『さあ! みんなも一緒にぃー!』
『『スケベが大好き──ッ!!』』
『本当に出禁にしなくていいんですかこの二人!?』
『じゃあ真面目な話をするとしよう。なぜサキュバスはエロい格好をするのか。遺伝子に刻み込まれた趣味みたいなところはあるが、その本質はチャームをかけるためだね。なぜなら、チャームは男を性的に興奮させるほど強力になる』
『そうそう。例えば毒を持ってる生き物は一目で分かるように体色が鮮やかでしょう? それが《毒を持っていることを視覚情報に訴えて身の安全を守るため》なら、サキュバスのエロい格好は《エロい格好で男を興奮させてチャームして身の安全を守るため》とも言えるのよ。サキュバスの身体能力は人間の女性と変わらないかそれより低いもの』
『種族として雌しかいないサキュバスが身の安全を守るため、種として生き残るために備わったのがチャームと性的趣向だと言われてるね。エロいことに忌避がないって言うのは、それだけ繁殖に優れているという見方もできる。実際はサキュバスの妊娠確率は低いが、旺盛な性欲はだからこそというわけだ』
『そういうわけだから、サキュバスに取ってエロいことは生きるために必要なものなの。種族として仕方ないことなの。だから許してね♡』
『まあ、法に反してない以上は何も言えないだろう。もし道徳や倫理を盾に何か言われたらボクたちはこう言うのさ。じゃあ、貴方はサキュバスに誘惑されて抗えたのかってね!』
『あんたら本当そういうところですよ!?』
マイクが拾った声も、グランドを氾濫する生徒たちの声も、好き勝手に応援やヤジを飛ばす保護者たちの声も聞こえない。
私の目が、私の意識が向けられているのは運営テントの一角のみ。
落ち着いた色のハイウエストのロングスカートに、清潔感のある白いブラウス。
そして、口元が大きく開いた品のない覆面。
いつもの痴女った服装とは系統が違うし覆面で顔も分からないけど、私はそれが誰かを知っている。
マスクから溢れる銀の髪が。聴き慣れた艶のある声が。
何より、私のチャームを横から塗り潰せる可能性のあるサキュバスを、私は一人しか知らない。
抑えきれない怒気と確信を持って、私は怒りのままに下手人の名を叫ぼうとして──。
「……ん? あれ。あれって美上さんのお母さぐふっ! なんで僕は今叩かれた!?」
「人違いよ。あれは全く私と関わりのない野良サキュバスよ。いいわね?」
「いやでもあの髪と声は」
「い い わ ね ?」
「はい」
──モブ男の呟きで一瞬で冷静になった。
水妖精の方を見る。
猪人の男の肩で直立していた水妖精は、今のうちにと騎馬を組み直していた。
試しに騎馬の男をチャームしようとしてみても手応えがない。私に関心が向いていない。まるでお祭りでサキュバスエリアに行ったときのようだ。
つまり、私に性的関心を向けないほどに既に性的関心を向けているものが今この場にあるという事。
『ん〜、やっぱ若い子は違うわねえ。なんか漲ってくるわ』
『しかし、サキュバスマスクさんのチャームもかなりのモノだ。あの青組の子といい、羨ましい限りだよ』
改めてお母さ……サキュバスマスクを見る。
なんかツヤツヤしているようにも見えた。
「……」
状況を整理してみて。
確実に水妖精の騎馬の男はサキュバスマスクにエロい事をされている。間違いない。
一度はチャームできたが、明確にサキュバスマスクにされた事を思い出させられ、尚且つ現在進行形で煽られている今チャームする事は難しいだろう。よく見たらなんか顔赤いし息も荒いし。
私がお母さんに体育祭に来て欲しくなかったのは、お母さんが父兄を逆ナンして悪い意味で注目を浴び、後日私を指差して『あのサキュバスの娘』と言われることが我慢ならなかったら。
それが何ということでしょう。
父兄どころか生徒に手を出しやがった。ふざけんな。
未来の嫌悪感が怒りを凌駕し、私は一瞬で他人のフリを貫き通す事を決めた。
「チャームが反則になった以上、もう恐れるものはありません。年貢の納め時です」
「くっ……!」
「あー……水澄、俺たちに固執するより多くのハチマキを取ってポイントにするの方がいいんじゃないか? 赤組は劣勢みたいだぞ」
「……? おかしな事を言いますねハクロー。そこの淫魔からハチマキを取るのにこれ以上時間は取らせません。淫魔のハチマキを奪ってから他の騎馬のハチマキを奪い逆転すればいいんです」
「やべえこいつ目がガチだ」
競技は止まらない。
態勢を立て直した水妖精が私を見据え不適に笑う。
大言壮語を大言だと一笑出来ないポテンシャルが水妖精にはあった。
騎馬の差は少なくても、騎手の差が絶望的過ぎる。
チャームの応用でモブ男たちをドーピングしてもこの差は埋まらないだろう。
どれだけ速く動いても。どれだけ意表をついても。どれだけ策を弄しても。
水妖精は真正面からそれを叩き潰してくる確信があった。
「……私自らの手で負かしてやりたかったのだけれど」
「無理ですね。ユキカゼくんたちがどれだけ頑張っても、騎手が淫魔では私のハチマキは取れない」
「……でしょうね、認めたくはないけれど。正直にいえば、貴方の運動能力を完全に舐めてたわ」
水妖精は数が極端に少ない種族。
身体能力に優れている事は知識として知っていても、実際に目にするのはこれが初めて。
感想は出鱈目すぎるふざけるなって感じ。
お姉ちゃんと喧嘩してたから荒ごとだっていけるとかそんなレベルではなかった。
私では勝てない。
これは覆せない真実。
でも、それがそのまま勝負を決める事実ではない。
「でもね。別に、貴方に固執する必要はないのよね」
「……はぁ? 何を言って」
「回れ右! 逃げるわよ!」
「「了解っ!」」
「なぁ!?」
簡単な話。
私が勝てないのなら私以外に勝って貰えばいいし、なんならそもそも水妖精を狙う必要すらない。
だって、あくまで私たちの取り決めは『騎馬戦で勝った方』が勝者だから!
っていうかムカつくから直接倒したかっただけだから!
必ずしもハチマキを取る必要はない!
背を向け一目散に走る私たちを、一瞬遅れた水妖精が追いかけてくる。
ちぃ! 判断が早い!
素早く周囲に目を走らせる。
五組入り乱れる騎馬戦だけど、現状を簡単に整理すると赤組VS青組、残り三組の乱戦といった様相を呈していた。
赤組の大将騎馬である水妖精を叩きのめすために青組の騎馬をクラスメイトたちが抑えていたのでそれも当然だけど、それが長くは持たないのは最初から分かっていた。
弓森さんたちの騎馬が単騎で他の三クラス全て抑えるのは流石に無理がある。この作戦で稼げる時間はせいぜいが数分。
その後は、流れ込んできた他のクラスとぶつかり合う本当の混戦が始まってしまう。
そうなる前に水妖精のハチマキを取ってしまいたかったけど、もうこれは仕方がない。
チャームが反則になってしまうのならどう足掻いても不可能だ。
作戦失敗。
つまり、そういうこと。
「待ちなさいっ! 勝負から逃げるつもりですか!?」
水妖精の声に振り返ろうとして出来なかった。
ただでさえ不安定な二人で作る騎馬、さらに全力で走っているともなればバランスを取るだけでも至難の技。
平然としている水妖精が異常なのであって、本来は私のようにしがみつく勢いで体を固定させなければ振り落とされてしまう。
広いグラウンドといっても、所詮は学校のグラウンド。しかも、モブ男とその親友はリレーの選手に抜擢されるほどの走力を持つ。
走り始めてから十秒ほどで風圧から眼球を守るため薄く開けられた目は、騎馬の集団に肉薄したのを捉えた。
「しっかり捕まってっ! 突っ込む!」
モブ男の声に腕にぎゅっと力を込め直し──直後、私たちは騎馬ひしめき合う密集地帯に飛び込んだ。
『あら、よく見えなくなっちゃったわね』
『サキュバスマスクさん、これではチャームの使用の有無が分からなくなるんじゃ……』
『それは問題ない。ボクたちには感覚で分かるからね。理屈じゃないのさ』
四方八方から声が聞こえる。
騎馬戦に臨む生徒たちの声、それを応援する声、無機質なマイクの声、いちいち判別ができないぐらいに混ざり合っている。
進むために、避けるために、モブ男たちが鋭く動いているのが振り落とされそうな慣性となって体を伝う。
喉から空気だけが漏れ、汗と土の匂いが鼻腔を通り抜け、いつの間にか頬を伝っていた滴が宙を舞った。
人の判別すら危うくなるような密集地帯。
誰かの声すら聞こえなくなるような音の洪水の中、それでも必死に前を見ていた私は見つけた。聞こえたんだ。
星々の光を束ねたような美しい金髪は土埃を被り少しだけ白っぽくなっている。それでも、私はその後ろ姿を、友達の背中を絶対に間違えない。
青色のビブスを着たその騎馬は──!
「弓森さん!!」
「美上さん!?」
「ごめんなさいっ、作戦失敗! 後は任せたわっ!!」
「分かった! 鬼塚くん、聞いてた!? 私たちが抑えにいくよ!」
伝わるように声を張り上げて。信じるように見つめあって。託すようにすれ違う。
直後、水妖精の驚愕の声と鬼の雄叫びが聞こえた。
「危ないっ!? ……もうっ!! ハクローといい貴方といい、邪魔しないでくださいよっ!!」
「そうは言っても負けたくはねえからなあ。まァ、いっぺんお前とはガチでやってみたかったんだ。簡単にやられないでくれよぉおおっ!!」
「くっ! 返り討ちにしてやりますっ!!」
後方で声の爆弾が弾けたのかと思うほどの大歓声。
恐らくこの騎馬戦で最も運動能力に優れた騎馬同士がぶつかり合ってるだろうから、盛り上がるのも分かる。
水妖精という脅威から逃げ切った私は、酷使しすぎてぷるぷるしてきた腕を揉みながら一息ついた。
「水妖精の性格なら一騎打ちに拘ると思っていたわ。でもね、もう一度言うけれど、何も私が水妖精に勝つ必要はないのよ。『赤組』が負ければ、この団体種目は『青組』である私の勝ちになるんだから」
強い相手には強い味方をぶつければいい。
至極単純で明快な解決策だ。
作戦その二、上手く決まったわね!
「水妖精が手をこまねいているうちにポイントを集めるわよっ!」
「……勝ちに拘ってるのはどっちも同じだけどこっちは手段を選ばねえな……赤組集中狙いも赤組のポイントを減らすためだし……水澄、正々堂々と正面から来たのに哀れな……」
「まあ、僕たちのほうは正々堂々とやったらほぼ勝ち目がないからね……」
「昔の偉い人は言ったわ。勝てば官軍、負ければ賊軍」
「それは使い方違うと思う」
水妖精のときにはレベルが違いすぎてあまり活かされなかった練習の成果を存分に発揮し、ハチマキを取っていく。
ふふん、もう三ポイントもゲットした。
頑張った日々に結果が付いてくると、胸を満たすものがあった。
脳裏に浮かぶのは筋肉痛に耐え、眠い目を擦って早起きをして、疲れた体に鞭打って練習をした二週間。
努力が報われるっていうのは、こういう事なのかしらね。
うん。それなら、しんどかったあの日々も悪くないって思えるかもしれない。
「っと、いけない」
小さく頭を振る。それでほわほわした感慨に似た何かは胸の内からすぅっと消えた。
弓森さんたちのことを信じていないわけではないが、完璧に抑え込めると確信するには水妖精は強すぎるのよね。
いつ突破してくるとも限らないし、もっとポイント集めておかないと。
しかし、他の組も簡単にハチマキを取らせてくれるわけではない。
密集地隊に突っ込んだのもあって、今の私たちは孤軍奮闘状態。
戦況はすぐに苦しくなった。
いくらモブ男たちが機敏に動いても、乗ってる騎手が私では限界がある。
何が言いたいかというと。
「そろそろっ、体力が限界……っ!」
「美上さん大丈夫!?」
「大丈夫なら限界って言わないわよっ!」
手と手を重ね合わせただけの不安定な足場、それに加えての激しい運動量。
バランス取るためにどうしても力が入っちゃうし、そのせいか太もものあたりがすごく痛い。明日絶対筋肉痛ねこれは……っ。
体を支えるためにモブ男の肩を力いっぱい掴んでた腕は震えてきてるし、このままだと確実に落ちる気がする。
あ、今もほら指の間をスルッてっ!
「きゃあっ!? すべっ、すべったわ今!? すべったわよ今っ!?」
「うおっ!? 落ち着け美上さん! 自分から手ぇ離したぞ今!?」
「もしかして握力が……!? 美上さん、あとどのくらい持ちそう!?」
「無理! もう無理!」
「まじか!」
練習ではこんなに激しく動かず、尚且つこんなに長い間競技をしなかったから分からなかった限界が迫っている。もしかしたら連日の疲労の影響かもしれない。
首だけで振り返り私の様子を確認したモブ男が少し焦ったように周囲を見渡す。
同じように私も首を左右に振るも、見えるのは騎馬、騎馬、騎馬。
いつの間にかとんでもない混戦状態になっていた。この密集空間で落馬したら……。
その先を想像して、私の顔からさっと血の気が引いた気がした。
サキュバスは丈夫な種族ではない。こんな、こんなところで地面に投げ出されたら、踏まれて、踏まれて、揉みくちゃにされて、しかも、騎馬になっているのは力の強い男がほとんどで、そしたら、私は──。
「大丈夫! 僕たちが絶対に美上さんに怪我はさせないっ!」
──っ。
海に行った日のことを、あの背中を一瞬思い出して、少し下にある背中に重ね合わせた。
少しだけ冷静になれた。
「つってもどうすんだこれ!? 騎馬崩して落馬して失格になってもそっちのが危ねえかもしれねえぞ!?」
私たちは弓森さんとスイッチするために、鬼の運動能力で駆けずり回っていた敵の三クラスが固まっている場所へと突っ込んだ。
必然的に孤立するので集中的に狙われる。今も多くの騎馬が私のハチマキを取ろうと躍起になっているのを、モブ男とその親友が水妖精との一戦でも垣間見せた凄まじい回避能力で躱しているけど、それが加速度的に私の体力を消耗させる悪循環。
走ってるときのような息が切れる苦しさはない。でも、体の芯から響く重い疲労感が鉛のように沈殿していく。
疲労に顔を歪める私に、モブ男が話しかける。
「とにかく抜けるしかない! ……美上さん、ハチマキは気にしなくていいから、出来るだけ自分が楽な姿勢でいて」
少しだけ息が詰まった。
……それはだめよ。だって。
あんなに練習したのに、負けてもいいだなんて認められない。
ここで負けたら、私が今日まで頑張ってきた日々はどうなるのか。
いろんな要因が重なった。心の底からムカつく相手に負けたくない気持ちがあった。
そういう頑張る理由があって、生まれて初めて途中で投げ出さずに最後まで頑張り続けたあの時間はどうなるのか。
なにより、ここまできたのだから私は最後まで頑張りたい。
生まれて初めて頑張り続けたこの騎馬戦を、最後まで頑張りたい。
「美上さん……?」
モブ男の肩を掴む手に力が籠る。
不審に思ったのか、モブ男が気遣わしげな声と視線を向けた──そのとき。
「取った──っ!!」
──それは、一瞬の出来事だった。
注意が薄れた背後から伸びてきた細く長い手。
視界の隅で水色の髪が宙に線を引く。
私は反応できない。まずいと警鐘を鳴らす脳に身体が追いつかない。
一瞬で反応したモブ男とその親友が避けようと反射的に体が動く。
次の瞬間には走り出せるように膝が深く沈みこんだ。回避のあとに直ぐに動けるようにする基本の動作。
モブ男たちに合わせて私の体も動く。膝を沈み込ませた分だけ騎手である私の頭の高さも下がり、一瞬前まで私の頭があった空間を白い手が空ぶった。
直後。
「っ!!?」
「おわぁっ!?」
「きゃあっ!?」
例えるなら、突然地面がなくなるような感覚があった。
確かにあった支えが、心の何処かで頼りにしていた背中が急に視界から消える。
ふわりと、体の中の内臓が浮いたような気がした。
同時に、ずしんと下に向かって引っ張られるような圧迫感を知覚する。
(──うそ)
宙に、投げ出された。
咄嗟に前に伸ばした手は何も掴むことはない。
だって、そこにあの背中はないから。
時間にして一秒もない刹那の中で、危機に瀕した生存本能が、自分が騎馬から落ちようとしていることを正確に認識させる。
何も出来ることはない。
私自身は運動は苦手な方ではないとはいっても、私の体は丈夫な体ではなく、類稀なセンスがあるわけでもない。
私に出来る事は、瞬きの間に訪れるであろう地面と激突したときの衝撃に怯え、恐怖に体を縮こまらせる事だけだった。
「──っ、だぁ!!」
ずどん、と何か硬いものにぶつかった。
胸から背中に突き抜けた衝撃は肺の空気を全て吐き出させ、競り上がった空気の塊が喉につっかえて咳き込んでしまう。
「えぅっ、うぉぇえっ」
苦しくてちょっとだけ涙が出て、痛いって思って、痛いで済んでいることに驚いた。
驚いて、何処か覚えのある感触を感じて、人の体温のような熱に心が安堵して、
「美上さんッ!!」
クルリと世界が反転する。
背中に地面の硬い感触。
モブ男が押し倒すように私の上に覆い被さっていた。
(待って)
強く抑え付けられる。まるで庇うように。
(何してるの)
モブ男の全身が強張ったのが分かった。まるで守るように。
(そんなことしたら──!)
そして、次の瞬間。
モブ男の上に、転倒した私たちの上に、止まりきれなかった騎馬が雪崩れ込んで──。
☆☆☆
真上で輝いていた太陽が傾き始めて、そろそろ空が朱く染まっていくんだろうなって感慨があった。
長かったこのイベントも……いや本当に長かった。
物理的な時間もさることながら体感時間的に。
なんなのよあの借り物借り競争!!
誰よサキュバスを障害物にキャスティングしたやつ!! 頭おかしいんじゃないの!?
走者の半分以上が完走できない障害物競走なんか初めて見たわよ。
しかも私が引いた借り物が……ああああああああ!
やめよう。この思考はよくない。忘れよう。うん、忘れよう。
まあ、水妖精にぎゃふんと言わせてやったのは心地よかったけど。
「ふう……」
「どうしたの?」
「なんでもないわよ。……それより、なんであんたがここにいるのよ。どっか行きなさい」
「後から来て躊躇いなくそれ言うの美上さんらしいね……」
ははは、と曖昧に笑うモブ男だが、座って壁に背を預けたまま立ち上がる気配はない。
テコでも動かない気かしら。こいつ素直そうな顔してるくせに思いの外頑固なところあるのよね。
仕方がないので、ちょっと間隔を開けて私も座った。
ここはグラウンドとは真反対に位置する校舎裏だ。
目の前には自転車通学生たちの自転車が所狭しと並んでいる。
グラウンドの騒がしさも距離と校舎に遮られて、マイクの音さえどこか遠い山彦のように聞こえる。
まだ体育祭の途中だというのに、なんでわざわざこんなグラウンドから離れたところに来たのかと言えば……。
「美上さんはどうしてこんな所に……って、水澄さんから逃げてるんだっけ」
「逃げてるんじゃないわよ。姿を眩ませて例のアレを踏み倒そうとしてるの」
「いやー……水澄さんからは逃げ切れないと思うけどなあ」
「逃げてない。立ち向かってるのよ」
「どんだけ自分を下にしたくないんだ」
「私は最初からもし負けたら約束ごと踏み倒そうと考えていたわ」
「勝ったら?」
「水妖精のあの性格なら、約束を破ることはあり得ない。そうでしょう?」
「それはそうだけど分かってやってるあたり最低だ……」
「なんとでも言えばいいわ。ふん、嫌なものは嫌」
「何だかんだ律儀なところある美上さんは、結局最後には水澄さんのところ行きそうだけどね」
なに私の理解者気取ってるのよ。行かないわよ。
だってあの水妖精の顔見た!?
清らかな水の乙女にあるまじき邪悪な笑みをしていたのよ!?
何をやらされるかたまったものじゃないわよ……!
「……ごめんね」
「……しつこい」
「でも」
「私は気にしてない。もうこれ以上謝るなら無視するわ」
今日何度目かの謝罪の言葉を口にしたモブ男は、それきり地面を見つめて黙りこくった。
そう。
私たちは、騎馬戦に負けた。
それはもう完膚なきまでに負けた。
弓森さんたちの騎馬を抜けた水妖精が不意打ちで私のハチマキを取ろうとしたあのとき、反応できない私とは違いモブ男たちは咄嗟に回避行動を取った。
そのとき、足を滑らせたモブ男が転倒。
騎馬は崩れ私たちは失格となり、主将のハチマキを手にした水妖精の赤組はそこから怒涛の追い上げを見せ、一位で騎馬戦を終えた。
このモブ顔は、騎馬戦が終わってからずっとその事を気にしているらしい。
落馬した直後は本当に凄かった。
私はあんなに取り乱したこいつを初めて見た。
……別にいいって言ってるのに。
あそこでモブ男が転けなくても、私たちが勝つことが難しかったのは流石にわかる。
転けようとして転けたんじゃないことも分かってる。
あのとき、雪崩れ込んできた騎馬から私を守ってくれたことに感謝すらしてる。
水妖精に負けたことは腹に据えかねてはいるけど、それをこいつのせいだなんてちっとも思ってないのに。
本当に、こいつ気にしすぎるところあるわよね。
「ま、あれよ」
気にするなって言ってるのに永遠に気にしそうなこいつの顔を見てるのはイライラするのよ。
「あんた言ってたわよね。私に怪我させないって。ほら、何処にも怪我はないわよ。あんたは世紀の美少女に傷一つ付けずに守り切ったの。勲章物よ」
だから、いつまでもそんな落ち込むなっつーの。
あんたが謝ることなんて一つもないんだから。
「あんたのミスで失格になったのがマイナス百だとしたら、私に怪我させなかったことはプラス千百だわ。よってあんたの働きは百点満点飛んで九百。分かったらいい加減その辛気臭い顔やめなさい」
「────」
「……ちょっと、なんか言いなさいよ」
「……いや、美上さんは美上さんだなあって思って」
「私はいつも私よ」
「うん。本当に……あの時から、ずっと。美上さんは美上さんだ」
そう言って、小さく笑う。憑物が落ちたような、そんな笑みだった。
……ほんと、ここまで言わなきゃ分からないなんて、鈍いやつ。
「人格的にどうかと思うところ結構あるけど」
「喧嘩売ってるの?」
買うわよ?
それから程なくして、くぐもったアナウンスの声が次の種目を告げる。
それを聞いて、深く息を吐いたモブ男が立ち上がった。
「じゃあ、行ってくるよ」
「ん」
「……応援とかしてくれないのかなーって」
「水妖精に負けたら許さない」
「それは応援じゃなくて脅迫だ」
頬を人差し指で軽くかいたモブ男が、仕方ないか、とでもいうように肩を落として背を向ける。
騎馬戦で私を守ったとき凄い音がしたけど、その後の競技も普通にこなしてたのよね。本当にあいつの体はどうなってるのかしら。
さて……次の種目は最終種目の対抗リレー、か。
水妖精は走者だから私に絡んでくることはできないだろうし、自分のクラスのテントに戻ってもいいけど、もう面倒だからここで時間つぶしちゃおうかなー……。
(……あれ?)
そこで、私の頭を過ったのは小さな違和感。
(なんであいつはこんな所にいたの……?)
ここはグラウンドから最も遠い校舎裏。
まだ体育祭が終わってない以上、学生達の自転車置き場に人が来ることは滅多にない。
だから私は保険委員なんてやってる水妖精が来そうにない場所を選んでここに来た。
じゃあ、水妖精と会いたくない理由もなく、クラスで孤立もしてないあいつが人が滅多に来ない場所にいた理由はなに?
理由は──。
「……え、なに、これ」
予感に突き動かされてモブ男が座っていた場所に視線を向けた。
そこには、ポケットに入れていたそれが、立ち上がった拍子に落ちたかのように。
「これ、血の滲んだ……包帯……」
それを認識した瞬間、弾かれたように私は駆け出していた。
歩いているモブ男との距離はそう遠くない。
十秒もしないうちにその背中を眼前に捉える。
そして、私に気がついて振り返る直前のあいつの体操服の裾を一気にめくり上げた。
「あれ? 美上さん? そんなに慌ててどうし──うひゃああぁ!?」
「────」
顕になった背中の肌には、凄惨な青痣や皮膚が張り裂けたのを無理やり縫ったような血の痕が、一面に広がるように出来ていた。
「なにするの!? え!? なにしてるの!?
「あんた……それ……」
「……あー、これ? 前からだよ前から。治りかけだから気にしないで」
「嘘よ。じゃあこれは何!? あんたもしかして、ずっとその体で……!」
血の滲んだ包帯を突きつける。
モブ男は一瞬、しまった、とでも言うよに顔を歪めた。
「どう見ても動いていい体じゃない! 早く保健室に、いや、救急車を──!」
「いや、ちょっと見た目がアレなだけで、本当に大丈夫だから! ほら、こんなに動ける!」
「バッカじゃないの!? 動くなって言ってるのよ!」
専門的なことは分からない。
分からないけど、素人目にもヤバいと判断できるだけの外傷があった。
傷の深さ、出血量、見た目の凄惨さ。それぐらいでしか判断できない素人が、それだけで動いたらヤバいと断言できる外傷があった。
それがほぼ確実に騎馬戦のときの怪我だと分かって、心が悲鳴を上げた。
私の剣幕に、軽くその場でジャンプをして大丈夫だとアピールしていたモブ男の動きが止まる。
「今から携帯で救急車呼んで先生たち……水妖精も連れてくるから、そこで休んでなさい。いいわね? 絶対に動くんじゃないわよ」
「美上さん、気持ちは嬉しいけど僕は大丈夫だから。ほら、僕が丈夫なのは知ってるでしょ? 大袈裟だって」
「そんなわけないでしょう!? その傷で、その怪我で大袈裟なわけがないでしょう!? いいから大人しくして──」
「──本当に大丈夫なんだ!!!」
「──っ!」
突然の大声に、びくりと体が跳ねた。
何処かにいたのか、今ので驚いたのだろう鳥の羽ばたく音がやけに大きく聞こえた。
染みるようなグラウンドからの喧騒が、やけに遠くに聞こえた。
真剣な表情のモブ男が私を見つめていた。
私は、その姿に何故か痛ましさを覚えた。
「大きな声を出してごめん。でも、僕は大丈夫だから。だから、心配しないで」
「大丈夫なわけ──」
「ううん。大丈夫。ほら、これがあるから」
そう言ってモブ男がポケットから取り出したのは、手のひらサイズのアルミ製の容れ物。
ピンクの縁取りが施された蓋には、丸っこい綺麗な文字で『イズミ特製♡』と書かれていた。
「それは……」
「水澄さんからもらった塗り薬。これ凄くてね、怪我がすぐ治るし、痛みど……まあ、だからさ、こうやって塗るとね」
不自然に言葉を切ったモブ男が蓋を開けて、透明度の高い固体と液体の中間のクリームのようなものを人差し指につける。
それを体操服をめくった脇腹に、皮膚が裂け血が滲み出ていた箇所に塗ると、まるで逆生成を見ているかのように血が止まり、じわじわと皮膚が繋がっていき……三分ほどで、傷口が塞がった。
「嘘でしょ……」
「あの、そんなに顔を近づけられると、その」
モブ男の声が聞こえないほどに、私は混乱の極地にあった。
どういうこと?
水妖精の種族特性はその体液だ。水妖精の体液には癒しの力が備わっている。当然、その特性を活かした医薬品なども販売されたりしている。
でも、この再生速度は異常だ。あまりにも常軌を逸している。
それはあくまでも治癒に一週間かかるような傷を四日で治癒させる、といった自然治癒の促進のようなもので、ゲームの回復魔法のようにどんな怪我も治してしまうようなものではない。
傷を縫うことすら検討するような怪我を数分で直すような、そんな埒外のものでは決してない。
水妖精の体液に含まれる癒しの力は、体外に出た瞬間に著しく劣化するからだ。
「あんた、本当に人間なの……?」
私の口をついて出たのは、そんな言葉だった。
人間のように見えるけど、実は回復能力の高い他の種族で。
そうじゃないと、とてもじゃないけど説明がつかない。
「人間の父と母から生まれた、正真正銘の人間だよ」
「そんなはずはないわ。サキュバスも人間も回復力は変わらない。サキュバスに、ここまでの自然治癒力はない」
「……それでも、僕が人間であることは間違いないよ。それは信じてとしか言えない」
信じられないと、私の理性は言っていた。
信じられるって、私の感情は言っていた。
張り詰めた空気を切り替えるように、モブ男はパンと手を叩いてから、明るい声音で言った。
「ま、そんなわけでさ、これが僕が大丈夫って言った理由。えっと、これ塗りたいから、僕はもう行くね」
軽く手を振って背を向けたモブ男の手を、気づけば私は掴んでいた。
「美上さん……? 入場準備があるから、離してくれたら嬉しいなって」
「嘘をつかないで」
「いや、嘘では……アナウンス美上さんも聞いてるはず」
「本当にその塗り薬で怪我が治るのなら、なんであんたは傷だらけなの」
また一瞬、モブ男の眉が歪む。
「……まだ、使ってなかったから」
「包帯を巻くときに何も処置をしなかったって言うのかしら。包帯を巻くときに、それを使わなかったって言うのかしら」
そうだ。
あの塗り薬で傷が瞬く間に治るのなら。
血の滲んだ包帯が存在しているのはおかしい。
だって、直ぐに傷が癒えるのだから、包帯を巻く必要がない。
考えてみれば、こいつはよく怪我をして体に包帯を巻くことが多かった。包帯やテーピングを巻いたこいつの姿を、私はこの数ヶ月で何度も見ている。
それは、こいつの怪我が直ぐに治らない何よりの証明だ。
「その塗り薬で治る傷と治らない傷があるのかは知らない。でも、あんたのその傷は直ぐに治るわけじゃない。間違いないわね?」
「……」
「沈黙は肯定とみなすわ」
モブ男は無言で地面を見つめていた。
でも、その目は、微塵も諦めてはいなかった。
ため息が溢れる。
……そんな、悔しそうな顔されたらさ。
「……どうしても出るの?」
「……どうしても出たい」
ほら。
こうやって、私らしくない言葉が心から飛び出してきてしまう。
だって。
私は頑張ることの難しさを知っている。
今まで生きてきた中で何度も途中で投げ出してきた私だから、頑張ることがどれだけ難しいかを知っている。
しんどい。辛い。苦しい。もうやめたい。楽になりたい。
その気持ちに抗って頑張ることの難しさを知っている。
そして。
最後まで頑張り続けた先のあの感情を、あの胸を満たす感情を、今日知った。
この体育祭で一番頑張ったのは誰か。
私も超頑張ったけど、というか美少女の私が睡眠時間削って朝練や放課後まで練習してただけで有象無象の百倍ぐらい頑張りに価値があると思うけど。
この体育祭で一番頑張ってたのは、間違い無くモブ男だ。
一番頑張ってた奴が、最後の最後でその頑張りを棒に振るような結末は、嫌だなと思ったから。
私はぐっと一歩を踏み込んで、モブ男の頬を両手で挟んだ。
そのままぐいっと引き寄せる。いつも高いところにある頭が、少し低いところに来た。
モブ男の瞳の中に、モブ男の瞳を見つめる私がいた。
「その怪我はどこでしたのか、とは訊かないわ」
きっとこいつは、私がそれを訊くことを嫌がるから。
カッコつけすぎよバカ。
「どうしてそんなに出たいのかとも、訊かないわ」
きっとこいつは、私がそれを訊くことを嫌がるから。
こいつがずっと誰よりも練習していたことを知っている私は、こいつがそれに懸ける想いを少しは想像できるから。
でも、私の中に罪悪感がないわけじゃない。
まあ、こいつが怪我したのは私を守ったからだし? じゃあまあ、まあね? 私にだって恩返しというかなんというか、その、色々あるわけ。
だから。
私は、私にできることでこいつに協力してあげたくなった。
こいつの頑張りを、無為にさせたくなかった。
「え? え? え?」
私はサキュバス。
美しい容姿で、妖しい美で、男を惑わす淫魔。
私にできることは、今も昔もずっと一つだけ。
「あんたをチャームする」
テンパっていたモブ男が、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「僕にチャームは」
「効かないわけじゃないんでしょう」
「っ!」
モブ男が私の家に来たことはかなり大きな収穫だった。
お母さんはモブ男をチャームしようとして、出来ないことに驚いていた。
水妖精をチャームしようとしたことのあるお母さんが、チャーム出来ないことに驚いていた。
つまり。
図書室での事も踏まえて。
モブ男はチャームが効かないのではなく、何らかの方法で防いでいる。
水妖精みたいに完全に効かないのではないのなら、出来ることがある。
「チャームは一種の催眠。脳に強力に作用する力。私以外を見させない蠱惑の色香。それを応用して、あんたの痛覚を麻痺させる」
「そんなことができるの……?」
「出来る。……まあ、あんたがいつも見たいにチャームを防がなければ、だけど。本当なんでチャームできないのよ。ふざけないで」
「防いでるわけでは……」
「でも、それにはあんたに私を受け入れてもらう必要があるわ。……こんな事を言ってて、私はあんたを完全にチャームしてやりたい放題する可能性もあるわけだし。……あんたは、今まで男を魅了して好き勝手にやってきた私を信じられるかしら」
モブ男は私の目を見つめて、迷いなく言った。
「信じる」
その言葉に、こみ上げるものがあった。
それが何なのかには気づかないフリをして、それに気付いてしまったら、自覚してしまったら、今までの私ではあれないような、そんな気がして。
一人の男をチャームしようと躍起になって、数ヶ月。
この日、私は初めてその男を魅了した。
「……気分はどう」
チャームが完了して、モブ男は不思議そうに自分の体を見て、ほけっと私を見つめた。
「美上さんが凄く綺麗に見える。めちゃくちゃ可愛い。どうしよう」
「当たり前よ。体は?」
「嘘みたいに痛くない。どうなってるの?」
「魅了するためのチャームを、脳に痛覚を誤認させる方向にしか使ってないから。といっても、多少チャームされた影響は出るんだけど……なによ、やっぱり痛かったんじゃない」
「あっ」
「その状態で私に隠し事は出来ないわよ……ってちょっとちょっと、チャーム解こうとしないで! 分かったわよ、変なこと聞かないわよ!」
「油断も隙もない。でも、そういうところも可愛い。あっ」
「私が可愛いのは当たり前だってば」
当たり前のことを何度も言うのは馬鹿のすることね。
でも気分がいいので特別に何度も言っていい。ふふん。
「これなら全力で走れると思う。美上さん、本当にありがとう!」
……本当にお礼を言わなきゃいけないのはこっちなのに、そんなに嬉しそうに言わないでよ。
「感謝してるなら、水妖精に負けるんじゃないわよ。それと、走り終わったら直ぐに病院に行くこと。それまでは私があんたを魅了し続けるから」
「分かった、約束する。それじゃ、行ってくるね」
時間も押している。
背を向けてモブ男は駆け出した。
その背中が見る見るうちに小さくなっていく。
言わなきゃ、と思った。
言わなくてもいい、と考えた。
言ってあげたい、と心が動いた。
呼び止めるように片手が上がって、下がって、また上がって、下がりかけた手が止まって、勢いよく振り下ろしながら叫んだ。
「ユキカゼ──!」
「──えっ」
止まったモブ男が、夢なのか確かめるように頬をつねりながら、信じられないとでも言うように振り返る。
私は、半ばヤケクソに近い気持ちで、でもそれは心から溢れ出した、私が本当に伝えたい気持ちで。
「──ありがとう、頑張れ!!」
呆けたようにぽかんと口を開けていたモブ男は、ぶるぶる震えて、勢いよく拳を突き上げた。
「──ありがとう、頑張る!!」
そして、今度こそモブ男の姿が見えなくなる。
(ああああああああああああああ!!!)
私はその場に蹲った。
キャラじゃないとか、何やってんだ私とか、なんというか、チャームかけたあたりからの反動が一気にきて、主に羞恥心で色々と限界だった。
いつまでもそうしていてもしょうがないので、立ち上がった私はふと思いついて来賓の休憩室用に解放されている校舎に入って階段を登っていく。
閉まっている屋上の扉を用務員をチャームして手に入れた鍵で開けた。
僅かに朱みがかかり始めた空には薄く伸びよるような雲が呑気そうに揺蕩っていた。
爆発したかのような歓声が下から聞こえる。リレーが始まったのだろう。
落下防止のために貼られている金網の側まで寄ると、思った通りグラウンドが一望できた。
楕円形のグランドを取り囲むように配置されているテントに、無数の生徒や保護者の姿。
そして、アンカーとしてバトンを受け取ったあいつを見つけた。
「頑張れ、頑張れ、あんたが頑張ってたの、私ちゃんと知ってるから」
ここには誰もいないから。
誰もいないから、いいかなって思って。
さっき伝えはしたけど、本当は伝えたい頑張れなんて、一言じゃ足りないほどあるから。
私以外誰もいない空間で、心からのエールを。
あいつには届かない、私の自己満足でしかない、精一杯のエールを。
誰よりも頑張ったあいつには報われて欲しいと思う、そんな私のわがままなエールを。
金網を握り締めるほど前のめりになって、私は送り続けた。
そして──。
☆☆☆
9月^^日
はい負けたー。負けたー。
体育祭が終わって久しぶりに書く日記が敗戦なんて……。おのれ水妖精……!
騎馬戦といい対抗リレーといいことごとく邪魔してきて……!
……例のあれどうしよう。体育祭中は逃げ切ったけど。教室まで来るかな……? 来るわよね……? 逃げ切れるかしら……? チャームして肉壁を作りまくればあるいは……。
簡単なのならいいんだけど……そんなわけないし……え? 嫌だ。普通に嫌だ。なんで水妖精の命令を聞かなきゃいけないの? え? 嫌だ。
なんでこんな事に……! おのれモブ男の親友!
モブ男といえば、怪我は大したことなくて良かったわね。
大したことないというか、大したことはあったけど回復力的にちゃんと処置すれば大丈夫というか。
骨とかも折れてたみたいだし。いや軽そうにメールしてきたけど骨折って大事じゃないかしら。なんか文面から日常茶飯事みたいな雰囲気出てたけど気のせいよね?
……モブ男が行った病院、というかモブ男の行きつけの病院、水妖精のところなのよね。
あの場では追求しなかったけど、やっぱりあの回復力はおかしい。借り物借り競争のときにみた水妖精並みの回復力だった。人間であれはあり得ない。
一体どうなって……もしかしてそれがチャームできない理由? え? あいつ水妖精なの? でもチャームが出来たからそれはあり得ないのよね……。
……ま、いいか。あいつはあいつ、それでいいわよね。チャームが出来るなら、私の目標は変わらない。この日記の一ページから何も変わらない。
絶対にあいつをチャームしてやるんだから!
……なんか、心がざわざわする。なんだろう、これ。
心臓が痛い。痛いけど、悪くないというか……。
なにこれ?
読まなくてもいい登場人物紹介。
美上さん。
主人公。ほほう?
借り物借り競争は文字数が膨らみまくったので番外編『しおり』でそのうちそのっち。
引いた借り物は『最も仲の良い異性』
彼女がこれを引いたおかげで助かった人も多分いた。
モブ男。
ヒロイン。ほほう?
種族は人間。ただ、四月の終わりに何かが混ざった。
水澄さん。
体育祭編のサイクロン。
鬼を秒でブチのめし美上さんのハチマキを奪い、そのあとお前実は鬼だろというレベルの活躍で一位に、リレーでもアンカーのモブ男とデッドヒートの末一位に。なんだこいつ。
父親は医者でモブ男も四月の終わり頃からよく診てもらっている。
サキュバスマスク。
天国に連れて行ってあげるわよ?
とかやってたら途中で天国(事務員室)に連れて行かれた。
遅くなりました。
1月19日……これは!更新せねば!と急いで推敲しました。