ロード・エルメロイⅡ世との事件簿 ―Case Files with Lord El-Melloi II― 作:ニコ・トスカーニ
日本には『幽霊の正体見たり枯れ尾花』という諺がある。
英語圏で言うなら"One always proclaims the wolf bigger than himself."(狼を見た人はいつも大きく報告する)にあたる言葉だ。
二年ほど前のことだ。
私は旧友で東京で払い屋をやっている人物から協力の要請を受け、東京を訪れていた。
依頼は恙無く完了し、私はそのついでで、カナガワケンにある祖父母の墓を訪れていた。
祖父母の墓はカワサキシティ郊外の小高い丘の上にある。
いかにも日本人らしく無宗教だった祖父母は無宗教の形式でシンプルな墓石の下に眠っている。
ハイドパークを思わせる公園のような墓地を歩き、私は祖父母に手を合わせた。
冬の良く晴れて皮膚がひび割れそうな乾燥した日だった。
冬の日は短く、午後五時を回ろうかとその時には、すでにあたりには暗闇は迫っていた。
平日の夕方で人通りはほぼ無し。
周囲に動くものと言えば、チカチカと頼りなさそうに光る街灯と気持ちよさそうに浮遊する昆虫ぐらいだった。
当然の行動として私は立ち上がり、その場を辞そうとした。
その時、薄暗闇の中、歩みを進める私の視界の端に白い動く何かが去来した。
この場で私を迎える動くものと言えば昆虫と不安定な電灯ぐらいの筈だった。
――これはもはや職業病的な脊髄反射だ。
私はその正体が気になって仕方がなくなっていた。
私はその"何か"の行方を追った。
やがてその白い何かは墓石の間をゆらゆらと漂うと浮力を失い墓石の間へと消えていった。
私はその何かが消えていった場所へと歩みを進めた。
――そこにあったのは。
どこかの不心得者が捨てていったスーパーのレジ袋だった。
これはそんなありふれた不思議な物語だ。
〇
「そう。不思議なことがあったんだよね」
私の旧友、
彼女は高名な旧家のぱっとしない分家に生を受けたが、突然変異的に優秀な魔術回路を生まれ持っていた。
自身は学問と芸術とスポーツ観戦を愛する常識的な人物だが、生まれ持った魔術回路は彼女を放って置いてくれなかった。
分家から高名な旧家に養子として引き取られ、時計塔で学んだ後に祓い屋になった。
私の母方の祖父は日本人で日本語以外を頑なに覚えようとしない典型的なショーワの頑固ジジイだった。
その結果、少年時代の私は半強制的に日本語を習得するに至った、
時計塔に在籍している数少ない日本語話者である私が彼女と交流を持つようになったのは当然の成り行きというものだ。
今は伊勢にある本家が面倒臭がって引き受けない依頼を引き受ける都合の良い存在として魔術に関する万を引き受けている。
時折遠路はるばる私に依頼をしては東京に呼び出しているが、今回は彼女がロンドンを来訪していた。
実のところ、会うのは二年ぶりだった。
東京を拠点にしてはいるものの彼女は「出張」が多く、ほぼ常に日本全国を行脚して事件を引き受けている。
私もここ二年で何度か東京を訪れていたが、そのたびにスレ違っていた。
ロンドンでの要件が済んだ彼女はついでの観光のためにこの街に短期滞在していた。
幸いにしてか不幸にしてか私は暇だった。
そしてこの久しぶりの再会となったわけだ。
パディントンのパブで私と彼女は昼間からエールを煽り、雑談に――主に我々共通の関心ごとである旅について――興じていたが会話の切れ目で彼女が唐突に語り始めた。
私はうんうんと頷きながら、彼女の話を聞き。
彼女が話し終わるころにはその話が気になって仕方なくなっていた。
「本当は自分で調べたいんだけど……」
翌日の便で帰国する彼女は無念そうに言った。
「暇だったら調べてみてよ。アンドリュー。
真相が分かったら教えてね」
私は胸を張った。
「いいとも。シャーロック・ホームズのように鮮やかに解き明かして見せよう」
〇
「概要は記憶している。詳細を教えてくれ」
結論から言うと、私はシャーロック・ホームズにはなれなかった。
時間があるのに任せた私は調査を進めたが、真相にはたどり着けなかった。
どうしても真相が気がかりだった私は、私の知る中でも飛び切り探偵役にうってつけの人物、ウェイバー・ベルベット改めロード・エルメロイ二世の元を訪れていた。
講義を終えた時間帯を見計らって彼に連絡を取り、概要を話すと彼は興味を示してくれた。
こうして私は偉大なる人気講師の講師室の硬い椅子に腰かけることとなった。
以下がわが友人である千鶴が語った内容だ。
ロンドンで用を終えた千鶴は優雅に観光を楽しんでいた。
報酬の額がよかったため懐には余裕があった彼女は、少し贅沢をしようと考えた。
近年、無視できない程の勢いを持ち始めている旅行情報サイトを見ると、「ロンドンのレストラン」の項目に気になるものを見つけた。
庭付きのログハウスのような外観の写真と共に「ブルースの小屋」というレストランの名前が表記されていた。
ブルースの小屋は大陸の料理や東洋の手法を取り入れたモダンブリテッシュを提供するレストランで、最近特にランキングを上げているようだった。
口コミも上々だった。
「夫と二人で結婚記念日に利用しました。二週間待ちで予約が取れ、非常に楽しみでした。期待通りでした」
「カナダから両親と観光で来ました。旅行代理店を通じて席を取ってもらいました。最高の体験でした」
ほぼ絶賛一色の内容だった。
店は完全予約制で一日に受け入れる客の数を少数に絞っていると紹介されていた。
ランチで提供されるロースビーフサンドやベリーソースを使ったサーモンのソテーなど料理の写真も鮮やかで興味を惹くものだった。
平日ならば行けるかもしれない、と思った彼女は思い切って予約の電話を入れてみた。
店の連絡先となっているモバイルフォンの番号を彼女はプッシュした。
相手は十回のコールの後に電話に出た。
忙しいのだろうか。
予約の話をすると「一か月先までいっぱい」との返答だった。
「そうですか。それは残念」
彼女は電話を切った。
千鶴は好奇心の強い人物だ。
「どんな店なのだろう?」と気になり、入れないまでも店を見たいと思った。
店のロケーションはロンドン東部のショーディッチ。
近年、アートの街として人気が高まっているエリアだ。
店の住所は通りの名前までの記載で、店に問い合わせたところ「隠れ家にしておきたいので近くまで来たらお迎えに上がる形式にしています」とのことだった。
旅慣れている彼女はすぐに目的の通りに辿り着いた。
グラフィティアートに彩られたオシャレエリアとは無縁な凡庸な外観をした古い家が並ぶ通りだった。
千鶴はしばらく、目的の通りをウロウロしていた。
「何かがおかしい」
幾ばくかの時間が過ぎたとき、彼女の直感がそう告げた。
その直感は正しかった。
結局、いくらその通りを歩いても、それらしい店は見つからなかったのだ。
〇
「ここまでで何か質問は?」
ウェイバーはいつもの渋面で黙って情報の咀嚼をしていた。
その隣で、ウェイバーの内弟子であるグレイが小さな体躯からそっと控え目に手を挙げた。
話が始まったタイミング折よく講師室に来た彼女は、レストレードのポジションを私が占めウェイバーがホームズのポジションを担ったことでぽっかりと空いていたワトソンのポジションに収まっていた。
私はグレイを指さした。
「グレイ……いや、ワトソンくん。何が気になる」
「気になったのですが、レストランの連絡先がモバイルフォンというのは普通のことなのでしょうか?
拙の生まれ故郷は電話もほとんど無かったので、拙の感覚がズれているのか知れませんが……」
なかなか鋭い指摘だ。
「良い質問だが、実のところこれはさして珍しいことではない。小規模な店では固定電話を置かず、オーナーのモバイルフォンを連絡先にするという形にしている場合がある。
件のレストランは小規模経営で限られた数の客しか受け入れないということだから十分にあり得る話だ」
彼女は納得し、フードの下で小さく頷いた。
私はグレイに向けていた指をウェイバーに向けた。
「ある程度の推理は固まっている。もう少し情報を寄こせ」
まったく感じのいい奴だ。
〇
私が最初に辿ったのは千鶴と同じ道だ。
つまり、電話で予約を申し込み、断られた。
その足で所在地として記載のあった通りに向かい、フーチを片手に秘匿の魔術の痕跡を探った。
千鶴は有能な祓い屋で西洋魔術も一通り扱える。
秘匿の魔術の可能性を疑った彼女が言うには「悪意のある術は感じなかった」とのことだった。
確かに職業的勘で感じるはずの「何か」が引っかからない。
少なくとも悪意のある術式の類はなさそうだ。
するとますます解らなかった。
続いて私は、この「ブルースの小屋」の事を知っている人間がいないか探り始めた。
大手旅行サイトでこれほどの評判になっている店だ。
当たる場所を当たれば結果が出ると思った。
私はマスコミ関係の友人のコネを使い、旅行関連のメディアとフード関連のメディア関係者を紹介してもらった。
これほど評判の高い店ならば、誰かが取材していると思ったからだ。
方向性は間違っていなかった。
片っ端からコンタクトを取って見えると、いくつかのメディア関係者が「ブルースの小屋」に取材を申し込んでいた。
にもかかわらず、取材に成功したメディアは一つとして存在しなかった。
ここが私の限界だった。
旅行サイトにこれほど具体的な情報が載っているのだから存在はしているのだろう。
口コミがある以上、食事にありつけた客も存在するのだろう。
だが、私にはそれが見つけられなかった。
〇
「簡潔な要約だ。学生のレポートもこのレベルにまとまっていればいいのだがな」
いつものように苦みばしった顔のせいで解り辛いがお褒めに預かったらしい。
私はホームズにはなれなかったが、ベイカー・ストリート・イレギュラーズ程度には有用な存在でいられているようだ。
そしてウェイバーはつづけた。
「さて、私の推理を述べる前にまずヒントだ。
ミス・カゼノミヤのことは知っている。優秀な術者だ。
お前も、私と比べれば少なくとも術者としては数段上だ。
仮に私が現地に赴き、魔術的痕跡を探ったところで結果は同じだろう」
「だろうな」と私は同意した。
私の素直な感想に彼は「フン」と鼻を鳴らした。
「……という見解には多分に先入観が含まれている」
彼の短い洞察には多くの示唆が含まれていた。
隣で聞いていたグレイは小さく首を傾げただけだったが、私はウェイバーの一言に天啓を得ていた。
私は指を一本立てて宣言した。
「一日待ってくれ」