを兪史郎に言い渡された。太陽を浴びても平気なら動けということらしい。あれを持ってこい、これを持ってこい。次から次へと命令される。エトもペンを持って来いとか言っていたなと懐かしんでいると、地下室では猿轡を付けられて拘束された鬼が暴れていた。鬼舞辻に鬼にされたばかりだというその鬼は、よだれを溜めて物欲しげに自身の嫁を見ていた。噛まれた傷口を押さえた女性は悲しげに鬼を見ている。肩口から香る匂いが鼻孔をつく。鬼もその匂いを感じているようで苦しそうに地下牢で暴れまわる。そのせいで片付けは中断されていた。
「くそ、埒があかない」
兪史郎は鬼を睨みつけた。作業が捗らない、珠世も研究材料を纏めているし俺達でどうにかしないといけなくなった。俺は兪史郎の肩を掴んで呼び止めた。
「俺に任せて欲しい」
鍵を開けろ、兪史郎が牢の扉を開き、場所を譲る。俺が牢の中に入れば威嚇するように鬼は此方を睨んだ。鬼を見据え、問いかけた。
「腹が空いたか?」
うう、くぐもった獣のような唸り声が聞こえてくる。どうしようもないか、俺が訊いても鬼は応えない。理性はないようだ。
「……だったら、そこの扉を通ればいい。鍵は開いている、そこにいる新鮮な女の肉を貪ればいいさ。邪魔なら猿轡を外してやってもいい、手枷もな」
――それでお前は自由だ、場所を譲る俺に兪史郎が女性を庇いながら、咎める声を上げた。
「おい!!き「そして空腹を満たして、お前は喰い散らかした血と臓物の海の中で、後悔したいんだったら、勝手にしろ」」
兪史郎の言葉を遮って言葉を続ける。その言葉によって、鬼は目を見開いてますます暴れ出した、先程とはまるで違う。女性に顔を背けて必死に何かに抗う動きを見せた。それは葛藤だった。……そして、最後には大人しくなった。牢から鬼を出して兪史郎に引き渡す。作業に戻った。
概ね片付けが終われば兪史郎は目の描かれた紙を俺達に張り付けた。目くらましだという兪史郎の血鬼術は、確かに俺達の認識を阻害した。道行く人は俺達を無視していたし、兪史郎の後を見失えば俺は匂いを追えなかった。珠世達の潜伏先は長年転々しているだけあって、設備は整っていた。珠世は俺の血液を調べるとやはり鬼とはまるで違う構造をしているようで、検査は難航した。俺の単語も独特のモノが多いようで珠世の質問は絶えない。日数が重なっていく。その間、昼間は俺も自由を貰った。定期的な時間を設けてエトを捜すことに決めた。日が暮れれば帰れない俺を迎えに兪史郎がやって来る。珠世から離れるからいつだって迎えに来る顔は不機嫌を隠そうともしない、嫌味が一つ二つじゃ済まないほどだった。そんな関係も慣れてきて兪史郎も気安くモノを言うようになっていた。
「……お前の同胞は見つからないだろうに、いつまで続けるつもりだ?」
「そうだな……、本当のことを言えばもう諦めているんだ」
含むような表情とその言葉に俺は黙り込んだ。本音を言ってしまおうかと思った、兪史郎がどこか俺に似ていたからかもしれない。弱音に近い本音だった。俺の言葉を黙って聞いている兪史郎に、言葉を紡ぐ。
「俺は死にかけていたし、目覚めたら別の場所。きっと此処には誰もいないんだ。……でも、最後にエトに会えたから満足しているよ」
吐いたらスッキリした、聞いてくれてありがとう。お礼を言えば兪史郎が俺の頭を叩く。
「お前は生きているだろう、……だったらまだ諦めるな」
馬鹿が、兪史郎が毒を吐く。何だかおかしくて俺が笑えば兪史郎はますますそっぽを向いて機嫌を悪くさせた。