願いがあった。
夜天に輝く月に良き明日を願うような、そんなありふれた願いがあった。
特別でも劇的でもない当たり前の、けれど、当人たちにとってはとてもとても大切な、願いがあった。
『君が幸せでいられますように』
『貴方がもう泣かなくてもいいように』
愛した者が愛した者を想って星に祈る、そんな願いがあった。
結局叶わなかった、願いがあった。
ステージの幕が上がる。
天井に吊るされた照明が暗闇を切り裂き肌を光の熱が炙る。
一斉に突き刺さる好機の視線。
慣れ親しんだ情欲の目。
灰色の民族衣装を思わせる簡素な布を纏った私を、この体育館に集まった数百の目が見ている。
注目されるなんて慣れたものだ。
だって、私は美少女だから。
そう、私は美少女。
誰もが振り向き、誰もが陶酔する美少女女子高生。
私にオトせない男はこの世にいない。
だから。
『孤独なサキュバスは願いました。誰かと一緒にいたい。独りは寂しい。くる日もくる日も、願いました。そんなある日、サキュバスが住んでいた深い森の中に、一人の少年が迷い込みます』
ステージの反対側から歩いてくるモブ男を見定めて、唇を舐める。
あんたの考えは分かった。あんたの理由も分かった。
あんたがどうして私を受け入れないのか、分かった。
だから、オトす。
覚悟しなさい。ばかユキカゼ。
サキュバスがどういう種族なのか、教えてあげるから。
☆☆☆
本当につまらない結末を迎えるのが『愛染のサキュバス』という絵本の物語だ。
固っ苦しい文字がつらつらと書かれているそれはどこか抽象的な物語で、かと思えば何年何月に何が起きたと、まるで歴史の年表のように起こった出来事だけはきっちり載っていたりする。
物語、というよりは歴史の資料じみた雰囲気すらある。
一部では、これは実際に起こった事件をお伽話として先人が残したのではないか? と言われているが、真実は誰も知らない。
ともかく、ぶっちゃけその結末は私は好きではない。
サキュバスの少女は何でもできた。思いのままに男をチャームして、挙げ句の果てには国を乗っ取り、世界すら手中に納めかけた。
男を完全な支配下に置くことが世界を征服することとイコールになる時代があったのだという。
なぜ少女はそんな事をしたのか。
深い森で独りきりで生きていた少女はある日、森に迷い込んだ少年に恋をする。
初めて少女に温かさをくれたその少年に、愛した少年に『泣いて欲しくない』と思った少女は、少年が幸せになれる国を、世界を作ろうとした。
結局、その目論見は愛する者を奪われた女たちの反旗によって潰えたわけだけど。
少年も少年で、美しいサキュバスの少女に、初めて優しさと安らぎをくれた少女に惹かれていく。
少年は何もできなかった。
非力で、無力で、何の力もなかった少年に出来ることはたかが知れていた。
けれど、好きな女の子の夢を叶えてあげたいという気持ちがあった。
お互いがお互いを想いあっていた。
問題は、お互いがお互いの気持ちに確信を抱けなかったことだ。
少女は思った。
チャームがなければ、少年はこんな自分のことを愛してくれないのではないかと。
少年が泣くことがない世界を作る過程で、少女はとてもじゃないけれど、"善良"と呼べる存在ではとっくになくなっていた。
少年は思った。
チャームがなければ、自分は少女のことを愛していなかったのではないかと。
少女が幸せになれるのならと、少年はとっくに"優しさ"を捨ててしまっていた。
愛していると抱きしめ合う夫婦から夫を奪い取る。
真実の愛だ、淫魔の誘惑には屈しないだ言っていた口から己への忠誠を誓う言葉が出るたび、夫を奪い取られた女から怨嗟の叫びが絞り出されるたび、少女は"愛"というものの不確かさをせせら笑っていた。
けれど、だからこそ、少女は少年のチャームを解除することがどうしても出来なかった。
チャームなんてなくても繋がっている男女を嘲笑う心に、一抹の情景が混ざった。
少女をずっと見てきた少年は、自分の恋心が"自分のものなのか分からなくなった"。
少年は確かに少女を愛していた。けれど、少女は変わった。少年も、変わった。
かつての恋心と今の恋心が同じものなのか、少年に確認する術は存在しなかった。
少年は、どこまで行っても、少女に魅了され続けるしかなかった。
自分という存在へ魅了させ続け、自由意志を剥奪し、己へ都合の良いように染め上げることしか出来ないサキュバスは、こうやって生まれた。
サキュバスへ縛りつけられ、行動を共にし、その人生を無理やり捧げられた被害者は、こうやって生まれた。
それはまるで、燃える蝋燭の上にある天秤のような、歪な関係性だった。
そんな関係は、少年の自殺という形で呆気なく終わりを迎える。
少年がなぜ自殺をしたのか、どうして自殺が出来たのかは誰にも分からない。
少女を咎めることのできない、罪の意識に耐えかねたのか。
それとも、生きる意味がなくなったのか。
はたまた、死ぬことで自分の愛を証明したかったのか。
真偽はさておき、少年は死んだ。
タイミングが良かったのか、悪かったのか。
ちょうどその時に女たちは一斉に立ち上がり、戦い、そして愛を勝ち取った。
目的の意味を失った少女はあっさりと負け、捕まり、殺意と害意、人々の怒りによって無残に処刑された。
女たちによる拷問の後が全身に残るその死体は、とくにその顔は、文字にすることすら憚れるものだったという。
これが『愛染のサキュバス』の結末。
愛を信じることの出来なかったサキュバスと男の子の辿った道筋だ。
陳腐な終わり方よね。
ああいや、別に結末の是非を問うているわけじゃない。
女の子として悲恋とすら言えない、ねじ曲がった恋の終着点に思うことはあるけれど、私が引っかかっているのはもっと別のところ。
少女は胸を張れば良かったのだ。
"自分は美少女なのだから、惚れるのが当たり前"なのだと。
チャームのある無しに拘った時点で、それはもうサキュバスとして生き方を間違えている。
私はそうじゃない。
胸を張ってやる。高らかに叫んでやる。
それが私だと。
「どうして、か。それは僕にも分からない。だけど、ここに僕がいる事が全てだ。──やっと、また君に逢えた」
劇はクライマックス。
物語において、もう二度と元の場所へは引き返せない、そのきっかけとなる大きな過ちを犯す事を決めた少女が、少年を引き離した。
そんな自分を、見られたくなかったから。
弓森さんの改変版では、引き離された少年がチャームを地力で打ち破り、少女を止めにくる。
求めてやまなかった"真実の愛"を手にした少年と少女が幸せになっていくための、そんなハッピーエンドへの登り道。
ここで私は、差し出されたその手を取ることで劇は終わる。
信じられない、とか。夢みたいだ、とか。そんな事を言って、そして涙を流して、その腕の中に飛び込むのだ。
良い脚本だと思う。みんなが幸せになれる、素敵な結末だ。
「だから、戻ろう。二人で一緒にいよう。僕にとっての"幸せな世界"は、君がいる場所だから」
チャームがあるから本当の愛がないのなら。
チャームのないそれは、きっと本当の愛だから。
でも、だからこそ。
「──いいえ。私は、その手を取らない」
その手を、拒絶した。
「──!?」
台本と違う私の行動にモブ男が小さく動揺したのが分かった。
ステージの舞台裏では、クラスメイトたちの困惑の空気が伝播してくる。
弓森さんの動揺が、マイクに乗って僅かに波打った。
脚本を知らない観客は、これから始まるクライマックスに息を呑んだ。
期待を孕んだ空気。いい感じだ。その期待に応えてあげる。
きっと、最高のクライマックスになるわ。
「……それでも。このまま君を行かせられない。帰ろう。またあの森で、二人で生きよう。今ならまだ引き返せる」
「いいえ。もう引き返せない。既に賽は投げられた。もう、結末は決まってる」
「……いいや。決まってない。僕はここから退かない。だから、決まってない」
「断言してあげる。あんたは退くわ。必ず」
「……僕にはもう、チャームは効かない。チャームがなくてなお、君のことが好きだった。君が欲しかったものは、この気持ちだったんじゃなかった?」
確かに、それはサキュバスの少女が望んだものだ。
そして、私の求めた答えでもある。
『美上さんはさ、僕が"チャーム出来ない人間"じゃなかったら、こうやって今の関係になれたと思う?』
あのとき、私は何も答えられなかった。
正確には、自分の中に答えはあったけど、それを口にすることが出来なかった。
だって、それはモブ男の問いかけを肯定するものだったから。
私は、チャーム出来る人間の男に恋慕することは間違いなくなかった。
だから、何も言えなかった。
それを肯定してしまえば、私とモブ男の6ヶ月が陳腐なモノになってしまう気がしたんだ。
私のこの気持ちを"それはまやかしだ"と言われているような気がして、嫌だった。
けれど。
今の私なら、言える。
それでよかったんだと。
「私が欲しかったのは本当の愛じゃない。そんなあやふやで、定義すら定かじゃない形ないものなんかじゃない。私が欲しかったのは、私が求めて抱きしめたくて独り占めしたくて、焦がれてるものは。最初からずっと一つだった。それは──」
真実の気持ち? 本当の愛?
そんなものより、私にはもっともっと欲しいものがあるのよ。
「──あんたよ、ユキカゼ」
人差し指を突きつけ、大胆不敵に笑ってやる。
あいつが作った衣装の、可愛らしいスカートがはらりと揺れた。
モブ男は、一秒、二秒、と目を閉じて、ゆっくり息を吐き出した。
「……それは違う。美上さんが求めてるものは、僕であって僕じゃない。……美上さんだって、分かってるはずだ」
モブ男は私から視線を逸らし、俯いた。
指先の震えを抑え込むように硬く拳を握りしめていた。
「僕じゃなくてよかったんだ。美上さんが言う好きになった人は"チャーム出来ない誰か"であって、"浅海ユキカゼ"じゃない」
「その誰かがあんただって言ってる」
「そうだよ。僕は、たまたま……本当に奇跡のような偶然で、その"誰か"になれた。でも、それはあくまで"誰か"でしかないんだ」
だから、と。
俯いたまま、モブ男は。
「美上さんと今よりも深い仲になれば、僕はきっと抗えなくなる。分かるんだ。そうなれば、そう遠くない未来で僕は君に"魅了"される。……そしたらさ、僕はその"誰か"ですらなくなってしまうんだよ」
張り裂けそうなほど痛酷で、指先で触れると粉々に砕けてしまいそうな脆く弱々しい声だった。
それは、モブ男をモブ男たらしめる、心の深く深く、根っこの方の、剥き出しの本音だった。
そして、ありふれた恋心だった。
好きな人の特別でいたいという、当たり前の想い。
それだけでしかない。
ないのに。
私がサキュバスだから。チャームなんて力があるから。
モブ男が人間だから。チャームが効きにくい体になったから。
こんなにも、ねじ曲がってしまった。
「僕はそれが怖い。また、美上さんに認識すらしてもらえない日々が戻って来るなら、僕は一生"誰か"のままでいい。それが僕じゃなくて、この世界に何人、何十人いるうちの1人だったとしても、僕は……。僕は、君の……その特別の枠の中にいたいんだ……」
「……それ、普通女の子に言ったらドン引きものよ」
「分かってる。でも、美上さんはもう、知ってるんでしょ。……僕の部屋から、日記が無くなってた」
「……ええ。知ってるわ。全部ね」
「……だから、隠しててももう意味がないから。……それに、そんな僕でも、美上さんは"誰か"として特別な枠の中に置いてくれている。……隠す理由も、なくなった」
「……馬鹿ね」
「うん。それでも、僕はこの恋を失いたくないんだ」
そう言って、モブ男は笑った。
袖で脱ぐった目元は僅かに赤みがさしている。
……はあ。
ため息が出てしまう。
分かってたけど。日記で知ってたけど、実際に本人の口から聞くと、なんともまあ。
馬鹿よ、本当に。
私たち、2人ともね。
「"チャームできないから特別"。確かに、それが始まりだった」
「うん。そして、これからもだよ」
違う。
「チャームできない男に興味をもった。……もっと言うなら、ムカついた。正直、私は最初、あんたを魅了して散々辱めてやろうと思ってたわ。そうやって躍起になってたら気付いたら半年経ってて、最初の気持ちも変わってた」
「うん。それも全部、君が僕を特別な誰かの枠に置いてくれたからだ」
違う。
「告白して振られたとき、足元が抜け落ちるようだったわ。まさか、私が男に告白するなんて思いもしなかったし、振られるなんて天地がひっくり返ってもあり得ないと思ってた」
「嬉しかったのは本当だよ。でも、そうなれば僕は君の特別じゃなくなるから」
違う。
根本を勘違いしている。
さっきから特別、特別って。
ああ、もう。
本当に。
なんで。
なんで……!
「──好きだから! 特別なんでしょうが!!!」
なんでそんな簡単なことが分からないのよ!
「もう一回言うわよ。私が好きになったのは顔も名前も知らない、チャームが効かないだけの"誰か"じゃない!」
この半年間、色んなことがあった。
腹立たしいことがあった。
楽しいことがあった。
辛いことがあった。
そして、ドキドキすることがあった。
私がモブ男を知ったきっかけは、確かにチャームが出来ないという一点のみだ。
その特別がなければ今のようになっていないというのは、確かにそうだろう。
でも、私がモブ男を好きになったのは。
私が浅海ユキカゼを好きになったのは。
たった半年だと言う人もいるだろう。
なんてことない、何処にでも転がってるような極々普通の半年だと言う人もいるだろう。
でも、それは私にとって、とてもとても大切な半年だった。
その半年で、私はユキカゼに恋をした。
「チャームが出来ないから特別? 安く見ないでくれるかしら。私の特別の枠の中にはね、馬鹿みたいな面倒くさい気持ち押し殺して、半年かけて私の特別の枠の中に入ってきた男しかいないわよ!」
きっかけが全てじゃない。
きっかけは、あくまできっかけでしかない。
「一緒に過ごした時間があるから! 積もった気持ちがあるから! 私のこの想いは、たかが"チャームできない"なんてだけで溢れ出すようなものなんかじゃ決してない!! あんたが私に声をかけたあの日から今日までの、あんたが私に注ぎ続けたモノがあるから"現在"のこの気持ちがあるのよ!!」
それぐらい気付け、ばか。
あー、喉がひりひりする。
大きな声を出したせいだ。
ふと周囲の気配に気を配れば、観客席がどよめいていることに気が付いた。
今までの劇の流れと変わったことをやっている事に気が付いたのだろう。
まあ、急に流れ無視した個人的なやりとりを始めれば困惑もするでしょうね。
劇を無茶苦茶にしている自覚は、ある。正直、みんなには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
それでも、ここで言うしかなかった。
モブ男が絶対に逃げられない、この場所で言うしかなかった。
あんたは本当にどうしようもなくなると、答えを出さずにその場から離れることを選ぶ。
モブ男の家に行ったあの日、私から離れたように。
まるで"答え"を聞きたくないとでも言うように、あんたは答えを出さないことを選ぶ。
でも。
責任感の強いあんたは、自分から劇を放り出したりなんてできないでしょ?
分かるわよ。
この半年、ずっとあんたを見てきたんだから。
好きな人のことだもの。よく知ってるし、もっと知りたいって思うわよ、私だって。
「……っ」
モブ男は唇を噛み締めていた。
その心の内側でどんな葛藤が行われているのか。
息が詰まりそうな時間だった。
いいえ、ちょっと違うわね。
胸が飛び出してしまいそうなぐらいドキドキして、息が詰まってしまうような、時間だった。
唇を噛み締めていたモブ男は、片手で自分の胸に触れ、息を吐き出す。
そして、ポツリと。
「美上さんは、凄いね。あんなに強く誓ってたことなのに……こんなにも、揺さぶられた」
そう、言って、
「……でも、ごめん。僕は、どうしようもないぐらいに……臆病だったみたいだ」
今にも泣き出してしまいそうな笑みを浮かべていた。
あっ、と、観客席から小さな声が聞こえた。
女の子が告白して、振られたように見えたからだろう。
実際、私は振られてるわけだし。
……痛い。
覚悟は出来てた。こうなるのは、分かってた。
でも、面と向かって言われると、胸の中の、奥の方が痛かった。
私はただ、こみ上げてきそうになる熱い何かを無言で飲み下していた。
大丈夫。
そうよ、なんて事はない。
だって、ここがスタートラインだもの。
「やっぱり、こうなるのね」
「……僕は」
モブ男は自分の足元を見ていた。
まるで、私から目を逸らすように。
私を、見ないように。
それは罪悪感や……もっともっと、別の何かがそうさせたのだろう。
客観的に見ても、振った相手をまじまじと見ることができなくても普通の反応だし、そもそも女の子をそんな風に凝視するなんて万死に値する。
当たり前の、普通の反応。
それが、無性に腹立たしかったから。
ふつふつと込み上がってくる熱いナニカ。
さっきまでの痛みを伴うそれとは違う、もっともっと熱いそのナニカが、今にも吹き出そうと私の中を暴れまわっている。
そうだ。
それは、私が私であるが故のもの。
私がサキュバスだから。
私が、美上サキだから。
「ねえ。一個、思い違いをしてるわ」
「思い違い……?」
「私は、私の答えを出した。私の気持ちを、想いを伝えたわ」
「……うん」
「あんたの答えを聞いた。あんたは答えた。普通ならこの話はここでおしまいよ。でも──どうしてあんたは、自分に主導権があると思ってるの?」
「……え?」
え? じゃないわよ。
あんたの目の前にいるのが誰だと思ってるのよ。
私がこの半年であんたを知ったように、あんただってこの半年で私を知っていったのでしょう。
なら、分かるわよね?
自分が、誰に目をつけられたのか。
「──サキュバスが、気に入った雄をみすみす逃すわけないでしょう」
瞬間、今まで限界まで抑えていた"魅了"の力を解き放つ。
会場の隅から隅まで走り抜けたチャームが次々と男を支配下にしていく。
たった一人の雄を除いて。
「美上さん!? 何を……!」
「サキュバスが男を誘惑する。当たり前のことをしているだけよ。あんただって知ってるでしょう」
「知ってるけど! いやでもこんな無差別にチャームなんかしたらだめだ!」
「だめだから、どうなの?」
「……止めるよ、あの時のように。僕が美上さんを想う気持ちと、これは別のことだ」
意志のこもった瞳が、私を見つめていた。
……ああ。
そういえば、最初もこんな感じだったかしら。
私のことが好きで、私に気に入られたいくせに、自分の中の善性は絶対に曲げられない。
笑っちゃうぐらい不器用な生き方ね。
あんたのそういうところも、まあ、好きだけど。
「いつもの美上さんならこんな、他人の気持ちを踏みにじるようなチャームはしなかった」
「女の子の告白を袖にしたあんたが言うの? ……まあ、さっきチャームした中には恋人や夫婦もいたみたいだけど。……けど、いいのかしら、そんな余裕ぶってて」
「え?」
「忘れてるみたいだから教えてあげるわ。チャームは己に惚れさせるサキュバスの種族特性。チャームした対象の強制力は突き詰めれば"好きな人のために何かがしたい"という好意の欲求よ。募らせる想いが強ければ強いほど、強制力はより強くなる」
「それは知って……」
「私ぐらいになると本人が拒絶することも実行させられるんだけど。それはともかく……さっき、私がチャームに乗せた"お願い"は1つ。──私の恋を応援して、ってね」
「……?」
分かってない顔ね。しょうがないから、教えてあげる。
「あんた、言ったわよね。私と"そういう関係になったらきっと抗えなくなる"って。……ねえ、あんた、私とどんな事する想像してそう言ったの?」
「な、あっ!? いやっ、別に僕はそんなこと考えてたわけじゃっ!!」
「隠さなくてもいいわよ。男ってそういう生き物だし……あんたがむっつりなのも知ってるし……」
胸とか脚とか、たまに視線感じてたし……。
「それに……私だってあんたとそういうこと、したいって思うし。まあ、ともかく。今からやることはとてもシンプルよ」
「待って!? 僕はむっつりじゃ……っ!?」
モブ男が抗議の言葉を言い切る、その前に。
ステージ下から飛び上がってきた男が勢いをそのままにモブ男に突っ込んだ。
すぐさま反応したモブ男が男の背に片手をつき、そこを視点に体を浮かせ飛び越えるように躱す。
「急に何……が……え?」
着地し、辺りを見回したモブ男の表情が凍りついた。
なぜかと言うと。
「うおおおおおお! 美上ちゃんの恋を応援するぞおおおおおおお!!!」
「「「おおおおおおおおお!!!!!!」」」
百人に迫る男たちが我先にとステージに押し寄せてたから。
「何が起こってるの!?」
「言ったでしょ、シンプルだって。私はあんたを魅了したい。そして、魅了する方法はあるけど、私一人だとそれが出来ない。だからチャームに乗せてお願いしたのよ。私の恋を応援して、と」
「それでなんでこうなるっ、のっ、と!! あれ!? なんか僕を取り押さえようとしてない!?」
「してるわよ」
「だからなんで!?」
次々と飛びかかる男たち相手に乱取りみたいになってるモブ男に、私は自信満々に──告げるつもりだったけど、実際は多分、真っ赤な顔をして言ってたと思う。
「わ、私があんたにキスするからよ! 覚悟することねっ、ばーか! サキュバスを、私を本気にさせたことを後悔しても遅いんだから!」
だってあんた、"そういうこと"をされたら、チャームに抗えないんでしょ?
「……でも、私のファーストキス、こ、後悔なんてしたら許さないから」
「横暴すぎない!?」
ええ。
でも、それが私なのよ。
好きな男を魅了する。
それが、サキュバスの恋の仕方。
「観念なさい! 今から私は、あんたに……
登場人物紹介。
美上ユキ。
お姉ちゃん。好きなことは気持ちいいこと。嫌いなことは気持ちいいこと。
サキュバスを疎みつつサキュバスである事を受け入れていたサキと違って、ユキはサキュバスである自分を嫌悪している。なのに、サキュバスとしての欲求に抗えない美上ユキを憎んでいる。
極度のストレスに晒された心は防衛本能として、理想のユキを作り出してーー。
サブカルチャーに傾倒したのは、物語の女の子が綺麗だったから。ユキのロマンチスト嗜好の本質は、夜空の星の雲を眺めるような、絶対に手に入らないと思い込んでるものに対する羨望。
恋人関係が長続きしないのにも、ある理由がある。
水着売り場でサキが帰らなかった場合、ユキのルートに入る。
美上サユリ。
お母さん。好きな人はお父さんと娘たち。週一のお墓参りを欠かしたことはない。
高2のときにユキを妊娠して中退。相応に苦労もあったが、専業主婦として幸せに暮らしていたところに、お父さんに病気が発覚。
チャームの応用でお父さんの病の進行を抑えていたが、二歳のサキが初めて行使した、文字通り規格外のチャームでお母さんのチャームが上書きされてしまい、お父さんの病状が一気に悪化。そのまま亡くなった。
サキはこの事を覚えていないし、ユキは何となく察してはいるが絶対に口には出さない。
お母さんの日記はもう何処にもない。
あと1話か2話で終わり、かな。
いつかの感想返信でお姉ちゃんルートが一番キツいと思うって言った理由です。
美上さん家の家族問題がメインになります。