メトロポリタン・ナポリタン 作:I'll be back
1話 世界
異世界生活、異世界転生、異世界物語。最近の若者は何かと異世界にいきたがる。
行くのではない、生きたがるのだ。この現実世界を捨てて、全くの未知が広がる世界で人生を送る。それは何故だろうか。
現実逃避、嫌になった毎日からの脱却。何も持っていない、何の才能にも恵まれていない自分に価値を見出せなくなった。思いつく理由はどれもが極めてマイナス的だ。
マイナス的で真っ黒な、誰にも理解する事の出来ない人間誰もが抱えた闇。ただ生きているだけで感じる理想と現実の明確な差異。あぁ、いつから人間は叶わぬ願いを持つようになったのか。
「ああ、ああ! 実に嘆かわしいと思わないか!? はなから高望みなどしなければいいものを!!」
望むのだから、損をする。得ようとするから、得られない。
何事も想定の範囲であってはならないのだ。起こりうる現象に気付いてしまえば、人はそれに期待をしてしまう。絶対的でないことを知っていながらも、それが絶対的なものであると思いこむ。
だからこそ、人間はバカでなければならない。人間はポケットの中に未知を持っていなくてはいけない。
元来、知らないという事は何事よりも恐ろしいこととされてきた。火の起こし方を知らない人間はあっという間に凍え死ぬ。あっという間に野生の動物に食い殺される。すなわち、知識は命に直結するものであったのだ。
現代の人間はそんな命の知識を携えて生まれてくる。誰もが当たり前に火を使うようになったのはいつ頃からだった? 誰もが当たり前のように電気を使うようになったのは? コンドームが遊び道具になったのはいつだったんだ!?
知を得ることで人間は不確かな確実性を手に入れた。半透明な100%の絶対性を手に入れたのだ。そして、それと同時に我々は未知を食いつぶしている。知るという事は、そこにあったものを食べること。言ってしまえば、目には見えない脳の食事である。
「バリバリ、むしゃむしゃ、モグモグ。人類は最高に上手い料理を日々食べている! それはアイスキャンディーよりも甘美で、最高級サーロインよりもジューシーだ!!」
人間にとって未知とは恐怖ではなく、可能性。自身の想像の外にある未知とは、際限のない可能性の集合体。それを我々は自覚もないままに食べている。限りがあるとも知らず、出されるままに食べている。
「君もそうだったんだろう? このクソみたいな消費主義的社会に飲まれた君も...」
女はそう言うと、クルリと体の向きを変えて俺を鋭い目つきで貫いた。
ツカツカとこちらの方まで歩いてきて、乱暴に俺を蹴り飛ばす。地面は固いアスファルトだというのに、彼女はお構いなしだ。ここが道路のど真ん中であっても、彼女は全くそれを気にしない。他人の目を気にしない。
じんわりと広がっていく痛みに苦悶の表情を浮かべる俺。そんな俺の顔を見て、女の目つきは愛らしいものを見る慈愛に満ちたものへと変わった。
そして、俺は情熱的なディープキスをされる。とても熱く、野性的で、一方通行な愛を押し付けられる。俺は成す術もなく、ただただぐらつく視界に意識を揺さぶられるのみ。唇から伝わる重々しい愛が逆流しそうなほどに胃にたまった。
「あぁ...私も君も、今間違いなくここにいる...」
唇を放し、一人また天を仰ぐ女。一切合切を信じることのない、他人とは大きく異なった彼女は_____
この世に生き残る最後の人間であった。
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「....やばっ、寝坊した!?」
スマートフォンを手放した翌日。アラームがないことを忘れていた俺は、眩い朝日に慌てて飛び起きた。ソーラー発電のデジタル時計を見ると、時刻は既に昼の1時。
「完全に遅刻だ...さすがに学校まで15分じゃ着かねえぞ...」
時計を見るなり、焦る気持ちは穴の開いた風船の如く萎んでいく。頭の中には如何にして早く学校へ向かうかではなく、いったい現状で自分は何回欠席しているのだろうという思考へと変化していった。
軽いため息をついて、のそのそと布団から出る。季節がちょうど春と夏の間であるために、温もりへの執着はそこまでなかった。
「何はともあれ、飯だ飯! あー腹減った。すっげえ腹減ったわ」
もう3限目の授業に出れないことは確定しているのだ。だとすれば、限りなく時間を有効に使う以外に道はない。今日は気合を入れて、普段よりも豪華な朝飯にしよう。そんな意気込みを持って、俺は冷蔵庫を開いた。
「.....は?」
冷蔵庫を開くと、異様としか言いようのない光景が目に飛び込んできた。冷蔵庫の中に入っていたのは溢れんばかりの牛乳と卵とベーコン。とても一人暮らしの男が消費できる量ではない。
「泥棒か? でも、物を増やして逃げるなんていう泥棒がいるか?? そもそも、それって泥棒なのか???」
奇妙な光景に若干思考回路がマヒしてしまう。これはいったいどういう事なのか、いくら頭を働かせてもその答えは見つからない。思い当たる節もないし、どんな因果関係が働いたのか想像もつかない。
冷蔵庫と睨めっこすること、約5分。答えの出ない問題に嫌気がさし始めてきた。このまま時間を無駄にするのも癪である。
「こうなったら、やることは一つだ」
覚悟を決めて、俺は冷蔵庫から卵を4つ、ベーコンを8枚を取り出した。両手に食材を抱えながら、ゆっくりと散らかったテーブルに移動させる。
「ハイパースペシャル・ベーコンエッグだ、それしかない!」
慣れた手つきでフライパンを転がし、表面に熱が宿ったのを確認した後に料理を始める。その間左手には長めのストローをぶっ刺した牛乳パックが握られていた。今日は何事も豪勢に行こう、そう決めた。
「ごちそうさまでした」
ベーコンエッグは量が多くなっても安定の美味しさで、あっという間にぺろりと平らげてしまう。ボールいっぱいに水を入れ、使った皿をそこにぶち込む。風呂に入って髪を整え、いざ学校へと出発した。
「それにしても、随分静かになったよな...」
もう何度も通った通学路であるが、こんなにも静かであっただろうか。耳に入ってくるのは通りを行きかう車のエンジン音だけ。街頭モニターの発する鬱陶しい広告の音はおろか、人の話し声すら聞こえてこない。
いつもはスマートフォンを操作していたために、こうやって身の回りを意識してみる機会が無かった。自身を取り巻く環境の変化には敏感でいたいものだが、いつの間にやら鈍感になっていたらしい。
駅に到着し、定期を使用する。乗る電車は毎度おなじみ都営の地下鉄である。俺の使うこの駅はサラリーマンなどの働き者にはあまり縁がないようで、特に学校に行く時のホームはガラガラすぎて寂しいぐらいなのだ。
「今日も誰もいないな。このホームにいると、まるで世界に人間が俺しかいないような錯覚を覚えるぜ」
電車が来るまでの間、俺はいつものように設置された椅子を豪快にも5つ使って横になる。プラスチック製の固い椅子ではあるが、駅で横になれる優越感にはたまらないものがある。
そう言えば、世界にたった一人取り残された人間の映画を昔に見たことがある。
その男は最初はそれこそ楽しく生活をしていた。何をやっても自由、世界は今自分の手の中にあり、誰のものでもなく自分のものである。気分はきっと世界征服を成し遂げた皇帝のようであったに違いない。
が、最後に残ったのは耐え切れないほどの悲しみと寂しさ。孤独というのはなによりもつらいことである。『どんなに嫌いな人間が相手でも、会話をする事で満たされるものもある』ということだ。人間にとって真に大切なものは当たり前のものよりも、さらに当たり前のものであるのかもしれない。
そんなこんなで適当な思索にふけっていると、電車が到着した。当然降りる人はおらず、俺はすぐに乗り込んだ。
車内は時間が時間であったためか、思っていた以上に空いていた。シートの両サイドは既に埋まってしまっているものの、いくつか座れる場所があった。地下鉄で席に座れるのはかなりの幸運か、綿密な計画のもとにしか成り立たない。
俺はちょうどシートのど真ん中に腰を下ろした。隣に座っているのはスマートフォンを操作している女子高生とおばさん。というか、車内でスマートフォンを操作していないのは俺だけであった。
「うーん、本でも持ってくるべきだったか...」
学校に到着するまでの時間、一体何をして時間を潰したものか。バックの中を漁るも特にこれといって面白そうなものはない。教材と筆箱と財布。必要最低限のものだけ。
仕方なく、ぐるりと車内を見回した。俺はこの数十分を人間観察にでもあてることにしよう、そう思ったのだ。
車内を見渡して、俺が感じたのは視覚的なものではなく聴覚的なものであった。
そう、静かすぎるのだ。確かに電車の中では私語は控え、なるべく静かにするべきだ。という考え方は一般常識的に広がっている。
しかし、それでもスマホの画面をタップする音と電車の走る音しか聞こえないというのは静かすぎる。車内は混雑とはいかないまでも、そこら辺の道路なんかよりも人がいるのだ。もっと賑やかでもおかしくない。
街で感じたものと同じ疑問を持った俺はおもむろに席を立ちあがった。どうも引っ掛かるのだ。この静かすぎる世界に俺は無視できない違和感を覚えたのだ。
先頭車両から徐々に後方へと歩みを進めていく。車両の番号はどんどん大きい数へと変わっていき、それに応じて車内の混み具合も増していった。
「.......」
この静けさはいったいどこまで続いているのだろう。そんな疑問を抱えた俺はひたすらに歩き続けたのだが、ちょうど7車両目に差し掛かったころだ。俺の目に不可思議な男の姿が。
ズルズル、ズルズル。
静けさを保った車内で何やら麺を啜る音が聞こえる。こんな音はラーメン屋か大衆向けのファミレスでしか聞かない音だ。
ズルズル、ズルズル。
逸らされることのない俺の視線を男は全く気にすることもなく、ただ麺を啜っている。そして、誰もそれを咎めようとはしない。
ズルズル、ズルズル。
男は、地下鉄に揺られながら、ナポリタンを食べていた。