メトロポリタン・ナポリタン   作:I'll be back

4 / 4
3話 痛嗅覚記憶

「ようこそ、現実の世界へ。世界は思っている以上にクソみたいだったろう?」

 

 こちらを嘲笑うかのようにニッコリと笑う女。そんな様子を見て呆然と立ち尽くす俺。

 

 第一印象は『意味の分からないヤツ』だった。

 

 自殺をする気だと思って死ぬ気でここまで来てみれば、実際はそんな雰囲気など微塵も漂わせておらず。死ぬ気がないのかというと、そうでもないような。

 

 自殺者のための最終防衛ラインであるフェンスを飛び越え、ほとんど自殺に近い場所でタバコを吸う。死と隣り合わせになりながらも、灰を黒くし緩やかに自殺する。

 

 それは単なるカッコつけか。最近のおバカな不良たちが持っているタバコ=カッコいいの最終進化系がソレなのか。はたまた、キチ〇イか。

 

 ただ、キチ〇イといっても地上の奴らとは違うタイプ。不思議な知性を感じるキチ〇イとでも言い表すのが適切か?

 

「アンタ...いや、君はナニモンなんだ? 見たところ下の奴らとは違うみたいだが」

 

 いくら相手がオカシイとしても、意思の疎通が出来るのであれば。人に飢えていた俺は思い切って話しかけてみた。

 

「私がナニモノかだって? まさか、久遠(くおん)は私の事を知らないのか?」

「....知らないな。記憶のどこにも君の姿は存在しないよ___」

 

 何故、この女は俺の名前を知っているのだ?

 

 ほぼほぼ間違いなく、俺とコイツは初対面である。俺の生きてきた21年間にこの女の姿はない。「同じクラスで、昔は地味な子だったんです...!」なんて言われたとしても、見たことないと答えるくらいに思い当たりがない。

 

 が、それはあくまでも()()()()間違いのない真実。

 

 地下鉄での件がある。スマートフォンを使い始めたあの時から、俺はおそらくどこかおかしくなっていた。それは確実に間違いのない100%の真実。何がトリガーとなって目覚めることになったのかは分からないが、俺もあのキチたちと同じであった可能性は極めて高いのだ。

 

 もしや、その時に何らかの接触を果たしていたのか....?

 

「___と、思ったが俺自身どうにも自分を信用しきれない。できれば君との出会いを教えてくれないか?」

「ふむ。まあ、いいだろう。自覚させてやるさ、既に私たちは出会っているのだと」

 

 そう言って女はフェンスを上って、内側にやってきた。トコトコとこちらに向かって歩いてくる。

 

 自覚させてやる?

 

 女の表現にどこか違和感を覚えた。思い出させるのではなく、自覚させる。この言い方の違いに何か意味はあるのか?

 

「やっぱ意味わかんねえな...」

 

 俺が首を傾げていると、女は俺の近くまでやってきていた。

 

 さてさて、こんなに接近していったい何をする気なのだ。俺は少しばかりワクワクしながら女の次の行動を待つ。

 

「それじゃあ、いくぞ?」

 

 女は最後の確認だといわんばかりにそう言ってきた。俺はかかってこいと無抵抗の意思をみせる。

 

 ワクワク、ワクワク

 

 久しぶりの好奇心に胸を躍らせていると、女がおもむろにシャツの襟を掴んできた。それから右足を俺の足にかけて...って!?

 

 ___俺は今、大外刈りをくらっている。そう気づいたころには俺の体は宙を舞っていた。

 

 全くの無防備であったということもあり、大外刈りが見事なまでに綺麗にきまる。コンマ数秒間の空中浮遊の後に、俺の体はアスファルトに叩きつけられた。

 

「ぎゃっ!?」

 

 それに加えて彼女が自身の体ごとのしかかってきたために、体から一気に空気が抜けて情けない声が漏れてしまった。

 

「よっこらしょ...っと」

 

 こちらにのしかかった女はもぞもぞと動いて、俺の顔を見下ろせるように体制を変えた。瞬きを忘れたかのようにジッと見つめてくる。

 

「どうだ、私のこと知ってるだろ?」

「知ってるもなにも何でこんなこと....」

 

 言いかけて、やめた。

 

 その時気づいたのだ。俺は確かにコイツを知っている。

 

 いや、正確にいうのであればコイツの()()を知っている。

 

「お前...もしかして...でも、そんなことってあり得るのか?」

 

 俺の動揺しきった反応に、満足げな表情を浮かべる女。

 

 この女が持っているこの匂い。大外刈りをかけられ、互いの体が密着しているために嫌でも感じたこの匂いは、俺が怪我をするたびに感じていたあの匂いであった。

 

 ということは、つまり。

 

「俺が怪我をしたタイミング全てにお前が居合わせていたってことか?」

 

 それも、匂いを嗅げる距離に。目と鼻の先にこの女がいたのだ。

 

 久遠は気持ち悪いものを見るような目で女を見つめた。現実的ではないが、考えられるとすればそれしかないのだ。俺がイカれている間、ずっとこの女は俺の傍にいたと。

 

 お互いの息が顔にかかる距離。そんな距離において一方は明確な拒絶を示す中、女は妖艶な笑みを浮かべる。

 

 そして、男の意思など気にする様子もなく言葉を発した。

 

「ちげえよ、バーカ」

「....は??」

 

 女が発した言葉を理解するまでに、俺は数秒の時間を要してしまった。だって思わないだろう? いきなりバカだなんて言われるとは。

 

「私が久遠を殴った。蹴った。突いた。叩いた。突き飛ばした、つまりはそういうことだ」

「.......」

 

 いや、どういうことだよ...

 

 俺は女の言葉にただただ首を傾げるばかりであった。

 

 

 _________

 

 

「なんだ、その...つまりはスマホを持っている人間は外部から完全に遮断されるってことか?」

 

 俺の言葉に女こと、常世(とこのせ)千代(ちよ)は大きく頷いた。

 

 あの後、いつまでも屋上にいるのもアレだという事になり、場所は俺の自室へと移っていた。その間も女の行動に俺は様々な疑問を感じた。

 

 歩く際に千代は俺の前に立ち、迷うことなく俺の家に向かった。道中話す思い出話は俺の記憶と一致していた。家に着くとすぐ、冷蔵庫を開けて牛乳を滝飲みし始めた。

 

 なんでお前は俺の家を知っていたり、俺の思い出を語ったり、俺の家の家具の場所を把握しているんだ? 当然俺はそう尋ねる。

 

 すると、千代はこういった。もう10年近く、久遠と一緒にいるのだと。

 

 

 ようするに、千代の話を極めて簡潔にまとめるとするならば。

 

 ・俺こと、万代久遠はスマホを手にしたあの日から現実世界から遮断され、スマホ世界(仮)で生活を送っていた。

 

 その世界ではスマホを持っている人間のみが互いを認識し、干渉しあう。この点に関しては千代も詳しくは知らないらしい。たった一つハッキリと分かっているのは、何をしようが全く反応しないということ。

 

 ・俺がスマホ世界にいた間、俺は現実世界にいた千代を視認できず、順風満帆で自由奔放な一人暮らしを送っていたつもりが、実際は千代とさながら夫婦のように生活していた。

 

 ・俺が一人遊びをしているときも、自作ソングを書いているときも、常に千代はそれを近くで見ていた。

 

 ・俺が怪我をよくするのも、千代がその都度何らかのアクションを俺に起こしているからであり、今回スマホを壊す羽目になったのも彼女のせいだった。

 

「くっそ...イマイチ分かんねえな。なんで千代は俺に怪我をさせる必要があったんだ? 」

「それは治療のためさ、私が久遠を救ったんだ。スマゾンになった久遠をね」

 

 スマゾン...千代はスマホに精神を犯された人間の事をそう呼ぶ。語感も悪く、俺にとっては違和感しかない単語であるがこの際どうでもいい。

 

 肝心なのは千代が行った治療(暴力行為)によって、俺が元の人間に戻ったという事だ。全く干渉できない世界にいた俺に干渉できたという事実だ。

 

「あれは久遠が両親にスマホを買ってもらった時だ。私はとてもスマホなんて持てる状況じゃなかったから、スマホに夢中になる君に少なくない苛立ちを覚えたんだ」

「ほうほう、それでそれで?」

「私はその日のうちに行動に出た。親のいないタイミングを見て、久遠に本気で金的攻撃をかましてやったんだ!」

「....記憶にあるな。俺が初めてスマホを持った日だろ?」

 

 家に帰り、親がいないということもあってテンションを上げながら楽しくスマホをいじっていたあの時。突如として睾丸に激しい痛みが発生したのだ。

 

 プロボクサーのアッパーを局所的にぶつけられたかのような痛み。間違いなく俺の人生史上最も苦痛を感じた瞬間だった。

 

「普通は反撃してくるだろ? だって、私は睾丸を殴ったんだからな。だが、久遠は私に気付くことすらなかった。ただ...」

「ただ、なんだ?」

「ただ、痛がるリアクションはみせたんだよ。だからその日から毎日攻撃することにした。だって、それだけが久遠と繋がれる行為だったからね?」

 

 私を認識してくれるかもって期待するだろ?

 

 千代はさも当たり前のことを言うかのようにそう言った。

 

「なるほどな、納得はできないが理解はできた。だが戻すのに10年近くかかるとはな...それに俺が殴っても周りの人間は何の反応もしなかったし...」

 

 なんとも酷い話だが、スマホを買ったその日に、まだ依存しきっていないうちに千代が睾丸を殴ってくれたおかげで俺は助かったのかもしれない。彼女のおかげで少しの感覚をこの現実世界に残せていたのかもしれない。

 

 殴って人間に戻す、この荒療治ではスマゾンの問題を解決することは出来そうにない。そもそも10年間も誰かを攻撃し続けるなんて相手がどんなに憎い奴でも出来るとは思えない。

 

 考えてもみろ、「今からお前は目の前にいるお前の大嫌いな男を10年間殴り続けてもらいます」なんて言われたらどう思う。想像できないだろ? つまりはそういうことだ。

 

「単純計算3650回俺を殴ったんだろ? その原動力はなんだ、何がお前にそうさせたんだ?」

 

 俺はふと浮かんだ疑問を尋ねてみた。

 

 すると、千代は一人ベッドに横になりながら答える。

 

「愛だ」

「愛?」

 

 千代から飛び出した言葉に俺は首を傾げた。まさか『愛』だなんて言われるとは思ってもいなかったのだ。

 

 だって、俺の記憶に常世千代なんていう人間はいない。彼女の話しぶりから俺と千代は中学三年生までに出会っているらしいが、中学あたりの頃の俺は女子と絡むようなタイプではなかった。

 

 そんな間柄の俺たちに「愛だ」とは一体どういうことなのか。

 

「久遠はあのスマホを買った日の事をどれくらい覚えてるんだ?」

「あの日か? そうだな、特に変わったことは...あ、そういえば」

 

 そういえば、あの日。自宅のポストに差出人不明の手紙があった。

 

 送り手の名前もなく、送り先すら書いていない手紙。中身を読む前に母親に捨てられてしまった不審な手紙の存在を俺は思い出した。

 

「変な手紙があったな。中身は分からないがとにかく変なヤツだ」

「変な奴ねえ...あれは私から君へのラブレターだったんだよ」

 

 そう言って千代はスカートのポケットから古びた手紙を取り出した。

 

 それはあの日みた不審な手紙だった。

 

「....それってアレだよな?」

 

 非常に気まずそうにそう尋ねる俺。そんな俺を見てニヤリとした千代は「読みたいのか?」と聞いてくる。俺はコクリと頷いた。

 

 が、千代はそれに持っていたライターで火をつける。手紙を俺に渡すわけでもなく、ニヤニヤしながら火をつけたのだ。

 

「なっ、何しやがる!?」

「はっはっは、10年間もこんな可愛い女の子を一人ぼっちにしやがって! これはささやかな仕返しだ!」

「させるかッ!!!」

 

 慌てて火のついた手紙を奪おうとするも、千代はそれを窓の外へと投げ捨ててしまう。俺も窓の外へと飛び出そうとするが、自室がマンションの5階に位置していることを思い出して止めた。

 

「くっ....」

 

 千代の復讐に俺は下唇を噛んだ。今、体育の授業後の女子更衣室以上に見たいものがそこにあったというのに...

 

 あまりの悔しさに震える俺を見て、千代はくすくすと笑った。

 

 彼女自身が言っている通り、千代は可愛らしい。美しいのではなく、可愛い。だからこそ、彼女の笑う顔はとびきり可愛いのだろうと思っていた。

 

 だが、彼女の笑いには何処かぎこちなさがあった。

 

 まるで、笑いなれていないような。そんな感じ。

 

「ほんと、久遠って面白いよ。カッコいいし、頭もいい。そして何よりも優しい。私が好きになるべき人だ」

「そこまで褒められるとは光栄だ。だが、俺の持つお前のイメージは最悪だぞ?」

「へえ、それは調教師としての腕がなるね。私無しでは生きられないようにしてやるさ」

 

 俺と千代の間にバチバチと火花が散る。

 

 こんな世界だ。どうせやることだってないのだから、このよく分からない女に付き合うのも悪くはないのかもしれない。

 

 こうして、俺と千代の二人だけの短い毎日が始まるのだった。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。