ロード・エルメロイⅡ世との事件簿 ―Case Files with Lord El-Melloi II― 作:ニコ・トスカーニ
一気に出してもいいんですが、あんまり字数が増えすぎると長くて読み辛いの二回に分けます。
「相談ってほどじゃないんだけど」
私の友人で
私は魔術を扱い便利屋で、その依頼元は多岐に渡る。
そのうちの一つが警察だ。
魔術の世界は基本的に一般社会に門戸を開かないが、魔術の世界が一般社会を侵食することがある。
その場合に備え、時計塔には法政科という現実世界と折衝を行う部門があるし、法執行機関にも少数ながら魔術回路を持つ者がいる。
エミリーはそういった手合いの一人だ。
彼女の「相談」を端的にまとめるとこの街のとある地区で行方不明者が増加しているとのことだった。
大都市に失踪者、行方不明者はつきものだ。
市域人口が800万人を超えるこの街では隣に住んでいる住人の顔を知らない人間も珍しくない。
隣の部屋の住人の孤独死が隣人の死臭が漂う時点になって発覚するなどという心温まる事態もありうるほどだ。
しかしエミリーが指し示したその地区――ワンズワース地区はロンドンの平均値の2倍という尋常ならざる数値を示していた。
「明らかに異常だな」
そう一言、私は感想を述べた。
続けて疑問を述べた。
「しかし、なぜそれを僕に相談する?失踪人捜索は君たち警察の領分だろう。
それに統計的事実が明らかになっているのにどうしてそんなにためらいがちに話すんだ?」
「オーケー。じゃあ、まず二つ目の疑問に答えるわね」
彼女が逡巡した理由はその情報ソースにあった。
エミリーがこの件に関心を持つきっかけとなったのはとある記者からの情報だった。
ファルコというその記者はもともとはガーディアンだがフィナンシャルタイムズだかで
真面目な記事を書いていた記者で、そしてエミリーとは恋人関係にあった。
真面目なエミリーと真面目なファルコは蜜月の関係を築いていた。
しかしそれはファルコの真の姿ではなかった。
ある日の仕事帰り。エミリーとファルコはソーホーのなかなか気の利いたバーで何杯かの
ショートカクテルを酌み交わしていた。
ドライマティーニを三杯ほど空にしたところでファルコは突然こう言ったそうだ。
「エミリー。僕は本当の自分を騙し続けていた。
これからは自分に正直に生きるよ」
その一か月後、ファルコは誰もが名前を聞くと背筋を伸ばすような名前の新聞社を辞め
誰もが名前を聞くと眉を顰めるタブロイド紙に移籍した。
以降、
「タイタニック号の生き残りを氷山で発見!」
「鮮明写真ビッグフット発見!」
と言った創意工夫に満ちた高尚な記事を生産している。
エミリーはデートの度に明らかなガセネタについて熱っぽく語りかけてくるファルコに
ついていけなくなり二人の関係を終わりを迎えた。
「ふむ。二つ目の理由はわかった。では一つ目の理由は?」
「うん。彼の――ファルコからの話なんだけどね。
ワンズワースの失踪者が急増してるエリアなんだけど
――銀色のマネキンみたいな動く人形が目撃されてるんだって。
ファルコ曰く『失踪人が急増してるその原因は神かけてそのマネキンだ』って。
ねえ、これってあなたの領分でしょ?」
〇
私の知る限りで最も謎解きの得意な人物。
その人物は多忙を極めるが意外にも今日は手隙だった。
職場ではなく自宅にいると言う。
私にとっては都合のいいことに今日は休暇を取っているとのことだった。
地下鉄でロンドンブリッジ駅に向かう。
駅を出るとタワーブリッジロードを突っ切ってドルイドストリートに入りさらにそこから横道を一本入る。
ドックランズと呼ばれるこの一帯のエリアは再開発中の場所でありそもそもの人通りが少ない。
が、この横道を入った先はその点を考慮しても異界だ。
人通りがない。
それどころか人の気配や人が現れそうな予感すらない。
これから私が訪問する人物が言うにはここは自然発生的に出来た結界らしい。
ちなみにその話は結界はもともとブッディズムの用語だとかそもそも人を遠ざけるという概念は魔術よりも日常の脳機能に分類すべき事柄だと続いた。
なかなか興味深い話ではあったが詳細は忘れてしまった。
そういう話を逐一覚えていられるかどうかが時計塔の講師になれる人間となれない人間の差なのだろう。
目的の建物はすぐに分かった。
以前よりも煉瓦に絡みついたツタが伸び、隙間から飛び出す雑草が勢力を増しているような気がする。
好奇心に駆られた五歳児が指で一押ししたら崩れ落ちそうなほどの朽ち果てようだ。
英国人は家を大事にする人種だ。
大都市ロンドンでも古い建物はさして珍しくない。
それでもこの建物は中々だ。
好奇心から以前に訪問した際、管理人に聞いたところ産業革命の頃にはすでに存在していたというが納得だ。
あくまで感覚値だがサミュエル・ジョンソン博士の家と同程度には古い気がする。
迂闊に触ったらその瞬間に塵芥になりそうな古ぼけたドアを恐る恐る空ける。
入り口の隣にある管理人スペースでロッキンチェアに座って気持ちよさそうに船をこぐ管理人の老婆を横目にロビーを突っ切り螺旋階段を上がる。
目的の部屋は二階だ。
ドアの前に立ち礼儀としてノックする。
ドアを開けたのは目的の人物ではない別の人物だった。
フードをかぶった小柄な少女。
目的の人物の内弟子だ。
「やあ、グレイ」
私はいつもの調子で気安く挨拶した。
「アンドリューさん」
彼女はいつものように控えめな挨拶を返した。
「そう。僕だ。フルネームはアンドリュー・ウォレス・マクナイト。
ウォレスと呼ばれたことは両親にも伯父にも無い。アンドリューで結構だ」
少女はフードの下で微かに笑みを見せた。
素朴ないい笑顔だった。
よろしい。素朴と素直と無鉄砲は若者の特権だ。
――が同時に。
フードの下から覗いたその顔に“何か”を感じた。
――最近、私は彼女の顔をここでは無いどこかで見た気がする。
――いったいどこだったか……
「……あの?」
グレイはフードの下から戸惑いの視線を私に向けた。
私はその思考をいったん遮断し目的の人物の名前を告げた。
彼女はその名に不思議そうな顔をして小首を傾げた。
「ウェイバー?……ああ、師匠ですね。
奥にいらっしゃいます」
グレイに扉を開けてもらい中に入る。
その瞬間、盛大に埃が舞いあがった。
壁は所々漆喰が剥げ、天井にはシミが散見される。
中はそれなりの面積があったが年代物の書物からカビたパンの欠片、複数種類の家庭用ゲーム機に占拠され足の踏み場に困るほどだった。
私がむさ苦しいユアン伯父さんと生活していたハックニーのフラットも相当な代物だったがここもいい勝負だ。
昔、彼は私のフラットにしばしば遊びに来たが、その度に部屋の散らかり具合を批判していた。
その時は育ちのいいお坊ちゃま的発想から批判していたものと思ったがどうやらその真なる正体は同族嫌悪だったらしい。
目的の人物は六フィートを超える長身を縮こまらせて奥のソファに寝転がっていた。
ソファのサイドにあるテーブルには日本製の携帯ゲーム機と飲みかけのブラックティー、食べかけのフィンガーサンドイッチが載っていた。
この状況から導き出される推理は1つ。
ゲームをしての寝落ちだ。
グレイは床に散乱する物品を破損しないよう慎重にその人物に近寄ると来訪者――つまり私だが――が来たことを告げた。
目的の人物が目を開けたことを確認し私は言った。
「悪かったなウェイバー君。いまはロードエルメロイⅡ世だったな
ウェイバー・ベルベットに会いに来たと君の内弟子に告げたら不思議な顔をされてしまったよ」
その人物は眉間にしわを寄せ「うん」とも「むん」ともつかない唸り声をあげると――見た通りに寝起きらしい――こちらを一瞥することもなく言った。
「別に構わん。好き好んで名乗っている名前じゃない。
そもそもお前にロードなどと呼ばれたら調子が狂う」
魔術の総本山はここロンドンに所在する時計塔だ。
そしてロードエルメロイⅡ世ことウェイバー・ベルベットはその時計塔に十二ある学科のうちの一つを統べる
本来ならば私のようなヤクザな魔術使いなど何の縁も生じるはずのない存在なのだが
些細なきっかけから私は彼と交友を持つようになった。
彼との関係は友人と呼ぶにはドライすぎるし、ただの知人と言うにはディープすぎる。
知人以上友人未満という表現が適当な落としどころだろう。
現在における私と彼の主な交流は魔術研究の資材を求める依頼人と資材を調達する便利屋で時折ビデオゲームに興じる同行の士で、ごく稀に酒を酌み交わす仲で。
そして今日は事件に対するアドバイスを提供するホームズとそれを拝聴するレストレードだ。
「早速だが君の意見を聞かせてほしい」と切り出し、私はエミリーから伝え聞いた事件のあらましを話した。
『グレイ。ついでだ。君も聞いておけ』という師匠の鶴の一声で辞去しようとしたグレイも同席した。
彼は世界中の不機嫌の2割ほどを集めたような難しい顔をして私の話を聞いていた。
いつもの反応だ。
私が話し終えると世界中の不機嫌の三割ほどを集めたような難しい顔になり葉巻に火をつけた。
これもいつもの反応だ。
口内で煙を弄び紫煙を燻らせる。
何やら沈思黙考中のようだ。
私は自前のリッチモンドを取り出し「
彼は目を細めて私に一瞥くれた。
解り辛いがこれは彼なりの許可の合図だ。
私は安物のオイルライタ―でタバコに火をつけた。
「マクナイト。その銀色のマネキンみたいな動く人形とやらが目撃された通りの名前はなんだったかもう一度教えてくれるか?」
火を点けるや否や考える男は沈思黙考を止めた。
私は目撃情報の会った通りの名前を彼に告げた。
その近所の人間でなければまず用のないような場所だ。
「お前はその通りの名前を聞いてどんな感想を持った?」
「そうだな。まず最初に浮かんだのは『どこだそれは?』という疑問だな」
「お前のことだ。当然それがどんな場所かは調べただろう?」
「勿論だ」
「調べた感想は?」
「ダサい。何もないただの住宅地」
そして偉大なる時計塔の講師はまた沈思黙考した。
今度はぬるくなったブラックティーを啜り部屋にいるもう一人の人物の方を向いた。
「グレイ。マクナイトが収集した情報からどんな推論が立てられる?」
完全に不意打ちだったらしい。
フードから微かに覗く彼女の表情からどうようが読み取れる。
「
「悪くない推測だ。では、失踪事件の首謀者は
「……すみません。そこまでは」
「イッヒヒヒ。そんなこと聞いたって、こいつにわかるわけないだろ!?頭悪いんだからさ!」
突然、陽気な声が湧いた。
この場にあるまじき四人目の声だ。
だが誰も驚かない。全員がその正体を知っているからだ。
グレイがその四人目――人ではなく礼装なのでその言い方は正確ではないが――にぼそぼそと釈明した。
「……拙が頭悪いのは嘘じゃないですけど」
ウェイバーが「まったく」とこぼした。
よくある光景らしい。
「まったく」とこぼすとそれに続けて何かを第四の声の主に言おうとした。
「アッド」
先んじて私が声を発した。
私はグレイの右手、声の元に意識を向けた。
「彼女は頭が悪いわけではない。ただ知識と経験が足りないだけだ。
君の毒舌に悪意が無いのは分かるが、その言い方はフェアではないぞ」
ぴしゃりとそう言った。
第四の声はそれきり沈黙した。
グレイはフードの下から驚きの表情を見せ「ありがとうございます」と消え入りそうな声で言った。
「では、行こうか」
突然、ウェイバーがコートとマフラーを引っ掴んで立ち上がった。
私はその単純な言葉の意味を探り当てかねたがやがて結論に達した。
「君も来るのか?」
「時計塔にもフィールドワークは必要だ。グレイにとってもいい勉強になるだろう」
「え?拙もですか?」と少女は戸惑いの声をあげた。
しかしすぐに納得――もとい諦めたようだ。
いつもの光景らしい。
「わかった。同行してもらうことは想定外だったが来てくれるなら心強い」
そういう私の前にゲーム機のコントローラーが差し出された。
「その前に一戦付き合え。お前も知っての通り最近日本人の弟子が出来たが日本人の癖にゲームに無知でな。相手に飢えていた。協力する報酬がわりと思え」
私はだだ一言答えた。
「安い報酬だな」