メトロポリタン・ナポリタン 作:I'll be back
「な、ナポリタン.....?」
そのあまりに異様な光景に、俺はただそう呟くことしか出来なかった。
地下鉄内での飲食が禁止されているのは前提条件として、この男はいったいどんな気持ちでナポリタンを食べているのだろう。この環境下では、たかがクッキー一枚すら食べることが憚られるというのに。
俺から言わせれば、この男の所業はファミリーレストランという超公衆の面前で、性行為をするようなものだ。恥もなにもない、己の欲のままに従う男が俺の目の前にいる。
「お、おいアンタ...それはやりすぎだぞ」
周りの人間は彼を注意しようとはせず、ただひたすらにスマートフォンを操作していた。きっとこの男を恐れているがために文句を呑み込んでいるのでろう。俺はそんな乗客の気持ちを汲んで、男に話しかけた。
ズルズル、ズルズル。
しかし、男は俺の言うことなど聞こえていないかのように、ナポリタンを食べ続ける。
左手でスマートフォンを操作しながら、右手に持つフォークを使いナポリタンを口へと運ぶ。モグモグむしゃむしゃとパスタの麺をかみ砕く。
「おい! 人の話を無視してるんじゃねえよ!!」
ここまで完全に無視されると、こっちもこっちで苛立ちが募ってくる。先ほどよりもキツめの口調で俺は再び男に話しかけてみる。が、やはり返答はない。むしゃむしゃするだけ。
「てめぇ....」
本気で頭にきた俺は無理やり男の手からスマートフォンを奪い取った。こうでもしなければ、男は一生俺の話を聞くことはないだろう。それほどまでにこの男は頑固であった。
「あのな、人の話はちゃんと聞いてくれ。俺だってこんな風に事を荒立てたくはないんだ」
これでようやくまともな話が出来る。そう思った俺はすかさず男に向かって話しかけるのであるが。
「最初からアンタが______」
俺は絶句した。
俺は確かにスマートフォンを奪い取った。それは右腕の感触が保証している。ならば、この男はいったい何をしているのだ?
スマートフォンを奪い取られ、その動きが止めると思われた男の左手。しかし、操作するモノがないというのに、男の左手はあたかもスマートフォンを操作しているかのように宙を舞っていた。
視線はスマートフォンがあった場所に向けられ、右手は相変わらず忙しくパスタを運搬する。男の行動に変化は見られなかった。
「冗談だろ....?」
その男のあまりにも奇妙な様子に俺は2、3歩後ずさってしまう。
これは何かテレビ番組のドッキリ企画なのか。動画投稿者のイカれた企画動画の撮影なのか。それともこの男がおかしいだけか。頭の中ではこの現象を説明しようと、いくつもの思考がぐるぐると回り始めていた。
慌てて周囲に隠しカメラの存在やカメラマンの姿を確認する。だが、そんなモノは見当たらない。周りに広がっているのはごくごく普通の地下鉄車両内の風景だ。
誰もがスマートフォンを操作し、感情を表に出すこともなく、周りに気を使って私語を慎む。そんな当たり前の______
「なんだよこれ...?」
違う。俺の知っている普通はこんな光景ではない。
思い返す必要もなく、家を出てから違和感はあった。だが、それはごくごく平凡的に感じるただの違和感の域を脱していなかった。あくまでもただの違和感であって、危機感でも不安感ではなかった。
しかし、この男と出会って、確信的な違和感を覚えたことによって。俺の記憶の靄が一気にはれた。
こんな現実はあり得ない。いや、気持ちが悪い。
幼い頃に見た街並み。幼い頃に乗った電車。幼い頃に体験した世界。それは賑やかで、鬱陶しく、活力にあふれていた。こんなにも淀んだ世界などではなく、音があって光があって、人がいた。
「夢だよな、これは夢なんだよな......」
走ったわけでもないのに、自然と息が切れ始める。ヒューヒューと音をたてながら、俺は目に留まったスマートフォンをひたすらに奪い取った。怒れ、俺を殴り飛ばしてみろ。感情をみせろ、声を上げろ。俺はただただそう願った。
だが、結果は_______
「」
俺は電車を降りることにした。
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『世界とは、その個人の認識によって定義され認知される』
自分が見ているのはただの光であり、それを世界とし、人とし、犬や猫とするのは脳みそである。だから、世界なんていうものは極めて曖昧なものなのだ。
地球最後の男が見る世界、それは一体どんな世界だろう。共感性も社会性もない主観性のみが残った世界。公衆便所をカプセルホテルと捉え、一流ホテルを多目的トイレとみなす。
そんな自己解釈を好きに当てはめることのできる世界は、果たして理想郷か。
自分の気分によって二転三転する世界。決まりもない、秩序もない、何もかもが不確かな世界。俺に言わせれば、そんなものはクソみたいな世界だ。
結局は娯楽至上主義。何事も面白くないか、面白いかの二択で決まる人生。当たり前が存在する中で、くだらない妥協と適当な譲歩で成り立つ世界こそが理想郷。
俺は大学生という中途半端で拘束のないモラトリアム人間だ。そして、それと同時にそんな自分に満足していた。今なら確信できる、昨日までの日常はとても素晴らしい毎日だった。素晴らしい世界であった。
電車を降りた俺はただひたすらに駆け抜けた。
ホームでスマホを弄る奴らを蹴り飛ばし、人間を探した。
しかし、俺の世界はスマートフォンで溢れていた。
誰もがスマホを弄っている。駅員もサラリーマンもOLも男子高校生も女子高生も子供も大人も男も女も。人類皆、スマホを弄っている。
途中、叫んだりもした。だが、反応は無い。誰も発狂している男のことなど見ていない。見ているのは画面だけ。気にしているのも画面だけだ。
「...........」
気づけば、俺は都内の人混みの中にいた。
周囲にいるのは俺とは別の世界に生きる者たちではあるが、視界に沢山の人が入っているだけで心の落ち着きを感じたのだ。
こんな状況に気づいてから、時間にすればたったの3、4時間程度。だが、ひとりぼっちの孤独をこれでもかと思い知った気がした。
日本の古い習慣に『村八分』というものがある。これはコミュニティにおける規則を破った者へ与えられる制裁であり、コミュニティ内の人間はその人物を徹底的に無視することを義務付けられるという残酷なものだ。
無視をされる、そんなことが一つの罰として成り立つのか。たかが無視されるだけ、相手には触れられるし殺されるわけじゃない。大学の講義を受けて俺はそんなふうに思っていた。
しかし、こう実際に大規模的な無視をされるとこの罰の残酷さを嫌でも思い知る。これは相当キツい。
生まれてから今に至るまで、俺は孤独を感じたことがなかった。幼い頃は両親がいたし、外に出れば挨拶をしてくれる人がいる。一人暮らしをしている時でさえ、スマホを介して誰とだって繋がることができた。
だが、今はそうではない。俺は本当の意味でひとりぼっちになったのだ。
一体どういうロジックで俺が認識されないのかは分からないが、現実がそうなのだ。どんな事をしてもこの世界の住人はスマホ以外に興味を示さない。スマホを取り上げたとしても、あたかも手にスマホを持っているかのように振る舞うだけ。
俺がこの数時間で分かったことは、俺以外の人間は何らかの原因でスマートフォンに極度の依存性を持っているということ。そして、彼らは殴られようが蹴り飛ばされようが全く気にする様子を見せないということ。
流石に命に関わることや道徳観に大きく反する行為は行ってはいないが、したとしてもきっと結果は変わらないだろう。自身の拳から血が出るほど様々な人を殴った俺がいうのだから間違いない。
「これからどうすればいいんだよ、俺は....」
人生の先が見えない。食料や娯楽は身の回りに溢れている。しかし、俺はそれを共有することはできない。友人を作ることもできないし、誰かに愛されることもない。
そもそも誰にも認知されない俺に生きている意味はあるのだろうか。もはや、これは死んでいることと何ら変わりがないのではないか。
「.....歩くか」
言葉の通りの迷子となった俺は、行くあてもなくトボトボと歩き始める。
流れる人混みに逆らって、目指すは街の中心。これといって思い入れのない、ただ人がよく集まっているイメージしかない場所。
目的地に着き、辺りを眺める。行き交う車の数は思っていた以上に少なかった。人の数が多いだけで、ここは車の交通量が少ないのかもしれない。
そう結論づけようとした俺の視界に無残な姿になった車の残骸が入ってきた。
そりゃあスマホやりながら運転すれば事故るわな。
赤信号のスクランブル交差点を渡りながら、ボンヤリと空を仰いでみる。今日は気持ちのいいくらいの快晴。遠くの景色まで見渡せそうな、そんな気がした。
「........何だ、あれ?」
顔を上げた先、目を向けたその先に何やらゆらゆらと動くものが見えた。108ビルの屋上でこちらを見下ろすようにして、突っ立っている人影のようなもの。
それがフェンスを越えた先にいることに気づくまでそう時間はかからなかった。
気づいた時には駆け出していた。人影を目指して、自分でもビックリするぐらいの速さで駆け始めていた。
歩きスマホもここまでくれば立派なもんだな!
たった今、世界に絶望し、生きることに意味を感じなくなった俺の目の前で。こんなにも可哀想な俺の目の前で、誰かが死ぬなんてゴメンである。そう簡単に殺してたまるか、羨ましい。
エスカレーターを数段飛ばしで上っていく。目指す屋上はこのビルの8階。本気で走り続ければ、エレベーターよりもこっちの方が早くそこにたどり着ける。
「着いたぞ...この野郎....っ」
火事場のバカ力に物を言わせ、何とか息を切らしながらも屋上のドアを蹴り飛ばす。
108ビルの屋上は子供用の小さな遊園地が広がっており、古ぼけたメリーゴーランドやコーヒーカップがポツリと寂しそうにして立っている。周りに置いていかれたという点では俺と似ているかもしれない。
俺を見下ろしていた人影は未だフェンスの外に立っていた。今にも飛び降りてしまいそうなほどギリギリの場所に仁王立ちし、腕を組んで地上を眺めている。
「あんた...そこで何をしているんだ?」
彼女の様子を見るまでは、フェンスの中に引き戻した後で思いっきりぶん殴ってやろう、そう思っていたのだ。
が、その人影の正体は俺の思っていたものとは大きく違っていた。
人影の正体は一人の少女であった。背丈は俺と同じくらいで女性にしては高身長。どこかの高等学校の制服に身を包み、口には一本のタバコを咥えている。短めのスカートを風になびかせるその様子はどこかカッコよさを感じさせた。
しかし、何よりも気になったのは彼女がスマートフォンを持っていないということ。
まともな人間は俺だけかと思っていたのに...
驚きの表情を浮かべ、おそるおそる女に正体を訪ねる俺。その内面では自分と同じ立場にいる人間なのではないか、そんな期待がはち切れんばかりに膨らんでいた。
女は俺の訪問に気づくと、くるりとこちらに向き直った。
ショートともミディアムとれる黒髪の女はニッコリと笑う。それは俺の顔があまりにもマヌケ過ぎたからなのか、はたまた同族の人間に出会えた喜びか。
「ようこそ、現実の世界へ。世界は思っている以上にクソみたいだったろう?」
そう言って、彼女は他の誰でもない俺に話しかけてきた。