とあるサキュバスの日記   作:とやる

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2ページ目 『図書室』

 7月☆日

 

 今日から夏休みだ。

 網戸を貫く蝉の命の音や容赦なく輝く太陽の煩わしい季節。

 根本的に私は夏というものが好きではない。暑くて汗をかけば抑えてもどうしても雄を蠱惑するフェロモンは漏れ出るし、薄着というものはどうしようもなく雄を狂わす。

 わざわざチャームをするまでもなく獣欲を滾らせた男どもが寄ってくるのだから、定番の海水浴は愚か外出すらままならないからだ。

 小学生の頃に家族と海へ行ったときの事は今も覚えている。忘れもしない、あの悍ましい……やめよ。

 まあ普段なら疎ましいこのサキュバスとしての性質も、モブ男をオトすのに有用である事は間違いない。

 見てなさいよ、この夏であいつをメロメロにしてやるんだから! 

 

 

 7月$日

 

 あいつを従順な犬にするための手段が湯水のように思いつくわ。

 夏ってすごい。ふふふ、首を洗って待ってなさい。

 

 

 7月○日

 

 どこにも行かないなら家のこと手伝えって……私の性質の事は知ってるのにお母さんといったら全くもう。

 私はアイツの事を考えるので忙しいんだから! 

 

 

(数日取り留めのない内容が続く)

 

 

 7月〒日

 

 ……よく考えたら夏休みだからモブ男に会えないじゃん!? 

 夏休みが始まり一週間が過ぎて! その間私がやった事と言えば漫画読んで宿題してお母さんとテレビ見てるだけだ!? 家から一歩も出てないよ! 

 え? これどうするの? モブ男の連絡先なんて知ってるわけないしなんならクラスの人のラインとかも誰一人知らない。

 あのちょっと話すエルフの女の子の連絡先ぐらいは聞いておけばよかったなあ……しまったぁ。

 もしかしなくても私が一週間をかけて練り上げたプランは全て白紙に? 

 早く夏休み終わらないかなあ……。

 

 

 7月々日

 

 昨日の日記、読み返したらなんか私がアイツに恋してるみたいじゃない! 

 ちっっっっがうわよばーか! ぶあああああああっか!!! 

 

 

 7月*日

 

 そういえばアイツは図書委員かなんかで夏休みも学校に来るとか言ってたような。

 

 

 7月÷日

 

 学校に行ってみた。

 図書室は開いていて、午後3時までは開放しているらしい。

 モブ男はいなかったけど、委員の女の子から見せて貰った当番表だと明日がそうだった。

 無駄足踏んだなあ……私が来る事ぐらい察して学校来なさいよね全く。

 ……それにしても、あの委員の子。透き通るな淡い水色の髪、多分水妖精の子だと思うけど……なんか若干棘があったような……? 初対面だよね? 

 知らないうちにあの子の想い人かなんかが私にオトされてたのかしら。

 よくある事ね。魅力的すぎる事も大変だわ。いちいち男の顔なんて覚えてもないから分からないんだけれど。

 

 

 7月♪ 日

 

 学校に行く前に書いてる。

 ふふーん、宣言しておくわ! 今日でアイツは私の犬になる! 

 楽しみね! 

 

 

 ☆☆☆

 

 

「あれ、美上さん?」

 

 肌にまとわりつくような生温い湿気と肺を満たす紙の臭い。

 スライド式の扉を開けた瞬間廊下に流れ込んでくるそれに顔を顰めた私に気がついたアイツが意外そうな声を出した。

 

「……なんでこんなに暑いの?」

 

「エアコン壊れたんだってさ。今年中の修理は無理みたい。勉強したり涼みに来る人はみんな帰ったよ」

 

「なにそれ最悪……」

 

「ほんとにな。それより、美上さんが図書室に来るとは思わなかったな。読書感想文?」

 

 首を傾げるモブ男の手元を見れば、閉じられた文庫本が一冊。

 まあ、この暑さじゃ読書をしようという気も失せると思う。

 いやほんっと暑い。学校に来るまでに既に結構汗を掻いちゃってたのに、身体中の水分を出し尽くすのでは? と危惧するレベルで汗が噴き出てくる。

 よく平気な顔しているな……とモブ男をよく見れば、大きなタライに大きな氷、それを満たす水の中に足を突っ込んでいた。なにそれずるい。

 

「ちょっと、私にも貸しなさいそれ」

 

「いいけど、これしかないんだよね……大きな氷はもうないし」

 

「というか、なんで氷あるのよ。わざわざ持ってきたの? 昨日はエアコン壊れてなかったのに?」

 

「えっ、なんで知ってるの? 氷は水澄さんが持ってきてくれたんだ。今は先生に呼ばれていないけど水澄さんが居てくれて助かったよ。めちゃくちゃ暑かったでしょ、一緒に使う?」

 

 常よりも少し上擦った声。

 モブ男は押し隠したつもりだろうけど、サキュバスである私はそこに微かに紛れ込んだ欲の色を見逃さない。

 私に抱きつかれても反応しなかったほぼ断定不能男が精々が隣に座るぐらいで? と不思議に思うも、いい加減暑くて仕方ないので大人しく一緒に使わせてもらうことにした。

 

 モブ男の対面に置いてあった椅子に腰を下ろす。

 靴とハイソックスを脱げば、校則違反の短いスカートからすらりと伸びる処女雪のような脚が曝け出される。

 ちゃぽん、と氷水に脚を沈めれば、よく冷えた水が火照った体温を吸い取っていくようで気持ちよかった。

 

「……なんでアンタ太もも抓ってるの?」

 

「えっ。あ、こ、これは、えっと、あ! 蚊に刺されて! こうすれば痒みがとれるんだよね!」

 

 ふと顔を上げれば、ギリギリと傍目から見て思いっきり力が込められていると分かるぐらい全力で太ももを抓っているモブ男がいた。

 お尻に近いところを咬まれるってこいつ家でパンイチで過ごしてるのかしら? だらし無いわね……。

 にしても、何故か今日のコイツは隙が多いというか何というか。いつもはもうちょっと落ち着いてるのに、今日はどこかふわふわしているように感じる。

 これなら簡単にチャームできるんじゃない? 

 そう思ってボタンを弛めようとして気がついた。汗を吸って白のワイシャツが透けてブラが見えてた。

 

 ……はっはーん。

 全てを察した私が上目遣いで顔を見つめてやれば、モブ男は見ないように横に向けていた顔をさらにそらしてそっぽを向く。

 

 なるほどねえ……。

 モブ男をオトす事が目的な私は勿論フェロモンを抑えるなんて事はしていない。

 今日は特に暑い。窓が開いているとはいえ風がないので図書室内の熱気もなかなかのものだ。

 当然汗をかく。それが生体機能だからだ。

 つまり、ひと嗅ぎすれば理性を犯す私のフェロモンを、コイツは私が図書室のドアを開けた瞬間から身体に取り入れ続けている事になる。

 普通ならもう頭をぐずぐずに溶かされて犬ように舌を突き出し、はあはあと喘いでいてもおかしくない。

 

「今日は暑いわね。暑すぎて、ついつい胸元を緩めてしまいそう」

 

「っ、今年は猛暑らしいよ」

 

 やっぱり。

 私は確信した。

 服をつまんで空気を送り込むようにパタパタしてこんな事を言っても、いつものコイツなら無反応なのに。

 それに、ずっと目をそらし続けているのもおかしい。

 普段は何をやっても目以外一切見ないぐらいなのに。

 つまるところ。

 ──私を意識しているな。

 

「ところでさ。先週買い物にいったんだけど、何を買ったと思う?」

 

「……っ、うーん、夏だから……日焼け止め?」

 

「ハズレ。ヒントはね、身に付けるものよ」

 

 甘く思考をとろとろにする艶のある声。

 ニヤケそうになる顔を必死で取り繕う。

 いける。経験から、チャームをかける事ができる確信がある。

 僅かに朱の差した頰を隠すように腕をあげたモブ男が律儀に考えているのを乱すように、さらに追い討ちのように仕掛けていく。

 

「分からない? そうね、じゃあ大ヒント。……それはね、身体の半分より上にあって……いろんなサイズがあるわ」

 

「はん、ぶんより……うえ……」

 

「そう。半分より上よ……ふふ、そう、その辺り。すごいわ、正解まであと少しよ。……実はね、今日それをしてきてるの」

 

 モブ男の視線が顔から下がっていき、スカートを見ないようにまた上がっていってある一部分で止まる。

 そこには緩められたボタンから覗く真っ白な肌と……夜空を思わせる黒い布地。

 少し背中を前に倒してやれば、膝についている腕にあたってむにゅりと嫋やかに形を歪める。

 ゴクリ、とモブ男の喉が鳴った。

 

 何これ楽しい。

 どれだけ誘惑しようが無反応だったモブ男を手玉に取る感覚。

 これよこれ、これがサキュバスよ。

 全開のチャームに落ち切っていないのは驚愕に値するけど、本来チャームはこうあるべきなのよね。

 今まで何食わぬ顔で平然と振舞ってたコイツがおかしかっただけで、私の暴力的なまでの魅了の力なら本来これが当然。

 

「……もう分かったかしら? そうね、もし正解できたら……ご褒美をあげてもいいわ」

 

「ごほう、び……ぐっ」

 

「そう、ご褒美。正解できたなら……貴方にそれをあげてもいいかもね」

 

 氷水に浸かる足をモブ男の足に重ね、感触を確かめるように撫で、絡める。

 さり気なく椅子を動かしすぐ隣にまで移動していた私は最後のトドメを放つべくモブ男の耳元へ顔を寄せ、囁く。

 

「──今、ここで」

 

 ──まあ、勿論そんなことする訳ないんだけど。

 そんな私の内心など知る由も無いモブ男の身体に電流が走ったようにびくんと大きく痙攣。

 背けられているため表情は伺えないが、吐息の触れた耳は茹で蛸のように真っ赤に染まっていた。

 

 固めた決意。

 それがもう間も無く達せられようとしていて……何故か、私の胸中は満たしたモノは達成感とは程遠い感情だった。

 なんだろう、これは。暗くて、悲しいような、チクリとするこの感情は……。

 

「……ん?」

 

 私が正体不明の感情に一瞬思考を巡らせたのと同時、部活に勤しむ声のみが響いていた室内に甲高い羽音が響き渡った。

 この独特な音は間違いなく蚊だろう。見た目を気にするならば痒み以上に天敵で厄介な生き物だ。

 だから、咬まれるのは嫌だなと僅かに意識が逸れた。

 次の瞬間。

 

「ふんっ!」

 

「ええっ!? 急にどうしたの!?」

 

 ガツン! と何かを思いっきり殴打する音。

 ギョッとする私が見たのは、自分で自分を思いっきり殴るモブ男の奇行だった。

 

「がはっ。いや、蚊がいたから」

 

「だからって自分の顔にグーパンする!? 鼻血でて……ああっ!? 口の中も切れてるじゃない!」

 

「でも、ほら、蚊は仕留めたよ」

 

「オーバーキルにも程があるでしょう!?」

 

 どばどばと血を流すモブ男の鼻にスカートのポケットから取り出したハンカチを押し付ける。瞬く間に赤く染まった。

 ああもうっ! コイツ頭おかしいんじゃないの!? 

 普通、蚊を仕留めるためだけにそこまでする!? 

 

「早く保健室──夏休みか! 〜〜もうっ! 先生たち呼んでくるから動かずにじっとしてなさい!」

 

「あ、待って、美上さん、僕はただ蚊に並々ならぬ感情を持っているだけで別に頭のおかしい奴というわけではっ」

 

「ごめん! 説得力がない!」

 

 靴下を履くのも忘れて靴に足を突っ込んだ私は勢いよく図書室を飛び出した。

 

「ああ、待って美上さん、本当に違うんだー!」

 

 最後に、アイツの何故か切実さが含まれた声を背に受けて。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「はー全く、いくら私が軽い怪我なら治せるとはいえひっきりなしに呼び出すのはどうなんですか。──っと、すみませんユキカゼくん、遅くなりま……ええっ!? どうしたんですかその怪我!?」

 

「あっ、水澄さん。おかえり」

 

「はい、ただいまです……じゃなくて! ワイシャツがスプラッタ映画の登場人物みたいになってますよ!? その鼻血……口の中も切ってるのですか!? ってよく見れば手も血だらけじゃないですか! 私がちょっと目を離した隙にいったい何がっ!?」

 

「えっと、蚊を少々」

 

「訳の分からない事を言わないでくださいっ! ほら、治療しますのでじっとしてください。あーん」

 

「えっ。待って待って、治してくれるのは嬉しいんだけど、やっぱりダメだよ。こんな事言うのもあれだけど、他のやり方ってないの? 不衛生だし、流石に口の中は……その、ほら、水澄さんも嫌でしょう?」

 

「いいえ? 全く。さあ、大人しくしてくださいね……はぁはぁ」

 

「うわあ!? ちょっ、まっ、早く来て美上さーん!」

 

 

 ☆☆☆

 

 

 7月♪ 日

 

 家を出る前に書いた日記を読み返してから当初の目的をすっかり忘れていた事に気がついた。

 でもしょうがないでしょ。なんかいっぱい血が出てたし、それを見たら私も作戦とかそういうの全部頭から吹き飛んだし。

 ……職員室に先生がいなかったら医療箱を持って図書室に戻った時に水妖精の子とキスする寸前だったのはブチ切れそうになったけどね!!! 

 私をこのクソ暑い中走らせて自分は他の女とイチャコラですか……いいご身分ですねえ……! 

 アイツは必死に言い訳を並べてたけどその後ろで水妖精が私を睨め付けてたの見てるからね。何を誤解しろってのよ。

 あーもう腹立つ! いつもならこういうときは男の方をサクッと私のモノにするのにモブ男はチャームできないし!! 

 ……そういえば、私はなんでこんなに腹が立っているのだろう。別にモブ男が誰とどうなろうがどうでもいいのに。それに、結局モブ男は私に魅了されなくて、それがわかった時に私はあの時の感情とは真逆の……いや! これはきっとおもちゃを取り上げられたからだ! そうに違いないはずよ! 

 あーもう! とにかく絶対絶対ぜぇったいに! 

 アイツをオトしてやるんだから!! 

 

 ……海、誘われたけどどうしようかなあ。

 

(アンニュイな書き込みが続く)

 

 

 

 

 

 

 

 読まなくてもいい人物紹介

 

 美上さん

 主人公。今回は惜しいところまでいった。敗因は蚊。

 チャームは普通なら抗えるようなものではないので、どうやらモブ男に少なからず関心を寄せているご様子。

 どうやら過去に海で何かあったらしいが……? 

 

 モブ男

 ヒロイン。名前らしきものが判明した。

 今回は割とやばかった。敗因は透けブラと目の前で靴下を脱がれた事。意図しない自然さが琴線に触れたのかな? だいぶレベル高いですね……。

 

 水澄さん

 水妖精の女の子。非常に少ない種族であり、体液には癒しの効果がある。そのため一時期は人攫いが頻発した種族。

 別に量に比例して癒しの効力が上がるわけでもないので、息を吹きかけたり夏なら手を当てるだけでOK。

 清楚な見た目だがこいつが一番レベル高い。




次回海水浴です。

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