とあるサキュバスの日記   作:とやる

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20ページ目『告白』

 

「あんた私のこと大好きなんでしょ? 大人しく言うこと聞きなさい!!」

 

「そういうわけにはいかないっ! って! 話をしたんだよ!!」

 

「ほんっっっと面倒くさいわね! あんた本当面倒くさいわ!」

 

「ごめんよ! でも、それでも僕は僕を曲げるつもりはない! 僕が、君の特別でいるために!!」

 

「このっ、聞かん坊!! あんたがそうやって意地張ってても、私は全部奪っていくわよ!! 好きな男は必ず魅了する。それがサキュバスだもの!!」

 

「そういうサキュバスみたいなやり方、美上さんは好きじゃなかったんじゃなかったっけ!? それに、魅了して無理やり手に入れた気持ちに何の意味があるんだ!」

 

「いや、無理やりも何もあんた私のこと死ぬほど好きじゃない」

 

「〜〜ッ! それは! そうだけど!!」

 

「両想いの二人が結ばれてハッピーエンド。物語はそれで終わりよ。だから、いい加減に、その捻じ曲がった頑固な意地張ってないで、私に魅了されろ!!」

 

「それは出来かねる相談かなッ!!」

 

 ステージで想いがぶつかる。

 少女の……そして、少年の恋を応援したいという気持ちでサキュバスの使役下に置かれた男たちが、少年を抑えようとしては躱されて、投げられていた。

 それも当然だろう。

 少年は混ざり者であるとはいえ、その混ざったモノは水妖精の性質。

 数多の種族の中でも、フィジカルで水妖精に勝る種族などそうはいない。

 

 少女の魅了があくまで"お願い"に留められている以上、自身の負傷を度外視した特攻を行う男はおらず、それが少年に対処の余裕を与えていた。

 明らかな千日手。

 何かが起きない限り、この状況は動かないだろう。

 

 もはやお互いのことしか見えていない少年と少女。

 魅了によって限定的に思考回路が舗装されている男たち。

 

 この会場で、何かを起こせるほど冷静なのは、サキュバスに魅了されていない女たちだった。

 

 水澄イズミも、その一人だ。

 

「ぷっ……くはっ、あははは!」

 

 水澄は笑っていた。

 それはもう愉快だと言うように、笑っていた。

 笑いながら、泣いていた。

 

「覚悟決めてやることがこれって、馬鹿なんじゃないですか! あはははは! ほんとに、ぷっ、もう、今どきこんな、公開告白って……! くふっ、見てる方が恥ずかしいですよ!」

 

 多感な高校生に、惚れた腫れたの話は共感性羞恥を煽る。

 その気持ちが大きければ大きいほど、恥ずかしくなる。

 他の何よりもあんたが欲しい、だなんて、よくもまあ真剣に言えたものだ。

 ずっと君の特別でいたい、も中々いい線をいっている。

 本当に本当に、なんて恥ずかしい二人なんだろう。

 そして、

 

「ほんとに、もう、ぷふっ、……はあー、もう……眩しいですね」

 

 夜空の星を見上げるように、水澄は二人を見ていた。

 

「そんなの見せられたら、もう、諦めるしかないじゃないですか」

 

 いいや、違う。

 最初から諦めていた。

 ただ、区切りがついた。

 今日、この日。

 水澄イズミの中で、ひとつの区切りがついた。

 

 思い出と感情と、あと、甘くて苦い心を。

 大切に箱にしまいこんで、鍵をかけた。

 

 きっと、もうこの箱が開くことはない。

 箱は空かない。そして、開かないのだ。

 

「よし!」

 

 こぼれ落ちた涙を拭って、水澄は立ち上がった。

 

「あまりにも小っ恥ずかしくて見てられません。しょーがないから、手を貸してあげますよ、淫魔。……いいえ、サキ」

 

 あのステージに立っているサキュバスは、かつて水澄が言えなかったことを、馬鹿みたいに真っ正直に叫んでいるから。

 

 応援のひとつぐらい、してやりたくなったのだ。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 決着がつかないことを早々に確信していた。

 

 私の支配下にある男たちが飛びかかっては往なされていく。

 分かってはいたが、やっぱり水妖精の性質の影響を受けているあいつを拘束するのはかなり難しいみたい。

 それでもこのまま続ければいつかは捕まえられるかもしれないけど、そういうわけにもいかなかった。

 

「くっ……あったまいたい……!」

 

 ふらつきそうになる脚を、唇を噛んで踏ん張る。

 自由意志を奪わず、あくまで"私のためにこうしたい"と思ったその背中を押してやる程度の出力に留めたチャーム、それが百数十人分。

 いつもの出力に任せた完全支配下に置くそれならともかく、慣れない繊細な調整を要求され私の頭は鈍く曇りかかってきていた。

 

 例えるなら、息を止めている感覚。

 肺に溜め込んでいる空気を少しずつ、少しずつ出すのはとても苦しい。

 楽になるためには一気に空気を吐き出してしまうほかない。

 それをグッと堪えて、私は少しずつ空気を吐き出していた。

 

「だいたい! こんな美少女に好きだって言われてるんだから、その幸せをありがたく噛み締めて言うこと聞きなさいよ!」

 

「幸せは噛み締めてる! 正直今なら空だって飛べそうだ! だけど、それは"現在"だからなんだ!!」

 

「わっからない奴ね! 気付いてるの? あんたがそうやって拒絶するってことは、私のことを信じてないって言ってるも同義なんだけど!?」

 

「信じられるわけ! ないじゃないか!! だって僕は、一度君に忘れられているんだ!!」

 

「その時は私はあんたのこと路傍の石ころほどにも思ってなかっただけよ!! 今は違うって何回言わせるのかしら!? ああッもう!! 私だって恥ずかしいのよこれ!?」

 

「正直に言えばもっと聞きたい」

 

「キスする前に絶対殴る!!」

 

 声を張り上げているのは、気持ちで負けないためと、弱気になりそうな自分を蹴っ飛ばすため。

 何かに本気で打ち込んだことが少ない私だ。

 言い換えれば、本気になるまえに辞めてしまうことが多かった。

 諦め癖があることくらい、自分がよく分かっている。

 でも、これだけは、これだけはどうしても諦めたくないから。

 負けるなと、自分を鼓舞するように。

 叫んで、叫んで、声を高らかに。

 この叫びに負けないぐらい、私の気持ちは大きいんだ。

 本気の恋は、大きいんだ。

 

 それでも、その気持ちだけで全てがうまくいくほど現実は優しくない。

 

「──っ! ここ、だ!!!」

 

 刺すような頭痛に反射的に瞼を閉じる。

 チャームが鈍った。

 いや、違う。

 いっぺんにモブ男に群がって同士討ちにならないように統率していた支配が乱れ、我先にと男たちが飛びかかったのだ。

 

「──ぁ、まず──ッ」

 

 思考が声として出力された時には、もう遅い。

 飛びかかる男たちを高く、高く跳躍することで躱したモブ男が、包囲網の抜け目に向けてスタートを切った。

 あいつの足の速さは知っている。ずっと目で追ってたんだ、よく知ってるわよ。

 だから。

 分かる。

 わかってしまう。

 止められない。

 今、ここで、モブ男を走らせれば。

 

 止められる人なんていな──。

 

「待っ──」

 

 まるで、縋るように。

 女が、男に"行かないで"と泣きつくように。

 届くわけなんかないのに、咄嗟に伸ばした手に振り返ることすらなく。

 モブ男は、床面を踏み砕くほどの加速をして、

 

「──ここ、妖精さん通行注意ですよ、ユキカゼくん」

 

「──ぇ? 水澄さ、んんぅっ!!?」

 

 刹那、周りの男たちを吹き飛ばしながら突進してきた水妖精にぶん殴られ、モブ男がぶっ跳んだ。

 

「──だいぶ私の性質を使いこなせているようですが、まだまだですね。私ならあれぐらい軽く交わしてカウンターを叩き込んでいますよ。精進が足りません」

 

 肩に掛かる水色の長髪を片手で払いながら、傲慢不遜なほどに堂々と胸を張って立つその女は、唖然としている私を一瞥する。

 

 そして、憎たらしい……本当に本当に、憎たらしい透かした笑みを浮かべた。

 

「ここでも、私の助けが必要ですか?」

 

 その、一言に。

 カッと頭が熱くなるのを感じた。

 

 それが望むものであったかはともかく。

 確かに、アンタの存在が欠けていれば、この恋は初めから成立すらしていなかった。

 だけど。

 今は違う。

 今は違うんだ。

 アンタの助けなんかなくたって、私は! 

 自分の恋は、自分で守るのが女の子でしょう! 

 

「要らないわよ! 黙って見てなさい!!」

 

 決意を言葉に、チャームを乗せた言霊を。

 アイツの助けなんかいらない。

 助けてもらうわけにはいかない。

 好きな男は、自分の手で手に入れる。

 頼まれたって手伝わせてやるもんか!! 

 

 モブ男は、ユキカゼは、私の男だ!! 

 

「……ふふっ。そうですか。じゃあ、私はこれで失礼します。文化祭、まだ回ってないところありますし! こんな馬も食べないような痴話喧嘩に付き合うのも疲れるんですから。……ばいばい」

 

 ひしめき合う男たちを軽々と越え、水妖精は体育館の外へ姿を消した。

 

「いっつ……、思いっきりやったな、水澄さん……!!」

 

 視界の隅で、モブ男が起き上がる。

 派手にぶっ飛ばされてたけど、しっかりと立っているその様子にダメージは見受けられない。

 いや、回復してるのかしら。

 どっちでもいい。

 やる事は変わらない。

 

「くっ……また逆戻りか。でも、何度やっても変わらない!」

 

 その通りね。

 このまま同じことを続けても、きっと同じ結果になる。

 水妖精がいなくなった今、今度こそモブ男は走り去ってしまう。

 

「でも、だから同じことはしない。焼き直しにはさせない」

 

「……今度は、この人たちを完全支配するの? 確かに、そうすれば僕は遠からず捕まるかもね」

 

「……やってもいいけどね。でも、それをやる私が、アンタは好きなの?」

 

「美上さんを好きだって気持ちは、きっと何があっても揺らがない。僕の倫理観が見咎めることとそれとは、また別の話だ」

 

「ばーか、違うわよ。アンタが私のこと好きなのは当たり前よ。私が言ってるのはね──」

 

 そこで、大きく息を吸って、

 

「それをしない私を、アンタはもっと好きになるってことよ!」

 

 好きな人をもっともっと自分に夢中にさせたい。

 そう思うのって、きっと普通のことよね。

 そして、好きな人を夢中にさせるために頑張れるのも。

 女の子なら、きっと当たり前のことなんだ。

 

「──っ!?」

 

 がくん、とモブ男が膝をつく。

 その隙を逃さず一人の男が飛びかかるが、簡単に片手で往なされてしまう。

 逃すものか。

 

 息をしろ。

 空気を肺に取り込め。

 想いを言葉に込めろ。

 もっと、もっと、もっともっともーっと!! 

 いい、よーく聞いてなさい。

 私は! アンタのことが! 

 

「大好きよ、ユキカゼ!!」

 

「うぐぁ、ぁっ!? ま、まさか、これだけの人数のチャームを調整しながら、僕だけに本気のチャームを……!?」

 

 正解。

 流石にわかるわよね、アンタなら。

 何回も何回も、魅了してやろうってアンタにチャームし続けてたわけだし。

 でも、分かったからって対処できるものでもないでしょう? 

 

「好き。大好き。夜寝る前に、もし付き合ったらって妄想して、ドキドキして寝れなくなっちゃうぐらい好きよ!!」

 

「──ちょ、まっ、嬉しい! 嬉しい、けど! 〜〜ッ!! これ、まず──ふん!!」

 

「ユキカゼの手が好き。私よりも大っきくて、ざらざらしてて、でも優しく私の手を握ってくれた手が好き! ユキカゼの目が好き。しょうがないなあって笑ってるときの優しい目が好き。真剣なときの瞳がカッコよくて好き。見ないように見ないようにしてるけど、チラッて私の体見ちゃうときのえっちな目も可愛くて好き!!」

 

「っ、ぅ〜〜ッ!! やば、これ、なんで、今まで1番、気を抜いたら持っていかれ──うわぁ!? やめ、男の人たちに対処する余裕、が!!」

 

 あら、忘れたの? 

 チャームについて勉強したんだから、覚えてなさいよ。それを抜きにしても、好きな女の子の種族の一番の特性なんだから。

 

 種族、サキュバス。

 その種族特性であるチャームには、生まれ持っての素質とは別に、より強力にするための方法がある。

 

 それは、性的に興奮させること。

 チャームする対象が自身に性的な関心を向けていればいるほど、チャームは強力に作用する。

 肌の接触面積が大きければ大きいほど強くなるのも、そういう理由だ。

 

 じゃあ、今の状況はどうなのだろう。

 

 私の格好は劇の衣装。

 しっかりとした生地のそれは丈の長い質素なドレスのようなもので、私が美少女である事を加味してもとてもじゃないが扇情的な見た目とは言い難い。

 そして、私はモブ男を取り押さえたくてこんな事をしているわけだから、肌の接触面積なんてゼロだ。

 

 それなのに、どうしてか。

 ……ふふ。どうしてでしょうね。

 ねえ、どうしてだと思う? 

 どうしてアンタは、今の私のチャームがこんなにも強烈に効いてるんだと思う? 

 

 理由はもちろんある。

 まあ、なんというか。

 一言にまとめてしまうのなら……アンタ、私のことどんだけ好きなのよってとこかしらね。

 

 チャームに抗っているのだろう。

 男たちを躱しながら、しかし意識を保つために歯を食いしばるモブ男からはそれ以上の余裕が消え失せている。

 このままいけば、そう時間もかからず取り押さえられる。

 

「──ぁ、頭、いた、ぃ」

 

 問題は、私が保つかどうか。

 モブ男に全力全開のチャームをかけつつ、他の男たちをチャームしすぎないようにコントロールするそれは、想像を絶するほどの負担があった。

 ホースから思いっきり水を出して的に当てて、その水飛沫を全て狙った場所に当てているような、そんな馬鹿げたイメージが頭に浮かぶ。

 熱を出したときのように頭が茹だり、脳が溶けてしまいそうな感覚。

 いや、もう溶けてるかもしれないわね。

 だって、頭が馬鹿になってないと、こんな恥ずかしいこと……言えないもの。

 

「頑張り屋さんのあんたが好き! 誰かのために一生懸命になってるあんたが好き! 頑張り過ぎちゃうのは心配だけど、正直馬鹿じゃないって思ったけど! それでも、そうやって頑張り過ぎちゃうところも大好きなの!」

 

「くっ……るっ、っ!!」

 

「好き。大好き。きっと、世界で一番……ううん、私が生きている限り、ずっと! 私はあんたを愛してる!」

 

 ねえ。

 私は、私の気持ちを伝えてるよ。

 心の奥の奥の、本当の気持ち。

 本当は、誰にも聞かせたくない、そんな気持ち。

 だって、恥ずかしいだもん。

 それに、独り占めしたいんだもん。

 私があんたを大好きだって気持ちを、私があんたを愛してるって気持ちを、ホントは他の誰にも、爪の先ほどでも渡したくないんだよ。

 あんただけに聞いてほしい、そう思ってるんだよ。

 

 あんたはさ、どうなの? 

 

 私の告白を聞いて、あんたはどう思ったの? 

 

 あんたが言った、私の特別じゃなくなるのが怖いっていうの、分かるとは言えない。

 あんたがなんでそんなに怯えてるのかも、本当の意味では私は分からない。

 私はきっと生まれた時から特別なサキュバスだったから。

 この世界に生きる男全ての"特別"に、私は無条件で成れてしまったから。

 あんたが泣きそうな顔で言った、私の特別で居続けたいって願いも、心の奥底の本音なのは間違いないんでしょう。

 

 でもさ、本当はそれだけじゃないわよね。

 

 分かってるんだよ。

 伝わってるんだよ。

 

 だって、私はサキュバス。

 男を惑わし、男を魅了する淫魔。

 

 男の心を手玉に取る、そういう女だ。

 

 口ではどんなに否定したって。

 どんなに受け入れられないと私を遠ざけたって。

 

 私みたいに、胸の奥が、今にも張り裂けそうなほどドキドキしてるって。

 私と同じぐらい、心臓が口から飛び出そうなほどきゅうぅて苦しいんだって。

 

 バレバレなんだから。

 

 こういうの、口と違って体は正直だなって言うのかしら。

 

 まあ、なんでもいいや。

 とにかく、私が言いたいのはさ。

 私はこんなにもあんたが好きで、あんたも私のこと、こんなに想ってくれてるんだから。

 だから、いい加減──

 

「──観念しろっ! ばかユキカゼぇ!!」

 

 叫んで、走った。

 息を切らして、全速力で前へ。

 それと同時に、男たちがモブ男の逃げ場を塞ぐように人の壁を作り上げる。

 モブ男まで、一直線の道が出来た。

 私は走るのが遅いけど、体育館のステージなんだから端から端まで一瞬だ。

 モブ男の背中目掛けて、私は着地のことなんか全く考えずに飛び込んだ。

 

 完璧に統率された男たちが、逃げようとするモブ男の動きを油断なく抑え込んで、その場から一歩も動かさない。

 飛び込んでくる私に気付いたモブ男が振り返っても、もう遅い。

 私たちは抱き合ってもつれあうようにして、ステージ裏へ転がった。

 

「あ、危な! 何考えてるんだ! 僕が受け止めなかったらどうするつもりで……!?」

 

「絶対に受け止めてくれるって、信じてた」

 

「そ、そんな理由で──ぃい!?」

 

 モブ男の体がビクン、と跳ねる。

 

「こ、これ……まさ、か……!?」

 

 あ、気付いた? 

 まあ、気付くわよねそりゃ。

 

「あ、待って動かないでよ。あんたの腰に尻尾巻きつけてるから、今急に動いたら、多分私は思いっきり引っ張られてごつんって頭を床に打ち付けるわよ」

 

「捨て身じゃないか……!」

 

「尻尾を握って取り外そうとするのもダメよ。それやられると、私、止まらなくなるから」

 

「いやそんなこと言われても……!」

 

「いいの? 私、ぐっずぐずに惚けちゃうけど。きっと、無自覚に此処にいる男たちを誘惑して、色々と卒業しちゃうかも」

 

「……それは、ずるいよ美上さん」

 

「あ、辞めちゃうんだ。ふふ、可愛い」

 

 ぱたん、とモブ男の腕が力なく垂れる。

 私は、背中に回した両腕にぎゅうっと力を込めた。

 

「ねえ、聞こえるかしら。私、こんなにドキドキしてる。こんなにもドキドキするぐらい、あんたのことが好きなのよ」

 

「……自分の心臓の音がうるさすぎて、分からないかな」

 

「嘘ばっかり。だって、私に聞こえてるもの。あんたのドキドキ」

 

 仰向けになっているモブ男の上に重なるように、私の体がある。

 重なった胸と胸から溢れる心臓の律動が、共鳴するように早鐘を打っていた。

 

 ステージ裏は薄暗くて、さっきまでの喧騒が嘘のように静かだ。

 さっきまでチャームしていた男たちがステージ裏まで入ってくることはない。

 今頃は、体育館の外へ全員出ているだろう。

 今此処には、私とモブ男の、2人だけ。

 

「……僕はさ」

 

 ポツリと、モブ男が小さく息を吐いた。

 

「……怖いんだ。どうしようもないぐらい、怖い。美上さんの気持ちが変わって、僕から関心がなくなってしまうのが怖い」

 

 ええ、知ってるわ。

 

「……日記を見られてるから言うけどね。僕は、この学校に入学したときは脳が壊れてた。脳の人を記憶する部分が壊れてて、誰かを覚える事が出来なかったんだ。……家族は、事故の影響だって言ってるけど、水澄さんに助けられた時に……昔のことも全部、思い出してる」

 

 穏やかな声音だった。

 凪の海のような、静かな声。

 けれど、そこに込められていたのは、モブ男のドロリとした重い感情。

 

「つまらない話だけどね。告白されて女の子と付き合い始めた男は、馬鹿だったから、舞い上がった。男は女の子を助けるものだって、この子は絶対に僕が守るんだって。笑っちゃうでしょ。きっと、疲れるし、ウザかっただろうね。だって、女の子が何をするにしても、それを助けたがってた。それが相手を大切にすることなんだって、思い込んでたんだよ」

 

「……とんでもない自己中ね、そいつ」

 

「うん。とんでもない自己中だ。だから、愛想を尽かされるのも、当然だったんだ。……気付いたら、女の子は先輩の男の人と付き合ってたよ」

 

「……別れたの?」

 

「ううん。別れてはなかった。男は疲れるウザいやつだったけど、それでも、周囲の目には彼女を大切にする人に映ってたから。そんな男を一方的に振ったら、周囲の目がどうなるか……。他人からの評価を気にする、そんな子だったからね。そうでなくても、男が女の子を責めることなんて、できやしないんだよ。原因を作ったのは、男の方なんだから」

 

「……そう」

 

「でも、馬鹿な男はそれが分からなくてさ。先輩と女の子がキスしてるのを見たとき……裏切られたって、そう思ったんだ」

 

 笑っちゃうでしょ? とモブ男は自嘲する。

 私は、黙って話を聞いていた。

 

「好きだったんだ。うん、好きだった。だから、胸が張り裂けそうなぐらい苦しくなって、頭の中には女の子を責める言葉ばかり浮かんでは消えて、心がぐちゃぐちゃになりそうだった。自分に原因があるかも、なんて、ちっとも考えずにね」

 

「……」

 

「苦しくて吐いて、胸が痛くて泣いて、女の子との思い出が辛くて……こんなにも傷付くのなら、忘れてしまいたいって、そう思ったんだ。そうやって、俯いて歩いてたとき……先輩と女の子が、車に跳ねられそうになっているのを見た」

 

「……ああ、事故って、そういうことね」

 

「うん、そういうこと」

 

「あんたらしいわね」

 

「どうかな。そのときの男が何を考えてたなんて、僕にも分からないよ。ただ、その時……女の子を助けなきゃって、そう思ったときには、体が動いてた」

 

 その後の結末は、本当に呆気ないものだ。

 先輩と女の子を突き飛ばした男が代わりに車に跳ねられて、その時、脳が壊れた。

 きっと、直前に女の子のことを忘れたいと……"人との記憶"を残したくないと強く思っていたことも、無関係ではないんでしょうね。

 

「その後は、美上さんも知っての通り。生きていれば、人の記憶の大部分は誰かとの記憶になる。それが全部抜け落ちた僕は、生きているけど死んでるようなものだった。……そんな僕が、美上さんに出会って、また、恋をした」

 

「……当たり前よ。私だもの」

 

「うん、そうだね。美上さんじゃなかったら有り得なかったんだから。……でもさ、美上さん。だからこそ……記憶を取り戻した僕が、どれだけ"好きな人から好意を失う"ことを恐れたのか……分かるでしょ?」

 

 ふぅ、と息を吐く。

 長いようで短い独白。

 モブ男があんなにも私の気持ちを拒んだ理由の、その根っこの部分。

 恋愛に対してトラウマを抱えてもおかしくなかったモブ男が、それでもまた胸に抱えた大好きの気持ちを、大切に大切に、しまい込んでいた理由。

 

「……なんで、今になってそんな話を?」

 

「うーん……そうだね。なんというか……まあ、同情を誘おうとしました。だって今の僕、もう美上さんに見逃してもらうしかないし」

 

 ……まあ、うん。

 下の方とか、ちょっと反応してきてるもんね、あんた。

 体が重なり合ってるんだから、サキュバスじゃなくてもそんなの分かる。

 モブ男が落ちるのは、正直もう時間の問題。

 キスしてもしなくても、最終的にはモブ男が私に魅了されておしまいになる。

 

「だから……お願いします、美上さん。僕を……僕を、まだ、貴方の特別で居させてくれませんか」

 

 でも、それじゃあ意味がないのよね。

 

「嫌よ」

 

 私は、きっぱりと断言した。

 

「……それは、どうして?」

 

「嫌なものは嫌だからよ」

 

「……好きな人のお願いの一つぐらい、叶えてほしいなあ」

 

「あんたがそれ言うの?」

 

「もうなりふり構ってられないし」

 

「嘘」

 

「嘘じゃない」

 

「嘘よ。だって、だったらあんたは私を振り解いて逃げればいいんだもの」

 

「逃げられないようにしておいてどの口が言うんだ……」

 

 だーかーらー。

 

 私が怪我をすることが逃げられない理由になる。

 そうなってしまう時点で、あんたはもうどうしようもないくらい……。

 

「だいたい、同情を誘うつもりでさっきの話をしたのなら、あんたは致命的に間違ってるわ。あれで湧き上がるのは同情じゃなくて怒りよ」

 

「え」

 

「え、じゃないわよ。当たり前でしょう? なんで好きな人の口から私じゃない女の初恋の話を聞かされなきゃなんないのよ。ふざけないで」

 

「お、鬼だ……」

 

「サキュバスよ。それに、それだけじゃない」

 

 私は、大きく息を吸って、

 

「私は美上サキだ! 名前も知らないあんたの過去の女じゃない! 私の気持ちを、私の恋を、私の愛を! 何よりもこの私を! 他の女と一緒にすんなっ!! ばか!!!」

 

「──ー」

 

 だん、と強くモブ男の顔の横の床に手をつく。

 思ったより勢いよくやりすぎた。

 手がヒリヒリする。

 いいや。

 力加減間違えるぐらい腹立ってるもの。

 

「あんたの前にいるのは誰?」

 

「美上、さん」

 

「あんたが好きな女の子は誰?」

 

「美、上……さん」

 

「そうよ。あんたの前にいるのは、あんたが好きなのは、この私よ。サキュバスの美上サキ。好きな人の好意が失われる? 離れていく? 馬鹿言わないで。万に一つどころか星が滅んでも有り得ないけど……もし、あんたが私の事を嫌いになったって、私が絶対にあんたを離さない。分かってるの? あんたは、そういう女(サキュバス)に目を付けられたのよ」

 

「──ぁ」

 

「よりにもよって過去の女と比べられてたのが、はらわたが煮えくりかえる思いだけど……丁度いいわ。その女のことなんか二度と思い出せないぐらいに、私であんたを染め上げてあげる」

 

 モブ男の瞳に、私が映っている。

 鼻先が触れ合う。

 吐息が交わる。

 モブ男の両目から、涙がこぼれ落ちる。

 

「それに……最初から、言いたかったんだけどね。サキュバスにとって、好きな男をチャームするのは当たり前のことなの。そうね……好きな人にキスしたくなっちゃうような感じって言えば、分かるかしら。だからね、チャームされたからあんたを好きじゃなくなるなんてことは……ないのよ。サキュバスを好きになったんだから、それぐらい知っとけ、ばーか」

 

「──ぅ、ぁっ」

 

「いい、これが最後よ。私だって恥ずかしいんだからねっ」

 

 この半年間、色々なことがあった。

 最初は、生意気なやつなんて思ってたけど。

 絶対チャームしてやるんだって、躍起になってたりもしたっけ。

 一緒の時間を過ごすうちに、いろんなモブ男が見えてきて、気づいたら私の方がモブ男にチャームされてたんだから、サキュバスとしては落第点だ。

 でもね、そんな時間があったから。

 私は──。

 

「──浅海ユキカゼくん。貴方のことが好きです。私と、付き合ってくれませんか?」

 

「──美上サキさん。貴方の、ことが……大好きです。僕、と……僕と、ずっと一緒にいてください……っ」

 

 そうして、お互いの顔が近づいて行き。

 

「当たり前よ。あんたは、私のなんだから」

 

 この日、私はモブ男を、魅了した。





大変お待たせしました。
次回最終話になります。

全く関係ないですが、ユキカゼくんの初恋の女の子はお姉ちゃんです。
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