海の導き   作:柴猫侍

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2.渦の導き

「モサモサ!」

 

 広い訓練場の中、二人の男子が向かい合っている。

 その内、長身でたらこ唇の忍者然とした軽快な動きで飛び回る男子―――ビンズが、どこからともなく巨大な蔓を生やし、対峙している男子へと向かわせる。

 

「“嵐脚”!」

 

 常人では止めることが叶わないであろう植物の波であったが、横薙ぎに脚を振るうジールが尋常ではない速度で成長する植物を両断した。超高速で脚を振り抜くことによって扇状の鎌風を放つ六式の一つ、“嵐脚”。その鋭さは本物の刀剣に匹敵するだろう。

 嵐脚が蔓を切り裂いた先。本来そこにはビンズが居た筈だが、彼の姿は見当たらない。

 

 しかし、ジールは焦ることなく今度は背後に腕―――否、指を突きだした。

 六式が一つ“指銃”。指先に力を集中させることにより、弾丸に匹敵する威力の一本貫手を繰り出す技だ。

 風を切る鋭い音と共に、これまた凄まじい速度でジールの背後に人影が現れる。

 だが、出現と同時にその人影はジールの指銃の直撃を喰らう。手加減しているとは言っても超人が繰り出す一本貫手だ。鍛えられた海兵であろうとも痛みに悶えることは間違いない。

 

「甘い!」

 

 そんな周囲の予想を裏切ってジールに飛び掛かったのは他ならぬビンズだった。

 ジールの突き刺した人影―――蔓が絡み合い人の形を成した物体が枯れていく。ビンズが用意した植物で作り出した身代わりだ。

 彼は超人系悪魔の実『モサモサの実』の能力者であり、独特なダンスによって植物の成長を促進し、操ることができる。彼の忍者染みた戦法も、このモサモサの実の能力があってこそ。

 

「もらったァ!」

「甘いですよ」

「なに!?」

 

 懐から手裏剣を取り出し、ジール目掛けて放り投げたビンズ。

 しかし、当のジールはと言えばその場からジッと動かない。

 これでは当てろと言っているようなものであるが、迫りくる無数の手裏剣に対してジールの体が徐に揺れた。

 迫り来る物体に対し、自ら躱す真似をとった訳ではない。はらりはらりと紙の葉の如く、遮る障害物に対し文字通り紙一重で体が避けていく。

 

「紙絵か!」

「ご明察」

 

 それは六式が一つ、“紙絵”。敵の攻撃から生じる風圧に身を任せて回避する防御技である。

 一歩間違えれば躱しきれず、みすみす攻撃を喰らってしまう繊細な技だ。だが、最小限の動きで躱したからこそ生まれる隙が少なく、敵の攻撃にすかさず応戦できる。

 “剃”にてビンズに肉迫するジール。

 ビンズもみすみす敵の射程距離まで近づかせる筈もなく、宙でモサモサの実による植物の成長促進にてジールの行く手を阻むように植物の壁を作る。

 

 しかし、敵を阻むための城壁はすぐに切り開かれた。

 “嵐脚”だ。だが、そのことを理解したビンズの視界の中に、すでにジールの姿はなかった。

 

「どこ―――ぶへぁ!?」

 

 周囲を見渡そうとしたビンズの後頭部に強烈な踵落としが入る。

 一直線に地面に叩き落されるビンズ。そして、その横に降り立つのは無論ジールだ。

 舞い上がる砂埃を手で払う彼は、後頭部にできた大きなたんこぶを押さえるビンズに『大丈夫ですか?』と手を差し伸べた。

 

「くぅ……もう少し手心を加えてくれ」

「すみません。でも、覇気を意識すると手加減とかできそうになくて」

「ちなみにできたのか?」

「いいえ」

「……できた暁には、俺はどうなることやら」

「ははは」

 

 からからと笑うジール。

 ビンズが触れた通り、彼は現在ゼファーから覇気について学んでいる。将校の中でも、地位が上の者には最早必須とも言える技術だ。

 その中でもゼファーは武装色の達人であり、現役時代は『黒腕のゼファー』として海賊から畏れられ、海軍内では尊敬を集めていた。

 そんな彼に倣ってジールもまた覇気の習得に精を出しているものの、未だ習得には至っていないのが現状。

 

「早く追いつきたいんですけどね」

 

 そう呟いたジールの瞳には一抹の憂いが宿っていた。

 

「焦っても仕方がないわ」

 

 彼を慰めるようにタオルを投げつけたのは観戦していたアインだった。

 ビンズにも用意していたタオルを渡した彼女は、『それに』と困ったような笑みを零す。

 

「貴方ばかりに強くなられたら、私達も立つ瀬がないもの」

「それは……もっと頑張らなくちゃ、ですね」

「意地悪ね」

 

 からりと笑うジールに、これまたアインは困ったように眉尻を下げる。

 誰もがゼファーの背を追う中、彼等三人の中でも、背を追われ、あるいは追いかける関係が出来ていた。

 それは掛け替えのない思い出。これからを海軍に身を捧げようとする彼等にとって、長い人生に対して一瞬にしか過ぎない、それでも眩い輝きを放つ青春の一ページであった。

 

 

 

―――あのようなことが起きなければ、いつまでも輝きを失わなかったのに。

 

 

 

 ***

 

 

 

「随分と寂しい卒業式でしたよ」

 

 糊の効いた海軍の制服に身を包むジール。この度、めでたく海兵学校を卒業した彼は新兵と為れたのだった。

 だが、その表情からは欠片も喜びは窺えない。

 

 雨に濡れる石碑。それは殉職した海兵を弔う為、遥か昔に建てられた墓碑のようなものである。

 特定の誰かの名前が刻まれている訳でもない墓碑に面と向かうジールの頬には、雨に濡れた所為ではない―――もっと別の理由で溢れる雫が伝っていた。

 

「生きてた3人は……()()元気なんでしょうね」

 

 瞼を閉じるジールが思い返す事件。

 それは数か月前に起こった海賊による訓練艦襲撃事件であった。搭乗していた訓練兵はアインとビンズ以外全員死亡。教官として同乗していたゼファーも、右腕を切り落とされるという重傷を負った。

 

「なんでぼくはあの時居なかったんだか……いえ、居ても大して変わらなかったでしょうけど……」

 

 心底悔やむように顔を歪めるジールは、事件当時、とある用事から演習に出ておらず、幸か不幸か事件には遭遇していなかった。

 ゼファーが片腕を失う程の相手だ。いくら腕利きとは言え、訓練兵のジールでは手も足も出なかっただろう。

 だが、それでも現場に居ればできたかもしれないことが―――助けられた友人達の命があったかと思えば、これほどまでに思い悩むことなかった筈だ。

 

「……きっと義父さんも、こんな気持ちだったのかなと思いますよ。ねえ」

 

 火傷してしまいそうな熱が頬を伝うものだから、ジールは思い切って空を仰いだ。

 責め立てるような激しい雨が顔を打つ。だけれど、まだ足りない。もっと自分が責められて然るべきだと拳を握る。拳から滴る水滴が赤く彩られようとも、強く、もっと強くと握り締めた。

 

 そうしてジールはゼファーの過去を思い返す。

 妻子を海賊の逆恨みで殺害された事件のことを。現場に居合わせさえすれば、襲撃した海賊達など容易く一蹴できたであろう。

 しかし、ゼファーは共に居られなかった。居られなかったから守れなかった。

 それに対して自分はどうだ? 共に居たとしても、きっと友人達を守れはしなかっただろう。

 

「なーんにも足りない。はぁ……人生、ヤんなっちゃいますね」

 

 まったく傲りがなかったかと言えば嘘になるが、誰かに咎められる程、ジールが自身の実力に慢心していた訳でもない。

 それでも、まだやり切れることがあったのではないかと自問自答せずには居られない。

 

「……ああ……あんまり怒らないでくださいね。ぼく、こう見えてメンタル打たれ弱いですから」

 

 ジールはゆっくりと墓碑に手を置いた。

 脳裏を過るのは、十人十色な良さを持っていた友人達の顔。

 遂には恐ろしくて死に顔を見ることが出来なかったが、彼等が生きていた時の希望や夢に満ち溢れていた顔は、嫌なくらい鮮明に思い出せる。

 どんな相手でも、それなりに仲は良かった。

 だからこそ、彼等全員に叱られたならば、きっと心が折れてしまうだろう。飄々とした性格なジールでも、そう確信していた。

 

 暫し悔恨に黙していたジールであったが、雨足が収まってきた頃、思い出したように『そうだ』と口を開く。

 

「ぼくは義父さ……っと、間違えた。先生が指揮を執る遊撃隊に入るつもりです。もう傍に居ないからなんにも出来ないなんて御免ですからね」

 

 右腕を失ったゼファーだが、海軍の科学者により義手兼武器の『バトルスマッシャー』を手に入れ、前線に戻る意向を示している。

 そんな彼は、教え子の海兵をいくらか引き抜いて『遊撃隊』を結成するとのことだ。

 事件で生き残ったアインとビンズは当然のこと、ジールもまた遊撃隊に入ると決めている。

 

 理由は、言った通り守りたい者の傍に居れず守れなかった思いをしたくないから。

 もう一つは―――。

 

(義父さんが……)

 

 あの日以来、憧れていた義父の背中が違う方向へ進んでいる。

 そんな嫌な予感が過っていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ゼファー率いる遊撃隊は、設立程なくして海賊達に恐れられる海軍の一組織として認知されるようになった。

 老いても尚、偉大なる航路前半では敵う海賊が居ない程の強さを誇るゼファーは、海賊の中でも悪魔の実の能力者を狙い、海賊を倒すことに精を出していた。

 

 その周りを固めるのは、ゼファーを慕う彼等の教え子達だ。

 中でも、モドモドの実の能力者であるアインとモサモサの実の能力者であるビンズは、当初新兵の身でありながらも、次第にその頭角を現していった。

 

 ほとんどゼファーの懐刀と言っても過言ではない彼等だが、そんな二人よりも一つ頭の抜きん出ている者が一人……。

 

「死ねい!」

「ヒィ!?」

 

 既に戦意喪失している海賊目掛け、手長族と呼ばれる腕の関節が二つある腕の長い海兵が回転して突進していく。

 しかし、直撃寸前で海賊の姿が攻撃の軌道から消え失せる。

 そのまま海兵は何もない地面に激突することとなったが、少し地面を抉りながら突き進んだ海兵は、何事もなかったかのような無傷の体が立ち上がり、怪訝な視線をとある男へ向けた。

 

「……なんのつもりだ、ジール」

「戦意を失った敵にトドメを刺す必要はありません」

「情けをかけるのか!」

「規範に則っているだけです」

 

 『正義』の二文字が掲げられているコートを羽織る男―――ジール。

 遊撃隊に入ってから数年経ち、以前よりも勇ましくなった顔つきの彼は、怒りを滲ませるシューゾに対し淡々と応え、捕らえた海賊の腕に手錠をかけた。

 非難するような視線をジールに投げかけるシューゾだが、他の海兵はいつものことだと、彼等のやり取りに対し特に思うところもないと言わんばかりに各々の仕事へと戻る。

 

「やめなさい、貴方達」

 

 剣呑な空気の間に割って入る声の主はアインだ。

 太腿に残る大きな傷跡は、数年前の訓練艦襲撃事件の際に負ったもの。その傷跡をあえて見せつける丈であるホットパンツを穿いているのは、あの日の屈辱や怒りを忘れぬ為の彼女なりの行いなのかもしれない。

 

 しかし、そんな彼女の制止を余所に、二人の睨み合いは続いている。

 ジールは、敵が海賊であろうとも―――否、海賊だからこそ、ルールに則ることで彼等の所業に対する然るべき罰を与えんとしている立場だ。それはかつてのゼファーの、海賊が相手でも殺生をしないという慈悲深い姿と重なるものである。

 

 だが、シューゾは違う。

 彼は、遊撃隊の中でも過激的な立場だ。敵が海賊である以上情けは無用。重要なのは海賊を倒した事実であり、生死はそれに付随する結果でしかない。

 

 その姿は―――、

 

「無駄話はそこまでにしておけ」

「っ……ゼファー先生」

 

 重厚な足音を響かせてやって来た巨漢。

 右腕に装着された無骨なスマッシャーは、対能力者のみならず、一兵器として強力なスペックを秘めており、失った右腕以上のものを彼―――ゼファーにもたらしていた。

 

「……義父さん」

「義父さんはやめろ」

「貴方もぼくに規範に則ることを止めろと言うんですか?」

 

 海軍は殺戮集団ではない。

 海の治安の為、賊を討ち取る誇り高き者達の集まりだ。

 海賊を殺すことは簡単であっても、それでは市井の人々に恐怖や苦痛をもたらした罪に対する罰を与える監獄《インペルダウン》の存在意義が消え失せてしまう。そして海軍はそれを推奨している。

 

 そうした規範を理由に自身の行動の正当性を主張するジール。

 彼を見下ろすゼファーの瞳は揺れていた。それが怒りか、はたまた寂しさか。今のジールには理解し難い。

 

「……好きにしろ」

「はい」

「―――ただし、お前が情けをかけた海賊共が復讐しに来る可能性を忘れるなよ」

 

 踵を返しながら言い放ったゼファーの言葉に対し、ジールはゆっくりと面を伏せた。

 遠くへ木霊する足音。否応なしに義父が離れてしまっているという事実を知らしめるようで、思わずジールの顔には影が差した。

 

 『ふんっ』と鼻を鳴らし去っていくシューゾの一方で、アインは心配するようにジールの下へ駆けよる。

 

「……大丈夫?」

「はい……と言えば嘘になりますね。最近……いや、ずっと義父さんとは折り合いが悪い気がして」

 

 『あの日から義父さんは変わった』と尻すぼみになる呟きには、アインも思わず顔を逸らしてしまう。

 

 ゼファーを尊敬し、あるいは心酔して付いてきた遊撃隊の面々。

 そのほとんどが今のゼファーの戦いぶりに疑問を抱かない。しかし、ただ一人―――ジールだけは義父の言動に懐疑的だ。

 

 忘れられぬ凄惨な事件から、ゼファーは容赦が無くなった。

 それを大半の海兵は良い意味で捉えただろう。教え子を殺された悲劇の教官が、義憤のままに海賊を打ち倒していく雄姿には、心を奮い立たせるものさえある。

 だが、欠片程も情けを感じさせなくなったゼファーの海賊に対する扱いに、ジールは追いかけていた憧憬が打ち砕かれてしまったように感じていたのだ。

 

「気持ちは分かります。でも、だからこそあのままで居て欲しかった」

「ジール……」

「誰も責めやしないのにおかしい話ですよ。ぼくも……死んでしまった皆だって、海賊に情けをかけられるぐらい人柄のいい義父さんに憧れていた筈なのに」

 

 ゼファーは鬼になってしまった。否、鬼にならざるを得なかった。

 実の妻子を奪われ、果てには教え子までも奪われたのだ。愛する者達を二度も奪われたゼファーには、最早海賊に情けをかけてまで愛する者達を危険に晒す真似ができる筈がなかったのである。

 

 かつては海賊王ゴールド・ロジャーや白ひげの信念を認めていたゼファーであったが、今や海賊の信念などに見向きもしなくなった。そうさせたのは他ならぬ海賊だ。海賊が彼を変えてしまった。

 

「アインは……」

「え?」

「貴方の正義は……なんなんですか?」

 

 向けられる視線が鋭くなるのを感じ取り、ジールはアインに面と向かう。

 すると、彼女も思う所があったのか、逃げるように視線を外した。アインほどの美女であれば、陰る横顔も絵になるというものだ。

 暫し葛藤しているかのように荒々しくなっていた息遣いも落ち着いた彼女は、揺れる瞳をジールへと向ける。

 

「……分からない。分からないわ。私はゼファー先生の正義が正しいと思ってずっと戦ってきた。けれど、貴方を見てるといつも考えるの。私が……いいえ、私達が憧れていた正義を真っすぐ追いかけているのは貴方だけなんじゃないかって」

「憧れ……まあ、そうですね。ぼくにはずっと憧れてるヒーローが居ますから」

「先生のこと?」

「さて、どうでしょう」

 

 分かり切っている答えを想像し、ふと笑みを零す二人。

 

「ねえ、ジール」

「はい?」

「もしもなにかあったら―――」

 

 そこまで紡いだ口がピタリと止まり、アインは再び面を伏せた。

 何事かと首を傾げるジールに対し、彼女は揺れる青色の髪で朱に染まる頬を隠す。自分が今何を口走ろうとしたのかを咄嗟に理解したからこその行動であった。

 必死に取り繕うとする彼女は、伏せた顔を覗き込もうとする彼から逃げるように踵を返し、改めて告げる。

 

「貴方になにかがあったら私が守ってあげるわ」

「? そうですか、それは頼もしいですが……できるだけ貴方の手にかからないように精進しますよ」

 

 真面目に応えるジールに対し、アインは逃げるように足早に去っていく。

 彼女の歩みに合わせて揺れるコート。将校以上に与えられる『正義』の二文字が刻まれたコートを背負う者には、背負うに値するだけの己の『正義』を抱かなければならない。

 しかし、今の彼女達が背負う『正義』は余りにも危うかった。

 例えるならば、『妄信的な正義』。己の芯たる正義を他人に依拠してしまっている。

 

(アイン……早く君だけの正義が見つかればいいんですが……)

 

 所詮正義など、人それぞれのもの。

 どれだけ他人の正義を信じていようとも、根っこの部分に必ず齟齬は生まれる。その齟齬を感じ取った時、今まで信じていた正義が揺らぎ、迷いが生まれるだろう。それがジールにとっては何よりも恐ろしかった。

 

 迷いの有無は生死を分ける。今は良くとも、いずれ致命的になる瞬間が訪れるだろう。

 その瞬間が訪れないことを願いつつ、ジールはゼファーに付いていく。

 

 

 

 もしも、義父が道を外れた時―――自分が止められるように、と。

 

 

 

 ***

 

 

 

 人一人―――ましてや、自分の義父とさえ分かり合えない現実に、ジールは相互理解することの難しさを痛感していた。

 その契機となったのは、“黒ひげ”マーシャル・D・ティーチが、白ひげ海賊団二番隊隊長ポートガス・D・エースを捕らえたことから始まったマリンフォード頂上決戦だ。

 ゴールド・ロジャーの息子であるエースを処刑することで、ロジャーの血と彼がもたらした大海賊時代を絶えさせるのが目的の戦争だが、船員を『家族』と呼び慕う白ひげとの衝突が免れぬからこそ引き起こされた戦争だが、当初の予想通り、海軍と白ひげ海賊団のどちらにも多数の死傷者が出た。

 

 血で血を洗う。まさしくその言葉が当てはまるような戦場では、戦争の狂気に充てられた海兵と海賊たちが、最早各々の正義や信念など関係なしに殺し合っていた。

 遊撃隊の中、唯一隊を離れて戦争に参加したジール。現場に居らず助けられないのは御免だ―――そのような意思から戦争参加を決めた彼であったが、初めて肌身で感じる戦争の空気には、流石の彼でも震えずには居られなかった。

 

 返り討ちにされる恐怖から、死体をめった刺しにする海兵。

 仲間を殺された怒りから、命を省みず特攻してくる海賊。

 

 どちらも正気とは言い難く、広範囲にわたって繰り広げられる終わりのない戦いに、ジールにできることは数少なかった。

 

 そんな中、一人の海兵が叫んだ。

 

―――命がも゛っだいだいっ!!!!

 

 桃色の髪の海兵。コートを羽織っていない将校未満の階級であることは即座に理解できた。

 そんな彼が、大将であるサカズキの前に立ちはだかり、これ以上の戦闘の継続を止めるよう訴えたのだ。

 結果として、彼がサカズキを制止した数秒の内に四皇の一角、赤髪のシャンクス率いる赤髪海賊団が仲裁に入ったことで、戦争は終結した。

 

 これが、双方にとって余りにも大きい傷跡を残した戦争の幕引きだ。

 

「まったく、やり切れんわい」

 

 そう呟いて煎餅をバリボリと食べる筋骨隆々の老人。因みにここは病室だ。本来ならば、このように飲食していい場所ではない。

 だが、この男を前にすれば規範など関係ない―――と諦めるより他ないと思わせるのが、海軍の英雄ことモンキー・D・ガープだ。

 快活かつ破天荒な性格の彼だが、そんな彼をもってしてこの戦争にはやり切れない思いがあるらしい。

 

「ガープ中将もあるんですか?」

「ん? まあな。なに、とっくの昔に覚悟してたことじゃ」

 

 そうは言うものの、ガープの表情は優れない。

 嘘を吐けない性格なのだろう。

 

「……義父さんは……いえ、ゼファー先生はこの戦争を静観する立場をとりました」

「ゼファーか。まあ、仕方ない話じゃ。戦争には七武海も参戦しとった。奴にとっちゃあ海賊(かたき)と同じモンじゃろうからのう」

「本当に……それだけでしょうか」

 

 ガープの視線がジールへ向いた。

 依然、煎餅を噛み砕く音は絶えないものの、彼なりに聞く耳を持ってくれているようだ。

 そのことを確認したジールは、意を決し言葉を紡ぐ。あの戦争で垣間見た光景と、それを見て抱いた素直な感想を。

 

「きっと先生は……揺らぐのが怖かったんだと思います」

「と言うと?」

「あの場に明確な正義なんてものはなかったんです」

 

海賊を殺す為に海兵を殺そうとした海兵が居た。

弟を守る為に身を呈して命を落とした海賊も居た。

 

 正義とは一体何なのだろうか?

 あれだけの命のやり取りの中、ジールは何度も考えた。

 

 海賊を殺す為ならば、海兵は何をしてもいいのだろうか?

 血は繋がっていなくとも、命を懸けて大切な者を守る姿を『海賊だから』と一蹴し、何も感じないことが正しいことなのだろうか?

 

 あの地獄絵図の中で繰り広げられたやり取りは、誰しも有している自身の正義の根底を揺るがすものがあった。

 

「海兵にも家族が居ます。それは海賊だって同じです」

「じゃが、ゼファーはその海賊に家族を奪われた」

「はい。先生はそのことを忘れようとしている。自分の怒りが風化しないようにと」

「道理じゃな。じゃが、ゼファーの怒りも尤もなモンじゃ。誰だって責められるものじゃあない」

「だからこそ、先生は今瀬戸際なんです。海賊が仲間を守る姿も、海兵が同じ海兵を殺す姿も、七武海(かいぞく)が海兵を巻き込む姿も……あれを見ていたら、きっと義父さんは正気じゃ居られなかったでしょう」

 

 二度も愛する者を奪われたゼファーの心は、既に瓦解寸前であることは容易に想像できた。

 どれだけ気丈に振舞おうとも、大将を下りて教官職に就き、果てには遊撃隊を率いて能力者狩りを行っているのだから、彼自身の考えに変化が起こっていることは明白だと言える。

 

 辛うじて彼を海軍に繋ぎ止めている『正義』。

 それを崩壊しかねない光景が、あの戦争では繰り広げられていた。

 

「ぼくは……義父さんの『正義』が間違った方に進まないかが心配です。ガープ中将、ぼくは……ぼくの『正義(あこがれ)』は守ることができるでしょうか?」

 

 自分の正義が揺らぐ場面に衝突することもあるだろう。

 だからこそジールは求める。決して揺るがぬ確固たる『正義』を。自分の掲げている『正義』がそれに足りるかと、歴戦の海兵であるガープに問いかけたのだ。

 

「う~む……」

 

 頭を痛そうに抱えて唸るガープは、大分長いこと思案した後にジールに面と向かう。

 

「知らん!!!」

 

 余りの勢いのいい声に、ジールはガクリと肩を落とす。

 そうだ、彼はそういう人間であった。彼に理知的な答えを求める方が馬鹿だったのだ。

 深々とため息を吐いて姿勢を正すジール。

 だが、そんな時『そもそも』とガープが言葉を続けた。

 

「守れるかどうかお前次第じゃろ」

「ぼく次第……?」

「ああ。立場の違いで守るべきものが変わる。力の有無じゃあ守れるものが変わる。上の奴ら程そういうモンの板挟みで葛藤しとる。特にゼファーはなぁ」

「義父さんが……」

「じゃから、大事なのは守りたいものになってくる訳じゃ。ブレないモンを真ん中にドーンと据えればいい」

「ブレないもの?」

「それこそが正義じゃ」

 

 やおら、袋から取り出した煎餅を噛み砕くガープ。

 

「傍から見てもゼファーの奴は変わった。じゃがわしには、奴の根っこの部分は変わっとらんように見える。それが何なのかまでかは知らんがの」

 

 そう締めてガープは咀嚼を始める。

 行為こそ大雑把であり、中将に相応しくない口調も多々あるが、それでも長年中将として戦ってきただけの確固たる正義が彼の中にはあるのだろう。

 否応なしに時代が移り行く中、変わらないものがある。

 

それを正義と呼ぶならば……。

 

「―――ぼくにも……あります。変わらないものが」

「……」

「……ガープ中将?」

「グゥ~!」

「……寝てる」

 

 椅子に座りながらであるが、ガープはぐっすり就寝してしまっている。

 そのことに唖然としてしまうジールであったが、気を取り直して外していた帽子を被り直す。

 かつての自分にとっては、正義のヒーローのマスク同然であった代物。新品で真っ白だった昔よりも大分くたびれてしまったが、懇切丁寧な手入れもあり、その白さはかつてと同じ輝きを放っているようにジールには見える。

 

(そうだ、ぼくは……)

 

 病室を去る歩みは勇ましい。

 純粋だった少年時代を思い出す彼の顔には笑みが浮かんでおり、尚更歩みの勇ましさに拍車をかける。

 そうだ。あの港町で悪ガキを懲らしめる時、自分はこのような心持ちで家を出ていた。

 それがいつしか、義父や仲間、そして海賊へ抱く感情が渦のように混ざり合い、形容し難い感情となっては、自分の歩みを億劫にさせていたのだ。

 

 久々に体の芯から震え上がるものを感じるジールに、彼は自分自身へ訴えかける。

 

 

 

Z(ヒーロー)』になりたかったんだろう、と。

 

 

 

 ***

 

 

 

「最近精が入ってますね、ジール大佐」

「そうですか?」

 

 部下の言葉にジールは柔和な笑みで返す。

 マリンフォード頂上決戦より早一年。白ひげが死に、四皇の一角が落ちたことによって海は更なる波乱に見舞われていた。

 『ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)』が実在するという白ひげの最後の言葉により、大海賊時代の始まり以来に匹敵する程の海賊が海に流れ込んできている。

 それに伴い海軍の仕事は増えに増えているという訳だ。

 

「まあ、精を出さざるを得ない情勢であることには違いありませんがね」

 

 だからこそ、ジールは遊撃隊に戻らず船一隻を率いる将校の一人として、海を股にかけ海賊討伐に精を出していた。

 ゼファー率いる遊撃隊たたき上げの海兵であり、尚且つ彼の義息子ともなれば、否応なしに名も売れるだろう。海兵学校時代のように良い噂も悪い噂も流れたものだが、今では素直に実績を認められ、大半の海兵には好意的に捉えられている。

 

(しかし、妙ですね。急に義父さんから呼び出されましたが……)

 

 今後も活躍を期待されているジールであったが、そんな彼に一つ懸念が生まれていた。

 マリンフォード頂上決戦で死亡した元王下七武海の一人ゲッコー・モリアの代わりに入った海賊。

 それからほどなくして、ジールの遊撃隊脱退に対し静観する立場を取っていたゼファーからの呼び出し。

 

(嫌な予感がしますね)

 

 一人の海兵ではない。彼の息子として、今回の呼び出しに対し脳が警鐘を鳴らしている。

 何事もなく終わればそれに越したことはないが……。

 

「―――わざわざこんな時間に……一体どんな用事なんですか、先生。まさかお酒でも飲もうって雰囲気でもありませんし」

 

 灯台と月明りだけが光源の夜中だった。

 揺らめく波が絶えず光を照り返しているが、不思議と目障りには感じない。そんな時間帯に遊撃隊の船に呼び出されたジールの前に立ち並ぶのは、ゼファーともう二人、アインとビンズだ。

 以前の装いともまた変わり、まるでジョリー・ロジャーのようなマークが施されたマントを羽織る彼等からは異様な雰囲気が漂ってくる。

 

 気を紛らわす為に飄々とした口調で問いかけるジール。

だが、夜中にも拘らずサングラスをかけているゼファーが、神妙な面持ちで口を開いた。

 

「お前は何も思わないのか?」

「……と、言いますと?」

 

 答えは分かる。だが、あえて問いかける。

 ゼファーの真意を確かめなければならないと。

 

「……新しく入った王下七武海だ」

 

 やはりか、と。ジールは深々と息を吐いた後、帽子を深く被り直す

 

「……それがどうしたんですか」

「しらばっくれるな。あの海賊はおれ達の訓練艦を襲った海賊だ」

 

 まだ口調は冷静だ。しかしながら、僅かに震えている声から彼の隠しきれぬ憤怒を察することはできる。

 

 彼の怒りはもっともだと言うのも、新しく加入した王下七武海はゼファー率いる訓練艦を襲撃し、数多の学友を殺戮した海賊だった。言わずもがな、それは海軍にとって立場上味方に位置する王下七武海に仇敵が加入したことに他ならない。

 

「何故お前は平然とした顔をして居られる」

「平然に見えますか?」

「ああ……見えるな」

 

 それは怒りと哀しみが混じったような、どっちつかずの声色だった。

 

 それから少し、親子(ふたり)の間で睨み合いが続く。

 口に出さずとも伝わる互いの意思を確認し、果てには牽制し合うような視線のやり取りだ。

 

「……義父さん」

「おれは海軍を辞める」

「義父さん!」

「あんな組織に正義なんてありはしなかった。おれ達の仲間を殺して楽しそうに酒を飲ん出やがる海賊を引き入れる政府なんかにはな。そうだ、最初からそうだったんだ。勝った奴が正義だ。どんなに誇り高く生きようが殺されれば笑って虐げられる」

 

 ゼファーは徐に持っていた酒瓶をジールに放り投げる。シェリー酒だ。ゼファーの好きな銘柄の。

 

「……海軍を辞めて何をするんですか、義父さん。まさか、自警団になるつもりでもないでしょう」

「ああ。おれ達は……海賊を滅ぼす。『ひとつなぎの大秘宝』ごとな」

「は? それは……どういう……」

「理由なら後で教えてやる。付いて来い、ジール」

 

 唖然とするも束の間、ゼファーから差し伸べられる手。

 時には殴られ、時には頭を撫でられた大きく無骨な手だ。よもすれば、そのまま手を取ってしまいそうな情に突き動かされそうになるジール。

 だが、くっと歯を食いしばり、かつて義父に向けたこともないような鋭い眼光を向けてみせた。

 

「……冗談は止してください、義父さん」

「ジール……」

「ぼくは海兵だ。ぼくの正義は……義父さん、貴方の行おうとしていることを認めない」

「正義……か」

 

 明確な拒絶。

 差し伸べる手を振り払い、己が正義に殉ずることを明言した息子を前に、ゼファーの腕はダラリと脱力した。

 そのまま踵を返せば、どこか哀愁を感じさせる背中がジールの目に入る。

 空を仰ぎ、深く息を吸うゼファー。

 

「―――お前は本当に……もういい。アイン、ビンズ。ジールを……アレを始末しろ」

「……は?」

 

 突然の命令に頓狂な声を漏らしたのはアインだった。声には出さずとも、ビンズも同様に驚愕した面持ちを浮かべているが、アインはその比ではない。

 

「ゼ、ゼファー先生! なにもそこまで……!」

「できない、と言うつもりか」

「っ……!!」

 

 思わず振り返るアイン。彼女の視線の先には、目を見開いて立っているジールの姿がある。

 ゼファーの一声で生き残った学友―――戦友と殺し合わされようとしているのだから、彼等の平静で居られないことは容易に想像できよう。

 

 おろおろとゼファーとジールを交互に見遣るアイン。

 その瞳や面持ちは、まるで『助けて』と言わんばかりのものだった。

 

「義父さん! 貴方は感情的になってます! 少し落ち着いて……っ!?」

 

 アイン達の様子を見て居られないと足を踏み出したジールだったが、それと同時に乾いた銃声が港に響きわたった。

 月影に照らされたアインから飛沫が飛び散り、そのまま彼女は倒れ込んでしまう。

 

 なんだ。なにが起こった。

 グルグルと思考がまとまらないジールが、やっとの思いで捉えた視界の先では、ゼファーが拳銃を握っており、その銃身の先からはゆらゆらと煙が立ち上っているではないか。

 

「義父さ……」

「正義とか自由とか……お前らすべてやり直しだ」

「っ、ゼファァアアアアアアアアアアアア!!!!!」

 

 気付いた時、ジールは既に駆けだしていた。

 長年の実践で磨き上げられた“剃”による移動速度は目を見張るものであり、瞬きをする間もなく、彼はゼファーの眼前まで迫っていた。

 だが、部下を―――教え子を撃っても尚平然とした顔を浮かべていたゼファーの前に、刀を抜いたビンズが立ちふさがる。

 

「ビンズ……退けて下さい!」

「それは出来ない! 俺達は先生の理想を……!」

「大切な仲間を傷つけて!! 何も感じないのか!!」

「っ……!!」

 

 それはジールなりの皮肉だ。教え子を殺した海賊が七武海に加入したことで海軍に失望したゼファーが、大切な教え子であるアインを傷つけたことへの。

 

 ジールとビンズの攻防は続く。学生時代はジールの方が上手であったが、互いの実力はあの頃の比ではない。

 お互いに相手の技を知り尽くしているからこそ隙は生まれず、拮抗した戦いへと発展していく。

 

 その間ゼファーは、倒れたアインを見捨てて泊めていた一隻の軍艦へと飛び乗った。

 

「ゼファー!!!!」

「……もう『義父さん』とは呼ばなんだ」

「ぼくは……貴方を止めます!!!!」

「フンッ」

 

 軍艦は錨を上げ、ゆっくりと港を出ていく。

 遠く、遠くへと……。

 

「止めてみせろ、ジール」

 

 それは息子への宣戦布告。

 挑発でもあり、激励でもある言葉を送る。

 

「―――おれはZだ!!!」

 

 夜の海に木霊する義父の声に、ジールは歯を食い縛る。

 『Z』―――それは正義のヒーローの名だ。義父が目指した、そして自分が憧れたヒーローの。

 

「そんな筈が……!」

「余所見をするな、ジール!!」

 

 嵐のように飛来する手裏剣を“紙絵”で躱す。

 休む間もなく、モサモサの実により植物がジールへと襲い掛かるが、これも“嵐脚”によって蹴散らしていく。

 二人の戦いは最早地上に収まらず、六式の一つ“月歩”を用いての空中戦へと移行していた。

 

「ビンズ!! こんなことをしている暇がありますか!!」

「何の話だ!!」

「アインですよ!! 早く彼女を治療しなければ!!」

「アインは……ええい、黙れ!! お前に先生の何が分かる!!」

「君達も分かっていなかったからこうなった!! 土壇場で!! 迷って!! そして撃たれた!!」

「ぐっ……!?」

「ぼくを始末しろっていう命令に、君自身の正義が揺らいだ!! 違いますか!?」

 

 あからさまに動きが鈍くなるビンズに、ジールが“剃”と“月歩”の合わせ技“剃刀”で肉迫する。

 その間、拳を強く握り締めて武装色の覇気を纏わせた。

 刹那、固く握った拳は黒く光り輝く。“武装色硬化”―――覇気を集中させることで硬化し、攻撃力を高める一種の覇気の到達点。ゼファーが『黒腕』と呼ばれた由来の技でもある。

 

 それを目の当たりにしたビンズは刀を構えて防御を試みた。

 だが次の瞬間、振り抜かれたジールの拳は刀を粉砕し、その先に佇んでいたビンズの頬を殴りつける。

 

「ゴッバァ!!?」

 

 真下へと振り抜かれた拳に伴い、ビンズは固い地面へと吹き飛ばされる。

 轟音を響かせて叩きつけられたビンズはと言えば、頬を大きく膨らませ、大の字に手足を広げていた。辛うじて意識は保っているものの、全力の一撃を顔面に受けた為か、ロクに動くこともできないようだ。

 

「はぁ……はぁ……おのれ、か、かなり効いたぞ……」

「ぜぇ……ふぅ……そりゃあ……鍛えましたから……」

 

 命を懸けた戦いの後とは思えぬ言葉をかけあう二人。

 すると、徐にジールの手がビンズへと差し伸べたではないか。

 

「……何のつもりだ」

「……腐っても君はぼくの友達ですから……見捨てません」

「……敵、でもか」

「敵でも……ぼくの憧れる正義の海兵(ヒーロー)は決して友達を見捨てはしない」

 

 半ば強引にビンズを引っ張り起こすジール。

 

「……そうか」

「ええ」

 

「……う、うぅ……」

 

「! アイン!」

 

 最早戦う気など起きなくなった二人。

 そこへアインの呻き声が響いてきた。

 ジールはあっという間に彼女の下へ駆け寄る。月明りで余りよくは見えないが、少量ながら血だまりがアインを中心に広がっていた。

 失血死にはまだ早いが、早々に治療しなければ彼女の命が危ない。

 そう判断したジールがアインを抱き上げた時、薄っすらと瞼を開けていた彼女と視線が交わった。

 

「ジール……」

「アイン、大丈夫ですか……!?」

「え、ええ……なんとか……弾は貫通したけれど……脇腹だったから……」

「?」

 

 不審に思いアインの服の裾を捲る。

 確かに彼女の言う通り、弾丸は脇腹に命中し、背中の方へと貫通したようだ。ただ、それが内臓のある場所であったならば大事に至っていたかもしれない。

 しかし、実際弾丸が命中したのは脇腹の限りなく端の方だ。

 これでは貫いたと言っても、皮と肉ぐらいであり、内臓には掠り傷一つついていない筈。

 

(……まさか)

 

 ゼファーの声が脳内で反芻する。

 

―――止めてみせろ

 

「……」

「ジール……」

「あ……いえ、良かったです。大事でなくて。すぐに救護室に……」

「……ごめん……なさい」

「……はい?」

「ごめんなさい……私じゃ先生を……止めてあげられなかった……!」

 

 ジールの腕の中で泣き出すアイン。

 彼女もここに来るまでの間、彼女なりに葛藤していたのだろう。

 しかし、結果としてゼファーを―――恩師を止めることは叶わず、ただ彼の行うことが正義だと自分を信じ込ませることで付いてきてしまった。

 だが、いざゼファーに友を始末しろと命令された時、迷いが生まれたのだ。

 

 本当に自分達のしていることが正しいのか? と。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……!」

「もう……いいんです。誰もあの人を止めることなんてできはしなかった。時代があの人を鬼にさせたんです」

「でも……っ!」

「だから止めましょう。皆で」

「……え?」

 

 アイン、ビンズと順々に視線を向けるジール。

 その瞳には確固たる決意が宿っていた。

 

「3人で止めるんです。一人でダメなら、皆で……!」

 

 生き残った3人。

 もし、自分達が生きていることに意味があるのならば、きっとこの時の為にあったのだとジールは己に言い聞かせる。

 

「ゼファーを……Zを止めるんです!!」

 

 恩師を―――義父を止める為だ、と。

 

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