メトロポリタン・ナポリタン 作:I'll be back
プロローグ スマートフォンが壊れまして
俺の物語は多分、中学生の春が始まりだ。
新1年生として都内の公立中学に入学した俺は、両親にスマートフォンを買ってもらったのだ。
ちょうどその頃はスマートフォンというものが世間に出回り始め、ガラパゴスケータイから移行す人が増えていた時期で家族そろってのスマホデビューであった。
今さっき言った通りだが、俺の人生はスマートフォンを手にしたあの日から始まっている。
友人との会話や好きなあのことの初々しいやり取りまで、スマートフォンはいつだって俺の傍にいた。
寝坊助な俺を起こしてくれるのはもちろんスマホ。勉強の時間を知らせてくれるのだってスマホ。友達の声を届けてくれるのだってスマホ。まさしくスマートフォンは俺の体の一部である。
そんな俺も今日で21歳を迎えた。
大学3年生、いよいよ本格的に人生というものを意識せねばならない時期に差し掛かっていた。
これまでは何となくで生きてきた。言われた通りに勉強し、お手本通りの生活態度。お決まりに次ぐお決まりを俺は守り続けてきた。なぜなら俺たちはそれを強制されていたからだ。
しかし、義務教育が終了し、いよいよ大人の仲間入りを果たすとなると、世の中は一気にその態度を豹変させる。今まで散々強制していたくせに急に自由を明け渡してくる。
「そんなもんいるか!」 「俺たちは強制されることで生きて行けるんだ! 」
誰もがそう思っているはずなのに、俺の周りでそんなことを言っている人間は誰もいない。
_____俺の周りでなくともいない。誰もが受動的だ。
考えてみれば、いつから人は喋ることを止めたのだっけ。
思いのすべてを発することを止めたのは、今から何年前の話だろう。
だがまあ、そんな事はどうでもいい。
人が話そうが話すまいが、俺の元には今日も今日とて友人が集まってくる。
もうすぐ大学の講義が始まるようだった。
『よぉ、万代《よろずよ》。今日は何だか浮かない顔してるんじゃないか?』
『そうかもなぁ...実は、さっきまた転んだんだよ』
そう言って俺は足の傷の画像を送る。これは大学に来る途中の駅のホームで転んだときにできた傷だ。階段を上っているタイミングで転んだために、恥ずかしさも相まって最悪であった。
『またかよww 相変わらずお前って怪我しやすいよな。スマホは無事なのか?』
『ああ、それは大丈夫だ。大切なものだから壊したくないし、壊れるといろいろ手間だろ?』
『違いないなwww』
そう言って笑いの顔文字を送ってくる友人。
そう、彼の言う通り俺はどうやら怪我をしやすい質らしいのだ。
この呪いにも近しい性質は俺の人生の始まりと同時に起こり始めた。
俺は必ずといっていい程、毎日どこかしらに怪我を負っている。それは小さいものから大きいものまで様々だが、一日に一回だけ傷を負うのだ。
俺が単純にどんくさいのか、それとも神様が俺の運勢ステータスを最底辺に設定したのか。
この奇妙な体質の原因は何をもってしても不明であるが、経験者である俺には一つだけ分かっていることがある。
それは、匂いだ。
道端で何か変なものにぶつかった時。
自転車にぶつけられた時。決まってあの香りが漂ってくる。
香水とも違ったなんとも言い表せないが、とてもいい匂い。
怪我をすることに快感を覚えるわけではないが、この匂いをかぐことに俺は一種の癒しを覚えていた。それくらいにこの匂いがすきであり、嫌いであった。
文系大学生の一日は短い。
お昼近くに家を出て、地下鉄に揺られながら大学へと向かう。
その間は流行りの音楽などを聴いて過ごす。そうすればあっという間だ。
大学に着けば講義を受ける。だが、別に講義を受けるといっても勉強をするわけではない。必要なところだけを聞いてその他の不必要を捨てる。
俺にとって講義は小さな発見をする場であった。何となく知っているけども、名前は知らない。そんな現象を知るための場所、それが講義。
授業を終えた俺が向かうのは食堂。昼頃に飯を食べるなってのは初心者がやることだ。遊園地に行く時に多くの人間がピーク時を避けるように、俺たちもその時間を避ける。いつもと同じ飯を食って、友達との会話を楽しむ。
それが終わればいくつか他の講義を受けて帰宅、そして就寝だ。実に単純で明快な一日である。
今日も今日とて俺はそんな一日を送っている。
地下鉄に揺られ、いつものようにして大学へと向かう。
駅のホームにある階段を三段飛ばしで駆け上がり、校内へと入っていく。
『!?』
そう言えば、今日はまだ怪我をしていない。
一見、不思議でもなんでもないと思われる事であるが、俺にとってはエベレストに登頂できたぐらいの偉業である。
『おい聞いてくれ! 俺は今日、初めて怪我をせずに大学に来ることが出来たぞ!!』
喜びを発信する。今日は何だかいい日になりそうだ。俺の足取りはきっと軽やかなステップを踏んでいたに違いない。気分を良くしながら、俺はいつもの講義を受けに行く。
____が、しかし、事件は起こった。
「あ」
教室に入る直前。廊下と教室を隔てるドアを開いた瞬間、俺は見えない何かに正面から追突された。
今までも追突されるなんていう事はよくあったのだが、今日のは何かが違った。ドアを開けようとしていたせいか、俺はガラにもなくスマートフォンを片手で持っていたのだ。
追突された衝撃で、俺の左手からスマートフォンが跳んだ。
ディスプレイ部分を下にして、スマートフォンは数回はねた後に乾いた音をたてて動きを止めた。
「あああああっ!!!」
曇る視界に慌ててスマートフォンを拾い上げる。電源ボタンを押すも、ひび割れたガラスの向こう側から微かな光が点滅を繰り返すだけ。とても機能しているとは言えなかった。
「こ、これ、これは...壊れちまったかな....?」
疑問形なのは壊れていてほしくないという願いからくるものなのか。
俺は渋々講義を欠席し、近くのスマートフォンショップまで行くことにした。
ショップに辿り着くまでに何度も何度もスマートフォンの電源を入れ直してみたのだが、やはり壊れているらしくうんともすんとも言わない。
壊れたスマートフォンと格闘することはや20分。大学から最も近いショップに徒歩で到着した。自動ドアのボタンを押して、店内に入店する。
「.........」
店の内部は至って普通のスマートフォンショップといった感じで、様々な機種のスマホが展示されている。設置されたモニターにはよくドラマなどで見かける俳優の姿があったが、喋ることもなく無言でスマートフォンを操作していた。
そんな姿に疑問を感じつつも、俺は受付カウンターに向かい店員に事の要件を伝えた。
「あのー、すいません。これを修理して欲しいんですが」
「......」
俺の呼びかけに店員は答えなかった。ただ無言でスマートフォンをいじるばかり。随分と不愛想な店員である。よくもまあこれで働けるものだ。
「あの、すいません! これ直したいんですけど!!」
先ほどよりも少し大きめの声で呼びかけてみる。が、反応はない。
「どうしたもんかな....」
こうも話が通じないとは実に困った事である。どうしたものかと、俺は周囲を見渡してみる。
そして、受付カウンターの奥に設置されているパネルにこんな文言を見つけた。
【スマートフォンの修理は1週間後に完了します。お支払いはその時にどうぞ】
なるほど、ようするにさっさとスマートフォンをこの不愛想な店員に渡してしまえ、ということか。
接客態度は大いに気になったが、今大事なのはスマートフォンを修理するという事。俺は店員の目の前にスマートフォンを置いた。
すると、先ほどまで石のように動かなかった店員がおもむろに俺のスマホを手に取った。どうやら修理を受け付けてくれるらしい。
「俺の名前は
俺は不愛想な店員にそう告げて、さっさと店を出た。無視されるというのは案外イラつくものである。激昂する前に撤退の意思をみせた俺を評価して欲しいものだ。
「さて、これからどうしたものか...」
こうして、一週間にわたる俺のノン・スマートフォンライフが幕を開けるのであった。